はてなキーワード: ケーブルテレビとは
ケーブルテレビ普及率が高いところはだいたいそう。
おたくは引きこもりが苦にならない。ただしそれはみたいアニメはオンデマでとどきみたい同人誌が通販で届く限りにおいてだ。
足りなければ出先では豊富な無料wifi、家には必ずサービスエリア内のケーブルテレビを頼むことで好きに暮らせていた
もちろん同人誌は東京都内でイベントをやるので本の頒布代と山手線代(通勤定期からはみ出る部分だけ)払えばよかった
まずウイルスを他の都道府県できっちり絶滅させかけてたのに嬉しそうに夜の街に通って生き延びさせ広めたのはお前ら都民
「通販同人誌が買えないのはなぜか」ってアンケートしてた 高いからだってさ 笑止
俺たち田舎民が今までイベントに出るのに何を犠牲にしていたのかしらないのか
被差別民たる田舎者はずっと前に自力で解消しているのでこの状況でも通販告知がよほどわかりにくくなければどんどん買っている
田舎でもオンデマ配信ケーブルの届くところに住んでいる たりなければディスクを買っている
田舎でも通販35%の手数料+送料を快く払ってきたから高いなんていうわけがない
(それでも新幹線代払って新幹線代より安い新刊もって帰るよりはずっとマシなんだ)
子供、貧乏人も無分別なまま「おたく」を自称して楽しめていた都民がおかしいだけ
どうしても同人誌を今までみたいに売りたければ二次の電子書籍化を自粛する風潮やめろ
「紙ならお目溢しされる」という考え方がおかしい
だれもそんなこといってねえよ 著作権法総務省サイトで読んでみろ
https://twitter.com/dash_yariyumi/status/1289873560836534272
俺は5人家族、3兄弟の末っ子で上には兄と姉が居る。兄は絵に描いたような優秀な人で、頭のいい大学を出て新卒で入社した会社でも上手くやっているので、周囲からはよく「自慢のお兄ちゃんでしょう。」と言われる事があるし、肯定している。下の2人の手本になる様な人であれという両親の言葉を苦にもせず実行する姿を俺は尊敬している。
対する姉は、そんな兄の妹とは思えない様な人で、昔から小学校や中学校では「あの人の妹なのに」と言われていた様だし、俺も先生達から「君はお兄ちゃんに似ていて良かった。」と言われる事が多かった。「あの人の弟とは思えないくらい真面目だね。」と言われる事すらあった。ここでは、そんな姉の話をさせて欲しい。
我が家は学歴にコンプレックスを持つ母とそんな母に言いなりな父に育てられ、母は俺達が幼い頃から「いい大学に出て、良い会社に就職するんだよ。」と教え込んでいた。兄は幼い頃から他の子達よりも優秀で、褒められてばかりの少年だったので母は自慢に思っていた様で、その頃兄と同等程度の学力を発揮していた姉を小学校1年生の頃から塾に通わせ、学校の授業の範囲を先取りする形でどんどん吸収させ、兄より優秀な娘を作ろうとしていた。また、ロングヘアも可愛らしい服も似合わないと笑われた過去をトラウマとしていて、それの当て付けの様に姉の髪を伸ばし、可愛らしい服を着せていた。姉はそれを従順に受け入れていたし、身内の贔屓目もあるが姉はかなりの美人であった為、幼少の頃の姉は俺にとって「可愛いお姉ちゃん」だった。
転機が訪れたのは、姉が小学校4年生、俺が小学校1年生の時だった。よく一緒にケーブルテレビで放送されていたスラムダンクを兄弟3人で観ていた俺達は、3人で地元のバスケチームに入りたいと両親に相談をした。
父は「スポーツを習うのは良い事だ」と賛成していたし、母もスポーツに興味を持った俺達を喜んでいたが、入部を認めて貰えたのは俺と兄の2人だけ。姉は「お姉ちゃんは大事な塾があるからそんな暇無いでしょう。」と却下されてしまった。その時姉は「それもそっか、塾と被るもんね。」と笑っていたが、その後子供部屋に戻った時、ボロボロと目から涙を零して「行きたくて塾行ってる訳じゃないのに。」と泣いていた。俺はそこで初めて、姉の本心を知った。兄はそんな姉を見て「母さんを説得しようか。」と声を掛けていたが、泣きながらも姉は「いい、無駄やと思う。」と首を振っていた。
それから姉は、塾をサボる様になった。塾の時間に外に出て居るものの、友達の家で遊んでいる事を俺は知っていた。姉の友人の弟もまた、俺の友人であったからだ。でも俺はそれを両親に報告もしなかったし、姉に知っている事も言わなかった。しかし、なんだか俺は悪い事を姉と一緒に隠しているつもりになってしまって、落ち着かなかった。
塾からはいつも、姉が居ない事について電話が来ていたらしい。父がよく連絡を受けていたらしいが、父にも思う事はあったのか母には姉が塾をサボっている事を伝えていなかった様だった。悪い事は、父も一緒に隠していたのだと思うとなんだか安心したが、偶々その日家に居て塾からの連絡を受けてしまったのは母で、母は全てを知ってしまった。そして、帰宅した姉の髪を掴んで家の柱に顔を打ち付け、殴り、11月の寒空の下、ベランダに締め出した。姉は泣きながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返していて、兄も俺も助けてやりたかったけど、母はそれを許さなかった。あの日、父が母を説得して家の中に入れてやるまでの3時間程度の間、俺と兄は母がトイレに行った隙にこっそり姉にカイロを渡す程度しかしてあげられなかった。
やがて、両親が離婚した。原因はまだ幼かった俺に説明は無かったが、兄と姉は知っている様だった。でも姉は「知らない方がきっとお前の為だから」と言っていたし、兄は「両親がお前には教えないと判断したなら、俺もお前には言えない。」と言っていたので、理由は知らないままであるが、兎に角離婚した。そして、俺達兄弟は父に引き取られた。母は少し離れた場所に引越し、1ヶ月に1度程度会う関係になった。
母の引越しが行われた日。母が出て行ったのを見送った姉は、そのまま一人部屋を得ていた兄の部屋へと向かった。俺も暇だったので何をしているのかと着いて行くと、姉は兄に「ねえ、お兄ちゃんの着れなくなった服ちょうだい。」と言い出した。「男の服だからお前が着ると変だよ。」と言う兄はそれでも、持っていてもどうせ着れないからと姉に小さくなった服をあげていた。いつか、俺が大きくなったらお下がりで貰おうと思っていた服もその中には混じっていて、姉はそれを嬉しそうに受け取るとリビングで着替えた。女の子らしい、可愛らしい服ばかりを着ていた姉が、男の子の格好をしているのにそれはそれは強烈な違和感があったし、見ていた父も何事かと首を傾げた。
次に姉は、そんな父の所へ行って「髪の毛切りに行きたい」と言い出した。父は了承すると姉に美容室代を渡して、姉は通い慣れた地元の美容室へと一人で出掛けて行った。リビングでそれを見ていた俺についでと言わんばかりに父はお小遣いをくれて、「これで駄菓子屋(美容室の隣にあった。)行ってお菓子買って、姉ちゃんとわけっ子して2人で帰っておいで。姉ちゃんの事待っとくんぞ。」と言った。俺は了承してウキウキで駄菓子屋へ自転車を走らせ、駄菓子を沢山買って店の前で姉が美容室から出て来るのを待っていた。
店の前に出て20分くらいだろうか。美容室のドアが開く音がして顔を向けると、そこには男の子の服を着て、髪をすっかり短く切った、ジャニーズ風の雰囲気の髪型になった姉が立っていた。「え、そんな切ったん?」「うん、長いの嫌やったっちゃん。てか何でおるん?」と会話をしている相手は姉なのに、見たことも無い姿にやっぱりなんだか違和感があった。離婚を機に、姉は塾も辞めたらしい。「ホントはずっと塾も長い髪も嫌やったっちゃんね。男子の服の方が動きやすそうやし、かっけーしさ。」と笑った姉は、何だかいつもより楽しそうだった。
中学生になった姉は、優秀な兄と比べられるストレス、兄が優秀な分同等の価値を求められるストレスから段々とおかしくなっていった。ちょっと悪い人達と一緒に居るようになって、学校をサボる様になった。髪を染めてピアスを開けて、知らない人みたいになっていった。偶に会う母と姉の関係は冷え切っていた。理想とは真逆を進み始めた姉を母は受け入れられなかった様で、居ないものとして扱うようになってしまったし、姉は「元々ね、うちと母さんは理解し合えんのよ。やけん仕方ないね。」と笑い飛ばした。結局姉はそのまま中卒で社会に出た。
俺が高校生になった頃。よく姉が仕事の休みの日に家に連れて来る女の子が居た。その子と姉は休みの度に会っているようで、なんだかやけに親しげだった。
姉は俺のテスト期間や週末に休みが被ると、よくご飯に連れて行ってくれて、多少値が張る店でも俺が好きそうな飯がある店によく連れて行ってくれていた。その日は個室タイプの居酒屋のランチ営業に2人で行っていて、聞けるのはこういう時しかない、と思って俺は口を開いた。
姉は驚いた様に目を開いて、暫く迷う素振りを見せた後静かに首を振った「違うよ、でも、最近連れて来るあの子と付き合ってんの。」そう零した姉に、俺は首を傾げた。女と付き合ってるならレズなんじゃないの?そう言おうとした俺に姉は「今からね、お前がびっくりする話すんね。でもお前にしか言わないから皆には秘密ね。」と続けた。
話によると、姉は性自認が人と少し違う人だった。でも、性同一性障害という訳でもないし、自分が女であるというのは理解している。でも、自分が女だという事に強烈な違和感があり、だからといって男なのかと聞かれればそれも違和感がある、所謂「性自認がどちらでもない人」だった。後で調べた話、こういう人をどうやら「Xジェンダー」と呼ぶそうだ。
そして、姉はレズビアンではなくて、性自認がどちらでもない関係上、女も男も異性であり同性。そして、自分とは違う人達という認識で、そこに差を持たない生粋のバイ・セクシャルだった。でも、男と付き合うと女である事を強く求められるけれど女と付き合うと自分のままでも受け入れてもらえるからと、女性と付き合う事が多いのだと話していた。
その頃の姉は奇抜な髪色に、耳と顔に沢山のピアス。そしてやっぱり、男性物の服を着た性別も年齢もよく分からない様な見た目をしていて、「そういう格好もわざとなん?」って聞いた。そしたら姉は「女を押し付けられたちっちゃい頃の反動。分かんない、反抗期なんかな。」と煙草を片手に笑っていた。俺は姉を「姉ちゃん」と呼ぶのを辞めた。友達みたいに、名前で呼ぶようになった。姉はそれに気付いたみたいで泣きそうに潤んだ瞳で一言「弟のくせに生意気」と言った。
そんな話から3年後。姉に珍しく彼氏が出来た。親や兄の前では特に触れてなかったが、彼氏の紹介を終えた姉は俺の部屋に来て「あんね、彼氏ね。うちの性自認も理解してくれる人なん。」「女の子やなくてね、うちのままで居ていいって言ってくれたん。」と嬉しそうに笑っていたし、性自認を打ち明けられない息苦しさと、女性と付き合うことによる周囲からの偏見の目に晒されていた姉の言葉に俺は夜じわじわと一人で寝る前に泣いた。幸せになって欲しかった。姉は派手な見た目と素行から誤解をされがちだったが、いっぱい我慢して来た人だった。そして、誰より優しい人だった。自分を殺してでも、周りが求める理想に従順である努力を、ほんの幼い頃から出来る人だった。ふたつしか貰わなかった大好きなクッキーを、「兄ちゃんと弟にあげるから」と食べずに持って帰って来る様な姉だった。人の為に、が出来る人だった。反発の仕方が分からなくて、反骨の仕方が上手くいかなくて、すっかり周りからは「グレたヤンキーのどうしようもない娘」だと思われていたけど、俺にとっては大好きで大事で、自慢の姉だった。
社会に出るまでの道筋は兄が示してくれた。でも、人に優しくする方法は、いつだって姉が示してくれた。
半年後、姉は彼氏と同棲を始めて家を出た。寂しくて、荷造りする姉の手伝いをしながら、昔話を2人でして、引越しの前はアルバムなんか俺が引っ張り出してきて、あんな事あったこんな事あったと話して2人で泣いた。随分派手な見た目になった姉は、それでもやっぱり昔のままで「うちの事受け入れてれてありがとう」と嗚咽混じりに告げた。髪が長くて可愛らしい服を着た「可愛いお姉ちゃん」は、見た目が変わってしまってもやっぱり美人で、俺にとっては「かっこいい兄弟」にランクアップしただけだった。姉は泣き腫らした顔で翌日旅立った。俺はその日、寝る前にまた一人で泣いた。
姉には幸せになって欲しかった。やっと姉が、姉のままで居られる環境に旅立てた事が自分のことの様に嬉しくて、次会った時にもっと男みたいになってて、俺よりよっぽどイケメンになってたらどうしよう。なんて再会を楽しみに思っていた。
思っていたのに。
髪を伸ばして、派手な色もやめて、ピアスだって全て外して、綺麗めな女性の服を着て、パンプスなんか履いていた。一人称は「私」になっていた。父には「やっぱ私さ、実家が好きだわ〜!嫁に行けんでごめん!」とか言って笑い飛ばしていた姉は、荷解きをする為に戻った自室で1人で泣いていた。
「びっくりした、めちゃくちゃ女になってて。」
「だって、そうしろって言われた。隣に並ぶの恥ずかしいってさ。」
嗚咽混じりに聞いた話はあまりに酷い話だった。
彼氏が姉の性自認を受け入れてくれたのなんて嘘だった。姉と付き合いたいが為に理解者のふりをしていただけで、同棲開始直後から女である事を求められ、髪は伸ばし黒く染め、持っていたメンズやユニセックスの服は捨てられた。一人称も、喋り方も矯正させられ、前の喋り方が出ると「気色悪い」と詰られた。
「お前みたいな厨二病のメンヘラと付き合ってやってんだから」と姉に言い聞かせ、2年間ずっと都合のいい存在として消費されていたらしい姉の話は、俺の心にずっしりとのしかかって来るなにかがあった。姉には幸せになって欲しかった。姉にはありのままの姿で生きていて欲しかった。泣いて帰って来てなんて欲しくなかった。
俺は財布から金を抜いて姉に渡した。「俺、お前のショートヘア大好きだったよ。かっけーもん。」
俺のお下がりの服は、体格差から姉にはかなり大きかったけど、それでも小さいサイズのものを選んで貸した。あの日から10年以上経って、姉は今度は兄ではなく俺の服を着て美容室へ向かい、長い髪の毛をすっかり短くして来た。ツーブロックまでした姉を俺はあの日と同じ様に駄菓子屋で待ちたかったけど、駄菓子屋は改装して雑貨屋になっていたから、雑貨屋で姉の部屋に飾るアクセサリースタンドを買って、袋を提げて店の前で待っていた俺に姉は「お前もおっきくなったね」と笑った。やっぱり中性的な姉は美人だった。
俺は5人家族、3兄弟の末っ子で上には兄と姉が居る。兄は絵に描いたような優秀な人で、頭のいい大学を出て新卒で入社した会社でも上手くやっているので、周囲からはよく「自慢のお兄ちゃんでしょう。」と言われる事があるし、肯定している。下の2人の手本になる様な人であれという両親の言葉を苦にもせず実行する姿を俺は尊敬している。
対する姉は、そんな兄の妹とは思えない様な人で、昔から小学校や中学校では「あの人の妹なのに」と言われていた様だし、俺も先生達から「君はお兄ちゃんに似ていて良かった。」と言われる事が多かった。「あの人の弟とは思えないくらい真面目だね。」と言われる事すらあった。しかし、俺は幾らだって言いたい。俺を優しいと言うけれど、その優しさは姉から貰ったものだった。優しくて、生きづらくて、それでも決して誰かを悪く言わない強い姉だって、昔から兄と同じくらい自慢の姉だった。
あるケーブルテレビの会社はこのご時世にも訪問営業をやめない方針なんだろうか。
ピンと来る人もいるかもしれないけど、某ケーブルテレビ会社はメンテナンスと称して家に上がり込んできて、点検(5分ぐらいで終わる)をして残りの時間をとにかく営業に使う。
メンテナンスと書かれているし、マンション自体が導入しているから義務だと思ってちゃんと連絡をする人は多いと思う。
でも管理会社に聞くと任意らしい。任意なら義務感出さないでほしい。
ちなみに連絡しないと毎日毎日同じ内容のチラシをポスティングされる。
数年前に初めてその案内がポストに投函されたときはちゃんと日付を指定して訪問させた。
いらない雰囲気出しても粘るので、そろそろ出かけないといけないから…と言うと捨て台詞吐いて帰っていった。もう訪問させないようにしようと思った。
今年、コロナの話が広がってからこのチラシの投函がなくなった。
訪問する側の従業員のリスクも、家に上げることになる顧客側のリスクも高いからそりゃそうだよなと思った。
が、緊急事態宣言が解除されてしばらくして、例のチラシが投函された。
文面は変わらず、メンテナンスにおうかがいしますので◯日~◯日の間で都合のつく日程を教えてくださいと。
おいおいマジかよ…と思いつつ、コロナがあろうがなかろうが家に上げたくなかったので無視。
反応あった家にだけ行くんだろうか…。
そんなことを思っているうちにチラシに書かれていた日程になった。
やっぱり来ないんだな、それが安全だもんな、と思いつつ数日経った頃、チャイムが鳴った。
居留守を使ったけど、結局日時を変えて2回来た。2回めも居留守した。
隣の家の人は応答してたけど、家には上げずにインターホン越しだった。さすがに何を話していたのかまでは聞いてない。
とりあえずアパートにケーブルテレビ屋が工事するから都合の良い日付を書いて提出しろという紙をポスティングしてきたが。
今まで使わないから契約してないし、今後もその予定はない(むしろ様々なことがうまくいけば、早急に出て行く予定)
もし、大家さんなり不動産屋さんが全戸見れるように契約に関係なく準備工事を入れる意図でやってるなら、まずその人たちから一報を入れて、工事日程の希望調査が本来の筋道というもの。
というか、それがない時点で誰かが契約して工事することを機に他にも押し売りしようって話にしか思えないので無視するけどね。
部屋を借りる契約にあたっても
と言われてただけだし。
それについて条件変更と言う話もない。
女の子と夜ご飯を食べた。その後、女の子がうちの部屋に来ることになった。それが土曜の夜で、
明けて日曜日の朝。近くにあっても一度も行ったことのないドトールコーヒーでミラノサンドを食べたりした。
世はワールドカップの乱痴気騒ぎで、北区ケーブルテレビではフジロックの総集編が流れてた。
10階のマンションの部屋からは、赤羽駅が見下ろせた。秋晴れの日曜の午後の明るい部屋。
多分事情は、僕が「おまんこ見たい」とか言ったんだろう。彼女は「ええー。たさんも脱ぐならいいですよ」と、
二人は下半身裸になっていた。立てた膝の真ん中にある、女の子のおまんこを見た。
おまんこだ。おちんこは半立ちだった。「ど、どうですか?」。僕は鏡を持ってきて、
彼女の前に立てた。「わあー、初めて見るー。ほんとだ、穴が開いてるー」。
「ちそこ見せてくださいよ。これでいちばん大きいんですか?」「いや、ふにやふにゃ」 。
彼女は体をくねくねさせ「ほら見て私の胸」とかエッチな振りをし始めた。
そうすれば大きくなると思ったんだろう。ぴくんとしただけでしぼみそうなちんこを、
そんな短絡な!と思えど女の子におちんちん握られてるエロさもあって、
がああと襲い抱きつきたいのをがまんしてたら、「なんかぬるぬるがでてきた」と言う。
指にとって糸をひくのを何度か確認したあと、僕の口元に出して「舐めて」と言う。舐めた。
「オナニーしてくださいよ」「舐めてくれるんですか」「嫌ですよ」。
目を開きながら、頭の中で「綾波レイっぽい、会社の同僚のエロ同人誌描きの地味でおとなしい女の子が泣いてるのを、
「まあしようがないじゃないですか」とのんきにいたずらする状況を想像(鉄板のおかず)したら、
おちんちんおっきくなって、「わーおっきくなった。こんなの絶対入らないって」と硬さを確かめたり、
どさくさに紛れて髪の匂いかいだりしたらいった。普段はティッシュで受ける精液が手のひらに、
彼女の太ももにたぜつけてやった。「ぎゃーっ!!」。「なんかドロッとしてる。もっとサラサラしてると思った。」
少し肌寒くなってきたし、汚れたし、二人でシャワーを浴びた。広くない浴室になぜ二人でという違和感もあったが、
お風呂場の前で二人は服を全部脱いで、肌がぶつかりながら一つのシャワーヘッドで身体を洗った。
途中「毛を剃りましょうよ」と言われ、ちょっと剃られた。お風呂場ではおちんちんは地面と平行に勃起したままで、
彼女にぺちぺち当たるしじゃまだったが、彼女はそれには何も言わなかった。
「ちそこはこうやって洗うんですか?」とボディソープをおちんちんに塗ってにやにやされたとき、
これくらいはいいだろう、と後ろから軽く彼女に手を回した。肌と肌がぴったりと吸い付いて、
その間の20秒間くらい僕も彼女も声を出さずに体の動きをぴたっと止めた。
僕がため息を吐きながら手を解いた。やがてふらりは動き出して、身体を流し始めたとき、
僕は彼女の片方の胸をもみってしたら、「信じられない」みたいな顔をされ、
軽蔑やら何この人みたいな目で見られた。
それから服を着て、ふたり毛布にくるまってフジロックを見てたか、
晩ごはん何を食べるか話してたんだろう。
局の数の多い少ないはあっても全国どこの地方に行ってもローカル局ってあるじゃん。
そんでもってキー局の系列局だから基本的にメインの番組は東京と同じ番組が見れるようになってる。※一部地域を除く
日テレ系列で放送だからって楽しみにしてたら深夜は放送休止とかやめろ。
大人になってからネット局なのにうちの地方だけ放送してなかった番組なんてのもたくさんあるぞ。
ケーブルテレビがあれば他の系列局の番組が見れるって言っても結局それも近隣のローカル局だから見れない番組もあるしさ。
あとクロスネットって何がしたいの?
地方民はそんな悲しみを乗り越えてきたわけだけどそもそも今のローカル局のあり方っておかしくない?
局の数の多い少ないはあっても全国どこの地方に行ってもローカル局ってあるじゃん。
そんでもってキー局の系列局だから基本的にメインの番組は東京と同じ番組が見れるようになってる。※一部地域を除く
日テレ系列で放送だからって楽しみにしてたら深夜は放送休止とかやめろ。
大人になってからネット局なのにうちの地方だけ放送してなかった番組なんてのもたくさんあるぞ。
ケーブルテレビがあれば他の系列局の番組が見れるって言っても結局それも近隣のローカル局だから見れない番組もあるしさ。
あとクロスネットって何がしたいの?
地方民はそんな悲しみを乗り越えてきたわけだけどそもそも今のローカル局のあり方っておかしくない?
NHKの集金が来た。うちでは引っ越してきてから契約していない。理由、テレビがないから。
本当いうとアナログ放送の時代はあったんだけど、その頃はなぜか集金に来なかった。
地デジになる頃、もうテレビをほとんど見ていなかったので、アンテナも立てなかったし、ケーブルテレビにも入ってない。
そう説明して追い返そうとしたら、パソコンで見られるんじゃないか、携帯にワンセグ入るでしょう、カーナビだってテレビ映るでしょうと、しつこい。
iPhoneにワンセグないし、パソコンにテレビを見る機能は付いてない。カーナビ?車の運転どころか自転車にも乗れないんですけど、どこにナビをつければ……みたいな感じになって、やっとお帰りいただけた。
当初は仲良しグループでPS2やN64で遊んでいたのだが、金持ちのI君の家にVAIOフルタワーがやってきてから一変した。
I君は勉強ができ、部活動も熱心に取り組んでいる優等生だったのだが
俺がWinMX、Winnyでエロ動画の落とし方を教えたせいで、彼をオナニーモンスターにしてしまった。
MMORPGなどのネットゲームには興味を示さなかったのが不幸中の幸いだった。
I君の家を訪れるたびに、得体の知れないIEアドインが生えていて、得体の知れない.exeを踏んだ跡が沢山あった。
そんな頭の悪い中学時代も受験期に差し掛かり、交流が少なくなってしまった。
全寮制でエロ動画収集もオナニーも満足にできず、堅い校風が合わずに退学したという。
大検を取り、早稲田だか慶應だか覚えてないが、大学に行くと聞いたのが最後の会話だった。
I君が俺のようなろくでもない悪友を持たず、オナニーモンスターになっていなければ、どんな人生を歩んでいたのだろうか。
元気にしてるかなぁ。ごめんなさい。
学生の頃は田舎に住んでいたけど、流れるCMにとても違和感があった
ど田舎に住んでて有名どころのチェーン店なんてまったくなかった
それなのに流れるCMはケンタッキーだったりすき家だったり・・・
だ・か・ら、ないんだよ!!こんなど田舎にケンタッキーのCM流してどおすんの?
位置情報を使って、個人個人にあったCMを流したらどうなの!!?
地元の個人商店を訪ねて紹介したりとか、やるべきことあるんじゃない?
ニュースだってその地域の事故事件を流したり、その村の行政施策を伝えたり、とそのほうがよっぽど意義があるんじゃない?
ケーブルテレビがあるじゃないのっていう意見もあるけど、とても不便だよ
同じ番組を繰り返し流したり、チャンネル数多いけどものすごく退屈で質があまりに低いし、いちいち番組の開始を待っていなければならなかったり
個人に興味があるニュースを流してほしい 東京に住んでるけど地元のニュースも知りたいっていうニーズはあると思う
個人が楽しめる番組を流してほしい 視聴率1桁の不人気ドラマでも個人にピンポイントで流したらもっと視聴率は上がると思う
個人が知りたい情報を流してほしい やたら料理番組だったり健康番組だったりクイズ番組だったり増えてるけど若い人が知りたいのはそれじゃない!!
YouTuberがある!!っていうけど、クオリティ低いよ・・・所詮個人レベル、テレビに全く追いついていない
Netflixなんていうサービスがあるんだから、できないこともないでしょ?
もしかしたらあるかもしれない、あったら教えてほしい
8年ほど前に捨てて買いそびれてそのまま見なくなってしまった
2年前に引っ越した今の部屋が電波の悪い地域で、ケーブルテレビ必須の環境で
テレビ持ってないし見ないし、と結局ケーブルテレビの回線は契約しなかった
アマゾンプライム入ってるし、動画でも見てみるか とスマホで視聴していたけど、やっぱり映画はある程度大きな画面がいい
けどそうなると、PC用の大型モニターになるんだろうか。テレビは買っても回線ないので見れないし
手持ちのノートパソコンに大型モニター繋いで視聴か、なんだかあんまりスマートじゃないな
モニターじゃないとすると、iPad Pro とかどうだろう?と思って見てみたが、
父はPC98の時代からパソコン通信をやっていた。通信中に動かすと回線が途切れるだかで、よく近くではしゃぎ回っては叱られていた記憶がある。
それからwindows95が出た。私が高校生の頃だ。父は相変わらずオタクだったから、地元のケーブルテレビの常時接続のサービスを探し出して契約していた。ISDNの出回る前からネットが使い放題だったのはかなり贅沢な高校生だったと思う。
仲間はテレホマンが多かったので深夜から明け方まで毎日交流した。自然と学校は寝る場所と化したがなんとか卒業させてもらった。
遊んでいた人達には大学生が多かった。研究室という場所から接続している人も多いらしかった。またプログラマーを生業としている者もいた。当時よく一緒に同じゲームをしていた奴の一人は院で大層な論文を書き、今はグーグルに勤めていると聞いた。
もちろん中には普通のOLなんかもいたが、今から思い返すと今ほどには普通の人はいなかったと思う。あの頃、インターネットにたどり着くだけでかなりのふるい落としがあった。PCも高価だったし、普通の人がなんとなくインターネットをやれることは少なかったように思う。
それから10年が経って、インターネットはかなり一般化したように思っていたが、今から振り返ればまだまだそんなことはなかった。多くの人はガラケーを通じてimodeという閉じた世界に隔絶されていたし、それが紛い物であることにも気付いていないようだった。
思えばインターネットがたしかに存在していたといえるのは、このあたりまでかもしれない。我々は明らかに隔離されていて、その状況を好ましく心地良いものとして享受していた。
そしてスマートフォンが現れた。ジョブズの大発明は全てを変えた。ジオシティーズやxreaを借りてhtmlを書き、自分の書いた文章が世界に発信される感動を知ることもなく、普通の人がごく当たり前にツイッターやインスタグラムを使うようになった。
もはや、ネットで通じ合うのはそこら辺ですれ違う普通の人たちだ。かつてあったインターネットは消滅して、代わりに現実社会の写し鏡が出来上がった。
ネット空間で人々は毎日諍いを起こしている。口を開けば論争になる。承認欲求や共感がより鋭い言葉を生み出す原動力となり、思想は狭量の免罪符に取って代わり、主義主張は単なるコミュニケーションの手段に成り果てた。
ウェブ空間はアフィリエイターが占拠し、ブログビジネスは大量生産されたゴミの山の大きさを競うゲームに変質した。SNSでは情報商材のようなマイルドな詐欺が横行し、それをインフルエンサーが後押しする。
製品はマーケティングの付録に過ぎなくなり、人々のコンプレックスにはターゲティング広告が容赦なく食い付く。今日もまた、データ至上主義の起業家が全能感を振り撒いている記事が流れてくる。
集合知に感激し、Wikipediaに感謝していた頃、インターネットにはすべてがあると思っていた。だが必要な情報を得るコストは際限なく膨れ上がり、グーグルという神の掌の上にいる我々にはもう何が真実なのかを知る術もない。
インターネットに雷鳴を受け、人生を大きく揺さぶられたあの頃に若者だった人達に問いたい。あなたたちが夢見た世界はこんなものだったのかと。
もしかすると梅田望夫さんはとてつもなく未来が見えていた人なのかもしれないと今更にして思う。
このインターネットに対する深い失望が、日本の困難な時期と重なってしまったことは本当に悲劇だ。分断と先鋭化を生み出すこの装置によって、我々は団結することを阻害されている。
この一、二年でインターネットが有害なものであることはかなり認識されてきたと思う。でも、そこまでだ。問題の存在がわかったところでこのひどい現実を変える方法は見つかりそうにもない。
日本がまだ保っている間に、人々はインターネットの正しい使い方を学び、この地獄から抜け出すことが出来るのだろうか。もう残された時間はほとんどない。
NTTの退職エントリに多い本社系やエンジニアの業務でなくもっと最前線のカスタマーと日々関わる営業系の会社に四年ほど勤めて退社しました。
非常に待遇の良い時期から必要なくなった人材や場所に対するNTTの非常に合理的な排除と、なぜか守られる年配社員とのギャップに嫌気がさして転職をしました。ただ誤解がないように言っておくと一般的なモラルのない人は多かったけど、全体的な中の人の人柄は良かったです。モラルがないというのは課長以下の非正規社員に対する権限が過大なため、パワハラやセクハラ、中でも不倫が本当に多かった。退職後に離婚して不倫相手と再婚した上司も1人2人ではなく、不倫は少なくともNTT内部では黙認されている文化でした。
前職を辞めて転職活動期間の場つなぎ的なつもりでNTT系の営業会社に入社、いわゆるコールセンター業務で既存のカスタマーとの対応がメインの職種でした。
約一ヶ月の研修を経て現場に着台すると女の人だらけの職場の為、上司との縦関係の人間関係とは別に誰が力を持っていて、誰と誰が仲が悪いかなど人間関係でかにするべき要素が色々ありました。幸い、最初についた上司がセンター内で力を持っているタイプの上司でいろいろな仕事を教わりましたが、その中にはパワハラ的な指導も多く自分より後に入った2人の後輩はメンタルをやられて休職となりました。(自分は男、上司は女性です)
前職で何も物を売らずにお金だけもらう仕事をしていた為、アクセスラインやサービスを提供して金銭の授受を受ける仕事には当初やりがいを感じており顧客対応のスキルも良好で一年目から全国のセンターでも上位の成績を抑えてインセンティブを大量にもらうことができました。
当時のNは固定回線市場もおおかた開拓し尽くされ、ケーブルテレビやその他固定回線とシェアを取り合っている状態で新規回線の獲得や辞めようとしている人をあの手この手で引き止めることで給与とは別に報酬が発生していました。基本給だけではワープアレベルの契約社員が、このインセンティブをもらうことで年代別の年収平均くらいまではもらうことができました。(基本年収給240万+インセンティブ160-240万)
その中で自分はプレイヤーとして全国でランキングに載る程度の成績をキープし、いろんなホテルでの表彰式や船上パーティーなどにも参加することができました。(2010年代の話です。)
そしてその後、NTTのアクセスライン設備を他社に利用させることで営業は他社に任せて設備だけ維持しておけば金が入る夢のシステムをビジネスデザインの偉い人たちが考え、場所における需要がなくなるとインセンティブは十分の一に縮小されると共にそれまで馬の前に吊るされた人参的に契約社員のモチベーションとなっていた正社員登用もセンターで年に1人程度から全国で2-3人と大幅に縮小してきました。
当時自分はプレイヤーとしては成果を残してチームのマネージメントを契約社員として担当しておりましたが、給与は最盛期の半分程度にもかかわらず、客先に出向き謝罪をしたり法的なリスクのある案件をハンドリング、正社員として入社した社員の指導などを担当していました。
スキル的な意味では非常にタメになった期間だったのですが、いかんせん報酬と仕事が見合っておらず転職を検討し出しました。幸いここまでの仕事で培ったスキルには業界的な需要があり、早々に外資のカスタマーサポートの内定が決まり上司に報告をして退社の運びとなりました。
上記の通り契約社員は正しく雇用の調整弁として扱われ必要な時は持ち上げ、不必要になると変動できる給与を残しておきそちらをバッサリいくのは合理的だなと思いましたが、同時に古くからNの正社員採用をされてほとんどまともな仕事ができず、社内のお手紙を運ぶだけの仕事を毎日している人たちが自分の給料の倍以上もらっている環境はメンタル的にしんどかったです。
契約社員も労働組合に強制加入となって毎月5000円弱の組合費を取られるのですが、組合が役に立ったことは一度もなかったです。(Nの組合は文字通り御用組合で非正規雇用に対して動くことはありませんでした。)
繰り返しになりますがNTTの中の人の人柄はいいのですが、モラルが薄く内部では不道徳が横行しております。不倫やパワハラもそうですが、一般のお客様に対して不要な黒電話の料金を取り続けたり、引っ越しや新設の際に不要なオプションを無責任に山盛り付けたりが平気で行われていました。皆さんも自身の契約しっかり見直して、不思議な内容がないか確認してくださいね。その上でコールセンタに電話する時はできれば冷静に怒らず、契約の見直しを伝えてください。電話に出ているのは不利な待遇の中で働いている契約社員か派遣社員のオペレーターばかりです。