はてなキーワード: 卵焼きとは
○朝食:なし
○昼食:おにぎり(ツナマヨ)、おにぎりとおかずのセット(ツナマヨ、昆布、ウインナー、唐揚げ、卵焼き)
○夕食:ご飯、納豆、梅干し、おかずの詰め合わせ(豆腐の和え物、炒り卵に色々入ったの、煮物(かぼちゃ、大根、人参、練り物、サツマイモ)、豚肉と白菜と糸こんを煮たの、などなど覚えてないや)
○間食:サプリメント(マルチビタミン&ミネラル)二粒、おせんべい
○調子
はややー。
はー、仕事たる。
と言いながら、今年やらないといけないものはあらかた終わらせた。
あとは、明日の朝一で軽くレビューして、月末処理して、今年の仕事は終わり!
もー疲れた。
妙にしんどくて、今日は家庭用機を起動させるパワーがわかなかった。
しんどくて、ぼーっとネット見てた。
よくないなあ、こういう時間の使い方。
●3DS
ワニノコ選んだので、マダツボミの塔が難しい、つうかノーマル技しかないからゴース相手になすすべがない。
レベル上げるか。
まあ当分はやりくりしよう。
○朝食:なし
○昼食:味噌カツ定食(ご飯、みそ汁、サラダ、卵焼き、漬物、味噌カツ、コーヒー)
○夕食:ご飯、納豆(一つ)、減塩野菜たっぷりみそ汁(フリーズドライ)、卵
○間食:サプリメント(マルチビタミン&ミネラル)二粒、柿の種
○調子
はややー。
仕事は順調にこなしたので、定時帰り。
来週は忙しくなりそうな感じなので、明日と明後日も早く帰って英気を養おう。
●3DS
○ポケとる
対フェアリーは要因が揃ってきてる上難易度が低かったので、かなり余裕だった。
イベルタル強化でテンション上がり、対人戦に行くも、カプ・コケコがすり抜けあるのすっかり忘れててあっさり負けた。
やる気失せた。
○ガンストリンガー
残るボスは、サムライ、ブードゥー教の巫女、マダムの3人かな、ラスボス的なのもいそう。
レールシューティング(ゲーセンによくある鉄砲のゲームみたいなのね)のノリかな? と思ってたけど、
進めて行くと、プラットフォーマー(マリオみたいなやつ)みたいになったり、近接戦闘モードになったり、横シューティングみたいになったりと、ハチャメチャな感じ。
シナリオも要するに「俺を殺した悪いやつらに復讐だ!」というシリアスなスタートのわりに、コメディというか
メタ的な「人形劇を見ている実写の人」が登場したりして、笑える感じで楽しい。
特に笑えたのが、ボスを倒すときにプレイヤーである僕が操作しているガンマンの人形の攻撃じゃなくて、
僕自身の腕で攻撃するため実写の腕が出てきてボスを叩き潰すところ。
「そんなんありかよ」とニヤニヤしてしまった、このゲーム作った人の笑いのセンスがしっくりくるかんじだ。
正直な所、自分も結構前に一度危うい時があって、その危機を抜けて様々な見解を見聞きした結果、何となく方法が分かったので一応書いておこうと思う。
そもそも「自殺する理由」なのだが、一部の例外を除いた大半は「面倒くさくなった」ということだと思う。
つまり、「上手く行く方法が思いつかなくなった」というか、「自分の能力ではもうやっていけない感じ(例えば、状況が複雑になりすぎて/難易度が上がりすぎてやっていけない)」ので、八方ふさがり感を感じて、「もう死ぬしかない(死ぬ方が合理的選択である)」という結論に達し、自殺に成功した人が自殺するのだと思う、大半の場合は。
また、漫画というのは中々世の中の真実を捉えている面もあって、「グリーンヒル」の「要するにだ オレが思うに人類最大にして最強の敵は”めんどくさい”だ」や、「北斗の拳」の「息をするのも面倒でいやだ」(よって、死ぬしかない、となる。実際、この後ケンシロウに殺される訳だが)の様な名台詞がある。
「うん。原因は分かった。では対策は?お前も批判だけしかしないタイプ?」と言われそうだが、これに対する対策はヒント1は漫画に、ヒント2はゲームにあった(自分の場合は、だが)。
最初にヒント1だが、「ジョジョの奇妙な冒険」に「逆に考えるんだ」という名台詞があるが、まず、その発想が必要なのだと思った。
「面倒くさい」の逆は、「簡単」じゃないか?と言われるかも知れないが、それは安易な考えであり、もう一段深く考える必要があると思う。
もう一つのヒント2の方は、ゲームの話と言うよりゲーマーの話である。
ゲーマーと言えば、ウメハラが多分一番日本で有名だが、彼の著書に「1日ひとつだけ、強くなる。 世界一プロ・ゲーマーの勝ち続ける64の流儀」という本がある。
別に内容は好きな人が読めばいいと思うが、「1日ひとつだけ、強くなる」というタイトルが全てを語っていると思う。
何が言いたいのか?
「面倒くさい」の路線を行くとどうなるか?「自分が取れる行動(選択肢)が減っていく」という話になると思う。
その路線で行き着く所まで行き着くと、一時期話題になった「ボトラー(空のペットボトルに小便をする引きこもり)」になったり、最終的には「息をするのも面倒でいやだ」になったりする。
ウメハラの考え方はその考え方とは全く逆だ。
「自分が出来る行動(選択肢)を意識的に増やしていく」という考え方だ。
例えば、「昨日までは卵焼きしか作れなかったが、今日はハムエッグが作れるようになった」みたいな考え方が重要なのでは無いか?と思う。
「人生をその場凌ぎのアクションゲーム的にでは無く、RPG的に考える」というか、「RPGのキャラクターでは無く、自分自身のどのスキルツリーを伸ばしていくか?を考えると結構人生も面白くなるのではないか?」と思う(ちなみに、それをやり続けると「自分のスキルを伸ばすスキル」というメタスキルも手に入る)。
すると「低カロリー高炭水化物量」なヘルシー食品(らしきもの)が多いと気づいた
自分の体験だけど、炭水化物量を減らすことで、カロリー計算どおりに痩せられることがわかった
正しいバランス(炭水化物6割以下)でカロリーを減らせば普通に痩せるんだと思う
以前自分がカロリー制限で痩せられなかった時は、たぶん炭水化物が6割を超えていたのだろう
例えば、2000kcalの6割は1200kcal、炭水化物300gあたりが1日の適正ライン
2000kcal(300g)
以前1日1000kcalくらいで痩せなかったことがあるのだが
1000kcalを全部炭水化物で摂ったらどうだろう
1000kcal(250g)ということになる
1000kcalでも、炭水化物250gも食べられるのだ!
私の場合は1000kcalにしても、炭水化物を取り過ぎで痩せないようだった
そういったものを、低カロリーだからと食べまくっていればいつの間にか多量の糖を摂取してしまうのだ
なので、意識して低カロリー低炭水化物にしないといけないのだろうが
肉だから大丈夫、魚だから大丈夫と思ったら、調味料にがっつり入ってる
まあ、その方が美味しいからだろう
ローソンの卵焼きより、セブンの卵焼きの方が炭水化物が3倍も多かったのだが
○朝食:なし
○夕食:シャケ弁(ご飯、梅干し、シャケ、煮物(タケノコ、レンコン、人参、しいたけ、里芋、ごぼう、こんにゃく、高野豆腐、かぼちゃ、大根)、きんぴらごぼう、煮豆(小さいエビが入ってた)、卵焼き)、ツナ缶
○調子
はややー。
とはいえ、あんまりすることなかったので、はややんむきゅむきゅー! してた。
二時間もあるらしいけど、死んだ目をしながら耐えようと思う。
●スイッチ
○ポッ拳
チュートリアルをやった後、いろんなポケモンを触りたくて、CPUとチームバトルを何回か繰り返した。
今の所気に入ったのが、ダークライ。
分身を置いたり空間を裂いたりしたたあと、特定のコマンド入れるとその配置物と同時に攻撃ができるシステムなんだけど、
というわけで、ダークライでグリーンリーグをトーナメント優勝までプレイ。
ポケモンの絵が綺麗だし、背景も凝ってるし、技も格好いいし、オンライン対戦しなくても中々楽しめてる。
○ヒューマン・リソース・マシーン
頭の体操的な感じで楽しいけど、ステップ数縮めるのと行数縮めるのかなり難しいので、これは無視することにした。
●3DS
○ポケとる
オリゴ糖は扱いにくかったので…
正直、ヤツが腹壊す原因がわからんのだよね…
冷凍食品以外を長期冷凍保存したりはしない(1日くらいかな…)
平日の作り置きもしない
基本的に食洗機(マンション備え付けの多分いいやつ)を使ってる
たしかに、豚ロースとかの薄い物(あらかじめ味付けと衣ついてる惣菜のやつ)は
卵焼き鍋で油半分浸かるくらいで揚げてるよ
細菌もウィルス類も180度では死にやすい、油でエンベロープも分解されやすい。
大根おろしとおなじくらいおなかを壊しにくい。
納豆菌やウェルシュ菌のようなやつらも100度の煮物では死なないけどたぶん180度の揚げ物では死ぬ(少なくとも増えることはできない)。
つぎ足すことより、揚げカスと水分が飛ばないままにしておくことと、光にあてることが油を傷ませる。
さましてから「上澄みだけ」をガラス瓶にいれて保存でやってる。
あと、「凍ったまま揚げてよい」と書いてあるものをほんとうに凍ったまま揚げてはいけない。
チンしてもう少しで解けるくらいまで溶かしてなお凍ってたらそのまま揚げてもいい。
鍋はフライパンか卵焼きでよい。油も少量で済む。(スチームオーブンならなおいいんだろうけど持ってない)
揚げ物の2/3~1/2の高さまで油がとどけばひっくりかえして火が通る。
市販揚げ物総菜や冷凍から揚げの温めなおしは、鉄トレイ+魚焼きグリルが油も減らせておいしい。
玄米などの不溶性食物繊維は刺激が強すぎるが、難溶性デキストリンなどの水溶性食物繊維はわりとマシ。
生野菜もなるべく食べさせよう。
定期検診もしてね。
今日、貸してもらった本を返す。
だけで返せたらいいなと思う。
年下の友人が先週貸してくれた。それはもう、ありきたりなぐらいにありきたりな軽い小説で、映画化されて流行っているからという、おそらくただそれだけの理由で彼女はそれを読んでいた。本をあまり読まない人が持っているのを見たこともあるぐらいだから、乱読気味の彼女が読んでいて、それで、「面白いから読んでみ」と貸してくれたのは、まったく不自然じゃない。
けれど、本を貸すのはむずかしい。彼女はまだそれを知らない。知らないままにしておいてあげるほうがいいのかなと思う。まだそれでいい。
なぜなら、読書は人の心をかき乱す。たとえそれが安っぽいお涙頂戴式の小説であっても、思いもかけないところで心の平安に波風をたてる。
「貸して欲しい」と言われて貸す本ならかまわない。本屋で手に取っていくのと同じで、いくら取り乱そうが、それは借りていった者の責任だ。そこで完結する。しかし、「ぜひ読んで」と貸した場合、ダメージを受けた側はやはり相手に責任を求めたくなる。それを求めることをまた、求められているのではないかと思う。つまりは、なにか気の利いた感想でも言わねばならないような気になる。
だが、いかにも仕組まれたクライマックスでボロボロ涙を流した者にとって、気の利いた感想などいえるはずがない。こんなご都合主義で泣くなんて、恥以外の何物でもない。その恥を否定するために、あえてその物語をくさすのか。不治難病モノは定期的に流行するキッシュだと、知ったかぶりの韜晦に逃げこむのか。それとも、涙もろい自分を素直に認めてしまうのか。だが、それはとてつもなくややこしい。
なぜなら、年下のきみが感動した理由と、もう長いこと生きてきたぼくがやられてしまった理由は、たぶんちがうからだ。ぼくにとっては、舞台設定そのものが痛かった。その感覚は、きみにはわかるまい。
きみは信じないだろうが、こんなぼくにだって高校生だったときはあった。きみはよく「青春」なんて言葉を口にしてぼくを笑わせるけれど(たぶん意識してカギカッコ付きで使っているんだというのはわかるけど)、どんな意味においてさえ、ぼくにとって高校時代は青春なんかじゃなかった。ひたすらしんどい時代だった。そして、この小説の舞台設定は、まさにその果てしなくしんどい時代を思い出させる。
美化してしまえば、ぼくにだって「青春の思い出」みたいなものがないわけじゃない。だけど、時間のレタッチと自己正当化を取っ払ってしまったら、そこに残るのはただただめんどくさくておもしろみのない屈辱の日々だ。
典型的な場面を思い出す。それは、昼休み、グラウンドに面した廊下、ぼくはグラウンドを見て退屈している。なぜ退屈する場所にそこを選ぶのかというと、グラウンドの木陰はリア充たちが(「リア充」なんて言葉はその時代にはもちろんなかったのだけれど)占拠しているし、教室内にはまだ弁当を食っている人や早速にお勉強をしている優秀な生徒たちがいる。そういう人たちの邪魔はしたくないし、だいたい教室内の席なんて飽きるほど座っている。友だちの少ない、話題の乏しいぼくにとって、いられる場所は限られていた。そして、人の邪魔にならないわずかな隙間のようないくつかの場所の中でも、グラウンドの見える廊下は特等席だった。なぜなら、そこからはクラスでいちばんのお気に入りの女の子と、クラスでいちばんの美人と評判の女の子が眺められたからだ。親友である二人は、たいていつもグラウンドの向こうの特別教室の日陰でおしゃべりをしている。もちろんぼくは、ただ鑑賞するだけ。それだけ遠いと見ていることもあんまりわからないだろうから、まあ人畜無害な楽しみだ。
そうやってしばらくすると、ぼくと同じぐらい冴えない女子が弁当を食い終わって廊下に出てくる。いつも凄まじい寝癖のついた髪をしている。彼女もまた、昼休みにどこに行くアテもないのだろう。ぼくと彼女は少し言葉をかわす。話題のないぼくと同じくらい、彼女も話題がない。だから食い物のことばかりしゃべっている。カレーの玉ねぎは具であるべきなのか、ペーストの一部であるべきなのかみたいなことを、特に目的もなくしゃべっている。
そうこうするうちに、学級委員長が廊下に出てくる。いや、彼は正確には学級委員長ではない。彼がその役にいたのは一年生のときだから、「元」をつけるべきなんだろう。彼はぼくの数少ない友だちの一人で、というよりもぼくにとってはその高校で唯一の友だちで、だからぼくは少しホッとする。ただ、彼が加わってからの話はちょっとぎこちなくなる。彼にとっては食い物のことは重要ではない。いや、ぼくにとってもそうだよ。だけど、他に話すこともない。彼はちがう。なにか、他に話すべきことがある。けれど、ぼくにはそれが見えない。そのうちにチャイムが鳴って、ぼくらは教室に戻る。
そういうことを思い出してしまう。だから、ぼくは泣いてしまう。
なぜなら、シチューをご飯にかけるのは有りか無しか、ナポリタンスパゲッティの麺は柔らかいほうがいいのかどうかなんてどうでもいい話をする過程で、ぼくはとんでもなく人を傷つけていたからだ。
後になって、ぼくはその寝癖の女の子から聞いた。学級委員長と彼女はそのとき付き合っていた。だというのに、彼女はぼくとばかり話しているものだから、最後に学級委員長は傷ついて、そして、結局別れ話につながった。そういう展開が愉快な人はいないだろう。親友の失恋を喜ぶような奴はいないし、自分がその原因だったら焼きそばノドにつめて死んでしまったほうがマシだと思っても仕方ないんじゃないだろうか。
だから、ぼくはもう、そこから先の筋書きがどうであれ、泣く準備はできていた。そして、ヒロインが死ぬところでやっぱり泣いてしまった。
それでもあのとき、おにぎりノドにつめて死ななくてよかったなあと、いま、そんなふうに思う。
なぜなら、いま、こうやって気軽に本を貸してくれる友人がここにいる。それを感じることができる。そして、ぼくはいま、ちくわに詰めるのはキュウリがいいのかチーズがいいのか、ナスは田楽と揚げびたしのどちらを奨めるのか、寿司屋で卵焼きを食べるべきなのか否か、そんなことを熱くもなく語ることができることの嬉しさを知っている。
だからぼくは、うっかりと誰かを傷つけてしまうようなことをしたくない。気づかないうちに自分の力を超えることをしてしまいたくない。
そんなわけで、ぼくは何も感想とかいわずに、この本を返そうと思う。こんなことを喋らないために、ちょっとだけ皮肉っぽい表情も見せるかもしれない。
ちょっと前に炎上したhttps://nikkan-spa.jp/1320151こんなんあったけど、パンと牛乳と目玉焼きな朝ごはんだったら、パンとバニラアイスでも一緒だなって思った。
クレヨンしんちゃんで手作りアイスを作っていたのを見て、子供がやりたいっていうからやってみた。
昨日の午後作って夜のデザートとしても食べたけど、朝も出してみた。
卵は目玉焼きでも卵焼きでもゆで卵でも、特に朝はイマイチ食べてくれないんだけど、アイスならよく食べる。
子供にご飯と味噌汁と焼き魚なんて出しても全く食べるわけもなく時間の無駄でしかない。
アイスとパンが定番の朝ごはんな国もあるみたいだし、栄養価的にも時短できる点でも子供の嗜好性が良い点でもアイスパンはなかなか良いのではないか。
https://news.careerconnection.jp/?p=39517&page=2
「私はそれ以上働いてるから甘えじゃない」というのが多い。
でもこれは変だと思う。「普通のこと」って言い方だと、賛成なのか反対なのか分からない。
例えば「みんな普通は卵焼きにソースをかけるけど、俺はマヨネーズをかけるよ」という言い方もできるので、
同じように「自分がやっているから」ということだけでは長時間労働に賛成する理由にはならない。
いまいち答えになってない答えが、何故か答えと受け入れられてしまっているように見える。
それで、解決法を考えたみたんだけど、3段階の質問にすればいいんじゃないかと思う。
「週5日、8時間労働をキツイと思うのは甘えですか?」と聞くんじゃなくて、
①「週5日、8時間労働をキツイと思うのは普通だと思いますか?」
③「あなた自身は週5日、8時間労働をキツイというのは甘えだと思いますか?」
社会人になって親元を離れ家事が世間で言われてるように大変になりそうだと思ってた
けど、実際は何も大変な要素がなくてビックリした
ルンバ擬きで床はなんとかなる。風呂やら水場大雑把な掃除は二週間に1回シルバーさんに頼む。細かいとこはワンクールに1回これもシルバーさん。
基本スーツだから定期的にクリーニング。寝巻きや下着、靴下はまとめて1週間に1回ドラム洗濯機で洗って乾燥まで。まとめて籠に入れてそこからとって着る。必然的に靴下は同じものを買っとくことになるがそれは我慢。
洗い物
基本箸は割り箸、皿は紙皿を使う。洗い物は最小限に。
タンパク質はレンチン胸肉、ゆで卵、卵焼き、納豆、ヨーグルトなど
炭水化物は玄米やオートミール。米は炊飯器に入れ食べる分だけラップに包んでおにぎりみたいに
いずれも、レンチンか焼くだけ米に関しても炊飯器で炊くだけで済む調理しかしない
ビルダー食のようなものだが、簡単だし栄養価が高く安い。食いたいものは外食で済ませるようにする
片付け
基本余りものは持たない。捨てられないものは実家に送り、実家に置いとけないものは月額の倉庫サービスへ。ゴミをまとめるのは、二週間に1回のシルバーさんへお任せ。
こんな感じでやってたらなにも大変なことはない。1番のストレスはゴミ捨て。朝早いし曜日の問題もあるからシルバーさんに頼めないってのがつらい
ただそんなもん
家事が大変だとか宣ってるやつらどこのどいつだよ
仕事の100分の1も労力いらないじゃねーか。
人数が増えても一緒だ。シルバーさんに頼む分量が増えて多少金がかかるだけだ。
女はこんなもん大変がってないで社会進出しろ。仕事をすりゃ、家事なんてやらずに済む。悔しかったら男を養えるくらい稼いでみろ。
追記
なんか金持ち扱いされてるけど、普通の会社員だぞ。ちなみにシルバーさんはうちの自治体では3時間からで時給1000円かからん。飲み会我慢すりゃルーキーでも利用できる。ただ、1時間で済むことが3倍の時間はかかると思っとくのが吉。
タイルの目地を狂ったようにタワシで磨く行為を1時間程続けていたのだ。汗が眼に入った。脇から流れた汗がTシャツを通って腰に伝った。今日はよく晴れていて、風呂の窓からは蝉の声がシャーシャー聴こえてきた。頭の位置を変えたら酷い立ちくらみがして、大きく長い息を吐いた。
普段まったく家事をしない。必要に迫られないとしない。そして「必要に迫られている」と感じるのが人よりだいぶ遅いようで、自分でも呆れる位、家事をしない。
今日、年に何度か訪れるこのうっかりゾーンの最中、あることを思い出した。
同居人は家事全般、とりわけ料理が得意だった。事情があって一緒に暮らしはじめ、事情があって家事はあまり分担せず同居人が一手に引き受けていた。家事が好きだから、好きな方がやればいいじゃない、と同居人はよく言った。色んな事情があったので、バランスを取るために自然とそうしていたのだと今では思っている。そして実際うまく機能していたと思う。
それでもたまに、何から何まで申し訳ないなと思うことがさすがにあった。そんなときは今日のように風呂のタイルの目地を磨いたりしていた。家事が苦手な人の特徴なのか、自分の特徴なのかは知らないが、いったんやり始めると今日のようにうっかりゾーンに入る。一時間や二時間、平気でタイルを磨いていた。
そんな時よく同居人が背中から声をかけてきた。「お茶のみませんか」「居酒屋さんごっこしませんか(揚げ物とビールを準備しているとき)」「お蕎麦屋さんごっこしませんか(日本酒と卵焼き、板わさを準備しているとき)」。
背中から鬼気迫るものを感じていたのだろう。無理にとは言いませんけど、区切りませんか、そんなニュアンスだった。そんな時はたいていハッと引き戻されて「するする」と犬のように尻尾を振ってタワシを投げ出して、いい匂いを嗅ぎながらタオルで濡れた身体を拭いた。
今日、タイル磨きをやめるタイミングを掴み損ねて、立ちくらみを味わいながらそんなことを思い出した。
かつての同居人とは、何故かあるタイミングでお互いの事情が一致して暮らし始めた。
性行為は付かず離れずしていたが、恋人ではなかった。友だちとも違った。同じ家で暮らして、一緒に起きて、一緒に食べて、一緒に眠る人だった。子供ができたらいいね、と年に何度か言い合うことがあった。動物として自然の流れでそうなったらいいね、という意味だ。自分も同居人も、お互いについての感情は「たまたま一緒の檻になったライオン」のような温度だった。
恋愛感情が無かったわけではなくて、持っていた頃も多分あった。お互いそうだと思う。ただいろんな事情や理由があって、結婚は選択肢に入らなかった。それぞれが別の異性と遊んだりすることもあった。「浮気してくる」「異性と交遊してくる」と言って出かけることもお互いあった。気をつけてね。何時に帰るの。お互い自分自身をそんなに素晴らしい人間だと思っていない同士、そんな生活に不満は無かった。一緒に暮らし続けた。
もちろん人間の感情はそんなに陶器のようにツルンとしてないようで、色んな諍いはあった。お互い思った事を口に出す人間では無かったので(悲しいことだと今では思う)、喧嘩にはならなかった。言い争いの代わりに、子どもや猫のような抗議をお互いよくした。突然夜中に居なくなったり、家に帰らなかったり、メールに返信せずに心配させたり、寝たふりをして返事をしなかったり、料理をしなかったり、料理を食べなかったり。そんな小さいギザギザは数ヶ月に一度あった。それでも同居人とは同じ檻同士、基本的に信頼しあっていた。お互い求められた通りの心配をした。夜中の公園を真冬に探し回ったり、帰ったら好きなお酒や料理や音楽が準備されていたり、心にもない優しい言葉をかけたりした。どうせ仲直りするのはお互い分かっていた。早くしたいとお互い思っていたのだ。諍いに限らずあらゆる事が、始まり方は子どもでも終わり方は大人だったと思う。
一緒に暮らしてから色んな事が変わった。そして、これは自分にとって驚くべきことなのだが、色んな事を学んだ。
まず、健康になった。皮膚や髪の毛の質、睡眠の質が変化した。これは食事がガラッと変わったので当たり前なのかも知れないが、自分には驚くべき事だった。風邪を引いたり、一日寝て過ごす事も減った。同居人が酒好きだったので、自然と自分の飲む量は減った。酔っ払いが二匹居ては収集がつかないと思ったためだ。伴って体重も減った。
趣味の世界や物事の視野も広がった。同居人にとって当たり前のことは、初めて知る事ばかりだった。色んなモノが世の中にはあること、それぞれの用途のこと。野菜ジュースは野菜の代替にならないこと。直火と炭火焼きの違いのこと。季節の食べ物のこと。いろんなお酒が世の中にあること。いろんな方言のこと。悲しいときは運動をするといいこと。泣きながらご飯を食べられないこと。スーパーで鮮魚を買うと捌いてくれること。沖縄と本州で畳のサイズが違うということ。島の暮らしのこと。革製品の手入れのこと。
そして、自分にとって当たり前のことにも興味を示された。テクノやエレクトロニカのこと。色んな漫画や本のこと。映画や芝居のこと。旅行や海外のこと。色んな動物のこと。身体の変化のこと。変な服のブランドのこと。仏教とイスラム教とヒンズー教のこと。お互いの好きな物を教え合ううちに教えられた方が詳しくなって、それが原因で諍いになることもあった。ばかっぽい。村上龍やキャンプについてはそうだった。だいたい土日の昼間に料理を作っている同居人の周りをチョロチョロしながら様々な話をした。自分がこんなに話をする人間である事や、甘えたがる人間である事、そして人間に救われる人間である事。ある業界の仕事をしていた時期から、人間を信頼することは自分とあまり関わりがないと思っていた自分にとって、これは大きな発見であり変化であった。アルキメデスが浮力を発見した事に次いで偉大な功績だった。ユリイカ!
そんな暮らしの中であっても、人間は変化する生き物なのだった。自分にも、変化のスピードに生活を合わせたいと思う時期が訪れた。それで、同居はやめた。自分が変化したのは同居人との暮らしのお陰だった。それはとても辛かった。それでも、時間が経った今はあの決断をした自分は偉かったと思う。偉大な功績だ。ユリイカはユリイカとして、正しいかは死ぬ時まで解らない。
多分ここまで読んで、同居人との関係性について嫌悪感を示す人もいるだろうと思う。我々は少しネジの緩んだ同士だった。誰にも理解されないような、子ども同士の暮らしみたいな生活が好きだったのだ。毎日親がいない家みたいだった。ヘンゼルとグレーテルのようだった。一般的に理解できないものを受け入れることが、わりあい得意な人間同士だったんだろうと思う。人間は変化するので、多分いま暮らしても同じふうにはならない。でも、かつての同居人は今でも家族のような感じがする。かつての同居人もそう思っている気がする。うまい言葉が見当たらないが、belongしあっているという感じ。今でもたまに顔を合わすと、たまに会う親戚のような顔をされる。元気にしてるの、ごはん食べてるの、ちゃんと洗濯してるの。言葉にはしないけれど眼から発信されてくる。
先日、会社の女性に「彼氏と同棲しようかなって話してるんです」と言われた。相談ではなく背中を押して欲しいだけなんだと表情から伝わった。なので、「同居はいいよ」と無責任なことを言った。こいつの責任を持つ筋合いはない。「同居はいいよぉ、まいンち、楽しいことしかないよ」。
家族になるっていいよ。
同居をやめたのは、今日みたいな夏の暑い日だった。突然ひとりにした。突然ひとりになった。「素直に言ってくれてありがとう」という言葉。「がんばったね」。依存しあうものが無くなったあの開放感と、途方もない悲しさ。同居人が見えなくなるまで距離を取ってから階段でめちゃくちゃに泣いた。部屋に入るまでもたなかった。汗と涙と鼻水がごちゃごちゃになった。蝉の声がシャーシャー聴こえてきた。鼻の奥がずっとツーンとして、酸欠になって頭がくらくらした。一人にしないで一人にしないでと布団の中で喚いた。相手のほうが思っていただろうと思う。だから相手には言えなかった。血縁上の家族以上に大切だった。人工の家族だった。相手が可哀想だから、という感情は共依存だと知っていた。お互いの変化を阻害すると知っていた。だから行動に移した。自分のために手放した。相手を理由にするのは相手を一番傷つけると知っていた。対等な人間関係でありたいと願う、自分に残った唯一の正義だった。
何を見ても同居人を連想する日々が続いた。何をしても楽しくなかった。食事の質が落ちたせいで体調も変わった。それでも不思議と、死んでしまいたいとは思わなかった。悲しい事に集中すると、他の事に集中しすぎずに済んだ。なんていうか色々捗った。ロボットのように仕事や食事や人付き合いをこなした。こんな辛いことを乗り越えたのだから、何があっても生きていけるだろうと、直感で理解した。悲しいときは運動をした。泣きそうになったらご飯を食べた。あれからだいぶ時間が経った。何かを見て同居人を思い出すことは、今では殆ど無くなった。
人間の記憶はすべて熱量だと思っている。同居をやめてから、変化に対応していくなかで、たくさんの記憶の熱量をエネルギーに変換して生きてきた。変換したら消えていく。記録と事実は残るが、涙が出るような、胸が痛むような熱量は、失ったら二度と戻らない。
あらゆる事について、もう少し若い頃はこの「失っていく感覚」「燃えていく感覚」を怖いと思っていた。なるべく残したくて、よくテキストにしていた。いつからかそんな執着は無くなり「燃えているな」「もう二度と会えないんだな」とまっすぐに見つめるようになった。何かを決断した自分が得た変化の一つだ。燃えたエネルギーを、これから別のなにかに注ぐ事。もう二度と出会えない分だけ、新しい事が入る余地が出来るんだろう。望むと望まざるに関わらずだ。
もう思い出す種火が少なくなっているのかもしれない。タワシを洗いながらそう感じた。消える前の焚き火を思い浮かべた。少しくらい残したっていいだろう。それくらい愛していた。自信をくれたのだ。自分で作った人工の家族の思い出の事。嘘は一つも書いていないが、自分と同居人の性別や年齢や重要なことは書かない。
今日は母親が出かけたので晩ご飯は私が用意した。(用意とは言っても母が置いて行ってくれたものをよそって並べるだけだが…)
私が準備している間に家族は呑気にテレビなんかをみて笑ってたりする。それにどうもイライラしてしまう。
あまりにもイライラしたので「そんな所でテレビ見てないでみんなも運ぶの手伝ってね」と言ったら父に「一人じゃ何もできないのか」と言われてしまった。
家族が早く食べて早く寝られるように自分は風呂にも入らないで食事の準備していたのにそんな言い方はないよな、とまたイライラしてしまった。
兄弟の中で一番年上だからなんでも手伝わなければいけないのは仕方ないのだろうか。私は今日、洗い物と風呂掃除と犬の散歩までしているのに…とまたイライラしてしまう。(もうキリがない)
妹は歳が近い。なのにみんな私にいろいろ頼む。妹は機嫌を悪くすると面倒だからとみんな気を使っている(自分も気を使っている)。信頼してもらえるのは嬉しいが「私にばかり頼むのはやめてくれ」という気持ちになる。
そんなことは頼んでいない。それより皿を運ぶのを手伝ってほしいと思った。そのフライパンを洗うのは私なんだから…。
私の心が狭すぎるだけなんだよな。多分。毎日こんななのにイライラしない母はすごいと思う。いや、実際は心の中でものすごくイライラしているのかもしれない。
母さんって大変だよな。早く帰ってこないかな。