はてなキーワード: 地区とは
大人の自由研究とまでは行かないが、調べ物をすることがたまにある
Wikipediaのリンクをたどっていって興味が尽きずいつのまにか時間が立っていたあれと似たようなものだ
最近は自炊を良くするので調味料の歴史や料理を科学的なアプローチで説明するものにつかまることが多い
今回は味噌についてであった
それほど頻度は高くないが談笑する場で自分の地元の話を各々話題にするという機会がある
その際になんとなくでしか理解していない断片的な話をするのだが、良く話題に出す話がある
地元の湖は日本の中でも汚れている湖(確か透明度)として有名で、調査するたびに毎年1、2位を争うほど汚いことが新聞の紙面をかざる
その理由として味噌工場が多いからその栄養が流れ出して藻が大量発生して汚い、というものだ
味噌の栄養で藻が増えるのかはおいといて、実際に地元で味噌系の店や工場の名残をが何となく見かけたが、近年では別の精密業がメインの産業であることや日本においてどの程度のシェアがあるか分からないこと、味噌といったら他(愛知)が有名だしなぁ、といった理由から眉唾だけど、として前置きをして話すことが多い
そんな話の根拠やデータなど確認しておきたいこともあり、地元の味噌生産について調べることとした
一般的に検索して出てくるデータから入り、地元の役所かどこかが出しているPR資料なども目を通した
まず味噌の構成要素は大豆と○麹と塩の3種類であり、○麹は米であったり大豆であったり麦であったりということだ
日本各地で多く作られているものが米麹による米味噌でうちの地元が作っているものも米味噌であるようだ
愛知の味噌はどうやら豆味噌で、日本の分布図から言うと珍しいように見えた
その特有さ、ユニークさを売りに出しているから有名なのかなという気がしている、他にも歴史があったりするのもしれないが
そうなると地元の米味噌には特段ユニークさや特徴という観点で目を引くものはなさそうだ
ただしよくよく調べてみると戦後、味噌作りが工業化されていない段階で地元の市が県内初の味噌研究所なるものを設立し研究し塩分濃度が12%以上である場合に仕込みがうまくいく、などの研究をしており当時は極秘情報であったようだ、ほんとかな
それを県内に広めることによって信州味噌自体が大きく広がりを見せたということのようである(それこそ手前味噌な情報で眉唾だ)
都道府県別の味噌の生産量では現在、約半数が長野県のもので、2位の群馬は約1割程度、というデータも見かけた
また、時代背景的には戦後のタイミング、東京方面にみそを出荷し定着したのが始まりで全国的に大きくシェアを握ったということで、その流れで日本全国でも生産量が1位であった瞬間があったようだ
で、それを祝うための味噌の広告塔として記念の鉄塔まで建てたということで画像が出てきた
信州味噌最大生産地、と書かれたその鉄塔は現在の画像では田舎によくある、特に整備されないまま放置されたさびた何かのひとつでしかなかった
地元のどこかで見たことがあるような気もするが、どこで見たかはっきり思い出せない、これが気になって仕方がなかった
追加で出てきた大まかな地区名、そして近くに流れる川の名前が分かる
自分の馴染みが深い川の名前を見たことでやはり見たことがある、と言う確信が深まりなんだかドキドキした
Googleマップの航空写真で大まかなあたりをつけようとするががあまりわからない
もう少し映像か何か出てこないかとYouTubeを調べると超ピンポイントにその鉄塔を見に行く動画が上がっていた、なんであるんだよ
超ローカルな動画があること、追加情報源を見つけたことにさらに興奮が高まる
その動画ではどこそこの敷地内に建てられたものであるとか、背景に偶然特急電車が通ったことを喜んでいたり、などの追加情報がどんどん出てくる
動画を流しながらその情報をもとに大まかな方向や位置に目星をつけ、ストリートビューで川沿いに歩く
動画で春は桜並木が名所である、と言っていた通りストリートビューでも桜がきれいに咲いている
普段通学など通るわけではないが、全国一汚い湖側に遊びに行くとき自転車を漕いで通っていたルートだった
特に何か特別なものとして意識して見たことはない、風景であり、よくある田舎によくある荒廃した何かでしかないが、確かに見たことがある鉄塔だった
そこに書かれた文字を読もうとしたこともないぐらい当たり前に存在していた鉄塔は、実家から徒歩数分の位置に立っていた
観光スポットというよりは地元の人も知らない珍スポットみたいですね、という動画の声の通り特に観光案内のようなものもなくただそのまま鉄塔が立っているだけだ
単純に知識を得るために調べていたことの横道に子供時代過ごした風景があって、当時何なのか分かっていなかった昭和に立てられた鉄塔の役目を令和の今知るという不思議な体験をして何とも言えない感覚だった
「地元愛」みたいなことを言うのはこっ恥ずかしいのだが、なんだかほっこりしたこの感覚はこれはこれで私の「地元愛」なのかなと思った
みそがある程度すごいのは分かったので今度は湖が汚い理由も調べてみようかな
これの逆バージョン https://anond.hatelabo.jp/20240313123638
巣鴨プリズン/東京拘置所跡にサンシャイン60ビルを建てるにあたり、池袋駅から地下道を通す計画があったが、地元商店が「人の流れが変わって駅前が廃れる」と反対し沙汰止みになった。
一番反対したのは洋菓子店のタカセ。ここは戦後に繁盛して地元の顔的な立場であった。
これに他の人は「タカセのヤツ、勝手に顔役ぶりやがって」と陰口を叩き、裏では総スカン。
地下道は都道反対側からだけに短縮されてそこまで利用者は歩くことになった。代わりに都バス乗り入れが行われたが利用者は伸びなかった。
しかし地下道入口に東急ハンズがオープンすると付近にカメラ量販店(後にゲーセン)、飲食ビル、映画館が誕生し、池袋駅東口~東急ハンズは若年向けの飲食サービス業が立ち並ぶ大商圏となった。
90年代にJRAは女性をターゲットとしたCMを打つなど競馬のイメージアップに努めてはいた。
だが池袋駅東口に場外馬券売り場を開設する計画が持ち上がるとイメージの悪化を恐れて地元商工会は大反対。JRAは土地も押さえていたが出店中止に。馬券売り場の上にサロンや飲食室などを設ける大規模な計画だった。
この土地を後にヤマダ電機が押さえて都市型店舗の第一号としてオープン。その後に近くの三越が閉店して建物が売りに出されるとヤマダ電機が取得して現在のLABIとなり、池袋の家電激戦区っぷりに火を注いだ。
米軍が接収した立川飛行場は手狭のためにジェット機用に滑走路を延長する計画があった。この為に滑走路延長先の砂川町の農地や家屋に収用が掛かった。
これに住民は大反対し、そこに学生運動等が乗っかり、デモ隊基地内侵入などの事件が起こり大騒動になった。
憲法問題などで出てくる「砂川事件/砂川判決」というのはこの事件。
この事件などがどの程度影響を与えたかは判らぬが、米軍は立川飛行場の拡大を諦め、瑞穂町の横田基地に集約する事を決定。立川飛行場は日本に返還される事になった。
箱根ヶ崎付近の八高線と国道16号がぐにゃっと曲がっているのは、横田基地の滑走路拡大をした為である。
返還された立川飛行場は学校や研究所、法務修習所、陸自基地などに転用されたが、一番広い面積を有するのは昭和記念公園で、電車で3駅分ほどもある巨大公園となった。
真ん中には広大な広場もあり、大コンサートもよく行われている。
なお、騒動の原因となった滑走路の残骸が未だ残っている。https://maps.app.goo.gl/ewECyedzGvD9p88t7
(よく見ると滑走路アプローチの>>>>のペイントがうっすら残る)
東海道新幹線が開通して暫くすると、騒音と振動が問題になり訴訟も提起されるようになった。成田新幹線のゴリ押しによる頓挫もあり、山陽新幹線以降の新幹線開通は困難が予想されるようになった。
そこで都市近郊での建設スキームを変更、新幹線に付随した在来線も同時に工事して迷惑施設というだけではなくて近隣住民の利益にもなるスキームにした。
この為に赤羽~大宮間では通勤新線(埼京線)、大宮駅北側には高架にまとわりつく、つる植物のような新交通線が出来た。
なお、東海道新幹線は通常の鉄道のように地面に砕石を敷いて線路を敷く工法なので高速運転では周囲に振動が伝わる。その後は平地でも鉄筋コンクリートの高架を走るのが一般化した。杭基礎で支持されるので振動は地下奥深くに吸収され、コンクリの高架は重いので振動自体が押さえられる。その為に公害は発生しにくくなっているが、交渉時には工法までははっきりしていなかったのでこういう形になった。
空襲焼失地区の戦後の復興は東京都などが管理して区画整理などを行ったが、計画的過ぎて無機質であるとの反対意見も多かった。
そこで都は神楽坂については住民同士の話し合いで区画整理を決める自律的な方法を試す事にした。
しかし優越な資本や有力な地元のまとめ役が居ない地区だったので、結局は路地などが沢山残る防災的にはアウトな形で復興する事になってしまった。
しかし建物の建て替えが進むと、街路側は多くが不燃建物、その路地の奥は不燃建物と古い料亭などが混在する形となって何だか防火と風流の両手取りみたいな地区になって、アンテナの高い外国人などにも好かれる町並みとなっている。
戦後の歌舞伎町は全域がゴールデン街のような闇市バラック状態であったが、再開発をする事になった。
しかし高田馬場を始発駅とする西武新宿線が新宿駅まで伸びる予定であり、歌舞伎町の付近に仮駅を設置された。
当時の西武鉄道経営陣としてはピストル堤と言われた堤康次郎も健在であり、堤は人を騙して土地を買収したり、ピストルの名の通りに暴力による脅迫で買収したり人の土地を勝手に占有して後に所有権移転したりと、要するにやり手実業家の皮を被ったヤクザであった。しかも権力とみっちりと癒着しているばかりかその後に代議士にもなっていた。
その為に歌舞伎町の地主たちは鉄道が来るのは歓迎だが堤が来るのはたまらねぇ、として西武の買収に対抗する策を練った。
そこで街路幅はきちんと確保しながらも、その所有区分を細分化、買収しにくくした。それが功を奏して西武も含め、大資本が入り難い地域となっている。道幅を確保しながらも細分化策が功を奏したのは主導的な町会長などが存在した為による。
ブクマページの米でそれは違うというのを幾つか。https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240313123638
流山は常磐線忌避したという話は良く効くが、多分これは違う。というのも、地理的条件があるからだ。
田端を起点にして北千住を通り、土浦に至るというのは決まっていた。で、その途中には避けねばならぬ「水」があるわけよ。霞ヶ浦、牛久沼、手賀沼は避けねばならない。だから柏の先のルートはこれしかない。
問題は北千住から柏で、今の南回り松戸ルート、八潮→三郷→流山の北回りルート(TXコース)がある。
でも北ルートには難点があって、それは毛長川、大場川、古利根川の氾濫域の土壌ぐちゃぐちゃ地帯に入ってしまう。今でも越谷レイクタウンの南側は田んぼのままで、ここは乱開発すると土地の保水力が無くなり八潮の市街で出水してしまうので開発禁止の状態になっている。武蔵野線敷く時もまず水路の開削からやって平地なのに築堤築いている。そうしないと列車の振動で沈下して線路が狂ってしまう。それくらい地盤が悪い地域だ。
だから日本鉄道はここを通るのは避けたかったはずで、そうすると流山に行くのは無理って事なのだ。
日光御成街道の宿場町として栄えた名残が邪魔して鉄道忌避の街になり、ついに川口市に吸収合併された、元鳩ヶ谷市とか?東北本線って計画では、王子以北は今の埼玉高速鉄道をなぞってたって言うし
これも違うと言い切れる。地形で説明するよ。
日本鉄道熊谷線(現高崎線)は日本で2番目の鉄道なので工事量を減らす為に「ここしか無い」という厳選されたコースを通っているのだ。工事期間がやたらと短いのも特長で、コースを厳選した結果だ。
上野駅を出た京浜東北線(大宮までは中距離電車じゃなくてこっちが元のルートを通る)は赤羽までずっと急な崖の下を通る。この崖だが、真っすぐなのが特長だ。こういう真っすぐな崖というのは海食崖の特長だ。海の崖だね。
地球の海面は氷河期には氷河や南極に氷となって蓄積するので海面が下がる。一方、温暖な間氷期には海面は上がり、平野のずっと奥までが水没してしまう(海進)。
縄文時代などの間氷期の海進で、関東平野は海の底となり遠浅の海となっていた(奥東京湾)。間氷期の気温で海進の程度は変わり、最大で高崎あたり、縄文時代では大宮までが奥東京湾だった。(そういう訳で、尾久とか東三条には貝塚がある)
海には波がある。この波は真っすぐ進んでドンと当たって止まり、ではない。斜めに陸に当たった時は、陸に当たった後にその勢いは横に流れる。波が引く時はその横向きの流れのままに引く。沿岸流が出来るのである。
すると陸の出っ張っている所は削られて、やがて必ず真っすぐな海岸になるのである。
つまり、上野~赤羽の崖が真っすぐなのは海進時に波に削られたせいである。
波は崖を真っすぐに削っていくが、この時潮の干満により崖の下には平場が出来る。満ち潮では海面下に隠れているが引き潮では通れたりするアレだ。親不知子不知が引き潮の時だけ取れるというアレ。
上野~赤羽では小規模な波蝕台が連続し京浜東北線はこの上を通る。但し複々線化で判り難くなってはいるが。
この波蝕台跡は他の低地より少し高いから田んぼになっていないので用地買収がしやすい。更に少し高い故に大雨でも出水しにくいし、砂礫が多いので水捌けも良い。線路用地として優秀なんだな。
陸地の角があると波による沿岸流はその先に砂を置いていく(漂砂)ので、真っすぐの海岸線が延長された地形が出来る。砂嘴である。北海道標津の野付半島や京都の天橋立が有名だ。砂嘴で延長された浜により沿岸流と漂砂の働きも延長されるから砂嘴はどんどん伸びていき海底が深くなると砂嘴の延長はとまる。
この先で荒川を渡らねばならないので当然線路はこの砂嘴の上を走る。高さを稼ぐ為である。この砂嘴は江戸時代の荒川開削と田んぼ開発により削られているが、根元だけは残っている。赤羽の北で環八を跨ぐ時の橋台はこの砂嘴に乗っている。
当時蛇行していた荒川を真っすぐ渡る為に(鉄橋の距離が短くなるから)右に曲がり、荒川を渡る。川口方には堤防(曽根)があるのでそれを超えると熊谷に向けて左に曲がりながら築堤で地平に降りていく。地平に降りた所に川口町駅設置。川口宿からは離れているが駅は水平でないといけないのでここしか無い。
川口町駅からは当初の終点熊谷、その先の高崎までは殆ど直線なのだが、所々に緩いカーブがある。このカーブの全てには必然性があり、全て工事の最小化の為のものだ。
南浦和までは低地にあるが、この先で大宮台地に登る。そこで沢が削った斜面に入り、他の沢の斜面側面に取りついて高さを稼いでいく。
浦和駅からはもう芸術点が高く、沢山の小さな沢がある所を、最小限のカーブでその谷頭を両側でギリギリかすめるルートを取っている。ここはダッジボーナスが沢山入る所だろう。舞踏家みたいな避け方である。
大宮から先も小さいカーブで芸術点高いルートを通るが、中仙道に平行している。中仙道自体が芸術点高いルートを通っているのでこの区間はコピー忍者って感じだ。
このルートの良いところはもう一つあって、途中の蕨から中仙道が平行してくるので宿場町近くに駅を造れば集客と集荷が期待できる。更に当時は道が限定されているので、名のある街道に近くないと客や貨物が駅に来れないのだ。
文明開化したばかりの明治日本が、鉄道二本目でこんだけ緻密なルート選定出来たのは何故か?
お雇い外国人の英国人の力だけではない。江戸時代に新田開発と用水路開削をしまくっていた為なのだ。
台地上に水田を作る場合、もっと標高が高い場所から用水路を引いてくる必要がある。水は一度低いところに行ってしまったらもう高さが上がらないから、長距離の測量を正確にせねばならない。その技術が蓄積されていた。
やり方は結構単純だ。長い木箱を作り(水盛り箱という)、水を入れる。水面は必ず水平だ。両端の水面から10センチのところに糸を張ったらそれも水平だ(水糸という)。
更に両端の水面から10センチのところにライフルの照準的なものをセットする。その照準で200m先を見て、照準が合っている場所はやはり水平だ。200m先に助手が目盛りが付いた物差しを持って立つと、その地面はこっち側から何センチ下/上がっているかが判る。
これをずっと正確に繰り返す。だから両側の谷頭の直ぐ上を抜けるルートなんてお茶の子さいさいだったかもしれない。
という訳で、日本鉄道などが造った初期の鉄道路線は土木技術で地形無視って事を極力避けるルート選定をしているので、マクロ的にもミクロ的にも必然性の塊となっているのでありますよ。
東京都葛飾区にある「四つ木地区センター」は、図書館や、音楽演奏ができる小さなホール、会議室などを備えた、葛飾区や周辺の住民にとって有難い施設の一つだ。
https://www.city.katsushika.lg.jp/institution/1006723/1025547/1006724/1006751.html
難点は2つ。駅やバス停からそれなりに距離があることと、周辺の駐車場がすぐに満車になる点だ。
この記事では周辺の駐車場をいくつか紹介しておこう。すぐに満車になるが(大事なことは二度言う)。
料金は、極端に高いボッタクリのものは無かったはずだ。もちろん料金設定に差はあるが、気にしてはいけない。すぐに満車になるのだから(大事なことは(ry
書いてある順序はおすすめ順というか、車でこの順に回って行って(地図上を反時計回り)、最初に空いているところに停めるのが吉である。最安値を求めるのならこの順番にはならないはずで、上級者はアレンジしてみて欲しいし、アレンジ結果をコメントして欲しい。
https://www.fruit-parking.jp/coinparkingmap/cat462/001126.html
四つ木地区センターからの徒歩の道のりは恐らく最も近いであろう駐車場だ。駐車スペースは3台しかないので、すぐに埋まる。同じ敷地内に月極駐車場のスペースが沢山あるが、間違えてそこに停めないように。
国道6号を四つ木ランプから青戸・金町方面に行く途中で、左斜め前に入る道に逸れてから150m(体感)ほどの場所にある。
https://www.s-park.jp/map/50273
※アイパーク公式ではコインパーキングの案内をしていないっぽいので、このURLは別企業のもの。
四つ木地区センターからの直線距離では最も近い駐車場だ。6台停められるが、いつも満車なのに空車表示が出ている。バグってる。(不正な駐車方法をしている車両がよく止まっている、という可能性も考えられる)
https://www.s-park.jp/map/43495
※トーヨーパークも公式では案内をしてないっぽいので、このURLは別企業のもの。
これは前述のアイパーク四つ木第五の斜め前(北西側)に位置する駐車場だ。確か8台くらい停めれたはずだが、すぐに満車になる。たぶん一番安いと思う。
Webサイトは、非公式のものも含めて見当たらないし、Google Map にも Apple Map にも載っていない駐車場だ。Google Street View ではその存在を見ることができる。場所は、前述の「アイパーク四つ木第五」や「TOYOPARK第六」に入る細い道を、そのまま西に50mほど進んだ場所の右手にある。
住所で言うと「葛飾区四つ木4丁目29-1」ということになるらしい。駐車スペースは4台ある。
Webサイト無し。
住所で言うと「葛飾区四つ木4丁目12-18」になるらしいのだが、ここに比較的新しい(恐らく2023年営業開始した)コインパーキングがある。国道6号から前述の「フルーツパーク四つ木4丁目」に行く途中に左手に見えるのだが、入り口が一方通行の向こう側にあって辿り着けない駐車場だ。
ここに行くには、前述の「TOYOPARK第29」を西に通り過ぎて、左手に「四つ木中学校」を見ながら進み、中学校の北西角のところで左折(もちろん左折後も左手に中学校がある)し、そのまま細い道を進んだ場所だ。
Google Street View 上では空き地、Applemapの Look Around では月極駐車場っぽい見た目(看板無し)になっている。
Webサイト無し。
住所で言うと「葛飾区宝町1丁目19-21」に相当するらしい。GoogleMap上ではちょっと位置がズレて隣戸のところに表示されている。AppleMap上には存在しない。
これは四つ木地区センターからは少し遠いが、道はとても分かりやすい。帰りにベルクスというスーパーで買い物して帰るのも一興。
住所は「東京都葛飾区宝町1-18-12」だ。7台入るらしい。筆者はここの存在をつい最近知ったばかりで、まだ停めたことも実物を見たことも無い。場所は前述のメトロパークの裏側あたりだ。
https://www.fruit-parking.jp/coinparkingmap/cat462/001227.html
前述の2件よりは四つ木地区センターに近いものの、車では入りにくい場所にあるので、巡回の想定順序では後ろに持ってきた。入り方さえわかれば便利かもしれない。
AppleMapのLookAroundでは満車の様子が見てとれるので、これだけ入りにくい場所でも満車になるというこの地域の過酷さの理解の手助けとなれば幸いだ。2018年に撮影されたというGoogleStreetViewの映像だと、4台中2台のスペースが空いている。すごい!!
https://stores.itoyokado.co.jp/153
見ての通り商業施設だ。駐車場が無料であるからこそ難しい。駐車場としてここのお世話になるのならば、家族と一緒に車で来て、家族にはこの店舗内でショッピング等を楽しんでもらっている間に自分は四つ木地区センターのお世話になる、などの道義的かつ常識的な行動が必須であると断言できる。決して、車を停めるだけの利用をしてはいけない。必ず、駐車時間に応じた常識的な金額の売上をお店に落として行こう。
なお、お店の営業時間には注意すること。時間外という理由で 入庫できない・出庫できない ことがあったとしても、お店に文句を言うのは御法度だ。
従来は縄文人と弥生人の混血によって現代日本人が構成されていったと思われていたが、古代ゲノム研究によって現代日本人は縄文時代人DNA10% + 弥生時代人DNA15% + 古墳時代人80%で構成されていることが判明した
これらのDNA情報に加えて発掘された考古学の情報によって日本人の誕生が明らかになっている
1.東南アジアを起源とする集団が3万8千年前ごろに日本へ到着(ベトナムのホアビン文化人骨のゲノムと極めて近い)
2.3000年前 朝鮮半島の無文土器文化の集団が第一波として日本列島へ水稲耕作を携え列島へ流入、弥生時代の始まり
3.1800年前 朝鮮半島から第二波の移住、古墳時代の始まり
先住していた縄文人は同化され縮小、関東以北では「蝦夷」として残存
東北地方以南では日本語族集団に同化されたため縄文系の言語は北海道のアイヌにのみ、日本語に強い影響を受けた形で、残存
このうち弥生時代と古墳時代に列島へ流入した集団は偏堡(Pianpu)文化の紀元前2700年頃の遼西地区東部もしくはマンチュリア南部の遼河流域に起源があることもゲノムによって分かっている。
紀元前1500年頃に朝鮮半島北部~中央部のゴングウィリ(Gonggwiri)式土器を介して朝鮮半島南部の無文(Mumun)文化を形成し、
この頃に磨製石器を伴う稲作など灌漑農耕が山東半島から遼東半島経由で朝鮮半島南部へと広がり、
紀元前9世紀に九州北部へと広がり弥生文化の形成に至って、日本列島在来の「縄文語」系統を(北海道を除いてほぼ)駆逐した、と研究は示している。
・近隣住民と仲良くやっていきたい、みんなに良い顔したいと思う人ほどカモにされる事を理解する。良い様に使われて永遠他所者扱いされたつけびの村事件を思い出せ。
・引っ越しの挨拶はしない。話しかけやすい奴は無理なお願いされたり色々舐められる。
・身元情報は言わない、話さない。1人に話したら地区全体に広まる事を覚悟しておけ。
・『何やってる人なのか判らず得体が知れなくて怖い』状態を維持する。
・町内会はトラブルの元で貧乏くじで良い事全くないので断る。「町内会に入って下さい。年費は2000円です」 「入りません。」 これだけで回覧板やゴミ当番から全部回避出来る。
533 :名無しさん@お腹いっぱい。 (JP 0H87-GQNw [86.48.12.166 [上級国民]]):2023/12/20(水) 19:17:37.50 ID:edI70keXH.net
暇さん実家と言えば、官報データベースで「水原章次郎」と検索すると、昭和36年10月31日(号外第118号)と昭和36年12月16日の官報(号外第138号)に、郵政職員・京都地区(第1次試験地 京都市)の合格者として名前が載っているんだよね。受験番号?は10283。
もちろん郵政職員の合格者リストだから断定はできないけれど、もしかして暇さんパパは郵便局の職員だったのかな?
私はこれでも慎重派でね国会図書館で徹底的に研究・分析させてもらったよ
その結果…ガチだった
しかし官報データベースは有料サービスだし図書館内でも一部端末からしか利用できないんだよね
この情報捜し当てた上級国民はたらもんじゃねーな…たらもんじゃねーよ
京都地区で受験してるけど、在住地じゃなくて勤務希望地で分けられてるらしく
京都地区なので京都市、亀岡市近辺が勤務地域であり、当時はこの辺りに在住していたと考えられる
また、受験資格が17~30歳のため現在80~93歳、高齢ながら表札は出てるので健在らしい
60年代の電話帳で京都の水原さん調べれば実家特定できるかも?と思いきや
国立国会図書館では、1960年代半ば以前の電話帳は、わずかしか所蔵しておりません
とのことで見つからず。
あと、ネトゲ戦記も国会図書館で見るつもりだったけどまだ納本されてないらしく未確認。
https://honto.jp/netstore/pd-store_0633109213.html
山手線の駅と方角くらいはなんとなくでも知っておくといいかもね
永田町:政治家の魔窟。国会議事堂をはじめ首相官邸など政治関係の主要機関が集中している
霞が関:官公庁のこと。各中央省庁の庁舎が集中している。永田町の隣
市ヶ谷:防衛省と自衛隊。高級住宅街でいい所だけど有事の際は優先破壊目標になるので市ヶ谷周辺は個人的にはお奨めしない
桜田門:警視庁本部がある。霞が関にあるがその特殊性で区別されている。桜田門駅がある
代々木:共産党本部がある。ちなみに自民党本部は永田町。そういえば代々木アニメーション学院は水道橋へ移転しちゃったね
兜町:証券界隈の代名詞。日本橋兜町に東京証券取引所がある。最寄り駅は日本橋ではなく茅場町なので気を付けよう
大手町:ビジネス街。大手町駅はリアルに「8番出口」が楽しめる。東京駅に直結しているが15分くらい歩かされる乗換案内の罠に嵌る地方民が後を絶たない
丸の内:東京駅前のビジネス街。丸ビルがある。オフィスレディ発祥の地でありキャリアウーマン憧れの地。皇居の目の前
八重洲:丸の内から駅を挟んで反対側、日本橋方面。小路や老舗が多かったが区画整理中で丸の内のようなオフィス街になりつつある。近辺のビルは地下街で繋がっているので傘も外套も要らない
有楽町:ビジネス街であり商業地でもある。丸の内から銀座へと続くグラデーションを成す緩衝地帯で雑多な賑わいがある。大手町・丸の内・有楽町で大丸有地区とも
銀座:老舗の多い高級繁華街……だったが区画整理やコロナ禍でコンセプトが迷子になっている。若者はとりあえずGINZA SIXに行っておこう
歌舞伎町:新宿にある日本最大の歓楽街。ここで泥酔すると色々な物を失う。明け方になると道に人がいっぱい落ちてるけど平常運転なので放っておこう
新宿二丁目:単に二丁目とも。ゲイバーが集中しているのでそういう意味で使われる
有明:ビッグサイト(東京国際展示場)。コミケで有名だけどビジネス展示で営業マンとか技術者とかなら行く機会がそこそこあるはず
五反田:ピンク街。お金はあんまりないけどお姉さんたちと遊びたい人たちが行くところ
徒然に書いてみたらあまりに多いので切る
その他気になったところを Wikipedia からピックアップしてみたよ
8月22日 - 日本電信電話(現NTT東日本・西日本)がテレホーダイサービスを開始。
4月19日 - 東京外国為替市場で1ドル=79.75円の1947年以来 [1] の高値を記録[4]。2011年3月16日に破られた。
7月1日 - 札幌・東京地区を皮切りにPHSサービス営業開始。
7月30日 - 八王子スーパー強盗殺人事件が発生[3]。女性店員3人が殺害される。2024年時点で犯人は逮捕されておらず、未解決となっている。
11月1日 - お台場を走るゆりかもめの一部(新橋 - 有明)が開業。
11月1日 - 東京都の独立UHF放送局であるMXテレビ(現:TOKYO MX)が開局。
12月8日 - 高速増殖原型炉「もんじゅ」のナトリウム漏洩事故が発生。
プリント倶楽部発売。
途中まで同じだ
田舎で小学生の数が少なくて、中学になったら他の校区と一緒になるから一気にクラス数が増えたけど
うちの地区は数十年前から「あだ名禁止」ルールがあって男女間で名字+さん付けが徹底されてたから
(呼び方を変えるタイミングを見失って高校や大学でもさん付けをしていたら浮いてしまった)
学校から家の間には田畑と民家しかなくて校則に外れる遊びといえば自販機でジュースを買うくらい
ファミレスやゲーセンは休みの日に親に車を出してもらわないと行けない特別な場所で
アニメや漫画で男女があだ名呼びしたり子どもなのに放課後にお茶しに行く描写は
みんな外では取り繕ってるもんでしょ、家じゃ知らないが
増田の子は立派な放置子のようだが、放置するか親が暴発するか二択の公園って悲惨すぎないか
多分そんな地域ではまともな方なのであろう図書館で会ったお友達に対しては
とか言ってるしさあ
何で図書館で
まぁただの転載なんだけどね
533 :名無しさん@お腹いっぱい。 (JP 0H87-GQNw [86.48.12.166 [上級国民]]):2023/12/20(水) 19:17:37.50 ID:edI70keXH.net
暇さん実家と言えば、官報データベースで「水原章次郎」と検索すると、昭和36年10月31日(号外第118号)と昭和36年12月16日の官報(号外第138号)に、郵政職員・京都地区(第1次試験地 京都市)の合格者として名前が載っているんだよね。受験番号?は10283。
もちろん郵政職員の合格者リストだから断定はできないけれど、もしかして暇さんパパは郵便局の職員だったのかな?
『ボーはおそれている』観た。
謎の暴力的な集団が家に入ってこないか気にかけつつ焦って小銭を取り出そうとして、結局支払いも出来ず家にも入り込まれて荒らされる厭さだとか、終始自分だけの聖域が無い感じとか、ボートがいきなり動かなくなるとことか特に夢っぽかった。
不条理な出来事がシームレスに続いて、考えれば意味が分からないんだけど観ている間は不思議と脈絡のなさをあまり感じない。
とはいえ夢か妄想か現実かよく分からない状態が続く不安さみたいなのはあった。
演劇のくだりで現実に戻る所で少なからず妄想癖があるっぽいのが示唆されたり、終盤に今まで監視されていたのが明かされたりで、母の最悪の試し行動と統合失調症?不安障害?のそれぞれ単体だったらともかく、相乗効果で最悪の体験になってたんだなと思った。
ちょくちょく挟まれる過去の記憶やボウが自分で決断を下せない描写で伏線というか違和感を残しつつ、中盤までは今までのホラーにない今敏じみた不条理映像の連続で、新しい面白さだなと思った。
過去の母親とのやり取りが描かれるようになってからは、今までの描写に納得がいったと同時にやっぱりいつものアリアスターだって思った。
ラストの最悪のトゥルーマンショーみたいな展開で一応種明かしっぽい事はされたけど、色々と謎は残った。
監視カメラの映像に何が映っていたのかよく分からなかった。母親宅の壁の年表?に社会復帰地区?とか発達障害がどうのとか、「完璧な安全(?)」の標語が意味深に映されてたけど、それもよく分からなかった。ボウを使って何かしていたのか、過干渉の他にもその影響でボウがあんなになってしまったって事なんだろうか。
エレインが突然死んだのも謎だ。それも謀略だったんだろうか。跨ったままの姿勢で固まってたのに違和感があって、死後硬直?なのか妄想によるものだからなのか。
中盤で外界に金玉が膨れ上がっているって言われてたのは父親がちんちんのバケモンだった事の伏線かな。父親の家系が子供を仕込んだ瞬間に死んでいったと吹き込まれていたのは、もうあんなものを生み出さないようにするための脅しで、過保護過干渉もそれが関係してたんだろうか。
要は身の丈に合わないところを目指すからでしょ
アホなコメントが付いてるけど(しかも反論を防ぐために即消し)、上を目指すこと自体は否定してない。手が届く範囲よりはるか高いレベルを目指して、それのために虐待する親のことを言っている。
スポーツだって、中学で始めた初心者がオリンピック出たいというのはまあいいとして、親が本気でオリンピック出れると信じてそのための特訓をさせるようなもん。地区大会で勝つことを考えもしない。地区大会で2位でも誉めやしない。到達可能なレベルを無視して無謀な挑戦をさせる。親の自己満足のために
町長により参加者が町内外より200名を超えると報じられたが、横瀬町全体の住民数が7,749名であることを考えると、参加率はわずか2.5%に過ぎません。
この比率は、フォーラムが町民の広範な関心や意見を代表しているとは言い難く、少数派の意見が過度に強調される【エコーチェンバー現象】に陥る可能性があることを示唆しています。
9割を超える住民がフォーラムの存在自体を知らず、または無関心である可能性があります。
フォーラムの参加者の中には、町役場の職員、議員、地区長などの公務員が多数を占めていたと報告されています。
これは、イベントが【内輪の交流に終始】し、外部からの新鮮な意見が不足していることを示唆しています。
実際、多くの非参加者たちが、このイベントを閉鎖的なものと認知しています。
よこらぼにおいて、過去に提案された225件のアイデアのうち、135件が採用されましたが、それについての具体的なフォローアップや成果の共有が圧倒的に不足しています。
公式ウェブサイトでは、これらのプロジェクトの進行状況や成果に関する情報が見られず、イノベーションの実現に向けた実質的な進捗が確認できません。
これは、よこらぼが成果を適切に評価し、サポートする機会を逃していることを意味します。
フォーラムの登壇者は採択者135名の内15名だけであり、その選定理由は明かされていません。
横瀬町は多様性を尊重するコミュニティを目指しているカラフルタウンと公言していますが、このフォーラムの実施状況は、その理念とは異なる結果を示しています。
批判的な意見や異なる視点は、コミュニティの成長に不可欠ですが、このイベントはそれらを十分に取り入れていません。
結論として、横瀬町よこらぼ大会議2024は、町の多様性とイノベーションを促進するための重要な機会であるにも関わらず、その潜在能力を活かせていないようです。
税収の多くを占める石灰産業など、地域経済を支える主な要素への支援が不足している点です。
イノベーションに投資することは重要ですが、既存の産業やインフラの強化も重要であるべきです。
兎沢町有地の開発といった高額なプロジェクトが積立金を切り崩し実施される予定ですが、その投資が長期的で確実性の高い利益をもたらすかどうか検討も町民への説明も十分ではありません。
横瀬町は、外見だけでなく、実質的な成長と自立を目指すべきであり、このようなアプローチは、持続可能な発展と住民の幸福に貢献します。