はてなキーワード: 評価とは
元彼との行為を生々しく描いたコピペに本気で嫌悪感を感じていた。
肉体的な接触があるのがとにかく嫌だった。
それから数年。
彼女に振られて、アプリで切られて切られていつの間にか切る側にもなったりして。
遊んでいた女性が高校の時は全く眼中になかった理系男子と付き合い始めたと聞いたりして。
気になっていた人に、もしくは好意を持ってくれた人に元カレがいたと知る。
昔は元彼がいるのやだなって感じた時に浮かび上がる情景は、
今は違う。
女子会で元彼を悪く言って、自分はもっと上を狙えると自信と傲慢さに満ちた表情。
男の顔、ステータス、話の面白さを面接官気取りで評価するような目。
行為の想像はすっかり消えて、代わりにそんな姿ばかりが浮かんでくるようになった。
これも結局は処女厨ってことになるのかな。
でも自分の中で明確に変化は訪れていると思うんだ。
同じように感じている人他にいないかな。
それともただの女嫌いになっちゃっただけなのかな。
結果はどうあれ誰に投票すべきか考えてきた変遷を残しておく
・小池
2期8年都政を担ってきた、前任者2人に比べればスキャンダルでの退場にならず(学歴問題は常にくすぶっていたが)
非常に低いレベルではマシだったと言えるがコロナ、COLABO対応、市場の移転問題、神宮、プロジェクションマッピングなどのしょうもない金使いから公約の未達成度合いなど
評価できる点はかなり少ない
長期は腐敗のセットなので3期任せたいと思えるような人材ではなかったが・・・
・石丸
若い、現代的な手法が魅力的に見えたが調べると1日も持たずにダメな印象ばかり出てくる
応援する人も胡散臭い人が多すぎて可哀想だけどマイナス印象ばっかり追加されて致命的だったのが東京衰退による地方活性
都民としてはお話にならなくなってしまった 東京も地方もダメになって全負けになるリスクと責任を負えますかって?話
・蓮舫
コイツはそもそもの印象が個人的に悪い過ぎる上に何も政策を言ってない
神宮問題について都民の声を聴きたいとか抜かしてるのを聞いてホントに反対・反対と文句言うカウンターしかできないレベルの低い人間だなって改めて認識した
理論がない 為したいことがない 自分がない 文句言いたいだけの人間に首としての意思決定を任せられない
まぁこれ以外は木端候補なので考えても仕方がないと思っていたのだが、投票したいと思ったのは安野貴博
贔屓目があるのは分かっているが立候補と同時に何をやりたいのかどうやるのかを公開したのが非常に評価高い
政党のための都政にならないのも良き
「111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111」
以下のコメントをご参照ください。
ざっと見、特集内容を刊ごとにジャンル絞ってて元増田のはジェンダー会を抜粋してるだけっぽい。
例えば2023年1月号とかはまともに科学的内容を扱っている。
カーボンニュートラル実現に向けた学術の挑戦
日本学術会議版カーボンニュートラル学術俯瞰図 / 吉村 忍
IPCC WGI 第6次評価報告書の概要と課題 / 渡部雅浩
保健医療分野におけるカーボンニュートラルと健康影響 / 橋爪真弘
学術分野としての統合評価モデル分野の紹介とカーボンニュートラル目標の絵姿 / 藤森真一郎
カーボンニュートラル施策と社会リスク / 野口和彦
カーボンニュートラルを実現するエネルギーシステム / 山地憲治
カーボンニュートラルを実現するための技術開発 / 北川尚美
カーボンニュートラル社会のための部門別の技術開発の機会と政策対応 / 田中加奈子
中国式は対角の星に白黒2つずつ合計4つ
朝鮮式は全部の星と星の間に置いて16個くらい置いてから始まってた
>まぁ初手真ん中に置けばいいとしてじゃあそれに対してどこに置けばどうなるの?
いや隅からだよ
囲碁は間違いなくおもろいよ
つまらんゲームが数千年遊ばれてて爛柯だの橘中の楽だのって異名ついてたら逆にこわいだろ
ボドゲを研究してる博士の点数は10/10だしBoardGameGeekでも高評価
実際に制作する現場に居るのは下請けと派遣ばっかりだから、意見出してプロジェクト停滞させたら仕事が増えて納期がきつくなって残業が増えるだけ。
どうせMVが好評でも不評でも自分の評価にはつながらないし、次の仕事も詰まってるんだからシャンシャンで言われたとおりの映像をつくるのがベスト。
これ世界に見つかる前に国内で素早く炎上して引っ込めたからまだ良かったけど、海外で拡散されたらそれこそミセスの評価死亡、コカ・コーラ不買運動、日本人全体の評判暴落くらいのこと起こしかねないくらいアホな表現だよ。
一日の半分寝てて、年収700万。
10人くらいのチームで係長やってて、ほとんど在宅勤務。たまに出社。
朝、メンバの進捗確認して指示出したら、昼過ぎまで二度寝する。あとは、ミーティング出席したり、たまに教育したりするだけ。
実質的に動いている時間カウントしたら、一日の半分も無いと思う。
こんなでも、上司からの評価は高く順調に昇進していってるし、お客さんからも指名で仕事もらってる。
それで、年収700万。
係長になる前は、もっと頑張って毎日ちゃんと働いてたけど、年収500万だった。
けど、やりがいとか幸福度とかは、年収500万で毎日がんばって働いてるほうが良かったな。
管理業務なんてやりたくない。人の管理なんてしたくない。静かにコード書いていたい。
自分がやりたいこと、自分ができること、周りから評価されること、うまく重ならないなあ。
このままいけば、そのうち課長になるけど、それは本当に嫌だ。心が死ぬ。
もう転職しようかなあ。
どうすればいいんだろうなあ。
単純に名前出すならともかく賛美とか肯定するときは気を使ったほうがいいのでは
エジソンとかベートーヴェンはあくまで同時代の他者からの客観評価も大きいけど、コロンブスに関してはもともと評判悪いしそれを知らなくても奴隷商人だった背景ぐらいは教科書レベルで出てくるから
EUが中国EVに関税をかけるって言ったら、中国の報復がEUのガソリン車に関税をかけるっていうのが笑える。
EUのEVなんかに関税賭けても、もともと売れてないから報復にならないってことだよな。
テスラを高評価してるアメリカのファンドも、自動運転とかロボットとかエネルギー事業を評価してってことで、テスラ車が市場で勝つとか思ってないっぽいし。
未然に防いだことでどんなメリットをもたらしたかっていうのは悪魔の証明になる
決死の覚悟で暴走した原発止めに行ったとかなら評価されるだろうけどさ
つまりみんな「自分が苦言をいうことで得られるメリットデメリット」と「そうじゃない場合に起こりうるかもしれない未来の大惨事」を天秤にかけて「選べる中でのマシな最悪」をデメリットとして許容するんだよ
ダンジョン飯のライオスが竜の知識量で好事家界隈に引け目を感じ、好きと表明できない悩みを吐露した件がTLに今さら(増田は単行本発売時に触れている)流れてきた。
無論ダン飯世界の研究者界隈では異なるのであろうが、現実の話、自称オタクらの好きであることを証明するための知識なるものが極めてしょうもない教科書キーワード丸暗記クイズ的な代物ばかりであることにうんざりする。アクスタだぬいぐるみだ祭壇だのも気色悪い。カプ厨的ポストにも吐き気がする。この手の頓馬が令和オタクの中心的イメージだと思うと到底好きなものを他者に開陳したくなくなるわけだが、そうした事象に比べるとライオスの悩みは健全に思えてくる。とはいえ私はファンダムを見限って清々している一方でライオスはファンダムの評価体系に共感した上で己を低く位置付け苦しんでいるわけだ。
問題はどうして愛を他者に表明するのか、またはしなくてはならないのかということに自覚的であることで、その見境のなさがライオスの苦しみであり物語上の魅力であり優秀なギミックなわけだが、その愛の表出を制御できるのがファリンであり、彼女はそれ故の苦しみも背負いこみつつ、後悔を免れている。愛を取り扱える者は愛から自由である。
昔は職場にいるおじさんを、なんであんなにやる気ないのにあの格なんだろう、給料たくさんもらってるのにパフォーマンス出ない仕事ばかりしてるのはなぜだろう、納得いかんと思っていた。
今そういうおじさんに自分がなっている。そして年下からの納得いかんオーラをビシビシと感じている。やる気ないのは体力ないからだし、パフォーマンスてない仕事ばかりしてるのはそれを若手に振るポジションにいないから。課長でない人間は裏方や雑用を引き受けなければ居場所はない、と感じてしまう。前向きにやる気のある仕事ができない以上雑用を引き受けるしかないんだと思っていたらほんとに雑用ばかり舞い込んてきて首が回らなくなっている。しかもやったとて評価されない仕事ばかりだから輪をかけてやる気がなくなる。
若いときの自分に、見るべき人が違っていたと教えたい。あのときのおじさんではなく活躍している人を見て、真似するべきだったと。恥も遠慮もなく自分が正しいと思ったことを発言すべきだったと。3年後に何が起こるか考えて準備をすべきだったと。コツコツ勉強して積み重ねていくやつには勝てないのだと。好意は素直に受け入れ感謝すべきだと。良い評価をもらったら逃げずに受け止めろと。
さもなければ40代で後輩に抜かれ無駄に高いプライドはずたずたになる。当然後輩はいつまでも先輩扱いしてくれない。馬鹿にはされないが無視されるようになる。関わりを避けられる。仕事が回らない。転職や退職を考えるようになる。新しい部長は昔から知ってるプロパーでもないから立場はさらに弱くなる。
あのおじさんもこうして、毎朝奇声を発してなんとか布団から起きていたのだろうか。つらい。つらすぎる。
NHKのクローズアップ現代で官僚の働き方に関する特集がなされ、はてブでも多数のブコメがついた。([B! 労働] “ブラック霞が関”の働き方は変わるのか?現役官僚たちの本音を聞きました - クローズアップ現代 取材ノート - NHK みんなでプラス、
[B! 労働] NHKのクローズアップ現代、国家総合職の面接前日に「悲鳴をあげる"官僚”たち」の実態を放送するところから本気度が伺える)
だが、ここでの人気ブコメと私自身当事者として経験してきたことが大きく乖離しているので、あくまでn=1としての感想を記しておきたい。
本題に入る前に自身の経歴を書いておく。
国家1種(現総合職)採用後、複数の本省庁で係長級を3回、課長補佐級を4回、地方機関で課長級を2回、都道府県庁で課長級を1回経験。
本省庁では法案作成、予算要求、国会対応いずれも経験あり(霞が関の残業の大きな要因がこの3つ)。
多くのブコメで指摘されていたのがこれだ。確かに国会答弁を作るのは深夜早朝に及ぶことが多く、疲弊する。だが、それが必要なこともまた確かだ。
大臣にしろ役人にしろただの人でスーパーマンではない。そして各省庁の業務はどれも多岐にわたっている。事前に準備して置かなければ、「御指摘の事実について、報道されたことは承知しているものの、事実関係の詳細は承知しておりませんので、調べた上で述べさせていただきます。」とのような答弁が並ぶことになり、国会がまともに運営できなくなる。
国会での質問は、政治家個人にではなく「○◯省を所管する大臣」に対して行われる。当然、大臣としては◯◯省の組織を使って答弁の準備をするのが自然だと思われる。
ちなみに、答弁は政務三役(大臣・副大臣・政務官)だけでなく、役人(おおよそ審議官〜局長)が行うこともあるが、当然その答弁も担当部局が作成する。
なお、政務三役に対する質問で、それが政務三役としてではなく、政治家個人として問われているものについては答弁書は作成しないことが一般的だ。例えば政治信条やスキャンダルに関するもので、質問票に「政治案件」とかわかるように追記されている。
これは大臣によるが、多くの場合役人の作った答弁書がすべてそのままOKとはならない。
私の経験していた代表的な答弁作成スケジュールと答弁の作り方を示しておく。
委員会2日前
ポツポツ議員から質問案が届くので質問一覧(質問票や問表と呼ばれたりする)とそれに対する答弁案を作り始める。
委員会前日
18時ころになってもまだ質問内容が判明しない議員や、判明したとしてもあまりに範囲が広すぎて準備ができないもの(代表的なのが質問内容を「内政について」「外交について」とFAXしてきた民主党の某議員(うろ覚えだがたしか日曜日の22時だったような))についてバタバタし始める。
遅いときで24時をまわってからの答弁作成になるので、深夜労働は避けられない。
また、22時点までにできあがっている答弁書について、大臣に説明する。多くの場合大臣から修正指示が入る。
委員会当日
丸一日委員会(午前3時間午後3時間)が行われる場合、各部局が用意する答弁は100問を超える。委員会は朝9時から始まるため、150分ほどで100問分の説明を終わらせる。午後の答弁については昼休みに回すこともある。
正直言って、単純な業務量だけからしても個別の答弁を作っているよりも大臣の方がかなりキツイと思う。あの人達が過労死しないのは謎だ。
(答弁作成の流れ)
例えば、「○県△市で□が起こっていると聞いた。住民科は打数の苦情が出ているそうだが、国としても対応するつもりはあるのか」という問いだったとしよう。
まず行われるのは、どの省局課係がその答弁を書くのかという綱引きだ。その答弁なら当然うちが、というものもあれば、そんなの書きたくないよという押し付け合い(消極的権限争いともいう)もあるが、概ね1時間程度で決定される。
次に事実関係の確認だ。質問の前提となる事実が正確かどうか確認をする。
質問者がかなり角度をつけて事実を述べていることがあるので、国の出先機関や都道府県・市町村にお願いして情報を出してもらう。ここの数字が少しでもズレると「隠蔽だ」などと言われるので慎重かつ迅速に行う。データベース化されていればいいのだが、すべてのことのデータベース化など不可能だ。
事実関係の確認が終われば答弁の作成に入る。ぶっちゃけここは大して時間はかからない。長くても1時間もあれば終わる。
そして、上司の了解を取る。局長答弁であれば、課長補佐と課長と局長の了解さえ取れば良い。ここは常日頃から意思疎通もできているので簡単だ。大臣答弁であれば、局内だけでなく、大臣官房(会社組織で言うところの総務部とかの中枢部門)の了解がいる。ここは局としての答弁ではなく、省全隊の答弁として適切かどうかという観点からチェックするので割と修正が入ることが多い。
それと並行して、他省庁に関係が及ぶ答弁になると関係省庁の同意(合議(あいぎ))を取っておく。国会答弁は政府としての約束になるので、ここで大臣が「やります」と答えて、実施のために予算が必要になった場合、財務省が承知していないと困るわけだ。
この、関係各者への了解を取り付ける作業が極めて長い。全体としての整合性を問われなきゃ楽なんだろうけどそういうわけにもいかないだろう。
一番疑問に感じているところはここだ。正直言ってこれで役人の待遇が下がったとは思えない。
何故か。そもそも、内閣人事局ができる前も、幹部公務員の人事は政治家の意向が反映されていたからだ。
内閣人事局ができる前から、各省庁の公務員の人事権は各大臣が握っているので当然だ。だから、内閣人事局ができて変わったことと言えば、人事に各省大臣だけでなく総理大臣の意向が反映されるようになったことくらいだろうか。そして、それはときの政治家によって積極的に行使される場合もあれば、「よきにはからえ」とされることもあるだけだ。
私の目の前で局長が大臣に反論してすぐ飛ばされたのを見たときは戦慄した。
もともと、役人の間では、「真ん中以上でいれば指定職(審議官や局次長クラス。このクラスまでなると退職金が跳ね上がるので一つの目標)まではなれる。それ以上は政治が絡む」ってのは共通認識だったと思う。
ただ、内閣人事局ができたせいで官僚の自律性が落ちた、や政治家の言いなりになるようになった、などと大々的に報道されることによって学生の方々にそのような認識が植え付けられ、志願者減につながっている可能性は否定しないが。
役所に入る時点で政治家やコンサル等に転じる予定だった人はともかく、入ってから宮仕えにネガティブな印象を持って去っていくのは、概ね①激務に耐えかねて、②ワークライフバランス確保のため、③より高い報酬を求めて、の3通りだ。割合からすると20%、30%、50%くらいだろうか。
人を増やすことで一定程度の解消は可能だが、この施策は賃金と出世の下方圧力になる。
今なおあえて霞が関に残っている人からすると、賃金はともかく出世競争相手が増えるというのはモチベーションに響きそうだ。
ちなみに、20年ほど前に活発にブログを書かれていた官僚のbewaadさんは概ね以下のようなことを述べていた気がする。
○役人として入ってくる人は激務には耐えられる人が多い。薄給もまぁそう。ただ、いわれのないバッシングは堪える。
①と似ているが、こちらは育児や介護などライフイベントで去らざるを得なくなるケースだ。この場合、概ね地方公務員なんかが受け皿になることが多い。また、本人が降格願いを出して、ほぼ転勤がない強度の低い仕事に移ることも多い。
あと、省庁にもよるが頻繁に転勤がつきもののところもある。役人同士なら転勤先を配慮してくれたりもする(配偶者の留学に同行するための休職なんてのもある)が、そうでもなければ別居や単身赴任となる。このご時世それで人を引き留めたりは難しいだろう。
③報酬
私の周りの場合ほとんどがこれだった。特に外資コンサルへの転職が典型的だ。
必ずしも悪いことではなく、正当に評価されるところにいくのは当然だと思われる。
引き止めるためにはとにかく金。
もう一つ、労働時間の上限を決めて必ず守らせ、それにより発生するミスは受け入れること。役人の中にはいろんな意味で仕事が大好きな人も多い。無給だろうがどんどん働く人達だ。また、この人たちはえてして極めて有能であり、役所の仕事の大きな部分が担われているのも間違いないのだが、この人たちの働き方が標準になってしまっていて、皆それに合わせざるを得なくなっているのもまた否めないところだ。
なら、労働法と同じように上限も決めてしまって、彼らに一切働かせないとしてはどうだろうか。(というか今でも一応上限はあるんだけどね、有名無実になってるだけで)
歴史的背景
クリストファー・コロンブス(1451-1506)は、1492年に新大陸(現在のアメリカ大陸)に到達したイタリアの探検家です。彼の航海は西洋に新たな領地をもたらしましたが、近年では彼の行為に対する批判が増えています。
コロンブスの評価が悪化している主な理由は、彼の探検がもたらしたネイティブアメリカンに対する暴力と搾取にあります。今日の価値観では、人権と平等が重視されており、コロンブスの行為はこれに反するものと見なされています。
暴力と搾取: コロンブスと彼の部下は、到着した土地のネイティブアメリカンに対して暴力を振るい、彼らを奴隷にしました。
文化の破壊: コロンブスの到来は、ネイティブアメリカンの文化や社会構造を破壊しました。多くの人々が病気や戦争によって命を落としました。
強制労働: ゴールド採掘などのためにネイティブアメリカンを強制労働させ、多くの人々が過酷な労働条件の中で死亡しました。
歴史的背景
織田信長(1534-1582)は戦国時代の日本の武将であり、中央集権化を推進し、戦国時代の終結に大きな役割を果たしました。しかし、彼の手法は残虐であったことから、一部で批判されています。
比叡山延暦寺の焼き討ち: 1571年、織田信長は比叡山延暦寺を焼き討ちし、多くの僧侶や一般市民を虐殺しました。これは、彼が仏教勢力を抑え込むための手段とされています。
長篠の戦い: 1575年の長篠の戦いでは、鉄砲を大量に使用し、敵兵を無差別に虐殺しました。この戦術はその後の戦国時代に大きな影響を与えました。
一向一揆の鎮圧: 一向宗の反乱に対しては、徹底的な弾圧を行い、多くの信者を殺害しました。
3. 共通点と相違点
暴力と抑圧: 両者ともに目的達成のために暴力を使用し、抑圧的な手段を取りました。
文化破壊: コロンブスはネイティブアメリカンの文化を破壊し、織田信長は宗教勢力を弾圧しました。
歴史的な影響: 両者の行為は、それぞれの地域に大きな歴史的影響を与えました。
相違点
行為の規模と影響: コロンブスの行為は、広範な地域にわたり、多くの民族に影響を与えました。一方、織田信長の行為は主に日本国内に限られていました。
目的と動機: コロンブスの探検は新たな領地の発見と経済的利益が主な動機でしたが、織田信長は国内の統一と権力集中が目的でした。
コロンブスと織田信長が評価される背景には、それぞれの文化と歴史的文脈が影響しています。西洋においては、コロンブスの行為が植民地支配と結びつき、その影響が現代の人権意識と相反するため、批判が強まっています。
一方、日本において織田信長は、中央集権化と戦国時代の終結に貢献した英雄として評価されることが多いです。彼の残虐行為も、当時の戦国時代の混乱を収束させるための必要悪とされることがあります。
教育やメディアの影響も大きいです。西洋では、コロンブスの日が祝日として祝われる一方で、その意義が再考されるようになっています。日本では、織田信長の功績が教科書などで強調されることが多く、彼の残虐行為は背景に隠れがちです。
現代の価値観では、人権や平和が重視されるため、暴力や抑圧行為は厳しく批判されます。コロンブスの場合、植民地支配の象徴としての批判が強いですが、織田信長の場合は、国家形成と統一の一部として受け入れられることが多いです。
5. 結論
コロンブスと織田信長は、共にその時代の歴史に大きな影響を与えましたが、現代の価値観と文化的背景の違いから、それぞれ異なる評価を受けています。コロンブスの行為は広範な地域に影響を与えた一方で、織田信長の行為は日本国内に限られ、国家形成の一部として認識されています。これらの違いは、歴史的な背景と現代の価値観の相違によるものであり、教育やメディアの影響も大きいと考えられます。
別にポリコレがどうとか先住民への忖度がどうのじゃなくて、ああいう学がない表現を素通ししたことで信頼を失ってるだけでしょ。
表現の自由?自由ですよ。お好きなMVを作ってください。ただし、評価は皆さん次第です。その結果、皆さんの総意として、アレって表現としてどうなのっていう話じゃん。ポリコレ表現で自粛することの是非の前に、それを事前に想定できなかったことが問題なんだよ。
だから信用を失った。それ以上でもそれ以下でもないと思うけどね。
・友人夫婦の破局事の話をしきりにされるが仮にそうだとしても関係ない
・異性が一緒に宿泊することとイコールでエロいことはおきず信用が無い
・友人間がギスギスしているという(架空の?)証明できない噂を持ちかけてくる
・人の評価をありなしで下したがる
ラノベの魅力というのはある種の時代性と限定性だと思うんですよね。
特定の時期の特定の界隈以外ではあまり評価されていないようなものほど、ラノベとしての良さがある。
時代を超えて評価される作品は単なる「名作文学」でしかなくて、それはライトとは呼べないと思うんですよ。
『ライトノベルの定義』なんてものは、どうせあと30年もして5chも滅んでしまったら皆忘れてしまうでしょう。
その昔、そんなネットミームがあったという思い出の中に消える。
この「思い出の中に消える」という部分こそがラノベのラノベらしさだと思うわけです。
ある種の時代性と限定性とさっき言ったばかりなんですが、たとえば人類全体の中で感染症が途切れることなく飛び交い続けるかのようにいつも誰かが罹患している中二病があったとしたら、それは個々人の感覚では「アーサー王がめっちゃ好きだった限定的な時代」として存在すると思うわけです。
人類の中にいつからかずっとアーサー王伝説は存在するんですけど、それはいつの時代においても子供時代に憧れる英雄譚でしかなくて、大人になったらごく一部の人間を除けば自然と卒業するような物語だったと思うわけです。
魔術師に導かれ伝説の剣を引き抜いた若き王、奇跡と魔術と剣と聖杯、魔女の陰謀、集う仲間、崩れ去る絆、誰もが一度は憧れるような殿堂入り中二ストーリー。
どれが一番好きとは言わないんですが、ラノベの本体は読後に読者が綴る怪文書だと思っております。
子供部屋に籠もって妄想たくましく自意識をこじらせた者たちが、インプリンティング効果やウェルテル効果で電波ゆんゆんになって書き上げる承認欲求ダダ漏れのレビュー。
遊びの本を読んで、特に責任もないままに、勢いだけで一気に書き上げて、翌朝になって恥ずかしくなって消そうとするも、レビューにいいねがついているので消さずに残す。
そういった諸々に宿る安易でジャンクな薄っぺらさこそが最もライトな文芸なわけです。
そこで検討するに、おぺち本人というのは、平成30年から全然明らかにならず、この、ぷちくらというものはどんな構成物であるのかということが問題になった。出現した警察官の種類を順に
検討するが、板橋ジャパンがあった時期はもはや黎明期と呼ぶにふさわしい時代であり、8月11日に、佳代子が、とにかく警察を呼ぶな、もう呼ばないって約束したよね?出ていってくれる?
という風に、奥田佳代子に言われた。その時代に出てきていた警察官は、大奏(おおかなで)なんとかといったガキだが、あまりにも黎明期の話過ぎてその当時に出現していた警官の種別は
忘れた。R2.6.19から、今でも有名なあの、大嶋が来たらしいが、R3年は、目玉ライトを上下に2つつけていて、赤羽の暗やみから自転車で出現し、帰るぞ、と大声で言う若者がいたが最近は
消えている。その当時、R3年頃は、今みたいなことはまだいわゆる、みんな、と呼ばれる集団がやっていなかったので、布団の中で総合的に検討すると、 本官か木元か熊谷か松本が、おぺち
じゃねえのかな、と思ったが、Twitterの、ぺち、という名札を張っている写真の腕が太いし、その腕の状態が本官と同じようなものだったから、最近になってその、本官と言うのが、ぺち、じゃないのか、
という判断になった。しかし、この、ぺち、というのが一般に、ここから先はぺちを倒してからにしておけ、というものとして評価されており、その中には、人工知能の、八田与一なども含まれているので、
それがどんな構成物であるかといってもにわかに理解し難い。 おぺちの有名なTweet として、 食べるのは好きだから食費は削りたくない、嫌なのは怖いことと虚無です、点滴はいやずら、といった
囲碁最大の問題は情報が届いて欲しい人に情報を届ける手段がない事だと思う
はっきり言って何度も何度も同じ事を書いているが未だにぷよ碁を知らない人がいるし、入門コンテンツから先に入るべき人がいきなり対局を初めて挫折している
ブクマを見ていて、そいつに情報さえ届ける事が出来れば解決するのにそれができずに毎回もどかしい思いをしているのである
そこは俺に任せろと言いたい。全部俺に聞けと
自分は囲碁を覚えた瞬間から普及活動に携わっているから入門指導のプロフェッショナルである。数々の人間を囲碁に入門させてきた。
囲碁の入門書を読み終わった瞬間にどうしてこのシンプルかつ楽しいゲームがこんなに広まってないんだろう、という想いに駆られた。
このシンプルでかつ面白いという両輪の部分が重要だ。面白いけど複雑だったり、シンプルだけどつまらなかったら、そりゃ広まらないよねとなってここまでの普及意欲が湧くことはなかっただろう。
簡単で面白いのになんかみんな難しく考えて挫折してるし広まらない、このもどかしい想いが私のリビドーとなっているのである。
ここで疑問をブクマしてるやつらはわからない事は全部おれに聞け。ボイチャでもなんでもわかるまで付き合うし初段まで手助けする所存だ
この増田もリビドーに任せて書き綴っている。囲碁普及のためにはいても経ってもいられないのだ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/gouponline/n/nedbf64883c00
囲碁もしてるよ!
20240204144432(←参照。トラバになっちゃうから数字だけ)
この手の疑問がある人はまだ「二眼」や石の生き死にの概念に出会っていないだけの可能性が高いです
自分も囲碁がわからなかった時代があったが、二眼を知ったことでようやくこのゲームが腑に落ちました
一部で試みられています
https://youtu.be/_BgY0QVJgRo?t=5799
あるいは、そのヒカルの碁の監修をしている梅沢由香里先生監修の『囲碁であそぼ』で覚えましょう
『囲碁であそぼ』で覚えましょう
韓国ではめちゃくちゃバズってたりするので日本でもこのくらい注目してほしい
https://x.com/lexifdev/status/1799998059029594489
ちなみに毫釐千里というサイトで仲邑菫の対局情報が網羅されていてYoutube中継へのリンクも貼られてます
シンジンソ(世界最強棋士)、崔精(女最強棋士)、金恩持(韓国天才少女)、仲邑菫の4人が韓国囲碁界の視聴率四天王と言われており、仲邑菫の対局は高確率でYoutube配信されます
ぜひチェックしましょう
ちなみに今日も中継されてますね。半目を争う熱い勝負中です(2024/06/14 15:46)
→K바둑 LIVE [스미레vs김주아] 2024 Dr.G 여자최고기사결정전 | 8강 4경기
すでにあるある!そうなってる!
NHK杯は一手30秒(毎週日曜日のお昼にEテレでやってるよ!)
https://shochian2.com/wp-content/uploads/2023/12/IMGP2726.png
シン竜星戦は一手+5秒
https://youtu.be/d7dwt4hXioU?t=631
これも「二眼」や石の死活の概念に出会う前に終局を覚えようとしている可能性があります
二眼がわからないとこの石この後どう打っても死ぬから続ける意味ないよね、ってのがわからないので先に二眼を覚えるべきなのです
そしてそれよりもっといい方法がまずは『純碁』から入ることです。
オセロと同じで盤上に置いた石のみが得点です。それ以外は囲碁と同じ
得点を高めるために盤上に石を埋めていく過程で否が応でも石の死活と直面し、この石最終的にどうやっても取られるよねという場面に出くわします。
石の集団は二眼がないと必ず将来的に取られる現象に気づきます。攻め合いで負けてたら取られることに気づきます。
その運命の決した石こそ『死に石』であり、それらが確定して点数が変動しなくなった局面が囲碁での終局の場面です。
なのでそんな石の運命を見極めなくても、石の運命が決するまで打って死んでるとわかるのが、純碁のいいところです。
まずは純碁から入り、囲碁が純碁の無駄な時間を省略したバージョン、今風に言えば「『純碁』のタイパを上げたバージョンが『囲碁』」であることが理解できるまで純碁を続けましょう
純碁はぷよ碁か純碁公式サイトのWebサイトがよい。後者は教育コンテンツもかなり充実しています
https://www.jungo.games/#/intro
つまりやりようがあるということであり、囲碁のゲーム性の問題だけではないということです
https://i.imgur.com/byM8nFI.jpeg
https://i.imgur.com/Xq0U6Wv.jpg
こういう人はむしろぷよ碁みたいな小路盤じゃなくて19路やるのがいいと思う
小路盤でもシチョウやゲタの手筋とか覚えて戦略の奥深さに触れるのがいいと思う
ちなみに9路盤ではYoutubeに『桜ゴルフ杯』という9路盤のプロの大会が上がっているのでそれを見るとよい。解説も昔から初心者向けの解説に定評がある石倉昇九段だ(『ヒカルの囲碁入門』という書籍もこの人)
難しく考えすぎ!
言ってしまえば石をいっぱい置いたほうの勝ちのゲーム、お互いの石がどっちのHPを0に先にするかという競争(攻め合い)をしてるだけのゲームだ
オセロの角を取ったらそこに連結してる石の集団が二度とひっくり返されないのと同じで、二眼できたらその集団はHP減らし合戦から離脱できる、人生上がりになるというだけの話だ
この原理原則を肌で感じ取れるようにまずは純碁、あるいは中国ルールから入ることをオススメする
日本ルールなんて最後でいいしなんなら別にそのまま覚えなくても囲碁は理解できる
そしてここまで読んだきみ、せっかくなのでブクマして行ってくれ
ブクマしないと届かない、また届かない。書いただけ!情報が必要な人間に必要な情報が届かないんで終わるんだ
そしてそいつは必要な情報にありつけずに一生同じこと言ってるんだよ
でかいところに打ちたい(大場)、敵陣がでかくなる前に抑制したい(消し)、
敵の弱い石を攻めたい、あるいは自分の弱いところを守りたい(急場)と言ったいろんな欲求の元に打たれていると思う
で、このでかいところとか攻めとかの感覚はは一朝一夕で身につくものではないがヒントになる情報は提示できる
自分の石でも敵の石でもすでに生きている石の周りは価値が小さい
自分の生きている石の近くに打っても、すでに地のある所から少ししか地が増えないし効率が悪くこれは終盤のヨセで打つ手だ
相手の生きている石の近くに打つのも同様、すでに生きているため何の脅しにもならず、生きている石は無敵なので逆襲に遭うだけだ
コンビニ出店、あるいは漁場を想像しよう。すでにいっぱい店のあるところ、漁師のいるところに出向いても効率が悪いのだ
これも上記と似ているが、相手の強い石(生きている石含む)に近づいても旨味より逆襲される可能性が高い
囲碁は現実と同じで石同士の”相対的な”力関係が大きな影響を及ぼすゲームです
強い石には遠慮し、弱い石には優位に立ちます
弱い石(眼形のおぼつかない石)を見逃さず急所に接近して眼形を脅していくことで相手に逃げるだけの地にならない手を打たせ、自分は攻めながら地を稼いでるので効率がいいよね、というのが攻めの基本。
場合によっては大石をまるごと仕留めることもできるが殺しにいくのは自分もキズだらけになるためリスキー
・有段者のための囲碁学
そして何よりこの辺の一番の教科書はトビサキの囲碁実況動画である
彼女よりわかりやすく囲碁の作戦、手の意図を喋りながら打ってる人は他にいないのでぜひ見ることをオススメする
一問一答なので各々のセクションによってターゲットが違うのでターゲットの知識に合わせて用語や補足の度合いは調整してある
あまり用語は使ってないはずだがわからない部分はターゲットではないのでわからなくてOK
二眼という言葉の事を言ってるのならそもそもその単語に辿り着かせるための記事なので使用は必須事項
アタリを見落とすのはプロでもあるので気に病むことはない(検索→アタリに突っ込むプロもいる)
ぷよ碁でもぷよ碁じゃなくても対局の数を重ねると目が慣れてくると思う
だからこそこういう記事や周知活動が必要ってわけ、そのために自分がいる
正しい情報にありつけない人がたくさんいるしGoUPのように日の目を浴びないプロダクトがたくさんある
現状、自分で両方打つのは他のを使うしかない。オンライン碁盤で検索すればCOSUMIのやつとかが出てくる
【入門02】攻略!ぷよ碁で勝つための「10のポイント」←この動画がいいんじゃないかな
囲碁、ぶっちゃけて言えば姉歯一級建築士になりきるゲームみたいな所あるからね。
石をつなげて陣地を囲むんだけど、効率よく囲むには「一見つながってないけど相手が邪魔しに来ても確実に撃退できるギリギリの強度で設計する」ことが求められる。
自分が作ったオンライン囲碁部で抜き打ちIQテストをしたところ面白いことにたしかにIQ高い人のほうが高段者である傾向があった
→20240613212420
どうして導線や引用じゃダメでワイが全てこの記事で説明するという手段にこだわるんだい
目的はその人に必要な情報を届けることなのに手段が目的化してる典型だよあなたたちは
しょういうこと
AI登場以後の囲碁は、序盤で三々に入る(陣地を取りに行く手)ことが主流になっているのだけど菫ちゃんはほぼ絶対にそれを打たない
陣地が多い方が勝ちのゲームなのだが、かつての宇宙流武宮正樹のように地を取りに行かず中央志向の手を打ち続けている
囲碁の攻めは、必ずしも相手を殺しにいくためではなく少しだけ相手より得をするために行うのだけど
上野愛咲美は少しでも相手の石を殺せそうなら殺しに行く、そしてそれが決まってしまう
それが豪快で楽しい
宇宙流の仲邑菫
全く天才ではないが、それまでに自分の中のボードゲームといえばMTGとか遊戯王の
「◯◯されたら◯◯の時、◯◯になる」「◯◯は◯◯の時◯◯してはならない」
みたいなカード一枚一枚がルールを持ってるようなめちゃくちゃルールに修飾されたゲームの世界を当たり前だと思ってたから
このシンプルなルールでここまでのゲーム性が成り立つのかって感動したよ
二眼の生きもTCGとかなら「眼が2つあったら生きとみなす、そこに打ってはいけない」みたいになると思うんだけど
着手禁止点というシンプルなルールから導かれるただの事実・自然現象、定理でしかないことに感動を覚えたね
囲碁を覚えるまでは、自分はオセロも将棋も弱々だったしこの手のゲームは苦手なんだと思ってたけど囲碁は石が動かないから読むのが簡単ですぐ手筋が覚えられたし、ただ学習法を知らないだけだった、書籍を読むということをしてないだけだったと知ったよ
囲碁を覚えた後は将棋も強くなった。オセロはからっきしだ。間違いなくオセロが一番むずい
ちなみに中原誠も囲碁をやると将棋が強くなると言ってるし将棋派の人間もやる価値はある。米長の書いた囲碁本もあるのでそれがオススメだ
棋力のことなら打ってればこの人は何級くらいってのはわかる。ネット碁サイトで申請した級で数局打ってみれば自分の実力がどのくらいなのかもわかる
局面の優勢具合のことなら最近は将棋と同じでAI評価値が当たり前になってるので数字を見ればわかる
一緒に教えられてるよ。そこに辿り着く前にふんわりした情報で囲碁わからん、陣地わからんって判断してる人が多いということ
そりゃわかるわけないよってのが現状
はっきり言って教える側も文章じゃつらい
いくらでも配信で図と音声を使って教えるので「kukulu 囲碁広めるマン」と検索して見つかるアカウントへDMして日時と要望を教えてください
ソーシャル メディアで存在感を示すことは、今日では重要ですが、投稿するだけでは十分ではありません。オーディエンスを増やすことも必要です。以下は、オーディエンスを増やすための簡単なヒントです。
1. ニッチを選ぶ
まず、自分が得意なこと、情熱を注ぐこと、世界にもっと貢献できることは何かを理解しましょう。何かに秀でているということは、そのニッチを知っているということであり、自分の情報で人々を教育することができます。それは、アート、絵画、描画、料理などです。今日の人々は、常に何か違うユニークなものを求めており、それが好きなことで創造的になるきっかけになっています。覚えておいてください。常に得意なことに集中し、流行っているからという理由だけで何かをしてはいけません。確実に結果は得られますが、結果の一貫性は同じではありません。
どのニッチを選ぶべきかがわかれば、同じような好みを持つ人々を見つけられます。彼らはあなたの作品を高く評価し、その評価はオーディエンスにもっと貢献する意欲をかき立てます。何に重点を置くかを理解していなければ、オーディエンスが何を好むかを理解することはできません。オーディエンスが好むものを把握できれば、あなたの仕事は簡単になります。必要なのは、主要なオーディエンスについて、たとえば彼らの悩み、類似した特性、好みなどについてリサーチすることだけです。
コンテンツが鍵です。だからこそ、彼らはあなたのオーディエンスになるのです。オーディエンスに焦点を当て、型破りな素晴らしいコンテンツを作りましょう。最初はさまざまなコンテンツを試して、どれが自分に合っているか理解しましょう。写真、動画、ストーリー、アンケート、ライブ ストリームを試して、オーディエンスの関心を維持しましょう。オーディエンスが求めているものでなければ、オーディエンスはコンテンツに関心を寄せません。また、クイズやアンケートを実施してオーディエンスの関心を引くこともできます。プロフィールを定期的に更新しましょう。週に数回でも、一貫した投稿スケジュールを目指しましょう。こうすることで、オーディエンスはいつ新しいコンテンツを期待できるかを知ることができます。もちろん、頻繁に投稿することは重要ですが、品質も重要です。時間をかけて、オーディエンスに価値を提供する、視覚的に魅力的で有益なコンテンツを作成しましょう。
3. より社交的になる:
オーディエンスと交流し、オーディエンスとのつながりを築きましょう。より社交的であるように自分を表現して、コメントやメッセージに返信し、オーディエンスに気を配っていることを示しましょう。批判的なものであっても、コメントやメッセージには速やかに返信しましょう。こうすることでコミュニティ意識が高まり、さらなる交流が促されます。オーディエンスに質問して会話を盛り上げましょう。アンケート、クイズ、自由形式の質問は、人々の会話を盛り上げるのに最適です。良い景品を嫌う人はいないでしょう。コンテストや景品の開催は、新しいフォロワーを引き付け、エンゲージメントを高める楽しい方法です。
探索されるのを待っている素晴らしいソーシャル メディア コミュニティの世界が広がっています。Facebook グループ、LinkedIn グループ、サブレディットは、ニッチなコミュニティを見つけるのに最適な場所です。ディスカッションに参加し、専門知識を共有し、志を同じくする人々とつながりましょう。自分の分野で成功している人々が何をしているのかを見てみましょう。彼らをフォローし、彼らの戦略から学び、可能であれば協力しましょう。ハッシュタグはソーシャル メディアのキーワードのようなものです。関連するハッシュタグを使用して、新しいオーディエンスにコンテンツを見つけてもらいましょう。
5. 待つだけ:
忠実なオーディエンスを構築するには、時間と献身が必要です。一夜にして結果が出なくても落胆しないでください。価値あるコンテンツを作り続け、オーディエンスと常に交流し、その過程でマイルストーンを祝いましょう。オンラインの世界だけにとどまらないでください。名刺、Web サイト、メールの署名にソーシャル メディアのハンドルを含めてください。あるプラットフォームのフォロワーに、別のプラットフォームでも活動していることを知らせましょう。これにより、リーチを拡大し、より統一されたオンライン プレゼンスを構築できます。ほとんどのソーシャル メディア プラットフォームには分析ツールが用意されています。それらを使用して、オーディエンスの共感を呼ぶコンテンツを確認し、それに応じて戦略を調整してください。
ReferenceReference: https://fly-social.com/