はてなキーワード: 希望とは
世間でMBTIとやらが流行り出してしばらく経つが、これは一体いつ終わるんだ?
前提として、俺はこういった自分をカテゴライズする系のものは嫌いではない。
むしろ好きな方だ。
高校で出会って今まで一緒に過ごしてきた中では、人の気持ちに寄り添える、良くも悪くも人間らしい愛される存在だった。
そいつは最悪な会社に入ってしまって軽い鬱状態になっていたと思う。
俺や他の友人がいくらやめろと言っても聞かず、結局飯をあまり食べられなくなってから退職した。
そいつはINTJと診断結果が出ていた。
正直なところ俺たちの知っているそいつの性格とは真逆だったが、特に伝えることもなかった。
その辺りから段々変わったと思うことが増えてきた。
複数名で集まる時に、俺たちはざっくりしたことだけを決めて集まっていた。
だらしがないと思う人も多いと思うが、高校時代から遊ぶ時の時間にはルーズなほうで、大体14時くらにここな!とだけ決めるって感じ。
(社会人になってからは流石にいく場所とかもうちょい決めるようになった)
俺の印象だが、そいつも事前にあれこれ決めるのは苦手なのだと感じていた。
だが診断をしてからは次に会う時期を早めに決めてくれ、何するかも決めたいんだよと言っていた。
そいつはまだ心が落ち込んでいる状態だと思っていたから、俺たちはなるべく彼の希望通りにしようと心がけた。
1年以上経った今でもそいつは変わったままだ。
会社の同僚と仲良い環境で働いている奴の前で仕事とプライベートを分けられないのはクソだと言ったりしている。
何を話してもこうすればいいだろ?と言い放ち会話が終了してしまう。
つい昔と比べてしまうんだよな。前のそいつはノリ良くて、その場を盛り上げてくれる奴だったんだよ。
今はなんだかMBTIの診断結果に寄せて行動しているような気がする。
会話していて楽しくないんだ。
もちろん人間だから変わっていくのは当たり前なんだが、それにしたってこんなに変わるか?と思うよ。
こいつとは一生の友人でいられると思ったんだが、もう難しいかもしれない。
奴が変わったんだろうか、それとも俺が変わらなすぎるんだろうか。
24歳。人生のほとんどが終わったような気がする。決して大げさな表現ではなく、20代前半にして、もう先が見えない。
振り返れば、学生時代は希望があった。いや、希望があると思い込んでいた。中学生の頃は「高校に入ればきっと変わる」と信じていた。高校生になれば、新しい環境で自分を変えられると。そんな淡い期待が、クソみたいな毎日を少しは明るくしてくれていた。「今は辛いけど、これは通過点だ」と自分に言い聞かせることができた。
大学に入っても、その思考パターンは変わらなかった。「就職すれば、本当の人生が始まる」そう信じていた。しかし、現実は残酷だった。
就職してみると、その先に何も見えない。ただ死ぬまで、この地獄のような日々を過ごすだけなのだろうか。朝起きて、会社に行き、帰ってくる。そして寝る。この繰り返しに、どんな意味があるというのだろう。毎日が灰色で、週末さえも喜びをもたらさない。
そして、さらに虚しさを深めるのは、人間関係の空虚さだ。誰かに好きになられたことも、自分が誰かを好きになったこともない。恋人なんて、夢のまた夢だ。周りの人間が次々とパートナーを見つけ、幸せそうにしているのを見ると、自分の孤独さがより一層際立つ。まるで異世界の出来事のように感じる。自分には無縁の、遠い世界の話だ。
必死に何か楽しみを見つけようとした。運動を始めてみた。体を動かせば気分も晴れるかもしれないと思って。旅行にも行ってみた。新しい景色が心を癒してくれるかもしれないと期待して。創作活動にも手を出してみた。自己表現が生きる意味を与えてくれるかもしれないと。
でも、すべて一度やっただけで飽きてしまう。むしろ、これらの活動が自分の空虚さを際立たせるだけだった。
学生時代は楽しめていたゲームやアニメも、今では全く興味が湧かない。ストーリーに没頭できない。キャラクターに感情移入できない。ただ、過去の自分が楽しんでいた記憶だけが、より一層の喪失感を与える。
正直、安楽死できるなら今すぐにでもしたい。この意味のない人生を終わらせたい。でも、死ぬ過程が怖い。痛みが怖い。苦しむのが怖い。だから、この無意味な人生を続けている。生きているというより、ただ息をしているだけだ。
きっと、私だけじゃない。同じような思いを抱えている人は多いはずだ。SNSを見れば、楽しそうな投稿で溢れている。でも、それは表面的なものだ。きっと多くの人が、私と同じように苦しんでいる。死ぬこともできず、かといって正気を保つのも難しい。ただ歳を重ねていくだけの人生。
「若いうちは何でもできる」と言う。でも、それは嘘だ。若さは、ただ自分の無力さを痛感させるだけだ。可能性は無限大どころか、むしろゼロに近い。
明日も、明後日も、来年も、10年後も。変わらない日々が続くのだろう。希望も夢も持てない。ただ、時間が過ぎていくのを待つだけ。そして、いつか訪れる死を、恐れと期待が入り混じった複雑な思いで待つ。
これが、20代前半で人生が終わるということなのだ。残された時間は、ただ生物学的な意味で生きているだけ。心はもう、死んでいるようなものだ。
そして、最も恐ろしいのは、この状態がずっと続くかもしれないという事実だ。死ぬことも発狂することもできず、ただ歳を重ねていく。
寄り道ほぼなし 33.5時間
メニュ-開いてたのが7時間
どんだけ移動とイベントが長かったのかっちゅーことよねえ・・・
ゼスティリアに続いてあいかわらず移動がかったるい!!!!!まじでだるい!!!
さんざん持ち上げられてるから期待しすぎたな
あくまでゼスティリアと比べたらマシってだけで、ゲームとしてはユーザーのこと考えてない不便さばっかりが目立った
同行する動機とか、裏設定みたいなのとかゲーム内でほぼ語られないか適当すぎるし
仕事ではなしをするとき絵にかいて説明しろって言われるんだけどまじでこいつらにもそれを言いたい
スキルおぼえるのが装備依存なのヴェスペリアもそうだったけどまじうぜえわ
単純に強い武器手に入れたらそれ装備って感じでホイホイのりかえたいのにスキルおぼえてないからまだよわっちいの使わないとみたいなのがある
めっちゃ希望ある終わり方にみえるのにこれが結局ゼスティリアにつながるってのもさんざんいわれてるけどほんとクソだわ ケチがつきすぎる
ゼスティリアでも結局人柱みてーな終わり方してるし同じこと繰り返しすぎだろっていう
さーてアライズやるかな
これで現行機ででてるのは全部やったことになる
長かったー
川口ゆりさんの元投稿、自分はケアされてない臭いが苦手であること、自分はこういうケアをしていること、そして「多くの男性もそれくらいであってほしい」という希望しか言ってなくて、マジで倫理的に一ミリも問題ないんよな。「おじさんの気に障った」だけ。おじさんの他責性と暴力性の問題でしかない(シュナムル氏)
2年前に閉校した埼玉県鴻巣市の市立小学校の旧校舎で、民間事業者が13~15日、女性タレントら延べ120人余りが参加する制服・浴衣の撮影イベントを開く。
近隣住民らは「少し前まで子供たちが学んでいた校舎での性的な興行と言え、ふさわしくない」と反対しているが、旧校舎を貸し出す市は「法令上、貸し出しを拒否する理由がない」と説明している。
会場になるのは2021年度末に閉校した市立笠原小学校。主催する事業者は旧校舎を有償で市から借りた。
この事業者は昨年、埼玉県営公園のプールで水着撮影会を企画し、過度な露出の水着撮影をしていると指摘された事業者のうちの1社。
主催者のサイトによると、今回のイベントで水着撮影はないという。
市は旧校舎の有効活用のため、一般の法人・団体・個人に有償で貸し出している。貸し出しにあたっては「公序良俗に反しない」「宗教的・政治的な利用はできない」などの規定がある。
市によると、5月に貸し出しの申請を受けた時点で、県営公園のプールでの撮影会を企画した事業者であると認識していた。
そのうえで貸し出しの是非を検討し、今回は水着撮影はないことなどから「表現の自由」の範囲内と判断した。
東京都立川市でも1月に旧校舎を会場とした制服撮影会を実施し、その際にトラブルはなかったとの前例も踏まえたと説明している。
https://news.yahoo.co.jp/articles/548d18f7e92abfcd937b7027e93f3e68bf4e4738
近代麻雀の撮影会は18禁のはずが中学生の参加許可してたり本音と建前が激しいのだがAV女優揃えてるので健全な撮影会では今回も終わらないだろう
いいか、なぜ今すぐX/Twitterのアカウントを消すべきなのかって話を今から俺が分かりやすく説明してやる。
こんなことわざわざ言わなくても理解してるやつらはもうとっくにXアカウントを消している。
Xアカウントを使っていまだにTLを見ているやつらよ、お前らはこれから先に起こりうる犯罪に加担していると自覚しろ。
そもそもXを地獄のような今の状況に加速させたのはイーロンがインプレッションに価値を与えたせいだ。
そのせいでインプレゾンビとかいう金に群がる害虫どもがXに集結してる。
ここまで言っても分からんやつらよ、インプレゾンビが減らないのはお前らがいつまでもそこでTLを見てるからなんだよ。
お前らはアカウントを持ってるだけでインプレゾンビを増やす手伝いをしてるんだ。
お前らがアカウントを消せばインプレゾンビどもに金が入らなくなりあいつらも別の場所に金を探しにいく。
「でも企業や公式の情報がー」とか言ってるデモデモダッテ野郎、その発言はお前が自己中心的な考えの社会悪だと自己紹介してるようなもんなんだぞ。
Xのアカウントを消した賢いやつらはこう考えてるんだ。
大勢がXアカウントを消して大勢が他の場所に移ればその移った場所に公式アカウントも来る。
逆に言えばXを全員でボイコットしないといつまでたっても公式は動かない。
インプレゾンビと同じで沢山の人が見る場所で発信しないと意味ないだろ。
どんなに馬鹿でも国民は国民、馬鹿が集まってる場所にも声かけはしないといけない。
いつまで経ってもお前らが動かないから企業も公式も動けないんだよ。
先陣を切る人間がいないとこういう自己中で考える能力のないやつらも動かない。
だから本人たちも身を切って不便を承知で新興SNSを開拓してるんだよ。
他のSNSでも同じことが起こるだろうと思うやつもいると思うが、例えばBlueskyにはモデレーションリストという仕組みがあり、スパムや業者を集めたリストを作り一括でブロック/ミュートしたり、それをユーザー間で共有することも出来る。
自分の不快な人物をモデレーションリストに入れ公開して大勢でブロックを促すようなクズもいるが、そういう問題も含めX以外のSNSは少なくとも現存する問題に取り組む姿勢を見せている。
昨今のイーロン周りのニュースを見ていて、奴にXを改善する気持ちがあるとは思えないだろ。
SNSをやめることが出来ない人間はせめて使うツールくらいは先に希望のある選択をしてくれよ。
あいつらは存在するだけで必要な情報に辿り着くのを阻害するだけでなく、スパムやデマを全方向に拡散していく。
「自分はそんなデマに乗らないし」と思っている馬鹿どもよ、だからお前は馬鹿なのだ。
慌てて消そうとするもその一瞬のリポストをフォロワーが一瞬でリポストしたら?
そのリポストされたデマを見た教養のない人間がその情報を鵜呑みにして死んだら、それはお前のせいなんだよ、お前が人を殺すんだ。
震災で沢山の知り合いが死んだ。
生まれたばかりの赤ん坊ひとりを残して夫婦共々死んでしまった同級生もいる。
震災のデマや風評被害で俺も周りもみんな精神を蝕まれ、今もなお精神科で治療を続けている。
幸せな生活を送るやつらには、家や故郷を失うだけでなく、Xを使い続けるやつらのせいで心を壊し、生き延びた命を自ら消しにいく人間の想像なんて出来ないのだろうな。
Xを使い続けるやつらよ。
お前らに人の心があるのなら今すぐXのアカウントを全て消してくれ。
お前らの「最新情報を知りたい」という自己中心的な欲のせいで死んだ人間、そしてこれから起こる南海トラフ地震でのデマや風評被害によって死ぬであろう人間がお前らの大切な人である可能性をどうか考えてくれ。
自分のことを大事にというフレーズはよく見かけるけど具体的に生活の中で何をすればいいんだろう?
探してきたサイトには…
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自分の本音を隠さず出す →キャラ作りすぎて本音がどれだかわからなくなってるかも
無理に相手に合わせようとしない →めんどくさくて迎合しちゃう
自分を褒める習慣を身につける →いけそ
小さな成功体験を積み重ねる →ハードル小さめにすればなんでもいけそう
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こんなのとかあった
次のサイト
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嫌なことはNOと言う →まあ嫌だって言えてる
自分の長所を明確にする →ルールの中で創意工夫するのが好き、好奇心旺盛、人に親切にするのが好き
自分が幸せと感じたり嬉しいと思える時間を作る →幸せって感じてる時間がどこだかわからん。好きな飯たべてるとき?
小さなことでも自分を褒める習慣をつける →さっきあったな、いける。匿名日記アウトプットして偉い
どんな自分になりたいか自問自動する癖をつける →こっから老いてくのにこれどんな希望とかわからないんだが…?
1人の時間を大切にする →またきたよ、大切というふんわり言葉
小さな成功体験を積んで自信をつける →さっきあったな、いけそう
無理やり相手に合わせようとしない →さっきあったな、いけそう
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さいご
まあまあ具体的だったやつ
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→老化して体があちこち痛いなぁとか思っちゃうんだけど、これって否定なのかね?否定も何も実際いたいんだったらまあそれは実際だよなw
こうなってるのを改善しようと生活習慣かえたり、して、それもまあいいねって思う感じ?
頑張ることをやめてみる(自分に厳しくするのをやめる)
→何も頑張れなくて集中力とぎれてSNSばっかみながらごろごろすごしちゃうんだけど、厳しくしてないんだよなぁ、なにもww
これよくわからんくない?
→感情なんてつまんないなぁとか、何もしたくないなぁとか、SNSみちゃうと元気で若くて愛に溢れてみんなに必要とされてキラキラしてるように見える何かをみて、ああ~いいな~愛されたいな~って思うわけだがこの感情を抑えないでいたところでどうなるんじゃ?
怒りの感情とかは抑えたほうがいいタイミングもあるしなぁ、まあこういう言葉は万人にはあてはまるわけじゃないんかもね?
→やりたいことも特に無い、やばいぜ、体力落ちちゃってホルモンもガタガタで、年齢的に手術とかしてボロッボロなんよなw やりたいことが思いつかない段階なんだけど、多分それは行動してないからで
何かしら行動すればそのうち出てくるんだろうかね?
ーーーーーーーーーーーーーーー
とまあこんな感じ…。
色々思うがままに書き出してみたけど、なんかこれで解決するんか~~?!w
地方公共団体が民間と連携して、n歳以下の雇用機会増進事業みたいなのに参加した時のこと。
参加者の希望と企業の定員を踏まえて配属が決まるシステムで、数名が同じ企業に配属された。
そこがまぁすごかった。
労務管理0。
タイムカードナニソレ?だった。
こっちは形式上、連携していた民間の方に期限付きで雇われている形だったので毎日タイムカードをつけ、担当者のサインをもらっていたが、
配属先(?)は数部署に分かれていたなかで一致団結していた部署のみ、一定の時間になると一斉に退社することで経営トップからの攻撃を遠ざけているそうだった。
こっち側が配属された部署は経営トップも参加する定期会議があったが、これもすごかった。
ひとりをターゲットにしてずっと怒鳴っている。
その人が関わっていてもいなくても、パーテーションを突き抜ける怒鳴り声が経営トップから止まらない。
怒鳴られている側も虚ろな顔で時々返事をするくらいだった。
女性社員からの発言に対しては猫なで声のような声で「うん」「うん」という返事ばかり。
会議だけでも状況がひどすぎて、民間側の担当者にもどこからどう言えばいいのかも当時は分からなかった。
全社員参加の納会のようなものが1度だけあったので参加した時は、経営トップが「俺だってITなんて分かんねぇもん」「適当に頷いてれば相手は勝手に納得するんだよ」と個室でもない飲食店で大声で発していて、特によく話していたこっち側の3人はドン引きだった。
何人か参加していたうちの1人がある日、連絡なしに出社しなかった。
始業開始時刻から数分して、社内がざわざわし始め、電話をしたが連絡がつかない。労務管理はしていないのに、こういう時は良心のある人たちがメインで心配はされるものなんだなと思った。
(結局単なる寝坊だったらしくその日は欠勤で翌日から普通に出社していた)
まあまあ何人か社員と会話する頻度が増えて、助成金が みたいな話もちらっと聞いた。
以前いた人たちは何年くらいいたとか、次が決まり次第辞めるという人の話もあった。
今回は双方が希望すればそのまま正社員として雇用する可能性もあったが、先の3人は満場一致でないだった。(無断欠勤ともう1人はそのまま正社員となった)
ハロワ経由の求人もかなりブラックが紛れていると聞くが、自分はそっちで就職したことがなかったけれど
こういう民間企業が挟まっていてもこうなんだったらブラック紛れはどうにもならなそうだなと思った。
ちなみにまだこの会社はある。
吐き出し。
コロナ時期から、真実はこれだ系のYouTubeにはまったらしく、トランプを支持したりマスクやワクチンは意味がないなどと言い出したりして苦々しく思っていたが、ネット上でも似た事例を見つけて、ただ悲しいなと思っていた。
友人なら距離をおくなどを考えるが、親なのでそうもいかず、また自分が大事にされていることは分かっていたので、衝突するであろう話題を避けることで乗り換えてきた。里帰りなどで一緒に過ごすのは年に数回だったので問題なかった。
真実系に染まったと思われるのは父だけで、それを日常的に聞かされる母や弟は本当に大変だな、と離れた視点で思っていた。
自分の中で何かが変わったと思ったのは長崎の平和祈念式典のなりゆきを見てから。
その前触れというか土台は、少し前に里帰りしたときに久々に父と言い合いをしたことにある。たまたま流れたニュースへに対して発したやりとりから始まったが、父がイスラエルを擁護していることがわかった。そのときは、今後は徹底的に話題を避けるしかないな、と思うことで収まった。
だが、長崎の式典への各国の対応を知って、家族や知人には言えないが、こんな世界に子供をもうけておらず本当によかったと思ってしまった。
※個人の過剰な感想なので、気を悪くする人もいると思います。そのときはすみませんが読み飛ばしてください。
実際には口が裂けても言えない。
なぜこんなにショックを受けているのか少し自分でも謎だったが、今日酔っ払いの頭でふと気づいた。
父はこちらに何か不安な事があるたびに「いつでも帰ってこい。お前たちの帰る場所はここにある」と言ってくれていた。私はその言葉にとても励まされていた。
ガザの人たちは、イスラエルの入植により帰る場所を奪われた人たちだ。追いやられた場所で必死に生活をするしかなく、なんとかやっていたのに、追いやられた場所で、今は一方的に虐殺行為を受けている。イスラエルにより。
きっかけがハマスのテロだとして、民間人を虐殺することがなぜ正当化されるのか。なぜ、そんな国とそんな国を擁護する人の言葉しか聞き入れないのか。
父は帰る場所があることの大事さを知っているはずなのに、なぜ帰る場所を奪い狭い場所に閉じ込め虐殺を行うことを肯定できるのか。
今回の長崎の件で、アメリカだけならともかく、そのほかの欧米諸国もアメリカ同様にイスラエル支持の立場であることが明確になり、それに絶望した。安い言葉だが。
父は欧米諸国寄りの思想なので各国情勢でいくと主流派にはなるのかもしれないが、長崎の件でそれがまざまざと見えてしまって、自分はそのことをまだ消化しきれていない、ということなのか。
全然関係ないが、ここまで父に会いたくという思いを持つことで、少しだけ宗教戦争に思いを馳せた。信仰の違いは戦争につながることがありえたんだな、と思う。信じるものが違いすぎると家族でも遠くなる。
これも全然関係ないが、自民党と統一協会の関係は、欧米諸国とユダヤ資本の関係に似ている部分があると思う。
アメリカでも、若者の間ではイスラエルやばいよね、という意見が多いらしいので、そこは希望が持てる。
思うだけで自分は何も行動はしていなかったことを反省し、ガザ人道支援の募金をした。
この行動のきっかけになった点は父に感謝できるのだろうか。それにしても、あーー里帰りしたくない。帰るんだろうけど。
まとまらないことに変わりはないが、理屈はおいといて、罪のない子供たちが殺されるのは許容できないと思うし、子供を大事にしてくれる父にそんなことをしている国を擁護してほしくないのです。
私はフワちゃんが好きです。
フワちゃんはおしゃべりがあんまり上手くありませんでした。早口ですぐに脱線するし、そのくせ準備もロクにして来ず、結果「何を話せばいいか分からない」と泣き出してしまう。
いっつも遅刻してて、いっつも誰かから怒られてて、いっつも怒ってる。
でもなぜかとても楽しそうで、自由に自分の人生を生きているように私には見えました。
フワちゃんは大きなゴールデン番組に出てるときの自分を「ぶりっ子してる」と表現していました。
どこかでやらかした話を、周囲の反応も含めて面白おかしく話していました。
ところ構わず大声で話しかけてくる一般人に対して、「わたしは周り見えてない奴ホント無理」と怒っていました。
フワちゃんはすごくメタな人で、頭では全部ちゃんと分かってて、でも、できない人です。
そういうところを勝手に自分に重ねていました。私が必死に必死に隠そうとして、最も恥じている部分を、フワちゃんは表に出してエンターテイメントにしていました。そんなフワちゃんがみんなに受け入れられて楽しそうにしている姿を見て、もしかしたら私だってこういうふうに生きられるんじゃないか、と希望をもらっていました。
あと、かなりずるい考え方ですが、下には下がいることに安心していました。
だから、フワちゃんの失言がきっかけで、フワちゃんの居場所が奪われていくことが少しずつ決まっていったこの1週間、とても悲しかったです。
これも、まるで未来の自分を見ているようでした。どんなに頑張ったってどんなに認められたって、不注意で軽率で衝動的な人間はいつか取り返しのつかないことをしてしまうのでしょう。そして、何年もかけてやっと手に入れたものはあっさりと無くなってしまうのでしょう。あの子も、私も。
そんなことを考えていたらひどく落ち込んできました。でも、フワちゃんには才能があります。明るくて楽しい彼女なら、きっとこれからの人生もなんだかんだ楽しく送っていくんだろうなとそんな気がしています。
私にはフワちゃんほどの才能はありませんし、人見知りで交友関係もかなり狭いです。私はこれからも、しくじらないようにしなくてはなりません。
隠して隠して隠しきれなくて怒られて逆ギレして反省して、結局私もフワちゃんと同じように生きていくでしょう。私はフワちゃんよりはずっと低空飛行ですが。
ジョーダン・パーラーは、亡命希望者や難民を収容するホテルを攻撃するよう人々に呼びかけた罪で、懲役20ヶ月の刑を宣告された。
イギリスの騒乱でSNSを利用して混乱を煽ったとして、初めて懲役刑が言い渡された。
ジョーダン・パーラー氏は、全国的な暴動に関連したSNSへの投稿により刑務所に送られた最初の人物とみられている。
パーラー氏は、人種的憎悪を煽る意図で文書を出版した罪を認め、リーズ刑事法院で懲役20ヶ月の判決を受けた。
8月上旬、28歳の彼はフェイスブックに「男も女もみんな、(リーズの)ブリタニアホテルをぶっ壊すべきだ」と投稿した。
210人の亡命希望者と難民が暮らしていたブリタニアホテルは、石を投げつけ窓を割る人々の標的となり、「封鎖」を余儀なくされた。
裁判所によれば、この投稿の後、ホテルはさらなる被害を受け、週末には十数人の警察官がその地域に派遣されたという。
ガイ・カールKC判事は判決を下し、「被告はソーシャルメディアを利用して、他の人々にホテル襲撃への参加を促した」と述べた。
「最初の投稿には 6 件の「いいね!」が付いただけでした。しかしこの投稿はあなたの Facebook の友達 1,500 人に送信され、プライバシー設定が不十分だったため、友達の友達に転送されたことになります。
「したがって、メッセージは広く広まりました。それは明らかにあなたの意図でした。」
ソーシャルメディアへの投稿で刑務所に送られたのはパーラー氏だけではない。
タイラー・ケイは、ソーシャルメディアを利用して亡命希望者を収容するホテルに放火するよう人々に呼びかけたとして、38か月の懲役刑を言い渡された。
土日休みの私と、シフト制で共働きの妻は、休みが被らない。だから休みの日はワンオペで子の面倒を見ることはよくある。
いつも遊んであげているからか、子は私によく懐いていると思う。
だから休みの日になると、「だっこ」「読んで」と絵本を差し出してくる。
普段、なるべく子どもに構ってやりたい、と思って色々と連れまわしてあげていたりするものの、やはり試験直前期ともなるとそういう訳にはいかない。
渋々子の希望に応じて抱っこをして、絵本を読み始める私の気がそぞろであることを1歳ながら子は鋭敏に察する。そして、スッと別の部屋に行って、一人で絵本を読んでいたりする。その背中が切ない。私が不甲斐ないばかりに、早く大人になることを強いてしまっているような気がして、「ごめんね。」と背中越しに声なく語りかけるが、そんなことを子は知る由も無い。
結果は判り切っているのに、勉強なんてさも正当な理由があるが如く振る舞い子をおざなりにしてしまうことに罪悪感がある。そもそも勉強自体、好きじゃない。
だけど、しかし……。
冒頭で書いたように私は薄給なのであって、どうにかして現状を脱するには資格に依るしか途が無い。長い目で見たときに、この苦しみが結実することを祈る。そしてこれはイズムの問題だと自分に言い聞かせている。
短期的に子を慈しみ、今の生活を良くしようとすることは妻がすればよく、今を苦しんで長期的に何とか生活を良くしようとする行いは、苦しみを飲み込む器のある側がやるしかない。
子は父の心を知らず、私のことは嫌いになっても構わないし、妻が私のことを「役に立たない」と思い恨んでも構わない。しかし勉強した世界線と勉強していない世界線では、前者の方が(私自身は嫌われているものの)妻子の幸福に寄与するはずだ。少なくともそういう姿勢で暮らしていくことが、生活の全てにおいて溶け込んで良い方向に作用するはずだ。
そして私は、家父長としてそれを受け容れなければならないのだ!
とポエミーに語ってみたものの、どう自分の中で折り合いをつけたところで妻子の側からは、1年後、2年後の結果で私の行いを裁くのだろうなと思う。
もう何千時間も勉強してきた。全部がムダだったなんて思いたくない。何とか受からないと。
親友Aのバンドの新曲が痺れるほどに格好良かったので、また10万円の出資をさせてもらった。
前回はYouTubeで広告を出したけど今回は増田の希望を聞いてもらい、Xで以下の広告ポストを出した。
2024年1月始動、東京で活動するPompadollSというバンドです🐦⬛🐦⬛🐦⬛
新曲『スポットライト・ジャンキー』MV公開中🎬 pic.twitter.com/VMzV3UnnFm— PompadollS (@PompadollS) July 24, 2024
予算のうち3万円ほどを使ってRTが395、いいねが2374。
昨今SNSでの広告に対するヘイトが高い中で、この伸びはなかなか成功の部類ではないだろうか。
増田が彼らを自慢できる日もそう遠くはないかもしれない、楽しみだ。
https://www.youtube.com/PompadollS - 日の東、月の西(MV)
この時の広告視聴単価、つまり1回視聴してもらうための単価は、概算で3円強だった。
視聴した人たちの4%ほどが高評価を押してくれたわけだが、Aからすると悪くない割合だったらしい。
https://www.youtube.com/PompadollS - スポットライト・ジャンキー(MV)
視聴回数に対する高評価の割合は約9%と「日の東、月の西」の2倍を超えている。
こちらもAたちがYouTube広告を出しているらしく、視聴単価は概ね1.0円程度であるらしい。
広告の形態は、インストリーム広告という動画の最初や最後に差し込まれる形態が選ばれている。
増田個人は「日の東、月の西」も非常に気に入っているのだが、これらの結果を踏まえ、「スポットライト・ジャンキー」単体で広告ポストを出すこととした。
広告形態は、ポストに埋め込まれた動画を数秒見ることで課金される形態を選択した。
結果、広告視聴単価はなんと約0.1円だった。
広告視聴単価の結果だけを見るならば、YouTubeで広告を出す10倍の効果をXで出していることとなる。
ここからは考察になるが、恐らくXの広告視聴単価はImpressionでの表示に対する単価だろう。
つまり、Xのタイムラインで1回の表示当たりに対する単価であると考えられる。
広告ポストのImpression数は約30万であり、実質的な広告単価がYouTubeと同じであると仮定すると、実際に動画が再生された回数は1/10の約3万回であると推測される。
このうち2400人がいいねを押した、つまり8%の人がいいねを押したと考えると、これはYouTubeの高評価率9%とよく一致する。
このことから、YouTubeで高評価率が高いMVは、Xでも同様に高い評価を得ることが期待できると考えられる。
いかがだっただろうか。
増田の所感としては、いかに数秒という短い時間で視聴者の興味を引けるかどうか、また興味を引くことができた視聴者の心を掴めるかどうか、これらの指標となり得るのが広告視聴単価と高評価率なのだろうということを素人ながら実感できて大変興味深かった。
このような機会を与えてくれた友人Aに改めて感謝したい。
以下、はてなーの皆へのお礼です。
前回の記事では多くの方に好意的なコメントをいただき、ありがとうございました。
予想以上の反響をいただき本当に夜も眠れないほどに興奮しました、めっちゃめちゃ楽しかった。
増田を褒めてくれるコメントももちろん嬉しかったのですが、MVも見ていいねと言ってくれた方々には特に感謝をお伝えしたいです。
なぜならそれらは、広告を出すことによって増田が最も見たかったものなので。
増田が前回10万円を出資した理由に、将来彼らが売れた時に自慢したいということと、彼らに「自分たちを応援してくれる人がいる」と感じてもらいたかったという二つがありました。
創作活動って本当に大変だと思っていて、彼らがどれだけ良い音楽を作っても誰にも気付いてもらえないことの方がきっと多くて、それでもただひたすらに活動を続けるしかない、もし立ち止まったら誰にも気付かれないままそこで終わるだけ、そんな世界なのかなと思う。
彼らにバンドを続けてもらうために増田ができることは応援しかなくて、でも「メンバーの友達がベタ褒めしている」くらいの事実では応援の本気度を伝えられなくて、それでは多分、彼らがバンドを頑張る理由にはならない。
だから10万円を出すことで、増田の応援に価値を付けて、本気で応援してくれる人がいると思ってほしかった。
とはいえ、変な奴が一人なんか10万円出してくることよりも、100人にいいねと言って貰えることの方が絶対に彼らの原動力になるはず。
だから広告を出すことで彼らへの応援が少しでも増えればいいなと思っていたところ、前回の記事では100人以上の方にコメントを残していただき、あぁこのバンドはきっと大丈夫だなと思えました。
間違いなく前回の記事だけで10万円の元を取ることができました、さらには自分まで褒めていただき感無量です、本当にありがとうございました!
新曲、イントロからめちゃめちゃに格好いいのでよかったら見てください、Aのギターも変わらずキレッキレです。
https://www.youtube.com/PompadollS - スポットライト・ジャンキー(MV)
いつか彼らのドーム公演で関係者席に行って記事を上げることが増田の夢なので、ぜひ応援してもらえたら嬉しいです。
水呑とは懐かしい
日本鋼管と中電の新規火力発電所建設のせいで公害(いま考えると私害というのが正確)が悪化し排気ガスの風下になった水呑周辺は反対運動で「新規建設分を引いた額の電気料金しか払わない」という戦法を採り、不払いとみなした中電は電気を止め、それが新聞沙汰になったりもした
教員だったワイの父親は火力発電所公害で喘息を発症した子供のことと以前から右寄り過ぎと感じてた福山地方から離れるために県北に転任を希望し受け入れられ転任先の寒村近辺の借家の宛もついていたのだがそれがドタキャンされ(大家が「中電と揉めた」と聞いて忌避し、他の借り手に貸してしまった←その借り手は中電の関係者だった)廃校舎の付帯施設だった用務員宿舎を急遽あてがってもらうことを余儀なくされるという仕打ちを受けた
蝉時雨がアスファルトの熱気をさらに増幅させる。ジリジリと焼ける陽光は、容赦なく俺のくたびれたアパートにも侵入してくる。窓を開ければ騒音と熱風、閉めれば息苦しいほどの密閉感。どちらを選んでも、孤独だけが濃縮されていくようだ。
夏期休業。世間は浮足立っている。家族連れの声、若者たちの嬌声、テレビから流れるバカンスのCM。それらはすべて、俺には無縁の世界。俺にはただ、静寂と、汗ばんだ肌に張り付くTシャツと、底をつきそうな財布だけがある。
冷蔵庫には、賞味期限切れ間近のヨーグルトと、しなしなになったキュウリ。テレビをつければ、眩しい笑顔と楽しそうな会話。それを眺めていると、俺の胸は鉛のように重くなる。
孤独は静かな猛獣だ。普段は大人しくしているが、この灼けるような季節になると、牙をむき出しにして襲いかかってくる。誰もいない部屋で、ただただ時間が過ぎていく。時計の秒針だけが、残酷なまでに規則正しく時を刻む。
ああ、このまま時間が止まってしまえばいいのに。何もせず、何も考えず、ただこの孤独から解放されたい。夏期休業。それは俺にとって、終わりの見えない苦行の始まりを告げる鐘の音なのだ。
外では子供たちの歓声が響いている。彼らの未来は、きっと希望に満ち溢れているのだろう。俺にはもう、そんな未来を想像することさえできない。ただただ、この暑さと孤独の中で、朽ち果てていくだけだ。
窓の外の蝉時雨が、俺の心をさらに掻き乱す。この暑さはいつまで続くのだろうか。この孤独は、いつになったら終わるのだろうか。答えのない問いだけが、俺の頭の中をぐるぐると回り続ける。夏期休業。それは俺にとって、孤独の牢獄なのだ。
蝉時雨がアスファルトの熱気をさらに増幅させる。ジリジリと焼ける陽光は、容赦なく俺のくたびれたアパートにも侵入してくる。窓を開ければ騒音と熱風、閉めれば息苦しいほどの密閉感。どちらを選んでも、孤独だけが濃縮されていくようだ。
夏期休業。世間は浮足立っている。家族連れの声、若者たちの嬌声、テレビから流れるバカンスのCM。それらはすべて、俺には無縁の世界。俺にはただ、静寂と、汗ばんだ肌に張り付くTシャツと、底をつきそうな財布だけがある。
冷蔵庫には、賞味期限切れ間近のヨーグルトと、しなしなになったキュウリ。テレビをつければ、眩しい笑顔と楽しそうな会話。それを眺めていると、俺の胸は鉛のように重くなる。
孤独は静かな猛獣だ。普段は大人しくしているが、この灼けるような季節になると、牙をむき出しにして襲いかかってくる。誰もいない部屋で、ただただ時間が過ぎていく。時計の秒針だけが、残酷なまでに規則正しく時を刻む。
ああ、このまま時間が止まってしまえばいいのに。何もせず、何も考えず、ただこの孤独から解放されたい。夏期休業。それは俺にとって、終わりの見えない苦行の始まりを告げる鐘の音なのだ。
外では子供たちの歓声が響いている。彼らの未来は、きっと希望に満ち溢れているのだろう。俺にはもう、そんな未来を想像することさえできない。ただただ、この暑さと孤独の中で、朽ち果てていくだけだ。
窓の外の蝉時雨が、俺の心をさらに掻き乱す。この暑さはいつまで続くのだろうか。この孤独は、いつになったら終わるのだろうか。答えのない問いだけが、俺の頭の中をぐるぐると回り続ける。夏期休業。それは俺にとって、孤独の牢獄なのだ。
蝉時雨がアスファルトの熱気をさらに増幅させる。ジリジリと焼ける陽光は、容赦なく俺のくたびれたアパートにも侵入してくる。窓を開ければ騒音と熱風、閉めれば息苦しいほどの密閉感。どちらを選んでも、孤独だけが濃縮されていくようだ。
夏期休業。世間は浮足立っている。家族連れの声、若者たちの嬌声、テレビから流れるバカンスのCM。それらはすべて、俺には無縁の世界。俺にはただ、静寂と、汗ばんだ肌に張り付くTシャツと、底をつきそうな財布だけがある。
冷蔵庫には、賞味期限切れ間近のヨーグルトと、しなしなになったキュウリ。テレビをつければ、眩しい笑顔と楽しそうな会話。それを眺めていると、俺の胸は鉛のように重くなる。
孤独は静かな猛獣だ。普段は大人しくしているが、この灼けるような季節になると、牙をむき出しにして襲いかかってくる。誰もいない部屋で、ただただ時間が過ぎていく。時計の秒針だけが、残酷なまでに規則正しく時を刻む。
ああ、このまま時間が止まってしまえばいいのに。何もせず、何も考えず、ただこの孤独から解放されたい。夏期休業。それは俺にとって、終わりの見えない苦行の始まりを告げる鐘の音なのだ。
外では子供たちの歓声が響いている。彼らの未来は、きっと希望に満ち溢れているのだろう。俺にはもう、そんな未来を想像することさえできない。ただただ、この暑さと孤独の中で、朽ち果てていくだけだ。
窓の外の蝉時雨が、俺の心をさらに掻き乱す。この暑さはいつまで続くのだろうか。この孤独は、いつになったら終わるのだろうか。答えのない問いだけが、俺の頭の中をぐるぐると回り続ける。夏期休業。それは俺にとって、孤独の牢獄なのだ。