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はてなキーワード: お腹とは

2012-02-20

[]コピペでよく見る腹筋を続けたらどうなるのか実験してみることにする

※上手く行った時にどや顔するため、あるいは自分の初心確認用であり、私以外の人が読んでも役に立つ内容は有りません




増田なので誰も覚えてないと思うけど、

ドリランドをやりつつロングブレスダイエット半年継続したら2.6kg減った私が来ましたよ。

それなりに引き締まったけど、腹筋は割れませんでした。それほど力もつかなかった。残念!

(ただし、私のやり方が正しくなかった可能性もあるので、興味ある人はプロに習ってください)




というわけでそろそろソーシャルゲームも飽きたし、

次に自宅でできそうな腹筋ネタに移行することにします。



こっちにすることにします。

床にあお向けになり、膝を90度になるように曲げます

そして、90度を保ったまま足をあげ太ももとお腹の角度も90度にします。

  ̄|_o  ←横から見るとこのような感じ。

この状態で、胸の前で両腕をクロスします。

これが基本体勢。

この体勢から両肘をふとももにつけます。そして、5秒キープ。

5秒経ったらゆっくり基本体勢に戻ります

これを繰り返し、毎日10回を5セットすると、ハンパない割れた腹筋ができる。

動画で言うと、

http://uchi-training.com/82 をもうちょい頑張ったケースかな?


もうこのコピペ何度目だよ!ってくらい出てるのに

未だに、「何ヶ月で割れた」とかの報告がなくて気になるので私が試してみる。

すでにやってみたことある人で、コツみたいなのをご存じの方がいたら教えて欲しいです。



ちなみに現状は176cm、体重68kgくらいです。

ロングブレスダイエット継続してそれなりに腹は凹んできたので、

これがホント効果あるなら3ヶ月くらいである程度成果が出るんじゃないかと期待してる。

一応前回と同じく6ヶ月継続してやってみるつもり。割れたら画像うpするね。



これで駄目だったら、いよいよジム行くしかいかな。

2012-02-16

http://anond.hatelabo.jp/20120216101140

横だけど

腹筋運動で低負荷で回数をこなすスタイルが主流なのは

単純に腹筋運動において負荷を少しずつ増やしていくことが難しいからという理由と

お腹を引っ込ませる目的で腹筋運動をするのなら、瞬発力より持久力が重要になってくるからってのがあると思う。

ぶっちゃけお腹を引っ込ませたいだけなら、腹筋に力を入れてお腹を凹ませた状態を一日中キープできればいいだけなんだから

余計な負荷をかける必要は感じない。

腹筋の力で何か重い物を持ち上げたり引っ張ったりする必要が生じたら、高負荷でのトレーニングに切り替えるかも。

[][]

床にあお向けになり、膝を90度になるように曲げます

そして、90度を保ったまま足をあげ太ももとお腹の角度も90度にします。

  ̄|_o  ←横から見るとこのような感じ。


この状態で、胸の前で両腕をクロスします。

これが基本体勢。

この体勢から両肘をふとももにつけます。そして、5秒キープ。

5秒経ったらゆっくり基本体勢に戻ります

これを繰り返し、毎日10回を5セットすると、ハンパない割れた腹筋ができる。


2012-02-14

http://anond.hatelabo.jp/20120214221100

28歳にして腹が出てたら、とてもじゃないけど筋トレしてるなんて胸を張って言えないよ

お腹周りのトレーニングを強化して一カ月でひっこませなさい

やせ形なら出来るはずだ

2012-02-09

コンビニエントらいふ




コンビニ業界の人は

売り上げが上がることを喜んでいるのか.


喜んでもいいけどせめて疑問を持って欲しい。

便利じゃなくて、人間自体が軽くてお手軽で、って

コンンビニエントになっているぞ。



雇用が生まれ、お腹も満ちる。

時間も出来て精神的余裕も持てる…

確かにいいところは数え切れない。

ただ、生活の自動化にともなって

人間が、人間の生活が、自動化つまりロボットに近づいている。

感情が抜け落ちた人間を産生しているのではないだろうか。


そして、生産性を求めてれば求めるほど

どんどんと人間としての生活は非効率非生産的ものになってしまっている。



どんどんと仕事のための仕事に臨む環境

整っているが

人間としての”仕事”が仕事に付随するものと化している。


本当は生活の一部に仕事があるはずなのに…。

そして、自分を削って自分を失わせることを

強要される仕事をしていると

どうしても、

そのままの自分とそのままの相手が触れ合う時間が削られて、

心に温かいものが溜まらなくなってしまう。





仕事を通じた人間関係

心の支えとなって毎日を生きれるかもしれないが

支えと温かさは必ずしも結びつかないのではないだろうか。

2012-01-30

電車の子

僕は、電車通勤している。

空いていそうな車両を選んでは乗っていたが、ある時、ある事に気づいてから、他の車両に乗れなくなった。

僕の通勤時間は、学生さん達の通学時間とも被るから、僕の座る席の回りも、学生さんでいっぱいになる。

毎日同じ電車なので、名前は知らなくても知った顔が増える。かといって挨拶するわけでもないが。

ある日、途中の駅で乗り込んでくる学生さん達の中にその子はいた。

女の子だ。


なんとはなく、違和感を感じた。その違和感がなにか確認するため、翌日も同じ車両の同じ位置に座る。

果たして、同じ駅、同じドアからの子は乗ってきた。

高校生、いや、それにしては顔つきが幼い、中学生かもしれないな。


違和感の正体は体型だった。

ポニョ歌詞ではないが、まんまるお腹女の子......

はじめは、ダイエットの失敗かとか、なんかの病気かとも考えたが排除した。


ごく自然に考えるのなら、新しい生命が宿っているのだ。


背景に何があったかはともかく、この子はその生命を絶とうとはしなかった。そして制服を着て、電車で通学する。なかなかすごい決意である


ただ、席を譲らせてくれないのだ。

そろそろ、諦めて、座って欲しい。見ていて、いつ転ぶか、正直怖い。


なんとか、席を譲り渡す、よい方法は無いかねぇ。(まわりはわりと無関心モードなので気づいておらず、下手にばらすとその子が針のムシロであることも、なかなか強攻策に出られない理由である)

2012-01-24

一生の問題

 一生の問題


 君は、自分が今抱えている問題が解消すれば楽になると思っていないかい?

 問題は常に付きまとう。

 問題を抱えはじめたのは小6くらいの頃だっただろうか、中学生になれば解決する問題、それは通学路だった。

 小学生の一つの楽しみと言えば行きと帰りの歩き道として通学路が制定されていた。

 住んでいる区域によってある程度“この道を通らなければいけない”という決められた道程があり、もしその道以外を歩いて登下校しようものなら朝と帰りの学級会で

 「○○君が通学路破りをしていました。」

 なんて問題にされる。

 確かに親や教師達が心配してとの事だというのは解るが、中学生になればこの問題は解決し自由に好きな道を選んで登下校できた。

 勿論、中学中学自転車に乗ってはならない等の規制があったりする。

 

 常に問題はつきまとう。

 高校生くらいになれば早く自分で働いて自分の稼ぎで自由に買い物したいと思うし、大学生になれば内定さえ取れれば等と考える。

 就職してからもいっこうに問題はつきまとう。

 係長になれば、課長になれば、部長になれば、役員になれば、いつになっても問題は解決しない。

 我々は、問題を解決する為に生きているのだろうか?

 結婚をすれば、子供ができれば、子が親元を離れれば、孫ができれば。

 いつあなたは楽になるのだろうか? 欲にはキリが無いなんて事を言いたいのではない欲は大きく沢山あっていいんだ。

 問題を抱えていている時というものは兎角“これがどうにかなれば後は楽だぞ”と考えやすい。

 しかし、それも束の間、お腹が空いて空いて仕方無かったのに、腹いっぱい飯を食べた時の満足感は食事が終わった30分後でも持続するだろうか?

 自分は今までも今もこれからも沢山問題を抱えている。

 否応なしに課せられた問題もあれば自ら抱え込んだ問題まで様々だ。

 

 そう問題に振り回されるのではなく、問題を制御コントロールしているという自覚が、問題を問題という言葉から感じる嫌に重たいイメージを変えるのではないだろうか?

 自分でしたいと思った事がすぐ簡単にはできない事であれば問題だ、色々とその問題に対し取り組まなければならない。

 しかしいくら自分で設定した問題とはい過去に誰かが成し遂げた課題であったりすると、どうしても道無き道を突っ走る新雪の中を滑るスノーボードの様な快感は得られない、決してそれが楽とは限らないが先駆者達に寄る補正補正を重ねられた道であるからだ。

 だからそう、君も一つでいい

 この宇宙でまだ誰も成し遂げた事のない課題。問題を抱えてみないか

 それはトンデモない事でいい、トレーニング一輪車に乗れるようになるのと同じようにテレパシーで特定の誰かと会話したいであるとか、誰も作った事のない新しい料理を作るでもいい。

 大事なのは常に心にその“自分だけの解決したい問題”を抱え続ける事だ。

 とは言っても、その自分用の人生の問題を作るのはけっこう難しい。

 生老病死というように、現代の様々な問題が無い遥か過去から、人は様々な問題に苦しんできた。

 僕は逆にと言える例えでもないが生老病死の苦しみとは逆に“知想伝忘”の楽しみを一生の問題にしてみてはどうかと思う。

 “知る”楽しみ   何かを知ること、新しい知識を得る事は快感である

 “想う”楽しみ   何かを考える事、感じる事、思い描く事、想像創造する事も快感だ。

 “伝える”楽しみ  そしてそれらの楽しみを他人に伝えて共感を得たならな楽しみを共にする楽しみもある

 “忘れる”楽しみ  かといって転んで痛かったり、不運や事故は起こりうる。できれば颯爽と忘れてしまえば尚楽しい


 なにかや曲のある宗教臭さがでてきて申し訳ないが

 一生、問題は続く

 そして、楽ではないのは問題があるからではなく

 問題を他者から与えられるからであって、自分で設定していなからという側面が多分にあるからじゃないかと思ったので書いてみようと思った。

 

 かといって、これらの問題と問題と見る事なく、淡々とこなす物として見過ぎると次にはこういった問題が浮かび上がる

 “先が見えてしまう”

 というものだ、問題が問題でなくなると、なんだか自分人生早送りしたくなる。

 だって先へ行けば行くほど人生楽しいからだ。

 もっと先へ行きたいもっと早く行きたい、だってどんどん楽しくなるから

 そうすると今度は、時間の流れの遅さにいらだちを覚える。

 よく言ったものだ「要は時間の問題だ」と・・・

 結局本当に、時間こそ問題なのかもしれない。

 いや、この話に突っ込むとやばそうだ・・・

 ちょっとほら、もう、こんな私の文章にあなたは何分を費やした?

 時間の問題ならば、長い人生たまには時間を見つめなおすのもいいかもしれない

 あなたも今夜は色々と詮索するのは止めて暗くして布団に入り目を閉じたら

 時間時間だけに意識を向けてみてはどうだろう?

 時間が見えてくるかもしれないww

 あなた時間という問題に縛られているのだ

 そして、そうご存知の方も多いかと思うが時間の感じ方は「自由」にできるんだぜ!

 だからおれはなんにでも好意を持とうと決めたのかもしれない。

 この今の自分の“時間の感じ方”そのものに好意を持つ。

 遅い時も早い時も、その時の自分時間の感じ方を楽しんでみようよ

 そうすれば、また次の新しい“一生の問題”が見つかるかもしれない

 @awaikumo

2012-01-21

脱腸ソケイヘルニアの手術をした

昨日脱腸ソケイヘルニアの手術をした。今日退院した。いわゆる盲腸より簡単な手術だ。想像していた痛みがいろいろ違った。検査や手術はすべて痛くなかった。一番痛かったのは点滴の針のシールを腕からはがした時だった。腕の毛が抜けて、点滴の針を刺すとき3倍痛かった。



手術後、傷口は数時間ほとんど痛みを感じなくなった。しかし腹の中が痛い、臓器を筋肉痛にした感じだ。腹がズキーンとするので、起き上がれない、立てない、大きな声で話せない、寝返れない、しゃがめない。。。。これが予想以上に辛かった。



ヨボヨボの70歳ぐらいになった感じだ。今もヨボヨボしている。お腹に力がかかる、笑ってはいけないシリーズなど見たら笑死する。花粉風邪が来ても爆死するだろう。でも一泊二日で退院できる手術なので、大したことでないけど意外と辛い。



3日ぐらい入院したい。

2012-01-07

http://anond.hatelabo.jp/20120107200523

調理する時間帯にお腹が空かないように、あらかじめおやつを食べておくか

調理に取りかかる前にコロッケ唐揚げ、ゲソの唐揚げなんかをつまむ。

ダイエット中なら、蒸かしたさつまいもを用意しておいてそれをつまむとか。

2012-01-06

http://anond.hatelabo.jp/20120106193349

通常のDVD画質クオリティお腹一杯なんだけど...

こういう人って「ブルーレイなんかの画質でよく満足出来るな」って

言い始めるのかな。

2012-01-03

http://anond.hatelabo.jp/20120103004818

楽しみ方は人それぞれ。ところで、

901 :名無しさんお腹いっぱい。:2012/01/03(火) 21:41:13.78 ID:boZAFiJD

年の瀬さんまとめ

1区 「大迫くん!!!区間新確実ですねー♪」→後半伸びず

2区 「平賀くん!!素晴らしい走りですねー♪」→プチブレーキ

3区 「矢澤くん!!もう東洋を捉えましたねー♪」→後半引き離される

4区 「うーん・・・あのジャンプ走法だと後半伸びません!キリッ」→区間賞

5区 「今日柏原くん、本当に苦しそうですねー、今日は熱いですからwww・・・いやー柏原くんらしくないですねー♪」→区間新記録

6区 「市川くん、平地になって止まりましたねー、前じゃなくて上に飛んでますよ♪」→区間賞

7区 「しだらくん、ぜっこーのこんでしょんなんじゃねーですかねー(棒」→区間新記録

8区 「いやー、足太いから登り問題ないですねー区間新記録まちがいなし!!!」→惜しくも新記録は出ずも区間賞

9区 「もうタイムとか関係ないねー、ただタスキ繋げばいいんですからー(棒」

10区「顔の筋肉まで全部使って走ってますねー」→区間賞  「去年は柏原くんだけのチームでしたからー」

散々「今年は気温高い」、「今日暑い」言いまくる→直後に雪が降る


34 :名無しさんズームイン!:2012/01/03(火) 08:39:06.49 ID:syfVGGZe

http://www.ntv.co.jp/anata/20110123.html

視聴者

「毎年感じることですが、解説者が早稲田大学贔屓はどうにかならないでしょうか。

視聴者が皆、早稲田大学を応援している訳ではありません。もっと公平に解説出来る人に代えるべきだと思います。」

日本テレビ

「必ずしも解説の方、実況のアナウンサーも含めて、なるべく平等に特定の地域も贔屓しないように心がけておりますが、どうしても後輩への思い入れなどが強くて、

その様に受け止められたかもしれませんし、また、レース序盤からどうしても早稲田大学が、先頭の解説の方がいる、移動中継車の目の前にいるシーンが多かったために、

例年以上にその様に、印象を受け止められたかもしれませんが、その他の選手に対しても、きちんと素晴らしいポイントは褒めて、評価をさせて頂いておりますので、

次回以降、バランスの取れた解説実況をお願いして、いきたいなと思っております

 

 

-----

 

今年は10区で明治早稲田を抜いた映像を放送しなかった。日テレカメラ早稲田だけしか捕らえていなかった。

五輪の期待が高まる鎧坂選手の劇的な頑張りを放送しなかったのは、ひどいとしかいえんわい。NHKが放送してくれないか

2011-12-30

飲んでとてもいい気分で帰宅した。

まりにも眠すぎたので、シャワーも浴びずに着替えて寝た。

少し経ち、お腹が痛いと思ってトイレ

そしたらそのまま戻してしまった。で、その後、下すわ戻すわで、

ある意味スッキリした。

最近、こーゆーのがたまにある。

消化し始めたら、意外と許容量超えてしまったことに気付き、

強制排出したんだろうか、と思うことにしている。

しかし久しぶりに焼ける喉の痛みと、緑の液体に驚いたw

2011-12-15

おっさんになったと実感した時

※基本的に一人で周りに人がいないような状況です


こんなに気持ちいものだったのか!と実感した。

おっさんになった今日この頃

2011-12-12

http://anond.hatelabo.jp/20111212011721

ありがとう、笑わしてもらった。

自分経験では、8時間もしないうちにお腹が急降下w

なお、一泊の人間ドックだったので幸いにもすぐに

部屋のトイレにこもることが出来たわけです・・・

実は連れ合いと一緒に人間ドックにいったので、トイレは1つ。

しかも二人ともヤバイ状態になるのが同時!

一応、仲良く「もうやばいのでちょっと、ちょ・・・」とお互い言いながら交代で頑張りましたが、あれは、普通にお通じにある人には強力すぎるじゃないかと思いました。

なお、自分でぶちまけたなら、便器は自分でふいたほうが奥様のご機嫌が良かったのではないかと思われますが、今更ですね…

2011-12-04

嫌いになっていく

人には嫌な部分もあるので、そこまで気にしていないが、

好きな部分よりも嫌いな部分が多くなったら、友達と思えなくなる。


職場の、悪気がないであろう友人に嫌気が差してきている。

押しつけがましい部分があったが、大きな一件があったので、

少しおさまってきている気はした。


夕方一息つくのに菓子パンを食べようとすると、

友人がダッシュできた。

何事かと思って「どうしたの?」ときくと

「そのパンちょっとちょうだい!!」。

そんなことでダッシュしてきたのか・・・。ちょっとちぎって渡すと、

「あ~助かった!お腹すいちゃって!」と戻っていった。

私の机の中にお菓子を入れていて、1つあげたことがあったんだけど、

その次の日に、「ねぇねぇ昨日のお菓子まだあるんでしょ?ちょうだい」ときた。

まだ数があったので、あげると、「あ~よかった~」と去っていった。

一緒にご飯食べに行った時、デザートをその子は食べなかった。

一口食べる?」とスプーン渡すと、「ありがと~」と言い、ばくばく食べる。

普通一口で終わらない??と驚きながらも、そのままだとなくなりそうなので、

器を手に取り食べることにした。


そして昨日。

賞味期限明日までのお菓子が(職場で)配られたんだけど、もう戻らないよね?」というメールがあった。

どういう意味かよく分からなかったので、「誰から頂いたの?」と返信するも、「ケーキなんだけどさ。欲しい?」ときた。

なんだかよくわからないし、そもそも今までそんなメールがきたこともない。

「私の分持ってっていいよ~」と返信したら、「言ったね~?笑 いいの~?笑 おいしいんだよ~~」。

・・・最初から狙ってたんじゃん。すごく不快になった。「最初からそのつもりだったんじゃないの?」と送ると、

「優しいね~ありがと~」ときた。


こーゆーの、卑しいって言うんじゃないの??私が卑しいのかな。。

2011-11-30

そんな日もある

新宿ブラブラ

ホテル行きたい。けど、相手がいない。

セフレくらいの付き合いが楽かつベストなんだけど

女として、倫理的にどうよと思う。

でもさ、セフレってダメなのかな。

女の価値ってなんなんだろう。

セフレいない=真面目かはわからないけど

私の場合

真面目な人が好きだから、真面目に愛して欲しいか

自分も真面目でいたい。

ただそれだけ。

でもお腹空くな。

とりあえず友達と合流するまで喫茶店勉強

こうやって、ごまかしごまかし生きていく。

なにが正しいかなんて、わからいから。

2011-11-25

君の悩みと日本の閉塞感について

(追記)

2011-11-24

死にたい

昔の嫌な経験がここ一月フラッシュバックしている。

どうしたら忘れられるんだろう。




半年近くぼーっとしている。

働かなきゃ働かなきゃ働かなきゃ。

頑張れ頑張れ頑張れ。

お腹痛いお腹痛いお腹痛い。

できの悪い人間は駄目なんだ。できがよくなるようにしないと。

ハラスメントがあっても見て見ぬふりをして、酒の席には必ず参加して、蔭口にも付き合うし、芸を強要されたら何かできるようにしないと。



無理だよ。生きるの怖い。怖い。怖い。

2011-11-20

「痩せなきゃ」って毎度聞きますが、気にしてませんよね?

 友人S(女の子)は、出会った頃は40キロあるか無いかの、今にも折れそうな女の子だった。可愛らしい風貌で、クラスの男女共に一目置く存在で、普段着も可愛らしい物を好んでいて、それが似合っていて、羨ましかった。

 学校卒業しても、私たちの関係は続いた。趣味が似ているし、話題が合うから、時々週末にあって、呑みに行ったり、互いの家を行き来したりしている。

 卒業から、もう5年。彼女体重は、今何キロだろう。80キロは優に超えていると、思う。けれども、可愛い物は未だに好きらしい。

 この間感心したのは、彼女ライヴに行った後、ご飯を一緒に食べようとなって会った時、私と同じ卒業仲間のKとファミレスで待ち合わせをした時、「よく売ってたな…」と、思う位サイズデカロリータ服を着ていたからだ。いちお「可愛いね」と、言ったら、「コスプレとかで売ってる奴じゃなくて、ちゃんとした所のだから、やっぱり違うんだよ」と、力説された。需要供給があるんだな…と、思った。

 卒業後いわゆるヴィジュアル系バンドにはまったSは、メイクの方向もなんだか凄い方向に行ってしまって、顔面は真っ白、目の周りは崩れたパンダメイク(目の周りが真っ黒なのだが、丁寧に塗っていないらしく、何時も横にはみ出したり、塗りすぎたのか、上瞼も下瞼も真っ黒)、食い込んだメガネと、冬でも汗だく。

 同窓会みたいな仲の良かった友達同士で集まった時も、そのメイクで、弾けそうな位パツパツのTシャツお気に入りバンドのらしい)に、ミニスカートで、何故か靴がおばちゃんサンダルで……みんなSがトイレに行った時「バナナマンの日村が女装したみたいだ」と、一言。2次会に向かう道すがら、私が気になったのは、サイズがパツパツTシャツが鞄でめくりあがり、お腹のお肉が丸見えだったことだった。

「痩せなきゃって思うんだけど、何がいいか知ってる?」と、何度か聞かれた。ホットヨガ水泳ウォーキング…私たちがそれなりによかったものを薦めたが、どれも長続きしていないらしい。

 この間、4ヶ月ぶりにSに会った。結婚した同級生が、旦那さんの友達も交えて鍋パーティーするから誘われて、新居にお邪魔した。ちょっと合コン風な人数構成、仕事の都合でSは後から来た。お尻まであるダボッとしたチュニック、短すぎるホットパンツの所為で何も下に履いていないみたいに見えて、びっくりした。かいがいしくしていたSだったが、服装がみんな気になって、会話も弾まなかった。まあ、私は出会いを求めていなかったから、いいんだけれども、帰り道でSが「母さんがそろそろ結婚しろって言うから今日会った人の中で運命の人がいたらいいなー」と、言ったので、服装に納得したような、しないような…。

電話番号交換したから、誰かから誘われるかも、来週」嬉しそうだったが、4ヶ月でまた太ったみたいだ。

 Sを見る度に体重に気を付けるようになる。今日休みだったから、3時間歩いてみた。暑さで休み休みだったけれども、すがすがしかった。

2011-11-14

障がい者の不公平について

先日,すごい久しぶりに市役所に行きました.

そこで,いろいろと考えさせられました.(チラ裏です)

まず,障がい者枠の採用について.

対応してくださったのは,コミュニケーションが難しい印象の障がい者の方でした.

提出した書類に不備を指摘してくださってるのですが,滑舌が悪く聞き取れないのです

障がい者の方にも仕事が適していないんじゃないかと思ったのですが,

その市役所にとっては障がい者採用していますよ,の格好のアピールなのかな.と感じました.

ちゃんと,人材適材適所で使いこなせていないのでは.

次に,考えたのが,障がい者枠という選別方法の不平等制について.

上記のように「アピール」に使われてるのが現状という印象を受けたわけです

まりは,能力二の次という印象を持った次第です.(都合がよい人が採用というか)

それって,障がい者で選ばれたものと,選ばれなかったものに,

納得のできない結構大きな差を生じさせる原因になると思いました.

障がい者ではない人々でもその手の理不尽な区別がされる場合

多くの場合でありますが,障がい者という働く場所が著しく限られた方々には,

この差は特にかいなぁというのが正直な印象です

そして,その障がい者の方が「お腹の中に赤ちゃんがいますマークをつけていました.

周りの受付の人をみると,その方を含めて3人の方がマークをつけていました.

公務員の職に就けたということと,妊娠ということの関係性を私は説明はできません.

それでも,「そりゃー,公務員として保護されたシートがあるから胸にバッジして

アピールしながら働けるんだよね.」と感じてしまいました.

中学校先生が,ことごとく産休に入ってたためにそう思うのかもしれませんが,

公務員から赤ちゃんを作りやすいというのはあると思います

それが障がい者であったならば,その要素はいっそう強まると思います

はたして,これが,障がい者枠を作った本来の意味合いに合致している現象なのでしょうか?

「選ばれしもの」を作り不公平感が増すだけだと思いました.

2011-11-12

http://anond.hatelabo.jp/20101106161007

(長すぎて続きが表示されなくなっていたので分けました。)

死ねば?」

「何故ですか」

だって生きていても楽しくないんでしょ?」

「大抵はそうですね」

「だったらなんで死なないの?」

「それはさっき言いましたよね」

「…人間生きるか死ぬかどっちかじゃない?早く死にたいんだよね?」

「どちらかと言えば」

「死ぬのは嫌なの?死にたいの?どっちなの?」

「どちらかと言えば嫌です。今生きてますから

「じゃあなんで死なないの?どっちなの?わけわかんない」

「あの、一ついいですか?」

「なに?」

もしかして、死ぬの反対は生きるだと思ってますか?」

「あたりまえじゃん。死ぬか生きるかしか無いじゃん?他にあるの?」

「死ぬの反対は生きるじゃないですよ」

「じゃあなんなの?」

「生まれるです。」

「生まれる…」

「そう、生まれる。生を受ける事、が死ぬ事の反対語です。」

「…死ぬ事の反対は生きるじゃないの?」

「そうです。"死ぬ"の反対は"生まれる"です。そもそも死ぬというのは出来事です。生きるというのは状態です。」

「え、なにそれ?」

英語習った事ありますよね?」

「うん、学校で習ったよ」

動詞の種類に、動作動詞と状態動詞というのがあったのを覚えていますか?」

「んーなんとなく」

「あれに近いです。つまり、死ぬというのは動作動詞です。生きるというのは正確には"生きている"という状態動詞です。」

「ほんとに?それあってる?」

「知りません。でも言わんとしてる事はわかりますか?」

「わかる。生まれるも、動作だしね。」

「そうです。死ぬと生きるという二つは対になるはずがないのです。生きるの反対は強いて言えば、死んでいる、でしょうか。」

  

「…それで何が言いたいの?」

「何が言いたいか

「うん」

「私が言いたいのは、早く生を終えたい事と、今生きている事は両立するという事です。」

「え?両立?」

「そう、両立です矛盾しないということです。」

矛盾するでしょ!死にたいのに生きてるっておかしくない?」

おかしくありません」

「なんで?生きてるのに死にたいんでしょ?」

「そうですね」

矛盾してるじゃん!」

「どこがですか?」

「どこがって、全部!」

「まず、生きているということ、の反対は、先ほど言ったように死んでいるということ」

「え?うん、そうだね」

「生きているのに死んでいる」

「なにそれ?」

矛盾してますね」

矛盾…っていうかわけわかんない」

「それが矛盾です。生きている事と対になっている死んでいるという状態が重なっている。これはどちらなのかわからない。矛盾しています。」

「そうだね、どっちなの?」

「だから矛盾しているのです。今言ってるのは生ける屍とか死んだように生きてるとかそういう話ではないですよ」

「それはわかってる!」

「では、死んだのに生まれた」

死産?」

「いえ、出産のことではありません。言い直しましょう。死ぬ人が生を受ける」

「どういう意味?」

「ある人が、死ぬと同時に生を受けるってことです

「生まれ変わるってこと?」

「転生の話ではありません」

「じゃあなに?どういう意味?」

矛盾しているという事です。死んだのか生まれたのかどっちなのか」

「どっちなの?」

「だから矛盾しているのです

「ていうか普通間違える?」

「そういう話ではありません。」

「じゃあどういう話?」

「生きている人が死ぬ」

「うん」

「これは矛盾してませんよね」

「当たり前の事だよね。生きてないと死ねないし」

「そうです。」

「何が言いたいの?」

「生きているからこそ、死ねるのです。」

「わかんないって!」

「生を終えたいという思うのは、生きていないと出来ません」

「うん、それはそうだね」

ですから、生きているという状態と、早く生を終えたいという気持ちは矛盾しないのです

  

「なんで?死にたいなら死ねばいいじゃん?おかしくない?」

「私が死なない理由は先ほど言いましたよね?」

「うん、聞いた。親がどうとか」

「では、理想としてはなるべく早く生を終えたいというのも覚えてますか?」

「覚えてるよ。早くないけどね。」

「私は今、生きてますよね?」

「目の前にいるのが幽霊じゃなければね?」

幽霊ではないですよ。」

「わかってるし」

「ではもう一度聞きます。私がなるべく早く生を終えたいけれど、今生きているということは矛盾しますか?」

「…んっと、君の場合は、親が生きている間は生きたいんだよね?親が死んだ後死にたいんだよね?だから今生きているのは生きたいから生きてるんじゃないの?」

「生きたい、ですか?」

「そうそう、生きたいから生きてる。違う?」

「違います

「え、なんで?死にたいなら死ぬでしょ?親が死ぬまでは生きたいから生きてる。間違ってなくない?」

「間違っています

「どこが!」

「私は、今自然に生きています。」

「はあ?」

「生きようと思って生きているわけではありません。」

「じゃあ死ねばいいじゃん!」

「死のうとも思いません」

「わけわかんない!じゃあなんで生きてるの?」

「生まれたかです。」

「生まれたから?」

「そうです。生まれたから。」

「生まれたから生きてるって、なにそれ?」

「生まれたら、生きている事が自然な状態です。」

「生まれたって死ぬひとはいるでしょ?」

「います

「それは自然じゃないってこと?」

「それも自然です

「どっちだよ!生まれたから生きているのが自然で、死ぬのも自然って」

「どちらも自然ですですから、その場合の死は、事故死であったり病死であったり自然死であったりします」

全然わかんない」

「私は今生きてますよね?」

「さっき聞いたし言った!!」

「そう、それが自然です。今私が生きている事というのは、この世に生を受けて、それを維持している。自然の状態です。そこに私の意思はありません。」

「でもご飯食べたり寝たりするよね?」

します」

「それは生きたいからじゃないの?」

「違います

「じゃあなんで?」

「食事は、腹が空くからです。」

「あたりまえじゃん!」

「生きたいからではありません」

「だーかーらー、お腹がすいてご飯を食べるってことは生きたいって事にならない?」

「なりません」

「なんで?」

「それが自然な事だからです

「だから自然自然って意味からないって!」

あなた、ご飯食べますよね?」

「食べるよもちろん」

「生きたいですか?」

「私は生きたいよ?」

「では、食事をとる時に生きたいって思いますか?」

「…思わないけど」

「生きるために食事をとると毎回考えて食べてますか?」

「…食べてない」

「では、生きるために食事をとりますか?」

「そりゃそうだよ」

「考えてもいないのに?」

「考えなくてもご飯食べる事は生きるためなの!」

「本当ですか?」

「当たり前じゃん」

「それは、後からそう教え込まれただけではないですか?」

「え?」

「生きるためには食事をとる事が必要だと、後から教えられただけではないのですか?」

「そりゃー教わったよ?でも教わらなくても生きるためにご飯は食べるよ」

「本当ですか?」

だってお腹空くじゃん」

お腹がすく」

「そう、生きるためとか知ってなくてもお腹はすくでしょ?じゃあご飯食べるよ」

お腹がすくから

「そうだよ、お腹がすくからご飯は食べる。それが生きるためになる」

「生きるためかどうか教わっていなくても、お腹がすくからご飯を食べる」

「そうそう」

「つまり、ご飯を食べる理由はお腹が空くからですよね?」

「そうだよ?」

「それが自然です

「…ごめん、わけわかんない」

  

「例えば、ですよ。例えば、あなたは生きるためには食事が必要だという事を知らないとする」

「うん。知ってるけどね」

「例えです。」

「たとえね、たとえ」

「そう、例えです。例えば、あなた生命維持のための食事の必要性を知らない。しかしながら、腹は空く。当然、食事をとりますよね?」

「うん」

あなたはなんのために食事をとりまたか?」

お腹が空いたから」

「では、あなたが食事をとった事は、生きるためではないですよね?」

お腹が空いたからだけど、それは生きるためだよ」

「でもあなたは生きるために食事が必要だという事を知りませんよ?」

「知らないけど、知らなくても生きるためになってるよ」

「生きるためになっている。」

「うん」

「では、あなた自身はどうなのですか?」

「私自身?」

「そうですあなた自身は、生きるために、と思って食事をとりまたか?」

「ええっと、私はその時点では知らないんだよね?じゃあ思ってはいない。でも実際はそう。」

「そうですよね。食事をとる事は生きるためになっている。でもあなたにその意思はない」

「そう、なるね。」

「話を戻していいですか?」

  

「ごめん、何の話だったっけ?」

「私が生きたいから生きているかどうかという話です

「そうそう!生きたいから生きてるんでしょ?」

「違います

「じゃあなんなの?」

「生きている事が自然なのです

「また自然…」

「言い換えましょうか?では、私が今生きているのは、私が生きたいという意思を持ち続けてようやく維持している状態ではなく、私が何も考えないところで勝手に生きてしまっているのです。」

「でもご飯食べないと生きていけないよ?ご飯食べないの?」

「食べます

「じゃあ生きたいからご飯食べるんでしょ?勝手に生きてるなら勝手に食べるの?」

「食べたいから食べます

「生きたいから食べたいんでしょ?」

「違います。腹が減るからです。」

「腹が減るってことは生きたいって事じゃん?」

「そうかも知れません」

「でしょ?」

「でも、死にたくても腹は減ります

「じゃあ食べなきゃいいじゃん」

「その時が来れば食べません」

「今は生きたいってこと?」

「違います

だってご飯たべるんでしょ?」

「私が食事をとるのは、生きるためではありません。腹が減るから食事をとるのです。先ほどの例え話覚えてますか?生きるという意思を持って食事をとるのではなく、腹が空いたから食事をとるだけなのです

「そんなの屁理屈だよ!だってご飯食べることが生きるためになるって知ってるじゃん?」

「知ってます

「じゃあ生きるためになってるじゃん。死にたいなら生きるためになる事を避けるじゃん」

「私は今は死ぬ事は怖いので避けています

「じゃあ生きるために食べるんでしょ?」

「違います

「なんなのもう!!!!!わけわかんない!!!

  

「いいですか」

「なに!」

「私の住んでいる日本では、そして私の今の環境では、幸か不幸か、食事に困る事はありません。」

「それは幸せなんだよ?世界からすれば」

「そうかも知れません」

「そうだよ多分」

「そう、食事に困る事は無いのです。そして、また幸か不幸か、私は病に冒されてもいません」

「そうなの?」

はい

「そうは見えないけど…」

「そうなんです。つまり、今現在私は、死の局面には晒されておりません」

「知ってる。私もそうだし」

「そうですよね。」

「うん」

「そう、そういった状況において、生命を維持する事は、果たして困難でしょうか?」

「んー、ちゃんとご飯食べて、寝て、運動していれば大丈夫なんじゃない?」

「そうですよね。」

「そう思うけど?」

「では、私の環境において、食事と睡眠運動は阻害されるでしょうか?」

「されるの?貧乏なの?」

「されません。」

「そうだよね」

「では、私がただ生きるだけというのは難しいと思いますか」

「ただ生きるだけ?わりと簡単なんじゃない?」

「わりと簡単です

「そうでしょ」

「では、私がただ生きるためだけに、生きてやる!!という強い意思は必要だと思いますか?」

「ただ生きるだけなら、なんとなく生きていけるんじゃない?」

「生きていけます

「そうだよね?」

「つまり、私は生きたいという意思を働かせて生きているわけではなく、腹が減れば食事をとり、眠くなれば睡眠をとり、体を動かしたければ運動をし、ただなんとなく自然に生きているのです。」

「なんか、怠けてるね…」

「そうかもしれません」

「…」

「私は今ただなんとなく生きています。そして、なるべく早く生を終える事を望んでいます。ただし、それ以上に私が死んで親や妹が悲しむ事を恐れています。それらは順序はあったとしても、矛盾はありません。」

2011-11-07

デブ

私は、体がたるんできたら筋トレなり食事量の調節をして、体を締めるようにしている。太った体が嫌いだからだ。身長の低い女性ぽっちゃりしているのは微笑ましい。お肌もツヤツヤしている。しかし、身長の高い女が肉をつけるとしずちゃんになる。決して可愛くはない。微笑ましくもない。あるのは重量感だ。

体重は気にしないので体重計は無い。鏡で見て、顔が丸くなってきたら、お腹が出てきたら、少し生活を改める。




デブ自己節制できない」と思う。こんな考えをもつに至った経緯は覚えていないが、いつのまにかそう考えるようになっていた。世間はどうなんだろうか?アメリカなどは、そういう風潮があると聞いたことがある。





BMI25越えで見た目もぽっちゃりの夫に、健康に良くないから痩せてほしいと言い続けて1年。いっこうに痩せる気配が無い。子供もいないし、末永く二人で居たいという気持ちから言い続けていたが、健康面で攻めても聞かないから、容姿の点から攻めればいいかと考えた。「デブはみっともない」と言い放ったところ、激怒された。痩せる努力をしていないのに、見た目を非難したら怒った。訳が分からない。間違えたようだ。あー。

2011-11-04

生理痛がここまで苦しかったなんて

お腹の痛みで夜中に目が覚める。何となく吐き気がずっと続く。作業をしようと前かがみになると頭がクラクラする。頭を横に傾けると倒れそうになるほどクワンクワンする。なぜか凄く眠い。1km歩くとグッタリ疲れて途中で道端に座ってしまう。

 

生理痛なんて甘えだなんて思ってましたが、苦しい人は毎月苦しかったんですね…。なんか色々すみませんでした。

2011-10-29

削除された「熊森活動備忘録」を拾ってみた

日本熊森協会ツキノワグマヒグマ保護活動に対して、その手法精神性の両面について問題が大きいことは各所で指摘されている。

取り上げられることが多いのは、「ドングリ運び」「ドンプレ」と称される「お腹をすかせたクマに食べ物を届ける」活動である

2010年秋、協会は大々的に全国からドングリを募集し、一部をヘリコプター山中に運ぶという活動を行った。

(通常のドングリ運びを含む)本件については、野生動物研究者によって問題点が指摘されているほか、ブログtwitter上等で是非について議論が続いている。



2011年4月、「協会の元スタッフ(既に除名措置を受けているとのこと)」である男性が、「熊森活動備忘録」と題するブログを開設し、協会内部の問題点について指摘を始めた。

ブログは削除済みである

著者John Smith氏(氏はブログ内で本名を公開している)は、ブログ最初の記事でこう記している。


私は、2008年から2010年まで足かけ3年間、「実践自然保護団体 日本熊森協会」(以下「熊森」と呼ぶ)にてボランティアをした経験を持つ。このブログ目的は、一言で言えば「糾弾」と「懺悔である。足かけ3年の経験において、私が見聞きし、感じたことを記し置き、熊森という団体の実態を明らかにすることがその手段である。「これから熊森に入会しようかな」とか「ボランティアをしようかな」と考えている人や、一般の熊森会員が、このブログを読んで熊森という団体についてご一考いただければ幸いである。


ブログ上では、氏が熊森協会会長および幹部の数名を実名糾弾し、会員数のごまかし、協会運営上の不審な点、不透明な金銭、自らが受けた理不尽な扱い、クマや森の保全活動と銘打った活動の問題点等を指摘している。

しかし、5月中旬ブログは削除され、一度別のブログサービス移転するものの、再度削除された。

John Smith氏はこの件に対し、twitter上で「熊森協会からブログ運営に、プライバシー侵害および名誉折損を理由とする削除申し立てがあった」こと、また「John Smith氏自身の所属組織に対し、協会から電話による嫌がらせがあった」ことを明かした。




この「熊森活動備忘録」が削除されたことで、ブログ内で指摘された協会の様々な問題点についての信憑性が逆に高まることになったのは言うまでもない。

該当ブログは二件とも削除済みであるが、WEB上で読めるものを拾ってみたので、以下にリンクを示す。



はじめに-熊森活動備忘録(4/9日の記事、ウェブ魚拓

雑記帳3 ドングリ運び、電話攻撃に思うこと-熊森活動備忘録(4/21の記事、ウェブ魚拓

熊森活動備忘録(4/18から5/19までの記事のテキストデータrssリーダ




John Smith氏の意思である、”「これから熊森に入会しようかな」とか「ボランティアをしようかな」と考えている人や、一般の熊森会員が、このブログを読んで熊森という団体についてご一考いただ”く参考になればと思う。

2011-10-25

人間人生の間で許容出来る否定の量は決まってるのかも

ハゲ作家とか草食系女子の人とか見てるとそんなことを思う。

許容できる量は決まってても、受ける否定の量は自分の振る舞いに寄って変わるから苦しいな。

一般的には受け入れなければ受け入れないほど余計に増えるか、人間関係YESマンばかりで固めるしかなくなるからな。

否定されつづけてお腹いっぱいになったときに、それを消化して、排出して、うちに溜め込まない仕組みがあればいいのだけれど。

そうでなければ、彼らはもう否定そのものを否定しなければコミュニケーションができなくなってる状態かもしれない

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