はてなキーワード: 全国大会とは
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大筋でいうと
ラーメン評論家()にセクハラされたり悪しざまに書かれたりアウティングされたり
盗撮された写真をばらまかれたりして人生を踏み外したラーメン好きが集結して
結局大人のポルノでしかないってのは理解しつつもどうしたってモヤモヤする。
登場人物は人生を取り戻すためにガチに人生かけて頑張ってラーメンに打ち込みました、
その苦労が報われてミシュランがとれるくらいの激ヤバラーメンを生み出しました。
普通にラーメン屋やってる連中もゴリゴリに人生かけてるじゃんか。
でもほとんどの奴らはそこに到達できないわけじゃん。
ジェンダーやLGBTQといった自分の尊厳を傷つけられた奴らの復讐心は
そいつらのうまいラーメンを生み出したいっていう真摯な思いよりも強いってこと?って思っちゃう。
スポーツ漫画とかで人生の目標もなくダラダラヤンキーやってた奴が指導者と出会って
必死で練習頑張って地方大会や全国大会で優勝しちゃったりする話あるじゃん。
いや、対戦相手だって努力しとるわ!なんなら子供のころから野球一本でやってきてた奴だっておるやろ。
ヤンキーの1年、2年そこらの努力がそれよりも感動が上ってどういうこっちゃいってなるのと似てる。
もちろん何事も才能の世界だから、他の奴には才能がないんだよwって言われたらそれまでだけど、
それこそ創作者連中に何がわかるねんっていう話でしょ。
"才能のある"LGBTQやジェンダー不適格者が評論家(おっさん)に潰されなくてよかったね
っていう結論なんだとしたらそれはそれで鼻につきすぎるわ。
自分の地元には旧制ナンバースクール中学をルーツとし、かつては屈指の難関、名門だった県立高校がある。
その高校のWikipediaの著名OB欄は学者、官僚、財界人、作家、軍人がズラーっと並んでいる。
しかし実はとっくの昔に凋落し、今は東大なんぞもはや4~5年に1人くらいしか出なくなり、私大の浪人込みの延べ人数合格実績ですら早稲田40人慶応10人くらいが平常運転になってしまった。
それでも地元ではこの高校の生徒は神の子扱いだし、生徒自身も自分の学歴と学力に対するそうした評価について一点の疑いも抱かず胸を張っている(なぜかまだ高校偏差値68くらいある)。
さて、この高校の学年上位1/3あたりの生徒は現役で青学や明治あたりに合格し、そのまま進学することになる(この高校は明治青学がやたら多い)。
と悲しみの進学と相成るところだが、この高校の生徒の場合は違う。
『素晴らしい名門である我が母校において、学年上位層をキープしてた自分が進学する明治大学、青山学院大学は凄いエリート大学だ!』
と当然に発想するので、彼らは胸を張って目を輝かせて明治や青学に入学することになるのだ。
この思い込みは強い。
落ちぶれてからとっくに30年は経っているカビの生えた県立高校に入学し、そのレベルの低い母集団で中の上をキープし、実力通りの大学に合格するだけで、
東大に合格したくらいの誇りや自己肯定感を得られるも同然なのだから。
俺が新卒で入社した大手金融機関の同期に、『この高校→明治や青学に現役進学』という典型的な経歴の持ち主がたまたま3人もいたのだが、彼らはやはり高校以降の自分の経歴、人生を誇っていた。
大手金融といっても東大の新卒なんぞ滅多に入らず、日東駒専卒からトータルで軽く2桁人数は入社するような程度の格の企業だったけど、
やはり『誇り高き彼ら』は自分の人生の栄光を疑わなかったし、そんな自分が入社した会社は泣く子も黙るエリート集団だと当然に思い込んでいた。
自分の将来を案じて卑屈な発言を繰り返す慶応経済(体育会運動部)出身の同期の嫌味やネガティブ発言や諫言を全て「わけのわからないノイズ」とばかりに余裕でスルーし、
彼らが相変わらず強がりではなく本心から勝ち組を疑わない様子見て、
ただ、旧制中学ルーツの落ちぶれた県立名門高校に入学するだけで良いのだ。
地元の人間なら老いも若きも崇め奉ってくれて、同級生も勘違いし続け、教師も誇りを抱くよう教育し、
やがて本人は労せずしてその高校発の過去の栄光を自意識下で体現することとなる。
そしてその効果は落ちづらい。
大学受験の一般入試適性が極端に低いタイプの子(数1でいきなり詰むとか、英単語覚えようとしても単語帳内の位置しか覚えられないとか)って、
その部活がある高校が国内で300校あるかないかの「ややマイナー」競技を自分はやっていたが、やはり全国大会出場の倍率は野球やサッカーやバスケと比較して異様に低かった。
競技様式によっては、対戦相手がおらず試合を組めないので連盟による認定で全国大会出場が決まる、なんて現象はよくあった。
そして、高校入学まで競技未経験の選手がむしろマジョリティだった。
難関大学のスポーツ推薦合格者を見るに、マイナー競技に関しては、そもそも大学進学率が半分以下で地元国公立大にすら数名しか合格者を出せていない学力水準の高校から、競技実績を買われてるガンガン合格している事例がやたらと多い。
実際のところどうなんだろ?
スポーツ推薦は通常、高校三年生の春くらいまでの実績を見てスカウティングが完了するという。
いつどこで見たかはすっかり忘れてしまったが、リベラルな言論で著名な方が、以下のようなことを言っていた。
「氷河期世代は不況のせいにして就職できず流されてきて、今になって苦しいという。何故20代の時にお国と闘わなかったんだ。今更苦しいと言っても自業自得」
仰っていることは尤もなのだが、しかし当時は連帯しようとかデモをしよう、国に掛け合おうなどという考えはないに等しかった。何故だろう? と氷河期世代たる増田は考えて、すぐに結論が出た。
左翼の皆さん、我々の世代に嫌われてたんだよ。左翼にも色々あると言われそうだけど、あの頃の左翼的な思想を持った連中なんて、どれもこれも十把一絡げで嫌われていた。
昭和50年代生まれの我々は義務教育期間中、一度や二度はいわゆる日教組のアカ教師と遭遇し、嫌な思いをさせられている。かつて学生闘士と呼ばれていたような、親より少し年上の定年間近の老教師が、特に地方の、子供も少なく1クラス30人にも満たないような増田の学校にも必ず1人はいて、何かと教育現場を引っ掻き回していた。最近あまり聞かれなくなった式典での国旗掲揚不起立や教科書の君が代ページを貼り合わせる問題が、周囲を田んぼと山に囲まれたど田舎の我が母校でも起きた。
増田の担任にはならなかったが、当該クラスにPTA会長の子供もいたことで、その後大人たちの間では大変な騒動にもなっていた。
教師の体罰がまだ当たり前だった時代、アカ教師は手こそ上げないものの、従順な女子児童への露骨な依怙贔屓や反抗的な男子児童への横暴な発言は、学年を超えて伝わってきて嫌われていた。
その頃はインターネットがなく、テレビと新聞が主な情報源だった。番組改編時にはよく衝撃映像や昭和の記録映像として東大講堂での騒乱やよど号ハイジャック事件、あさま山荘に鉄球をぶつけるシーンがよく流れていた。その度に「かつての日本は荒れていたのだな」「その原因を作ったのはあのアカ教師の仲間なんだな」と、幼心に刷り込まれていたのかもしれない。
あの頃は、一部のメディアにも左翼の活動を忌避する空気が作られていたのかもしれない。いわゆる自虐史観が幅を利かせていた教育業界に新しい教科書を作る会が出てくる一方で、司馬遼太郎によるドラマティックな司馬史観がこれでもかともてはやされている時代でもあった。
高校、大学(増田が通ったのは地方の駅弁ですらない田舎にあった)と進学するにつれ、ますます左翼的な勢力は目につかなくなっていった。教師や教授陣にそれっぽい思想を持っている人がいなかったわけではないが、押しつけることはなく、オルグされる同世代も見かけなかった。他の大学の学園祭に行った時、明らかに学生らしくない数人のおっさんが垂れ幕の前で9条がー、と威張り散らしているのを見かけたくらいだ。
ちなみに阪神・淡路大震災も増田の学生時代に起きた。燃え落ちた街、横倒しになった高速道路の映像はあまりにも衝撃的だった。現代でこんなことが起きてしまうのかと呆然としたのを覚えている。救援活動に来た自衛隊を批判する勢力は、露骨に白い目で見られていた。
オウム真理教が問題を起こしたのも同じ年だ。あの頃のマスコミの狂乱は、今の統一教会報道の比では無かった。テレビには毎日のように信者が登場してめちゃくちゃな言動を繰り広げ、一般紙からスポーツ新聞までが彼らについてあらゆることを書き立てた。氷河期世代が過激な新興宗教に拒絶的な態度をとりやすいのも、オウムや、その他宗教団体が原因である。
オウムだけではなく、当時はあらゆる新興宗教団体がしつこい勧誘で嫌われていた時代だったのだ。少し大きな駅に行くと、手相の勉強をしていると称する者は壺や印鑑を売ろうとしてくるし、あなたの幸せを祈らせろとつきまとってくる者もいるし、選挙があれば○○党に投票しろ、新聞をとれとうるさい。個人情報がダダ漏れの時代ということもあり、これらの勧誘を掻い潜るのは至難の業だった。
増田も宗教2世である元同級生からの勧誘に辟易とし、家族の闘病について信仰心が足りないからだと言われた時には速やかに絶縁を申し出た。元同級生が悲しそうな顔をしていたのを、今でも覚えている。かつてはスニーカー文庫を貸しあった仲だったのに残念だった。
働きだしてから、といっても増田は就職できずフリーターになったのだが、ようやく田舎にもインターネットというものが普及してきた。2ちゃんねるが登場したが、そこでも左翼は馬鹿にされる対象でしかなかった。制服を強要されているのが虐待だと国際的な場で主張した政治家の息子が笑われたりしていたのもその頃だ。
だからその後、若者を中心としたSEALDsが出てきた時はびっくりした。いつのまにか、増田の親世代ですら触れたがらないアカの思想にばっちり染まった彼らは、SNSでつながることに抵抗を持たない世代としての強みを活かし、あっというまに増えていった。いつのまにそんな思想が、もう絶滅したと思っていたアカが若者の口を借りて復活するとは予想外だった。
30歳を超えた増田には、SEALDsの輝きが眩しくうつったが、羨ましくはなかった。主張があまりにも幼く感じたからだ。かつてアカ教師に仕込まれた児童が湾岸戦争時の自衛隊派遣に絡めて「戦争には反対です。憲法9条に反するから、自衛隊はやめた方がいいと思います」と言わされていたのを思い出させた。このときは自衛官を親族に持つ子供が他の学年にいて、家族が学校にクレームを入れて大問題になった。
増田はネットの匿名文化にも浸っていたため、「学生のうちにこんなに顔を晒して発言していたらこの先大変だろうな」と思ったりしたものだ。
結局SEALDsは解散したが、その後、リベラルと言われる勢力は以前よりも目につくようになってきた。だがやはり、氷河期世代の姿は少ない。
そんな中で発せられたのが「氷河期世代は何故闘わなかったのか」である。
正直に言おう。
我々の世代に、国と闘う余裕はなかった。そんな暇があれば働くことを選んだだろう。
そして、あの横暴で陰険な、アカ教師のような人になりたくなかったのだ。
その結果、「闘わなかった」と怒られる。
今の視点で見れば、何とでも言えるよな。あの頃のリベラルなど、今よりずっと情けなかったのに。
ここからは余談。
数年前、増田が住む街の施設で日教組の全国大会があり、警察が規制線を張っていた。警察が守っているのは、会場へ向かう年老いてしょぼくれた、とっくに定年退職を迎えて何年も経た老人の群れである。みんな「日教組○○県支部」と書いた幟をもって、俯きがちにトボトボと歩いている。総じて服の色は地味で、男女問わず髪の毛もボサボサで、見た目にも元気がない。
その規制線の外、ギリギリの場所に愛国的なことを叫ぶ街宣車が止まっていた。車の上から老人たちに向かって元気に「国賊」などとがなりたてている中年男性は、増田と同世代か少し上くらいに見えた。
どこにも若者がいない。交通規制を促している警察官が一番若いくらいだ。
かつてはヘルメットをかぶりゲバ棒を手に機動隊に向かっていたかもしれない人々が、中年にどやしつけられ(ほぼ因縁だが)、国家権力に守られながらトボトボと歩いている。
どんな気持ちで歩いているのだろう。会場には共産党を代表する大物政治家が来場するとポスターにあった。世代交代を頑なに拒み、トップに君臨し続けているその政治家を見て、彼らの心は慰められるのだろうか。
だが天下をとれなかった彼らも、闘わなかったと言われる氷河期世代も、下の世代からは同じに見えているのかもしれない。これを書いている増田に、左翼も日教組も共産主義も新左翼も革マルも中核派も赤軍派もリベラルも、まるで区別がつかないように。
仕方ない、そういうものだ。
これを読んでるみんなは、俺たちのようになるなよ。
学生時代は何かと運動部が権力最強だったじゃん?県大会にすら出られないレベルのクソ雑魚運動部がイキりまくってて、全国大会で入賞するレベルの文化部が虐げられる
小学生は足が速い奴が最強ってやつな オリンピックに出られるレベルならまだしも、ほかの人より100mを数秒早く走れたところで、現代社会では何の役にも立たんのに 車使えよ車
それを見た女性からの扱いもひどいものだった まぁその虐げられてたのが俺みたいなオタクだったわけだが、地道にやってると大学に入るあたりで立場が完全に逆転する
中学高校というサル山でイキってたアホはまともな大学に入れず、過酷な職業にしかつけず、いまどきはまともに金も稼げんからどんどん衰退する
一部のちゃんと成果出してる運動部は別な そういうやつらは普通にいい感じの大学に推薦で入ったりして社会的地位も上がっていくし、ちゃんと成果上げてる連中ほど頭もいいからちゃんとした大学に入れたりする
俺は社会人になってからはめちゃくちゃ楽だよ 社会的地位もどんどんあがっていくしな 仕事も自由裁量だからこんな時間に匿名ダイアリー見てても自由
社会が完全に分断されてるから、昔たくさんいたサルみたいな連中と話す必要が全くなくなったしみんなある程度の理屈が通じる まったく接点がないわけでもないが組織として上下関係があるから昔いたサルとも対等に話す必要がないからな
男社会は学生時代と卒業後で評価対象が180度変わる上に、とにかく卒業後の一発逆転が難しいんよ 組織とか社会的地位がものをいうのが男社会
女社会ってなんか対等なところでバカみたいな足の引っ張り合いしてるイメージなんだが、男社会は対等な立ち位置での戦いは生まれにくいし、一回上に行けば序列決まってるから勝負にもならない
仕事は管楽器の修理だ。ずっと修理をしていたわけではないが、業界には15年ほどいる。
気持ちの整理をしつつ、あわよくば誰かに聞いてもらいたいような気もするのでここに書くことにした。
この仕事をしているほとんどの人間が、専門学校を卒業して楽器店に就職する形で業務に就く。
大抵は店頭で接客販売をしながらであったり、学販営業と呼ばれる学校の音楽の先生のパシリみたいなことをしながら、手の空いたときにお客さんから預かったフルートだのトランペットだののメンテナンスや修理をしている。
因みに楽器店の売上の柱は音楽教室だ。ヤマハ音楽教室が有名だが、これは各地のヤマハの特約店がヤマハの看板を借りて運営している。もちろん自店オリジナルレッスンを展開している楽器店も多い。いずれにしろほとんどの楽器店で音楽教室が稼ぎ頭なことに変わりはなく、それ以外の部署の地位は低い。
管楽器などというものはピアノやヴァイオリンのような人気はなく、当然その修理人の扱いはカス以下の以下だ。
などという話をしておいて何だが、私はそういう一般的な楽器店では働いていない。何人もの同業者から聞いた話をまとめるとこうなる。みんな同じようなことを言うのだから、多分正しいのだろう。
私が働いているのは工房とでも呼べばいいのだろうか、管楽器の修理をメインの業務としている会社だ。管楽器は売っているような売っていないような、申し訳程度に何本か置いてはあるが売れたのを見たことがない。それどころか客が来ない。
当然音楽教室などという稼ぎ頭もいない。必死で楽器を直しまくるしかない。
客が来ないのにどうやって修理品を集めてくるかというと、下請けである。
その辺の楽器店にいる管楽器の修理ができるスタッフ、彼らが忙しいときや修理に必要な設備がお店にないとき、あるいは手に負えなさそうなヤバい壊れ方をしているときに我々が必要とされる。
そうやってたくさんの楽器店からヤバい楽器を集めてくると、薄利で地位の低い管楽器の修理だけでも食っていける。らしい。私は経理部門の人間じゃないので、バランスシートの右と左がどうなってるかは知らない。毎月給料がしっかり振り込まれればそれでOKだ。
さて、やたら前置きが長くなったがそろそろ本題に入りたい。気持ちもだいぶ落ち着いてきたし。
一般的な楽器店にしろ全国に点在する工房にしろ、とにかく労働環境が悪い。
数行前に薄利と書いたが、性質上ほとんどが技術料のはずなのに薄利なのは単純に適正価格をつけられていないからで、原因はいろいろあるがしかしとにかく労働環境は悪い。
単純に薄給激務の場合もあれば、パワハラとセクハラが蔓延している場合もあるし、ほぼ毎日飲み会に付き合わされて終電がなくなり、会社の近くで一人暮らしを余儀なくされたなんてパターンもある。
そのため専門学校を卒業して首尾よく楽器店に就職できたとしても、大抵の人間は20代のうちに業界を去る。
20代なら得体のしれない専門学校卒でサービス業の経験しかなくてもいくらでもやり直しできるが、私はもう30代半ばである。詰んだ。因みに理解ある彼くんも現れなかったので、死ぬまで働くしかない。
私は頭が良くないので、自分に管楽器の修理という仕事が向いていないことに気付くのにこれだけ時間が掛かってしまった。
なぜ今更こんなことを言っているかというと、最近まで営業部門にいたからだ。
営業はいい。サボり放題だ。毎日コンビニでアイス買ってお昼寝できる。
楽器などロクに直せなくても、取引先の楽器店でそこの修理スタッフの話を神妙な顔で聞いて、持って帰ってきた楽器を社内の技術者に丸投げするだけである。
たまに問題が発生することもあるがやることは一緒で、取引先で神妙な顔で頭を下げるだけである。最悪でも赤伝切ればみんな許してくれるし。
修理部門に異動になった理由は何となく想像がつく。会社は間違いなく親切でそうしてくれたのだ。そして私も一旦は受け入れて、何年ぶりかの修理をやっている。
でも一日中机に向かって黙々と作業を続けていると発狂しそうになるんだ。
担当楽器について同僚たちのように情熱を持って語ることなどできないし、かろうじて吹奏点検に支障がない程度の演奏技能から一向に上達しない。
それに思うように手が動かない。
10年前、新卒で入った工房では基本が10時間労働、繁忙期には毎日日付が変わるまで働かされていたので、早く帰りたい一心でみなとても作業が速かった。
今の会社は労務管理にとても気を遣っていて、社員に無理をさせない。仕事が終わらないなら納期を延ばそうという考え方で、そりゃたまには無理をすることもあるけど、日常的に尻を叩かれることはない。そんな環境で育ってきた社員は、そこまで忙しなく動くことはない。
転職してきたばかりのときは何てゆっくり仕事をする人たちだろうと思っていたのに、今ではその人たち以下のスピードでしか仕事が進まない。何年も営業をやっていて現場を離れてたとはいえ、あんまりだ。
今の会社に転職してきた理由は、ダブルリードの経験を積みたかったから。というのは表向きで、本音は前の会社が2年間で3度めの労働基準監督署に踏み込まれてついにタイムカードをなくすという暴挙に出たからだ。そういう会社に未来はない。と思ったけどあれから10年経っても普通に営業してる。まあ世の中そんなもんだな。
入社して半年ほどで営業に異動になった。引き抜かれた理由は「陰キャじゃなさそうだったから」。
管楽器の修理をやろうとする人間は陰キャが多い。陽キャは音大に行く。音大はヤバい。毎晩酒盛りと蘭光パーティーだ。特に金管専攻はウワバミしかいない。私は陰キャなのでこれらはもちろん聞いた話だ。本当のところは知らない。だがこの業界にたくさんいる音大出身の人間を見ていると、嘘とも言いきれなさそうではある。もちろん大学による。溝の口はやばい。ヤリチンしかいねえ。庄内もヤバい。酒の飲みすぎで本番に遅刻してくる。上品なのは上野の森だけだ。
しかし私は修理の専門学校を選んだ人間だ。すなわち陰キャだ。何なら吹奏楽部出身ですらない。
この業界には40代50代になっても高校のときに吹奏楽コンクールで全国大会金賞を取ったことを自慢してくるヤバい奴がゴロゴロいるので、吹奏楽部じゃないことには話にならない。営業なんてできるはずもないと思っていた。
しかしできたのだ。リレーション営業というものは私に向いていたらしい。楽しかった。
私を営業に連れてきた上司はとても私のことを可愛がってくれた。
泣ける。何で辞めることにしたんだっけ。
修理を今更やる気になれない。ダブルリードの経験も積めず、転職してきたとき以下の能力に落ちぶれ、業務報告以外で口を開くことは一切なく、それでも目の前にある楽器を直すために黙々と手を動かし続ける。
営業経験者の女というのは比較的引き合いがあるらしい。中小企業のアファーマティブアクション求人に応募すると、大抵は「おじさんの相手は得意か?」ということをやんわり訊かれる。
平均年齢が高く男性の多い中小企業では、新卒で女性を採用しようにもなかなか応募がない。営業職なら尚更だ。そんな訳で私のようなそれなりに歳いってて営業に抵抗がない人間は多分丁度いいのだと思う。めちゃくちゃ内定もらった。
おじさんの相手は得意だからな。楽器業界なんて未だにメールが使えなくてFAXで写真送れとか言ってくるトンチキなおじさんたちが幅を利かせてるんだぜ。楽器店も中小企業であることが多いからね。
それで、いくつか内定をくれた会社の中で一番条件の良さそうなところに転職することにした。
育成前提で業界未経験可、という求人にもかかわらず、現職より100万も年収が上がってしまうようだ。
悲しすぎる。今の会社、業界の中では結構待遇いい方だと思うんだけど。
そういえば新卒のときの月給は12万だった。地方。総支給。ナスなし。なあ楽器店でボーナス出るとこあるの?あったら教えてくれ。私の周りには一人しかいない。
つらつら書いてきたけど、終わりが見えなくなってきた。
結論としては、三度の飯より楽器が好きという変態以外はこの仕事を目指すべきじゃないよ。というところか。
そんなことより明日は休みなので阪神の優勝セールに行くんだ。好きなことを楽しむには時間とお金がいる。好きなことは仕事にするべきじゃないんだ。好きじゃなくなってしまうから。
でも私に営業の楽しさを教えてくれた上司のことは本当に尊敬していたし感謝している。ずっとこの人の下で働きたいと思っていた。自分で辞めるって決めたのに、悲しくて泣いてる。
個人競技で、私は市の大会で優勝か準優勝、県の大会でベスト8には入るけど全国大会では1回戦負けするレベルだった。
毎日18時まで部活、そこから歩いて家に帰って18時半、車の中で親の作ったお弁当を食べながら移動して19時から21時までクラブチームで練習だった。
たまたま勝ててしまうから続けていただけで、拘束時間が長すぎて辞めたかった。
いつもは母がクラブチームまで送り迎えしてくれた。
その日は父が送り迎えしてくれることになった。
父は途中で町のケーキ屋に寄った。
おまえも毎日毎日練習で大変だな、お父さん買ってやるから好きなケーキ選んでなって。
でも私はこんなもの食べても嬉しくないって風にふるまった。
仕事をすぐ辞めてしまう父、パチンコに行く父、それをカバーするために子育てしながらフルタイムで働く母、私たち子どもに暴力を振るう母、同居している祖父母との諍い。
金がない、こんなはずじゃなかった、幸せだった頃に戻りたい、出ていきたい、金がない。
機嫌の悪い時の母の口癖だった。
母は大体機嫌が悪かった。
私はよく愚痴を聞かされていた。
だからお金がないのに家に金を入れず、ケーキを買うと言う無駄遣いをした父が許せなかった。
父は苦笑いをしていたように思う。
2000年ごろ雨後の筍のように生まれた「社会福祉学部」を持つ大学(すでに学部名から社会福祉を消した大学も多い)から脱出した教員たちの証言を集めてみました! 特定されないよう適宜改変しています。
・学園の理念に「優しい」「明るい」「素直」「従順」が入っている。
・福祉専門職に必要なものとして「思いやり」「やさしさ」を謳う。
・学生相談室の設置案に「教員が自分の仕事を押し付けるつもりか」と理事が却下。
・心理学、経営学の授業が大量にある一方、社会学系の授業がほとんどない。
・国家試験受験勉強のため、卒論が選択科目となっているおり、ほとんどの学生が書かない。
・人権、労働、差別、エスニシティ、ジェンダーなどのテーマの授業が皆無。
・専攻に関係なく、宗教家だから宗教学、教職免許を持っているから教育実習、子持ちだからから家族支援論という謎基準で事務が授業担当教員を決める。
・「経済学」と「政治学」、「心理学」と「社会学」、「日本史」と「宗教学」など、異なる分野の科目を一人の教員が教えている。
・雑誌コーナーに『世界』『思想』『現代思想』がなく、『正論』『WILL』『HANADA』がある。
・障害学生はできる限り受け入れないよう画策。
・エレベーターは車椅子1台分のスペースしかなく介助者が入れない。
・2000年代には研究禁止の御達しがなされていたため、開学の際にいた研究志向の教員が他出、残ったのは病人か「けんきゅうってなに?食べられる?」という人ばかり。
・研究してる人には散々辞められているからか、募集停止校からヘッド(?)ハンティングしてくる。
・研究や本に対して敵対心を示す人が多い(例えば、授業公開に行ったら、教員が「著作権料で食ってる人」というのをdisっていたのを聞いた、とか)
・理事が「公募では人物がわからないので絶対しない」と宣言している割に、直接、大学に履歴書を送りつけて採用された人が多数いる。
・入試問題の現代国語を併設高の教員に外注しているらしいのだが、常に昭和の文章。
・卒業式で理事が「ジェンダーフリーが家族を滅ぼす」とか「人間にはそれぞれ分というものがある」とか熱弁。
・式典では日の丸君が代はもちろんのこと、日の丸に敬礼させられる。
・東日本大地震は地震兵器論者、中国脅威論、Qアノン信者など、教員に陰謀論が蔓延。
・北欧は高齢者の安楽死をしているから「寝たきり老人」がいないと講義で解説する教員がいる。
・家業で保育士を雇っていることから保育士の給料が高すぎると言及する教員がいる。
・事務の女性が若く、皆美人(併設短大で卒業時に声をかけ採用している)。
・卒業パーティで男性理事たちが女子学生を膝の上に座らせている。
・有志で実施した教職員対象のハラスメント実態調査が握りつぶされた。
・朝礼がある。
・オプキャンや入試で土曜の時間外手当をつけないために週休1日制。
・部活担当で年間労働時間推定4000時間越えの教員(!)がいる。
・部活顧問柄全国大会へのバスの運転まで全部やらされており椎間板ヘルニアを発症した。
・引っ張ってきた部活顧問(授業担当なしで教授)が体罰を多用し、退学、休学が相次ぐ。
「福祉の時代だ!」と言われて福祉マインドもないのに儲かるからと学部を作って、梯子を外されたんだな。
(追記)ちなみに私(旧帝大卒博士号持ち)の場合、就任当時は真面目で伸び代がある学生に恵まれており、そこには不服はなかったことは付け加えておく。
慶応野球部がここまで躍進してきたのは勝児くんのお陰だと言わんばかりに連日その活躍ぶりが各紙で賞賛されてるけど
地方大会1安打で全国大会である甲子園での成績は何とノーヒット。しかも代打など途中交代でありスタメンですらない
それなのに勝児くんの姿勢は慶応野球部を奮い立たせた!として監督にも長々とインタビューをしててその殆どが勝児くんに関する与太話だった。
慶応野球部がここまで頑張って103年ぶりに決勝の舞台に立てたのは球児たちの日々の努力の成果でしょ
何で勝児くん一人の成果によって勝ち進んだかのような誤解を招く報道が目立つの?
これ以上勝児くんを持ち上げるのは辞めて欲しい。本人も清原和博の息子って事で過大評価されてる事には気付いてると思うし留年もあって立場上悩んでると思うんだけど
マスコミも清原夫妻も世の中も勝児くんフィーバーで負い目がある感じが勝児くんの本人のインタビュー記事を読む度に感じられて居た堪れなくなる。
マスコミによるキヨハラというか、清原勝児・ハラスメントにも困ったものだね
清原の息子だからってドラフト候補の目玉扱いするのもちょっと度が過ぎてて不愉快だし本人仮に望んでてもプロの目に留まってるかどうかも判明してないのに騒ぎ立てて可哀想だよ
甲子園とコミケは、どちらも多くの人々が集まるイベントです。しかし、甲子園は高校野球の全国大会であり、コミケは同人誌の展示即売会です。この違いが、熱中症に対する対応に影響を与えていると考えられます。
甲子園は、高校野球の全国大会であり、毎年夏に開催されます。夏は暑い時期であるため、熱中症のリスクが高くなります。また、甲子園は多くの人々が集まる場所であるため、熱中症が集団発生する危険性があります。そのため、甲子園では、熱中症対策に力を入れています。例えば、水分補給を促すアナウンスや、熱中症対策パネルの設置を行っています。また、熱中症の症状が出た人には、すぐに医療機関に搬送されます。
一方、コミケは、同人誌の展示即売会であり、毎年夏に開催されます。コミケは甲子園よりも多くの人々が集まるイベントですが、甲子園ほど熱中症対策に力を入れているわけではありません。例えば、水分補給を促すアナウンスや、熱中症対策パネルの設置は行われていますが、甲子園ほどではありません。また、熱中症の症状が出た人には、すぐに医療機関に搬送されるわけではありません。
甲子園とコミケの熱中症対策の違いは、イベントの性質によると考えられます。甲子園は高校野球の全国大会であり、多くの人々が集まる場所であるため、熱中症が集団発生する危険性が高いです。そのため、甲子園では、熱中症対策に力を入れています。一方、コミケは同人誌の展示即売会であり、甲子園ほど熱中症対策に力を入れているわけではありません。
甲子園とコミケの熱中症対策の違いについて、甲子園とコミケを同じ基準で評価するのは、適切ではないと考えます。甲子園とコミケは、イベントの性質が異なり、熱中症に対するリスクも異なります。そのため、甲子園とコミケに同じ熱中症対策を求めるのは、不公平です。