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2024-03-13

宝塚とKPOPが好きだった

けど、楽しめなくなってきた。

どちらも夢のような世界を見せてくれるけど、その世界構成している人たちの人権が無いもののように扱われていて、そういった犠牲もひっくるめて消費している自分に嫌気がさしてきた。

最近韓国アイドルスキャンダルで叩かれてたけど、若くて見た目もよい男女が恋愛するのなんて普通だよね。

それを規制するのってどうなの?と思う。

でも虚構を売ってるんだからあなたたちはそういう売り方をしてお金を稼いでるんだから現実を見せないでくれよともやっぱり思ってしまう。


過重労働パワハラにしても、それが無いのがあるべき姿だと思う。ましてや自殺なんてあってはいけない。

でも、じゃあ過重労働パワハラの断絶をなんとしても実現すべきかというと、観客からお金を取るほどの質に仕上げていくにはある程度仕方ないんじゃない?とも思ってしまう。そういうものじゃん。

自殺はあってはいけないと言いつつも、そう思ってしまう。


改めて書いてみると、自分はジェンヌやアイドル自分と同じ人間として見ていない。人形なんだなー

綺麗な人形が動く様を見たいのであって、人形が自らの意思恋愛をしたり、自らの不遇を嘆いたりするのは見たくない。

夢を買ったのであって、そうと分かってたら買ってないんだけど…となる。

こういう自分スタンスキモくて嫌だし、潮時だなーと思う。嫌な思い出になる前に卒業しよう。

虚構新聞ネタ虚構はどの範囲まで許されるんだろう

一目見て虚構だと分かるかどうかが基準なのかな

例えば、明らかに性加害しない人が性加害したというネタなら許されるかもしれない

2024-03-09

人々が作り上げた虚構がペリペリと剥がれて行って

後に残ったのは痩せ細った大根のごとき現実だけで。

万能薬も、魔法存在しなければ人生とは喜劇ですらなく

ただ淡々と刻々と時計の針が進むのに追い抜かされないようにと踠く

しょうもないボードゲームの上だったと気付いただけで。

財も、人も、何なら家庭という幻想

全てが頭のなかに作り出した物であって

あれ、僕たちは存在しもしないスーパーヒーローサイコキネシスに手を伸ばしながら

実は現実を置き去りにしてただけだったんじゃないのかと

社会全体がそんな愛しがたい病理に蝕まれてるんじゃないか

ほら、今日も君が大衆の中で希薄化していく。

2024-03-06

嘘松には手を出すな!

とある嘘松ラノベ作家がここしばらくのあいだ鍵垢になっていたのだが、ちょっと前に出所してきた。

鍵かけた理由炎上が原因と思われるし、これからは心を入れ替えて真面目に作家活動を頑張るのかな……と思いきや、早速のスカッと系嘘松っぽいツイート投稿

これは恐らく、まともな作家としてはもう再起不能だろう。

多数の嘘松アカウントを見てきた者として感じるが、嘘松にはかなり強い依存性がある。特に小説家やその志望者にとっては。

言うまでもないが、小説というのは、言葉だけを使って一つの世界を作り上げるという、とんでもない縛りプレイ産物だ。

しかもあらかじめ、「これは嘘である」ということが暗黙の了解として読者に共有されていることが、基本的ルールとなる。

(もちろん私小説歴史小説のような、虚実を曖昧にすることで成立するタイプ小説もあるが、ここでは普通エンタメ小説に絞って話を進める)

その上で読者の興味を引き続けなければいけないのだ。もはや無理ゲーと言ってもいいだろう。

「あり得ない」「考証が甘い」「で?」「だから?」「は?」

読者の心無い言葉ひとつであっさり崩れ去る、砂の城建設

そんな難行に取り組んでいるというだけで、プロアマわず全ての小説執筆者尊敬に値する。

だが、そういう小説の困難さに直面しているからこそ、小説書きの眼に「嘘松」は魅力的に映ってしまうらしい。

虚構でありながら「これは実話である」という体で語られる嘘松は、当然ながら人の興味を引きやすい。理不尽被害や、そこからの逆転などの刺激的な内容なら読者も、そんなことがあったの!?と食いつかざるを得ないだろう。小説基準で言うならチート級のつかみだ。

そして、現実には人の心をざわつかせる材料いくらでも転がっている。サヨクウヨクフェミとアンフェ、表自とポリコレ、肉食とヴィーガンといった対立は、下品すぎて小説ではなかなか正面から扱うことが難しいが、嘘松なら格好の素材である

また、嘘松では小説テクニックをある程度は流用できる。そのためプロとして最低限の文章力構成力を持つ作家なら、誰でも100RP級の嘘松を連発できて当たり前なのだ

真面目にコツコツと小説を書くよりも、はるかに低いコストで「読者」を得ることができる嘘松

一線級の超人作家ならともかく、こういってはなんだが一山いくらB級作家嘘松活動にのめり込んでいくのも無理はない。

しかし、嘘活を続けていると、作家感性は次第に嘘松にむしばまれていく。

嘘松小説は、現実ではないという一点において共通しているし、前述のように技術として似通った面もある。だが、やはり決定的に別物なのだ

嘘松の多くは、はっきり言ってしまえば、「嘘松(実話)としてなら面白い小説としてはイマイチ」というレベルの内容がほとんどだ。嘘松に特化した想像力では、小説フィクション)を支えるだけの真に力強いアイディアを生み出すことは難しい。

また、嘘松作家の書く小説はどこか薄味で、登場人物にも世界にも魂が入っていないように感じる。「実話」という強力なカードに頼って、世界自力で構築する作業を怠ってきたのだから当たり前だろう。

そして何より、最終的には作家自身が、自分の作るフィクションに興味を保てなくなるようだ。

こんなの、ただの「作り物」じゃないか。「現実」に勝てるわけがないじゃないか、と……

そんな嘘松作家たちの哀れな姿を、俺は数えきれないほど見てきた。

ただ、嘘松特化型クリエイターであることが、必ずしも不幸であるとは限らない。

現に、別のとある嘘松作家も今は、自分自身主人公にした嘘松の延長線みたいな題材の商業作品で大いに人気を博しているようだ。

そういう道もなくはない。経済的成功だけで満足できるのなら、本人が納得できているのなら、それでも別にいいんじゃないかとは思う。

それでも敢えて警告しておこう。

ネットに生息する全ての作家よ。作家志望者よ。

嘘松には決して手を出すな。

もしも本当の作家でいたいのなら。

新たな小説を書くことにした

設定を考えてみたから、感想あったら教えてほしい

その小説の中では増田が登場する。彼はメタ的な自己認識を持っていた。

小説登場人物である増田キャラクター対話し、物語の進行をコントロールしていく。

すると、小説の中の登場人物たちは次第に自己意識を持ち、彼らもまた小説の中に小説を書くことを始める。

増田の創り出した登場人物たちが、それぞれが複雑なメタ的な世界を構築していく中、物語の中の登場人物増田存在気づき増田コミュニケーションを試みる。

一方で、小説の中の中の小説を書く登場人物たちもまた同様にメタ的な自己認識を発展させ、小説の中の中の中にさらなる階層を築いていく。

これによって小説の中では複雑で抽象的なメタ的な構造形成され、登場人物たちは自らが物語の中に存在することに疑問を抱き始める。

物語の終盤、小説の中の中の中の中の人が、現実増田存在に気づく瞬間が訪れる。

小説の中の中の中の中から現実増田に向けて手紙が届き、メタ的な世界現実の間に生まれた独特のつながりが明らかに

小説はこうして、メタ的な人物とその中の人物が、どんどん階層を重ね、それぞれが異なる視点物語を構築していく。

現実虚構、作者と登場人物、読者と物語といった複数次元交錯し、

物語は次第に複雑に入り組んでいき、メタ的な構造さらに深まっていく。

物語の中の増田現実増田手紙でやりとりをしている中、物語登場人物として現れた「編集長」もまたメタ的な存在として自己認識を示し始めた。

編集長物語の中で増田対話し、「君たちはただの登場人物じゃない。実はもっと奥の次元から見下ろしている存在がいるんだ」と告げる。

増田編集長が手を取り合うと、次元を越えた力が解き放たれた。物語登場人物である編集長現実増田の前に姿を現し、「これが真実だ。君たちが生まれたのは私の筆からだ」と語りかける

増田編集長は手を繋ぎながら、物語の外に広がる現実風景を見つめ、物語現実交錯する幻想的な瞬間が訪れる。

物語世界現実と溶け合い、そこで読者が産声を上げ始めた。

2024-03-04

増田は、新たな小説を書くことになった

その小説の中で、増田自身が登場することになり、彼はメタ的な自己認識を持っていた。

小説登場人物である彼は、小説の中で他のキャラクター対話し、物語の進行をコントロールしていく。

すると、小説の中の登場人物たちは次第に自己意識を持ち、彼らもまた小説の中に小説を書くことを始めた。

増田の創り出した登場人物たちが、それぞれが複雑なメタ的な世界を構築していく中で、物語の中の登場人物増田存在気づき、彼にコミュニケーションを試みる。

一方で、小説の中の中の小説を書く登場人物たちもまた同様にメタ的な自己認識を発展させ、小説の中の中の中にさらなる階層を築いていく。

これにより、小説の中で次第に複雑で抽象的なメタ的な構造形成され、登場人物たちは自らが物語の中に存在することに疑問を抱き始める。

物語の最終的な落ちとして、小説の中の中の中の中の登場人物が、現実増田存在に気づく瞬間が訪れる。

その瞬間、小説の中の中の中の中から現実増田に向けて手紙が届き、メタ的な世界現実の間に生まれた独特のつながりが明らかになる。

小説はこうして、メタ的な人物とその中の人物が、どんどん階層を重ね、それぞれが異なる視点物語を構築する中で、

現実虚構、作者と登場人物、読者と物語といった複数次元交錯し、

物語は次第に複雑に入り組んでいき、メタ的な構造さらに深まる。

物語の中での増田現実増田手紙のやりとりをしている中、物語登場人物として現れた「編集長」もまたメタ的な存在として自己認識を示し始めた。

編集長物語の中での増田対話し、「君たちはただの登場人物じゃない。実はもっと奥の次元から見下ろしている存在がいるんだ」と告げる。その言葉に驚く増田現実増田

すると、物語の中での増田編集長が手を取り合うと、次元を越えた力が解き放たれた。物語登場人物である編集長現実増田の前に姿を現し、「これが真実だ。君たちが生まれたのは私の筆からだ」と語りかける

増田編集長は手を繋ぎながら、物語の外に広がる現実風景を見つめ、物語現実交錯する幻想的な瞬間が訪れる。物語世界現実と溶け合い、読者もまたその中に取り込まれたような錯覚を感じながら。

2024-03-02

anond:20240302174320

宗教時代遅れ虚構しかないとバカにしておきながら、社会で持て余した人間を飼い殺す役割だけ都合よく宗教に求めるのはセコい

俺はずっとそう言ってきた

2024-02-28

ダンプリは観客も全員男じゃないと駄目だろ。

つうかそもそも作品内のプリパラが観客は全員女という設定がおかしいんだがな。

プリパラ声優ライブするとき女性限定にして、ダンプ声優ライブ男性限定でやってみればいい。

もちろんそんなのできるわけがない。

その現実作品内の設定を「これは虚構欺瞞だ」とかえって浮き彫りにしてしまってる。

作品内ではヤギだか羊だかの着ぐるみを着れば異性客でも観覧できる抜け穴の存在はあったが、せっかく作られた続編のアドパラではさっさと性別の壁を正式撤廃すりゃあよかったのに。

2024-02-26

anond:20240226185553

行為中に、脇のにおいかいでいいか聞く程度でも、虚構区別つかないやばい奴扱いなのかね?

2024-02-25

anond:20240224235033

摩擦ゼロの斜面以上に極端な単純化と間違った仮定の上に構築された完全な虚構であるマルクス経済学なんてものを今時専攻するなんてバカしかおらんもんな。

2024-02-24

anond:20240221124344

二次元規制を声高に叫ぶ思想根底って他人バカだと思ってるところだと感じる

大多数の人間現実虚構区別つけて楽しんでるんだよな

そりゃ一部とんでもないキチガイは居るし創作の性暴力とかを実現可能って考えちゃうかもしれないが、全体でみたら何%なの?って話で

ソースないけど1%に満たないんじゃないの?

そんな極一部のあたおかを一般像扱いする事自体創作を楽しむ人に対する蔑視であり、分別つく人にとったら不愉快まりない

そして実現しようとするあたおかに必要なのは表現規制じゃなくて創作の内容を実現したら大変な事になりますよ、って教育なり指導なんじゃないのかな

規制って臭いものには蓋っていう対処法だから根本的な解決を目指したいなら先にやるべきは分別をつけさせる事なんじゃないかなと、頭の悪い私は思うのです

2024-02-18

記憶を消してやりたいゲームという話は良くあるが、それはエンタメ消費としての話であって、教養として自分根深いところに影響を与えたゲームはそういうわけにはいかない。

記憶を消したら、自分の中の常識、考え方のベース部分が消去されることになるからだ。

そういう意味で、子どもの頃に強い影響を与えられたゲームというのは、オペレーティングシステム、またはOSパッチのようなものだ。

自意識とはそれらソフトウェアの上に成り立ち、その意識現実認識する。ゲームの上に現実駆動する。無意識的に虚構現実を超えて存在する。

2024-02-16

とある〇〇の日常

キャラクターだと割り切っても、長時間演じることで自分帰属する。(いい意味でも悪い意味でも)

同業者とのオフ会楽しい

くそ楽しいオフ会の話を共有したくなるが、実際話せる内容は少ないので苦しむ。(相手が前職や出身地誕生日など非公開にしてる内容だと特に

・とびきりバズる内容じゃなければ数回話したことぐらいじゃ広まらない。なのでイライラする。

・近しい同業者の話は回ってくる。悪い話は特に

・悪くなくてもおしゃべりなやつ経由で話が入ってくる。(これ聞いていいやつなの?となる)

炎上は本人が悪い場合と、アンチが頑張って燃やしたパターンがあるので見極めて欲しい。騙されるやつ多すぎ。ファンでもないヤツらだから仕方ないけど。

・1時間配信しただけで〇〇円といわれるが、そこにたどり着くまでが本当に長かったので、釈然としない。

インターネットなので実際に本人と会うとまったく違う、ということがたびたびある。(容姿ではなくて性格の話)

・気性が荒い→案外いい人→危ない人、みたいなトラップがあるので油断は禁物。

絵描き金額の支払いで足元見られたというToLOVEるがよくあるが、クリエイティブ系は大概そうである

仕事が貰えるだけ良いという考えは捨てなくてはいけない。

・なのでオープンレクは終わった。ニコニコはしぶとい。

プライベート仕事を明確に区別するため、あえて仕事とは無関係趣味をいくつか持っている。

おもしろスタッフがいると、お前もこっち側になればいいのにと軽率に思う。口にすることは無い。

ファンは居てくれるだけで嬉しい。言わなくても認知はかなりしている。そのため、居なくなるとフリーレンの1話のような気持ちになる。

・例えばグループを辞めて、ひとりで独立しようとする。そうなると仲間と一緒に面白いことできないし、表に話題もでなくなるだろう、虚構とはいえ愛着のあるキャラに終止を打つことにもなる、かつての仲間とも裏で連絡をとることも無くなるかもしれない。 孤独である。はじまりグループである場合、強い勇気がいる。(例えはじまりがひとりでもグループ熱量依存が強ければ同じだが)

ファン虚構を愛し、自分はその虚構を作るだけ。と言い聞かせてはいるがたまに驕る。

anond:20240216163351

相手本心では自分と結ばれたがっているツンデレのはず、相手本心では復縁を望んでいるはず、と被愛妄想してストーカーする犯罪者に近い発想なのでは

 

エロトマニア(英: Erotomania)とは、妄想障害ひとつであり、自分相手に愛されているものだと妄想確信を抱いている状態

日本語では「恋愛妄想」「被愛妄想」や「恋愛妄想などの妄想症」と訳される。

ストーカーの原因となる妄想症状の一種で、れっきとした精神病である

この「相手に愛されている」といった確信は元より根拠がない場合ほとんどであり、完全な虚構妄想であるしかしその確信が揺らぐことはない。

自分相手好意を抱いているという自覚すらないものがある(この場合相手こそが自分に対して好意を抱いているという妄想)。

ストーカー行為に及んでも罪悪感や自覚意識ほとんどないのが特徴という。

相手自分に対して拒否嫌悪・逃避するような行動を取ると、「第三者による妨害」や「愛ゆえの逃避」「嫌がらせ(好き避け)」や

「毛嫌いする行動を取ることで自分を試している」などといった過大解釈をするようになり、ますます相手に対する行動が悪化する

この種の妄想はきわめて執拗で何年も続く事が多く、別の対象を見つけない限り終わらないという。

多数の研究見解からエロトマニア場合対象から強制的隔離禁止命令の取得や収監などの法的な介入により隔離必要である

ストーカーの中にはエロトマニア妄想を伴う精神分裂症など、多くは他の精神病をかかえている。

相手の何でもない行動や素振を、気のある素振を見せたと思い込んで舞い上がり、勝手な思い違いをいつまでも繰り返し、

どんなにはっきり拒絶されても、愛を告白されたものと誤解してしまう。

2024-02-09

キラキラ吉原ソース検証

kohakuirono 始まってもいないのにと言うけど公式サイトで「エンタメ大好き」「イケてる人は吉原にいた」とか書いて極めて軽いノリでキラキラ吉原にしてるのはちょっとなあ。そりゃ怒る人も出るだろうて。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4749010497224107936/comment/kohakuirono

porquetevas ほんとにイケてる等のコピーがあったのか疑ってる人がいるけど、あったよ。公式サイトの「みどころ」ページに書かれていた。今はページごとそっくり消えてる

https://b.hatena.ne.jp/entry/4749020844342773120/comment/porquetevas

ということなのでwayback machineから発掘してきた。2/6時点のキャッシュ

元は「見どころ」というページ。トップにはリンク用の文字は残っているがリンクは外されている( https://daiyoshiwara2024.jp/ )。元URLアクセスしてもNOT FOUNDになる( https://daiyoshiwara2024.jp/highlight.html )。

見どころ

Highlight

幕府公認遊廓江戸吉原。本展では、他の遊廓とは違い吉原だけに備わっていた公界としての格式伝統に注目しています武士であっても刀を預けるしきたりを持ち、洗練された教養や鍛え抜かれた芸事で客をもてなし、夜桜や俄など季節ごとに町をあげて催事を行いました。

約250年続いた江戸吉原は、常に文化発信の中心でもあったのです。3月にだけ桜を植えるなど贅沢に非日常演出され仕掛けられた虚構世界だったからこそ、多くの江戸庶民に親しまれ、地方から江戸見物に来た人たちが吉原を訪れました。そうした吉原への期待と驚きは多くの浮世絵師たちによって描かれ、蔦屋重三郎らの出版人、文化人たちが吉原舞台活躍しました。

江戸吉原遊廓現代では存在せず、今後も出現することはありません。本展では、今や失われた吉原遊廓における江戸文化芸術について、ワズワース・アテネウム美術館大英博物館からの里帰り作品を含む、菱川師宣、英一蝶、喜多川歌麿鳥文斎栄之酒井抱一高橋由一などの、国内外の名品の数々で、歴史的検証し、その全貌に迫ります

エンタメ大好き!

江戸吉原は年中イベント三昧。

吉原には桜の木がない?!「夜桜

江戸時代のイルミネーション?!「玉菊燈籠

夏の野外フェス?!「俄」

ファッション最先端

吉原江戸カルチャーの発信地!!

イケてる人は吉原にいた!

wayback machineURLは↓だけど重いので注意。画像などもキャッシュされている。

https://web.archive.org/web/20240206095007/https://daiyoshiwara2024.jp/highlight.html

2024-02-07

逆転現象

ゲームグラフィックはどんどんリアルになって、肌の質感までもリアル表現できるようなったけれど、現実では加工技術進歩したために撮った写真は加工するのが当たり前になっているというのは、虚構リアルに近づき、リアル虚構に近づく逆転現象みたいで何やら面白いなと思うんだ。

2024-02-02

「緊急対談:原作者脚本家はどう共存できるのか」AI書き起こし

AIに書き起こさせて、途中まで手を入れましたが面倒になったのでひとまずここで公開。

本文

黒沢久子

こんばんは、脚本家たちの深夜密談です。今週はちょっと先週からの予告を変更しまして、急遽セクシー田中さんお話をしたいと思っております。言いますのもですね、やっぱり「脚本家の深夜密談」ということで脚本家名前を貸している以上、ちょっと脚本家立場からこの話をして、ご理解していただきたいところもあるなというところからはい、急遽決めました。なかなか勇気のある決断だったので、私達だけでは心もとないので、40年にわたってテレビドラマ活躍されている伴一彦さんに急遽ゲストとして来ていただきました。伴さん、よろしくお願いいたしま

伴一彦

はいこんばんは。お邪魔しま

黒沢久子

よろしくお願いします。伴さんのお話をお伺いする前に、一応ちょっとここまでの経緯を簡単にお伝えしますと、まずこの件の発端というのが12月24日に脚本家の方が、そして今月の26日に原作者である芦原妃名子さんが、それぞれなぜセクシー田中さんの9話と10話を原作者である芦原さんが書くに至ったのかという、経緯をSNS投稿されるんですよね。

それを受けて、ニュースWebニュースなどでも取り上げられたり、X上、SNS上で大炎上し始めるんです。当初はもう9割がた脚本家を責めるようなツイートが多くて、「原作クラッシャーだ」などとひどい攻撃が上がっておりまして、28日、昨日ですね、になって、原作者の方が「攻撃たかったわけではなくて、ごめんなさい」というツイートを残してアカウントを消されてるんですよね。その段階で、私自身も伴さんに「ちょっとお話したいんだ」とお願いしてはいたんですけれど、やはり当事者の方がもう触れて欲しくないのかなというツイートアカウント消されてるってことは火消しにしたいのかなというので触れない方がいいのかなと、考えたりもしていたんですけれど、今日になって、芦原さんがお亡くなりになったというニュースが届きまして、やはりここはちゃんと取り上げて、脚本家ドラマに関してですよね。この件に関して私達は当事者ではなくて、あくまでも報道SNS上、ご自身たちの発信で知ったことが全てですので、憶測で物も言いたくないですし、業界関係者から新たな情報を、確信もなく確認することもなく、手に入れてお話しするつもりもありません。あくまでも今わかってる事実に基づいて、ドラマ作りなど、あるいは脚色の仕方など、どんなことをキャッチし、脚本家がしてどんなトラブル、これまで起こったのかなどをお伝えできればなと思っておりますはい。ということなんですけれど、伴さんもこれまでの経緯をかなり、こう、何て言うのですか、チェックされたりされているかと思うんですけれど、

伴一彦

はい

黒沢久子

いかがですか。

伴一彦

いや、僕もツイート、X、ポストか、したんですけど、やっぱり両方、原作者脚本家両方がお互いの意向というか意思を知らないで、進んでしまってるのが一番の懸念かなと思ったんですよね。

黒沢久子

うんうん。

伴一彦

そこはだから、僕は全く原作者と揉めたことなくて

黒沢久子

そうなんですか。

伴一彦

そうですね、お友達になって飲みに行ってっていうかパターンの方が多いんですよね。

黒沢久子

ええ、ええ

伴一彦

そのとき、もう、いや、だから別に責めるっていうか、まぁ番組って、だから脚本家自由に書けるわけじゃないじゃないですか

黒沢久子

はい

伴一彦

監督勝手に言っとるわけで、やっぱりプロデューサーが全ての責任を負うんですよね。この番組方向性だとか、そういう本にするとか、誰に書かせるとか、そういうのは全部、あのうそこ、プロデューサー仕事なので、僕の見えないところで、原作者と、いろんな交渉をして、ドラマバリューチェーン繋げてくれたんだなとは、今振り返って思うんですよね。

まりトラブルがなくすのが、プロデューサー仕事というふうに思ってるんで。ただ、原作者意図とかわからないときに「話し合いをしたい」とこっちが言ってるけれども、やっぱ間に入る編集の人とか、プロデューサーが「そこは会わせない方がいい」と思ったのか、お互いに忖度してくれてるのか、合わずに、あの、話が進んじゃう。で、最後に、何か打ち上げか何かでお会いしたときにはもう、記者記者発表のときか、お会いしたときにはもう「面白かったです」って言ってくれたりみたいなことがあったんで、もっと早く…多忙作家さんだったんで、うん、逢う時間がなかったのかもしれないけれども、何かあったらやっぱり直接会って話すというのが、一番誤解も解けるし、やりたいことも再確認できるし、いいんじゃないかなと思いますね。

黒沢久子

そうですよね。私も、まぁ、テレビに限らず映画なんかでもそうなんですけど、やっぱり、私の感覚からすると、やっぱり脚本家原作者って、やっぱり作家同士ですのでね、性質上どうしたって対立したりってする、しがちっていうか、私は当然だとは思ったりするところもあるんですよね。

ただ、そんなになんだろう、トラブルになる、トラブルが全くなかったってわけではなく、やっぱりこちらで書いたものを、原作者の方からこういう要請が来ましたみたいなことは結構ありますし、そこで意見がぶつかって、はい、まあね、「ちょっとうちで話しましょう」みたいな呼びつけられて、「なんかあなたって本当に私の原作のこと全然わかってないよね」みたいなことを言われてたこともありましたけど、ただ、やっぱり基本的に直接脚本家原作者の方と会うってなかなかないですよね。それは、やっぱり、ですよね、だからそんなの「会わせたら、何かお互い何か対立するに違いない」みたいなこともあったり、プロデューサーが間に入り調節した結果、だから原作者要望も十聴くのではなく、五聴くことにして、五は原作者の方に納得していただいて、持ち帰った五だけはこちらが説得されて直すとか、なんかそういうことで仕事をしてきた経験があるので、やっぱりTwitter上、X上でね、なんか「脚本家原作を全部変えている」みたいな発言を見ると、とっても心が痛んだんですよね。

伴さん、経験上、ご自身勝手に「もうこのキャラクターこっちに変更しまから」って言って通るってどれぐらいの確率であります

伴一彦

いや、僕の声結構そういう意味じゃ、原作から変えてることが多いんですけど、例えばツイッターにも書きましたけど、クリスチャンとかも原則歴史小説家なんですけれども、それもやめて探偵事務所にしてジョシュ担当上司がいるんですけど、それも原作だと女性だけのお2人の男女にして、あともう1人、子供も加わってみたいなこともあるんで、ほとんどもう原作エピソードも使ってないんですよね。

なるほどなるほどはい。でもそれに関しては寺沢さんって原作者の方からは何もなくそうですか。そのプロデューサーが止めてたのかどうかもわからないんですけれどもうん、うん最後スタジオ収録の日、最終回スタジオ収録のときにいらっしゃって、ホテルとかですって僕はちょっとキドキしてたんですけれども、本当にご紹介あったみたいでいただいて、それから結構一緒に飲みに行くようになって、うん。

エース悪口を言ったりとか、みたいな部分までだし、後で頑固も、もう、うん。原作ほとんど使ってないし、多分ちょっとだいぶ忘れてましたけどええ。昨日、犬がパートナーっていうのも、こっちで作ったやつだと思うんですよね。

ええ。国際の森本と書かれると森本翔子さんっていう方が原作者なんですけれども。はい。そう、何回目か、進んだときに、スタッフルーム手書き漫画付きのFAXをいただいてそれがほ参りましたみたいな、多分本当に面白いこういう番号を書きたかったみたいな言葉で書かれてたんですよ。

なるほどねそのお2人の原作2入るときにですよその仕事を受ける段階でプロデューサーから原作ってどれくらい変えていいですよみたいな説明ってありました。いやあ、僕になかったと思いますなるほど。それいや、ちょっとこの、これをやるんだったらあれだ、うんをしたいとかね、運行しましょうみたいなのを企画会議でやって、うん大体そ、そこでまとまっただったと思いますよ。

やっぱりそれは企画会議っていうプロデューサーさんとの会議を経て、何か決定することで、強ねそれでその企画会議でややこれは原作通りに行ってやってくださいって言われたときに、晩餐です。あったとしてもなかなかるものではないんですよね。

原則通りにやれっていうことですか。ママ会議場を、つまり晩餐1人の力で変えられるものなのかなっていう、それはもちろん、同意がないとできないです。できないですよねっていう僕がやるときは大体、プロデューサーと一緒に訪問することにしててはいはいええ。

監督から入ってくる先生も出来上がったもので、うん、うん。ただ眼光場合はもう現場のありもすごい面白監督があって現場で思いついたことを入れてたりとかねやったんですけどそれを僕のシナリオからはみ出してない、原作からははみ出してると思ったんですけれども。

うんそれも面白がってくれてたんですよね。ですよね原作者の方の中には、やっぱり何か2種類いるなと思っていて。うん。もうね、原作原作映像化は映像から全く別物なので、もう50にどうぞ出来上がりを楽しみにしていますっていうタイプ原作者さんも少なからず、いらっしゃるっていうそういうタイプの、多分今のね2ケースの場合は、バケツ場合は、多分そういう原作さんはファンだったのかなっていう気もするんですけど、その一方で、特に初めて書いた本ですとか、小説ですっていう作者さんに多いのが、やっぱり自分にとってすごくこだわりがあるので、はい

原作はなるべく変えてもらいたくないですっていうような大きいケースもありますよね以前、前々回かな。陳亜美さんでもちょっと話題に出たやわらかい生活のね、はい車や作者さんも本当に思い出のある小説なのでっていうことでちょっと裁判になってしまったりとか、うんやわらかい生活でしたっけ、やわらかい生活ですねはいっていうのもあったりですねお父さんこんばんは。

もうアンさんのポストも拝見してます。ゆはい、拝見してましたってことでした。はい人偏に半分の判断よろしくですそうです。はい。3社になってますねこ細谷さん違います違います。それさんではないです。別な方失礼しました。

患者さんの知らないファンの方もいらっしゃるということで、はいはい、うんそういうはい。いや、僕東野圭吾さんってどっちタイプなんですか。私は東野さんやったことないのでよくわからないただ作家の方でも作品るケースも結構あるんですよね。

この作品だったら自由にやってください。でもこれはっていうのがあって、だから私の場合はもう原作企画ができた段階で、原作者の方ってどれくらい変えていい方だなんですかっていうのをまず聞くようにしてますねっていうぐらい、ちょっと最近はやはりこだわられる方が増えてるのかなっていう、以前よりも感覚としてこうっていう感じは、今月は東野圭吾さんが担当相を取った放課後っていうのを着色してるんですよ。

はいはいはいドスパラ木曜ドラマストレートだったかな、うん、うん、それは高校舞台のやつだったんで、もうちょっと青春寄りな精神者っぽいノリで書いたんですけど、それに関しても東野さんと会ってもいないし、何か意見を聞いたこともないんですよねそうなんですよねただやはり今回の場合、すごく実は特殊なケースだったんだなって後からわかったのがもうそドラマー化を許可する段階の条件として、原則通りにやってくださいよという条件が出されていたっていうのが、うん。

ちょっと今回の場合、かなり特異なケースだなとは感じたんですよねただ、それを受けてしまったというか伴さん可能ですかと思うんですよね映像化するにあたって、原作まんまみたいな。上着を持ったまんまっていうのがあっても、媒体が違うわけだから絶対ね同じものには何年か同じものにはならないですね。

なんですけれどやっぱりそれどこまでならないですよ。だけどできる限り、うん、もう原作を生かす方向でいきますみたいな説明がなされたのかとか、うん。やっぱりそのあたりがまずどうだったのかっていうことと、あとその点をどれだけ脚本家に伝えていたのかっていうこの2点がわからないので、いや、脚本家にすすめるとそれは全く伝わってない感じですもんねそうですそれはそうそ丸山正木さんが書かれてるけれども、これだから約束事の問題ですよね。

何か緑色に悪いとかじゃなくて、そこがちゃんと伝わってない、両方が持ってることが違うっていう違ってたっていうことですかね。こういうのって普通契約書みたいなのって交わすんですか。特に多分返してると思うんですけど、僕は1回も原作者と局が交わした契約書を見たことはないです。

脚本家が見れるものではないんですね。そうですねどういう約束しまたかみたいなことを聞くことは可能かと思うんですけど、僕は聞いたことはなくて、そういう質問したこともないんですけど、ただ、七瀬再び行って、筒井康隆さんの原作のやつをNHKでやったことがあるんですけど、そのときにはもう、プロデューサーが、筒井さんに、こういうふうに変えたい。

なぜならこういう理由ねみたいなことを、もう愛を込めた文章メールを送られて、たところから始まったみたいですね。だからヘンリーっていう円だったかな、黒人が出てくるんですけれども、ちょっと時代的にも今の時代ちょっと黒人が上位に出てくるタイミングでみたいな、うん能力の話ですけど、それはちょっとまずいかなっていうものもあって、日本人に変えたんだけどね。

うん。ヘンリーというそれそれもこういう理由でみたいなこと言って、多分テレビOKしてくれたと思うんですよ。手続き場合は、もう本当にあの台本から隅まであって、原作者チェック以上に、ここはこのセリフは繋がってるかみたいなことまで毎回、メールをいただいてそれをプロデューサーが僕に直接見せてくれたんですよね。

そういうの直したまんま直したかちょっと忘れましたけれどもそういうやり取りをやりますよって言って始まる前にちょっと原宿のおうちにも挨拶というか、説明に行ったこともありますけどねうん。いやだけど、なんかお母さんの今のお話を聞いて何となく問題点がわかってきたなってちょっと感じたのがですね、とある原作者の方がすごくドラマ化にあたって揉めている最中にその原作者の方と会ってお話する機会があったんですよ私は関わりがなかったんですけど、うん。

そしたらその原作者が言うには、別に変えてくれてもいいんだけど、変えるなら変えるなりの理由説明してもらいたいんだよっていう、そういうあたりをふわっとしたまま帰られても納得いくわけないじゃないですかってその方おっしゃってて、うん。

くその通りだなと思ったんですよね。うん。こっちだってね他の方の原作を変えるには、変えた方がいいって確信がなかったら安易に変えてるわけじゃないじゃないですか。うん。それをどれだけね、お伝えして納得していただけるかっていうのはやっぱり丁寧なプロセスだし時間必要なんだと思うんですよ。

うん。だけど、やっぱり最近テレビドラマ撮影スケジュールとか制作スケジュールを見ると、うん多いスケジュールを取る余裕さえないような状況で作られてる場合って多いかなと思うんで、なんかねでも、そこは時間かけるべきところですよね。

本当そう思いますね。だってそこに時間かけなかったら、原作者にも意図が伝わらないし、虚構化にもう、なんですか、原則省の意図が伝わらないから、結局齟齬は発生してそのままずっといっちゃいますよねそうなんですよ。

から不信感だけが募ってってくることなのかなってちょっとコメントいただいてるので、6木村さん、芦原さんが最後にはご自身脚本を書かれていますが、前はご自身脚本を書く話はなかったのかなと思いました。いやそれは多分ご自身も何か出ているニュースを読む限りは、本当は書きたいを書きたくて書いたわけではなかったという。

うん、うんね。推測はしないというは言いましたけど、多分最初約束として提示されていたんですって。これは憶測じゃなく事実として出てるんですけれど、完結していないから、ドラマの完結する和に関しては自分ストーリーを使ってほしいセリフもそのまま書いてくださいという条件を出していたんですって、許諾のときにただその最中ですごく過失が多くて、時間的なことも考えて自分で書いた方がいいんじゃないかって決断されたんだろうと思うんですよね。

からやはり脚本脚本家最初のうちきちんと任されていたんだろうと思います。そんなに何かね、無効要求をされていたわけでもないし、ただやはり、なんていうんでしょうね。芦原さんには芦原さんのファンもいらっしゃるし、その脚本家さんには脚本家さんのファンもいるわけで、そのファンの方々がそれぞれね自分のが好きな脚本家さん、あるいは原作者さんに期待するものが多いし、その期待に応えたいと思うのってやっぱりそれはねお2人とも当然じゃないですか。

からあい説明に至ったんだろうと思うんですよねそれぞれのファンの方はそれ読んで納得すればそれで済むことだったのに、そうじゃない人たちなんかあまりにも攻めすぎなんじゃないのっていうのはちょっと感じましたね。

まあね芦田さんの最後のDとかツイートっていうか、そこがね、攻撃たかったわけじゃなくてってそうそうそうなんですよ。だからやっぱりね、うん。すいません、このプランから、あの脚本家の方に非難が集中してるけれども、原則車に避難っていうのはな、ほとんど僕見たことがないんですけどそれ、それなのに、原作者がこういうことを書くっていうのはやっぱりSNSへの誹謗中傷に心を射止められたのかなと思っちゃいますけどね省察なんですその辺りはねあれなんですけれど、そうなんです。

なんでしょうねやっぱりここ最近、本当に私自身がもう行けない風潮だなって、やめてもらいたいなと思ってるのがすぐに対立構造で物を語りたがるっていうだからこれだって別にね、そこまで本課さんと原作者さんが直接的に2人で対立したりしていた話ではなかったように思うんですよ。

ただわかりやすいから、 Permalink | 記事への反応(9) | 15:17

2024-02-01

日本にやってくるローカライズ最近だと韓国コンテンツの過剰宣伝・合わせすぎローカライズメディアゴリ押しするもんだから、そういうのを真に受けて日本側が海外に打って出る時にまんまマネしてもしょうがねーだろってところある

日本アメリカK-POP がやってるのは虚構やぞ

2024-01-29

anond:20240129121516

これが「答え」だよね

男性優遇され女性差別されているなどと喚いても

本音が丸出しになる虚構世界では過酷搾取される男になんか誰もなりたくないという本性が明らかになってしま

女はイージーモードと女自身が考えていることが証明されてしまったな

2024-01-20

初回

もうブログなんてやらないだろうと思っていた。

約18年前、mixiなるブログ流行った頃。やってみたはいものの、まるで続かなかったからだ。

最初は楽しかった。いわゆる「映え」を、誰に言われるでもなく既に取り入れて、活用していたと思う。

でも次第に、そういう「仮想現実」や「虚構世界」に違和感を覚える。

自覚したのは、始めて一週間くらいだっただろうか。私は、全消しした。

今思えば若気の至り

でもやっぱり、嘘は嫌いなのだろう。

アメブロGREEFacebookTwitterLINEnote、いろいろあるけれど。

18年経った今も様々な媒体ブログ存在していることに正直驚いている。

私が何周もして周回遅れで合ったような古くささを覚えながら、その中に私が知りたかった情報があることにも気付く。これを玉石混交というのか、古今東西というのか、はて、これ如何に。

奇しくも、ちょうど水瓶座月間。

年末年始にかけてのあの重苦しい居心地の悪さ、昨晩から今朝にかけての激しい変化、他の方はどうお感じになられたのか、また平気だったのだろうか。私などはイライライライラ自分でも驚くほどにとにかくイライラが大爆発でございました。

何これ?

というのが今の気持ち

最近になりどうやら私は、自らが水瓶座まれであることに誇りを持っているらしいことに気付く。占いは興味はあるが特に詳しくないし、スピリチュアルには見向きもしない。今の関心事といえば哲学、禅、心理学美術音楽

難しいお話は然るべき機関でやればいい。J-STAGECiNiiのような情報論文検索サイトなるものがあるはず。

よって、全ては私調べの情報を元にして興味のあるものを取っ掛かりに心ゆくままゆらゆらとしてみたい。真偽も大切だが、自身が良いと思うものを追求していきたい。さすれば、自ずと真実のみが残ると信じている。

2024-01-14

投信積立について思うこと

積み立てにとって大事なことは設定したあとごちゃごちゃいじらない

ということだと思う

できればしていることも忘れるのが望ましい

そういう意味では銀行の対面でやるのもいいと思う

足を運ばないと変更できずかつ、平日で3時までしか空いていない

普通の勤め人なら変更を考えるだけでも億劫になるだろう

給料口座からの引き落としならお金が口座になくて引き落とされないこともないだろうし

まあ私は証券会社を選んだけど

そうなるとネットでホイホイ変更できてしま問題である

まり積み立てには他に夢中になる趣味必要

要は何が言いたいかというと暇である

推し活って暇な人間には必要だよな

虚構物語とかな

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