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はてなキーワード: 帰属意識とは

2024-05-25

anond:20240525200151

いかどうかも確定してへんのだから実現可能性についてあれこれ思う段階じゃないってこと

別に盛り上げという概念があるほどなんかのコミュニティ帰属意識(いわゆる群れる的な欲求)があるわけでもないし、元増田にようば目的ならとりあえず質問してみるという1番コスト低そうな方法はまず押さえておくというのが合理的じゃなくて?盛り上げが視野に入るとしてもそれは次の手でしょ。最初からよりコストがかかる方法取るのはただのバカでしょ

2024-05-21

anond:20240520230142

レスバにならないからこそはてブ消極的日常と融合してしまったがゆえの惰性かも)に選び続けてるんじゃない?

どんなにひどいこと言っても他のサイトSNSより構造自体が一段上で人から見られてないと思うからのびのび色んな方面に強かったり露悪的だったり隙自語りできてそれはちょっと開放的なんじゃないか

楽しいっていうか多くのブクマカにとって「安全で居心地がいい」のかもしれないと思う

その安定感の方が楽しいより上なんじゃないか

ワイはブコメはやめてしまった単なるはてなブックマークを本当にブックマークとして使ってる人間なのでもう想像だけど

使ってたとき言葉エスカレートしてたなと思う

あとブクマカ普通に自虐が好きだと思うけどそのウラにははてブに対する帰属意識ちょっと優越意識とがあると思うよ

まえになんか燃え話題はてブはやっぱり品があるわって書いてたブクマカさんみてひっくり返ったけど、この感覚自虐と表裏一体で同時にあるものだと思う

恐山に見つかってイジられたときの反応とか見るとだいたい上みたいな感想になる

2024-05-14

帰属意識高い奴ってなんなの

私立大のOBとか

会社人間とか

自分家族とか

そんなに拠り所が無いと生きづらいわけ?

2024-05-05

かゆうま」みたいなノリで匿名日記を書くサイト作って4年が経った

4年前にバイオハザードかゆうま(飼育係の日誌)みたいなノリでコロナ禍の日々を集団匿名記録するサイトを作った。ログイン不要https://enigmatic-brushlands-82725-herokuapp.com

1年前:「かゆうま」みたいなノリで匿名日記を書くサイト作って3年が経った


知人が先々週にコロナ感染したり、友人が依然コロナ後遺症ブレインフォグに悩まされていたりなどしているのだが、世の中的にはコロナはすっかり明けたもの扱いになった。

外国人観光客も増え、出社する会社も増えて、前までランチ時間帯にすぐ入れた店もすっかり行列ができるようになってしまった。


しかオフィス回帰なんだかなぁと思う。

例えば社員オフィス出社しているが、フリーランスメンバーリモートなので、結局出社した社員オフィスZoomしてるだけだったりする。

それだったら家と変わらない、というか家だと自室でできるところを、オフィスでわざわざテレカブースを予約したり、予約争奪戦に敗れた人はデスクで話してて周りは気が散ったりしてで本末転倒である

コロナ禍をきっかけに地方移住した人は特例でリモートのままだが居心地悪そうで、実際フルリモート会社転職したりしてる。

あるいは正社員は辞めるが、業務委託契約を結んでフリーランスで働くことでリモートしてる人もいたりする。

オフィス回帰帰属意識を高めるとか言われてるが、むしろ会社へのエンゲージメントは下がってる感が否めない。

飛び込み営業も増えてきたし、取引先のと打ち合わせも対面のものがちらほら出てきた。コロナ禍をきっかけに移動時間を気にせず仕事をしたり打ち合わせが出来る方法が普及したと思ったが、どうして人間はそんなに対面にこだわるのかワケガワカラナイヨ。


コロナ流行自体がある程度おさまってきたのは喜ばしい。(単に報道しなくなっただけで落ち着いてるだけ説もあるが)

ただ、逆にもう少しコロナ禍の頃のように外出しないで済む工夫をしてもいいんじゃないかと思う。

ということで今は「いかに外出しないで売上を上げるか」という経営シミュレーションゲームを作ってみようかと考えている

とはいえゲームプログラミングは全くしてきたことがないので、いまGodotを勉強である

これまでWebプログラミングがメインだったので、パラダイムが違いとまどうこともあるがなかなか楽しい

来年の報告の際にも紹介できればと思う。


そんなこんなですっかりCOVID-19流行下ではなくなってしまったが、ありがたいことにサイトは日々書き込んでくれる方々がいるし、自分も心の支えになってるので、引き続きゆるゆる続けていきたいと思う。


COVID-19流行下の日々を集団で記録する日誌 https://enigmatic-brushlands-82725-herokuapp.com/


4年前:「かゆうま」みたいなノリで匿名日記を書くサイト作った

3年前:「かゆうま」みたいなノリで匿名日記を書くサイト作って1年が経った

2年前:「かゆうま」みたいなノリで匿名日記を書くサイト作って2年が経った

1年前:「かゆうま」みたいなノリで匿名日記を書くサイト作って3年が経った

2024-05-01

anond:20240501150735

なんで大きい方から書くんだよ。普通自分の周囲から順々に条件拡大してくだろ

 

自分家族のために死ね

======肉親の壁======

友人のために死ね

仕事のために死ね

======所属コミュニティの壁======

住んでる町のために死ね

住んでる市のために死ね

住んでる都道府県のために死ね

======田舎への帰属意識の壁======

日本の住んでない地域のために死ね

国のために死ね

======日本人の壁======

アメリカのために死ね

住んでない国のために死ね

======人類の壁======

地球環境のために死ね

2024-04-24

生きづらさなんて所与の前提であって

(まぁ感じやすい人感じにくい人はいるにしてもだ)

世界自分との間にある違和感齟齬フィットしない感じを

わざわざ口にする必要もないというか

一言で言ってしまうのがダサいというか

その代わりにみんなフィクション読んだり書いたりしてるんでしょ

でも最近

生きづらさの理由を探したがるよね

理由などない、この世に生まれ落ち自我が芽生えればそうなる」とかではなく

性別身体的特徴、性志向、生まれ家族環境

生きづらさのわけを何か一つに求めて単純化して

そのことで同じ生きづらさを抱える人たちとの一体感帰属意識を得ることが目的

SNS時代らしいと言えばそうなのか

2024-03-29

anond:20240329155949

関東人って、「関東」という括りで一体感アイデンティティを持つことってほとんどないと思う。「首都圏」とかも同様。

同じ関東でも、東京神奈川千葉埼玉茨城ではそれぞれ別個の帰属意識を持っている。

さら東京は規模がでかすぎるので「東京」という単位ではなくもっとかい単位での帰属意識になっている。

その単位はあまりはっきりしたものはないけど、城東/城西とか、中央線民/東急線民/ほか沿線ごととか、区単位とか、街(駅)単位とか、いろいろある。

そういう細かい区分けでそれぞれが「自分はxx民」という感覚をユルく持ってる感じなので、「関東」でまとまって「関西」と対峙するみたいな意識にはあまりならないと思う。

2024-03-20

anond:20240320200618

トラバにあるアラ還童貞には負けるが、アラフォーワイは別に童貞理由で心身の不調をきたしたりはしてない

ただし、非正規職で職場とか学閥かに帰属意識が無いというある意味で幸いな事情のせいだと思ってる

世間平均値に近い地位にあってその状況に肯定的感情を抱いてるのに童貞高齢童貞平均値から外れた異常値である)だったりしたら、鬱屈するんじゃないか

逆に教えて欲しいんだけど、なんで職歴多めの人って

あんなに性格悪いんだろうな

 

転職を繰り返すと性格悪くなるのか

性格悪い人は転職が多くなるのか

 

職歴の多い人って、ギャンブル好きの男みたいな印象のレベルだよね

 

なんだろう

金がかかるとかかからないとかではない、その手前で忌避感がある

これはなんというか帰属性というか保守性というか

「あー、こいつ会社危機が迫ったら、気安く捨てて他の会社に行くんだろうな」

という思いを抱いてしまうからだろうか

 

事実豊富転職経験ってのは

「あぁ、私はどこに行っても生きられるんだ!狭い会社内で生きなくてはいけない理由はないんだ!」

と思わせてしまものがある気がするんだよな。

それは勘違いでもあり、転職者にとっては勘違いではないというか、

雇用者に対しては「一企業しかいたことがない方にはなかなか理解していただけませんが、実際会社に途中入社したら人脈やスキルの再構築もあるし大変なんですよ。」って言えるんだけど

雇用側だとけっこうなんとかなっちゃうと思うんだよな。(当人が優れているという理由ではなく、労基法パワーで)

 

そういう共同体への帰属意識?を弱める力がジョブホッピングにはあるのではないだろうか

から企業職歴多い人を忌避するのではないか

僕はそう考察しました

 

おわり

https://anond.hatelabo.jp/20240313095538

anond:20240320093951

海外旅行好きの女性って何か特徴ってあるのかな。

そういえば旅行好きにしばしばみられる行動として、訪問場所の事前チェックがある、とふと思った。

国内海外わずだし、男女問わずだけど。

旅行に行く前の準備行為として、絶対に逃すべきではない場所食べ物を入念にチェックする。

現地でセルフィを撮って、インスタなどSNSで送る、という行動、最近では、インバウンド来日する外国人にとてもよくみられる光景だ。

映え写真をとっては、憧れのいかにもNIPPON!な光景に興奮して即座にSNSで送る。

旅行好きの人たちにみられるこれらの行動は、スタンプラリーとほぼ同じ意味を持つ。

日常との差異体験やよその世界ちょっとだけ繋がったりできたことの証明自己顕示が欲しいのだ。

その意味で、他の人のインスタと同じ構図で撮影することが現地に到達したこと証明するうえでとても重要

このような形で消費される、「日常では手に入らない新しい体験」は、要するに、「ごっこ」であり、エコツアーにしてもアグリツーリズムにしても何しても、

現地との関係性を一瞬だけ体感できる、という意味で、旅行者が憧れていた「日常との差異」や「関係性」を消費する行動なんだろうな。

さて、それが近年の傾向なのか?というと恐らくそうではなく、これは、かつての絵葉書を送るというスタイルから変化した形で、

東海道五十三次時代からそうであっただろうし、男女にも差がなく、古今東西それほど大きな違いはなさそうだ。

日常との差異を消費し、疑似的な関係性に癒されるというのは、昔からあったのだろう。

ところで、僕は男性で、わりと旅行好きというか、仕事柄、年がら年中、スーツケースをころがしている。

そんな男性立場からみて、女性のほうが傾向として強く、逆に男性に弱いことでひとつだけ思い当たることがある。

それは、旅先で一時的体験する関係性を、その後も持続させようとする傾向だ。

旅先で知り合った人とその後も連絡を取り合ったりとする傾向は女性のほうが強い気がする。


「おもいでぽろぽろ」というジブリ高畑勲監督映画(1991)がある。

都会育ちのOL女性田舎暮らしに憧れる、というところからスタートするこの物語は、農家体験をしてゆくうちに気持ちが変化し、

最終的に田舎暮らし決断するところで終わる。

この映画場合、旅先の地に女性を迎え入れる男性やその家族という存在があるが、

いろいろふりかえってみると、必ずしも現地にそのような迎え入れるひとや団体がなくとも、旅先で憧れた現地に、そのまま飛び込んでいく女性というのをアジアアフリカ中南米でしばしばみてきた。

かつて、「なんでこんなところに日本人」という世界の片隅で暮らす日本人を紹介するテレビ番組があったが、その番組で紹介しているのも、若い女性の活動が目立っていたように思う。

「男女差」という視点で、いろいろ参考情報をみていくと、例えば

海外留学の男女比も女性のほうが10ポイントくらい高いのだそうだ。

また、男女管理職別で見ると、男性は自社内のキャリアアップ意向が高いのに対し、女性男性よりも転職でのキャリアアップ意向が高いのだという。

男性女性よりも保守的で、外に関心がない、という傾向はそこから見て取れるのだが、

だが!しかし、、、、

果たして、そんなふうに男女差を単純に断じていいのか?とも思う。

それでも確証はないけれども、これらの数字が出ている以上は、それにむすびつく何かしら男女差のような背景はありそうだ。

まずは、男女共同が叫ばれつつも今をもって日本男性社会であるという事実から出発してちょっと考えてみる。

突飛な発想かもしれないけど、1970年代初めごろの歌謡曲で「瀬戸の花嫁」という歌を思い出した。

瀬戸内海小島へ嫁が嫁ぐ様・心情と、新生活への決意が歌われている。

あなたの島へ お嫁にゆくの 若いと誰もが 心配するけれど 愛があるから 大丈夫なの」

当時、女性が他の家に嫁ぐということは、程度の差こそあれ、この歌が表現しているように、

ホームからアウェイに飛び出してゆくことであり、その後一生アウェイで暮らす覚悟必要だった。

アウェイといえば、ドラマおしん」(1983年)。朝の連ドラとしては異例の一年間の長編ドラマとなった「おしん」。

そこでは、さらもっと幼少のころから嫁ぎ先へとひたすらアウェイ過酷人生が描かれ、しまいには終戦時に夫が自殺し、どん底な半生が半年くらい描かれている。物語の後半では、敗戦後、残された子供を抱えて女手ひとつ小売店を立ちあげ、自立してゆき、やがて息子へ引き継いでゆく姿が描かれ、多くの女性共感を呼んだ作品だった。

孫までいるおばあちゃんとなったおしんだったが、このドラマは、事業を引き継いだ息子が無謀な事業拡大を始めたことで経営リスクに直面し、育て方を間違えたと自信を喪失したおしんが、過去を振り返るために原点である山形への旅に出るというシーンから始まっている。一年近いドラマの終盤300話くらいから、その伏線を回収し始めるという、息の長いドラマで、橋田壽賀子、すげえという感じしかない。

アウェイ世界でたくましく生き抜くおしんとは対照的に、登場する男性はどいつもこいつもダメな男ばかり、というのも印象に残った。(補記:特におしんの夫は軍組織に尽くし、結果として多くの命を亡くした責任を感じて自殺したという筋書きだが、拠り所となる国家、軍などのホームベース敗戦により瓦解したことのショックが実際のところの引き金だろう。)

「嫁ぎ」に象徴されるように、簡単に引き返せないような事柄に身を投じる女性エネルギー、勇敢さ、芯の強さは、男性社会のなかで女性文化的に育まれものなのかもしれない。

昨今では、結婚就職になぞらえる向きもあるけれど、かつての日本社会はいったん他の家、姑の支配下に入ったら最後、そんなに生易しい現実ではなかったはずだ。

一方で、男性は芯がないくせに保守的で臆病だ。外の世界渡り歩いていて、仮に失敗してもギリギリホームグラウンドにもどってこれる、みたいに何か安全弁のようなもの男性社会のものが仕組みとしてもっていた。だからその範囲しか外に出歩かないのだ。ふるさと家業を継ぐなんて選択肢が30代くらいの人生の岐路に用意されているとかね。逆に成功を収めれば、故郷側が自分をほめてくれる。【故郷に錦を飾る】というのは男性的な価値観だ。

女性はというと、嫁ぐにしても出戻るにしても自分の居場所を確保するには厳しい世界

「嫁ぐ」という習慣、因習宿命からまれた、抑圧されてきた女性の生きるエネルギーが、むしろ社会を変える力になってゆく。

山崎ハコの「望郷」で歌われる故郷は、帰る家もない、戻るに戻れない場所としてうたわれた。これは失敗すれば帰って慰めてくれ、成功すれば褒めてくれる男性故郷観とは対照的だ。これはなかなかパラドックスだと思った。

翻って、旅行好きの女性について思うことは、ホームグラウンドからアウェイ世界に飛び込むという意味

かつての日本によくみられた嫁ぐという宿命と旅は似たところがある。嫁ぐ行為が違うのは、それが片道切符であり、二度と戻れない覚悟必要だということだ。

若い女性にとって、日常空間から飛び出す、という旅行体験は、やがては「嫁ぐ」という運命現実世界で待ち構えていた時代には、疑似的に自分覚悟能力を試す場としてより大きな意味があったかもしれない。

嫁ぎ先である日本社会日本人男性漠然失望している場合希望がもてなければ、いずれにしてもアウェイ世界で生きる宿命ならば、

いっそのこと、旅先の現地でとどまって残りの人生を過ごすことも選択肢としてはあり、くらいの感覚深層心理にあるのではないか妄想する。

一方で、男性のほうは、ホームグラウンドである故郷というもの概念として存在していた時代は、旅というのは、違った意味を持っていたと思う。都市に何世代も定着した人口が急増したここ四半世紀より前の20世紀の話だ。

かまやつひろしの歌で「どうにかなるさ」というフォークソングがある。

「見慣れた街の明り 行くなと呼ぶ」

この世界観は、瀬戸の花嫁のようなアウェイ世界で生きる覚悟は感じられない。アウェイでもどうにかなると思っているのだ。

なおかつ、ホームグラウンドを出て行ってもなお、ホームからかい視線旅人である自分に向け続けてくれていると信じているのであり、「男はつらいよ」のフーテン寅さんとほぼ同じ世界観だ。ボヘミアンを気取って出て行っても、いざとなったらただいまといって帰れる場所がある。

そういえば、寅さん映画も、旅先での関係性を持続できないということがひとつの大きなテーマになっていることに気がついた。


民俗学者宮本常一は、故郷を捨てて放浪する旅人考察した文章のなかで、そうした旅人

地元を去って放浪した末に、やがてひょっこりと故郷に戻ってきて、旅先で得た経験や新しい知識を広め、地域活性化寄与する機能果たしていたことを、

世間師という言葉表現した。フーテン寅さんのことを考えていたら、そんなことも思い出した。

世間師というのは、故郷側の人間が出戻りの人間に対して名付けた呼び名で、一種の敬意が込められている。

嫁ぐということが待ち構えておらず、ゆくゆくは地域社会リーダーシップをとっていかなければならない男性潜在的意識として、旅は武者修行であったり、広く見聞を広め、世の中の解像度を上げるための行為だったのかもしれない。会社組織が全国各地の赴任経験を重視しているのも同じ価値観といえる。

かつて東南アジアへのセックスツアーなどがあったように、赴任先、旅先で恥をかき捨てるのも主に男性だ。

男の旅というのは、ちまちましたもの火遊びのようなもの。家から離れて外の空気を吸いたいというものだ。近所のスナックだったり、家庭が壊れないようにという不安があるからまり大きなことはできないが、脇が甘いから夫が捨てたラブホテルマッチを妻がゴミ箱から発見してしまう。やまだ紫の「しんきらり」という漫画では、そんな情景が描かれていたのを思い出した。

しかし、この四半世紀、女性社会進出や、結婚観は大きく様変わりし、嫁ぐということを前提としない将来像を女性模索する時代になった。

テレビドラマも、90年代以降、女性社会進出を反映して、トレンディドラマ代表されるように、キャリアウーマンがオシャレなレストラン食事する、みたいなシーンが増えた。

東京ラブストリーとか。憧れのロールモデルが描かれるようになったということだ。ドラマ世界にあこがれる、ということが90年代まではあり得た。

しかし、現実女性社会的地位はどうだったかというと、総合職課長以上に登れるのは一握りで、相変わらず賃金格差があり、お茶くみやらと男性社会における旧態依然とした女性役割押し付けられていたのが現実だ。その現実90年代ドラマショムニ」でよく表現されていたように思う。

しかし、さら時代は変わって、憧れの東京に向かって、急速に人が流入しつづける時代は終わりつつあり、受け入れるキャパもなくなってきた。「おもいでぽろぽろ」の主人公少女時代1970年代)は、都会の夏休みラジオ体操に二人しか参加していないほど、ふるさと田舎そもそも持たない世帯が少なかった。今では想像もできない光景だ。

中長期的には東京一極集中トレンドは変わらないものの、それは不動産価格トレンドに連動したもので近隣県から流入が中心。一方で、田舎というベースをもち帰省必要な人というのは減っているのではないか首都圏の人は首都圏世代を重ねるし、地方の人は地方価値見出し仕事をみつけ、結婚し、次世代を育てる、という人口流動の安定期になってきたようにも思う。帰省という形でつながっていた地方ふるさとホーム)との関係が途切れてきているといってもいい。

そうなると、都会の人間地方に見出す価値というのものというのは、失われた関係性そのものに重きがおかれるようになるのは自然なことだ。

その結果、その後に続くドラマの傾向としてみても、(都会で活躍するキャリア女性理想像ではなく、もっと実態に即した現実を映し出す、自分探しのようなドラマが増えていったように思う。

一昨年のドラマファーストペンギン」とか「ユニコーンに乗って」なども、スタートアップ企業テーマ女性自画像模索した作品で、近年の傾向を象徴しているように思えた。

ファーストペンギン」のように地方移住テーマにした作品は、アウェイ環境女性ポテンシャルを試そうとするという意味では、「嫁ぎモデル」の延長線上にあるような気もするが、都会との関係性が交錯しながら物語が進むところに、考えるヒントを与えてくれるドラマではあった。


そんなことをおもった。そもそも旅行の話からはかなりズレてしまったけれど、女性が旅に何を見出しているのか、というのは女性人生観ということと絡めて考えてみると、興味深いテーマだとは思う。

とりとめもないメモです。

補記

上記の書きなぐりをAIが次のように要約したので感心した。ここまで断言できないからゴチャゴチャ書いてたのに。

旅行好きの女性の特徴と男女差

旅行好きの人々は、事前に訪問地の情報をチェックし、SNSでの共有を楽しむ傾向がある。これは、日常からの脱却と、新しい体験への憧れを表している。特に女性は、旅先での関係性を持続させることに価値を見出すことが多いようだ。

歴史的に見ても、男女間で旅行に対するアプローチに大きな違いはないものの、女性はより積極的に新しい環境文化に飛び込む傾向があると言える。これは、社会的な役割や期待に対する反応として、女性自己実現のために旅行を利用していることを示唆している。

一方で、男性はより保守的で、旅行を通じて得た経験故郷に持ち帰り、地域社会に貢献する傾向がある。これは、男性社会的なリーダーシップを担う役割を果たすことが期待されているためかもしれない。

故郷と都会の関係性の変化

現代日本では、故郷と都会の間の伝統的な絆が薄れつつある。かつては、人々は故郷を離れて都会で働き、定期的に帰省することで地方とのつながりを保っていた。しかし、今では都会で生まれ育った世代が増え、地方への帰属意識が低下している。これにより、都会の人々が地方に求める価値は、失われつつある関係性そのものになっている。

この変化は、地方と都会の間の人口流動の安定化を示しており、それぞれの地域価値見出し生活を築く傾向が強まっている。結果として、地方への憧れや関係性の再構築は、新たな形での自己探求や社会的な動きに影響を与えている。これは、女性旅行を通じて自己実現自己探求を行う動機に影響を与えていると考えられる。

旅行は、日常から一時的な脱却を提供し、新しい環境文化に触れる機会を与える。特に女性にとっては、旅行自分の居場所を見つける手段となり、故郷とは異なるアイデンティティを探求するプラットフォームになることがある。

2024-03-13

逆に教えて欲しいんだけど、なんで海外旅行好きの女って

あんなに性格悪いんだろうな

 

海外旅行に行くと性格悪くなるのか

性格悪い女は海外旅行好きになるのか

 

海外旅行好きの女って、ギャンブル好きの男みたいな印象のレベルだよね

 

なんだろう

金がかかるとかかからないとかではない、その手前で忌避感がある

これはなんというか処女性というか保守性というか

「あー、こいつ日本や俺(共同体としての家族)に危機が迫ったら、気安く捨てて他国や他の男のところに行くんだろうな」

という思いを抱いてしまうからだろうか

 

事実海外旅行経験ってのは

「あぁ、私はどこに行っても生きられるんだ!狭い日本世界で生きなくてはいけない理由はないんだ!」

と思わせてしまものがある気がするんだよな。

それは勘違いでもあり、女性にとっては勘違いではないというか、

男に対しては「客として訪れただけでなに勘違いしてるんだ。実際住んだら差別もあるし大変だよ。」って言えるんだけど

女だとけっこうなんとかなっちゃうと思うんだよな。(女性が優れているという理由ではなく、マンコパワーで)

 

そういう共同体への帰属意識?を弱める力が海外旅行にはあるのではないだろうか

から男は海外旅行好きの女を忌避するのではないか

僕はそう考察しました

 

おわり

2024-03-09

anond:20240309163008

群れで暮らす生物本能的な感情だと思う

群れで暮らす生物は、群れを崩壊させたり危険さらすような行動をする個体本能的に嫌い、排除しようとする

群れを危険さらす行動は色々あるけど、集団の決定に反抗的、奇声をあげる、仲間に対する加害、公共利益フリーライドするなどが挙げられ、それがまさに生活保護受給者の一部に当てはまる

元増田日本(もしくは自治体)を自分所属する群れだと帰属意識を感じており、その利益フリーライドする個体が許せないんだと思う

なぜならフリーライドする個体を見逃せばみんながフリーライドするようになり、増田が指摘しているように群れ自体崩壊する危険があるから

2024-03-06

HHKBの「真のオタクなら支持するよね?」みたいなスタンスが無理

どれだけ実際にモノが良かったとしてもHHKB帰属意識を持ってるようなキモオタに合流したくない

2024-02-26

なぜインフルエンサー駆逐せねばならないのか

なぜ、インターネット悪口を書きにくくなったのか。私はその原因を知っている。匿名がどうとかい問題ではない。簡単結論から言えば人気者の巨大化だ。

推し」という言葉流行っている。本来「推す」はある地位に推薦するという、限られた意味言葉であるが、昨今単に「好き」を置き換えたとしか思えないような形で濫用されている。この「推し」という概念は言うまでもなく欺瞞である悪辣アイドルグループ双方向性を捏造するために広めた概念だ。コンテンツ消費者数字ではなく、一人の意思のある人間として扱いますという嘘だ。人のことをなんとも思っていない「人気者」とコンテンツ産業が、人々から承認を奪うために蔓延させた害悪である

人気者とは、限りある人の認知リソースに食い込む能力に長けた人物のことで、要は好かれる性質を持った人間のことだ。インターネットはこの好かれる性質を使って金を稼ぐ狩り場に成り果てた。なぜ私が、「限りある」と強調するのかというと、人が人に抱く感情は有限の資源だと考えているかである。つまり、「人気者」に向けられる感情の総量が多くなればなるほど、私達が身近な人たちに無関心になっていくということだ。ビジネスという動機付けによって狂ったように加速していく双方向性や身近さ、帰属意識捏造は、私達のコミュニティ破壊している。私達はコミュニティから得ていたものコンテンツから摂取するようになり、身近な人と人との繋がりに感じる価値絶対的に低くなり続けている。身近な他者との繋がりではなく、「推している物事」が自己規定するようになる。限られた一部の巨大化した人気者に人間感情は集中して向けられる。つまり自己規定も、その多様性を失いつつある。

アイデンティティ商業的に画一化された社会で、何か物事に対してネガティブなことを発言するのは、その物事存在依存した大量の人間を傷つける行為だ。インターネットの人気者に対して有象無象友達のような態度で褒め称えたり慰めたりする光景を見たことがあるだろう。遠く離れた手の届かない人間友達だと勘違いさせられた哀れな人間が、友達成功を喜び、友達悪口を見聞きして傷つくわけだ。なんて馬鹿らしいことだろう。コミュニティ破壊され、「推し」が自己規定するようになった人間が増えると、悪口の影響が不必要に大きくなる。これがインターネット悪口を書きにくくなった大きな理由の一つだ。

私はインフルエンサー悪口を書くべきだと考えている。誹謗中傷をするやつは画面の向こうに人がいることを忘れた~とか間抜けなことを抜かすやつがいるが、それは人から好かれる性質を楯に欺瞞を広め数字を稼いで人間生活破壊しているインフルエンサーにこそ当てはまる指摘だ。巨大化した人気者に人間の、限りある負の感情を集中して、巨悪を打ち倒すべきだ。自分行為と人々に感情を向けられて得た利益を棚に上げて、受けた被害ばかりをことさら強調する悪党を、許してはいけない。そして悪口によって沢山の人を傷つけることで、「推し」が自己規定するようになってはいけないという、極々普通の当たり前のことに気付かせるべきだ。そして、嫌いなものがある人間面白いという、当たり前のことにもう一度立ち返って、私達は、私達の隣人と慎ましく暮らそうではないか。もう一度、愛と尊敬の念を持って、私達の身近な人々と日々の生活を形作ろうではないかインフルエンサー駆逐せねばならない、と強く思う。

2024-02-24

anond:20240224062709

でたでた人件費

なんか人件費に金かけたくないとか意味不明なこと言い出す奴が20年前から増えたのよね

従業員正社員にしないとかね

アホだなーって思う

正社員にしないから人が離れてくのにな

氷河期とかが会社帰属意識を持たずあくせく働かないのは正社員にしないからなのに

人件費とかアホな言葉だよったくもう

給料費とか奉公費とか言ってほしいもんよ

2024-02-19

転職したら気を遣う(女性編)

職場は社交場ではないが、そうはいっても一定コミュニケーションは大切だ。

女性に限った事ではないと思うが、匙加減にとても気を遣う。

年齢、ポジション職務経験家族構成容姿など様々な情報をやり取りして、

日々の業務が円滑に進むような人間関係を作らなければならない。

新しく入ってきた人に、最初に近づいてくる人

興味本位タイプ コミュ力はあるが飽きやすく、自分が知りたいところまで満足すると去っていく

 お喋りが好きなタイプ場合安易自分情報提供すると拡散されるので注意

マウントをってくるタイプ

自分利益があるかを確認し、引き出せる利益がなければ去っていく

 そこから興味がなく近づかないタイプであれば良い

 引き出せる利益があるとわかるとまとわりつく可能性があるので注意

 ここでいう利益とは様々で、得意な業務がある、誰かにコネがある知り合いがいる、など

 相手にとって利益になる事全般で何がフックかわからないので怖い

 得意業務などを認定されると、業務押し付ける口実になるため特に注意が必要

マウントに勝った場合は気分が良いので、暇になると勝てるマウントを取りにちょくちょく絡みにくる

 ランチに誘ったり機嫌を取りながらもグループを作って5番目くらいの仲間にしようとしてくるタイプ

マウントに負けた場合相手無視したり酷い噂を流したりして鬱憤を晴らしつつ遠くから見張るタイプ

 逆に、他の事で利益を得ないと気が済まないのか、擦り寄ってくるタイプもいるので注意

容姿立場、年齢など先入観理由に、ハナから近づいてこないタイプ

好きな物共通点があれば、仲良くなる場合もある

群れる か 群れに入りたい か 群れたくない か どれかのポジションを選ばなくてはいけない

グループで行動する女性達を見ると、大変だなと思う

帰属意識理解できなくもないけれど

最終的にはどうでもいい

今週もいちおう仕事行ってきます

2024-01-26

anond:20240126081237

変わった価値観の人だな

たいてい「そりゃなるでしょ」って言うと思うけど、確信をもってならないって言ってるのが不思議

例えば思春期出会ったコミュニティに一生帰属意識を持つことだって普通にあるのに、物心つく頃からその文化の中で暮らしアイデンティティに影響しないと思うのってなんなんだろ

それも「必ずしもそうなるとは限らない」とかじゃなくて「絶対にそうはならんやろ」なんて言うほど確信を持ってるんだよな

煽りとかじゃなくて、純粋にどういう人間観でそう思うようになったのか興味あるわ

ハイブリットであるワイからみる「アイデンティティ

俺は生まれも育ちも東京だけどハイブリッド海外に行ったりも結構あった。

 

親が両方外国籍だったりしても子供の頃から日本で生まれ育って、日本の文化や普通のこどもと一緒に育ってたらアイデンティティ日本というか「地元」になるやつがほとんどだとおもう。

5歳からずっと日本育ってるとしたら、インターで育ってて留学とかで日本あんま居なかったりするやつはしらんけど、公立普通私立生活してきたやつで友達ポケモンやったりDSやSwichで育ってるやつで日本帰属意識無いやつって居ないと思う。

日本人両親で日本で育って留学したこと無いやつとかは、帰属意識について考えたことなんか1ミリも無いと思うけど、ハイブリットだとけっこうこの問題について小学校くらいから考える機会がかなりあるし、友達と話したりもする。

 

言っとくけど日本人両親のもとで日本で育ってるお前らも【日本】に対して帰属意識なんかないと思うぞ、大体のやつは「地元」や今所属してる「場所」や「グループ」や「家族」に対して持ってるだけ、俺は東京育ちだけど東北大阪九州出張や住んでたときに感じる「ここは俺のホームではないな」って感覚と、海外留学してたときの「ここは俺のホームではないな」って感覚に対した違いはなかった。

北海道の獣害の話や、沖縄基地米兵による問題僻地人口減の問題を全部自分の事として感じてるやつってほとんど居ないんじゃないかな。

2024-01-23

anond:20240123180320

毎日はてなーがとかブコメがーとか言っているのも、何かしらはてな帰属意識を感じているんだろうな。

それが毀損されたので毎日書き込んでいるとしか

任天堂信者ネトウヨ感はどこから来てるんだろうな

パルワールド制作者に殺人予告したらしいけど

帰属意識ギンギンって感じ

ただの企業

パルワールドの件じゃなくても以前からこんな感じだったよね

最強法務()とか共感性羞恥心がきついこと言うし

任天堂凄いエピソードで俺もすごいみたいな感じがちょっときついんだよね


任天堂信者っていつからこんな感じなのかね

はてブではうごメモあたりで任天堂信者がいつき始めたけど

2024-01-20

欧米の「寛容さ」って「帰属意識の薄さ」だよな

よく欧米は色々なことに寛容っていうやん?

スケボーとかパルクールとかしてもヒューヒュー言うだけ、地下鉄パフォーマンス見て拍手日本じゃ絶対ないよな、とかね。

まぁああいうのって実際は観光地でやってて、拍手しているのは外部の人。人種区別のつかない日本人が「欧米人はこういうパフォーマンスに寛容だね!素晴らしい」って言ってるに過ぎない。

実際はスケボーとかパルクールとか地下鉄パフォーマンス、現地人はめっちゃ迷惑してるのよ。地元に住んでいる人のああいう人に対する不快感日本を超える。

例えばスケボーいつもしている人が見えないところに、黒い鉄線つけたり、パルクールの所に透明なヒモかけたり、油塗ったりね。


でも同時に、確かに寛容だなって思うこともあるんだけど、あれって結局「帰属意識の薄さ」が原因だと思うんだよな。

アメリカとかイギリスとか、「故郷」を持ってる人が多いんだよ。アフリカ人だと、もう何世代アメリカに住んでいても「故郷ガーナだ」って人が居たりね。

から、今いるのは仮の住まい、仮の場所、本当の場所じゃないって人が多い。


そういう人は少しバットマナーの人が居ても、ゴミ捨てても、なんも思わないんだよな。

そして、そういうのを見てさらに「ここは俺の居る場所じゃないな」って思うわけだよ。


結局は欧米人も帰属意識が強い人はよそ者や人と違う言動には厳しいし、綺麗にする。

日本人は「帰属意識」を感じないレベル日本に「帰属」しているか意識しないだろうけど。

自分領域を荒らされることに対する寛容さでは実際日本の方が高いと思うよ。

2024-01-17

anond:20240117173049

俺もこうしてはてなに書いてるけど帰属意識は5chに持ってる自覚あるわ

5chがスクリプトで荒れてもXの垢を作ってもこうしてはてなに書き込んでも結局5chに帰ってしまうもん

帰属意識って人の集団すなわちコミュニティに長く属すうちに芽生えるもんちゃうかな

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