はてなキーワード: キャッチャーとは
タッチとか、メジャーとか、おおきく振りかぶってとか、ダイヤのAなんだけど
ふと思ったけどどの野球漫画もピッチャーかキャッチャーが主人公なんだなと思った
正直漫画読んでてもルールあやふやなくらい野球には疎いんだけど、でも野球って9人でやるスポーツで、バッテリー以外にも7人もいるんだよな?って不思議だった
サッカー漫画もラグビー漫画も色んなポジの主人公の漫画があるのに、なんで野球はピッチャーかキャッチャーしかないんだろう
あいやごめん、探せばあると思うんだけど、あったとしてたぶん打者としての活躍がメイン(4番バッターみたいなやつ)だよねきっと。ショートとかレフトとかの守備うまいやつが主人公の野球漫画ある?
マリみてでアニメ好きになった。同時期に始まったプリキュアは一度も見たことがなかったが、プリキュアおじさんなる存在は耳にしていたし、
当時はプリキュアおじさんを「自分の道を貫き通すかっこいい存在」とさえ思っていた気もする。
それから20年。娘が3歳になり、なんとなくプリキュア(スカイプリキュア)を見せたところ「かわいい!」と大喜び。
「これ……もしかして自分がプリキュアおじさんになるかも……」と世にも奇妙な物語や笑うセールスマンみたいな展開になると思いきや、全くハマらなかった。
子供向けによく作られたアニメだなと感心はした。変身バンク。OPとEDのキャッチャー(OPは難しいが)さや、EDで各キャラがダンスを促す演出など、娘は大喜びだった。
キャラクターの造詣も男性好みの萌えではなく、りぼんよりのビジュアルで、スラっとしたモデルの様な体形も現代的だなと感じた。ルッキズムを助長するような気もしたが(これはきっと親になったことや、年齢のせい)。
大人でも一定数好きになる人はいても、スカイプリキュアを本気でかわいいと思っている大人は割とガチのロリコンなのでは?と思うのは考え過ぎだろうか。
最終回を見終わった後、娘は「もっと「プリキュアみたい!」とせがんできた。アニメ好きではないがレトロ好きな妻が「一番最初から見てみたら」と提案してきた。レトロはアニメにも適用されるのかーと、娘とふたりはプリキュア第1話を見た結果。
お父ちゃんは心が躍った。キモオタだった頃の気持ちが少し蘇ったと同時に納得した部分もある。
これは何の裏付けもない個人的な意見だが、ふたりはプリキュアはスカイプリキュアと比べると女児向けというよりもろアニメオタク向けの作りだった。
EDにはフッフーと合いの手が入っているし、時代もあるがキャラクターの造詣ももろ90年台アニメな雰囲気であり、演出も含めおじさん受けしそうな内容。
思うにこの時はまだ女児向けアクションのノウハウが確立されておらず、制作側もある程度オタクの層が見ることを想定していたのではないだろうか。
スカイプリキュアがプリキュア第1弾として今始まっていたら、恐らくプリキュアおじさんは誕生していなかった様な気がする。
ふたりはプリキュアを見るに、プリキュアおじさんの誕生は必然的だったんだなと感じるが、3歳の娘の親になった今、もしプリキュアのイベントに行って同年代のおじさん達が盛り上がっていたら、
気持ち悪くはないが怖いと思うだろうなーと、ゲッチュウ!らぶらぶぅ?!を聴きながらここに記す。
あんな誰からも好かれるマッチョイズムの頂点に立つ男にパートナーがいないってすごい面白いよ。
だって、そういう人には彼女いるのが普通だしセックスしてて当たり前だから。普通だから。
アイドルだって人から好かれる要素をいくつも持っているからアイドルやれてるんだろうし、そういう人が同じ状態だったら面白いもん。
問題があるのは、できもしないことをやろうとしているアイドル本人かやらせようとする事務所の人間でしょ。
こんなのは大谷がピッチャーできない間はキャッチャーとして試合に出ますと言うようなもん。
そりゃできれば面白いし見てみたいけど無理だからやらないじゃん?
仮にやってみて失敗して最悪怪我することになっても、それは大谷かドジャースの監督か編成の人間が責任を取るべきであって、勝手に期待した野球ファンが悪いとはならないでしょ。
勢い
買った順
エロいVampire Survivorsフォロワー。大味だがまあまあ楽しめた
妙に抽象化された小惑星上の工場ゲー。アステロイドキャッチャーの一発屋
惑星をテラフォーミングするゲーム。ちゃんと森が生えて水没する。面白かった
経営者になろう! 経営者RPGとして様々な小売店を手掛けるゲーム。チェーン店化すると虚しさを覚えた
X4のDLC。遊べてない
地球防衛軍5。懐かしくて買った
アップデート前に購入。十分楽しめたがクリアまでは行ってない。買い。開発中
地下系工場ゲー。地下版Satisfactory。ゲーミング発光植物と閉塞感に耐えられるなら買い。開発中
ドライビングゲーム。試しにやってみたらビックリするほどハマれなかった。車を運転する楽しさがわからない
Google Play Passで全タイトルプレイして所有したかったので買い。
船舶解体ゲーム。アホみたいな構造だけど楽しい。最新アップデートでめっちゃ壊れるようになった
ローグライクNoita。ステージは正直楽しくないが魔法の設計は元ネタ並みに楽しい。結構クリアした。開発中
買った。
戦艦DLC。核廃棄物の処理がストレスだった。砲弾一発で沈みそうな船体構造に涙
の捕捉漏れ分
沙東すずさん(旧名:メレ山メレ子さん)の新刊「奇貨」を読んで、自分の頭の中でぐるぐるしていることを、感想としてしたためます。
ご本人に長文DMを送り付けるのは怖がらせるのではという懸念から、慣れ親しんだはてな匿名ダイアリーを利用します。ご本人にURLを知らせるかどうかは、、、悩み中です。
https://mereco.hatenadiary.com/entry/20231105/1699185014
まえがきを「錆びた灯台に灯を入れて、自分にしかできない痛みの話をする」で締めるのすごすぎませんか。
💡 この文章の主語はわたしです。例えば「怒っている」と書いたときの主語はわたしであり、作者ではありません。
恋人だろうが夫婦だろうが心変わりすることはあるだろう。なにも「好きって言ったのに!ひどい!裏切者!」と詰りたいわけではない。
別れ際に関係を終わらせることへの謝罪をろくにせず、「この状況を演じている自分に酔い」「恋人を泣かせている自分に酔い」「別れ話のあと飲みに誘ったあげく、頭のてっぺんにキスして出ていった」ことに怒っている。とんだ三文芝居。
おそらくだけど、最初は連絡せずにいられなくて。そのうち恋人に考え直して欲しくて。そのあとは、悪意を持って自分を傷つけようとする元恋人と決裂するために。
元恋人との闘いの記録では、作者の「自分の気持ちを文章にする力」にぐいぐい引き込まれた。過去の自分の失恋を思い返しても、感情に流されてとてもあんな風に言語化できなかった。
作者の元恋人は「すずさんの自信というか、自己愛の根拠がこんなにもおれになってたことは気づいてなかったし、いたましいし、申し訳ないと思う」とメッセージを送ってきたそうだ。
あなたが今落ち込んでいるのは、おれに依存していたからですね、気づかなくてごめんね、ということか。バカにしやがって。
自立した人間同士、信頼関係を築く努力を続けてきた(と思っていた)のに、最後にお前がぶち壊したんじゃないか。
よくもまあ他人の失恋話でこんなに怒れますねと言われそうだが、元恋人に対しては知らない人なのでとくに何の感情もない。
わたしは5年前くらいから「信頼できるパートナー」と定義している人がいる。今後の人生もできるだけ一緒にいられるように努力しよう、と話し合った相手だ。
そのパートナーはおよそ半年に一回の頻度で、感情的になる。わたしの何らかの行動や言動に、自分への敵意を見出し、スイッチが入る。わたしにはそれが予測できない。
スイッチが入ると「わたしからの電話は出ない」「DMなどでわたしへ感情的なメッセージを投げつける」「話し合おうとしても取り合わない」といった行動に出る。
そうしているうちにわたしは心身がやられてしまい、落ち込んで、寝込んでしまう寸前にSOSを出して、ようやくパートナーが話を聞いてくれるようになる。そうして仲直りをする。
わたしはいつ爆発するかわからない爆弾をかかえているような気分だった。
このサイクルを繰り返して分かったことは、パートナーは「感情的なメッセージを投げつけること」はコミュニケーションの一種であり、「言い過ぎてごめん」で許し合うものと考えているらしかった。
自分の口から出た言葉は相手に受け取られるものなので、「言い過ぎた」という意味が分からなかったが、それはわたしが言葉というものを神聖視しすぎているのかもしれない。
わたしは、もし相手の行動や言動に違和感があったら、まず対話が必要だと思っている。対話をしないでいきなり感情をぶつけることは、すごく傲慢なことだと思う。
これまで何度も「対話をしないで感情をぶつけるのは止めてほしい」と伝えてきたが、相手を変えることはできないとつくづく感じた。
他人に相談したら「それモラハラじゃないの」と言われそうな気もする。
彼はわたしの「信頼できるパートナー」では無かった。そう認めるのにすごく時間がかかった。5年もかかったのだ。
すずさんの文章を読んで、はからずも自分の思考も整理することができた。
今気づいたけど、わたしの元パートナーも絵を描く人だったな。言葉よりも感情を優先することが、芸術において大事なことなのかしらと想像してみたり。知らんけど。
わたしが「信頼できるパートナー」を持つことは本当に可能なのだろうか、と最近考える。
友達は少ない。死にたい気持ちのときに「死にたい」と言える友達はひとりだけ。そのひとりに対しても、本来の死にたさを十分の一に薄めて愚痴っぽいオブラートにくるんでいる。
それだけで十分だという気持ちもある。
40年以上、内向的で自己と対話をしてきた人間なのだ。他人と深い関係を築くのは難しいのかもしれない。
余談だが、わたしの父が亡くなって10年以上経つが、父がキャッチャーとして甲子園に出場していたことを最近知った。普通そういうの子供に100回は自慢するやつじゃないの???
高校の部室に1巻だけあった野球漫画についてちょくちょくインターネットで調べているんだけど、全然見つからないので誰か知ってる人いたらおしえてほしい
なんとなく覚えている内容はこんな感じ