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2017-05-19

天台宗(てんだいしゅう)は大乗仏教の宗派のひとつである。諸経の王とされる妙法蓮華経法華経)を根本経典とするため、天台法華宗(てんだいほっけしゅう)とも呼ばれる[1]。天台教学中国に発祥し、入唐した最澄伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられた。

目次 [非表示]

1 日本天台宗

1.1 天台密教台密

1.2 四宗兼学

1.3 止観行

1.4 所依

1.5 主要寺院寺格

1.5.1 天台宗山門派

1.5.1.1 総本山

1.5.1.2 門跡寺院

1.5.1.3 大本山

1.5.1.4 別格本山

1.5.1.5 その他の寺院

1.5.2 天台寺門宗

1.5.3 天台真盛宗

1.6 その他天台系宗派

1.6.1 天台宗新宗教

1.7 教育機関

1.7.1 大学

1.7.2 天台宗中学校高等学校

1.7.3 養成機関

2 中国天台宗

3 韓国天台宗

4 社会運動

5 脚注・出典

6 関連項目

7 外部リンク

日本天台宗[編集]

正式名称天台法華円宗。法華円宗、天台法華宗、あるいは、単に法華宗などとも称する。但し、最後呼び名日蓮教学法華宗と混乱を招く場合があるために用いないことが多い。

初め、律宗天台宗兼学の僧鑑真和上が来日して天台宗関連の典籍日本に入った。次いで、伝教大師最澄767年-822年)が延暦23年(804年)から翌年(805年)にかけて唐に渡って天台山にのぼり、天台教学を受けた。同年、日本帰国した最澄は天台教学を広め、翌年(806年)1月に天台法華宗として認められたのが日本における天台宗のはじまりである最澄特に飲酒に厳しい態度を取っており、飲酒するものは私の弟子ではなく仏弟子でもないからただちに追放するよう述べている。

この時代、すでに日本には法相宗華厳宗など南都六宗が伝えられていたが、これらは中国では天台宗より新しく成立した宗派であった。最澄日本帰国後、比叡山延暦寺に戻り、後年円仁(慈覚大師)・円珍(智証大師)等多くの僧侶を輩出した。最澄はすべての衆生成仏できるという法華一乗の立場を説き、奈良仏教と論争が起こる。特に法相宗の徳一との三一権実諍論は有名である。また、鑑真和上が招来した小乗戒を授ける戒壇院を独占する奈良仏教に対して、大乗戒壇設立し、大乗戒(円頓戒)を受戒した者を天台宗僧侶と認め、菩薩僧として12年間比叡山に籠山して学問修行を修めるという革新的最澄の構想は、既得権益となっていた奈良仏教と対立を深めた。当時大乗戒は俗人の戒とされ、僧侶の戒律とは考えられておらず(現在でもスリランカ上座部など南方仏教では大乗戒は戒律として認められていないのは当然であるが)、南都の学僧が反論したことは当時朝廷は奈良仏教に飽きており、法相などの旧仏教の束縛を断ち切り、新しい平安の仏教としての新興仏教を求めていたことが底流にあった。論争の末、最澄の没後に大乗戒壇勅許下り名実ともに天台宗が独立した宗派として確立した。清和天皇の貞観8年(866)7月、円仁に「慈覚」、最澄に「伝教」の大師号が贈られた。宗紋は三諦星。

天台密教台密)[編集]

真言宗の密教を東密と呼ぶのに対し、天台宗の密教は台密と呼ばれる。

当初、中国天台宗の祖といわれる智顗(天台大師)が、法華経の教義によって仏教全体を体系化した五時八教の教相判釈(略して教判という)を唱えるも、その時代はまだ密教は伝来しておらず、その教判の中には含まれていなかった。したがって中国天台宗は、密教を導入も包含もしていなかった。

しか日本天台宗宗祖最澄伝教大師)が唐に渡った時代になると、当時最新の仏教である中期密教が中国に伝えられていた。最澄は、まだ雑密しかなかった当時の日本では密教が不備であることを憂い、密教を含めた仏教のすべてを体系化しようと考え、順暁から密教の灌頂を受け持ち帰った。しか最澄帰国して一年後に空海弘法大師)が唐から帰国すると、自身が唐で順暁から学んだ密教は傍系のものだと気づき空海に礼を尽くして弟子となり密教を学ぼうとするも、次第に両者の仏教観の違いが顕れ決別した。これにより日本の天台教学における完全な密教の編入はいったんストップした。

はいえ、最澄自身法華経を基盤とした戒律や禅、念仏、そして密教の融合による総合仏教としての教義確立を目指していたのは紛れもない事実で、円仁(慈覚大師)・円珍(智証大師)などの弟子たちは最澄自身意志を引き継ぎ密教を学び直して、最澄の悲願である天台教学を中心にした総合仏教の確立に貢献した。したがって天台密教系譜は、円仁円珍に始まるのではなく、最澄が源流である。また円珍は、空海の「十住心論」を五つの欠点があると指摘し「天台と真言には優劣はない」と反論もしている。

なお真言密教東密)と天台密教台密)の違いは、東密大日如来本尊とする教義を展開しているのに対し、台密あくまで法華一乗の立場を取り、法華経本尊である久遠実成の釈迦如来としていることである

四宗兼学[編集]

また上記の事項から、同じ天台宗といっても、智顗が確立した法華経に依る中国天台宗とは違い、最澄が開いた日本天台宗は、智顗の説を受け継ぎ法華経を中心としつつも、禅や戒、念仏、密教の要素も含み、したがって延暦寺は四宗兼学の道場とも呼ばれている。井沢元彦はわかりやすい比喩として、密教の単科大学であった金剛峯寺に対して、延暦寺は仏教総合大学であったと解説している。

止観行[編集]

天台宗修行法華経の観心に重きをおいた「止観」を重んじる。また、現在日本天台宗修行は朝題目・夕念仏という言葉に集約される。午前中は題目、つまり法華経読誦を中心とした行法(法華懺法という)を行い、午後は阿弥陀仏本尊とする行法(例時作法という)を行う。これは後に発展し、「念仏」という新たな仏教の展開の萌芽となった。また、遮那業として、天台密教台密)などの加持も行い、総合仏教となることによって基盤を固めた。さらに後世には全ての存在仏性が宿るという天台本覚思想確立することになる。長く日本の仏教教育の中心であったため、平安末期から鎌倉時代にかけて融通念仏宗浄土宗浄土真宗臨済宗曹洞宗日蓮宗などの新しい宗旨を唱える学僧を多く輩出することとなる。

所依[編集]

法華経

涅槃経

大品経

大智度論

主要寺院寺格)[編集]

天台宗山門派)[編集]

総本山[編集]

比叡山延暦寺滋賀県大津市

門跡寺院[編集]

滋賀院(大津市

妙法院京都市東山区

魚山三千院京都市左京区

青蓮院京都市東山区

曼殊院京都市左京区

毘沙門堂京都市山科区

大本山[編集]

関山中尊寺岩手県西磐井郡平泉町

日光山輪王寺栃木県日光市

東叡山寛永寺東京都台東区

定額山善光寺大勧進長野県長野市

別格本山[編集]

毛越寺岩手県西磐井郡平泉町

瑞国海岸観音寺宮城県気仙沼市

正覚山蓮前院安楽寺茨城県常総市

星野山中院(埼玉県川越市

狭山山不動寺(埼玉県所沢市

大鱗山雲洞院天龍寺埼玉県飯能市

浮岳山昌楽院深大寺東京都調布市

向山常楽寺長野県上田市

宝積山光前寺(長野県駒ヶ根市

龍谷山水間寺大阪府貝塚市

書写山圓教寺兵庫県姫路市

大山寺鳥取県大山町

山大興善寺(佐賀県基山町

六郷満山両子寺(大分県国東市

その他の寺院[編集]

谷汲観音寺北海道河東郡音更町

青柳山談義堂院龍蔵寺(群馬県前橋市

星野山喜多院(埼玉県川越市

谷汲華厳寺岐阜県揖斐郡揖斐川町

清香寂光院京都市左京区

根本山神峯山寺(大阪府高槻市

三身山太山寺兵庫県神戸市

補陀落山長尾寺香川県さぬき市

清水観世音寺福岡県太宰府市

海山大恩教寺釈迦院(熊本県八代市

阿蘇山西巌殿寺(熊本県阿蘇市) 

王寺熊本県山都町宮司豪族であった中世阿蘇氏の菩提寺である) 

天台寺門宗[編集]

総本山 長等山園城寺三井寺)(滋賀県大津市

天台真盛宗[編集]

総本山 戒光山西教寺(滋賀県大津市

その他天台系宗派[編集]

聖観音宗 

浅草寺東京都台東区

和宗

四天王寺

本山修験宗寺門派系)

聖護院京都市左京区

金峯山修験本宗

金峯山寺奈良県吉野郡吉野町

浄土真宗遣迎院派

遣迎院京都市北区

妙見宗

本瀧寺大阪府豊能郡能勢町

粉河観音宗

粉河寺(和歌山県紀の川市粉河

善峰観音宗

善峰寺京都府京都市西京区

天台宗新宗教[編集]

念法眞教

孝道教団

鞍馬弘教

教育機関[編集]

大学[編集]

大正大学

天台宗中学校高等学校[編集]

比叡山中学校・高等学校

駒込中学校・高等学校

養成機関[編集]

叡山学院

2017-05-10

http://anond.hatelabo.jp/20170510160656

元増田個人的な話したいだけで

高専という教育機関全体のことを書いたようには読めなかったけどな

元増田は見たままを書いた。それが全て。それは間違ってないだろ

2017-05-06

さかなクンのように他はてんでダメだが特定分野だけ変態って人を生かすために私立教育機関は残るべきなんだろうけど

お国教育異論があるから学校つくったんでしょというそもそも論を踏まえると学校関係者寄付自助努力学校を支えるべきなのであって

2017-05-05

http://anond.hatelabo.jp/20170505234721

入社してから教える」行為教育機関および職業訓練校に投げて、就職した後に会社がすることは出来る人を継続雇用して出来ない人を辞めさせるだけの仕組みにすれば一般的になるでしょう

2017-04-27

日本って結構危ういじゃないかなーと思ったこと

「危うい」というのは国家としての存続ということ。

政治とか歴史とかについてあまり理解はない方だと思うのだけど、私自身が中国留学就労経験があることもあり、私のfacebookには日本帰化した中国人だったりという人もいる。

日本語が非常に堪能で名前さえ明かさなければ中国人だと分からないし、日本高等教育機関で働いていたりする。

facebookタイムラインを見てきて分かったのだけど、これらの人たちは日本左翼活動家をすごく尊敬していてシェアいいねコメントをしていろいろ励ましているし、

自身日本批判するコメントを繰り返している。

基本的日本だめだー、政治家だめだー、歴史認識だめだー、とか。

いろんな文献に基づいた客観的分析ならまだ学びがあったりするのだろうけど、最近とくに主張が薄っぺらい上にいろんな人に絡みだして立ち悪い感じになっている。

日本批判報道内容はシェアするくせに、自国メディアにおける捏造報道だったりには目を背け、中国称賛ニュース拡散したりしている。

(私は中国ニュースを読解できるくらいの中国語レベルはあるので、よく中国ニュースウォッチをしているのだけど、たまに酷い捏造記事拡散されたりしている)

そんな元中国人を眺めながら思うこととしては、

これだけ日本に対するヘイトを繰り返しているのに、日本政府から何の制裁もなく今日も頑張ってヘイトできることを保障してくれている日本政府感謝はないのか、ということ。

もし、こういった活動母国でやったら瞬時にスパイ容疑で逮捕されるだろうに。

最近中国スパイ容疑で逮捕されたというニュースがあったけど、この元中国人たちによる日本での活動は目に余るというか、もうすでに日本教育機関にまで入っていて社会的地位、影響力を持っているというのが本当に恐ろしい。

この人たちの教え子もすごくこの人たちを慕っているようだし。

私という一小市民facebookでもこういう現状が浮彫になるくらいだから日本全体、日本中枢まで目を向けるともしかしてもう取り返しのつかないところまでいっているのではないかとすごく危惧してしまう。

日本は本当に甘い。この点は中国を見習うべきではないのだろうか。

最近日本右傾化している、とか言われているけど、こういった背景も結構あるんじゃないかと思った。

2017-04-24

小学校中学校高校いじめに対して言っておきたいこと

教育機関において『いじめなんて存在しないし、解決させる気も無い』という事がいじめに関する報道で明らかになっているのにも関わらず、

実際に自分の子供がいじめに直面すると、学校相談しようとする親の多いこと。それは明らかな間違いで、愚策しか言いようがない。

以下のワードGoogle検索をしよう。この国の教育機関いじめの扱いが手に取るように分かる。

大津市中2いじめ自殺事件』、『金銭要求いじめ認定困難」=教育長見解原発避難横浜』、『学校におけるいじめ問題に関する基本的認識と取組のポイント

特に最後文部科学省掲載しているのはお笑いものである教員は生徒に講義学習アドバイスをおこなう賃金しか貰っていないわけで、親身にいじめ問題を取り扱える訳が無いのである

また、ポイント3は、いじめの原因は家庭教育の在り方にあるみたいな擦り付けだ。既に教育機関ではなくそっちで落とし前付けてこいと言っているのだ。

そもそも家族は、本人がどの様ないじめ発言をされているのかを本人からしか聞くことが出来ない。もし本人になんらかのバイアスがかかって「気にしないで」と言われたら家族教育もクソも無いのだ。

そして、「生きることの素晴らしさ」を教員が教えるというポイント4。それは無理な話だ。教員が教えられるのは、「ユーチューバーにはなるな」「勉強しろ」「遊ぶ時は車に気をつけろ」だ。

そして、ポイント5。地域社会(笑)地域社会が出来るのは、せいぜい未成年飲酒喫煙しているアホな学生ツイートRTしたり、それを見つけたら学校通報するぐらいである。

今の教員学校に通ってた頃なんて、教師が生徒殴ってるのが当たり前だったんだし、子ども同士の暴力なんて「悪ガキがやらかしたんでしょ」ぐらいにしか思ってないだろう。

子どもいじめと思われる行為子どもにとって不愉快と感じる出来事)が発生した場合は、まず学校教師校長)ではなくカウンセラー相談するべきだ。

休みが無いブラック職の人間教員)に心理的問題が介在するいじめ案件を扱える訳がない。今の給料では自分クラスと授業を受け持つだけで限界だろう。

2017-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20170414081402

現在における「教育勅語」の位置付けはあくまでも「国の方針として公教育採用しない(学習指導要領採用しない)」であって「学校教育への採用禁止する」ではないんだよ

から教育機関各自裁量でもって教育勅語採用しようとしても政府にはそれを止める法的根拠権限もない

一部の人たちが大好きな「国家権力による教育現場への介入」ってことになりかねないしな

2017-03-30

https://travel.spot-app.jp/hoikuen_nagahashiryo/

すばらしい記事でした。

ただ、この中で

TwitterFacebookなどのSNSで様々なツッコミがあったと思います反論をしている方々は子育て世代ではないという肌感を、どこで感じたのでしょうか」

「実は、TwitterFacebook意見をくれたユーザーがどんな方なのかを、全部チェックしました。プロフィールから過去発言も全部追いかけて」

マジですか」

マジです。この問題は、真面目に研究しなくてはならないと思いまして。で、調べていくと、“ジェンダーフリー”の生き方を持った方々で、例えば女性の権利を守るために活動している方が非常にこだわっていらっしゃることも分かりました。もちろん、保育園に預けていた経験のある方で反対意見を出していた人もいましたけれども、それは本当にレアなケースで。例えばその人たちの中には、“旦那自分の娘のオムツを替えているだけでも嫌”みたいな意見を言っている人もいました。でもそれはもう、ポリシーの話ですからね。生き方の」

はい

「そして、反対している人の多くは、女性なんです。母親ではなくて、“女性”です。それはもう、ご自身女性としての“お考え”なんですよね。男性に対する哲学的な全体評価も含めて。なぜ反対されるのかっていうのを色々見てみると、そこには男性全体に対する根深き不信っていうのがあったので、これは保育士云々の話ではないっていう感じがしました。もちろんそういった方々が人生で色んな経験をされて、その上で男性不信があったとしたらそれは否定するつもりはありませんが、この保育士の話とは分けて考えて欲しいんです」

というのは微妙に話がずれている気も。また、千葉市長のズレ方はまだマイルドだが、特にブコメにあったようにこういう女性の方が「男性差別主義」だというのは多分大きくずれている気がしてならない。

人生で色んな経験をされて、その上で男性不信があった」というのが、不安気質のあるような女性になんらかの男性不信につながるトラウマエピソードが起こった結果として、防衛的機制として男性について過度に攻撃的になっているのだとしたらそれは精神医学的な範疇問題だと思う。

例えば自閉症児は騒音が苦手だ。自閉症児が騒音が苦手だからといって、この世から騒音をなくすべきだとはならないだろう。しかしながら、その自閉症児が騒音が苦手だと、親が主張し公的教育機関などでの対処要求した時、その要求は完全に的外れものだと言えるものだろうか。全ての学校がそうすべきだと言われたらそれはおかしいと思うが、そういった自閉症児も快適に過ごすことができるような空間施設も、予算的に可能であるならば提供すべきだとするならば考慮すべきだと思う。

これと同様に、何らかの精神医学的反応として過度に男性保育士攻撃するような女性(という私の捉え方が正しかったとして)がある時、それを考慮して全てのシステム設計するとしたらそれは間違いである一方、そういった女性安心できるような選択肢提供もまた考慮すべきことであるように思われるのである。ただしそれは、少なくとも保育所というものがある程度充足してからのちのことではあろう。

要するに千葉市長に賛同します。

2017-03-25

文科省「老人に敬意を払え」

馬鹿でしょ。

相手オムツ付けた老人であっても他が立派な人なら敬意を払え」は正しいけど、「相手が老人という時点でとにかく敬意を払え」は駄目でしょ。

年功序列ですらないただの儒教劣化コピーしか無い老人敬愛精神教育機関が振りかざすなよ。

宗教教育はちゃんと分離しろ

2017-03-14

スキャンダルささやかれる学園

3大学、3専門学校中学高校幼稚園

安倍理事長が何かやらかしたか合法なのか知らないけど、これら教育機関で働く教員事務職員の1000人から2000人は、何も知らない善良な社会人です

2017-02-25

森友学園国有地取得で会計検査

森友学園国有地取得で会計検査

https://this.kiji.is/207438898890506241

情報提供の受付

https://www.jbaudit.go.jp/form/information/index.html

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51052?page=2

二次創作」の愛国教育は、戦後社会に見られるひとつ伝統芸であり、サブカルチャーであり、この分野に詳しい者にとっては見なれたものである

戦前っぽいもの」のパッケージは、戦後長らくつづいた保革対立のなかで形成されたものである

保守勢力自民党文教族文部省など)は、教育の荒廃が叫ばれると、かならず国旗掲揚国歌斉唱、「教育勅語」の再評価修身の復活などを主張してきた。

国旗国歌問題に火をつけた第三次吉田茂内閣天野貞祐文相は、その嚆矢である内藤誉三郎(文部事務次官参議院議員第一大平正芳内閣の文相)のように、「天壌無窮の神勅」を学校で教えるべきだと主張した例もある。

教育機関国民国家歴史や意義を教えることは必要である国民国家は、現在国際政治基本的単位だ。これを否定するつもりはない。

グローバリズム時代国民国家というシステムいかに無理なく保守管理運用していくか。政府への盲従や排外主義などの欠陥は認識しつつも、こうした問題に取り組んでいくことは欠かせない。

パッケージを丸呑みするかいなかの二者択一は、あまりに単純すぎる。

ナショナリズムはいつどこで芽生えるか →戦争で負けている側である

あるいは学歴を誇る人間はいつ登場するか。→落ちぶれてそこしか砦がなくなった時である

東大卒のりょーすけさんなどは、もう道具として使う。ふつうはそういうものだ。

東大生かくあるべし、みたいなことを言い出すのはかなり痛い

今日ほど「君が代」に関する議論劣化した時代はほかにないだろう。

君が代」を歌うか、歌わないか問題はあまりに単純に二分化され、歌えば保守愛国であり、歌わなければ左翼反日である即断される。そしてこの単純な白黒図式に基づき、「愛国者」を自任する者たちが、気に入らない相手に食って掛かるしかも、驚くべきことに、この「愛国者」を自任する者たちの多くは、「君が代」の歴史意味をロクに知らないのだ。「君が代」は、敵と味方を判別し、敵を吊るし上げるための単なる「踏み絵」と化している

1999年に「国旗国歌法」が施行された

ネットモブ」が「ネット右翼」と呼ばれたために、その主張も「保守」や「右翼のもの勘違いされてしまった。この結果、昨今のナショナリズムの「再評価」とあいまって歴史的な経緯に詳らかではないネットユーザーのなかで、劣化した議論が急速に肥大化してしまった。

1890年2月帝国議会の開会を直前に控え、地方治安維持をつかさどる県知事(内務官僚)たちは、「文明と云ふことにのみに酔ひ、国家あるを打忘れた」自由民権運動抑制するため、「真の日本人」を育成する国民道徳樹立を求めた。

→とはいえ、当初の「教育勅語」の内容は、後世の文書などにくらべて、意外にも慎ましいものだった。

日本神の国であり、世界指導する権利がある」などという大それた神国思想は、「教育勅語」のなかに見られない。これは、『国体の本義』(1937年)や『臣民の道』(1941年)などで、教育界に広められたものである

しろ教育勅語」の内容はかなり抑え気味だった。たしかに、「我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ」「天壌無窮ノ皇運」など神話にもとづく記述もあった。だが、そこに掲げられた個々の徳目現実的で、日常的な振る舞いに関するものが多くを占めた。

当時の日本に、空想をもてあそぶ余裕などなかったのだ。

日本日清戦争日露戦争勝利し、帝国主義列強一角を占めるにいたって、かえって問題が指摘されるようになった。大国日本国民道徳として、「教育勅語」はあまりに物足りないのではないかと注文がつきはじめた

君主たるもの特定政治的宗教的思想的、哲学的立場に肩入れする言葉を使うべきではなく、またその訓戒も「大海の水」のごとくあるべきで消極的否定言葉を使うべきではない

また、井上帝国憲法の起草者として立憲主義尊重し、「君主臣民の良心の自由に干渉せず」と述べて、「勅語」を軍令のように考える山県の構想も牽制した。

もちろん、自由民権運動対策念頭にあったこともあり、独立自治などにつながる徳目が慎重に排除されていることは見逃せない。その一方で、その内容は、神国思想軍国主義権化のごとき過激ものでもなかった。

追加修正

西園寺公望は、明治天皇の内諾を得て、「第二の教育勅語」の起草に着手した。

1919年、『勅語衍義』の執筆者井上哲次郎によって「教育勅語修正を加へよ」という論考が発表された

この提言の背景には、同年に朝鮮で起きた三・一独立運動の衝撃があった。

結果的に、「教育勅語」の不足分は、ほかの詔勅の発布で補うかたちが取られた。1908年発布の「戊申詔書」、1939年発布の「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがそれにあたる。

1948年6月衆参両院の決議では、「教育勅語等」として「教育勅語」だけではなく「軍人勅諭」「戊申詔書」「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがセットで排除および失効確認されている。これらの詔勅が一体的に理解されていた証左

教育勅語」は、狂信的な神国思想権化ではないが、普遍的通用する内容でもなく、およそ完全無欠とはいえない、一個の歴史的文書にすぎない。その限界は、戦前においてすでに認識されていた。

2017-02-24

http://b.hatena.ne.jp/entry/gendai.ismedia.jp/articles/-/51052

バカにしてる光景でソッコーでこれ思い出したわ。

noiehoie on tumblr • サヨクって本当にダメだなぁと思った件。

この件、是々非々を許さなカルト的怖さがあるんだが、分からん人には分からん

教育勅語の件、「園児教育勅語」ってバカにしてるが、この事件ってほっといたら 幼稚園小学校中学校〜と進む話だったんだぞ。

そうすると、カルトお墨付きの進学コースで人の上に立つ人材には、教育勅語教義としてたたき込んでおかなければならないという意図が読み取れる。

【戦前教育を幼児に強制する塚本幼稚園】教育勅語の犯罪性について考える。 – お役立ち情報の杜(もり)

ちなみに御真影は、戦前宗教弾圧では神道と毛ほども関係ないキリスト教会・仏寺に御真影が祀られ礼拝されていたわけだが、これは上の件と合わせると

教育機関国歌斉唱の次は御真影を祀らせたい」だ。

それはそれとして、塚本幼稚園

1. 紀元節現在建国記念の日)、天長節(同、天皇誕生日)などの祝祭日に、校長教員児童学校に集まり儀式を行わなければならない(以下、式次第)。

2. 式場中央に奉掲した天皇皇后のお写真の覆いを撤する。その際、一同上体を前に傾け、敬粛の意を表する。お写真を拝戴していない学校では、宮城遥拝を行う。

3. 国歌を歌う。

4. 校長が「教育勅語」を奉読する。参列者は奉読開始とともに上体を前に傾けて拝聴し、奉読終了後に敬礼してもとの姿勢に復する。

5. 校長が訓話を行う。

6. 当日の儀式唱歌を歌う。たとえば、紀元節では「紀元節」という唱歌を歌う。

7. 天皇皇后のお写真に覆いをする。その際、一同上体を前に傾け、敬粛の意を表する。

のような扱いをしていないから、たんなる戦後二次創作と嗤っていいものだろうか?ちょっと軽すぎない?

皇室グラビア」と「御真影」 : 戦前新聞雑誌における皇室写真通時的分析 http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/192611/1/kjs_009_093.pdf

に目を通せば、そんな単純な物ではないと思うよ。

イギリスのタイムズより取材を受けました。|新着情報|塚本幼稚園幼児教育学園

笑顔で丁寧な先生、2~5歳の制服を来た子供達は、他の幼稚園と同様愛らしい。しばらくした後、園児たちの“おじぎ”をする光景に気付く。それはお互いにするのではなく、壁の写真に対してである

それらは、天皇画像である。:天皇陛下明仁」、その父「裕仁」、さらに19世紀の明治天皇

2017-02-23

維新木下議員による森友学園問題についての質疑

https://www.youtube.com/embed/QICTjFU7-KY

豊中市国有地売却問題についての質疑。異例な契約内容周辺地域でどんな懸念が出ているかを中心に話しています

20170223_木下智彦_日本維新の会_衆議院_予算委員会_分科会

森友学園教育理念個人的には「合わない」と感じる。

しかしそれは国会で論じるべき事ではない。

カリキュラム問題があるのであれば、それは別個に論じるべき。

→その通りである

園長副園長が持つヘイト思想の是非、園での虐待疑惑

それは「国有地の売却問題」とは関係ない。

地域住人である木下議員には、ぜひ別の場所

森友学園教育機関として相応しいかどうか、

地域の発展に貢献しているか

総理大臣夫人名誉校長を務めるに値する小学校設立されるのかどうか、

しっかりと検証してほしい。

森友学園には国が知恵を絞ってとにかく売却できる、買ってもらえる方法を編み出している一方、

同じ土地を購入しようとした大阪音大にはそのような提案はしなかった、と指摘。

地域活性化のためには大阪音大にこそ、そのような知恵を絞ってほしかった、とも。

→私のような浅はかな人間は、すぐに

「では、なぜ森友学園にのみなぜそのような特別な(しかし法的には問題がない)方法が編み出されたのか?」

という疑問を抱くが、木下議員はその点には一切言及しない。

怪しい、という印象だけで声高に「追求」を行いはしない冷静な態度が素晴らしい。

大阪音大にはなされなかった行為が、森友学園にはなされていたという事実を明らかにした木下議員の功績は大きい。

ぜひ、このまま「なぜ、地域活性化につながるより広く充実した大阪音大という存在を、地元は得られなかったのか」について、

原因の究明を行なって頂きたい。

2017-02-01

ま~たPTA問題でも始まったよ 国ガー 自治体ガー 行政ガーの大合唱

http://b.hatena.ne.jp/entry/nemurenai-same.hatenadiary.jp/entry/2017/01/30/174304

これを読んで、行政PTAに甘えてるんだなと思った。もう共働きが前提の社会なのに、教育機関でやるべきことを個人努力で回してしまってる。根本的な予算配分がなされてない。

いつか出るかと思ったらやっぱ出てきたわ。

お前らほんっと国のせいにするの大好きなー。

甘えてるだああ?

学校行政に甘えてるのはPTAにゴネてるお前ら自身じゃねーか。

っつか、お前ら行政叩く前にこのエントリのこのブクマ見てみろよ。

http://justsize.hatenablog.com/entry/2017/01/30/064158

http://b.hatena.ne.jp/entry/justsize.hatenablog.com/entry/2017/01/30/064158

PTA関係人間が散々リテラシーが低いだの非合理的だのえらっっっっっっっそうに上から目線でダラダラグダグダ言ってる連中が大半。

だったら、こういう連中こそPTA合理化に率先して汗をかくべきじゃないか

やれるだけの能力があるにもかかわらず、リテラシーの低い奴らの個人努力に「甘えている」んじゃねえのかよ。

あ?

貧困問題相対的貧困なんて話まで持ち出してあれほど偉そうに文句垂れてたじゃねえか。

貧困解決するために俺が身銭を切ってやるぜ!って言わねえのか?

ノブレス・オブリージュじゃねえのか?

俺にはそんな責任も余裕もないって?

まあそう言うだろうな。

PTAに関わってる連中、みーーーーーーーーーーーーーーーーんなそう思ってるよ。

で、心の底で「お前がやれよ」「あいつがやれよ」って思ってんの。

自分がやりたくないから、あーだこーだ理屈つけて、

やれるだけの能力や資力はあっても絶対に俺がやりますとは言わないわけ。

事務員がやれとか言い出すバカも出てそこに星つけるゴミ大勢居たな。

んで、最後に誰もが納得づくで責任押し付けられるのが国や行政っつーわけだ。

甘えてるのは誰でもねえ、

PTAやりたくないってワガママほざいてるお前ら一人ひとりだよ。

誰もそれを認めようとしないから、いつまで経っても問題解決せず、先送り先送りで繰り返し続けてるんだよ。

まあせいぜい国のせいにし続けてりゃいいよ。

少なくとも溜飲は下がるだろうよ。

問題は一生解決しないだろうがな。

2017-01-23

http://anond.hatelabo.jp/20170123041742

どれも至極当然のことだけどわざわざ書くってことは

こういうヤツが多いってことなんだろうな

教育機関はなんでこういう準備不足の人間を輩出するんだ?

2017-01-08

http://anond.hatelabo.jp/20170108124634

保育じゃなくて教育保育園じゃなくて幼稚園の話だっつーの。

保育園はそもそも教育機関ではない。保育園児は幼稚園に通えないが、かと言って全く教育しないのは問題だ、と言う事で

今は幼稚園並みの教育を行う保育園が増えているだけ。

んで小学校入学前の教育必要とされるから幼稚園があるわけだし、幼児教育重要視されてるのが最近世界的な傾向。

幼児教育を受けた子と受けてない子では将来の成績も得る収入もそれに伴って納める税額も違うんだとさ。

更に大きくなってから教育するより幼いうちから教育した方が全体でかかる教育費用が少ない、ってのも統計的に出ていて

幼児教育は最もコスパが良い」と言われてるくらい。

それに日本だと(海外でもあるだろうが)、ろくに幼児教育を受けてない子が

勉強以前に「授業中に大人しく座って静かに先生の話を聞く」事すら出来なくて授業中に遊び歩いて授業妨害したり

「同世代の多数の友人と無難人間関係を築く」事が出来なくて孤立して不登校になったりするというケースが起きて社会問題になってる。

小1からつまずけばその後立ち直らせるのは大変だし、学級崩壊が起きれば他の子にとっても迷惑となる。教師疲弊して潰れる原因にもなる。

んでこういうのを自宅保育だけで身に着けるのは困難だから幼稚園(もしくは幼稚園並みに教育する保育園)の必要性があるわけ。

その辺を考慮したうえでの「5歳児教育無償化」だよ。

義務教育として国民全員に幼児教育を施す、と言うのが本来理想だけれど

義務教育となるとハードル高すぎるからとりあえず無償化から始めてるだけ。

限られた貧困層への支援ではなく無償化ってのも、義務教育化する為の第一歩だから

2017-01-06

鉄道インフラの欠陥のあまり増えるマイカー可の地域。それでも黙りますか?

年始早々あまり良い話ではないが、在日本の民間企業はともかくとして教育機関ですら日本鉄道インフラ産業構造的欠陥(欧米先進国レベル未満の水準)に対し、都市部においても自転車オートバイマイカーの利用を認める事態が続いているそうだ。日本国民所得社会階層に応じた交通インフラ分離を叫んでおり、結果として日本公共交通ブランドイメージ低下が避けられないものになるのは必至だろう…

最近都市部観光ガイド情報「近頃は公共交通の定時率が低下しておりますレンタカーレンタルバイクとの併用をお勧めします」をみた外国人が「こんな恥ずかしい観光案内を出すな!なんで世界に誇る大都会のに住民のためだけに公共交通使っちゃならないのかって話ですよバカげている」とつい。公共交通の再構築が必要

2016-12-05

http://anond.hatelabo.jp/20161205153548

どうしてそこまで小説投稿サイト推しw

いやいや、小説投稿サイト作品だろうが、

「いわゆる中世ファンタジー実質的に近現代ファンタジー」と言われるくらい、

近代的な統治組織教育機関生活水準に、あるいは機械文明まで混じってきたりするのが、現在ファンタジーだろ。

2016-11-18

http://anond.hatelabo.jp/20161118221451

そりゃ増えれば良いってもんじゃないわ

ルーマニア証明済み

から大学学費高騰問題

奨学金問題

Fラン問題

このあたりを改善しなきゃ

政府が吸い上げた税金若者に使わなさ過ぎ

教育機関への支出日本最下位 GDP比で34カ国中

選択肢子どもに示してやるべき

無理解馬鹿親は徐々に淘汰される

意志のある子ども底辺から引き上げてやるべき

2016-10-22

http://anond.hatelabo.jp/20161022230812

すばらしい

ぜひとも旧帝大からFランまで職業訓練校にしてほしい

企業に無価値人材を送るのは小学校から大学まですべての教育機関責任

価値人材企業履歴書を公開するとかしないと恥さらしな大学いつまでものさばっちゃう

2016-10-13

学歴コンプレックスとは似て非なる何か

大卒の人が大卒は正しいと喚く記事を読んで、学歴コンプレックスっていうコメントを見たわけだけど、これって学歴コンプレックスとは違う何かじゃないかなあ。

抽象的なはなしだけど、多分その記事の筆者は(そして多くの人は)「幸せが確定するチケット」を求めていて、この20年位、それは大卒肩書だと思われていたし、購入者もそう信じていたのではないかな。

彼が記事の中で肯定しようとしたのは「大学卒業資格人生幸福にする」ということそのものではなくて、「過去自分が行ったチケット購入判断は間違っていない」ということなのだとおもう。

彼が守ろうとしたのはは「大学卒業資格人生幸福にする」という事実ではない。もちろん「幸福」ってのは主観的ものなので、統計一刀両断にはできないんだけど、経済的な側面で言えば、大卒資格者のほうが高卒資格者よりも、生涯賃金が大きくなるというデータが有るのでそれですむ。示す必要すらなくて、彼自身がその統計を見て「そうだな」と思えばそれで済むので、そもそも記事を書く動機にはなりえない。

そういう経済面に限れば、大学卒業資格というものが、100%確定ではないにせよ確率論的にはある程度効果のあるチケットだったっていうのは有る。しかしそれは同時に、「確率論的」「ある程度効果のある」にすぎないわけでもある。「それを購入すれば購入者は確定した幸福保証される」わけではない。効果の程は購入者によって程度の差がある。

(そもそも大学というのは研究教育機関なわけで、そこに「幸せ」なんて主観的な、しかチケット一枚で生涯を保証するようなものを求められても、大学側は「知らんがな、困るがな」でしかない。この件で大学が悪いわけではない)

筆者が守りたかったのは、「俺は大学を出て幸福だ」という以上の、もっと広範な「大卒チケットを購入した人間幸福になれる」という「世界観」だったのではないか。それはすなわち「過去自分が行ったチケット購入判断は間違っていない」という保障でも有る。もうちょっと踏み込むと、「攻略法Xを実践すれば人間幸福になれる」みたいな思想なんだとおもう。そして、これは、すごくわかる。

人間は日々を生きる上で脳みそ空っぽで生きるのは難しい。どうすればうまくいくか考えちゃうし、試行錯誤ちゃうし、うまく行けば嬉しいし、失敗すればなにが悪かったか考えてしまう。「セカイには攻略法が有るはずだ」って思想人類進歩において巨大なアドバンテージだった。それは、自然科学分野においてはおおむね正しい。背景には物理法則があって、同じ入力には、同じ出力が返ってくる。技術研鑽職人的な人生においても、概ね正しい。そういう態度で経験を扱えば、一定の知見が得られる。

から攻略法Xを実践すれば人間幸福になれる」みたいな思想はすごくわかるし、自分点検しても、この類型は形を変えていくつも発見できる。

でも実際問題、本当にこれが正しいかって言うと、ぜんぜんそんなことはない。人生という関数入力が同じでもその個人ごとに出力がぜんぜん違うようだ。そもそも「同じ入力をする」ということ自体人知では制御できないほど難しい。双子なのにぜんぜん違う人格になったり将来を迎えたりするわけで。人生という巨大関数はすくなくともワンチケットフリーパスになるほどちょろいものではない。信用できるデバッガもない。

でも、その事実はかなり痛みを伴う。「人生攻略法がない」というのは(もちろん確率論的にだが)「どんなに頑張っても不幸にしかなれない人間存在する」ということを意味するからだ。

(※もちろんこれは一部宇宙事実と異なります瞑想ジョギング野菜はすべての人生攻略します。Yes、ぶくまますたー!)

そんなわけで、件の記事はなんだか悲鳴のようにも聞こえた。「この世界攻略法は有るよ、ぼくらが幸せになれるチケット実在するよ! ボクの過去努力コスト支払いは間違ってなんかない! なぜならボクはいまそのチケット暮らしいるからだ!」――あの記事で筆者が説得したかったのは、誰より筆者自身だったのではないかと思う。

同様の光景はあちこちで見ることが出来て、それが先鋭化すると、論理が逆流を始め「(大卒資格幸福チケットであるという)世界観を守るために、高卒下の人間は不幸でないとならない」な方向に拗れてしまう(連中は全員DQNみたいな発言)。そうなると地獄二次生産だ。だがどちらにせよ、それは学歴コンプレックスと言われているものとは、隣接しているけれど、もっと何か違うものなのじゃないかと思う。

2016-09-28

みんな体育祭どうだった?私は超最悪のドンケツだった件。。。。

この間の体育祭は最悪だった。

嫌でしょうがなかった100m走案の定ドンケツ。。

せっかくクラスランクで中の上を維持していたのに中に下がった感じ。

ランク維持は少しでも気を抜くと下がるから努力してきたんだけど流石に運動までは努力できなかった。。

頑張って友達付き合いしていたA子から見下されると思うと悔しいわ。。

こうなったら今度の中間テストで持ち直すしかない。

増田に書いてる暇があったら英単語の一つでも覚えなければ。。

学生生活高校時代蠱毒のような教室でいがみ合い食い合わなければならない。

そこでのランク社会ランクにつながるから

弱者は土台になり強者蜘蛛の糸を掴み成功する。

私は底辺B子のようにお人好しでもないし、C子みたいにわざわざ敵を作ることもしない。

しなやかに障害を交わし的確にルートを選んでいくの。

私は土台になりたくない

私は成功をつかむの

・・成功と言ってもゲームだけの世界だけどね

・・歴史の授業教材「古代地球文化シミュレーション

これが結構面白くて1200年前の地球で行われていた教育機関体験しようってやつ。

高校時代三年間で上位クリアすると単位が取れるからついムキになっちゃう。

ノートにとって良い点数取って友人とのコミュニケーションも円滑に、、、

うーん実に不効率古代人はとても苦労したことだろうな。

そんなの頭にインストールすれば済む話だしね。

つくづく昔の人は苦労してたろうと思う。。

2016-09-04

私が結婚できないのはどう考えても私が悪い

人生責任を取るのは誰でもない自分自身だ(前提)。

決して人生を舐めていたわけではないが常に私は風の吹く方向、水の行く方向へとただ流されるように、受動的に生きてきた。高校大学就職も、ただ落ちた繰り返しの果てに拾って貰えただけだ。

日本教育機関は手厚い。中学も2年の頃には将来のことを考えさせ、受験意識させてくれる(実際に本気で考えるかは別問題)。高校も同じだ。大学だとご丁寧に就職セミナーを開き、また支援センターが微力ながら協力してくれる。ただ受動的に生きるだけの人間にも、次に何をすれば良いかの指針を示してくれる。

次に降りるべき駅と向かう方向を知ることで、私は安心できた。ランク上下はあれど、その線路を走ることができたなら安泰な"人並みの人生"という車窓が見えるのだと思っていた。

しかしどれほど手厚い教育機関でも、教えてくれないことが一つだけあったのだ。それは広い意味でいえば友達の作り方、狭い意味でいえば恋人の作り方。社会に横たわる人間関係力学に関しては、教育機関集団生活を営む上での最低レベル支援までしかしない。それ以上はプライベート範疇として個々人が解決すべき課題とされ、ここに最初格差が生じてしまう。

無論誰もが薔薇色の青春時代を謳歌できる訳では無いが、ただ与えられたことのみを為すことしかできない受動的な人間にとってこのハンデはあまりにも大きい。色気付いた頃合いに「彼女が欲しい」と思えるのは能動的な人間であり、受動的な人間は半ば本気で「よくわからないが、いつか多分そういう時期が来たら勝手結婚するんだろう」と思考停止、或いは思考放棄している。そんなことはあるはずが無いのに、その程度の摂理にすら気付けないほど瞳を曇らせていた。

そして僅かばかりの知り合いや職場の同僚が、みな結婚し子を産み育てていることを認識してようやく気付くのだ。ただ希っていた、安泰で"人並みの人生"というレールから自分が外れていたことに。そしてその先に待つの孤独絶望しかないことに。

人生朱夏を越えれば、染みついた性格行動様式を変えるのは難しい。なにせ今まで何一つとして、能動的に行動を起こしたことのない人間だ。やれ婚活だ何だと行動できる能力と度胸があるなら、もっと早くに気付き無駄人生を燻らせる事も無かっただろう。

何かの間違いで、本気で活動したらまた何か違う結果に至ることもあるのかも知れないが、それ以上に未知に対する不信と不安が足を留まらせる。常に受動的で、他人とは上っ面でしか付き合わず、本気で誰かを慮ったことのない人間が今から人間関係力学を学ぶのは重く、またその練習をさせられる人はさぞ不幸だろう。やはり私は、流されるようにしか生きていけないのだと思う。

生活保護というものがあるが、あれは最低限度の文化的生活保証してくれるらしい。私はそんなものよりも、最低限度の"人並みの人生"を保証してくれる人生保護が欲しかった。特別になんてなる気は無い。自分を産み育ててくれた両親のように、ただ"人並みの人生"というものを送りたかっただけだった。

受動的に生きてきた人間最期もまた、受動的なものなのだろう。せめて、誰かの朝食を不味くするような死に方だけはしないことを願っている。

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