はてなキーワード: めでたしめでたしとは
昨日話していて、いわゆる「エモい」シナリオを好んでやる人が感じるような、シナリオ内のPCの個性が発揮される盛り上がりどころが、実は自分と全く真逆なんじゃないか、という話になった。
まず前置きとして「エモシ」の盛り上がりどころを整理しておく。
僕の観測する限り、「エモシ」「タイマンシナリオ」「うちよそシナリオ」の様なものは、何か決定的な断絶、齟齬、障害などがあって、その上で、「自分がいかに考えているか」「自分がいかな覚悟であるか」「あなたの気持ちをどう受け止めたか」みたいなことを思い思いの形で精一杯RPして、それが何かEDだったり、その後のPC間の関係性に寄与していく、みたいな形式を実質的に取っているものが多いように感じる。
次に、こうした盛り上がりどころが、実際の時系列の中でどのように展開するかについて話す。これは分かりやすい所があるだろう。つまり、「何か気持ちを表明する」シーン(シナリオ内の要請)があって、次にそれ以外の日常がある。それが経過すると、また「何か気持ちを表明する」シーンに導かれていく。「エモシ」に複数行くような探索者はそうした構造を取っていると思う。
これを盛り上がりどころとして捉えている人からすれば、探索者の日常は以下のように整理できるだろう。
__/\__/\__/\__/\__
山になっているところがシナリオであり、「盛り上がりどころ」であり、言葉での表明である。そして、それ以外の所が幕間になる。
最初に真逆と言ったのは、このことだ。これが僕にとっては、以下のように見えているのだ。
/\__/\__/\__/\__/\
つまり、「その後の日常」こそが「盛り上がりどころ」であり、「何か気持ちを表明するシーン」は幕間に過ぎない、ということだ。
ここで疑問に思う人もいると思う。「なぜ日常が盛り上がりどころなのか?」と。全然盛り上がっていないじゃないか、と。最もだ。これを説明するために、「盛り上がりどころ」とは何なのか、という話をしたい。
ここで言う「盛り上がりどころ」とは、必ずしもストーリー上でテンションの上がる瞬間のことではない。PLが、真に価値があるとみなしていて、PCの行動のここだけは見ておきたい、と思う様な、その行動を見ればPCについて分かる、と確信できるような瞬間の事なのだ。
つまり平たく言うと、「エモシ」を好んでやる人は「探索者が自分の胸中をカミングアウトし、言葉によってこの先の展望を語る」シーンに魅力を感じているのに対し、僕は「それが全て終わった後で、実際に探索者がどのように動いているか」が確認できるシーンに魅力を感じているのだ。もちろん、僕も探索者が胸中を語るシーンに魅力を感じないわけではないし、逆もまた然りだろう。ただ、相対的にどちらに価値を感じ、どちらが「おまけ」であるかという点において、両者は明確に別れるのではないだろうか。
僕がなぜそのように思うのか、を先に話しておくと、「言葉で語った内容と、それが言葉通りに実践されるかは全くの別問題である」「むしろ、PCの胸中が『どのように実践されたか』が重要なのであって、それを言葉に出す必要はない」「それどころか言葉にすればするほど、特に安易にシナリオの要請によって言葉にすればするほど、それは陳腐なものになってしまう」と思っているからだ。実際にどんなドラマティックなRPをしていたかよりも、胸中が実際に行動やRPに「にじみ出る」瞬間の方にはるかに価値を置いていて、積極的に表出する必要性を感じていないということだ。
このような背景事情があるから、僕はシナリオ内で「探索者の覚悟を聞かせてくれるように」シナリオが要請するシーン――例えば、シナリオのキーマンにクリティカルな問いを問いかけられるようなシーンや、PCやKPCに自分の胸中をカミングアウトしなければならないようなシーンなどだ――をあまりシナリオの面白い瞬間として感じてはいない。しなくてもよければしないほうがいいし、するにしても必要最小限にとどめたい、というのが本音だ。それ以降感じていることは、PCの行動から読み取ってほしいと思う。
しかし、おそらく「エモシ」を積極的に楽しめる人――TLの多くの人は、そう感じない人が多いのではないかと予測する。ここで、話していた相手から面白い指摘をもらった。要約すると、「女性の場合、期待や理想を胸中に描く傾向が強いので、『RPでその胸中を強く示された』ならば、それが理想的な形で実行される(つまり、その後の『どのように実践されたか』の部分)のは当たり前のことであり、確約されていることだ。だからこそ、『どのように実践されたか』ではなくて、『どのように確約してくれるのか』の方に興味があるのではないか」というものだった。
目から鱗が落ちる思いがした。僕は今までずっと疑問だったのだ。「なぜ安易な形でシナリオに『決意』を吐かせられるようなシナリオを好むのか?」「そうして吐き出した『決意』の分だけキャラが薄くなっていくのではないか?」「なぜ、そうした『決意』なき形でのRPでのキャラ性の表出(自他問わず)は汲み取ってもらえないことが多いのか?」という様な疑問だ。(悪い言い方をある程度はしている。申し訳ない)
これらはすべて違ったのだ。むしろ、周りの人間にとっては、『胸中』と『その行動の反映』が完全に紐づいているのだ。そうだとするならば、『胸中』さえ明らかならば未来は約束されている。
これはちょうど、「二人はいつまでも幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」の部分の話だと感じた。シンデレラがどのように王子様と結ばれたか、白雪姫がそのように王子様と結ばれたか、というのさえわかれば、その後の「めでたしめでたし」は確約されるのだ。逆に、そこがうまくいかない人魚姫は水の泡になってしまう、ということだろう。
そこを僕は「でも王子様も、シンデレラの事なんか何も知らないんだから、その時にいくら愛情を表明しても持続するとは限らないよね」と思ってしまう。「めでたしめでたし」を信用しない気でいる。そうした期待や理想をあまり強く持たないからこそ、あるいはその理想は行動によってしか反映されないと思っているからこそ、「行動」の部分を説明したくなってしまう。
逆に周りの人にしてみれば、ドラマチックで最もおいしい部分を飛ばして、「めでたしめでたし」の部分だけに注目しているように映るのだろう。そりゃつまらないに決まっている。
僕が「うちよそシナリオ」「タイマンシナリオ」に行きづらいと思っていることについて、かつて「探索がしっかりしていてシナリオ強度があるシナリオなら行ける」と言ったことがあるのだが、これはこの話に直結している。「『安易な』RPでの『表明』を求められないシナリオがよい」ということだ。
であるから、ここには(まだこれを男女差と断じるには早いとは思うが)かなり大きな趣味の断絶があると感じた。人間のペルソナの切り取りをシナリオで行っているとするならば、おいしいと思う部分がそれぞれ違う、どころか、むしろ必然的な興味の差によって、背反の形で別の部分を切り取り合っていたのかもしれない、と思ったからだ。
これを読んでいる人がまだいたら(よく長い文を読んでくれたなとも思うが)、そうしたこの人にとっての「RPの骨子であり、味わいどころ」はどこなのか、ちょっと探ってみると、気持ちのいいRPがし合えるんじゃないかと思う。相手の面白いと思うところはちゃんと汲み取ってあげたいし、同様に汲み取ってほしいからね。
最後に、僕に今まで「決意や胸中を表明させる」シナリオを回してくれたKP諸君や、同卓者諸君に。面白いシナリオ体験だったと思っています、ありがとう。
いいえ、昔の日本は
平凡な人間でも給与が出て子供を育てて車や家を買っていましたが
おかしいですよね。平凡な人は優秀な人のおかげで家を持てていたんですよ?
でもそうしないといけなかったんです、優秀な人の成果だとわかったら平凡な人間は落ちぶれるでしょ
平凡な人間は自分の利益のために優秀な人を馬鹿にし続ける必要がありました
何倍も努力した優秀な人が自分に悪態をつく平凡な人間を支えなければなりませんでした。
平凡な人が自分ににそぐわない待遇を得るには誰かが犠牲にならなければなりません
それが少し前の日本でした
あれと似たようなこと多かれ少なかれどこでも起きてたんだと思いますね
そいつはちょっと面倒で、たまに拗ねたりする以外はスゲー良い奴なんだ。
それでさ、ちょっと家庭事情がよろしくない女の子と付き合っちゃって、2人で住んでるアパートに酔った父親が夜中に金をせびりに来るような感じでさ、ソイツは身を呈してクソ親父から守ってやったわけ。
プロポーズもしてさ、でもソイツも金はそんな無くて、その彼女も稼ぐために勉強したいつって、ソイツの実家に二人で転がり込んだの。
彼女は他に身寄り無いし仕事辞めてガッコー行って勉強してさ、「二人」の未来のために頑張ってたのな。
でも俺の友達はさ、ちょっとそういう生活に嫌気さしちゃったのかな、マッチングアプリで浮気したらしいんだわ。
彼女さんが俺と、俺の親友(ソイツの親友でもある)に夜中に泣きながら相談してきたんだわ。
もーね、ソイツ呼び出して、3人で膝詰め合って徹底議論よ。
「オメーは最低だ」
「何が最低って、彼女はお前以外にアテが無い状態で裏切ったことよ」
「ひとり身が遊ぶのは良いんだけどさ、お前の状況は筋が通ってねぇよな」
結局、浮気っつーか逢引?は3回くらいでさ、それが真実かは分かんねーけどさ、彼女さんに三人で頭下げてさ、「もう二度とこんなことはさせない」って俺らで誓って平謝りした。
んで、ソイツは改心したのかな、真面目に彼女だけを愛してさ、彼女がガッコー卒業して二人暮らし始めて、子供生まれて家も建ててめでたしめでたしよ。
長くなるけどな、ここからが本題なんだわ。
自慢じゃねーけど、俺らの地元はまー過疎化の進んだ、終わった土地なワケ。
小中学校は統廃合繰り返して、就職先も工場か病院くらいしか無いんだわ。
同中で地元で今も暮らしてる奴なんて、同級生600人いたけど100人もいねーと思うわ。だってここにずっといても無駄だからよ。
そうした土地でさ、ソイツ、嫁さんにせがまれて家建てたんだわ。
俺の親もさ、歳重ねて家建てたよ。土地込みで2500万だったかな。
寂れた駅から徒歩5分。でもJRの駅だからな、まぁまぁ良いだろ?
でもさ、ソイツの建てた家な、駅から徒歩30分だ。田舎も田舎の方よ。
びっくりだよな。広さもそんな無いぜ。庭込みで精々100平米ってとこか、2階建てな。
建売は嫁さんが嫌がって、注文住宅にしたんだとよ。こんな寂れた土地で5000万か。
そもそもソイツは家建てようとは思ってなかったって言ってたよ。
俺は察したね、ああ、切り札を使ったんだ、って。
あの時の浮気を許してやるからとか、色々言われて、この家を建てることにしたんだって。
きっとソイツは、もうあそこを終の棲家にせざるを得ない。
気の迷いが、積もり積もって5000万になった。
浮気の恐ろしさを思い知ったね。
神便鬼毒酒という、人が飲むと力が湧き、鬼が飲むと力を失うとても都合のいい酒が存在する。
これを源頼光や金太郎達と酒呑童子が一緒に飲んで、酒呑童子が泥酔したところで寝首をかいてめでたしめでたし。
鬼滅だと無惨様に毒を盛るのもそれを作るのもいろいろ大変だったよね。
もう何度読み返したかわかりません。
ですが、読んでみたら何か微妙というかフクザツな心境に…。
大人になった二人の物語が読めるのは嬉しいのですが、内容がトホホです。
「春助の早とちり→無理に意地を張り通す→めでたしめでたし」という展開は相変わらずなので許せますが、
ストーリーがくだらなくて悲しくなりました。
もう中高生じゃないんだから、あんな子供じみたヌルい内容では面白くないです。
春助が三浪中という設定も、すごく嫌ですね。
三浪までしておきながら、あそこまで態度がデカくて往生際も悪いなんてクズ男です。
かわいそう
誰もこないのかなーと思ったら2名参加いただきリクエスト曲も貰ってご満悦ですのよ
適当に選曲してて東風で年越しかと思いきや丁度0:00でagapeになりましたね…無計画っぷりたまげたなぁ
(結構疲れるので次回開催の予定は今のところ)ないです
甘き死よ来たれの台詞付き流したくてニコニコ使えるcytubeに行ったのに結局流さないヘタレ
まぁ人が来てくれてよかったっすめでたしめでたし
以下ログ
[22:30:47] baikoku_sensei: とりあえず23時まで垂れ流し
[22:32:32] よく来たわね、いらっしゃい 最初に半角英数でコメントすればそれがユーザー名になる(はず)
[22:37:30] test
[23:06:26] よく来たわね、いらっしゃい
[23:09:45] 「ここに発言内容を入力」の床に適当な半角英数字入れればコメントできるようになるはず…
[23:12:02] ahoo が参加しました (別名: ahoo)
[23:13:40] xxixahuslfjlfsdd が参加しました (別名: baikoku_sensei)
[23:13:51] xxixahuslfjlfsdd: test
[23:17:02] baikoku_sensei: リク曲2っす
[23:19:01] 4hun が参加しました (別名: ahoo)
[23:19:15] 4hun: 5分以内しかダメなのはなんか理由がR?
[23:20:00] baikoku_sensei: 単に15分とか30分とかリクされても困るってだけなので…6分くらいなら別にOK
[23:21:04] 4hun: 方形
[23:21:16] c--c が参加しました (別名: c--c)
[23:22:07] 登録済みの名前多くない?大体弾かれたんだが‥
[23:22:38] baikoku_sensei: 誰かが登録してる名前と使えないみたいっすね…twitterのID
[23:23:42] 4hun が参加しました (別名: 4hun,ahoo)
[23:24:22] 4hun: いい機会だからもしよければ教えてほしいんですが、アイコン画像あれにしててはてな運営からなんかいわれたりとか、ほかのブクマカから中小きたりしないんすか?
[23:24:49] baikoku_sensei: twitterIDはダブりの例で出しただけで特に連携はしてないっす
[23:25:17] アイコンについては特にないっすね…登録時のメアド消滅してえるんで気付いてないだけかもっす
[23:25:32] ありがとうございます
[23:26:05] 地味にずときになってたんですっきりしました
[23:26:26] c--c: cytubeアカウントと被ってるとダメなんすね
[23:26:50] baikoku_sensei: 多分cytubeとダブってるとダメっぽいっすね
[23:27:59] c--c: このサービス、動画以外共有できないんですかね
[23:28:49] baikoku_sensei: youtubeとかニコニコとかなんで多分…でも仕様よくわかってないんでできるかもっす
[23:29:58] c--c: お互い書き込めるスライドショーにでもできれば軽い勉強会できそうすね
[23:30:48] baikoku_sensei: 確かにっす
[23:32:39] c--c が参加しました (別名: c--c)
[23:41:14] c--c が参加しました (別名: c--c)
[23:49:02] c--c が参加しました (別名: c--c)
[23:59:40] baikoku_sensei: 配曲とかちゃんと考えてなかったんすけどこの曲で年越しになりそうっすね
[00:00:19] fji が参加しました (別名: 4hun,ahoo)
[00:00:29] fji: 新年一発目にきくのが上がぺ
[00:00:36] 愛にあふれた1年になりますように
[00:00:39] c--c: 明けましておめでとうございます
[00:00:57] baikoku_sensei: と思ったらちょうど切れたっすね…リクエストなければあと1曲でリスト終わるのでそれで〆っス
[00:01:06] あけましておめでとうございます
00:01:06] あけましておめでとうございます
[00:05:23] これでラストっす選曲に深い意味はないっす
[00:09:08] 乙っす 部屋の閉じ方わかんないんでブラウザバックっす
曲リスト
最初は邦楽→洋楽→アニソンの順で流すの考えてたけど結局適当になった
23/01/01 00:10:41 - Franz Ferdinand - Take Me Out (Video)04:01
23/01/01 00:10:38 - Agapē / メロキュア【Animelo Summer Live 2015 −THE GATE− Day1】04:40
22/12/31 23:53:51 - Yellow Magic Orchestra – Yellow Magic (Tong Poo) (Official Music Video)06:06
22/12/31 23:50:08 - ラ・ブーム~だってMY BOOM IS ME~ / カジヒデキ【Official Music Video】03:38
22/12/31 23:44:06 - RF15 - SAMBOMASTER [Sekai wa sore wo ai to yobun daze]05:57
22/12/31 23:41:01 - デ・ジ・キャラット (Di Gi Charat)「Party☆Night」高画質&高音質03:00
22/12/31 23:34:33 - Mr.Children 「箒星」 MUSIC VIDEO06:23
22/12/31 23:29:02 - ラブハンドルズ 「スピード」05:25(リクエスト曲)
22/12/31 23:25:14 - 東京事変 - 群青日和03:43(リクエスト曲)
22/12/31 23:21:24 - POLYSICS 『I My Me Mine(All Star ver.)』03:44
22/12/31 23:16:41 - [Official MV] 青空のラプソディ(スーパーちょろゴンず ver.)-9.22 Release-04:38(リクエスト曲)
22/12/31 23:14:50 - 宇宙パトロールルル子 OP(1と2と3と4)繋げてみた01:46
22/12/31 23:11:22 - 【Ado】うっせぇわ03:23(リクエスト曲)
22/12/31 23:06:54 - UNISON SQUARE GARDEN「シュガーソングとビターステップ」MV04:23
22/12/31 23:05:19 - アニメ あずまんが大王 OP「空耳ケーキ」01:30
22/12/31 23:00:46 - 宮本浩次-冬の花04:27
22/12/31 22:57:19 - Grandaddy - A.M. 18003:22
というエントリで
じゃあもうお互い「戦争?受けて立ちますよ」でいいだろ/長野の件が騒がれてるのだって珍しいから。本当に社会全体で殴り合いを始めりゃ白黒付く/そんで十中八九施設側が勝つよ、結局お前らは社会的合意を得られない
っていうブコメを書いたんだが、なんかフワッとした言論で反対してくる奴がいたので当エントリに対する俺の考えを引用しつつまとめたいと思う。
話がややそれてしまったが、なぜ騒音問題に子どもがつくと大きなトラブルになるかというと、「子どものためにお前が我慢するべきだ」という強制が働くからだ。こういう考え方を「子どものことを考えろ主義」といい、詭弁の一種である。
子どもを抜きで考えた場合、騒音問題は「騒音に悩まされて可哀想に」という話から始まる。ここでは明らかに「騒音を我慢するべきだ!」というようなことは言えないだろう。しかしそこに子どもが入った途端、「子どものためだからね。めでたしめでたし」という概念で上書きされる。しかし、騒音問題自体はなくならない。「騒音問題の話はどこに消えた?」である。
この文の後に「子供のことを考えろ主義」がいかに詭弁であるかのよくわからん例が続くわけだが、あえて言わせてもらう。
同dBの騒音問題でも原因が子供となれば途端に寛容を押し付けられる事。
もちろんお前は納得しないだろう。
「子供はそういうもんだから」とか「子供に優しい社会を作るためだから」とか言われてもお前はきっと首を傾げたままだと思う。
結局大手を振ってお前に我慢を強いることができるのは「そういう論が社会的合意を得ているから」というだけ。
もしこれに納得が行かないならお前なりの理屈を引っ提げて堂々と殴り合えばいい。
そうすりゃ「子供のためにこのくらい我慢すべきだよね」ってラインが引き下がるかもしれん。
別にお前が例に示した通り、子供がいりゃ親の行動が何でも許される訳でも無いわけだしな。
来るならかかってこい。
実際の問題は、子どもの出す騒音について「なんら対策をしない」「対策をしようともしない」「それを指摘する側に問題があり『異常』だと周りに噂を流す」だったり、わざと嫌がらせをするだったりである。
文章の中盤では「自分は子供と戦っているのではない。子供は悪くない。大人が問題なのだ。」という論に移行するため上記のような例を挙げつつ、例の長野の件を交えながら論理展開を行っている。
行政や施設の対応に関してはどこまで行うのがヨシとされるか、それは各々に基準があり曖昧なモノだろう。
しかし騒音トラブルから派生して嫌がらせまで発生したら流石に擁護できない。
なんか中盤から「騒音トラブルが発生すると子供を盾にして親が無茶苦茶やりだす」ことが前提であるかのように論理が展開されている。
長野の件もそうだが「子供が密集する施設において発生せざるを得ない騒音」以外は社会的合意は取れておらず、現に100台近くの車が送迎しアイドリングしっぱなしだった件は擁護する声もほぼ無い。
「騒音問題から派生することがあるインシデント」として紹介したおかげでそれらしい論になっているが、
その実「配慮に欠けた行為(嫌がらせとか)はよくないよね」というだけで、何の意味も為していないパートだ。
そこは別に非難されるべき点として否定しようがなく、それっぽく文章を彩るミスリードにしかなっていない。
そして、実は「子どもの出す騒音」それ自体は、それほど大きな問題ではない。子どもの騒音は確かに問題であって長期間続けば耐えられなくなりノイローゼになりかねないという状態になり、たいへんきついものだ。ただし、事をより大きくするのはそれに対する適切な対応が全くなされないことにある。
話の組み立てとして引用する文が前後しているが、この部分も疑問がある。
それは「適切な対応とは何か」ということだ。
①でさんざん語ったが、こちらとしては理屈抜きで「いやなんか色々言ってるけど子供なんだから我慢しろよ」としか思っていないし、それで突っ切るだけだ。
まぁクレーマーとして黒い噂が立ち込むようなら②で言った通りやり返し過ぎだろうが、対応の無さにキレ散らかすようであれば同情するのも厳しい。
『子供の声がうるさくてうるさくてノイローゼになりそうなんです!』って社会にアピールするしかない。
そして残念ながら、今の社会に解決できるほどの余力はない。ただ「そんなところを選んだお前が悪い」のだ。
でももしそうなったとしたら、自分もあなたと同じように苦しんだことを覚えておいてほしい。身の周りの誰もがあなたを理解してくれなかったとしても、世界にはそういうことをわかってくれる人はたくさんいることを覚えておいてほしい。それだけで心の荒みはやや緩和されるだろう。
どうもコレが結論らしい。
まぁ書いた本人はセンチに浸っているんだろうから仕方ないが、この文章に同意した方々に聞きたい。
ちょっと冷静に考えてみて欲しい
もしお前が戸建ての家を建ててその横に幼稚園ができちゃったとしよう
そんな中ふとこのエントリを思い出す…
「あぁ…あの人も大変だったんだ…」そう思い、心の荒みが緩和………
まぁされたとしても一瞬でかき消されるだろ。騒音問題解決してねーんだから。
最終的には「こんなボクにも配慮して欲しいんだなぁ〜」って感じのボヤっとした主張で終わってるからだ。
ハッキリと権利を主張できない理由、それこそ「社会的な合意を得られない」と尻込みしているからだろ。
バカ!そうじゃないだろ!
「世界にそういう人はたくさんいる」んだろ!だったらそいつ等引き連れて社会に訴えろよ!
「『我々』と戦争することになる」じゃねぇよ!戦争しろよ!今から!!!
それでも負ける気は全くしねぇけどな!
来いよ!!!
追記: 1日経ってスマートフォンで読み直してみたら非常に読みにくい文章(1文1文が長く、文脈を掴みにくい)になっていたため、可能ならPCで読んでもらえるとありがたいです。また、節もつけて多少読みやすくしました。文章自体は改めていません。簡単に趣旨を要約すると「騒音問題での近隣トラブルは戦争になることもあり、それは自分が直面する可能性もある(※騒音問題のトラブルが必ず戦争になるというわけではない)」です。
長野市の遊園地の問題で近隣トラブルになっていて、どうやらじいさんがクレーマーだとして叩かれているらしい。
自分は長野市の住民でもなんでもないが、昔の激怒していた自分を思い出して体中が震えだしてしまったのでここに吐露して発散していく。長野市の件については、その裏にある事情は知らないので、自分はそれが良いとも悪いとも見当もつかないが、外野が好き勝手に述べてじいさんを罵倒したり「クソ自治体」みたいな発言をしているのがとにかく気に食わないのでここで色々と述べていこうと思う。また、自分はじいさんの擁護者ではない。
まず子どもが集う施設というのは、NIMBY(我が家の裏には御免)というカテゴリに属する施設である。これは誰がなんと言おうが、子どもが集う施設というのはもうそういうものである。NIMBYとは、社会全体には利益を与えるが、その近隣住民には損害を与える施設のことだ。こういうものはたくさんある。基本的には「社会全体のためにお前が我慢しろ」という施設になっている。また、補償がないことも多い。子どもが集う施設に関する補償は特になにもない。「子どもの声」を「損害」扱いという部分で怒りを抑えられなくなる人もいるだろうが、いったんそういう考え方の人がいると思って飲み込んでほしい。「騒ぐ子どもの声量は大きい」と「大きい音に耐えられない人もいる」という2点については、誰しもそれぞれ同意できるはずであり、「世の中には、騒ぐ子どもの声量に耐えられない人もいて、そういう人は損害だと感じていそうだ」というふうに、客観的な視点で読み進めてほしい。実際そういう人は存在している。
話がややそれてしまったが、なぜ騒音問題に子どもがつくと大きなトラブルになるかというと、「子どものためにお前が我慢するべきだ」という強制が働くからだ。こういう考え方を「子どものことを考えろ主義」といい、詭弁の一種である。
子どもを抜きで考えた場合、騒音問題は「騒音に悩まされて可哀想に」という話から始まる。ここでは明らかに「騒音を我慢するべきだ!」というようなことは言えないだろう。しかしそこに子どもが入った途端、「子どものためだからね。めでたしめでたし」という概念で上書きされる。しかし、騒音問題自体はなくならない。「騒音問題の話はどこに消えた?」である。
子どもは当然守られるべき存在だが、「子どものことを考えろ主義」をその親が使ってくると非常に厄介である。簡単に例えよう。
あなたが限定品が欲しくて、あるお店でその限定品のために並んでいたとする。あなたは限定品を無事手に入れることができたが、その後ろに並んでいた親が急に「それはうちの子どもが手にするべきものだ」「お前が大人のくせに限定品を得ようとしたために、子どもはひどい目に遭う。子どもが可哀想だ。全部お前のせいだ」と強硬に主張してくる状態のようなものである。(あくまで例えであって、騒音問題と同等の主張であると言いたいわけではない)
別の例で例えると、ベビーカーで子どもを載せて電車に乗る行為は問題ないが、ベビーカーを振り回して席取りをしようとしている親だったり、「ベビーカーを持っているのでそこに座らせてもらっていいですか?」というように尋ね、断ると「子どもがいるんですけど……非常識ですね……」と言ってくるような、子どもを使って権利を主張してくる大人たちがいるということだ。彼ら彼女らは「我々は少子化に対抗する戦士であり、それに抵抗する存在は邪悪である」という信念を持っている。
こういう行動を起こす人々は「子持ちの人」というカテゴリで括られるべき存在ではない。彼らは容易に「子持ち全体に対する挑戦をされた」というように論理をすげ替えようとする。そして「子どもがいるのに酷い」「こうやって少子化が広がっていくんだ」という論理を使っていく。ミサンドリストがフェミニストと名乗るようなものである。普段は人を攻撃するが、都合が悪いと子供を盾にして自らを守り被害者になろうとするという、文字通り子どもを盾にするのである。彼らにとっては、子どもとは、自分に利益をもたらす便利なツール・グッズ・免罪符でしかない。
誤って解釈してほしくないが、子どもは大切なものである。「子どもを排除せよ」と言っているわけではない。容易に論理を捻じ曲げられるので注意しなければならない。小さい子どもに罪などは一切ない。子どもではなく、その親と戦っているのだ。
そして、実は「子どもの出す騒音」それ自体は、それほど大きな問題ではない。子どもの騒音は確かに問題であって長期間続けば耐えられなくなりノイローゼになりかねないという状態になり、たいへんきついものだ。ただし、事をより大きくするのはそれに対する適切な対応が全くなされないことにある。『「子どもが出している騒音」にクレームを出すクレーマー vs (可哀想な子ども+それを守る善良な大人たち)』という構図そのものが、騒音を出している側のロジックによる考え方であり、これがこの構造のまま大衆化されると、非常にテキトーな扱いになる。「子どもの騒音に端を発する問題」という形で、その周辺の問題も含めて、すべての問題の焦点が「子ども」になっていく。しかし、子どもが悪いわけではない。子どもが悪いわけではないというのは、何度でも言っておく。その親が悪いのだ。ここは間違えてほしくない。本当に簡単にすり替えてくるからだ。
実際の問題は、子どもの出す騒音について「なんら対策をしない」「対策をしようともしない」「それを指摘する側に問題があり『異常』だと周りに噂を流す」だったり、わざと嫌がらせをするだったりである。長野市で言えば多くの車の長時間のアイドリングや、盆栽の踏み荒らしなども発生していたらしい。こうなってくると、もはや子どもの騒音というのは問題ではなく、大人 vs 大人の、れっきとした権力闘争の構図であると思う。(※注意: 長野市の問題については自分は意見を持たず、どちらの側にも立たない。じーさん側に問題がないとは言っていないし、子どもが可哀想であるのはそのとおりだと思う)
子どもを盾にする人側のロジックでは、「キチガイがまた『大したことでもないこと』でクレームを入れてきた」という観念を抱えているため、対話は不可能である。そもそも最初は当然対話をしようとしている。(また、クレーマー側でも意味不明なクレームを入れている場合も多くあるはずであり、自分は常にクレーマーを擁護したいわけでもない)
「子どもを育ててるだけなのに、クレームを入れてきて迷惑だ」vs「ふつうに暮らしているだけなのに、騒音を解決しようともせず、当然のように我慢を強いてきて迷惑だ」という状態になってしまうと大変面倒なことになる。どちらも正義だと思っている。これは戦争である。
これについて、刑事でも民事でも事件化はできず、自治体も警察も非常に難しい対応を迫られる。「対応」とはいうが、実質何もできないのである。ただ「犯罪がないかどうか」「合法かどうか」しか見れないのだ。よって、合法下での自力救済しかない。法はあなたを守ってくれはしない。誰もあなたを守ってくれはしない。あなた自身の力か、金の力しかない。日本では、騒音問題は「それは運が悪かったですね。我慢してください。それが法ですから」ということになっている。社会とはそういうものだ。
「そんなところを選んだお前が悪い」「引っ越せ」という、思慮に欠けた意見も散見される。当然そういう場合もあるだろう。ただし、こういうのは事前にわかるものではないし、引っ越すには尋常ではないお金がかかる。持ち家であれば尚更で、下手すると数千万円単位で金が変わってくる。つまり、人生の中でもかなりの上位に上がってくる最強最悪のトラブルである。嫌いなやつのためだけに数千万円は普通は払えない。数千万円は言い過ぎかもしれないが、ただ引っ越すだけでも、引っ越しというものは50万円だったり100万円かかるものだ。月に2万ずつ貯めていたとしよう。4年の努力を捧げることになる。嫌いなやつのために。普通は我慢ならないだろう。
そして、トラブルが悪化すると、人生で最も嫌いな存在が自分のすぐ近くに住んでいるという状態になる。「考えないようにする」ということができなくなる。騒音で存在をすぐに思い出し、精神が持っていかれる。「殺す」か「殺さない」か、そういう考え方が頭にのぼってくる。これはジョークや笑い事ではない。精神が奥深くまでやられる。絶えず戦闘モードになる。戦時下という気持ちだ。あとはもうやるかやられるかだ。どちらも異常になる。人はいとも簡単に狂う。自分だけではない。相手が『「自分が死んでくれればいい」と思っている』と思うようになる。
「死ね!!!!」と絶えず言い合っているのに離れられない関係というのは、歪んだ親子か、近隣住民以外には人生においてそれほどない。会社なら簡単ではなくても辞められる。家は簡単には辞められないのだ。
もし少子化対策のためというならば、社会全体でなんとかしなければいけない。「ミクロな個人単位の我慢で解決すべき」という結論は誤っている。それは子育てする側からみてもそうであると思う。ここでは、「子育て側の方が悪」のように見えてしまう論理展開をしているが、子育てしている親は窮屈な思いを抱えているはずであり、れっきとした社会問題であると捉えるべきだと思う。しかし、現実的には、社会はそう簡単に変われるものではないため、個々で見れば自衛するしかない。
「近隣トラブルが戦争」というのが理解できない人や、「結局子育てする側が我慢しろってこと?」という理解になってしまう人は、せめて平和に家で暮らすことができているという幸運を噛みしめるべきであり、自分の子どもの周りでそういった話を聞かないという場合は、人知れずして我慢している人がいるのかもしれないことを知っておくべきだと思う。「静寂」「平和」は贅沢品である。いい人は、同じ目にあっても「まあ子どもだからしょうがないですよ」「いやいや!子どもは騒ぐのが仕事ですよ」と言えるのだろう。それはたいへん立派なことだと思う。ただしそれは余裕があっての論理や、他人事であるからそう言えるだけであることを忘れてはいけないし、強制できるものではない。全員が聖人君子になれるわけではない。
これはアンモラルがどうのとかそういう話ではない。あなたもそうなればわかるかもしれない。
ただ、そうなってから気付いても遅いのだ。「そんなところを選んだお前が悪い」のだから。
そして残念ながら、今の社会に解決できるほどの余力はない。ただ「そんなところを選んだお前が悪い」のだ。
でももしそうなったとしたら、自分もあなたと同じように苦しんだことを覚えておいてほしい。身の周りの誰もがあなたを理解してくれなかったとしても、世界にはそういうことをわかってくれる人はたくさんいることを覚えておいてほしい。それだけで心の荒みはやや緩和されるだろう。
ただこの話は、伝えたい人には伝わらない話でもあると思う。この話を見て「自分や自分の子どもが他人にそんな思いをさせてるかもしれない……大丈夫かな」とすぐに心を痛めた人に心を痛めてほしいわけではない。そういう人たちには、ただ「子育てを頑張ってください」とだけ伝えたい。この話は「はあ?身勝手。黙ってろ。うるせえな」と、気にもとめない「子盾の親」たちに伝えたい話である。伝わらないだろうけど。
つまり、運が悪ければ、そういう人と戦争することになる、ということだ。そしてそういう人たちもまた、「我々」と戦争することになる。
【超ぷろろーぐ】
昔むかし、あるところにおじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山んばにしばかれに、おばあさんは河童に逢い引きに行きました。
おばあさんが川で洗濯しながら河童を待っていると、川の上流から、1.26mの少し大きな桃がどんぶらこどんぶらこと流れてきました。
おばあさんはこのサイズの桃は美味しくないことを知っていましたので、川の下流の方に消えゆく桃を横目で見ながら洗濯を続けました。
おばあさんが揉み洗いを終え、木の枝に洗濯物を干していると、川の上流の方から、2.16mの大きな桃がこんぶらどこんぶらどと流れてきました。
おばあさんは川に背を向けて洗濯物を干していたため、この桃の存在に気づきませんでした。桃は哀愁を漂わせながら流れていきました。
おばあさんが洗濯物を終えて河童を待っていると、川の上流の方から、6.12mのとても大きな桃がどぶらんこどぶらんこと流れてきました。
ここまで大きな桃はおばあさんも見たことがありません。おじいさんに見せてあげようと思い、その巨大な桃を持って帰ることにしました。
おばあさんは荒れ狂う波に負けそうになりながらも懸命に手足を動かし、濁流に立ち向かいました。その姿はまるで水上のシャチ。あっという間に桃に辿り着きました。桃を抱えて泳ぐことは困難だなと考えたおばあさんは、桃にそっと手を添え、そのまま一思いに真っ二つに叩き割りました。すると中からは2.16mの桃が出てきましたので、おばあさんはその桃を抱えたまま岸辺に戻りました。6.12mの桃の残骸は、寂しそうに川の下流へぶらぶらと流されていきました。
岸について一息ついたおばあさんは、無我夢中だったのもありますが、6.12mの桃を割ってしまったことを恥じ、おじいさんに申し訳なく思いました。ですが、2.16mの桃も珍しいことは確かなのでそのまま持って帰ることにしました。
おばあさんが頭に洗濯物を乗せ、2.16mの桃を左手で抱えながら帰宅すると、おじいさんが笑顔で迎えてくれました。
「ばあさんお帰り。飯を炊こうかや?風呂を沸かせようかや?それともま る た?」
切り倒した木の幹を笑顔で見せつけてくるおじいさんの衣服は刃物で切られたあとがたくさん付いていましたので、今日のおじいさんは山んばとたくさんハッスルしたのだなあとおばあさんは思いました。
「丸太なんてどうでも良いですからおじいさん、これを見てください」
「わしの成果どうでもいいで片付けられた」
おばあさんが2.16mの桃をドスンと床に置くと、おじいさんはたちまち目を輝かせました。
「ここまで大きな桃は見たことがない。きっと神様の御使いが入っているに違いない」
いうなりおじいさんは木を切り倒すのに使っている斧を2.16mの桃に振り下ろしました。10年100年の間、毎日木を一振りで切り倒してきたおじいさんの斧の腕前は、もはやその対象が木でないものでも全く同じパフォーマンスを発揮することが可能。おじいさんの斧は桃の頂点から尻の中心までを寸分違わず、一直線に両断しました。
中から吹き出る果汁。その中に一際輝く小さな物体が、産声をあげていました。なんということでしょう、中には赤ん坊が入っていたのです!
「おお、ばあさんや、御使いが入っておったぞ!」
「赤ん坊を見るのなんて何年ぶりでしょう。そうだ、この子を私たちの子供として育てませんか?」
「御使いを育てるのってバチが当たりそうなんじゃが」
「ねえばあさん。わしの話聞いて?」
こうしておばあさんにより赤ん坊は桃太郎と名付けられ、大切に育てられることになりました。
【超ほんぺん】
それから3年が経ち、赤ん坊だった桃太郎は細マッチョの美青年に成長していました。赤ん坊にしては育ちが早すぎるのではないかとおじいさんは言いましたが、桃栗3年柿8年という言葉があるのを知っていたおばあさんは特に何も思いませんでした。この家でのおじいさんの発言権は無いに等しいのです。
さて、近頃隣村では鬼が出るという話を河童からおばあさんは聞きました。この話をすれば正義感の強い桃太郎は鬼を駆逐しに野を超え山を越え海を越えてしまうでしょう。人の噂も75日という言葉を知っていたおばあさんは、75日も経過すれば誰かが鬼を退治してくれるだろうと思って放っておきました。いつだって親は子供が大切なのです。
75日後、隣村が滅びたという話を聞いたおばあさんは、朝の食事におじいさんの好物であるお雑煮を作りました。お雑煮を主食に、隣村滅亡のニュースをおかずに。完璧な献立だとおばあさんは確信しました。
朝食中、おじいさんが餅をのどにつまらせて三途の川に足を踏み入れたそうですが、特に問題はありませんでした。おじいさんが何教徒なのかは誰も知りません。
正義感が強くて愛と勇気が友だちである桃太郎が、邪智暴虐を尽くす鬼の話を聞いてじっとしていられる筈もありません。朝食後に桃太郎はおばあさんに鬼を退治しに行く旨を伝えます。
「まあ待ちなさい、桃太郎」
「おばあさん、鉄は熱いうちに打てと言うではありませんか」
「待ちなさい、桃太郎。あなたの好物のきびだんごを作ってあげますから、あと1日待ちなさい」
「そうですね、おばあさん。刀をしっかり研がなくては鬼退治どころではありません。今日は一日刀を研いで、明日の早朝に家を出ようと思います」
「わかりました。桃太郎、忘れ物をしないように気をつけるのですよ」
「わかりました、おばあさん」
「……なあばあさんや、どうして桃太郎はわしに対して何も言ってくれないんじゃろうか」
「おじいさんはいつも通り仕事をしてればいいのですよ。これは私たち家族の問題ですので」
「わし家族としてカウントされてないの?わしはおばあさんにとっての何なの?」
「私は今日桃太郎にきびだんごを作ってあげなければいけませんので、自分の洗濯は自分でお願いしますね」
「わしの服もついでに洗ってくれてよくない?」
「わかりました。川に流しておくので海に流れる前に取りに行ってくださいね」
「自分でやるわ」
おばあさんは桃太郎に6.21mのきびだんごを4つこしらえてあげました。これにはきびだんごが好物の桃太郎も、1日かけて研がれた刀も大喜びです。桃太郎は喜びの感情を抑えられずに庭へ飛び出して小躍りし、刀も嬉しそうに鞘をガシャンガシャンと鳴らしています。
「桃太郎、いってらっしゃい。転ばないように気をつけるのですよ」
「ありがとうございます、おばあさん。鬼が生まれたことを後悔するようにこらしめてきます」
「鬼がかわいそうだから程々にしてやっておくれ。鬼にも何かしら事情があるんじゃろう」
「ありがとうございます、おじいさん。痛みを感じないように速やかに地獄へ帰還させることにします」
「ねえ、わしの話聞いてた?」
こうして桃太郎は迷子の鬼を故郷へ導くために、午前8時に家を出て、きびだんごを転がしながら鬼が住むという鬼ヶ島へと走っていきました。
桃太郎の家から鬼ヶ島への道のりは12.00km、直線距離は約6.00kmです。桃太郎は時速3kmで歩くことができるため、鬼ヶ島へ舗装された道を通って行く場合は片道4時間程かかるでしょう。それだと往復時間と鬼を退治する時間を合わせて、計8時間半程かかってしまいます。これだと寄り道をして遊ぶ時間がほとんど取れないと考えた桃太郎は、鬼ヶ島まで木をなぎ倒しながら直線で進むことにしました。これだと往復時間は4時間です。遊ぶ時間は十分に取れるでしょう。
さて、桃太郎が4つのきびだんごを転がして森の中を進んでいると、急に背後から犬が現れました。
「こんにちは桃太郎!美味しそうなきびだんごだね!1つ僕にも分けて貰えないかな?」
桃太郎はこれを快諾し、1つのきびだんごに犬をねじ込みました。初対面でタメ口、しかも人に食べ物をねだるような犬畜生のしっぽは嬉しそうにブンブン揺れているので、とても喜んでいるのでしょう。犬畜生は立派ないぬだんごに進化したのです。
桃太郎が3つのきびだんごと1つのいぬだんごを転がして木を薙ぎ倒していると、急に目の前に猿が立ちはだかりました。
目の前に何が立ちはだかろうと、桃太郎は止まりません。桃太郎には鬼を倒した後に遊ぶというとても大切な計画があるのです。
そんなわけで桃太郎はきびだんごに猿を巻き込みながら進みました。猿が何を言おうとしていたのか少し気になりましたが、そんな小さいことは鬼退治という大義の前では無意味に等しいのです。桃太郎はすぐに猿のことを忘れました。
桃太郎が2つのきびだんごと1つのいぬだんごと1つのさるだんごを転がして海を渡っていると、空から雉がとても大きな声で話しかけてきました。
「なんでしょうか。私は今鬼退治で忙しいのですが」
「私もその鬼退治にお供します!!!!私は奴らに友を殺されたため、奴らに復讐したくて仕方がないのです!!!!ケーーーーン!!!!!!!」
「それは可哀想に。どれ、少し降りてきてください。共に鬼ヶ島へ行きましょう」
案の定、復讐心に身を焦がす焼き鳥はきびだんごに巻き込まれました。
今ここに、いぬだんご、さるだんご、きじだんごという3種の神器が揃った今、もはや恐れるものは何も無いと、桃太郎は鬼ヶ島へきびだんごを向けます。
世にも恐ろしい鬼が住まうという島は、桃太郎の来訪を拒むように雷を轟かせていました。
桃太郎が鬼ヶ島へ上陸した頃、鬼ヶ島では宴が開かれていました。人間から奪い取った食料が、賞味期限一日前であることが判明したからです。賞味期限がすぎた食べ物を出すと「腹を壊す」などと若い鬼が騒ぎ、賞味期限がすぎた食べ物を捨てると「食品ロスだ」などと老いた鬼が喚くため、今日消費することでしか食事当番の鬼の未来はないのです。食事当番の鬼はボイコットしてやろうかと思いましたが、そうするとほかの鬼からフルボッコにされて食材にされる未来が見えたので、大人しく料理を作りました。
さて、鬼が豪勢な食事を囲んでいると、海の方からごろんごろんと巨大な玉が4つ転がってきました。
いえ、よくよく見るとそれは玉ではありません。
あるものは犬のしっぽのようなものが飛び出ていて、あるものは猿のものと思わしき赤い尻が見え、あるものは鳥の羽を生やしていました。
そしてその3つの生命の輝きと1つのきびだんごを転がしている神の御使い、あるいは人間が、今こそ鬼に滅びをもたらさんと凄まじいスピードで宴会の席に突っ込んでいきました。
たくさんの鬼が、1人、また1人ときびだんごに巻き込まれていきます。そして鬼ヶ島の表面全てをきびだんごが通過した頃には、鬼ヶ島には桃太郎ときびだんご――おにだんごを除いて、人っ子1人いなくなりました。ついでに海もなくなりました。これで海面上昇に悩まされる国も大喜びすることでしょう。
鬼ヶ島は壊滅した!ミッションコンプリート!おばあさんの家に戻ろう!
桃太郎は再び4つのきびだんごのようなものを転がして、元来た道を帰っていきました。
後に残されたのは、草木だけでなく海すらも1滴残さず蹂躙された、今日まで鬼ヶ島と呼ばれていた陸の孤島だけでした。
【超えぴろーぐ】
帰りに春画即売会に立ち寄ってきびだんごのようなものと両手いっぱいに抱えられるほどの春画を交換した桃太郎はほくほく顔で帰路を辿りました。
桃太郎が家の扉を叩くと、お婆さんと山んばが笑顔で出迎えてくれました。山んばの手には鞭が握られており、奥の部屋には縄で縛られたおじいさんがいました。
桃太郎は抱えていた春画を畳の上に並べました。おばあさんは桃太郎に感謝を述べながらNTRモノを持っていきました。山んばはSMモノを数冊抜き取った後奥の部屋へと戻りました。おじいさんがあまりにも騒がしかったので、桃太郎は百合の春画を投げ込んで襖を閉じました。
桃太郎がどの春画から読もうか悩んでいると、縁側から河童と1.26kmの桃が家に上がってきました。
河童は言いました。
「僕ら、実は結婚することになったんですッパ」
これを聞いた桃太郎は大いに喜んで2人の結婚を祝いました。おばあさんも笑顔で祝辞の言葉を述べました。
「いえいえ、お構いなくッパ。おばあさんからは沢山のものをいつも貰っているではありませんかッパ」
「この玉手箱と大きい葛龍、どちらが欲しいですか?」
「本当にいらないです」
「あ、じゃあここにある春画から好きなのを持っていってもいいですよ。後で私にも読ませて貰いますが」
桃太郎の結婚祝いは秒で受け取ることにした河童と1.26kmの桃は触手陵辱モノの春画を持っていきました。2人の性的嗜好は似通っているようなので、これは熟年カップルになれるだろうと桃太郎は笑顔になりました。さりげなく河童を2.16kmの桃に寝盗られたおばあさんはとても興奮していました。きっと今晩はお楽しみになることでしょう。
こうして日本一美味しい鬼退治は終わりました。鬼は食べ物のために村を滅ぼしました。しかしその鬼も桃太郎の正義の前にあっけなく滅ぼされました。鬼退治の翌日には春画と交換されたきびだんごは誰かに食されています。桃太郎一行が所持している春画も、毎日おいしく頂かれることでしょう。
世界は食べることを中心に回っているのです。それを忘れて食べ物を粗末にすると、あなたもきびだんごにされてしまうかもしれませんよ。
記名で書いたら規約違反で叱られたので匿名で。俺の自己顕示欲がどんどんフラストレーションしていきますよ!
つーか、 いつもと違う文体で書きなさいとか言う前に、ナイフで刺殺してはいけませんとか呼び掛けるべきじゃないっすかねー
ダイジンからしてもすずめは自分を要石の役目から解放してくれた運命の人で、御飯くれたし相思相愛と誤解してた節があるんだよな。すずめが邪魔!な要椅子大事にしてるのも封印に使うためで、人間に戻せってのも椅子がごねてるだけって考えで。自分が主人公ですずめがヒロイン、要椅子はマスコット。で、封印の旅も要石の引き継ぎも無事終わってハッピーエンド!めでたしめでたし!ってヒロインに会いに行ったら殺意を含んだ憎悪ぶつけられて、すずめが好きだったのは椅子の方で邪魔!者は自分の方だったという事実に気づかされて…NTRやんけ~!
芹沢、普通に80年代リバイバルだし懐メロが趣味なんだな~と思ってたけど、おばさんへの気配りじゃねーかって言われてて、そう言われたら確かに。
あと、きれいなとこだよな~、ってのは好意的に捉えてたけど、当事者からすれば無神経ってのは言われれば確かに。昔帰宅困難区域の辺りに旅行した時、結構復興進んでるな~なんて考えてたし、たまたま機会がなかっただけで、現地の人と話してたら、よかれと思ってそう言う事言っちゃってたと思う
おばさんの暴言は、サダイジンが干渉して思ってること素直に吐き出させたって説も、聞いて成程と思った。単に見守ってたけど流石に言い過ぎやぞ!で気絶させた可能性もあるが。登場の仕方がゾーフィっぽくて不気味。
幼すずめが帰る世界が雪なの、見てる時はキレイだなーくらいに考えてたが、実際に311でも震災発生から72時間以内の夜に雪が降り始めたと知って、感動じゃなくて悲しくて泣きそうになった。事前警告とか過保護すぎんだろ…と思ってスマソ
KOUSHIROUスク
単なる事故なんだろうけど、会話の流れを思い返すと突然興奮する患者すぎる…エンドロール見る前は普通にシリアスなシーンとしか思えないのも芸術点高い。