はてなキーワード: リア充とは
★★★☆☆
初見。
公開時に4コマで大体あってるあらすじとして↑みたいな4コマがあったけど、まあ確かに大体合ってる。
でも言うまでもなく、それだけで作品の感想を語るなんて無意味。
例えば秒速5センチメートルで少年が少女とリア充的な恋愛するけど結局破局するなんてあらすじだけが重要じゃないのと同じように。
自分の借りぐらしのアリエッティのイメージは、アリエッティがペニスにかぶりついてるエロ画像しかなかった。
おっさんでごめん。
個人的には、アリエッティが男の子を通じて人間も必ずしも悪者ばかりじゃないってことを知って、アリエッティと男の子がそれぞれの種族の架け橋になって共存していく的な、
ダイナミックな展開のほうがすっきりした気はするけど、さすがに都合よすぎるし、映画の限られた時間じゃナウシカ並に中途半端にしか描ききれないだろうし、
妙にリアリティのあるサバサバ感、でも絶望ばかりじゃない、お互いそれぞれの道をがんばっていきていこうねっていうまとめ方は、
一つの落とし所として十分ありだと思う。
ダメだ。
外見パッとしないし、イマイチな見てくれをネタにするヲタトークもできないし、リア充にも非リアにも転べない。
彼女? いないよ。
童貞? そうだよ。
オッサン? もちろんだよ。
タイで性転換する時間とカネはないし、ノンホル女装できる顔と体格じゃないし、ホルモン投与の辛さには耐えられないだろうし、もうオッサン一択しかない。正月は受精卵レベルの怒りを老父母にぶつけようと思う。
女がダメなら魅力的な男。……素敵なオジサマ。そう、それだよ。無理だよ。
外交的な性格とか、センスとか、言葉遣いとか、地頭の良さとか、先天的、あるいは自分では選べない環境に大きく依存する因子ばかりじゃないか。
ヒンドゥー教に改宗しよう。来世に期待しよう。菩提寺にある墓は無縁墓に合祀。年明けからクライマックスだ。
http://mw.nikkei.com/tb/#!/article/DGXMZO95190370W5A211C1000000/
内容を要約すると男が主だったオタク趣味を最近は女も始めているという話なのだが、
> これまで男性たちが作っていたエンターテインメント作品を女性たちがどんどん手掛けるようになって、女性たちの気持ちをつかめるようになってきた。
この文章とかおかしすぎだろ、オタク女は男の作ったオタク作品にもはまるし、なにより大昔からオタク女はいただろ。
しかもこのおかしな誤解は男オタクもしているらしく、女はリア充でオタク趣味に理解がない的な話はよく見るし、長年男だけでやってきたコミケに女が入ってきてからおかしくなったとか言ってるのまで居た。
コミケは初期は女オタクが参加者の9割だったところに数年後のうる星ヒットで男オタクが混じってきて、そこから男性が増えてきて最近ようやく参加者の男女同数くらいになったイベントじゃん。
森見登美彦氏のブログを読んでいる方なら御存知だろうが、彼は「よつばと!」の熱心な読者である。
■[日々] 登美彦氏、更新にそなえる。
■[日々] 登美彦氏、『よつばと!』を読む
はじめは意外にも思えたが、しばらく考えてみると、登美彦氏がよつばと!愛読者であることになんとなく合点がいった。
彼の書く小説の世界観とよつばと!には通ずるものがあるのではないか?と感じるのだ。
もちろん、好きなのだから影響を受けた部分も大いにあるのだろうと考えることはできる。
実際のところ、「ペンギン・ハイウェイ」執筆の際にはよつばと!が手元にあったようである。
■[読書] 『ペンギン・ハイウェイ』が助けられた本たち
「ペンギン・ハイウェイ」では、主人公のアオヤマ君が「理論は知っている」と発言する箇所があるのだが、それがよつばの「りろんはしってる」を踏まえたものなのかどうかはわからない。
だが、「子供の視点」という点で、よつばと!は大変に参考になったのだろうと推察できる。
登美彦氏がどれだけよつばと!が好きかということは、あるインタビューを読むと非常によくわかる。
――今誰かに何かコミックをおすすめするとしたら何にしますか?
森見 相手にもよりますが、現在連載中の作品でいちばん自分がおすすめするのは、やはり『よつばと!』ですね。新刊が出たときにいちばん胸が躍るんです。『よつばと!』は本当にいい作品だと思います。ああいうのが書けたらいいなとも思うんですよ。なんでおもしろいのか、なんであんなに読後がいいと思えるのか、はっきりとはわからなくて説明できないのですが、すごく好きです。毎回何事もない日常を描いているかのようで、何かはちゃんとあるんですよ。ストーリーがはっきりしてるとか構成が凝ってるとかじゃなくて、登場人物たちが作品世界の中で生きてる感じがすごくする。『よつばと!』に限らず、どんな作品も上手に作品世界の中で登場人物たちが生きている感じに描ければ、実はそれだけで充分おもしろいんだと思うんですけど、そうすることはとても難しいことでもあると思います。だからストーリーで凝ってみたりいろいろな仕掛けをしたりする。でも『よつばと!』は本当に上手に作ってあって、日常の小さな波をきちんと捉えて描いているんですね。そこに感動するんだと思います。すごいなあと思いますよ。…ああ、でもやっぱり『よつばと!』の魅力はうまく説明できないですね(笑)。僕よつばがホットケーキをひっくり返したところで泣きましたからね。あとクマのぬいぐるみをあさぎお姉ちゃんが直してくれたときも。なんていうんだろう、すごく美しかったんですよ。悲しいとかじゃなくて、すごく美しいものを見て感動するみたいに、『よつばと!』を読むとなってしまう。どうやったらあんないい感じのものが書けるのかよくわからないので、本当にすごいと思います。
これが重要な点なのではないかと私は思う。登美彦氏の理想とする作品像がここに表れているのではないか。
たとえば「夜は短し歩けよ乙女」。
この作品が語られる時は、腐れ大学生である「私」の捻くれた語りと、天然な「黒髪の乙女」のかわいらしさについて言及されることが多い。
特に「黒髪の乙女」は作者の理想の女の子像を詰めたものではないか、と言う者もおり、人によっては願望詰め込みすぎでキモチワルイ!と言うそうである。
しかし、個人的には「乙女」はそういうものではないのだと主張したいところである。
実はこの作品、ものすごくよつばと!に似ているのではないかと思うのだ。
……女の子の目から見ても主人公の乙女はかわいいですが、これは森見さんの理想の女性像も含まれていますか?
森見……確かに理想ではありますけど、僕が書いているので僕の部分も入っています(笑)。こういう女の子が単体でいてもしょうがないんです。この女の子がいて、その周りにこういう賑やかな世界があって全部ひっくるめてひとつなんですよね。こういう女の子が無事に生き延びていける世界だったらいいなという思いもあります。
この言葉、実はよつばと!にもぴったり当てはまるのではないかと思うのだ。
「よつばが単体でいてもしょうがないんです。この女の子がいて、その周りにこういう賑やかな世界があって全部ひっくるめてひとつなんですよね。こういう女の子が無事に生き延びていける世界だったらいいなという思いもあります。」
「乙女」と「よつば」の役割は実は近いところにあるのではないか。それをなんとなく私は感じているのである。
優しい世界を描いていると言うこともできる。優しい世界といっても、登場人物がみんな善人であるという意味ではなくて、個性的なキャラクターがすべてその世界でちゃんと生きていられる世界ということである。「寛容な世界」と言っても良いだろう。
それは「有頂天家族」にもよく表れている。この作品には狸・天狗・人間の、本当に様々なキャラクターが出てくる。
そして、善人であったり、悪人であったり、阿呆であったり、よくわからないものだったり、とにかく個性的というほかないほど個性的なキャラクターばかりである。
そして、そういった人物たちが、(たとえ悪人であっても)その世界に受け入れられている。どこまでも魅力的で、排除されない。
「太陽の塔」「四畳半神話大系」は、所謂「リア充」憎しで書かれている作品のように思われているが、別にそれは本当に憎んでいて排除したがっているというわけではないというのは最後まで読んだ方ならお分かりであろう。リア充であってもそうでなくても、作品世界の中で生きているのだ。
お話の構造で見たら森見登美彦氏の小説とよつばと!は全く違うように思えるのだが、読んで感じるのはなんとなく似た感覚であるように思う。
それがどういった感覚なのかといったことは、登美彦氏ですら上手く説明できないのだから、私が言い表すことなどなおさらである。
40にもなって久しぶり(10年ぶり2回目)に彼女が出来たので、クリスマスに少し奮発していいホテルに泊まってきた。
別に滅茶苦茶高いわけでもなく、二人で3万ちょっとぐらいの安いツインの部屋。
それでも専用の足湯コーナーがついていたり、部屋がやたらと凝っていたりして、館内に居るだけで十分楽しめる。
食事はバイキング式。和洋中どれも美味しい。
食べているとカメラマンがやってきて写真を撮らないかと言われてちょっと驚いたが、周りを見ると結構撮ってもらっているようだった。
よく見ているとどうやら中国・台湾・韓国から来たお客さんが多いらしく、この空間自体がある意味一大イベントなのだろう。
私達は流石に恥ずかしいのでパスさせてもらった。
クリスマス専用のカクテルが美味しかったのでおかわり。普段はお酒は飲まないけど、泊まりだし。
彼女はウイスキーを頼んだのだが、案の定私にウイスキー・彼女にカクテルを渡されてちょっとおもしろかった。
結構な歳の差カップル(15歳差)なので、そりゃあ見た目で判断すればこっちにウイスキーを置くよな。うん。
実は温泉に向かう道中のかなり早い段階で、生理になってしまったとやんわり匂わされた。
まあ、こればっかりは仕方がない。むしろ温泉に入れなくてかわいそうだ。
正直に書くと童貞&処女なので肩透かし感はかなりあったけど、大事なところはそれだけじゃないしね。
一人で温泉に入って部屋に戻ると、館内着に着替えためんこい彼女が待っていた。
ホテルでもらった二千円分のクーポンを使い、おみやげ屋で土産を買う。
嵐のように仕事の電話が来て辟易しつつも、一日一杯デートして帰る。
最近カリブのクルーズ船が、ファミリー向けの贅沢なのに安いクルーズを用意しているみたいだけど、たぶんここも同じような路線なのだろう。
料金はほどほど程度に高いが、スケールメリットを活かして価格以上のサービス(に思えるもの)を用意する。
定年リタイア後の夫婦が使うようないかにもな高級路線(一流旅館とか)ではなく、「ちょっと贅沢」ぐらいのこの感覚は全年齢にウケるだろうなあ、と思った。
普段一人旅で「寝られればそれでいい」という感じで宿を決めているので、かなり新鮮な体験だった。
彼女が出来ると、そういう自分では行かない場所とか発想に行き着いてハッとさせられたりするので、良いかも。
デイリーポータルZの林さんがリア充話を読みたいと書いていたのを思い出し、こっちとしても公開する場所がないので増田に投下。
直接的な理由は来るなって言われてたのに部屋のチャイム鳴らしたことだけど、数日間引っ張ってた別れ話のわかりやすい結末だ。
ひたすら粘ろうとした、論理的に、理性的に、絶対俺と居たほうがいいって説得してた。
それで一旦は思いとどまってくれたけど、気持ちは既にその子の中にはとどまってなかった。
大好きだった。
人生で一番好きだった。
初めて恋愛で暴走したし、フラれそうになってからは眠れなくなって腹も壊した。
それでもそんなことその子には関係なくて、きっと眼中に俺はいなくて。
こんな展開になるなら付き合いたくなかった。
嘘だ、あの子と付き合える人生と付き合えない人生があったら、迷いなく前者を選ぶ。
どんな悪徳契約で抱き合わせのとんでもないオプションがついていようが飛びついてしまう。
こんな時にパーッと連れだして、「女なんていっぱいいるだろ!」って言ってくれる友達が欲しい。
いや、居なくもないけど今日はクリスマスだから、もっと優先すべきものがある。
彼らには彼らの大事な人いて、絶対に俺みたいな間抜けな結末にはならない。
あわよくばそこに混ざっていたかったな。泡だつような人混みの中、手を繋いで離れないように
歩きたかった。
いつから手を握るのも嫌になったんだろう。男として見れないって何?やることはやったやん。
相性良かったやん。
あーもーほんと気まぐれ。猫っぽいとか言ってたけどまだ猫のほうがちゃんと帰ってくるぞ。
きらめく街を見てリア充カップルに殺意わくと思ったけどそれほどでもない。
あーーーーー別れたくない。いやもう別れたけど、また付き合いたい。
許されなら毎週告りたい。
週1で告白したら月一くらいで付き合えないのかな。
したいことたくさんあったのにまだほとんどやってない。
それも別れ方の選択が最悪で、付き合えるベースに乗ることすら難しそう。
これっきり会わなければ悲劇として喚いて終わらせればいいのに、友達とあわせて仲いいから
すぐに会うんだなこれが。
俺は忘れることもできずに定期的に悔しく悲しくなるけど、
神様ちょっとお膳立て最高なんだけど、メインディッシュが冷めすぎてる。
俺の体温全部そこに持ってかれてる。
確かにご飯や味噌汁があったかくて、いい友達を持ったなとは思うんだけど、そこじゃないんだ。
いや俺か。俺がもっと早く手を付けて平らげてたらよかったんだな。
ラブラブなうちに流し込んで、もう出られなくしないと行けなかった。
やっぱりあの人は最高だ。
1回告って2回フラれて、恋の魔法は短くて、魅力がなくて去ってった。
それでもあの子が好きなんです。
ここにたどり着いた若い君へ
真面目で良い子なら知っておいて欲しい。
私が生きてきて、若いうちに知っておきたかったことを列挙する。
・アニメ、ドラマ、漫画、テレビ、ネットなどはなるべく控えた方がいい。知らないうちにそれらの価値観が君の価値観に変わっている。恋愛なら、それらの登場人物は美しい容姿を持っているため理想がありもしない容姿を基準にすることになるし、他の価値観においても容姿至上主義、完璧主義になったり、都合の良いものを求めがちになってしまう。それらはありもしないものだと理解しよう。
・友情は大切にした方がいいが、友人と時間を過ごしすぎると考えが偏ることは理解しておこう。関係が無くなることに怯えてただ維持するだけの関係は友情ではないし、引越しするなどの環境を変えることができる立場であればそんな関係は無くてもあまり変わらない。彼ら彼女らと交流することでどういうメリットがあってデメリットがあるのかは把握しておいた方がいい。
・損得勘定をするのは悪いことではない。狭いコミュニティだとそれは悪いことだと思われがちだが、それはそのコミュニティが自らの短所を認めたくないと思うが故であることもある。多くの個人やコミュニティはそれらの持つ欠点を認めたがらないし、改善のために欠点を指摘したとしても攻撃されたとしかみなさない場合がほとんどだ。「嫌なら出て行け」は状況によって正誤が分かれる。
・人と同じ、自分より下がいる、という状況は君に安心感をもたらすだろう。だけどそれは危険なことだ。君はそのままでいいと思わせるからだ。君は君が考えている以上に能力も魅力も無い。
・世の中を良くすることより、自分の安全や快楽を優先する人間がほとんどである。他人に期待しないほうがいい。
・人と差ができたときに見下したり誇示する行為は社会を不穏なものにする。そうなったら下のものを引き上げ、手助けをしよう。そうでないと、自慢に飽きたとき人生や社会にうんざりすることになる。
・儒教は年配の人でも広く尊厳を保つことができるが、行きすぎると改善ができない組織を生み出して結果全体が腐ってしまうことがある。
・若い頃はなんでもバカにしてしまうが、それは主に自分が優れていると思いたいからだ。大人になっても何かを貶して自分を大きく見せようとする人間はいる。しかしながらすべての事柄にはメリット、デメリットがある。バカにする材料は何にでも存在するので、デメリットのみを指摘するのは誰でもできることだと理解しよう。
・自分のことを頭がいいと思っている君は、何を根拠にそう思っているか考えた方がいい。「頭がいい」というのは抽象的な概念だ。君の人生を大きく動かす、または世の中で必要とされる頭の良さは勉強ができることではなくて、自分の頭で物事を考えることができる力だろう。勉強で得た概念や知識はそのための補助にはなるが、後者を重点的に養おう。
・平凡な人にとって学歴のメリットは、高学歴のコネを作れる、新卒キップが手に入る、学歴至上主義の人と話すときに説得力が増す、くらいだ。大学に入ればわかるが、学歴はミクロではその人の頭の良さを保証するものでは全くない。入試は本当に学問を理解していなくても解ける。中卒でも高卒でも頭いい人はいる。高校に入ってなくても大検を取って、大学にはいることは十分すぎるほど可能だ。受験生の大半は考えずにただ暗記をしているだけだ。
・人間は所詮動物の一種だ。理屈よりも本能に支配されがち。本や漫画にでてくるような人格者はほとんどいない。また、本能に支配されているがゆえに、友達が多い人、恋人がいる人、優秀な人に嫉妬をしてしまうことは自然なことだ。自分自身がその感情を抱いてしまっていることは隠さない方がいい。悔しいと思うのであれば、それを認め、何かしら努力をする糧にしよう。それしか君の魅力を変える手段はないのだから。
・人間のキャラは見た目よりも話し方と声質に大きく影響される。それらは変えることができるし、必要があるならボイトレに通うのも良いだろう。
・人と会話するときに緊張して声がこもったり、小さくなりがちだったり、あまり響かない声質であれば、声を出すときに共鳴させる場所を上の方(少なくとも喉仏より上)に移動させてみよう。ただし、声質を変えるには年単位の時間かかる。
・人間にも知能の差がある。大人でも理屈や理論を理解できている達成度も人によって違う。
・ノリが違う場合、無理に合わせなくても良い。君は君だ。無理をしているのは相手にも伝わるし、リア充へのただの憧れならやめたほうがいい。リア充は傍目からみたら羨ましいと思うが、実際はそれを維持するのにエネルギーを使いすぎてしまう。もちろん、それによるメリットもあるが虚栄心の強い人が多いので、君と生涯を共にするような人と出会うことは少ない。そういう場で交換した名刺はほとんど引き出しの隅で一度も見られる事なく眠るだろう。リア充であることは、お金と時間をかけてリア充である、イケているというステータスを維持していると考えるのが最も良いだろう。それは悪いことではない。君が「いい人間になるゲーム」が好みなように、彼らも「イケてる人間になるゲーム」が好みなだけだ。君が一般的にいいとされている、イケているものの別にやりたいことがあるのであれば、それを優先すべきだ。若い内は知らない内に「誰がいけてるかゲーム」に強制参加させられてしまうが、それに関わらなくても人生を楽しく過ごすことは可能だ。ただし、自分に合うかどうかは試してからでないとわからない。
・職や組織のグレードや規模に関係なく嫌な奴も無能な人もいる。
・人を変えることは難しい。その人に危害を加えてはいけない場合、嫌な人間と出会ったときは、自分が変わるか環境を変えるしかない。
・愛情や友情は不公平をもたらす。特定の人を優遇することでもある。
・たとえイジリや愛情でも貶しやマイナスの言葉は極力控えるべき。意外な言葉で人を傷つけることがある。若いうちは本当のことは言ってもいいと思いがちだが、それは思わぬ恨みを買うし、欠点や状況を受け入れられない人にとっては心にダメージを与えてしまう。容姿や資産などを持っている時は強い人間も、それらを失ったとたん弱くなることはあり得る。
・心の弱さは個人差があるが、立場や環境や状況によって人の心は弱くなる。弱っているときに傷つけられると、深い恨みを抱いたり、死んでしまうこともありうる。
・人は自分の経験や感覚から他者の気持ちや考えを想像する。そのため、その人が経験していないことや、その人にない概念について他者に思いやることは難しい。例えば痛みを感じない体質の人はなぜ人を叩いたらいけないのか理解できなかったという事例がある。
・人の考えは簡単に変わるし、それは環境にとても大きく影響されてしまう。スタンフォード監獄実験やミルグラムなどをしらべてみよう。悪人もおそらく環境が違えば悪人になりえなかった。君が世の中を良くしたいと考えるのであれば、悪くなってしまった人をどうするかではなく、どうすればそういう人間を生み出さなくていい環境を作ることができるかを考えよう。
・君は理屈で物事を考えることができるとしても、他者はそうではないことが多い。彼らはそういう環境で育ってきてしまったからだ。
・バカな人間を見たときに、見下してはいけない。それはその人がそういう風に育つ環境に原因がある(もちろん天性の素質もあるが)。運命が違えば、君がその人になっていたかもしれない。また、君の子供がそうなってしまうかもしれない。君がすべきことは、そういう人間を作り出さない環境を整え、世の中をかえることだ。
・「子供が可愛くない親なんていない」は嘘だ。例外は存在する。虐待されている子供にとってその言葉は毒になるし、追い詰めることのもつながる。耳馴染みのいい言葉、響きのいい言葉はまず疑ったほうがいい。ただし、それらは多くの場合には当てはまる。
・耳馴染みの悪い言葉に対して条件反射で拒絶する人は多く存在する。彼らはおそらく恵まれた環境で育ったか、世の中の危険などを自分の身近に存在することを認めるのが怖いのだ。だが、悪い面と良い面、両方を把握していないと正確な答えは導けない。
・現代において動物は人間の奴隷である。しかし、彼らにも意識は存在している。条件が少しでも違えば君は肉になっていたかもしれない、実験動物になっていたかもしれない。彼らに感謝しよう。
・若い内は自分の居場所を求める。それ故に他人と違ったキャラを自分に求める。自分に何も無い場合、理想の自分を作り出し、それが中二病をもたらす。自分が平凡であるなら素直に平凡であることを認めて、そこから何かに向けて努力しよう。それが本当の君のキャラになる。大人になると、男女ともに自分をしっかり把握して、その上で努力している人は魅力的にうつる。
・人間は自分の仲間か、自分より上か、自分にメリットはあるか、などで人を判断する。そして、それらに当てはまら無い人に対して恐ろしく残酷なことができてしまう。差別の恐ろしいところは、あらかじめ自分の仲間ではなく、自分より下と位置付けてしまうところだ。
・人は自分の望む情報を選択的に集めようとするし、望まない情報である場合、その情報の欠点を探し不要な情報だと思いたがる。これを確証バイアスという。多くの人が自分の考えにバイアスがかかっていると自覚してない。このバイアスを互いに自覚することができれば対話はより生産的になるが、確証バイアスがかかっているから確証バイアス自体を受け入れないという人の方が多い。
・事実であってもレッテルに騙されてはいけない。例えば痴漢をしてしまった優秀な科学者の意見はみんな軽視してしまうだろう。しかし、痴漢をしたこととその人の科学者としての知識や経験は分けて考えなくてはいけない。そのレッテルと、それの持つ有益な部分との関係を考えた上で情報の取捨選択をしよう。
・人は自分の長所で人間の価値を測ろうとする。人の評価の仕方が偏っていないか自分自身に問いかけよう。
・大人は自分が優位であるはずの立場を揺るがされるのが怖いからこそ、子供に子供らしさを求めることがある。
・理屈っぽさは悪いものである風潮に騙されてはいけない。ものごとを考える時は論理的に考えるのが一番だ。ただし、対人で理屈っぽく話すのは論外だが。
・新しい何かを考える時は必ず紙に書こう。その方が効率がいい。君は頭の中だけで何を考えていたかをまとめるほど頭はよくない。頭の中で解決できるのは経験したことがある事柄のみだ。
・不条理や理不尽は減らすことができる。でも、自分以外の人も巻き込む必要がある場合、既述の理由で多くの人はそれを面倒くさいとしか思わない。労力もかかるし、君自身に力が必要だ。それでも誰かが行動に移さない限り状況は変わらない。そのつけを払うのは後の世代だ。誰かが動くことでしか救えない人はたくさんいる。
・言い訳はしてもいいけど、それ以上に自分のダメだったところをあげよう。じゃないと君は成長できないしいつまでも変わらない。でも、本当に悪い環境だったらすぐに逃げよう。
・日記をつけよう。そして1日の中で、自分の良かったところ、悪かったところ、どう改善すればいいかを毎日書こう。特にどう改善すればいいかを考えるのに時間をかけよう。
・人間の魅力は動物的(美醜、強さ、声、体格、体臭、組織での立ち位置など)な要素と、理性的(行動、知識、思考力など)な要素がある。中でも動物的な要素の方が強力で、前者のみでも世の中やっていけるが、後者のみではなかなか生き辛い。顔やスタイルがいい人間は残念ながら得だ。また、説得力は動物的な魅力を持っている人の方が高くなる。
・自分を知ろう。なるべく画質のいいカメラで自分を日中に撮影し、ビデオで自分の話し方や立ち振る舞いを録画し、一つの単語を覚えるのに何回復習する必要があるかを試そう。カメラやビデオで自分を撮影してそれを見るのが苦痛な内は、自分で自分のことを認めれていない。ブサイクならブサイクを認め、そこからどうすれば魅力的になれるか考えよう。自分の欠点を認めれていない人間は痛々しくうつる。
・論理学と科学的思考と複眼思考を身につけよう。人の言うことは偏った意見であることが多い。
・身の回りで知らない単語が出てきたら、必ずメモしたり調べたりしよう。知らないことをゼロにするくらいの心がけのが良い。ネットで検索して出てくることを覚えるのはバカというのは極論だ。知っていると理解しているは違うし、理解していないと思考を発展させることはできない。また、記憶力は関連付けることで強化されていくので、知っている事柄を増やせば増やすほど、物事を覚えることがたやすくなる。
まわりのひとから遅れること数年して、ようやく人とおつきあいをするということに興味がわいたというか、
若さしかアピールするところがいまのところないのにその若さもすぐなくなってしまうのやばくね?ってなった。
人とお付き合いするハードルは経験値0で若さも無くなればどんどん高くなるのでは??と不安になってとりあえずで行動してみたけど、
本命のひとへの足がかりに使われるというよくあるパターンになりました。デートとかは何回かしたんになー。ひでーよなー。
わたしを振った?(つきあっても無いし、告白もしてないからこの表現はちがう)ヤツ一回一日中ジーパンのチャックあきっぱなしなのに気づかず過ごしてほしいな。
いいじゃん、本命でつきあえた子は器の大きい性格もセンスもいい子なんだからさー。
一番もやもやするのは、愚痴りたいけど、知り合い同士の環境で行動してたからなんか言えば一気に広まりそうでいやなとこだな。
あの子ようやく行動して振られてんだ笑って思われそ。被害妄想かもしれないけど。
つか、まわりのひとも煽ってこないでほしいよ。
いけるよーとか簡単に言うなよな。おもしろがってるっていうか応援はしてくれてたんだと思うけど、なんか、調子にのらせないでほしい...。いけるわけないじゃん常識的に考えてこんな経験値0で美人でもなんでもないやつが...。
まわりのひとの恋愛のわきまえかたがわかんねー
とりあえず、今後はあせってもしかたないから女子力および人間力を改善しつつ、恋愛じゃない本業のほうも楽しくレベルアップしていけばいいのかなーと思う。
あとほんま新しい環境で新しい友達つくりたい。男女問わず。習い事するか。茶道したい。
あんまスポーツ系とかのリア充的習い事ではなくて、もうちょいハードル低いけどセンスもアップできそうで友達もそれなりにつくれそうな習い事ないかなあ
まわりは海外で作れとか言うけどさ日本で恋愛所作できないくせに海外でできるわけないじゃんねー
まあ、深く落ち込まず、最初にしては楽しくデートできたしひさびさにいつものともだちじゃないひとと遊びに行けて新鮮だったしそこらへんはよかったと思おう。
なんかすごく頑張ってるし応援したくなるのに、「彼女と」の3文字だけで、「楽しそうだね」「彼女とやってるなら孤独じゃないね」とか、すごく反発方向の感想が沸いてくる自分のリア充嫌いにうんざりする。
非リアのおとぎ話を聴かせよう
予想外に好みで熱く愛おしいゲームだったのでだらだらと感想文を書く。
本編ネタバレあるので注意してくれよな!
まず、リア充爆発アドベンチャーと思いきや、リア充はほんの一握りしか出なかった。
エリートの正体が牛丼屋店員って時点で、あっ、これはリア充に憧れる非リアの話なのかもしれない。と思った。
ただ、幼馴染と小学生は非リアというよりかはリア充、って感じだったのでそこは主人公の心理描写を強めつつシナリオ進行のためというのもあったのかなと。
ラストの超展開はちょっと頭ポカーンとしたけど、俺氏の成長と熱い叫びとシルへの想いがとてもよかったので終わり良ければすべて良しってなった。
最終的に心に残るものさえあれば途中の疑問やほころびなんてものはどうでもいいのだ。
何者でもないしあんた(他者)でもない、俺(俺氏)は俺(プレイヤー)だ、って毎回言ってくれるのがいい。
あとたかしな。カーチャンモブで出てきたときはカーチャンwwwwって笑ってたけど、たかしが出てきたときにカーチャン現れた時めっちゃ泣いたずるい。たかしの炎上バトル終了後の叫びもずるい。
そして(俺側に)共通の知り合いが極力少ない人と付き合い
でも世の中には同じ学校やら同じ職場の人たちと恋愛し、結婚する人結構多いんだよな
俺の業種は半分くらいは職場恋愛、結婚じゃねーのってくらい多い
でもさ
恋愛するってことはそれなりに、いや、ベストコンディションに近い状態じゃないとできないだろ?
クラスで黙殺され、一人で飯を食ってるスクールカースト最底辺の俺や
ミスを連発し、蛇蝎のごとく嫌われ、罵倒されている俺では恋愛できる気がしない
そしてそんな俺を好きになる女もいない
ゲロ吐くほど嫌な学校や職場で恋愛、結婚相手を探すエネルギーも沸かない
でもさ、これって逆に言えば職場恋愛してる奴らは学校や職場でベストコンディションなわけだろ?
学校や職場の自分はパートナーに見られても心配されないような人なんだろ
人生の大半の時間を注ぎ込む学校や仕事中がベストコンディション…もしくは休日と同等のコンディションなわけなんだろ
職場恋愛は公私がわけられないから嫌とか聞くし、俺も一言で言ってしまえばそういう理由で職場恋愛が嫌なんだけど
なぜならどっちも充実してるから
面倒だから詳しくは書かないけど、自分が受け取る情報量と幸福感の度合いは反比例するみたいだね。ここ半年の生活感の変化に非常に感動したので、この場でシェアしたいと思う。
これは厳密な心理学の研究結果なんかでは全くなくて、単に半年間(無理のない範囲で)ネットとテレビから離れた自分の実感だから、効果には個人差があるのかもしれない。とはいえ、少なくとも長年悩まされてきた抑うつ感、不安感、焦燥感のようなネガティブな感覚は日常から消え去ってしまったし、以前はリアルでの人付き合いが嫌いで仕方なかったけど、最近はわりと楽しめるようになってきた。あと、何かをやる前から怖気づくことも少なくなったし、そもそも何かをしようとする気持ち自体が増してきた印象すらある。
その代わり、当然、世の中の動きとか政治問題には疎くなってしまう。しばらくぶりに増田をのぞいたらどこか遠い国の出来事に感じてしまうくらい、かつての情報に対する感度、皮膚感覚はなくなってしまったようだ。むしろ最近は人に何かを話すよりも、人の話を聞きたいという気持ちの方が強くなってきた。
たった半年でこれほど精神面での違いを実感できるとは意外だった。この実感から自然と思いついたのは、自分を苦しめ続けてきたのは、世間を騒がせる問題や自分の不甲斐なさ、能力不足ではなくて、単純に多すぎる情報だったのではないか、ということ。
ただ、これは「満足な豚であるより、不満足な人間である方が良い」という価値観を真っ向から否定する生き方なので、知的で思慮深い増田ユーザーの多くに反感を買う考え方かもしれない。
また、これはSNSで見られるような「リア充」とは何か違う感じがする。肩の力が抜けて毎日を楽しめるものの、他人に自慢できるほどのことは何もしてない。自慢するために何か変わったことをしたい、という気持ちもあまりなくなってしまった。楽しければベタでも別にいいじゃん、ってノリで満足できる。
とはいえ、日常が満ち足りていて、朝起きることが楽しみで仕方ないという生活は、現代的な情報収集&情報発信に余念のない生活と比べても、それほど悪いものではないと思う。日常に何か変化を起こしたいな、と思う人がいたら、暇つぶしに試してみる、実験してみるくらいの気持ちが試してみて。経験上、3週間くらいで変化が出てくるはず。効果が出るまでは禁断症状がやばいけどね(笑)
食品だって食べ過ぎても、食べなすぎても健康を害すように、情報も不足すれば生活に支障をきたすけど、過剰でも(特にそれを処理する脳、ひいては精神機能に)問題が起きるのかもしれないね。
中学生のころ、ブームは過ぎていたけれどがっつりCoccoにハマり、その後に椎名林檎や天野月子、鬼束ちひろなんかにハマった。
その話を腐女子の友人たちにしたら、皆似たような道を通っていたわけで。
「はてな」のアカウントを作ってみたけど、アイコン画像を何にしていいか決まらない。
上に挙げたようにそれぞれにマイナスイメージがあって、結局のところ初期のアイコンのまま。
でも、
ってイメージがあるので非常に辛い。
誰かオススメのアイコン画像を知ってたら、こっそりと教えてください。
凹ませてしまった人もいるみたいだけど、あくまで一個人のイメージなので気にしないでほしい。
アイコン画像でも著作権や肖像権の侵害になるのは知らなかった。
犯罪者呼ばわりされたくないので、そのような画像(アニメ、芸能人、人が撮った写真etc)は使わない方向で行きたい。
自分で描くのも、中学でテストの点は良いのに5段階評定で3だった自分にはハードルが高い。