はてなキーワード: 劣化コピーとは
前回の社長は良かった。サイコパスだけど考え方に同意ができた。決断も早いし行動力もあった。
性格は見た目に出るという自分の中のヤバいやつルールにスマッシュヒットだ。
大企業の部長になれるスキルはあるのだ。それは自分の感想でしかない。
今の社長が着任してまずやった事は1クォータかけて社員全員の面談だった。
この時点でヤバさが増した。100名程度のたかがグループ企業の社員に3か月も経営そっちのけで面談を優先するなんて、ちょっと想像の範囲を超えていた。
しばらくすると若い女性社員とキャッキャしだした。あたまポンポンとかセクハラになりますよ。社長。
そうこうしていると、現管理職向けに研修をしだした。外で講師をしていると自信満々だった。
だがその内容は、市販本を劣化コピーしただけの資料で、講義もただの読み上げだった。
いや読み聞かせてくれたのだろうか。こんな内容で講師をしているのかと背筋が凍った。
一点試しに質問したら、しどろもどろな挙句、最後にはみんなでがんばろうと締めくくられた。
そんなに社長業はヒマじゃないはずだ。口だけだされた現場は、混乱や責任転嫁が横行しはじめ、明らかに効率がおちた。
本社への報告資料が増え、本社の意向に沿ったルールが執行されだした。予定外のビジネスプロセス変更が発生した。
改修ではない。ただのやらなくても良い今の社長が本社からほめてもらえるだけの変更だ。
いや、まだわからない。ひょっとして彼のスーパーメソッドに我々下々の思考が追い付いていないだけなのかもしれない。
業績報告では、彼が本部長である部署のに売り上げが未達なことを、誰に対して叱咤激励しているのか意味不明だった。
みんなが「すごいブーメラン...」と感じていないか少し心が痛んだ。
最近いろんなところで、彼のいろんな噂を聞くようになった。
とにかく二人で話合いになると、その場にいない第三者の陰口を切り出すらしいのだ。
A君がこう言っている。でも口だけだ。数年待ったが効果がない。きみはどう思う。
A君とは私が直属する本部長だ。
「そういう話なら、Aさんと面談すべきでは?Aさんのプランについて、現場としての私の意見を求めるなら3人でミーティングしたほうがコストが低いですよ」
呼びましょうと席を立とうとすると
「いや。自分のほうで調整しますよ。」ありがとうございました、と急に話が終わった。
あまりコロコロ変わられても対面的によろしくないが、こちらとしては傷が修復可能なうちにさっさと変わってほしい。
バレる暗躍とかする社長は、ものすごくかっこ悪いので一緒に仕事をしたくない。
マウントとか無理にとろうとする姿も見てて辛い。
自分の信条に合わない企業を使わないのも、それを公言するのも個人の自由だし、まったく批判される謂われはないし
また、遊就館は濃厚な政治的メッセージを含有しているのは間違いないので、そんなところに新入社員連れて行くのはパワハラの一種だろうし
津田氏を批判する側が差別や多様性の問題を持ち出すのは取り違えもいいとこだと思う。
その上で遊就館研修批判している側が、歴史教科書問題前後に流行していた、中学高校生を韓国や中国に連れて行って「日帝の蛮行」記念館を見せたり、
「被害者」の講演を聴かせて謝罪させる教育。あっちは容認してないのか気になる。
①それらが反日プロパガンダや非中立的な曲筆・誇張を含んでいる事を同時に教えない。
②子供らに歪んだ(憎悪を含んだ)トラウマを刷り込むことを意図。心を傷つけることに鈍感。
③多くの場合侵略教育イベントを回避できない。したら白い目で見られるなどの圧力がある。
④教員が自分の思想信条を権限を利用して子供らに押しつけるパワハラ性含む。
などの問題を抱えていたのだけれど
実際初期の「ネトウヨ」の潮流を作り上げたエネルギーは、歴史教科書問題・謝罪教育世代の自分たちが受けた教育へのルサンチマンだったし
(このあたり「ネトウヨ」批判側はわりと目を背けてる。今まとめサイトに群がる「ネトウヨ」はそれの劣化コピーだが)。
これに比べれば、そういう会社と分かって入社した成人が対象のゴーゴーカレーはまだ罪が軽いのではないか。
日本の蛮行を子供に教えることは当時「正しいもの」だという空気はあったから遊就館研修よりは当時の常識の範囲内ではあるけれど
昔は絵を描く趣味はイラストか漫画が普通だったが、俺はドット絵や16色CGを描いていた。昔のパソコンはファミコン以下の絵しか描けなかった。使える色も少ないし制限も多い。しかしその制限の中で絵を描くのが面白かった。制限がその機種の個性にもなっていた。使える色は多いけど解像度の低い機種、解像度は高いけど16色をやりくりする都合でセピア風っぽくなりがちな機種、CG性能は良いけどFDDでは役不足な機種、簡易アニメが作りやすい機種などなど。FDDが普及してCGが保存しやすくなり、高級品だったマウスも安売りで買った。
イラストや漫画ではなくドット絵やCGを好んだのは、何度でもやり直しが出来る事と、画材の出費が無いからだ。当時のCGソフトのアンドゥ機能は1回しか後戻りできないものが多かったが、そもそも解像度の低いCGなので時間さえかければ幾らでも描き直せた。実は紙のイラストも練習してカラーインクなどを買ったりもしたが、失敗すれば紙1枚が無駄になる事が大きなプレッシャーに感じた。ホワイトなどで修正するほど仕上がりは汚くなっていく。CGならばやり直せるしゴミも出ない。
就職先もゲーム会社を選んだが技量もなく不採用で、しかしCGをやめるという発想はなく、同人CG集を買うようになり、俺も同人でドット絵やCGを描くようになっていった。
…ここまでインターネットのイの字も無かった頃の話。
90年代の中ごろには「草の根BBS」というものも増えて、電話代を気にしながら上手い絵師のCGをダウンロードした。
恥ずかしながら俺も幾つのサークルさんにお声をかけて頂き、ドット絵やCGや素材を作った。
90年代の同人事情というと、絵柄には個性があって当然という時代だった。絵を見れば作者がわかる。芸風とも言えるほどだ。デッサンの歪みなどはさほど神経質ではなかった大らかな時代で、初心者がしばしば眉毛を描き忘れたアニメ絵を描いているのも微笑ましかった。当時の同人でのアニメ絵は趣味性と個性を主張するアイコンだったように思う。
当時の同人での絵師はまだCGより紙に描くほうが普通で、マウスをカチカチ鳴らして絵を描く人は案外と少なかったようにも思う。上手い人はとんでもなく上手くて真似できないレベルだったのと、俺より下手な絵師も多かったので、俺は落ち込む事もなくCGを続ける事が出来た。
90年代半ば、Windowsが話題となりインターネットも流行し始めた。この頃ようやく現在のCGイラストの元となる環境が世の中に広まったわけだ。解像度の制限が(殆ど)無いフルカラー(最低でも256色)のCGイラストが描ける環境が整った黎明期だった。FDDには圧縮しても10枚程度しか保存できなかった事もHDDが当たり前になった事で解消された。
当時ようやくスキャナが一般的になり始めた頃でもあったが、まだまだ高級品で、アナログ画材の出費も惜しんでいた俺には手が出なかった。ハンディスキャナを買ったが歪んで使い物にならなかった。
この頃からCGイラストを描く事の楽しさが薄れ、苦労が付きまとうようになった。
そもそもWindowsが動くPCが高級品だった。専用ソフトも高いし、フリーソフトは殆どなかった。CGソフトもイラスト専用のものは少なく機能も貧弱だった。
俺の個人的な事情では同人での活動が次々とトラブルに見舞われる事が続いた。参加したゲーム制作の中止が複数重なったり、同人ゴロの被害にあったりした。
しかし一番の苦労のひとつは、理解され難い事だったのかもしれない。
PCで絵を描いてもPCが無ければ見れない。親からは1日中パソコンに向かっているうようにしか見えない。世間ではしばしばアニメやオタク趣味が悪者として魔女狩りが繰り返され、時代もアニメ絵ではなくポリゴン絵に移り変わっていった。…自分以外の何かを言い訳にしたい気持ちも大きいが、理解されない事をする苦痛が結構大きい事も事実だ。
16色とかの制限の多い時代には才能の乏しさはあまり目立たなかった。描ける絵には限界があり、その最適解を探し出す事がドット絵だった。カラーパレットをどのように振り分けるか、どの色をタイリングで済ませて色数を増やすか、1ドット未満の線をジャギー消しの手法で描き、ブラウン管の光度差で滲ませる、才能ではなく技術でどうにかできた。しかし色数がフルカラーになった事で俺は途方に暮れた。CGは技術ではなく才能こそが全ての世界になった。インターネットがどんどん一般的になって、上手い絵師だけが評価される世界になった。…それが当たり前だという事を認めるのに何年もかかった。
00年代になると、90年代に人気だった絵師の多くが姿を消した。フルカラーで90年代の彩度の高いイラストは古臭いものとなりつつあったし、個性もさほど求められなくなったからだろうと思っている。90年代に人気だったプロのイラストレーターの苦労も時々目にするので、90年代に人気だった同人絵師が姿を消したのも必然なのだろう。
00年代の俺は才能の無さは自覚していたので、当時流行していた3D-CGを始めた。当時の宣伝文句は概ね「絵の描けない人でも出来る!」だ。貯金を切り崩して六角大王や海外製3Dソフトを買い相当練習したが、結果は失敗だった。数年我慢してMMDを学べばよかった。俺は才能だけでなく時代を読む目もなかった。
2010年代、ドット絵の需要も懐古趣味しか無くなり、CGイラストは毎日毎日物凄く上手い人が出現し、俺はCG-TIPSを検索しては真似をしてなんとか時代に取り残されないよう苦労し続けた。しかしCG-TIPSを学んでいて気付いたのは、CGの塗り方の流行は結構短いスパンで変わってしまうという事だった。俺がなんとか使いこなせるようにあった頃には他の誰もがもっと上手く使いこなしていて、なんとか追いつこうとしているうちに次の流行に変わっている。CGがネット上に溢れかえっているから、目新しいものが求められ、俺のような才能の無い微妙な絵はネットノイズでしかなかった。
最近では長年CGを見続けてきた俺には誰が描いたのかまったく判別できない絵が増えてきてゾッとしている。とてつもなく上手いけど他の上手い人の絵と見分けがつかない絵。これはテレビアニメの多くがそういった傾向なので誰のせいでもない事だが、。
そして物凄く薄く繊細な塗り。フルカラーなのに明度差が微妙にしか違わない繊細なグラデーションは16色のカラーパレットでCGを覚えた俺には到底無理だ。こんな絵を目指さなければ人目を惹かないのかと思うと心が折れそうになる。しかし他人のCGからスポイトでカラーパレット拝借なんて出来ない。絵の才能だけでなく色彩センスもない俺自身が恨めしい。
上手い絵師には嫉妬心もわかず、ただ自分の才能の無さを思い知らされるばかりだ。
本当に絵の上手い人の特徴はとにかく早い事だろう。イメージを迷うことなく描画する才能がある人ほど上手い。
俺はイメージが貧相だしラフを描いている時も悩んで時間がかかる。出来上がるのはピンボケの絵にしかならない。
俺にとってCGは既に同人ではなく個人的趣味でしかなく、楽しいという気持ちも無い。苦労であり苦痛でしかない。しかしいまさらやめるわけにはいかない。色々な事を犠牲にしてきたのに、やめたら本当に何も残らなくなってしまう。同世代の人はみんな趣味はほどほどに、結婚したり出世してしっかりした人生を歩んでいる。いまさらCGやめたって人生で得られなかったものが手に入るわけでもない。歳を取って健康も不安が付きまとうようになってきた。いつ死んでもおかしくないが、死ぬ前に下手糞な絵の制作データは消去したい。
最近は愚直にデッサンの練習をしているが、デッサンに固執すると絵の魅力が薄れる感じもあって苦労している。正直に言うともう絵を描く事が好きではない。そんな底辺中年絵師の俺が誰に向けて描けばいいのか。ネットには上手い絵が溢れすぎていて需要なんてない。上には上がいる世界では下の物は叩かれるだけの存在だ。自分の為に描こうにも、俺が見たい絵さえググれば出てくる時代だ。
じゃあやめろよと言われるだろう。やめたら俺どうすればいい? 他には何もないんだ。
客の金を持ち逃げして破産宣告して返済踏み倒すフラグ立ってるようだ。わら。
「VR通貨」とか言っていればなんだか怪しい感じになるので被害者も少なかっただろうに。多分。
基本的に普通の常識があれば「ちょっと下調べすれば虚業の可能性が高い事がわかる」ので引っ掛かるほうが悪い懸案だが、コインチェック事件はテレビで大々的に宣伝していた最中での事なので、長い人生で悪人に出会った事の無い微温湯人生を送ってきた人と年金持て余す呆け老人は引っ掛かっても仕方がない悪質なものだ。多分これから露呈していくことになると思うがコインチェックのコアメンバーは相当黒い連中の筈だで、破綻して踏み倒すことも計算ずくだった筈だ。職業詐欺師の間ではマニュアルの1ページ目に書かれている事だからだ。コインチェックの背後に何者がいるのかで事件の深刻度は変わるかもしれない。
取引所の問題というより「仮想通貨という概念ビジネス」に不信感を抱かない被害者が問題と思う。
…仮に仮想通貨を「ゼニー」としよう。
ゼニーはネットゲームのRMT(リアルマネートレーディング)が出来ます。
…まぁネトゲ重課金ユーザーなら100万1000万出すのかもしれないけど(笑)。
仮想通貨はこれを貨幣価値が主張できる程度のシステムを整えただけのものだ。しかし概ね前例のなかったもので、あるとすれば出資金詐欺とか幸運を呼ぶ壺とか新興宗教のお布施とかだ。仮想通貨はそれらとは違うといったポーズを取っているだけのもので、現時点で合法なのも単に法整備が追い付いていないだけだ。
そういった仮想通貨は未完成ゆえに穴だらけだし、そういった新興事業に即座に手を出すのはチンピラかゴロだけだ。DMMだって元々はアダルトサイトだし、もちろんコインチェックのクソガキ社長も見るからにウェーイ系クズだ。
別に仮想通貨が悪いわけじゃない。スマホゲーのガチャだって別に悪くないんだし。
しかしこういった事件は、被害者が悪党に追い銭投げつけて文句言っているような、悪い奴がのさばる原因になる事なので、被害者の馬鹿さ加減には少々腹が立つ。
先ごろスクウェア・エニックスからリリースされたサーヴァント・オブ・スローンズ(以下サヴァスロ)があまりにも酷いのでヘイトの吐き出し場所としてここに記す。このゲームはいわゆるクローンゲーというやつで、Supercellのクラッシュ・ロワイヤル(以下クラロワ)をベースにしているのだが、後発にもかかわらずあらゆる所が劣化していてクラロワユーザーとしては憤懣やるかたない仕上がりになってしまっている。
特にデッキ編成画面の乱雑っぷりといったらまさに地獄。編成方法もクラロワとまるっきり同じなのにユニットの並べ替え機能はついてなくて劣化感丸出し。特定のキャラクター専用ユニット表示もユニットの絵に常にフェードインアウトしているため非常に邪魔。あの画面にGO出したアートディレクターは降格してほしい。またゲーム中では「ソウル」「アルカナ」「エーテル」「ゴールド」「サヴァスロポイント」などの単位が乱立しているにも関わらず個別の説明はなく、アルカナなどは今の所持数も表示されないため何もかもが煩雑。
クラロワの優れているところは対戦スキームだけに留まらず、対戦準備画面を起点に、すべての機能にロードなしでスワイプ遷移できる極めて合理的なUI設計にあった。にも関わらずサヴァスロはそこは踏襲せずいわゆる和製ゲームアプリの文法で機能の配置を行ったため、本来のスムーズな遷移は失われ、どこに移動するにもロード、ロード、ロード…。スクエニには二度とUXという単語を使ってほしくない。
クラロワのバトル画面までのステップは
と5遷移もあり、圧倒的テンポの悪さを誇っている。VS表示画面はおそらく仕様書にシャドウバースの対戦前画面のスクショでも貼ってあったと思しきレイアウトだが、解像度足りてないのに無理矢理拡大された小汚い「VS」の文字と安っぽい稲妻エフェクトのせいで本当に気分が萎える仕上がり。そもそもあの画面いる?おまけにバトル冒頭ではモーション・セリフが1パターンしかないリーダーキャラのカットシーンをバトル前後で毎回見せられ、スキップもできない有様。ホントにクラロワ研究したの?
そもそもリリース直後だからか、通信エラーで対戦画面に行くことすらできなかったり、ショップ画面に遷移するとエラーでタイトルに戻されたり、クラロワに比べるとこのゲームには快適さという概念は1ミリたりとも無い。
では肝心のバトルスキームがクラロワに比肩しているかといえばそういうこともない。ここでも際立つのはUIの悪さだ。手札をタップすると表示されるユニット情報パネルはデカデカとゲーム領域を隠すため、左側のタワーの状況がわからなくなる。また、フィールドに出たユニットをタップすると攻撃範囲が表示されるという本家にはない機能があるが、これがユニットを設置する際の攻撃範囲表示とまったく同じのため、ユニットの設置ミスが頻発する。
クラロワはゲーム中のバフ・デバフ表現を文字に頼らず配色とエフェクトだけでうまくデザインしていたにも関わらず、サヴァスロは「ATK」とか「SPD」とかの文字がうじゃうじゃと沸き、戦況把握を妨げまくる。ラヴァハウンドみたいなユニットが弾けたあとの表示はiPhoneでは文字が潰れていて認識できないレベルだった。
ユニットも似たような造形のものが多く、ベビードラゴンみたいなやつとインフェルノドラゴンみたいなやつや、ゴブリンと槍ゴブリンみたいなやつなどは攻撃されるまで判別は難しい。ユニットのモデルも解像度の問題なのか全体的に小汚いし、キングタワー的な砦が攻撃されるとハリボテみたいなリアクションとるのもチープだし、ルックとしてクラロワに勝っているところは今のところ一つもない。だいたい「ブラウニー」と「槍ブラウニー」とか、「スケルトン軍団」とかなんでわざわざクラロワの日本語ローカライズされた名前に寄せてんだよ!もっと槍兵とか骸骨とかいくらでも避けようあっただろ!
クラロワはフレーバーテキストひとつとっても、特性の説明だけでなくユニットの個性に応じたユーモアが散りばめられている。
一方サヴァスロはどこかで見たようなテンプレ文言のオンパレード。それだけならまだしも、国産なのにところどこど日本語がおかしい所まであるのが腹立たしい。
例)
→「転んでもただでは起きない」って言いたかったのかな?
他にもバトル画面中のスタンプ文言も丸パクリなのになぜか「グッドゲーム」はないとか、DRAW用のリアクションがなくて引き分けなのに毎回負けモーションを見せられて萎えたりとか、別端末でプレイする際は毎回引き継ぎの操作を求められる超前時代的設計とか、このゲームにユーザー満足度というものは存在しないのだと思う。
いろいろ書いたが、とにかく後発で丸パクリなのに新しいゲームスキームを切り拓いたクラロワへのリスペクトが一切感じられないのが本当に頭にくるし、残念だ。LoVのリソース流用して人気のスキームなぞれば売れるやろ的な浅はかな企画意図と、ただそれに従うだけでオリジナリティを一切発揮しようとしない開発側の思考停止が透けて見えるようで悲しくなる。愚直に本家をトレースして同レベルのところまで磨きあげ、そこからアイデアを足せばよかったではないか。せっかくこんな面白いゲームをお手本にしているのだから。
最近の例でいえば、中国が作ったアズールレーンは艦これのコンセプトを踏襲しつつ、「顧客が本当に欲しかったもの」みたいな仕上がりを実現した。後発だったらあれくらいやって然るべきだ。日本企業がやっていることといえば、フィンランドの生んだあの美しいゲームに特許でイチャモンつけたり(グリーの敗訴を心から願う)、劣化コピーを作ったりするばかり…そりゃ後進国って言われるよ…。
クラロワのファンであるがゆえに殊更クソに映るサヴァスロだが、ユニットやフィールドの特性に丸パクリでない部分もわずかにはあるし、ブラウニーとかママリリちゃんとか、かわいいユニットがいるという極めて少ないアドバンテージもあるので、ぜひ奮起して「面白いゲーム」になるか今すぐサービス終了してください。
みんな見ているものは違うけど、スターウォーズだったりシン・ゴジラだったり君の名はだったり海月姫だったりするけど大体の人が何かを消費している。
ストーリーは生きていると思う。死んでいるのはなんなんだろうね。
ストーリー消費している消費者から言わせれば、今の時代作られるもの単純にストーリー面白くないよ。
(これ自体は悪いことだとは思ってなくて、その分野が好きな人がそれを楽しめばいいと思ってる)
グラブルとか見てて寒すぎてストーリーシーンを見たくないがために辞めた。
でも、それが好きな人はいるんだし万人受けする時代ではないよ。もはや。
少数の人を何が好きなんだろうって考える時代のはずなのに、消費者像がネット上の人のごっちゃ煮になっているんだから薄い。
なろう系だって万人受けしているわけではない。
「あそこの先生の生徒さんは皆同じ弾き方をする」
また、youtubeで教室の生徒さんが演奏している動画を見ると、国内/海外、あるいは洋の東西を問わず
「お前そこのフレーズ、先生にそう弾けって言われたからその通りに弾いてるだけだろ?」
のが常態化していると言っていい。
別の言い方をするなら、口が悪くて恐縮だが、
「学習者の個性や解釈力の涵養は無視して、まずは立派な猿回しの猿になってもらう」
教育をしているわけだ。
でもそれってさ、
「じゃあお前、先生がいなかったらなんにもできねえのかよ」
って結果になるだけだと思うのだ。
…と、ここまで完全に悪口を書いてきてしまったが、これ難しい問題だよね多分。
など、子供の躾に近い大変さがあると思う。
では、音楽教育の素人である自分がなぜ言及するかというと、生徒さんの演奏で心底がっかりする経験ばかりというか、
「その曲、ちゃんと弾けたら本当に良い曲なのに、なんでそんな音で『弾けた』ことにするんだよ、頼むからこの曲が本来持ってる素晴らしい時間を台無しにしないでくれ!」
と思わされることが多すぎるのと、自分の仲間で先生に「ここはこう弾く、ここはああ弾く」のお仕着せで多少は上達してるっぽいけど、それ以上に苦しめられている人が何人もいるから。
ちなみに自分は幼少~高校まででいったんレッスンを辞め、数年前に別の先生の所でレッスンを再開したクチ。
確かに例によって先生に苦しめられてはいるが、再開前は腕が荒れまくっていて「音を出したら睨まれる」レベルだったのが、再開後半年で「別人のようになった」と言われ、今では「増田さんは凄く上手なので、ここに来て音を出してもらえれば、あとは何も心配していない」と事情を全く知らない共演者に言われるくらいにはなった。
これは本当に先生のおかげで、自分にとっては「アドバイスの内容は面倒だけど、逃げるわけにはいかない」という感じであるし、その先生の人格はともかく、指導内容はまっとうなのだと思う。
そして指導内容は
「これは私の好みだと思ったから言わなかったけど、何度か色んなフレーズを弾いてもらって、やっぱり○○の部分は直さないと奏者として先がないから言うね」
「結果的に××が●●にならないといけなくて、そこで重要なのはこの部分だけど、でもそれは奏者によって腕も手も指も大きさ・長さがまちまちだから、適正位置は奏者が体得するしかないんだよね…だから申し訳ないけどセンチ・ミリ単位では教えられない所です」
もう発表されているかと思ったが、11月中旬にノミネート語が発表されるらしいのでとりあえず予想。順不同。
「実際に流行った言葉」ではなく「選考委員が選びそうな流行語」を多めに入れた。
議員本人は辞退すると思われる。
今年も週刊誌とその劣化コピーである民放テレビ番組は延々と不倫を追いかけ続けていたと思う。
こちらも本人は辞退すると思われるので、代役として芸人が呼ばれると予想。
大賞最有力候補。フォロワーが多いモデルか芸能人あたりを呼ぶはず。
「盛り土」に引き続いて今年も辞退すると思われる。
一年もたたないうちに跡形もなく消えたのは残念。こちらも辞退と予想。
トップテンに入るかは微妙だが選考委員のねじ込み枠でノミネートされる可能性は高い。
受賞すれば声優陣も一緒にやってくると予想。たつき監督の反応が焦点。
予想した10語中3語(「忖度」「インスタ映え」「プレミアムフライデー」)がトップテン入り。10連複は思いの外難しい。
どうしてアイドルアニメって「アニメ作ってそれを参考に作ったアニメ」みたいのが多いのかねえ。
名作(スタア誕生とか)の劣化コピーから始まったものが、それの劣化コピーを次の世代が劣化コピーしてを繰り返し続けた結果、上澄みをすくってきたつもりで実は灰汁の塊を煮込み続けていたような代物だらけになってまいりましたね。
もうアイドルアニメらしいアイドルアニメを作るのはやめた方が良い。
でもアイドルアニメは一度オーバーホールして一から組み立て直さないと積み上げられた制度疲労に耐えきれなくなってる。
ホモマスのアニメが駄目なんじゃなくてアイドルアニメ全体が本当にもうね。
少年ハリウッドはその点頑張ってたね。
....
と思ってるそこの大人。そう、お前だ。
知恵袋にも同じ投稿をしたが、より多くの人の目に触れてもらいたいと思いここにも投稿することにした。
「最近の若者は〜」
その若者に影響したすべてのコンテンツはお前たち大人が作っているだろう?
スマホ、ゲーム、ゆとりetc...大人以外が作ったものが一つでもあっただろうか。
三つ子の魂百まで、という言葉がある。幼い頃の性格や習慣は年を取っても変わらないという意味だ。
子育てを終えた大人たち...お前は自分の子を社会に出ても恥ずかしくないように育てたか?幼い頃にお前が与えた影響の延長線上にしか子供は育たないぞ。
私はこのことに気づいた。だから反面教師として自分の子には社会に出ても恥ずかしくない子を育てようと思う。
しかし気づかない若者は...悲劇を繰り返すことになるだろう。
そうして生み出された言ってみれば劣化コピーが今後の日本を作り上げていくのだ。
つまるところ何が言いたいのか。「最近の若者は〜」という言葉は裏返してみれば「俺たちのしてきた教育の結果は〜」という自虐にしかなっていないのである。
当たり前だ。しかしお前はこの事実に気づかなかった。気づけなかった。気づいてもやらなかった。
これを見ている若者に問う。お前は自分の子を劣化コピーにはしたくないよな?
「使う前より綺麗に」
「自分の上をいく子を作れ」
構わないっつうか、大企業の支社が一番でかい顔してて、地元企業はでかくなれば東京進出して全国区になって、って構図がある以上、地方が向かう先は東京のコピー以外ないんだよね、望む望まないに関わらず
ロンドンのコピーや上海のコピーやリオデジャネイロのコピーをその県だけで目指せるならともかく、そんなの無理だからねー
地方は地方の魅力があるのは確かだけど、テレビも雑誌も全国画一的に流行りの情報を流すわけで、地方民は東京同じものを自分の街でも買いたいと思っているものさ
いい悪いの話じゃなく、日本が全体的にこのまま没落していかないためには、東京の持続的な発展に加えて、地方の東京の劣化コピー化は必須よ