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はてなキーワード: 物心とは

2017-03-23

母を幸福にしてくれない宗教が嫌いだ。母を幸福にできない自分も嫌い

私は某宗教三世だが、某宗教死ぬほど嫌いだ。

親戚の手前、はっきりと口に出せずにいるが、信者との接触のたびに腹わたが煮えくり返り、その日、一日中気分が悪い。

うちは祖母が熱心な信者で、他宗教には排他的他者にも信教を強制しようとする、ネットで語られる新興宗教信者体現したような存在だった。独善的独裁的で他者反論を許さな祖母が私は大嫌いだった。

娘の母は二世で、家庭環境から価値観としての信仰はあるものの、他者布教はしない消極的な(熱烈信者からはよく思われないタイプの)信者だった。祖母とは真逆のやさしい人で、私は母が好きだった。

私自身は記憶もないうちに入信させられた三世で、新年に謎の会館で数珠で遊んでいたり、自宅で行われる謎のイベントに参加した記憶はあるものの、物心つくと次第にその慣習が疎ましくなっていた。

思春期を過ぎた頃には、内心では完全にアンチと化しており、会合の誘いはのらくらと断り続けたし、選挙活動もその場は適当に応じながら、絶対に票は投じなかった。

近所で信者挨拶されるたびに苦笑いと胃のムカムカが止まらず、挙句の果ては、当てつけのようにこれまた新興宗教の某証人の話に耳を傾ける始末だった。

この憎しみにも近い激しい感情がどこから来ているのか、ずっとわからなかった。

私は「母を幸せにしてくれない」から宗教が嫌いだった。

そして、私は「母を幸せにできない」自分も嫌いだった。

母は数十年、うつ病に苦しんできた。

うつで寝込んでいる母を、祖母信心が足りないとなじり、私に母のために信心するよう強制した。

祖母への反発が強かった私は、祖母の前では頷きながらも、絶対に祈らなかった。

私が祈らないから、母は治らないのかもしれない。

母のために祈れない私は冷たい人間なのかもしれない。

私が母を不幸にしているのかもしれない。

私は「母を幸せにしてくれない」宗教を憎むことにした。

「母を不幸にしている」自分を憎む代わりに。

私は「宗教」というフィルターを通して、「自分」を憎んでいた。

宗教を憎めば憎むほど苦しくなるのは当たり前だった。

自分罵声を浴びせ続けるようなものだったからだ。

私が某宗教を嫌いながら、表面上それを表に出せなかったのは、私の行動の責任が母にまで及ぶことを恐れていたからだ。

私が脱会することで母が信者内で悪く言われるかと思うと絶対脱会できなかった。

玄関先に挨拶に来た議員候補を追い返したかったができなかった。

宗教を捨てることは、母を捨てることだった。


幼い子供は親が怒っていたり悲しんでいたりすると、自分のせいだと思い込む性質がある。

両親が不機嫌だったり、落ち込んでいたりする家庭で育った子供自己肯定感が低くなるのはそのせいらしい。

親を幸せにできなかった挫折感は、「自分は人を不幸にしている」という呪いになる。

殆どの人は、その呪いに気づけないまま、一生、謎の生きづらさを抱え込む。


私は母の幸福を諦めることにした。

引っ越したら脱会届を書くつもりでいる。

結局、私は母を捨てたのかもしれない。

2017-03-20

結婚と死

結婚する。昨日、双方の両親と会話した。そこに反対はなく、ただ祝福の言葉が届いた。帰ってから私は何故か感情抑制がきかなくなり、とめどなく流れる涙をどうすることもできなかった。ブレーキが壊れたように嗚咽をあげていた。

物心ついたときからずっと精神を病んでいた。いつも孤独焦燥感が私を支配するのだった。だから、静かに死ぬことだけを考えていたのに、今は人生ではじめて孤独を奪われてしまった。彼女は語りかけながら、傍らにいて、そっと頭をなでてくれた。

私はもはや死ぬという選択肢を自らの意思にもとづいて取ることがなくなった。今や私は死ぬことの選択を外部に委ねることができる。それは死ぬという選択肢を、「人に求められなくなったとき」――それは自らの決定に於いてではなく最愛恋人に委ねることが出来るということだ。

彼女がいるということで、私のコンプレックスであった「誰にも求められていない」という滑稽な空想否定されるわけだから、私はそれに基づいて自ら死を下すという決定を行うことができない。

出会ってからそんなに歳月を経たわけではないが、間違いなく最愛の人、であるわけだし、そういう人の手によって自分の、かつてのでたらめで無秩序な生が肯定され、死が滑稽な妄想のように扱われるのは、嫌な心地がしない。ずっと誰から必要とされることなく、誰にも愛されることのない、徹底した不干渉、それこそが自らの求めるものであったのにもかかわらず、今はその制約こそが幸せだと思う。そうして死の権限移譲された。

彼女は私がいなければ死んでいたと言ってくれた。何度も言ってくれた。愛の告白にしては些か荷が重いが、それでも、私ですら時として人を救えるというのは、自惚れに近いが、素直に嬉しいのかもしれない。

間もなく結婚だ。式は挙げない。一人で死ぬよりは幸せな結末をどこか期待しながら、今日は二人でカフェにでも行こうと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20170320085249

確かに物心両面で貧しい生育環境は心の寛容さを養わないことはよく分かる

2017-03-13

である事への嫌悪

 この文は私のために書いている。つまりエゴである。少しでも共感してくれる人が世の中にいるのなら、私はきっと救われるのだろう。ただの自己満しかないし、何の飾り気もない剥き出しの存在証明を残したいだけだ。

はいからか、自分が女である事が嫌いになっていた。それは学生時代から既にそうだった。

小学生の時から学校嫌いだった私は、中学生になって制服を着た時、さら学校が嫌いになった。何で女子スカートで、男子ズボンなのだろう。スラックスはあったものの、それは女子に見えないような、スポ根ボーイッシュ女子が着るためのものになっていて、つまりは周りの女子に馴染めない子、変わった子のためのものになっていた。当然、周りと同じことをしているのが安心だった私は、スラックスを履くという勇気根性も無かったし、仕方なく似合わないスカートを履いていた。物心ついた頃から周りより細く、ガリガリ体型だったため、制服があまりにも似合わなかった。顔も田舎の垢抜けない、垢まみれの鈍臭い顔をしていたし、貧相な脚は寒さに弱く、スカートを履くと更に貧相さが強調された。中学生にもなると、女子は途端に色気づき、冬でもスカートを短くし、ブラジャーをわざと透けさせ、スクールカーストの中でポジションを守ることに必死になっていた。そんな中で私は、なぜスカートを短くするのか全く理解できなかったし、何しろ似合わない自分に腹が立ったし嫌気がさしていた。むしろ気持ち悪いと思っていた。スクールカースト上位の女子達は常にギャーギャー騒ぎ、下位の人間を卑しい目で見ていて、押し退けていた。なぜ学校はこんなにも楽しくないのだろう。「友達に会えるから学校楽しい」なんて言う人が信じられなかった。友達になんて学校が無くったって会えるだろう、何故そこをごちゃ混ぜにするのか、意味が分からなかった。さらに、教師は誰にでも対等ではないし、依怙贔屓はするし、所詮はただの人間だった。私は大人に対してだいぶ絶望していた。(続く)

2017-03-03

他人に一番素直だった頃

他人に対して一番素直に接することができていたのは、

思い返してみれば物心ついていない時でも、小学生でもなく、

ネットに触れたばかりの2009年頃だと思う。

好みの絵を描く人や、有名人メッセージを送れることに感動して

かわいい!すきです!仲良くなりたいです!

と思ったままに人に接していた

ネットの中では。

お近づきになる努力も惜しまなかった、今思えば、という行動も多々あるが(調子に乗って会いたいです〜!とか言ったらマジで会うことになって焦るネット弁慶)。

その時得た繋がりは、今も希薄はいえ、話しかけたら返してくれる、名前を覚えてくれている関係が残っている。

今じゃ、それが、ネットでも

好きな有名人にリプを送るのでさえ憚られる(こんな応援リプ、何度も送られてるだろうし私が送らなくてもいいんだよな……とか)し、リアルの方がよく喋るようにはなったが、未だに自分から他人好意を素直に伝えるのが難しい。

2009年頃のネットでは私は、

オタクの絵を描いてるネットの人はみんな友達!仲間!くらいに思っていたし、

そこでは嫌われる要素がないと思っていた。びくびくする要素がないと信じこんでいた。

文字どおりネット上では最強!だと思っていた。

あの頃の最強感は楽しかったなあ。

結論楽しい関係を作っていく方法は、

好きです!仲良くなりたいです!

と素直に伝えていくことなんだが、それが、「仲良くなりたい」と思う人も見分けることができない今の私には非常に難しい。

2017-02-24

自己評価めっちゃ低い

自己評価めっちゃ低いんだけどどうしたらいいんだろう。

褒められるとみんな謙遜していやいやそんなことないですよとか言うからみんなそうなんだと思ってたけど

自分の謙遜は他人とは度合いが全然違うんじゃないか!?て最近ようやく気づいた。

どうしたらいいかからないどころか、褒めてもらう度にあー相手は気を使って嘘で褒めてくれてるんだー申し訳ないなぁーってなる。

ちょっとググって色々見てたら毒親に育てられるとそうなるって書いてあるサイトが多くて

から

・褒められずに育った

否定されて育った

・他の兄弟or姉妹比較されて育った

あたりがよく書いてあることなんだけど、自分は本当に普通に普通に育てられたので全然当てはまらないんだよなあ。

普通に褒められまくったし、末っ子なので甘やかされて育ったと思うw

自分で言うのもなんだけど、どんなことでもやればある程度出来ちゃうのでまわりから頼られるし、器用だねって言われる。

学校の成績はいいほうで、運動普通友達はいたし、彼氏もいる。

でも物心ついたときからずっと、友達彼氏も私がかわいそうだから付き合ってくれてると思って生きてきた。

仕事の昇進や昇給も、嬉しさより申し訳なさしか感じない。

何でだろう?

幼少期に親が…とか、わかりやすい原因が全く思いつかないからどうすれば改善出来るのかわからなくて辛いなあ。

2017-02-21

国鉄時代を知らない若者国鉄車両の良さを語るな」って言うけど

国鉄車両って国鉄時代しか走ってなかったのか?

まれたのは戦後でも、戦争でいろいろあった直後の辛い時代を生き抜いてきたから、

先の大戦の大変さを語るんだという70ぐらいの人がいるように、

物心ついたとき既に国鉄がなかったとしても、「国鉄車両」は地域によっては普通にあったと思うけど。

まあ具体的にどの車両が何年に引退したとかよく知らん人間の戯言だから、詳しい人からしたら嘲笑モンかもしれんが、なんとなくそう感じる人もいるのだということで。

2017-02-19

http://anond.hatelabo.jp/20170218153941

私も吃音持ちです

同じ境遇(私も物心ついてから発症しました)だと知り書かずにはいられないので失礼しま

吃音が出始めたときにそのアドバイスは、息子さんが覚悟をするきっかけになりますし、親は味方だという証明にもなるので素晴らしいなと思いました

しかし、少しがっつり話をしすぎたかもしれないのでは、とも思います

きっとその息子さんはこれから、(野球の例えで出されていたように、結局身を振るのは息子さん自身から)それこそ助言なんて聞いても意味がないと思うくらい、沢山の高い壁にぶつかってゆくのだと思います

それらの壁は、生きていくためにいつか絶対に乗り越えなければいけないものです。だから、心を落ち着かせるための助言はむしろ鬱陶しく感じられることもあるでしょう。

また、壁をすべて乗り越えるまでは周りと自分を比べて強い劣等感を覚えることになると思います。そこに、親から沢山の助言を貰ったら(親にその気はないと理性ではわかっていても)「親は自分吃音を恥ずかしいと思っている」と感じて、悲しくなり、自分存在否定するようになってしまうかもしれません。

息子さんはまだ今の段階ではそれほど挫折はしていないと思うので、丁度良かったと思いますが、これからは(増田様は既にそうしようと思っていらっしゃるかもしれませんが)[息子さんが相談してきたときは目一杯優しく接する、息子さんが辛そうにしていたら励ましてあげる。その他の時は吃音について触れず、「吃音特別なことである」という雰囲気家族から消す]ということを、同じ吃音持ちとして、お願いします。

もし症状自体は軽くならないとしても、心が強くなって吃音を逆に利用しネタにできるまでになればそれは吃音症を克服したといえると思います。それを含めれば吃音は「時間解決する」ことのように思います。どうかそれまでの長い戦いの中で息子さんの心が折れないようにすることを第一フォローしてあげてください。

2017-02-16

どうやら日本人は「宗教」が「社会」の下に含まれものと考えているようだけども

人類はいわば物心がつくとともに原子的な宗教を持ったといえるし

世界中どこの民族部族を見ても殆ど社会において宗教存在する

宗教人間社会のつながりはそれだけ密接である

本邦においても天皇を祀り仏教のやり方で人を弔うのだから、十分に宗教社会が融合している

社会宗教関係は、社会宗教宗教社会と言ってもいいほどのもの

日本人宗教嫌いだとか無宗教だというのは、その実とても排他的自分たち宗教を持っているということにすぎないのである

2017-02-15

物心ついたときからいっけんやだったけど、団地の子がうらやましかった

2017-02-14

「人の宗教を笑うな」

なんだろう、胸が色々と痛くなってる。自分の中にこんな感情存在するのか。yahoo!トップに踊り狂う、幸福科学文字新興宗教危険な敵というストーリーは、とってもわかりやすくて、スマホを覗き込むバラバラな「個人」となった僕たちに、そいういや日本人という集団の一員だった!とアイデンティティを再認識させてくれる。気持ちいいよね。

俺の父も、今回の清水さんとほとんど一緒。20年くらい前に”幸福”を求めて出家したんです。今回の騒動で「出家」なんて言葉使うんだと驚いてるんだけど、普通企業をやめて宗教団体職員になった父。出家、というのを”瀬戸内寂聴”と、お笑い芸人さんが笑いに変えていたみたいだけど、実際は坊さん的な状態になるわけでは無いと思われる。髪の毛もそのままでいいだろうし、食事制限もなさそうだ。お寺というより、彼らの趣味教会に近い。建物は大体、古代ローマ神殿みたいな感じ。父がお祈り用の仏壇みたいなのを部屋に持ち込んだ時期があったけど、ドラクエばっかりやってた俺は「これはもしや…ダーマ神殿!?」と思ったものだ。

父はずっと家にいなかったから、俺と家族宗教への接点はほどんどなかった。そんな俺が「幸福の科学」のコミュニティに具体的に触れたことがあるのは、人生で3回。


大川隆法スーパーライブin東京ドーム

コラム】すごい昔「幸福の科学」の東京ドーム集会に潜入した時の話

http://rocketnews24.com/2017/02/13/862050/

これだよ、まさにこれ。リンク先見た途端、記憶のドアが開いた。23年前だから、当時10歳足らずの俺を、まだ宗教のことをよくわかってない母親がビクビクして連れて行った。姉は物心つく年齢だから置いてかれたんだと思う。この記事のように15歳くらいで見に行ったら、裏読みで楽しめたかもなんだけど、俺の脳が危険を察知したのか具体的な内容は覚えていない。(ただ竜に乗ったシーンは、リンク先を見ることで蘇った。脳すごい。)ただ、イベントが始まるとき、彼らにおける「お経」みたいなのをみんなで読むシーンだけ、今でも覚えている。周りは自分より背の大きな大人たちで暗いブルーな照明。黒山の人だかりが一斉に立ち上がり、全く前が見えなかった。子供ながらに感じたのは、大人たちの高揚感と空気。内容は違うにせよ、大人になって同じ場所ミスチルコンサートを見たときと、感じ取る空気感は変わらない。彼らにとってはハレの日であり、インディーズバンドメジャーデビューするような、お祭りだったんだね。


東京都内のどっかの集会

これも小学生の時。父親仕事を見る、的な学校課題があったのか?母と見に行ったら、ダーマ神殿内部の集会場みたいな場所で、老人相手に説法を説いている父がいた。イメージ葬式後に坊さんが喋る、ありがたい系の話だったような記憶がある。職員はそこの運営をやったり、教えを説いているっぽい。今回の清水さんは広告塔しての貢献度が高いから、映画出演や広報選挙戦出馬とかさせられるんだろう。ただ出家して職員になったら、教えを広めるのが基本の仕事だろうから、まあ似たようなイメージなのかと推測する。


総本山的な施設での墓の説明

これは大人になってから、なので7年くらい前かなあ。父親から話がある、と、おそらく人生一度きりになるだろう召集がかかった。どっかの山奥。この施設永代供養できる場所があり入りたい。お前の了承が欲しい、と。俺とか母は嫌なら自分で別の墓を選んでもいい、みたいな確認をして、かくかくしかじか。結局了承したんです。ずっと避けていた父の決意というか意思の固さやピュアさを前にして、何も言えなかった。というか、あれ?自分に彼を否定できる根拠ってあったっけ?とも感じました。他者への想像力の無さも、自身の信念があまりに脆いことも体感した。あの時は、あまりに無力だったなあ。んで、ずっとその場所っておじさんの声で呪文テープで流れてるんですよ。なんかこりゃ聴いたことあるなあ?って思ったら、あ!16年前の①のライブセットリスト1曲目のやつ!


散々コスられてきているように、俺もネタっぽく書いたように、”普通”とか”世間”と比較して見ると、みんなで嘲笑できるトンデモ面白い対象なんです。


③の施設見学したんだけど、彼らにはコミュニティがあって(地方経営難ゴルフ場なんかを買い取って作ってるから相当疎外された感はある)そこに怪しい金ピカのモニュメントとか作って、学校なんかも作っている。隔離されて、オリジナルの歌とか教科書とかを元に教育を受けるのだろう。子供はそれが当たり前だと思うんだから洗脳されちゃうよね。歴史教科書とかは興味本位で見てみたい。勝手に乗り移って本出せちゃうくらいなんだからアパホテルなんて比じゃないクオリティなんだろう(と予想される。ちゃんとした内容だったらすみません)。


出家して職員になった父を憎んでいたけど、尊敬していることもある。自分が信じている絶対世界を全く家族押し付けて来なかったこと。これは問題になっている清水さんの両親と圧倒的に違う差だと思う。本来自分課題や状況に合わせて、必要から門を叩く存在であるのが宗教だと思うんだけど。生まれた時から両親から信じ込ませられてしまったら敵わないでしょう。まあ信者の人からしたら、身近な子供自然教育してしまうんだろうし、そうやって宗教って続いてきた歴史もあるんだろうけけどさ。”必要とされている人”のところに、クリーンに行き届けばいいのになあ。


時は流れ、俺は結婚して子供が生まれた。寝息を立てる愛しい我が子を左横に見ながら、ベッドの上で増田投稿する文章ぽちぽち考えている。iPhoneスクロールしていくと、件のニュースに紐づいた感情的ヤフーコメントたちが姿を表す。”普通”の感覚からしたら、よくわかる。だけど自分が生きている世界が、価値観が、本当に正しいと”信じ込んでいる”という側面では、どっちも50歩100歩じゃないなのでは?とも思ってしまう。信じる人にかける言葉も、感情的コメント欄の彼らにかける言葉も、想像してもあまりにも答えがなくて、難しくて。どちらも真剣で、本当は笑っちゃいけない気がするんですよ。


そして自分の子供が物心ついた時にどんな言葉をかけられるのだろう。誰かを嘲笑するのをためらう想像力と、自分が信じるに値する経験を積んで欲しい。それってどう教育すりゃいいのだ?難しくね?

答えが出ずに途方にくれる、新米父さんの自分語りにお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

2017-02-08

ハイパーテキスト偏執

物心ついたときからずっとWeb文章ばかり触れてきた結果、↓のようなWeb媒体以外を体が受け付けなくなってきた。

もはや縦書きがつらいし、数百ページで1単位になっている書籍もつらい。電子書籍は全部HTMLで分割配布してほしい。

2017-02-07

毒親」という枷と、「人格否定」という呪いについての話

毒親」という言葉を知ったのは、つい最近のことだ。

私の預かり知らないところでいつの間にか話題になっていて、理解した瞬間どれだけ救われた気になったか知れない。

私が味わって来た、正体の掴めない息苦しさ、葛藤衝動、そういったものにようやく名前がつけられた気がした。

私の母親は、「否定型」の毒親だ。私の些細な言動に目をつけ、ねちねちと文句を言う。行動や失敗に対してならまだしも、そこから私の過去性格まで取り上げ、事細かく並べ立てては「あんはいっつもそう」と怒鳴り散らすような人間だった。自らの理解できないもの・知らないものは頑として認めなかった。視野が極端に狭く、主観感情しか物事判断できない。父親も、分かりやす否定こそしないものの、自分の主張を押し付けることが多かった。口癖は「自分が言っていることなのだからちゃんと聞け/言うことを聞かないならもう知らないぞ」。両親揃って、典型的毒親の特徴を物の見事に備えていた。

2人に共通しているのは、自分が大好きだということ、自分の非を認めないこと(揃って子供の都合の悪い部分は全て相手に似たと言うのだから畏れ入る)、他者思考や痛みを理解できないことだった。冷え切ったわけではないが夫婦仲はそれなりに悪く、私が幼い時の夫婦喧嘩では怒鳴り合いから殴り合いに発展し、ついには刃物が出た。激昂した母親ヒステリックな甲高い叫びを上げ、父親は声を荒げて母親を突き倒した。

おかげで、今でも女性叫び声と暴力を振るう男性が怖い。

私は物心ついた時から、怒鳴られることを何よりも恐れていた。判断基準は全て「親が怒るかどうか」であり、それ以外はどうでもよかった。勉強をしていれば親は黙っていたか勉強した。反抗すれば物凄い勢いで罵られることは分かっていたから何も言わなかった。弱みや痛みを家では見せなくなった。相談もしなかった。自分意見を言うことを早々に諦め、親の顔色ばかり伺って過ごした。

真綿で首を絞められ続けるような生活だった。はたから見れば衣食住の不自由なく暮らし学費も出してもらい、みんな仲良く恵まれ家族に見えたことだろう。思えば、外面だけは異様に気にする親だった。親が嫌いだ、なんて誰に言っても分かってもらえないと思っていた。

大学生の時に転機が訪れ、鬱になった私は友人と当時の恋人の助けでなんとか立ち直った。完治したわけではないが。親は私を救わなかった。救ってくれたのは友人と恋人だった。そのことが、私の歪んだ認知を大きく変えた。

私は親から逃げようと決心した。

そして、就職を機に家を出た。職場関係上、実家のすぐ近くに居を構えることになったが、同じ家で暮らすよりは遥かに心が穏やかだ。時々の行動報告の電話と、実家への予告なしの拉致と、電話無視すると浴びせられる非難を除けば。ゆくゆくは、結婚などを通じて距離を離していこうと思っている。

親は必ずしも好きになる必要はないし、一緒にいなくてもいい。そんな簡単なことすら分からなくなるほど、毒親のかける呪いは深く濃い。

それでも、枷は外せる。

ゆっくり呪いを薄めていくこともできる。

毒親」という言葉の周辺を垣間見て、そんな気持ちになった。

2017-02-06

[]リゲイーン要塞の反乱

 攻めあぐねるモレツ帝国に対して、テイジー同盟有効な反撃ができているわけではなかった。

建前では彼らは全知的生命自由冬眠をもたらすことを国是としていたが、

赤道地帯の縦深を突破して、モレツ帝国の中枢に迫るだけの国力に欠けていたのだ。

 結果、宣伝工作によりモレツ人民の決起をうながすことや、

亡命者を受け入れることが活動の中心となる。

 皮肉にもゆいいつモレツ帝国転覆可能性があるのは、帝国赤道派遣軍の反乱であった。



 そして、リゲイーン赤道要塞で起こった反乱は未曾有の規模にふくれあがった。

その反乱はいつもと違って南方への移動中ではなく、

軍団要塞に赴任してから起こった。

 しかも、半年間動かなかった。彼らが何をしていたのかと言えば。



寝てた。



「本当に我が国亡命をしなくてよろしいのですか?」

 心配そうなテイジー同盟の軍使に反乱軍司令官は快活に答えた。

「一度冬眠して見たかったのだ。これで思い残すことはない」

 物心がついてから初めての冬眠経験した兵士たちは清々しい気持ちで北へ向かった。

半年間の待機にはテイジー同盟交渉して補給を受ける目的もあった。

 反乱軍司令官はテイジー同盟指導者たちが冬眠から覚めるのを待ったのだ。

だが、同盟指導者たちは密かに冬眠打破の薬を使っていた。

レツ帝国皇族が密かに冬眠を楽しんでいるがごとくである

 鏡の国において禁じられた行為が、それぞれ特権となるのであった。



 リゲイーン要塞反乱軍は三度までも討伐軍を打ち破り、

帝都に迫ったところで多方面から接近する敵軍に包囲された。

 彼らは一昼夜の奮闘の末に壊滅した。

テイジー同盟軍増田アースの反対側でおこなった助攻勢がもっと大規模であれば、

あるいは両国の間にある二つの接触点がもっと接近していれば、

違った結果が得られたかもしれない。

 壮士去って復た還らず。



http://anond.hatelabo.jp/20170205201049

http://anond.hatelabo.jp/20170206112455

保育園幼稚園の違い以前に、

赤ん坊から物心つく幼少期までにどれだけ親の愛情を実感できたか

がその後の人格形成に大きな影響を与えているようですよ。

無条件に自分は愛されている存在であるという確信を持てるかどうかがキモです。



保育園育ちで共働きだったり、片親の片働きでは、

親子が触れ合う時間専業主婦と比べたら圧倒的に減りますよね。

その結果、常に愛されているのか確信が持てず、不安におびえ情緒不安定になります


もちろん、専業主婦幼稚園育ちであっても母親性格問題があれば同じような子供が育ちます

2017-02-01

還暦過ぎた毒母が現役猛毒な件

私、アラフォー幼児の子供が二人。

実家は遠方の他府県。

実家毒母は、いまだに自分の考えを押し付ける。

の子育てに過干渉すぎて、「お母さんの言う通りにしなさい!」って言ってくるんだが、正直クソかと思うよ。

今うちの子が口答えする時期なんだけど、「口答えなんてアンタの育て方が悪いからでしょ‼︎保育園なんかに行かせるからだ‼︎」と、訳のわからないこと言い始めたぞ。

さっきも電話で、「お母さんのやり方が正しいから‼︎後悔するのアンタだからね‼︎」と、キチ全開だったぜ。

しばらく電話を着信拒否したいが、それすると毒母は遠方在住とはいアポ無しで人ン家に来る。(過去実証済)

毒母って治す方法あるの?

ちなみに「お母さんの言う通りに…‼︎」は、私が物心ついた時から言われ続けてきた言葉

私が失敗したら「ほら、お母さんの言う通りにしないから‼︎」。自力成功した事に対しても「お母さんのおかげよ‼︎」。病気になったら「健康管理できてないから‼︎」。

ドラマでもやってるけど、(見た事ないが)、「お母さん、娘をやめてもいいですか?」と、力一杯思っている。

http://anond.hatelabo.jp/20170201123906

結婚式ケチると~のケースは、常識や体面や一般論の話じゃなくて、

暗に、奥さんの本音は聞けているのか、奥さんの実家は、お前の親はどう思ってるんだだいじょうぶか?が裏の意味だと思うよ

1人の決断サッパリした顔をして澄ましてられなくなるのが結婚から



葬式増田の件も同様で、物心ついてからずっと引きこもりとかでない限りは、

例えば父親親族母親親族、夫の親族とか夫の会社が、とか、自分ひとりの責任範囲の「外」の関係性がある

コミュ障とか関係なく、自分の外にある関係で、結果的自分の行動や言動が制約を受けるのなんて、親の生死関係なく日々の暮らしで当たり前だからなぁ

葬式増田からは、そういう、人の中で暮らしている空気いまいち感じられないのが、嘘くせえと感じる

2017-01-31

仲良し親子や仲良し家族を見ると絶望的な気持ちになる

うちの両親は物心付いたときからいつも仲が悪く怒鳴り合ってた

旅行なんてほとんどしたことないし

子供のことが本当に大嫌いって感じの大人達だった

クリスマス誕生日なんて普通の日と変わらなかった

他の幸福そうな家族が憎い

何で幸福の再分配しないの

家族制度なんて完璧解体人間は全てナンバーで呼び子供国家で育てるべきだ

早く第三次世界大戦でも起きちまえよ

滅べこんな世界

早く終われ

人類から笑顔が消えますように

それが平等世界

2017-01-29

機能不全家族の話

 兄貴が嫌いである。俺が物心いたこからわがままで、些細なことでごちゃごちゃとわめいては泣いていた。自分は殴る癖に、殴り返されると泣いて俺を困らせた。俺は人が泣いてるところなんて見たくはないし、もうそから俺が兄貴を殴ることはやめた。 確か俺が4つか5つの頃だったと思う。 そして俺が殴り返さないようになってから兄貴は変わらず、わがまま放題だった。 あれしろこれしろだの、言うことを聞かなきゃ当然殴ってきた。 殴られるのは嫌だししぶしぶいうことには従ってきた。 兄貴が第2次成長期に入るころには、力の差も大きく開いてきたからだ。 そして俺が小学3年か4年の頃だったか兄貴は俺に言った

ちんこ舐めろ」

 当時の俺は性に関する知識なんてなかったが、兄貴の言っていることはとても不快であるということは感じられた。 もちろん拒否したが、ボコボコに殴られた。 そして俺は汚いクソみてえなモノをしゃぶらされた。 しかもびっくりすることに精液まで飲まされた。 性暴力は数年続いた。 暴力も変わらず続いていた。 一生消えない傷も額につけられた。

 親は何も言わなかった。 俺自身親を信用することが出来なくて頼らなかった。 親は俺が殴られていても、必ず両方をヒステリックに窘めた。 勉強の成果だけを見ていたし、くだらないことで食器を割って叫びだしたりもしていた。 母は少し情緒不安定だった。 父は別居していた。 味方は一人もいなかった。 当然俺は塞ぎ込みながら育っていった。

 そこから俺が就職するころになると、親は情緒も安定して、兄貴はとりあえず普通に働いている。 しかし、兄貴根底は何一つ変わってなかった。 人を見下し、気に入らなければ誰も見ていないところで殴りつける。 賢しいところはそのままで逆に感心するくらい。

 ここから問題、俺は親に「兄貴が嫌い」と伝えた、そうすると特に掘り下げようともせず「今更そんなこと言うな」と封殺された。 兄貴も親も、外面はうまく取り繕えるようになっていた。 下種な部分はそのままに。 俺はどうすればいいんだろう。 もう全てをあきらめて独立するのか、何としても親に理解してもらって兄貴家庭内での立ち位置を揺らせばいいのか。

男性男性でいるだけで性的加害への物言わぬ加担者だというなら僕は喜んでこの性器を切断する。

いや「する」というか「した」ですが。


最近話題男性保育士問題、私達のような当事者的にも琴線に触れる人は結構いるんじゃないかな。(いてほしい)

もちろん第一義的には「性自認と肉体に対する違和感」がくるけど、それがどれだけ耐え難いかは人によって違うし、実際に手術にまで踏み切るかどうかは

社会との関わりの面で色々な要素があるから、「違和感を抱えつつも社会的にはもとの性別のまま生きる」という選択肢を取る人もいます。(結構いるよね?)


損得勘定したら私の場合は明らかに大損きわまりない。

東大合格者数で3本の指にはい高校から東大(か京大かもね♪どっちかです)の理工系学部大学院までいったけど、まともな就職先に引っかかることができなかった。

ほんの数年前でも""LGBT""に対する""理解""が今よりだいぶ違う時代だし仕方ないけど、なんとか食いつないでいける程度ではなんのためにがんばってきたんだろう?



それを肯定できるほどの身体違和感があったかというと、今となっては正直わからない。

性別移行してからだいぶたつし昔の感覚をもう思い出せなくなってるけど、いわゆる「物心いたこから…」みたいなわかりやすストーリーじゃなかったのは確かだ。

そんな私にいつも通奏低音のように響いていたのが、この「物言わぬ加害者としての男性性」の問題だった。



歴史教育では「日本人である」っていうだけで同級生中国人朝鮮人に引け目を感じ、

小学校時代地元の友人から「親からいい地頭をもらったな」と嫉みを買うことに引け目を感じ、

他のMtF当事者から「素材に恵まれいるかパス度高くていいですね」みたいに暗に示唆されることに引け目を感じ、



そしてこういう話題があがるたび嫌でも思い出される、

男性男性であるだけで女性への性的暴力に無言のうちに加担しているんだ!」と言わんばかりのフェミニスト言葉に引け目を感じ、



どれもこれも私が自分から望んで得たものじゃないんだ、生まれつき勝手にこの国籍、この性別、この頭脳、この顔面、この「私」になってたんだ。

それでも自分のせいで辛い思いをしている人がそんなにたくさんいるなら、それなら私なりに誠意を示す必要があるでしょう?

私が「私」であることに対する私なりにできる精一杯の謝罪として、私はこのスティグマを切断する、という落とし前をつけたんだ。



今のところこの謝罪はうまくいっているようで、個人的には身体的な違和感から解放されたし、

いろいろと人生再チャレンジもできそうにないアラサーお姉さん(おばちゃんか)として社会の隅っこでちんまり過ごす人生に後悔はない。

でも、だいぶ昔にさよならを告げたはずの「男性性」の舞台の上で今日も悪意のない人達が、悪意のない故に自らの存在のものに対して申し訳無さを感じているのを見ると、

自分の生まれてきた姿形を呪って布団にこもって泣きじゃくった昔の私を思い出して、どうしても他人事のようには思えないんです。



もちろんだからといってネイティブ女性に「男性性を不快におもうな!」というつもりは毛頭ないし(でなければ私もこっち側に来なかったよ!!)、

現実的には個々人の間でちょっとずつ信頼を醸成していく以外にはないんだろうな、とは思うけど

両方の性別から観点に同じように「うんうん、わかるよその気持ち」って思っちゃうぶん2倍つらいね

いいたいこととっちらかったけど、こういう意見をすくい上げてくれるような社会運動ってあるのかな?

フェミニストの人たちはやっぱりちょっとこわいな…

2017-01-25

顔の巨大な美女欲情する特殊性癖

広告CMなんかでたまにある、実写の顔が大きく加工された女優モデルを見ると、勃起が止まらなくなる。とにかく、顔(頭)が不自然にでかくなった美女が好きだ。どうもそういう特殊性癖らしい。原因はわからん

原因がわからんので、うまく人に説明することができない。物心ついたときからそうだった。気がつけば雑誌広告新聞広告スクラップテレビCMエアチェックが日課になっていた。日課といっても好みの広告と出くわすのは年に数回だが。最近YouTubeがあるから便利だ。生まれる遥か前のCM動画、または世界各国のCM動画を漁りながら、未知の世界開拓している。

そんな人、自分のほかにいるんだろうかとか、普通の生身の女性に恋はできないんじゃないかとか、ずっと不安を抱えて生きてきたが、5、6年前あたりから、似たような趣味のある人が外人ばかりだがちらほらと見かけるようになり、どうやらおかしいのは自分だけではなさそうだということがわかった。幸い、このままではまっとうに生きられまいと危機感を持って暮らしていたためか、生身の女性問題なく愛せてもいる。

しかし、いくら変態野郎にやさしいインターネットと言えども、いまのところ自分を含めて世界で4、5人くらいしかいないような気がする。Yahoo!知恵袋でも似たような性的嗜好のありそうな質問者散見される。本当は同好の士を見つけたいのだが、こんなアブノーマル趣味ツイッターでもフェイスブックでも言えるわけがない。ではなぜ急に匿名はいカミングアウトする気になったのかというと、昨日から始まった滝川クリステルトヨタCMが、数年に一度、世界レベルでも滅多にない逸品だったからだ。体内の精液を根こそぎ吸い取られてぼんやりとした頭で、試しに増田に正直な気持ちを書き出してみようと思った。こんなこと、人に話したこともなければ、自分で考えをまとめたことすらない。こんなんでわかってもらえるだろうか。どれだけ反応があるのか知らないが、これで誰も同意してくれる人がいなかったら、いよいよ海外に活路を見いだすことになるだろう。でも英語はヤダなぁ。なるべく日本語でやりとりしたいなぁ。

追記:

意外に反応が大きかったので、今夜ブコメのお返事も兼ねてもう少し詳しくご説明したいと思います

追記2:

当方ブラック企業勤務なもので、昨晩はどうしても追記を書いている時間が取れなかった。すまん。それにここまでバズるとは思わずビビッてしまったこともある。昨日の朝の段階ではせいぜい20~30くらいのブクマだったと思うが、明け方帰宅してその10倍以上の数字が輝いていたので腰を抜かした。誰にも言えなかった悩みを聞いてもらえた喜びより、こんなに広まってしまった戸惑いのほうが正直大きい。だがせっかく話を聞いてくれそうな人たちがいらっしゃる貴重な機会だ。前述したようにこんなことについてこれまで考えをまとめたことすらないので、基本的にはトラバブコメのお返事を書きながら話を進めていこうと思う。なかばレスのような形になるので読みづらくて嫌われるかもしれないが、なるべく読み飽きないよう工夫するのでお許しいただきたい。

バズったぶんだけお答えしたいコメントも膨大な量になってしまった。なのでもう少々お待ちを。重要度が低いと思ったコメントスルーするつもりだが、あるオカズに対するストライクボール基準は、股間が反応するかどうかというシンプルかつ原始的ものなので、そこについてはどんなにくだらないコメントにも真摯に答えるつもりだ。それから、今回は参考資料としてこれまでの人生で貯めに貯めまくった画像フォルダから惜しげもなく放出したいので、興味のある方はそちらもお楽しみに。

追記3:

追記しました。

巨顔の美女欲情する性癖について詳しく追記 その1

http://anond.hatelabo.jp/20170131142756

2017-01-20

年末実家に帰ったら、父(56歳)が恐らく無職になっていた。

「恐らく無職」と書いたが、本人から聞いたわけではないので本当に無職かどうかはわからない。
ではどうして父が無職になっていたなどと言い出したのかというと、母がこっそり教えてくれたからだ。
しかし、母自身も父から報告を受けたわけではないという。
父の普段生活を見ていて、仕事に行っているような素振りが一切ないため、無職になったと判断したとのことだった。
はいえ私は特に驚かなかった。母もきっと驚いてはいない。なぜなら父が無職になることは、私たち家族の中ではほぼ普通のことだから(父もそう思っているかは知らないけれど)。

父はとにかくよく無職になる。世間的にそこそこ需要のある職に就くための資格を持っているにもかかわらず、恐らくそ人間性が問題になってすぐに職を失う。
要は偉い人の気に入らないことばかりして辞めさせられてしまうのだ。多分。

ちなみに、私は父とここ15年くらい話をしておらず、今まで書いた父に関することは全て推測にすぎない。
父のことに関して「きっと」「恐らく」「多分」ばかり乱用しているのはそのためで、本人からはとにかく何も聞いていないのである

その昔、父は自分以外のものに厳しい人だった。
私が物心いたこからすでにパワーによる躾けを実践しており、食事中にテレビをちらっと見ると殴られ、
何かをこぼすと殴られ、口答えすると殴られ、父の気に入らないことをすると殴られ、
とにかくたくさん殴られた。たまに蹴られたりもしたが、基本はグーパンチ! 気に入らなければ母にもグーパンチ! それでいて家に金を入れない(大人になってから母に聞いて初めて知った)!
私は小学校卒業するころまで、大人が手を挙げるしぐさをするだけで縮こまるような子供だった。

そんな父には、いくつか決め台詞があった。その中の一つが忘れもしない、「一番金を稼いでいる俺が一番偉いのだから、俺に意見するならバイトでもして俺より金を稼げるようになれ」である
この台詞正当性は置いておいて、まず間違いなく小学生に言う台詞ではない。
これを言われてしまったら最後、私は父に自分の考えを何も言えなくなり、ただ殴られる肉人形となってしま魔法言葉だった。

そんな父も、今や無職。私は父に言われてきた魔法言葉鵜呑みにして、たくさんお金を稼げる人間になった。
でも、父に対して意見するなら私より金を稼いで来いなんて思わない。そんなことを家族に言える人間気持ちが、父と立場が逆転した今でも全然理解できない

年末実家に帰ったら、父(56歳)が恐らく無職になっていて、別にかわいそうとも、ざまあみろとも思わなかった。
ただあの魔法言葉は、私だけではなく間違いなく父にも影響を及ぼしていているんだなということをなんとなく思った。そんな年末だった。

2017-01-16

婆ちゃんに戦争の話聞いてきた

今年87歳になった婆ちゃんに、

正月田舎帰った時に戦争の話を聞いてきた。

当時「この世界の片隅に」のすずと、

同じような年齢で戦争経験した婆ちゃんに本当のところは、

どうだったのかなと聞いてみたいと思ったのがきっかけだった。



婆ちゃんは7人兄弟の三女。

婆ちゃんのお母さんは、早く亡くなっていて

物心いたころには、後妻としてきたお母さんに育てられたそうだ。



婆ちゃんが子供のころは婆ちゃんのお父さんは事業成功していたらしく

家にはお手伝いさんが何人もいたらしいのだが、

戦争前に事業に失敗。

家は途端に貧しくなったらしい。



たまたま勉強が優秀だった婆ちゃんは、

小学校先生が何度も何度も婆ちゃんの家に来て

婆ちゃんを女学校に入れて欲しいと、お父さんを説得したそうだ。

当時はまだまだ少なかった奨学金の話を持ってきてくれたり、

授業料免除手続きなどをするなど、

本当に熱心に動いてくれたらしい。



結局は婆ちゃんのお父さんも先生の熱意に打たれて

全寮制の女学校に行けることになった。

戦争は、そんな女学校時代に起こった。



戦争が始まる前、日本満州での事業で盛り上がっていたそうだ。

大陸未分化な国を日本配下に置いて発展させることは、

とても素晴らしいことで全く悪いことだと思っていなかったそうだ。

学校では、天皇陛下神様と教えられて、

天皇陛下の元、男子兵隊さんになるのが当然だと思っていた。



近所の家が、共産党員の容疑をかけられて警察に連れて行かれた。

婆ちゃんのお母さんは、近所のオジさんは悪い事をしていたと伝えたらしく、

子供心にショックを受けたそうだ。



戦争が始まっても、ばあちゃんの日常は変わらなかった。

普通に勉強していた。ただ、農作業時間が入ったそうだ。

女学校同級生みんなでさつま芋を育ててたらしい。

そのうち、普通の授業の時間はなくなり、

富山工場女学校の全員で働きに行く事になった。



毎日10時間ミシン兵隊さんの洋服を塗っていたそうだ。

女学校勉強できなくなるのは残念だったが、

天皇陛下のためだし、戦ってる兵隊さんのためだかしょうがないと言っていた。



徐々に女学校日常が、戦争への協力の日常に変わっていくのは感じていたそうだが、

戦争はずっと勝っていると思っていた。

新聞ラジオ毎日のように、日本の大勝利の話ばかり流れていたそうだ。



そのうち、配給が減ってくるといつもお腹が空くようになった。

芋だけじゃなくて、芋がらといってツタとかも食べたらしい。

お腹が空いて寝れない日が普通になった。

友達とは、毎日食べることばかりを話していた。

炊きたての白ご飯に納豆をかけてお腹いっぱい食べたるのが夢だった。



そんな日常の中、空襲が婆ちゃんの工場を襲った。

焼夷弾が次から次へと降ってきて、

花火のように火を吹き上げるんだそうだ。

婆ちゃんは怖くて怖くて、山の上に逃げた。

町中が灼熱地獄のように暑かった

ただ、ただ、山の上に逃げた。



当時、なんで山に逃げたのかは自分でも解らなかったらしいが、

一緒にいた友達が山に逃げるので一緒に着いていったそうだ。

結果、それが婆ちゃんの命を救った。

ものすごく暑かったので、多くの人は川に逃げたらしい。

そんな人でごった返した川めがけて、空襲は襲った。

川に逃げた人はみんな死んだ。



空襲が止んで、友達は半分も残らなかった。

婆ちゃんの働いていた工場も完全に破壊された。



その後、近くで何度か空襲があったらしいが

運良く婆ちゃんの所には直撃せず、

次の工場への移動が決まり、準備を進めていた。



そんな矢先、唐突戦争は終了した。

天皇陛下の敗北宣言を聞いた時、

戦争に負けた悲しみよりもなによりも、

もう爆弾が降ってこないことが嬉しかった。



もう、爆弾が降ってこないんだ。



と言った時、婆ちゃんはうっすら目を潤ませていて

本当に本当に辛かったんだなあと、

聞いてる俺も泣きそうになった。



その後戦後の本当の食糧不足や、

食糧不足になって、都会の親戚が着物いっぱい持ってきた話なども聞いたが、

だいぶ長くなったので、ここで話を止めたい。



今の日本海外若い人たちが

戦争を始めることもいとわないと言うのを聞くと

から恐ろしくなるし、

あん経験を俺や俺の娘にはさせたくないと

強く言っていた。

2017-01-13

http://anond.hatelabo.jp/20170113093812

物心つかないうちに洗礼受けて洗礼受けたり

小さい頃から日曜礼拝行ってると違和感ないよー。

ただ、彼らは信徒外のいる場でも信徒の「増田さん」を

増田姉妹」(女)とか「元増田兄弟」(男)って呼び合うんだよね。

歳の上下関係なく。みんな神の子から。父は「神」だから


あと外国人宣教師

日本人女目当てで来日してると思うと気持ち悪い。

ゲスパー脳だけど。

実際外人男は顔関係なく人気あるしカップルも多い。

2017-01-12

アイドルオタクをゼークトの理論っぽく分類

【有能な働き者】

現場には基本的に毎回来る。

最前で盛り上げることに熱心。物販も大量チェキ物心両面において高い貢献度。

・TO候補

【有能な怠け者】

コール等にはあまり熱心でなく、後方で鑑賞していることが多い。

カジュアル嗜好でアイドル以外の趣味も多く、趣味優先で現場に来ないことも多々ある。

・一方で物販では全メンバーチェキを撮ったり、グッズも漏れなく購入するなど金銭的な貢献度は低くない。

無能な怠け者】

・専らTwitterやShowroomで絡んでくるだけで現場には来ない人、もしくはカメラ小僧

基本的アイドルに金を落とすという発想がない。

・熱心なオタクからすれば不愉快だが、アイドルにとっては迷惑というわけではない(程度による。

無能な働き者】

・使える金と時間は全て推しのアイドルに注ぎ込むものだと思っているが、有能な働き者には勝てない。

DD叩きをする等、他のオタクに対して攻撃的な性格である

アイドルに対して「そんなんで売れると思ってるの?」等の暴言を吐く。

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