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はてなキーワード: 絶望とは

2016-09-29

アニメや周りの人間を見ているのが辛い

アニメや周りの人間を見ているのが辛い。

アニメでの幸せ描写を見ると、自分には一生手にはいらないものだということを感じて苦しくなる。

最近は、妙に人間関係リアルアニメ流行っているのかますます苦しくなる。

自分の通う頭の悪い大学で、ある一定基準以上の容姿人間を見ると心底苛立ちっぱなしである

彼らが持っていたり得ているものを、醜い人間である自分は手にはいれることが出来ないのだ。

深いニキビ跡が大量に付いた見ていられないほど汚い皮膚や酷いくせ毛や大きな顔がどうにもならなそうなのだ

見てくれの良い女や男の容姿幸せ自分には来ないことに絶望する。

あるアニメを見て、そこの背景のモデル地があるスペインに行きたくなった。

他にもプラド美術館ゴヤなりを見たいというのもあった。

しかし、そもそも旅行自体に行く気力が失せた。

結局は容姿が汚いので、楽しくなれないと感じた。

また、美術が好きではなかったことに気づいたからだ。

2016-09-28

キリスト元ネタアニメ漫画

キリスト

であるキリストが、ロンギヌスの槍処刑されることによって、全人類の罪を浄化する。

エヴァンゲリオン

知恵の実(ユイ)と生命の実(S2機関)を手に入れて神と化した初号機が、ロンギヌスの槍で貫かれることによって、全人類デストルドーを上昇させてATフィールド決壊させる(パシャパシャ溶ける)。

コードギアス

世界統一した皇帝ルルーシュが、ゼロの剣で貫かれることによって、全人類の憎しみを消去する。

まどかマギカ

多数の因果を負うことで円環の理(≒神)と化したまどかが、自分存在記憶犠牲にして、過去現在未来魔法少女絶望浄化する。



ほかなんかある?

もう限界だ なぜ安楽死がないのか

もう限界だ。

自分自分である事にたえられない。

自己肯定感が低いのは確かにそうだ。

だが、客観的に見たスペック社会自分を低いカーストへと固定化しようとする。

それが嫌で嫌でたまらないのに、なぜそれを甘えというのか。

自分高学歴の世界にいた事があるからわかるが、

結局勝ち続けている人たちは負けている人から搾取する事をベースに考えている。

努力能力免罪符自身合理化し、負けた人たちは生活できるだけでもありがたいと思えという。

それはシステム上そうならざるをえなかっただけであり、システム自体に疑問を抱かない。

彼らの言う大人であるくらいなら、まだ堀江貴文氏のように問題提起をしてそれに立ち向かう人間の方が人間らしい。

いや、大人であると思う。

自分もそうやって生きていたかったのに。

そうすることすらできない自分能力の低さと病気が生きる気力すら奪ってしまった。

もっと力を得て、困っている人を助けたかった。

一つでもいいから歪んだシステムを正したかった。

でもそれはもうできない。

悔しい。

 

今は自分がどういうプロセス死ぬしか考えられないが、

その過程でかならず迷惑がかかってしまう。

安楽死制度さえあれば、その迷惑の量を減らす事ができる。

にもかかわらず、なぜ安楽死制度がないのだろうか。

結局GDPを向上させるための消費装置政府は失いたくないだけなのだろうか。

頼むから、この世に絶望し、死ぬ事でしか救われない人たちの負担を軽減する手段模索してほしい。

安楽死があることによって救われる人間がどれほどいるだろうか。

お願いだから安楽死制度を整備してほしい。

それが生きている人間絶望した場合に、少しでも苦しみを減らす手段となるのだから

悪魔ドライブ小説感想

Kindle Unlimited対象小説だったので何気なく読んでみた。

作者も知らない。

だが読了後に感じたのは、ベストセラー小説でもなかなか味わえない得も言われぬ充実感だった。

それは、感動でも絶望でもない。

この物語には、現実にいたら懇意にするのが難しい人ばかり出て来る。

だが非現実的でもありながら、キャラクターに妙なリアリティがあるのだ。

やがて登場人物の中に、普段自分の、そして周りの人の影を見る。

僕は自分自身記憶経験投影せずにはいられなくなった。

〜〜〜〜(本文一部抜粋)〜〜〜〜〜

『確かにこの男が生徒に腹を立てるのを見たことはない。

だがそれは優しさではなく、物事の感じ方が異質であるからのように思えた。この男にとってすべてはどうでもいいのだ。関心のない番組のように消すのが面倒だから眺めているだけ。

教える義務果たしているのだからあとは好きにしろという態度だ。そういう教師のほうが何をするかわからない。』

『内職を注意したら襲われたと新垣説明した。端的に事実を報告するような話しぶりから新垣が本気でそう認識していると久太郎にはわかった。

理解できないものはすべて悪、そんな単純な世界新垣は生きているのだ。そこでは無知と悪意は純粋で正しいものとして塗り替えられる。 』

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

進むに連れて物語は少しずつ事件性を帯びてくる。

しかしそれはあくまで、人間性を様々な角度から抉り出すための舞台装置しかないのだ。

そしてそれだけで面白い小説が書ける小説家は決して多くはない。

ヘリベマルヲはその中でも異質に思えた。

いつか内容を忘れたとしても、自分の中の何かがゆっくりと引っ張られるようなあの感覚を、僕は忘れることはないだろう。



悪魔ドライブ

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2016-09-27

http://anond.hatelabo.jp/20160927182954

元の人は、自分未来自分で作れなくて(作る力がなくて)悲観的になっているのだと思うよ。

NHKブコメ絶望コメントしかなかったと、見たいものだけ見ている

本当に小学生かもしれないし、小学生の中身のまま大人になった人かもしれない。

俺はGHQ早くきてくれーってずっと言い続けてたのに

今更絶望だとか言ってるやつはなんなんだよ

日本子供を作るのは罪だと思う

NHKの「縮小ニッポン」が話題になっていた。ついたブコメもほぼ絶望しかなかった。みんなが言う通り、この国の将来は悲惨ものしかならないだろう。そんな中で、私はこの日本で「子供を作る」という選択をしている人はなんて罪作りなんだろうと思っている。



これからまれてくる子供は、絶望しかない日本暮らしていくことになる。この日本子供を作るということは、子供地獄に突き落とす行為となんら変りないように思う。本当に子供のことを考えるのであれば、日本子供を作るべきじゃない。海外移住してから、もしくは海外移住できる目処を立ててから子供を作るべきだし、日本を離れる意志のない夫婦子供を作るべきじゃないと思う。相当な資産があるならまだしも、普通の人は衰退する日本子供を作るべきじゃない。



なぜ相当な確率で不幸が約束されている状況で子供を作ろうとするのか、私には理解できない。それは単に「子供が作りたい」「子供がいる生活がしたい」「子供を生きがいにしたい」という親の身勝手なだけで、地獄に放り出される子供はたまったもんじゃないと思う。

2016-09-26

炎上芸人」の理想現実

理想

体感)4割くらいのアホ「何だこのふざけた意見は!」「こんなこと言うなんてありえない!」「○○(言及されている側)がかわいそう!」

体感)6割くらいの人「叩いてるやつはきれいごと言うけど実際この通りだよな」「ぶっちゃけこいつらのせいで俺らが不当に損してるよな」「実際コレは皆思ってるよな。世間知らずな連中はギャーギャー言ってるけど」

現実

社会的問題は誰かの感想じゃなくてデータに基づいて語りましょう」「他人生殺与奪権なんて主張しだしたら社会崩壊するわ」「さも自分が書いたかのようにコピペしてんじゃねぇ」

炎上した奴

うわーネットで「叩く流れ」になっちゃってんじゃん。これもう何言っても話聞いてもらえねぇわ~。ちゃんと中身読めよ、中身をよいい事言ってんだろうが。

うわーいい事言ってるのにそういう「流れ」になっちゃったから叩き一色じゃん、流れがなー、ネット空気がそっちに流れちゃったからなー




この手の人達の何が間抜けって「炎上狙った」とか言ってるところ

この人が狙ってたのは煽情だ。

煽って煽って火を燃やして、おいしいお肉でも焼いて食おうかと思っていたら、自分身体に火が付いたのだ。

普段はさも賢そうに振る舞っていながら、その実自分がやりたかったことすら理解できてないとは滑稽だ。その状態で「火が付いたこ自体問題じゃないけど思ったより熱かった」とは無様だ。「たまたま風がこっち側に吹いたか自分に火が付いた。今回は運が悪かった」とは絶望的なまでの学習能力の無さだ。

そしてこの手に人達には神の祝福を受けているので自分たちに都合の悪いことは認識しないかしても即座に忘れることが出来る。

そしてそんな間抜けがまた燃え上がるのを期待して、彼らの周りには見物人が集まる。そしてその人たちを養分にして、彼らはまた生きながらえる。

本当にインターネットってあたたかいところですね。

子供がいない人ってもっと見下されていいんじゃない

例えば、30代で無職。体は至って健康。みなさんその人を見下しますよね。穀潰しwwニートじゃんwwwって。

さてそれはなぜか。社会に貢献していないからです。

社会ってのはみんなが頑張って働いて、価値を生み出して、その価値の一部を税金として納めて、やっと維持できるような代物です。みんなが働かずだらけたら成立しないわけですね。

もっと言えば、知的障害者社会の中で3人に1人もいたらその社会は確実に崩壊しますし、人工透析者が3人に1人いてもそうなるでしょう。

からU被告とかH氏の思想根底にあるのは、こういう社会お荷物人権保護とか言って過剰に保護してたら、社会のもの破綻して、頑張って働いてた人たち含めてみんなが割りを食うぞ、という危惧なわけです。社会のものが立ち行かなくなったらそれこそ大変ですからね、119しても救急車が来ないかもしれません。

結局、知的障害者保護施設で暮らせるのも、人工透析者が人工透析を受けられるのも、彼らの数が社会の「まともな」構成員に比べて十分に少ないからなのです。

さて、そういうわけで、社会を維持するためには、頑張って働いて価値を生んで納税してくれる「まともな」構成員を増やすことが重要になります

全員平等を謳った共産主義では、怠け者に罰を与える事でそれを達成しようとしました。怠け者はシベリア送りです。一方資本主義では、頑張った人に御褒美をあげることで達成しようとしています。みんな頑張って働いてお金を稼いで都心のタワマンの高層階に住もうぜ、と発破をかけて、働き者を増やそうとしているのです。

しかし、生活保護で最低限の生活保証されている、資本主義のこの国であっても、働かない者には罰があります。その罰が社会的評価です。

職にもつかず、生活保護で貰ったカネでパチンコを打ってぷらぷらしてる、そんな人間は、徹底的に人々から見下されます。当然ですよね、必死になって働いた俺達のなけなしの給料から払ってる税金が、アホ面した穀潰しパチンコ代に消えているわけです。なんだあいつ、死んじまえよ。こんな人間がどんどん増えたら社会全体が破綻するわけですから、そういった人間コミュニティから排除しようとするのは、社会的生物として至って正当な判断ではないでしょうか。

そして、人間社会的生物ですからコミュニティから排除されることを本能的にたいへん恐れます。それこそいじめを受けた子が自殺してしまうくらいに。

から、人が働く動機としては、遊ぶカネが欲しいということ以上に、村八分は嫌だ働かなくちゃ、ということがあるように思います文系が院に行かないのも、理系博士に行かないのも、他のみんなが就職するからなんじゃないでしょうか。

また、生産価値の高い職業に就くほど、社会的評価も付随して上がっていきます医者一流企業に就けば「立派な人」になれるのです。自己承認欲求の満たされ具合も上々でしょう。

こうして、みんな働いてますよ、働かないと差別されますよ、と唆されることによって、社会のうち大半の人が働いてる面があると考えます自分だけひとりぼっちになりたくないという人間心理を突くのは、社会を維持する上で非常に優れた戦略ではないでしょうか。

そして、私はこの戦略少子化対策にも適用できると思うのです。

少子化は、社会にとって非常に深刻な現象です。中国の脅威やテロの脅威など一瞬で吹き飛ぶ程度には深刻な脅威です。尖閣が取られようがビルが爆破されようが日本社会システムのもの崩壊することはないからです。

しかし、少子高齢化がこのまま進めば、2060年には65歳以上の高齢者率は驚きの40%です。現在社会保障の仕組みを維持することは難しくなります労働人口が減少しまから経済は停滞します。介護施設パンクします。暗黒時代です。そうかと思って移民を入れれば治安が悪くなります。また現在人口を維持するペースで移民を受け入れれば、2100年頃には移民のほうが日本人より多くなります

というわけで、子供社会にとって超重要資本です。これが途絶えたら社会は終わりです。もう暗澹たる未来がすぐそこまで来ています。これを打開するためには、すこし強硬手段を講じても良いのではないでしょうか。

フランスのように子育て支援を充実させるのも一つの手です。しかしそれだけでは多分足りない。出生率を2.1程度には上げておきたい。

じゃあ、子供がいない人を無職ニート並みに社会的差別したらどうだろうか。

子供という最大の資本を生んでいないのだから、働いていない人間と同程度の扱いを受けるのも仕方がないのではないか

結婚しない人生のあり方を肯定するなんてもっての外。独身者暮らしをまるで薬物中毒者みたいな悲惨な感じに演出してワイドショー特集したりとか、相手を選びまくって結局結婚しなかった人が悲惨な末路をたどるようなドラマとか流せば、未婚者を差別する社会下地ができるだろう。

そして、未婚者をSNSとか職場とかで八分にしよう。「30代独身女のヒステリーやばいwww」とかをはちま起稿あたりがまとめて、コメント欄でどんどん叩こう。30代で独身はありえない、非国民だ、そういった風潮が醸成されればなおよし。

そうすれば、みんな必死になるでしょ。自分趣味時間がどうこうとかキャリアがどうこうとかの問題じゃなくなる。自分コミュニティを失う恐怖。道行く人全員に嘲笑されている気がする。もう残った奴に不細工しかいなくても、結婚するしかない!みたいなところまで追い詰める。美男美女を見て、ありもしない甘酸っぱい恋愛に憧れを抱いている場合ではないのだ。恋愛に興味がない?そうか、クズめ。道端で干からびて死んどけ。

そして同じように3人子供がいないやつは甘え、3人も養えないとか底辺かな?と煽っていく。一人っ子愛情を注ぎすぎて破綻する家族関係とかの映像テレビで流しまくれ。もちろん子無し夫婦を叩くのも忘れるな。

するとどんどん周囲の人が結婚していく。ひとりぼっちになる恐怖。家族がいないひとりぼっちだけでなく、社会からもひとりぼっち。怖いなあ。絶望自殺ちゃうよね。だから結婚しなくちゃ。結婚したら、みんな3人子供を生むのがノルマらしい。じゃあ産むよね。みんなと同じが絶対いから。

……と、トントン拍子に行けばいいのですが、そんなにうまくは行かないだろうとは思いますしかし、子供社会にとって最大の資本である以上、子供がなければ社会から差別されても仕方ないのではないでしょうか。だって次世代社会に貢献してないし。

ただ困るのは、不妊治療しても子供が出来ない夫婦や、ゲイレズの方々、努力しても極端にモテない方々。養子縁組日本ほとんど進んでいないですし、極端にモテない人は残念としか言いようがないです。

2016-09-25

Re:ゼロから始める異世界生活のどこが面白いの?

Amazonプライム会員なので、各所で好評なRe:ゼロから始める異世界生活を見てみた。

死ぬセーブポイントまで戻る異世界転生系ラノベ原作らしい。


プライムにある24話まで見てみたのだけど、コレの何が面白いの?

確かにエミリアやレムはかわいいけど、強くてツンデレテンプレラノベキャラだし、

敵を前にして延々悩んでるし、魔女教の司祭?は敵を前にして喋って無駄な動きしまくってるし。

あんだけ無駄な動きしながら悪行の限りを尽くしても捕まらないって、官憲とどんだけ実力差有るんだよと思ってしまう。



何よりも、死んだらやりなおせる話で、一々絶望してる主人公って何なの?

序盤では積極的に死んでやりなおしたり、かと思えば終盤では死んで延々レムに愚痴ってるし。

死ぬのは苦しいだろうが、死に戻りを口にすると魔女にアレされるのも慣れていってるし、あんだけ死ねば慣れるだろ。



批判的な事ばかり書いてるけど、マジで何が面白いのかよくわからんので、教えて欲しいというのが本音だ。

クリエイティブ系の仕事をしているので、流行ってる物が全く理解出来ないと不安になる。

Re:ゼロを楽しんで見ている人たち、あの作品のどこが面白いの?




死ぬ事に慣れることは無いと思うんですが……。死んだ事もないのに慣れるって判断できる増田はすごいな。


現実に死んだ事が無いか判断出来ないというなら、ファンタジー世界に転生した事が無い人が論評するのもおかしくなりますね。

と、一行で終わるブコメですが良い機会なのでもう少し続けます



何度も繰り返せば、どんな事でも慣れるのは、生きていればわかるかと思います

Re:ゼロから始める~の主人公は何度もやっていて、しかも死に方を見ると喜々として崖から飛び降りたりしてますよね?

あと、死ぬほど厳しそうな死に戻りを口にすると魔女にアレされるやつ、どんどん慣れて、囮になる為に自分からやったりしてますよね?

主人公死ぬ事や魔女にアレされる事に明らかに慣れている描写散見されます

慣れるだろという指摘は、演出が後押ししていると思いますが、いかがでしょうか?



さて、ここまで読んだ上で、どうして慣れているという判断をしてはいけないのか?根拠が有るのでしたらご教授下さい。




「喜々として崖から飛び降りたりしてますよね?」自分が見ているアニメとは違うアニメのようなので言及できなかった。いつこんなシーンがあったのだろう。


第七話 ナツキスバルリスタートです。殺されるのではなく、初の自殺をするシーンですね。

絶対に助けてやると叫びながら死に戻るのが当然といった風情で崖から飛び降りています

死に戻って当然と、ほんの少しも疑わずに飛んでいますね。

死に戻りが不明確説は、この七話で崩壊していると感じています

白鯨戦後の死に戻りでセーブポイント発言がありますが、恐らくこの辺りで、すでにセーブポイント認識が有ったのではないでしょうか?

渡り鳥ってココに在るだろうと思っていた所に湖がなかったら焦るの?

「やべーよ、やべーよ、湖ねえじゃん!もう次の湖までの体力残ってねえよ…(絶望)」



って感じ?

例えがうますぎてワロタwww

湘南純愛組、GTOが大好きな私ですが本当に残念です。藤沢さんあなたはもう枯れてしまった老害だということをきちんと認識してください。ヤンマガ読者ですが藤沢とおるが連載開始すると聞いたときはガックリしました。

少年マガジンで君街が終わって喜んでたらすぐに瀬尾が戻ってきたくらい絶望しました。

GTO パラダイス・ロスト(1)

映画聲の形』は商業的なマイナス要素を極力排除して再構成することで売ることに逃げ切った作品

観終わった最初感想は、漫画聲の形』が映像化されないことを確信したショックだ。

 

まず先に断わっておくが私が言いたいことは原作を崇めて原作未読者や映画馬鹿にするといった内容ではない。

映画製作に携わる人間が『聲の形』をどういったつもりで再構成したのか、

またその再構成の結果として商業的な成功を収めたことや、

そのせいで映画聲の形』(以下、映画しか漫画聲の形』(以下、漫画)に触れていない多くの人に誤解させてしまったということ、

そしてこの世で漫画聲の形』が漫画聲の形』という作品しか伝えられなかった、他のラブストーリー青春物語ではできなかったこと…映画からは外されてしまったことについて触れる。

この日記を読んで少しでも漫画に興味を抱いたのなら、漫画にて『聲の形』というコンテンツを全て消化すべきであり、

本当の答えを噛みしめ、確認しなければ作品聲の形』には全く触れないで人生を終えるといっても過言ではないと言っておこう。

これはステマではない。

なお漫画ネタバレになりかねないよう、これから漫画を読む人間にとって害にならない程度に極力抑えるつもりだ。

これはステマではない(繰り返し)。

 

そしてあくまでも日記なので読みづらさや誤字脱字などは勘弁してもらいたい。

 

制作スタッフが行った再構成とは

単純に2時間半に収めるには物理的な無理があったため、大幅にカット再構成されている。

その点だけでも漫画映画は全くの別物と言っても差し支えない。

しかしこれは映画1本に収めるという制約上仕方のないことで、これに関しては特に言及するつもりはない。

要は、漫画が伝えたかった要素をコンパクトにして映画で伝えられたらいいだけだからだ。

まり、私が問題にしているということはその再構成漫画が伝えなければいけなかったことを大部分が外されているからだ。

 

制作スタッフ映画を見に来た観客にできるだけ「負の感情」を強く抱かせないように気を使って再構成している。

分かりやすく言うと「なんだよこのクソ鬱映画!!」みたいな感想にならないよう、できるだけイライラ不愉快になるような要素や、

生々しい要素をオミットしている…その商業的にも負になりかねない要素たちだけ、

この映画への梯子が外されて下に蹴落とされている…といったイメージだ。

漫画では読者の心をえぐってくるような要素が宝石箱のように詰め込まれている。

主人公石田にともすれば殺意を抱かせるだけの強いクズ描写がされており、

小学生時代石田を無条件に悪だと読者は強く確信でき、そこに同情の余地もなければクラス手のひら返しにも憤慨するだろう。

映画ではかなりあっさりと流されていて、このせいで不快な思いをだいぶ軽減されているが、

石田の「俺は清算して死ぬべきだ」という気持ち映画視聴者に軽く受け取られやすくなってしまった、薄っぺらく見られやすくなってしまっている。

漫画の特色として、読者の暗い感情をこういった不快いじめや生々しい描写で刺激しつつ、

当事者である石田がどうやってそれを乗り越え、まともに生きることはできない、けれど死ぬこともできなくなったところを出発点に歩き出した、

というのが最初石田西宮出会いで、だからこそいじめた本人である自分友達になろうとするという不条理を進まなければならなくなったという経緯がある。

まり最初の死への渇望とその道を閉ざされた石田心理描写を読者に刷り込ませるためには、

石田所業が到底擁護できないくらい行き過ぎた描写であることが『聲の形』という作品には不可欠なのだ

それを見た読者の底にドロドロと横たわりだした感情を燃料にして、出会いが種火となり燃えながら、時には火が消えかけながら、それでも何とか大きくなろうとする炎の様子が、本当の『聲の形』の姿だ。

作品として、「読者(視聴者)の負の感情」が必要なのだが、これは前述したとおり耐性のある人間を選んでしまうため商業的に足かせともなりかねない、

判断され軽減・外した、というのが制作スタッフ再構成で行ったことだ。

ピンと来ないなら激辛だと食べれないから中辛にした、ということだと思って欲しい。

そのおかげで結果として極力不快要素を外し京アニ作画力とキャラの可愛さで万人が食べれる作品へと変化し、

商業的に成功を収めることができ、映画映画として勝利した。

映画聲の形』は売れることに邪魔になる重りを捨て去り新品のランニングシューズを履いて走り抜けた。

でもそれは漫画が這いつくばってたどり着いたところとは違うゴールであり、

その漫画がたどったコースとゴールは今後二度と映像化され現実化されないということを確信し、制作の手腕の勝利も同時に確信し、私はショックを受けた。

 

映画だけを視聴して誤解してしまった人々

帰ってレビューに目を通すと、やはり石田心理描写が把握しきれていなかったり、

よく分からなかったという感想もちらほらと目立った。

障碍者としての西宮葛藤や苦悩もかなりあっさりされているので重いテーマだったという感想はありつつも、

そこから広がりを感じるような形としての感想が出てこず、実は何も考えさせられてないというのが観察できた。

西宮がなぜ笑い続けなければいけなかったのか、西宮がなぜ思い詰めてしまったのか、

石田も同様になぜ最初に思い詰めて、それでも西宮と違い諦めなかったのかということに説得感を出すためには、

やはり前述した「読者の中に生まれたドロドロとした暗いもの」を燃料にするための不快要素がオミットされたことが原因である

 

聾唖の人たちから意見も、この不快要素オミットのために発生した説明不足、その他ところどころに出てきてしまった脈絡のないように見える行動もこのオミット行為副作用となっている。

から必要なのだ

聲の形』という作品を完成させるためには必要な要素だった。

ただ、それは商業的な成功には必要なかったし、事実それで勝利を収めてしまった。

これは作品の特色であってもビジネス上で不利益とみなされたものは無かったことにしていいという資本主義思想に対する芸術創作の完全敗北と言い換えてもいい。

とにかく大多数に対して理解されやすければ、消化しやすコンテンツであるならばいくらでも特色を消してしまっていいという姿勢だ。

それに深く静かな絶望を覚えたのは、漫画既読組には少なからずいただろう。

家に帰ったあとそれは視聴した沢山の人のレビューを読んで感じているかもしれない、私みたいに。

一体、映画を見た人の何割が石田自分を重ねることができたのだろうか。

嫌な汗はかくことができただろうか。

 

漫画聲の形

漫画の『聲の形』は、一度死を望んだ石田自分が行ったことを思い知らされ、なおかつ死ぬという逃げ道すら断たれたことで、

前を向いて、半ば仕方なく、半ばやけくそで行動する・西宮友達になるというスタート物語が始まる。

石田のやったことがどれだけ許されないことなのか、また当時の登場人物たちが流され、無力で、愚かで、間違えてきたことが心をえぐられる程度に描かれている。

この最初の導入でしつこいまでに鬱要素をぶっこむことで読者は自分過去やってしまった罪の意識を思い出し、無意識石田に重ねる、石田は読者の暗い過去だ。

今風にいうと黒歴史人物化したキャラクターとしてこれで形作られる。

過去が黒ければ黒いと形をはっきりしてくるキャラクターだ、それは視聴者の闇の色と同じ色をしているからだ。

それをやらなかった映画石田に対する感情移入がバラバなのは、つまりは、その黒歴史へのアクセスが不十分になってしまたからだ。

普通、そこまで思い返すほどのトラウマ黒歴史を持つ人間は少ないので、

その場合石田に代行させて罪の意識を増幅させるためにも石田のやったことは大きく描写されていた方が感情移入のためのパイプを築ける。

 

そして、死ぬことを閉ざされた石田が、つまり黒歴史から目を背けずに、常に意識して生きなければいけなくなった「あなた」は、

どうやって生きていけばいいのか、どう周りと接していけばいいのか、取り返しがつかない過去石田あなたはどう向き合っていけばいいのか。

それが『聲の形』の作品としての本質だ。

決して障碍者と涙ホロホロ最後ハッピーなだけの作品ではない。

石田黒歴史を貼りつけながら歩き続けるプレイヤーとなり、読者は過去が脅かすことに石田と共にドキドキしながら、辛さを共有しながら、

最初不快感を感じていたはずの石田自分に、いつしか何とかしようと奔走する石田応援しだす。

過去は取り返しがつかないかもしれない、

けれどこれから西宮未来は泣かせないように行動することができる。

それを問いかけてくる作品なのだ

それが『聲の形なのだ

 

過去の追跡がどれだけ辛く暗いものなのかが、このテーマを重く受け止めるために必要な手順だ。

ところが、何度もいうがこれをオブラートに包むか削除してしまったため、このテーマが盛大にぼやけてしまった。

漫画では西宮の家庭環境小学校教師との再会や映画作り、いてもいなくても一緒だった真柴のちゃんとした存在意義など、

この暗さと前向きにもがく様を描くための要素が何度も繰り返されている。

その最後の結末が、読者のこれから背中を押す形で終わっている。

生き続ける石田現実に生きる私たちへの、エールへと繋げられている。

それが『聲の形なのだ

 

そしてそれが他のラブストーリーにできなかったことで、『聲の形』だけができたことだった。

他のラブストーリーに、何とかしようとして上手くいかずに古傷をえぐらせるような真似をして、

それでも読まざるを得ないという状況にもっていけるだけの能力がない。

「これはどうなってしまうのか?(他人事とは思えない感想)」と思わせるのがこの作品面白さでもある。

 

聲の形』にとって障碍者という要素はいじめの歴史を作るためのただの道具の1つに過ぎず、それが本質ではない。

本質は、変えられない過去と変えられる未来、そして過去を受け入れるというこの3つの要素だ。

消極的に変わらざるを得なかった石田が変えられない西宮を救い、

一緒に変わっていこう、と2人とも前向きになるという完全に内面の話なのだ

そして変わりたいけど変われなかったという気持ちの重さ、辛さ、ドロドロした暗い時間の積み重ねを描き切ったのが漫画だ。

読んでいる人間石田の状況に嫌な汗をかき、そして小さくホッとする作品なのだ

その作品映像化はできていない。

できていないのに、商業的に成功している。

 

変わることの重要性を訴えた作品が、

そのメッセージの大部分を消失しながら、

大ヒットをしている。

 

まず私はその現実に立ち向かわなければいけない。

そう、思った。

 

…私はこの映画を予約するのに3時間かかった。

ネット予約操作方法が分からないのではない。

映画館聲の形から心をえぐられることに2時間半耐えられるか悩んだからだった。

ところが実際は、別のことでえぐられるとはそのとき私は思いもしなかった…

2016-09-24

役人とは、他人人生管理する仕事である

とある件により、「クレーマー問題が再浮上している。今から書くのは、一種の「クレーマー擁護である。ただし、電車問題関係ない。

自分は、今、貧困問題に関わる活動に参加している(ちなみに、いわゆる「デモ」は参加していない)。当然生活保護受給者ホームレス人達と毎週のように接している。汚い身なりだし、クセも強いけど、普通はかなりいい人で、よく笑いながら一緒に過ごしている。もし同じ中学クラスとかだったら、仲良く過ごせたかなーと思える人達ばかりだ。

ところが、そういう人達が、役所に行くと、途端にクレーマーに変貌したりする。実際に知っている人でも、ホームレス役所から住宅を割り当てられたというのに、物件が気に入らず散々ケチをつけて、意地はって路上に入るくらいだった。なんでそんな風になっちゃうのか。

99.9%の人にとって、役所というのは、単に手続きをとる場所に過ぎない。パスポートをとったり、結婚したり、身内が亡くなった時に出向いて、いいところ一時間くらいの付き合いで終わる場所だ。けれど、これが貧困障害家庭内問題(親、子の暴力など)に遭遇した途端、最後の拠り所になる。そして、その拠り所に何かを否定される(申請した手続き拒否される)というのは、政治的死刑宣告に等しい。

というのも、現代役所というのは、人が生まれた時から死ぬまでを徹底して管理する存在からだ。そこから否定されるということは、世の中に存在してはいけないと言われるのと同じだ。

僕の知っている人でも、若いホームレスで、自分関係する団体出会って、ようやく次のステップに行けると思った時に、「役所に行く」と言い残して、その後失踪した。おそらく何か拒否されたのだろう。無事見つかったものの、以前から患っていた鬱を悪化させたみたいだ。

ニュースでも、「旦那暴力に耐えかねて飛び出したけど、その直後に孕んだ子供手続き旦那の娘になると知って、旦那との関係を持つことを恐れて、無戸籍のまま放置した」「生活保護申請を断られ、一家心中しようとしたけど自分だけ生き残った」なんて話を聞くが、そういう際の「役所に断られた絶望感」というのは、経験しないとわからない。自分も、著しい困難にぶつかり、「役所の手を離れると、世の中こんなに住みづらいのか」と実感した。自分に関しては、かなりイレギュラー手続きもとってもらい、役所の人にはとても感謝している。

クレーマーになるか自殺を試みるかは人よりけりだけど、役所との関係はそんなに変わらない。よくある「生活保護打ち切り宣言したら途端に暴れ出した」なんてのは、ある意味断られた方に同情してしまう。

最近は「行政サービス」なんて言い方をすることもあって、自分たちを「サービス業」と任じるような人もいるけど、本当はそうじゃない。彼らは「人間管理者なのだ。それがどうしたと思うかもしれないけど、少なくともそういう論点を持たない限り、行政クレーマー問題は終わらない。それがいやなら、公務員にならない方がいい。

うまく描ききれてないけど、僕の言いたいこと、わかってくれる?

2016-09-23

長谷川某はイケハヤのように海外からもっとスマート炎上せよ

http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/48487334.html

http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/48497760.html

(閲覧注意)


ヨッピーだったら炎上しないのかなあと思いつつ、もしそうだとすればはてなーも堕ちたもんだけどさ。

まあ、ヨッピー他人を口汚く罵ることはなさそう。自分がいつその状態に落ちるかわからいから。「元アナウンサー」という肩書の有無でこうも評価が変わるとなると、やはり日本は先手必勝なのだなあと思うわけです。「とと姉ちゃん」でも「自己実現欲求のために働いているのに、貧乏だと後ろ指を指される」という一言があって、日本の「ちょっと人と違うことに嫉妬して叩く」というのも変わらないのだなあと。




そんな話がしたいのではなくて。

Weblogの方も一通り読んで、大体の主張理解。ただ、僕は長谷川某が耳を傾けるに値しないという先入観で読んでいるから、原則伝わらないと思うけど。



 某のスタンスとして『炎上ってとても素晴らしい。だって拡散できる。』というのがあるわけで、炎上はある種意図的にやったと解釈。だとすれば、一次炎上すれば、某は目的を達成したわけで、その後のTwitterブコメにムキになって反論することはないのだと思うのです。だって、『ピーチクパーチクとうるさい人』扱いだろ。つまり取るに足りない有象無象だと思っているのです。

 別に彼らを無視するのはかまわないし、無視すべきだと思う。ネトウヨがうざいように。でも、某はそれも執拗に叩くのです。『なんなら、私を応援する現場医師たち、15人くらい、呼んできてやろうか?参考になる話、たくさん聞けるぜ?』『ネットで私の悪口を書くしか能のないバカたち』などと。



 これは某が本当に『あなた方の現実はちゃんと分かっています。』と言いたいなら、彼らにムキになって相手にすることはないと思うのです。すればするほど、某も彼ら同様に「悪口を書くしか能のないバカ」扱いされてもしゃーないなと思うのです。かくいう私も度重なる某の煽りに対し、「長谷川某?あーまた人格破綻者がなんか言ってるわ」などと先入観で見てしまう。残念ながら、今回の一件も、たとえ某がどれだけ『ご自身に全く非もない中、腎臓を悪くされ、人工透析を行っている患者・またご家族の皆さん。』の苦しい思い、悲しい思いを取材していたとしても「人格破綻長谷川某がなんか言ってるわ」と私は思ったので、「ご家族の皆さん」の思いは1mmも伝わらんかったんですよね。

(つーか、ちゃんと取材しているならわざわざ『あなた方の現実はちゃんと分かっています。』って予防線張らなくてもよくね?だって長谷川さんは私たちのために、あの憎き不摂生透析患者を叩いてくれている。ネットはいくら叩かれようと、わかってるよ」と"あなた方"はわかっているのだから、それをわざわざアピールせんでも。)



 これはすごくもったいない。これこそ日本の損失。



 まず、仮にも記者自称するなら、伝えたいことが聞いてもらえない、伝わらないって致命的なことだと思うんですよね。存在価値の有無を問われるレベルで。






 ただ、某には感謝しているんですよ。だって、「日本若者たち生活が「崩壊している」から言っている」「私たちの子供が大人になった時、あまりにも絶望的な国・日本を引き継がなければいけなくなってくる」から吠えているそうなんですから。私も30歳なので世間的には十分若者、なので某は私の味方のはずなんです。全然味方感ないけど。



 いや、某が勝手日本正義感ぶってくれるのはありがたいんですよ。一銭の得にもならないのに、むしろバカどもからいわれのない謗りを受け続けても(いくら無視しても物理的な被害可能性とか、精神的な澱はやっぱり溜まってくると思います家族親族への謗りとかも)吠え続けているんですよ。でも、それだけエネルギー使うのもったいないと思うんですね。少なくとも家族はいい顔をしないでしょう。

 なので、某にはマジでシンガポール香港移住して、浮いた取材に係るエネルギーを私腹肥やすほうに使ったほうがいいと思うんですね。「まだ日本で消耗してるの?」などど言いながら。だって「こんなクズ保険年金システム国家」なのですから。少なくともあなた家族絶対winですし、あなたに多くのエネルギーを使って叩いている人々も別の活動能力注げるからwin。朝から次の朝まで延々と仕事してる厚労省職員精神的な苦痛を受けずに済むしwinなんですよ。



 おお!完璧だ。



 なので、某は心から海外移住おすすめしたい次第です。




追記。

なんか隊長っぽくなった。

自業自得かどうかの判断システム」はどうやってやるんだ?という叩きもあるけれど、これはある程度まではできるように思う。まず先天的糖尿病患者ex.1型)は排除それから遺伝子検査腎臓を患いやす遺伝子を持った人も排除できるだろう。(遺伝子検査の精度はさておき)また、生活習慣のチェックリストや、これまでの健康診断結果を基に評価するという方法もできそうだ。(個人情報保護法を乗り越えるのは少し大変だが。。。)これまでの診療歴を見てもいい。ストレスチェックよりかは遥かに評価簡単そうだし。

 とはいいつつも、

 1.評価基準ってあるのか?ないならエビデンスに基づいた基準を最低でも学会レベルで定めないと。

 2.システム構築に係る費用って、現状の透析システムを続けるのと比べてどれぐらいペイするの?

 主張するなら、せめてこれぐらいのデータはほしいよねえ。

IT】巨大、大きい、中くらい、小さいプロジェクト、どれが幸せ

考えてる定義

小さいプロジェクト  1人で複数掛け持ちするくらいの大きさ  2人月以下

中くらいのプロジェクト  数人で行うくらいの大きさ  3〜25人月くらい

大きいプロジェクト   数十人で行う大きさ  25〜100人月くらい もしくは数十人のエンハンス、継続改修とか

巨大なプロジェクト   組織をまたぐような大きさ  100人月〜 もしくは数百人以上のエンハンス、継続改修とか

 

小さいプロジェクト 利点、欠点

利点:すぐ仕事に慣れることができる、繰り返し試せる、効率化できればすごく儲かる

欠点:やり方がオレオレになる、タコツボ化する、そればっかりな人になる、色々抱えて抜け出せない、引き継げない、値崩れリスク

 

中くらいプロジェクト 利点、欠点

利点:適度な責任を負うことができる、リーダー要件定義など上流に食い込みやすい、上流〜下流までやろうと思えばできる、スピード感を持てる、チームビルディングなども経験できる

欠点人材の換えが効かなくていっぱいいっぱになる、意外とテンプレ化できなくて非効率なことが多い、人依存が強くチームに不出来なものが1人居るだけで割りと詰む、会社の規模が小さい場合が多い

 

大きいプロジェクト 利点、欠点

利点:キャリアパスを描きやすい、給料も高め、人材の替えが効くくらいの規模になりやすい、頑張ればそのプロジェクトの中で大分成長できる

欠点スピード感は無い、デスマ化しやすい、PM力に依る、上流に食い込みづらい

 

巨大なプロジェクト 利点、欠点

利点:職としては安定する、詳しい人が組織内に居ることが多い、有名なプロジェクトやりがいがある事が多い

欠点プロジェクトが長すぎて浦島太郎化する、全体を見通す力が失われる、世の中のスタンダードがわからなくなる、仕様書伝言ゲーム政治問題、頑張っても成果物の良し悪しには影響度が低い

 

怖いこと1

規模を跨ぐだけで文化がガラッと変わるが、その文化IT業界全体での常識だと思いこんでいる人が多い

一生同じ規模帯に居るならいいが、規模を跨ぐことがあるとカルチャーショックする場合もある

 

怖いこと2

会社内に色んな規模のプロジェクトがなくて、行き来しづらいこと

同じプロジェクトや、同じようなプロジェクトに5年とか捕まると人材として凝り固まりそう

小〜大まで揃ってると心配はそれほどない

 

怖いこと3

規模のミスマッチ悲惨

一人で黙々とやりたい人 → 小さい規模

職を安定させたい人 → 巨大な規模

技術を磨きたい人 → 中くらいの規模、大きい規模

ものづくりをやりたい人 → 小さい規模、中くらいの規模

上流〜下流まで磨きたい人 → 中くらいの規模、大きい規模

 

という感じだと思うが、何もわからずに規模を選択してしまい、それが常識だと絶望している人をたまーに見かける

怖いこと4

巨大な規模のプロジェクトをやってる会社正社員で入ってしま

技術屋というよりは総合職よりになってしまう人も見かける

人を回すことが仕事になり、将来が不安になって出ていくのだが、そこで中くらいの規模帯の会社に入って今度は待遇の悪さに絶望する

転職するなら

巨大 → 大 ◯ よりプロジェクトに関われる

巨大 → 中小 × 待遇の悪さに驚く 30代くらいで世の中見えてきた頃ならいいかも? 

 

大 → 巨大 ◯ より職は安定する、リーダー的なポジションに付けば技術力も別の方向に伸びるのでは

大 → 中 ◯ リーダー職ならあり?

大 → 小 △ どん判

 

中 → 巨大 × あまり別世界

中 → 大 ◯ PL経験後にこの選択なら有りでは

中 → 小 △ フリーランスとかなら有りかも

 

小 → 巨大、大 × 死にたくなると思う

小 → 中 ◯ 歓迎されると思う

 

個人的な最適解

 

大に新卒

20代のうちに中に転職

30代で再び大に転職

フリーランスになり小〜巨大を行き来する

30代後半で中〜巨大の会社に潜り込む

  

もちろんこんな順調に行ってないけど?

2016-09-22

じゃあ二択だ

(1)そいつ絶望的に女の口説き方を知らないただの阿呆である可能

そいつなりに「彼女作ろうとした」のかもしれねんだよ。あんたというキャラを読んで(読んだ「つもり」で)下ネタにまぎれさせて。男にみんなムーディーな誘い方で巧みに彼女作る手腕やトークスキルがあるなんて期待をすんじゃねーよ。「やらせろ」くらいしか言えない最低な男なんて世の中にいくらでもいるんだよ。



(2)そいつが単なる下品クズデリカシーの欠片も持ち合わせない性欲魔人で正直増田のこともターゲット候補としてしか見ていなかった可能

まずてめえの「人を見る目の無さ」を歎け! そして今後そいつが何を言ってこようが「お前サイテーだな」しか言う必要ないし、その場合周囲の反応も「知ってた。つーか、なぜ今さら?」だろ。増田もすでに相当変な人間だと思われてるよ。



書いてて、アレだな。その男過去(現在)彼女がいたかいなかったかで、(1)か(2)かに分岐する気がしてきたがそこはどうなんだろうな。(1)はまあ「不器用」だよ。(2)はちょっと軽い異常だな。最近話題になった某芸能人みたいな、と言えば分かり易いか

ただどっちにせよ「長年つきあってて相手がどういう人間かきちんと想像できてない」という点では、増田も十分「デリカシー無い」行動してる人間範疇に入るんだよ。(1)であろうが(2)であろうが、この手の人間とはそもそももう少し適切な「距離」をとって付き合うもんだ。そのことはせめて頭に入れとけよ。

http://anond.hatelabo.jp/20160922221034

文章力遺伝すると聞いて絶望した


両親は致命的に頭が悪い。なぜなら子供虐待するような人間からだ。

本を読んでいる姿を見たことがないし、見ているのはTVだけだ。


知能が低いということは、つまり文章力がないということだ。

文章力がないか作品を作っても人から共感は得られない。

小説エッセイ脚本も書けない。

表現者になりたいのに表現者必要遺伝子がないことを知った。

まどまぎの作者で有名な虚淵玄祖父推理小説家、父は俳優、曾祖父東大教授だという。

ちーとすぎる。生まれが違いすぎる。有能な遺伝子をしっかり引き継いで成功している。くそう。

賢い親の元に生まれて一流の表現者になりたかった。

仕事の進め方がわからん

3ヶ月後にある目的を達成するための仕事Aが発生したとする。自分担当している仕事はもちろんそれだけじゃない。



少し前までは最終的なゴールが先だったり具体的な締め切りが無かったりすると、毎日仕事に追われて「今日もAの事何も計画できなかったな、何も作業できなかったな、でも疲れた帰ろう」という事が多かったから、最近はゴールが遠かろうが、毎日定時時間内に15分でも30分でもやる時間を決めて取り掛かるようにしている。そうすると割り込み仕事はある程度ブロック出来るようになった。



考える作業絶望的に苦手だから必要なことを洗い出したり計画立てたり、解決策考えたりするのにやたらと時間がかかる。上司や回転の早い同僚が30分でまとめる事が出来る事を、自分だと1日かかったりとか。



でさ、そうやって「これこれが必要」って考えても実際にそれに取り掛かり始めると、「あれ、これも必要だろ」とか「これもやっといた方が良いかも?」って事が結構出てくるじゃん?もともとすごい時間かかるタイプなのに更に時間かかるじゃん?で進捗ミーティングしたりすると更に必要作業が増えたりするじゃん?最終的な期日は変わらないのに。そうこうしてるうちに期日はどんどん迫ってきて残業増える。



ゴールから逆算してマイルストーン置いてとか、理屈ではわかるんだけど、作業始めると、考えが甘くて想定できてなかった作業が増えるし、結局予定通りに進まなくて積み上げ型になってしまう。最後すごい残業して何とか間に合わせるみたいな。

最後まで全貌が見えないから焦るしモヤモヤするしで精神的にも負担が大きいので何とかしたい。



プロジェクトと言えない位の小さい規模の仕事でもルーチンワーク以外はいつもそんな感じなんだけどどうすれば良いのよ・・・

近鉄フラストレーション

近鉄がいったん止まった時の絶望感は代替する輸送手段のなさに由来する。

首都圏とはまるで違うのだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20160922073752

アトピーゾンビ二号が虐めで不登校になった

中学の時、アトピーゾンビと同じく、アトピーゾンビウイルス感染してる奴とクラスが一緒になった。

アトピーゾンビよりも症状がひどかった。

彼は顔と首の肌が赤く、カサカサと乾燥していた。首や体を掻く様は見てるだけで不快指数が高くなった。

おまけに重度のコミュ障で、声が小さく、挙動がキョドッテいて気持ち悪かった。

「こりゃ虐められるな」と思った。

クラスメイトの話によると、もともと明るい奴だったが、小学生の時にアトピーゾンビウイルス感染して容姿が醜くなって虐められるようになり精神おかしくなったようだ。

彼と話したことはないし、どんな人間なのかもよくわからないが、観察した限りでは悪い奴じゃなさそうだった。

から僕は、彼を心の中でアトピーゾンビ二号と呼ぶことにした。




彼はアトピーゾンビと共にスクールカーストの最底辺にいた。

いつも無気力でだるそうな目をしていた。自分のしょうもない人生に嫌気がさしていたのだろう。

悲しいことに顔面偏差値は高かった。だから余計辛かったのではないだろうか。

アトピーゾンビ不細工なので諦観できているが、顔面偏差値の高いゾンビは辛いだろうな。

これさえなければ人生楽しいのにといつも絶望していたのだろう。




クラスほとんどが虐めに加担していた。無関心だったのはアトピーゾンビを入れて三人だけだった。

小学校が同じだった奴が中心となって虐めていた。手慣れていたので、おそらく小学生の時にも虐めていたのだろう。

虐めは精神的なものだった。肌がキモイ風呂入ってんの?、ゾンビw、治るようにちゃんと努力しろよw、お前のまねw(肌を掻く真似をしながら)、無視などだ。

もちろんゾンビ二号を蹴ったり、ボールを投げつけたり、腕パンっていう遊びに強制参加させたりという肉体的ないじめもあった。

容姿に優れていて運動勉強もできて教師の評判もいい奴が「お!こいつ虐めてんの!?俺も混ぜて!」と言って楽しそうに一緒に虐めてた。

人生は生まれで決まるんだなと思った。




そんなこんなで数か月たっぷりクラスメイトに虐められたゾンビ二号。

彼が初めて学校を休んだ時、クラスがざわざわしていた。

教師教室にいないときクラスメイトの一人が「やったーwww」と両手を挙げて喜んだ。

それを見たクラスメイトがつられるように、

「ざまあみろw」

「もう学校こないでほしいww」

あいつがいない教室最高w」

キモイから虐められて当然だよね!」

ちょっとからかっただけで不登校とかww」

自殺すれば社会がきれいになるねw」

自殺してくんないかなーw」

「また学校来たら虐めようぜw」

いいねーw」

「虐められたくないなら努力しろって思う」

「ねー!不潔な自分が悪いのにね」

こんな感じのことをクラスメイトのほぼ全員が言いまくっていた。

教室が悪意に満ちた笑い声に満ちていた。

クラスメイト達の満足げで醜悪な表情をみて人間は醜いな。と思った。

同時に、次は自分が虐められる番なんじゃないかと恐怖と不安でドキドキビクビクして死にそうだった。

幸いにも虐められることはなかった。虐められなかった理由は今でも不明だ。






本当のことを言うと虐められなかった理由はなんとなくわかる。

アトピーゾンビいじめに加担していたからだ。

家柄がよくて容姿に優れた恋愛勝ち組クラスメイトに、「お前もやれよw」とボールゾンビ二号に当てるゲームに参加させられた。

日々のアトピーゾンビウイルスストレスを晴らすかのように思いっきりぶつけた。

「おぉー!いいねーw」とクラスメイトは喜んでいた。

ゾンビ二号は少し泣いていた気がする。

同じスクールカースト底辺人間に虐められるのがつらかったのか、同じウイルス感染している人間なのに自分は虐められてあいつはされない理不尽だ、とでも思ったのだろうか。



その後、アトピーゾンビアトピーゾンビウイルスの痒みと痛み、受験期の激しい虐めが原因の鬱と対人恐怖と学習性無力感で見事受験に失敗。

関東ごみ高校という五流高校入学することになった。

アトピーゾンビ二号が今何をしてるかは分からない。人生絶望して、もしかしたら自殺たかもしれない。まぁ生きているより、そっちのほうが幸せだよな。




どんなに善良な人間でもアトピーゾンビウイルス感染しているというだけで周囲から理不尽仕打ちを受ける。

まぁ、惑星地球は健常者専用の娯楽施設だから、非健常者が排除されるのは当然だよね。終わり。

2016-09-21

母が自殺した時のはなし

それは何の代わり映えもしない初夏のある日だった。家に帰ると母が首を吊って死んでいた。私はその死体を見て、ただ、「母が死んでいる」と思った。ひょっとするとそれほど珍しいことではないと思う、そうだ、自殺はよくあることなのだし、それを家族が見つけることだって、探せばよくある話なのかもしれない。それでもよくあるかないか問題なわけではないのは明らかだった。私は人の死体を見たのは初めてだったけれど、それが死体だということはなぜか、痛いほどに分かった。最早生きていない。生気というのか、生き物のその残滓すら感じなかった。リビングの横の部屋で暗がりに紛れてひっそりと死ぬ母は、こちらを向いていなくてその顔を見ることは出来ない。触れたわけでもない。それでも直感と肌で感じる全てが母の死を物語っていた。ロープの絡まる首の肌は引きつれて、項垂れた頭は重力に負けている。足先は赤黒く変色して、1ミリたりとも心臓が動いていないことは明らかだった。その右手けがまるで意志を持つほどに強く支柱を握り締めていて、そこだけをみると一瞬私は母が生きているのではないかと思う。死後硬直が、そんなにも硬いなんて、私は知るよしもない。そこまで見て、私はやっと母から目を逸らした。全ては救急警察に任せ、遺体安置所で再会するまで、もう二度とその自殺した死体を見ることはなかった。

私は自殺した母の顔を見なかった。だからこそ余計にどれほど苦しみ恐ろしい顔をしているかと異形を想像しては眠ることも出来ず、また背を何か、布団や壁に押し当てていないと自分の見えない後ろ側が恐ろしく、ベッドに仰向けに寝転がって天井をただ見上げながらこれから自分はどう生きるのだろうかと思った。

母が死んで分かったことは、思っていたよりずっと私は悲しくないということだった。肉親を亡くせば悲しかろう、寂しかろうとも思う、そんな気持ちは全くなく、ただ母のことを想うと鉛を飲まされたような気持ちになる。憎しみとか負の感情があるわけではないけれど。母が死んでから私は母のことを思い出さない日はない。思い出すことは、それは母の死体のあの背中で、首で、足で、手なのだ仕事中も、電車の中でも、風呂でも、とにかく何度も何度も思い出しては、時間けが過ぎていく。普段は誰の前でも、平静に安穏に元通りの生活を手にしているように見せているし、自分でもそう、思っている、つもりなのだけれど、その時間だけは、なくなることはない。涙もない。悲しいことなんて少しもない。本当にただ、人が死ぬということはどういうことなのだろうかと考えてしまう。

私は母が死ぬのではないかと思っていた。自殺すると思っていたわけではもちろんないのだけれど、近いうちに逝ってしまう気がしていた。その日も、家に帰って扉を開けるそのときに、母が死んでいるのではないか、死んでいたらどうしようかという不安が過った。それは間違いない、嘘ではない。それでも自分の悪い予感というのは当たった試しがなかったし、まさか――まさか、と思っていた。皆そう思っていた。おそらくは、本人も。だから母は死んだのか、そうでなくても死んだのかは今はもう分からない。母が死ぬのかもしれないと思っていたのであれば止められたはずだという気持ちと、どうしようも出来なかったと諦める気持ち。死を、察していた。それでも自分の母が、まさか自分の母が死ぬはずないと思っていたその背反を抱きしめたまま私はずっと立ち止まっているのだと思う。後悔しているのか、自責なのか、何度も問答を繰り返している。兄弟が、「きっと母は楽になれたはずだ」と自身を納得させるように言ったとき、私も肯諾したけれど、「でもたぶん違う」ということは、皆腹の中で思っていたはずだ。母は絶望して死んだのだ。その絶望は、はかることは出来ないけれど、どれほどのものだったのだろうか。遺書もなく、語る言葉もなく死んだ母の、本当に望んだものだったのだろうか?物言わぬ人形になり果てた母の背を思い出すたびに、私はアレが自分の将来の姿なのかもしれないと思う。幸せだったはずだ、母は、幸せだったはずだ。それなのに、すべて、失われてしまった。私も今は、何一つ不自由なく暮らし、学び、働き、誰かを愛し、愛され、若く、健やかなわけだけれど、いつかそれは失われる。そうすれば、絶望の中に、死ぬのだろうか。30年後の私は、また、同じように私の娘の前で、死んでいるのだろうか。そういう思いを、拭えないままでいる。胸に刺さった十字架、というのか、そういうものである。たぶんこれが、自殺遺族として生きるということなのだと思う。果てない問答を己のうちで繰り返し、深く傷ついたこころを癒すことも出来ないで、何度も死を舐めては、胸に積もりゆく砂のような何かの重みに耐えられず、這いつくばってそれでも生きるしかない。私はいま生きているのだと思う。この文字を書き連ねることで少しでもその砂の重みが軽くなればいいのにと思う。悲しみではないその空虚を受け止めて、受け入れて生きていくのだと思う。それが自殺遺族なのだ。悲しむことも憐れむことも、憎むこともできないままでいる。そうやって過ぎていく時間を、何とか耐えている。

GANTZおもしろ

いまさらガンツ読んだらめっちゃ面白かった。一冊読むのに10分くらいしかからいから、あっという間だった。

苦労して敵を一体倒したと思ったら複数体に取り囲まれてることに気付く絶望感は最高。ベルセルクガンツしか見たことないんだけど、やっぱり描くのに技量が要るのかな。

ラストも言われてるほど悪くなかった。たぶんSF映画を漁れば元ネタ出てくる感じで、真新しさはなかったけど、納得のいく設定だった。ご都合主義とも言われてるけど頑張ったよあれは。

リアルタイムで読んでた人は評価低いのかもしれないが、今後は一気読みする人ばっかりだから評価は上がる一方だと思う。

君の名は。という大ヒット映画をどう見るか

遅れて鑑賞。若い子も多かったがカップル以外の客も増えていて、結構年齢層も公開初週よりは上がって来たのではないだろうか。以下、長い。



さて、売れている映画には二つの心配が付きまとう。

年間とかではなく今までの興行収入ランキングみたいなものを見たら分かると思う。

何故売れたのか?と疑問に思うものまでさまざまだ。

その点において、君の名は。はよくできた映画だったと思う。

少なくとも「スカスカ映画ではなかったし「何故売れたのか」という点でも完璧ではないが、ある程度説明つくのではないか

ステマだけではなく本当に評判が良い映画自分に響かないと、ただ普通にまらない映画を見たとき以上にガックリくる。

というわけで心配1、2はクリアした。



さて、増田自身のことを話すと、結構映画が好きだ。

この映画を見る今日まで、映画通やら映画通という名のアニメファンやら映画通という名のやり○ん騒動男やらの、いろんな批判を見た。

映画が好きな自分からすると、「そうか。食いつける映画なんだな」ということで、自分にとっては逆宣伝になった。

(まぁ信頼する映画通たちは結構試写時点で絶賛してたんだけど)

映画が好きだと書いたが、アニメ映画に関してはもっぱら円盤待ちの人間なので、その自分映画館に行かせたという効果は絶大だ。



映画を見て、その批判を改めて見た。

まず自称新海ファン評の「新海らしくない映画」だが、しっくりこない。

しろ海監督のファンサービスがちりばめられていて、過去作好きこそ振り回される映画ではないだろうか。

キャラストーリー構成から唐突感だったり、詩的な部分だったり、感覚的な部分。とても「新海らしい映画」だと感じた。

しろ新海らしくないというのなら、何らしいのか。

思いつかないので、やっぱり新海らしい映画だった。



次に「若い世代向け」という話。

隣りで見てた50オーバー号泣し、終わった後感想を熱弁していた。50オーバー若い世代という世界には住んでいない。

しかし確かに今まで見てきたアニメ映画とは、一味もふた味も違うのかもしれない。

ニュージェネレーションに対するギャップが、ある人にとっては大きかったのかもしれない。

例えば主役が高校生から高校生しか感動しない。というのは馬鹿な話である

じいさんが主役でも、子供が主役でも、感動するものは感動するだろう。無理なら想像力が欠如している、と言っているようなもんである



次に「RADWIMPSファンしか褒めない」という暴論。

RADWIMPSは嗜む程度だが、あまりRADWIMPSらしくもなかったので、激烈RADファンからすると絶賛はしにくいんじゃないか

自分のような嗜む程度のやつに、ちょうどよかった。

歌もしっかりはまっていたし、劇判にも仄かにRADらしさがあった。しかしやっぱりそんなにRADらしさは無かったかもね。

まりファン以外も満足しているということだ。(ファンもある種の初期RAD感が出ていて嬉しいのかもしれないが)

音楽映画は噛みあえば化学変化を起こす。

ここはとても「邦画」感が溢れていた。秒速~以外に、自称映画通なら何作品か思い浮かべたいところだ。

こういう音楽映画邦画は得意のはず。邦画の好きなところだ。



次に「物語薄っぺらい」という話。

昨今の邦画は設定を詰め込み、それを全て説明しようとしてくる。故に物語に勢いが無くなったりする。

しかしそこまで説明されずとも作りこまれている映画に傑作が多い。本家アカデミー賞受賞作などを見ると、設定をしっかりした上でとにかく勢いが凄くて、設定なんてどうでもよくなる。

その部分がエンタメ邦画には足りないなぁと常々思っている。(無いとは言わないし、説明カットし過ぎてダメなのも邦画あるある

結局作りこみすぎると、ヲタク解説したくなってしまうのだ。(ヲタク脚本家監督

君の名は。はその絶妙バランスにたどり着いた。日本人が受け入れられる塩梅での。勢いと説明狭間だ。

例えば、見てない人には分からないだろうネタバレだが、三つ葉が父を説得するシーンが今作には無い。しかし説得した、と分かる。

映画を見ている最中は、他の展開が忙しくてそこに気付けない。

でも後々…もしかしたら見終わった後で、もしかしたら2回見た後で「あ、そういえば説得してたな」と気付く仕組みになっている。

彗星軌道云々という批判があった。

見ても無い自分が「フィクションからさぁ…」と突っ込みたくなるような批判だったが、見た今なら「あれはこういう意味があったんじゃないかな?」と推測できる部分がしっかりある。むしろちりばめられている。突っ込んだ人はもっとストーリーをみるべきだった。

途中で出てくるラーメン屋おっちゃんも、ナイスだ。

きっとリピーターは血眼で探しているだろうし、他のそういう手品トリックみたいな演出も、多分2回見たいと思わせる構成だ。

男女入れ変わりと聞いたら、転校生を始めいろんな作品が頭をよぎるだろう。使い古された設定に見えるかもしれない。ボーイミーツガール王道だし。

その設定を使ったこういう構成脚本を、薄っぺらいと言うのか。本当にそう思ったのなら絶望的な感覚である。とまで言っちゃう

薄っぺらい」ではなく「説明なさすぎ」の言い間違いじゃないのかなあ。

これくらいで良いと思うけどね。商業映画は。(もう一度見て理解したいと思わせる技は必須



次に萌えヲタ向けという話。

おっぱい揉んだりパンツが見えたりしただけでヲタク向けになるのか。

パンチラは角度的にどうしても見えてるだけであって、逆に見えないのはあの画の中では大きすぎる嘘になってしまう。

パンツが見えないのはギャグだ。リアリティがない。むしろ日常萌えアニメミニスカ絶対見えるパンツを描かないことで、フィクション感をだしている。

ていうかパンツ一瞬しか見えない。コンマ何秒とかしか見えない。騙された。

この理屈と同じで、実際あの状況なら胸は揉むだろ。



そんなわけであがっている批判を見ても、「え?なんでそんな批判があがるの?」というものばかり。

(例えば漫画原作のように<漫画という神>と違うからという批判は、心情的に良く分かる。調理した方と見た方の問題根深い。)

是非まだ見てない人に、見てから判断してほしいと頼みたい。別に批判をする人がわるいわけではない。的外れ批判が溢れているだけだ。

どうも売れすぎて、色んな雑音が耳に飛び込んでくる状況になっている。

だけど是非ポジティブスイッチを使ってほしい。

これを読んでる人は、君の名は。のことが気になっているはずだ。素直に、自分がどう感じどう思うか?と映画で考える良いチャンスなのだ



君の名は。面白かったです。

絶望感と閉塞感。あれを思ってはいけない、感じてはいけない。

そういう空気が付きまとう世界情勢で、映画界、とくに邦画界にもある時点から閉塞感があった。

いつだって現実が向かってきたし、夢物語は無い。そう示してくる話が多く、心の片隅が窮屈な想いをしていた。

若者たち経済が少し上向いても無駄遣いをしない世代になった。夢を見るやつは、馬鹿だと思っていた。

でも「君の名は。」は希望のある夢を見せた。ここまでの大きな夢は、もしかしたらあの時の自粛ムードと共にタブーになっていたたのではないかと思う。

ずっとこんな映画を見たかった気がする。

フィクションからアニメから、一つの大きな嘘を内包することができた。

なにかの穴を埋めてくれたのかもしれない。

その功績はでかいし、言いたい。こういう映画を見せてくれて、本当にありがとう