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はてなキーワード: 季語とは

2024-05-08

anond:20240506103123

これ、全部575でつくってるのな。ラップ系の人のリズム感て、即興性が問われる面含めてなかなか大したものだと思う。

俳句とか教養ぶっているけれど、

要するにラップバトルと同じだろ。

偉そうな態度気取って季語入れて、

消臭が上手く行ったと思い込む

その態度からにじみ出るバカらしさ、

いい加減虚しくなったりしないかね。

anond:20240506233546

俳句が"情念"や"私"を盛る器たり得るか? というのは、増田の言う通りあるあるネタだと思うが、正直情念シマシの俳人もいるので、情念一本槍で説明するのはちょっと難しいんじゃないかと思う。というわけで、自分の好きな情念系の俳人三橋鷹女の句を紹介したい。

  この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉  鷹女

あまりにも有名なこの句。なんというか、余りにもぎょっとする一句だ。作者は秋の夕方燃え上がるような紅葉の樹をただ見ているだけだ。しかし、その樹の美しさが作者の心中出会って化学反応が起きる。「この美しい秋の夕暮れの紅の陽の中で、こんな燃え上がるように輝く紅葉の樹に登ったら、私の中の何かが身を焦がし、たちまち目はつり上がり口元は避け頭には角が生え私は鬼になってしまうのではないかしら……」と考えるという、そんな俳句だ。想像できるだろうか?

たとえば妖艶な女性が秋の夕暮れ、紅葉を見ながらほんのり微笑んでるわけだ。(できれば舞台京都とかその辺の古都であってもらいたい。)やあ、紅葉がきれいですねえ、なんてうかつに声をかけると彼女はにっこり笑って、「そうですね、きれい……あんまりれいで…」と何か言いたげに言葉を濁す。ここでついうっかり、え、紅葉好きなんですか、なんて下心を出して聞いたが最後、「いえね、あんまり燃え上がるようにきれいから、この樹に登ったら全身火に包まれしまいそう、そうして大声で叫ぶ私は、まるで鬼になったように見えるかしらなんて思うと面白くて……」などとやべー妄想を全開でぶちかまされるからだ。考えてみてほしい、鬼になるかどうか、とか以前に、美しい紅葉を見て「その樹を登ったら…」なんて想像をする時点で(まともな大人でそんな奴、いるか?)もうこの人尋常じゃないヤバい系の人なのだ紅葉を見たら、駆け上る想像をせずにいられないくらいの、この人の身を焦がす情念っていったい何だろう? 恋か。恋だとしたら、どんな恋なのか想像するだにオソロしい。一方でこの「燃え上がる樹に包まれ鬼女になる」というそ妄想自体は、余りにも凄絶で美しくてカッコいい。自然風景と一体化しながらも、この人の情念はまったく矮小化定型化も減量もされず、読む人の心を打つ。

これにビビっと感じてくれたかもしれない人のために、もう一句だけ鷹女の名句を紹介しておく。

  白露や死んでゆく日も帯締めて  鷹女

ただそれだけ。まあ、露ははかない人の命の比喩でとか、白露はことに露が美しい秋の季語だとか、そこから作者の人生も秋にさしかかっている立場で詠んだ句であろうとか、まあそういう教科書的な講釈はいい。いいと言いながら一応一通り言ったけど、それより、スッとこの句を眺めてほしい。そこに立つ、一人の女性の姿が鮮やかに立ち上ってこないだろうか。

和服着付けというのはなかなかの苦労だが、帯を締めるというのはその仕上げの工程に当たる。この句で「帯を締める」というのは、普段から服の手入れもぬかりなくし、朝からきちんと身支度をし、化粧もふさわしくして、そして最後にキュッと帯をしめるまでの一連の工程総称だと考えられる。これまでも、これからも、そしていつか死んでゆく日にも、私はこうして帯を締めて(そうして死んでゆく)、という( )内の聞こえない言葉が、「帯締めて」という言い差しによってかえって響いてくる。女性としての自身、当時の社会との軋轢、様々なものを一身に引き受けながらすっくと立つ一人の人間としての強い思いが伝わってくるようだ。

死ぬはいい日だ」なんて言葉もあるけど、常在戦場の心構えというのはそういう何気ない言い回しの中にあるものなのかもしれないと思う。それになぞられるというわけではないのだけれど、この「帯締める」行為何だか戦いに備えて自分自身を隙無く装っているような、そんな雰囲気が漂っている。こういう「私はオンナよ」みたいな、固定化されたジェンダー内面化って昨今あまり流行らないんだけど─まあ軽やかに変化し続ける自己というのもそれはそれでもちろんよいのだけれど─人が成熟の深みとでも言うべきものに到達するには、ここまで強く深く「私は○○○だ」という意識自身に刻み込み、時を重ねる必要があるのだろう。そんなこの人の「覚悟」みたいなものを、「死」の一字がぐっと引き締める。誰にも文句は言わせませんよ(ニッコリ)、という体で、これまた見事な情念世界だと思う。

どうだろう、こういった情念個性の強さ深さというのは、なかなか短歌のそれに劣ったものではないのではないだろうか。

そうしてみると、結局増田の言う”情念”も、それぞれの作家性に拠る部分がかなりあるということも理解していただけるのではないだろうか。鷹女の句は、俳句王道を決して踏み外してはいないけれど、輝くばかりの個性情念に満ちあふれている。もちろん、増田の言う、短歌俳句の出発点となる発想・捉え方の違い(ほとんど真逆)、それに基づく「短歌やりすぎると俳句作れない」という主張もそれなりにもっともだと思う。ただ、から俳句には情念が盛れないと言われると、いやいやそんなことはないんだけどなあ……と思ってしまうんだよね。

anond:20240508145854

観賞した増田だよ。

なるほどー、いや道理で、即興で作ったにしちゃすごいちゃん俳句になってるなと思ったんだ。(あなたがその場で即興で作ったもんだと思ってた)

季語の使い方が良かったし。

現代俳句ってことで、こういうトラディショナルというか「普通」の、書かれていることを現実風景のものとして読み取ろうとするやり方じゃなく、別の読み方もありそうだってことは言っといた方がいいかもと思った。

 

魔法少女告白するというアンリアルな状況、を想起している自分。その時に触れた雪。こういう対比になるかもしれない。そんな秘密を抱えているような自分でいたかった、というような「違った自分」への羨望が感じられる。

または順序を逆に、「雪を見た」、その雪が「アンリアルな状況」を想起させた、ということかもしれない。雪をきっかけに、アンリアル想像が生まれた、という流れ。

 

想像アンリアルであればあるほど、現実にある(のだろう)雪やその冷たさとの無慈悲な対比が生々しく感じられるね。

この人は、そういうアンリアル想像をしてしまうほど、自分人生が嫌いだったのかも。ぶっ壊したいと思っていたかもしれない。そうだったらどんなに良いだろう、とか。夢のある世界ではなく現実で小さく生きている自分に嫌気が差している、とか。そこにはやけっぱちさも、寂しさも、哀しさもあると思う。そういうネガティブ感情に、想像世界でぶつけて相殺してくれるだけのインパクトをもった存在が、「魔法少女」というものだったんじゃないだろうか。そういうことを直観したよ。

 

そこに並び立つのが、季語の「雪」。ああ、なんて無情なんだろう。この雪は、子供がはしゃいで喜ぶような雪景色ではなく、重たく靴にへばりつくじゃりじゃりと融けかけた雪を想像するね。まるで忘れたくても忘れられない自分過去みたいだね。なすり付けられて落ちない汚れのような雪だよ。楽しい想像をしなければやっていられないような雪。アンリアル想像に身を任せでもしなければ、やってらんない雪。

 

もちろん、人それぞれの読み方でいいんだと思うけど、まぁ一例としてね。こんな風に読めたよ。

名句かどうかと問われたらやっぱり分からんけど、個人的にはその句は好きだよ。

anond:20240507123506

「実はおれ魔法少女と告げる雪」

  

結社に入ったりしてない不勉強な身でよければ。

俳句としては「「実はおれ魔法少女と告げる/雪」」と二つの流れに分かれるね。

意図たかどうか分からんが、「告げる」で切れが来ている。季語を「雪」にしたのは良いチョイスだ。おふざけで詠んだのかもしれんけど、これわりと俳句になってるよ。分かち書きしてないのも良いね俳句っぽい。

   

「実は」と「告げる」からすると、これは秘密にしていたことを誰かに告白する/し終えたっていう場面だと想像できる。そういうことを人が多いところでやるのは考えにくいから、真っ先に思い浮かぶのは、「おれ」と告白する相手との二人きりの場面だよね。人気のない場所、人気のない時間帯だろうか。昼間の冬枯れの雑木林だとか、夜の静まりかえった公園だとか、そういう寂しげなイメージがある。

「雪」は、降っているだろうか、それとも積もった雪のことだろうか。それは読み取れないけど、雰囲気としてこれは動きがあって欲しいから降っているところを想定しよう。秘密にしていたことを告白した瞬間、打ち明けられた側は驚きで一瞬動きが止まるのではないだろうか。その「静」と雪の「動」が重なってくる。そして「おれ」は、告げた事実に対して相手がどういう反応をしてくるのか、「静」の時間の中で固唾を呑んで待っているのだろうな。じっと待っている中、視界の中でちらちらと雪が舞っている。時間が止まった二人と、動き続ける雪。もしかしたら「おれ」は、「静」の時間を迎えて初めて雪に気付いたのかもしれない。それまでは、秘密告白意識が集中していたとも思えるから。そうやっていろいろ想像が出来るね。

今のは、告げた後の解釈だったが、告げる前だとしたら、いよいよ秘密を告げるという緊張感の中、心臓も早鐘を打つようになる中で、ふと雪に気付いたということだろうか。秘密を持っていたという後ろ暗さに、白い雪が被さってくるという対比にも読み取れるね。

そしてもう一つ。「秘密にしていた期間がある」ことが想像できるということは、相応の期間、「おれ」は秘密を打ち明けるべきかどうか悩んでいたのかな、という想像もできるわけだ。その期間の長さ、思い悩んでいた時間の長さの「重み」も、言葉としては書いてないけど感じられる表現になっているのがとても良いね俳句にはスケール感(より大きなものを、短い中で表現すること)も大事なんだけど、時間的なスケールの大きさ(長さ)を感じるよ。

  

隠していた秘密魔法少女だというのはアンリアル事象なんだけど、実は案外この「句」の中では効いてる気がする。「おれ」はまず男なんだろうけど、それが魔法少女」という二重になったアンリアル感。それを句の中ではおふざけなしに告げている。全体が俳句として成立しているからこそ、そのアンリアルさが「なんの冗談だよー」からの「え……マジなやつ?」という反応を想像させ、それが上で書いた「静」の時間とも繋がっていくと思う。

俳句客観写生と定めるならこのアンリアルさはアウトなんだけど、ここでは固いこと言わないどく)

  

よくぞ最後季語を「雪」にしたなと思う。だから映像フォーカスできてる。「冬」とかの時候にしてたら、映像や情景ではなく、告白した「おれ」の体験や状況や心情にフォーカスされてしまうので、それだと俳句としては「心情入れすぎ」なものになってしまったんじゃないだろうか。雪だから俳句になった。

  

映画のワンシーンみたいな、演出された映像、情景に感じられるので、自然に発生した情景ではない分、俳句としての評価はどうかなと思うけど、俳句俳句じゃないかといったら、俳句だと思うよ。

  

季語入れて

言及するのが

楽っぽい

2024-05-06

anond:20240506212930

季語の本意はそういう使われ方じゃないんだよな

本意を踏まえているかどうかは作品になってみて初めて評価されるし、大体エライ人が決めることになってる

書いてることをいくら読んでもわからんのよ

anond:20240506211118

いや季語の本意とかハイコンテクストのものだろ

そんなの俳人しか知らんし興味もない

とはいえ芭蕉世界的に人気だから季語以外の魅力があるんだろうな

anond:20240506061423

俳句やってる身からすると短歌の方が難しいよ

表現したいことに対して文字数が多すぎて持て余しちゃうというか…

例に挙げられた短歌俳句にするとしたら

・戦って勝つための生青嵐

 (季語は青嵐、夏)

・凩の中や勝つため生まれきて

 (季語は凩、初冬)

といった表現になるかな

だけどやっぱり31音使った時のニュアンスは出なくて、あくま17音の枠内に最適化した表現になるから短歌の真に迫る表現方法に憧れることもある

anond:20240506115921

ここで俳句解説するとボロクソ言われるのが落ちなので、リアル相談した方がいいよ。

…というのは、俳句は滅茶苦茶コンテクスト文脈)に依存する芸術からだ。短歌31文字が対決的な文化(歌合せとか)を成立させてきたように「向き合う他者」に言葉を届ける能力もつのに対して、俳句は仲間内のような座の中で成立してきたように「コンテクストを共有する仲間」の間で盛り上がるタイプの道具であり、背景となる文化文脈を共有していないことが多い現代社会特にネット上)では、説明したところで、「そうとは限らないのでは?」みたいな突っ込みが山ほど入るのが目に見えてる。「なんでそう言い切れるの?」「必ずしもそうとは限らない」etc……いやうるせえわ。俳句ってそういうモンなんだから仕方ねえだろ。


それを踏まえた上で、可能な限りの解説をするぞ。長いので暇人向けだ。ちなみに、調べて作者名見て「あー」(嘆息)と声が出そうになってあと調べるのはやめた、から、ほぼ推測のみで書く。まあ、ちょっと古い昭和俳句だわ、くらいに思いながら聞いてくれ。ちなみに、俺はこの句、一読して「短歌的な俳句だ。それだけに、短歌増田が感心したのは分かる」と感じた。俺自身は、こういう俳句は作らないと思う。理由は後述する。

「ここで昼餉(ここでひるげ)」

初手から6字で字余りだ。字余りについては今更説明しないが、基本的にはあんまりやらない。なぜなら、基本的にはリズムを壊したり重たくしたりしてしまうからだ。わず17字でつくる詩で、およそ1/3のリズムが崩れかねないというのは、かなりオソロシイことだ。逆に言えば「その危険を押してでもやりたい」と作者が判断したときだけ、リスクを背負ってやる。素人にはあまりお勧めしない手法だ。さて、作者はわざわざ字余りをして、「さあ、この辺(の場所)で昼飯にしようかな」というメッセージを伝えているわけだ。何とも人を食った話だが、昼飯の場所が決まっていないということはこの人が日常の中にいるわけではないことを暗示してる。まあ、単に定年で暇になって毎日あちこち公園やらデパートやらで飯を食ってる爺さんという可能性もゼロではないが、後で出てくる夏という季節にそんなことをする爺さんもあまりいないだろうから、ここで作者はそれなりに若く、夏の最中に野山を歩き回っていると推測される。これで一気に「作者の年齢、場所、状況」に関する情報が得られるのだから、字余り使った値打はあると言えばあるが、それ以上に作者がここであえて句のリズムをもったり重たくさせたのは、「いい年したおっさんが夏の昼間にハイキングしてる」という「のんびり感」を演出しようとしたためであるかもしれない、とも推測される。その意味では、この初句、のんびりして見えて人を食ったような、それでいて計算もあるやり手の初句だ。ちなみに、この初句、体言止めで切れる。俳句はやはりどこかで「切れる」ことが推奨されるが、それは句の焦点をはっきりさせるためだ。句切れの前に焦点があるか、後にあるかはケースバイケースだとしても。

ただ、それにしても「ここ」が山とか自然の中、は分かったが、どんな場所なのか、また、ここで昼飯にしようと思ったのはなぜか、作者はいまどんな気分なのか、とかは分からない。それは、続く部分で種明かしされる。(よって、ここでは句切れの後、つまり「種明かし」パートが句の焦点だと考えられる。)

「真赤な夏の/花佇つゆゑ」

最後に「ゆゑ(故=理由)」とあるが、普通に考えたらこれまた俳句では普通やらないおきて破りである。句の中でこういう「理由の明示」みたいなこと、ダメだろ普通。なぜかというと、基本的にカッコ悪いからだ。たとえば「閑けさや岩にしみいる蝉の声」を、「蝉の声岩に染むゆえ閑かなり」とかやったら、なんかいろいろ台無しだろう? ネタ晴らしというかなんというか、たとえそういう意図を込めていたとしても、言わずにそこを感じさせて感心させるところがさあ、まあ句の仕掛けなんだから、答え言っちゃったらもう何かダメじゃね?とふつうはまあ思うんだよ。でもこの句はもう少し進化した句で、理由を言っちゃった上で「え?それが理由になるん?」と読み手に突っ込ませることを狙った作品なのだな。突っ込みさせた上で、「え……理由…?………になるんか、…ならんこともないか、うーん、なるほど」みたいな。最初のんびり路線がここで効いてくるわけだ。作者は「それが理由なん?」という突っ込みに対して"のんびり"という姿勢をとることで「それが理由ですが、何か?」と返してきているわけだ。そうやって自信満々に言われるとなんかこっちが間違ってる気もするし、そう言い切られたらそうかなあ、と少し納得感がないでもない……と思わされた時点でもう作者の術中に落ちているのだ。この作戦、小難しく解釈しようとする人であればあるほどハマる。

もっとも、そういう、突っ込みさせつつセルフ納得もできる「微妙な線」を狙うのはなかなか難しい。だから、それを実現させるために作者は2つほど仕掛けをしてる。

一つは「真っ赤な夏の花」だ。これ、普通なら夏に咲くそ花の名前を入れる部分だよな。たとえば朝顔ならアサガオ向日葵ならヒマワリ……だいたい花の和名なんてそんな長いものじゃない。少なくともただ花それ自体を指すのに9字も使うのって、俳句始めたての人の句なら真っ先に直されそうな部分だ。でも、その上でだ。聞いてみるけど、この花何だろうな? 日本の、ハイキングで行くような野山に、真夏に「真っ赤」な花なんて咲いてるか? あとで「たつ」という言葉がある以上、人の背丈程度には高さがあってすっと伸びた草花だ。さて何だろう? 作者の答えは「知らん!」だよ。知らないから「真っ赤な夏の花」なのだ。おいおい、そりゃねえだろ、と読者に突っ込ませておいて、そこで作者はぬけぬけと「だからここで飯にするんだ、悪いか?(ニヤリ」とやってくるわけだ。無責任適当にやってるように見せながら計算もあり、でも基本的楽天的天衣無縫な語り口の句だ。それが初句の「のんびり」加減と相まって、この句に独特の雰囲気を醸し出していることは否定できない。なんだったらここで笑い出しちゃうような面白みがある。

二つ目は「佇つ」だ。学のある人をこれで引っ掛けようという腹だ。この字、音数から考えれば「たつ」と読ませているのだろう。だがこの字に原則として「たつ」の読みはない(少なくとも家にある広漢和辞典(全四巻)でみる限りはない)。一般的な読みは「たたずむ」で、じーっと立っている、という意味だ。「たつ」に宛てたのは、その意味を合わせて感じさせたかたからであろう。花はいつまでもじーっと立っているのだから人間が「立つ」のと同じ字でない方がいいんじゃありませんか、というか、「佇む」には途方に暮れて立ち止まる、みたいなニュアンスも漂う。何か、その夏の花が所在なくじっと立っているので、仕方なくしばしのひと時を一緒に過ごす、みたいな感じだ。なんだろう、ひょっとしてこの「真っ赤な夏の花」というのは、山道を歩く途中で一緒になった、真っ赤なサマードレスを着た女性か何かの比喩なんではないだろうか、みたいな、そんなちょっと色気みたいな解釈深読みが(実際、俳句読みはその手の暗喩創作をよくやる)この「佇」一字から立ち上ってくるのである。そうなると、花の名前が特定できなかったことも、何だかそのための仕掛けであるようにすら見えてきて、うーん、と悩まされるのだ。当然、そこまで考えての、このルール違反用字である

結果、山歩きの途中花の下で飯食うかあ、というだけの句が、俄然ストーリー性、物語性、ロマンスの色彩まで帯びてくる。が、もちろん現実にはそんなことはないのであって、実際ただ飯をくっただけなんですけどねー、という緩い種明かし(そもそもそんなロマンスが勃発したら俳句なぞ作っている暇はないので)を前提に、その幻想を楽しむ、そんな句ということに落ち着くわけだ。

そんな風に、この俳句はなかなか外連味(けれんみ)のある、仕掛けとイメージてんこ盛り、物語調の俳句で、実に面白いと言えば面白い、一般的俳句の目指すところとはちょっと外れた句だ。一般的俳句もっと、瞬間的、即物的、断片的に風景を切り取るのが基本なので、まあ普通は「季語感情」でつくるとこから始めるのが適切だろう。この句も、山道で赤い花に出会った瞬間の感情を句にしてると言えなくもないが、それにしてはいろいろな仕掛けが人を食っていて、また、無用物語調で独特だ。一般的俳句なら、たとえば「握り飯ハイビスカスの色に染む」とかでいいわけだが、この句はその瞬間の風景以上に、遊び、のんびり感、山道を歩いてきてよいしょと腰を下ろすそのしぐさ…からああ花がきれいだな、という一連の感情を全てこの一句に込めようとしてるのだ。これを17字でやるのは、本来かなり無理筋なので、普通はもうちょっとワンショットに切り分けようとしたりするか、あきらめて短歌にいくかするだろう。その無理をやってる(そして、そこそこ成功もしてる)のがこの句の面白いところで、たぶん短歌増田が感心したところなんじゃないか

まあ、こういう句、狙って作るのはなかなか難しい(ちなみにこの作者・中村草田男は、こういうのをやたら作るのだが、ひどい失敗も多いので有名な人だ)。そういう意味でも、まあなかなかない句ではあると思う。あと、何も知らずにいろいろ書き飛ばしたので、もっと知ってる人から突っ込み入れてもらえたら感謝する。

anond:20240506061423

これを入れたいな、例えば美味しかったを入れようとする

この時点で短歌の考え方になっちゃってる。

短歌なら気持ちをそのまま入れてもいいけど、俳句基本的に物や情景をよむことで心情を表現する。

物や情景をよむものから季語がある。

anond:20240506061423

俳句とか教養ぶっているけれど、要するにラップバトルと同じだろ。

偉そうな態度気取って季語入れて、消臭が上手く行ったと思い込むその態度からにじみ出るバカらしさ、いい加減虚しくなったりしないかね。

短歌をやっている者だけど俳句って難易度ヤバすぎるだろ

どうも、趣味短歌をやっている兄ちゃんです

たまに俳句を作っては思う

俳句って難しすぎない?ってね

まずそもそも17音は短すぎる

これを入れたいな、例えば美味しかったを入れようとする。おいしかったは6音

17マイナス6音残りは11音、足りない

11音じゃすっごく足りないのだ

例えば私が好きなな短歌

野ざらしで吹きっさらしの肺である戦って勝つために生まれた」

これだって吹きっさらしで7音

戦って勝つために生まれたにしては14音である

後半の14音だけでもう俳句ほとんどの音数を

使ってしまっている、だから短歌は長い

俳句は短すぎる

それに季語が枷になるのもある

季語は5音、7音、それ以上いずれにしてもそこで

まず音数を消費する。

装備枠が決まっているのに、必ずこれは装備しなければいけない状態なわけで

そりゃ無季語俳句もあるにはあるけど、初心者がそんなことやったらただの川柳になるのは目に見えてる

から季語をどうかして入れてみるけど、入れたところで俳句にならない!ってのがよくある

から俳句は難しすぎるのだ

プレバトの才能ナシの俳句、例えば

満月に 煎餅重ねて 一対七』

こんな感じのだってまるでバカみたいだなと思うけれどこのめちゃムズの俳句と戦ってくれてると

考えるとそれだけですごいなぁと思うわけで

ていうかプレバトで才能ナシの奴は短歌をやれ

って奴がたまにいる。ムズムズする

短歌だったらもっとこの人うまいこと表現出来たんだろなぁって

から俳句をやっている、さらプロの方は

みんなすごい、あんたらはすごいよ

ここで昼餉真赤な夏の花佇つゆゑ

ちなみにこれが最近見た中で俳句ってすげー!!

となった一句です

2024-04-16

マンガ俳句で考えると、

季語は、美男子美女子ってことなんでしょおか?

2024-04-10

春めいてきて新しい戦法を編み出す増田ますだ見あを宇ポンせい白田規定メルは(回文

おはようございます

久しぶりにゲームの話よ。

オードムーゲの話しではないわ。

スプラトゥーン3も絶賛続け中!

ゼルダの伝説ブレスオブザワイルドクリアしちゃってロスってる感じ。

その100年前のお話の「厄災の黙示録」も買ったおいてあるけど、

ロスの気持ちサンジェルスなので、

なんかいまいち遊ぼうか!って気にならないぐらい余韻に浸っている感じかしらね

気になるのはやっぱり「プリンセスピーチ Showtime!」なんだけど、

今はスルー

遊んでみたけれどね。

コンスタンチンラヴロネンコに

って違う違うそうじゃないってマーチンが言いそうなほど

コンスタントにやり続けているスプラトゥーン3は

久しぶりに手に馴染んでいるセブンファイブオーライダーカスタムが火を噴くわ!

正しくはインクだけど。

近頃はすっかりハイドラントの火力の魅力に取り憑かれてそればかり使っていたけれど、

最近またセブンファイブオーライダーカスタムの魅力も再発見しつつ。

それは!

うそれはポイズンミスト

これめちゃくちゃ使えることを最近発見しまくりまくりまくりすてぃーなのよ!

ポイズンミストって対戦相手のチームの相手に喰らわせても直接ダメージを与えるものではないんだけれど

動きと鈍くしつつインクじわじわ減らしていけるので

その隙にキルる!と言うめるるならぬキルる!って感じなの。

もうこの手法作戦が決まったらもの凄く気持ちいいのよ!

接近戦に弱いセブンファイブオーライダーだけどポイズンミストで決まりね!

でもこれでポイズンミスト使っちゃうインクが半分ぐらい減っちゃうので、

残りのインクで決めなくてはいけない緊張感も走りつつ、

それを改善するべくギアの付け替えをしてもそう大きな効果は期待できないので、

残りのインクでどうしてもキメなくてはいけないのよね。

でも今まで圧倒的に接近戦が弱かったかポイズンミストを喰らわせて

アシストナンバーワン!を毎回受賞するようなぐらい立ち回れるようになってきたのよ。

私がかましポイズンミストで私がキルできなくとも

チームの仲間がトドメを刺してくれたら思わずナイスと言っちゃうわ。

地域ナンバーワン店を目指すなら

私はセブンファイブオーライダーでアシストナンバーワン!を目指すの。

使い続けて分かるそのブキの良さに再発見したところよ。

やっぱり私の手に馴染む早々に熟練度5の星をもぎ取ったでお馴染みのセブンファイブオーライダーだけあるわー

セブンファイブオーライダーカスタムの方はまだ熟練度星4つだけど、

これも5つ星ゲットもぎ取るの重いコンダラーだけど試練の道を

あともう少しで、

でも先にハイドラントの方が熟練度星5つをもぎ取りそうだけどね。

怖いのはチャージャーで熟練度星5つとかなってる人ってかなりの手練れと思うの。

遠くの高いところから狙って撃ってくるチャージャーは怖くないけれど

赤ずきんちゃんストーリーで狼がお婆さんの格好をして騙すようなぐらい怖い、

チャージャーが前進してきて、

なんでおまえ戦線最前線で狙ってくるんだよ!って恐怖よね。

前に来るチャージャーの人ってよっぽど立ち回りが上手い上手な手練れの疾風のようなザブングルを地で行くような感じで恐ろしいわ。

変に射程距離が短いブキで間合いを詰められるより怖いし、

赤ずきんちゃんストーリーで狼がお婆さんの格好をして騙すようなぐらい怖いわ。

最近の新マップステージもまだ慣れていない分、

どう立ち回って良いかからないステージも多いけれど、

なにせ新ステージは広めの塗っていたらやられるし

狙いに行ったらステージ濡れないし、

なかなか難しいところの立ち回りがあって苦労するわ。

春霞って言う春のかすみで遠くが見えないときもあるけど

私はポイズンミストでこの春を乗り切るようにしたいと思うわ。

改めて再発見したセブンファイブオーライダーカスタムのサブのポイズンミスト

もの凄く使えるようなことに気付いた春!

別れもあれば出会いもある、

そんな春なのよ。

明日春が来たなら松たか子って言うぐらいもう全部が春の季語なぐらい春!

春めいた春春らしい春うらら。

そんな春にしたいわ。

うふふ。


今日朝ご飯

豆乳コーンポタージュスープで決めて来たわ。

サクッと作って飲んでくるタイプの朝食ね!

おかげで時短大成功

べ、別に寝坊したってわけじゃないんだかんね!

今日デトックスウォーター

じ実は昨年の塩漬けの桜茶があったので

ホッツ白湯ウォーラーに桜茶の桜花びら開く

ホッツ白湯桜ウォーラーね!

さくらさくらした感じが春よ!

少し塩味の利いた微かな桜味ね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2024-03-09

エイプリルフールにはアメリカ文科省が決めた季語を使った俳句を詠むことが定番になっていますが、今年の季語は「東ニューオーリンズ」で、例えば次のような句がお手本になります。・春風の小径 anonymite anonymite amphibious landscape on to-be 2月 anonymite anonymite anonymite anonymite 2021年jailbreakにはめぼしい新機能がなくて、既存フロントエンド開発者さんがgoogleappleのことをバカにしていたのを思い出しま

Anond AI作成

2024-03-06

桜が咲いて散るのは当たり前。季語に含まれる内容を述べるな

怖くて泣いちゃった。

2024-03-05

夏の季語 〜ニンニク入れますか〜

ついに来た 来いよニンニク 入れます

今男 ニンニク入れますか アブラ

いざニンニク (いつもと同じさ) 入れますか (季語を分かつ手法と入れますか?と入れようのダブルミーニング手法

2024-02-11

豚汁の 豚がなければ ただの汁

この句は、日本俳句形式に従って書かれたもので、俳句の特徴である季語や切れ字、五・七・五の音数を含んでいます。その意味は、非常にシンプルものですが、奥深いニュアンスが含まれています

豚汁の 豚がなければ ただの汁」

この句は、豚汁の中には豚肉がなければ、単なる普通の汁に過ぎないということを示唆しています豚汁日本の伝統的な料理であり、その特徴的な味わいは豚肉からくるものであり、豚肉がなければ豚汁とは呼べないということを表現しています

この句は、物事には欠かせない要素があるということを示唆しており、その要素が欠けてしまうとその物事本来の姿や意味を失うということを暗示しています

2024-01-12

睡眠意識して摂った方がいい増田住まい胃がうほたっとて色紙違反椅子回文

おはようございます

昨晩はわざと良き睡眠時間を確保しまくりまくりまくりすてぃーのために

ご飯晩ご飯あえて食べずお酒も飲まず、

風呂入ってからちょっとテレビ見てほんと1時間も無いぐらいで帰ってからすぐに試しに寝てみたら

快調快調!

寝て起きたときの、

身体ダルさが無いのよね!

まあ人にもよるかも知れないけど、

やっぱりとしてやっぱりなことはやっぱりそう思ったのよ!

何がやっぱりかと思うとやっぱり夜寝る前にご飯食べたりお酒飲んだりするのはよくなきかな!ってこと。

この調子好調睡眠の質と時間を確保して夢で会いましょう

つーか

よく寝られてるかの度合いの判定とは違うのかも知れないけれど夢見んのよね。

それもそれでインスピレーション発見あるから面白い夢見れたらラッキー程度のラッキーを感じつつ、

睡眠はたぶんせっかくサプリとか飲んでもそれを夜回復させる時間に費やすためのある程度の睡眠の質と時間必要なのかもしれないわ。

まだ2回しかやってなくて2回実感あるから

それはそれでいい具合なのかも。

あと睡眠測定デバイスも、

点数評価するよりも

何となく睡眠時間と質をグラフで見るほうが私はいいかもしれないのよね。

なんでかというと、

良く寝たー!って思っても睡眠点数が60点!とかあるときはなんで?って思うし、

あんまりいまいちー!って思ったときが84点とかあんのよ。

体感したときの実感と点数の開きの差が大きいので鯵の開き!

差があるので、

それでモヤモヤするよりかは

単純に睡眠の質と時間グラフにした方が納得感がある納豆食う朝定食でもあるのよ。

私がだから思うに

鯵の開き納豆定食があれば最強!ってこと!

まりあんまり焼き魚の朝定食気合い入って朝から干し魚の開きの焼きの定食はないので

久しぶりに鮎沢パーキングエリアの朝定食食べたいなーって。

パーキングエリアチェーン店系が入ってきて

地元インディーズ飲食店どこがやってるかよく分からないけど謎に美味しい時のそう言うパーキングエリアご飯にあえたら嬉しいじゃない。

そのぐらい同時に睡眠も嬉しくしっかり取りたいものなのよね。

パーキングエリアとかサービスエリアとかで予想付かない定食あったら飛びついちゃうもん。

チェーン店とかのメニューなら、

うーんわざわざ旅に出てまで牛丼!って思っちゃうのよ。

牛丼牛丼で美味しい食べ方ってあるじゃない、

たぶん私的にはサービスエリアパーキングエリアで食べる牛丼は違うって思うのよね。

から地元のなにか企業とかが運営している地元のお母さんがご飯をよそっている感じの

サービスエリアパーキングエリア定食って思いがけない出会いがあって

本当に一期一会を一碗を大切にしたいって言わんこっちゃないのよね。

そのぐらい旅の充実度は変わってくるから

それとほぼ同時な思いで私も睡眠も質を良くしていきたいキャンペーンに辿り着いたってわけのここ2日間の出来事だったの。

頭もスッキリして

良いアイデア浮かびそうよ!

増田も筆が進みそうってなもんよ!

打ち込むのはキーボードだけどね!

あんまりよくメカニズムは解明して知らないよく分からないんだけど、

なんかやっぱり頭がスッキリしているモヤモヤした感じ

朝起きたときのだるーって感じがないのよね。

それだけでも凄くない?って

驚き屋も驚きの白さ!ってあの洗濯洗剤で驚く感じのスッキリした感じが、

やっぱり強調して言いたいポイントでもあり要点でもあり重要な点でもあるのよ。

なるほどねー、

睡眠ナイヤガラにないがしろにしてはいけないわってことを滝に免じて思うのよ。

なるー!ってここで言わなかったのは

もう秋の祭典が終わってなるー!は秋限定季語になるから

秋以降はなるー!って言うのはなるべく使わないように!って言うのが

なるほどの原点なの。

ちょっと良いと思って実感するこの睡眠体験継続して続けてみたいと思うことをここに記し記し記しまくりまくりすてぃーなことを思う山脈に向かってヤッホー!って叫んでおきたいのよね。

案外さー

もう食べ物とか何かそれ系のものを気を付けても、

それを吸収して身体還元する効果を現すためにはそれそこで睡眠なんじゃないの?とも思ったりしたわ。

でもさ、

早く寝ると夜遊ぶ時間が無くなっちゃうから

それはそれで相反する対応必要

なんとしても遊びたいと思いつつ寝たいとも思いつつジレンマに駆られる事態でもあるわ。

天秤に掛けたときちょうどいいところで釣りあるような重さを量る天秤があったらいいな

うふふ。


今日朝ご飯

チキンサンドね。

ちょっとやっぱり夜食べない分朝食べられる元気にも繋がるから

食べたい!って思ったもん勝ちじゃない?

食べれるときに朝昼は食べた方がいいかなーってところよ。

チリチキンに茹で玉子バッチリ決まって美味しいに決まってるじゃない!

この組合チキンタマゴでダメ組合せってないわよねー。

ボリュームがあって食べ応えあるのも

お腹空いている朝にはピッタリはまるわ!

デトックスウォーター

ホッツ白湯ウォーラー

ストレートホッツ白湯です。

朝何しろ寒いので、

お湯沸かしてふーふーして飲んで身体を温めて活動オンにしないと!

快調せっかく寝たのにって思うし元気いっぱいのスターティングレッツスタート!ってなもんよ!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2024-01-02

季語って移動しないの?

甘酒は夏の季語らしい。江戸時代甘酒は夏の名物だったかららしいのだが、現代においては正月名物だろ。

歴史的に夏のものからのものとして扱うなら甘酒を詠む俳句現代においては事実上不可能になるのではないか

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