身体精神的な特性で、他人と一緒にいることで体調不良に見舞われることが多いからだ。
特性に気づくまでは人といると不快(実際は身体的不調)だったので、てっきり人嫌いだと思っていた。
一人暮らしを始めてから、自由に自分で体調管理できるようになり、また特性に気づき、
最近はどういった点に気をつければ良いのか分かって、快適に過ごせる事が多くなり、色々できることが増えてきた。
なにはともあれ、相手に色々と配慮して貰わなければやはり体調が優れないため、結婚というものには相変わらず縁ができそうにない。
自分が相手なら面倒くさいなと思うし、配慮してもらったとしても、じゃあ同じくらい相手に配慮してあげなければ申し訳ないと思う性格だし、
そういったわけで、幼少期から結婚しないだろうから一人で生きていけるようにならなくては、と思って生きてきた結果、
それなりに楽しく、たまに悩んだりしつつ生きている。
基本的に自分で自分を養わなければ、という意識があったので、家事はもちろん、仕事もそれなりにできる。
家計簿をつけるのは得意で、老後のことも考えて貯金もして、蓄えも出来て今のところ不安はない。
だから休日に遅くまでゴロゴロしたり、たまにきちんと掃除した部屋でちょっとお高めのコーヒーを飲みながら映画を見たり、
日曜大工をしたり、釣りをしたり、ゲームをするのに幸せを感じている。
やはり子供を作ることもなく、かと言って養子を取るような気もない私は、税金くらいしか社会貢献をしていないことに多少の負い目を感じる。
そして年齢を重ねるにつれて、一人で自由な事の弊害で、自分勝手で傲慢になってしまう、という不安だ。
こうやってますだに書いているのは、
あまりにも周りの人間が、自分の人生に何も考えて生きていない、という不満を持っているのを吐き出すためだ。
学校が、社会が教えてくれないと言うけど、調べればちゃんと書いているし、問い合わせれば、それなりに丁寧に教えてくれる。
随分と「周りが親切じゃないからこうなった!」という人が多いように見えてしまい、時折馬鹿な他人に嫌味を言いたくなってしまう。
しかしそう思うのは一人で生きなければ、何でもしなければ、と思って生きてきたゆえの傲慢さだ。
実際はそれぞれのやむ終えない事情や、自分よりしっかりした人はたくさんいるし、
時には一人で全部してしまうより、出来ないところは人に頼り、そして頼られる相互関係を築くことのほうが社会には必要だ。
「いやいや、人はぞれぞれ悩みや事情を抱えているのだ」と気をつけるようにしているが、
年々、他人に不満を持ったりすることが増えている気がする。
きっとパートナーや感情のコントロールが効かない子供を持つことで養われる我慢や、相手を思いやる機会が足りないせいだろう。
だが独りである自由を満喫しすぎて、自分の性格が歪むのに気づかなくなったり、
誰も注意してくれなくない、といったことが無いように、
なにかしら今後、社会との関わりを持つようにしなければいかないな、と思う。
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