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はてなキーワード: 長男とは

2017-04-28

ちゃんと生きてるのが信じられない

東北の片田舎に生まれた。

親父様は酒と野球ギャンブルが大好きなクズだったが、浮気無職借金だけはしない洗練されたクズだったので最低限の生活は保てていた。

鼻水を垂らしたまま何も考えず中学生になった僕は、そのまま何も考えず地元底辺工業高校に進学した。

大学進学率0.3%未満の絵に描いたような地域密着就職支援高校だった。

バカ貧乏次男坊のフルコンボを駆使し田舎を出て神奈川の大きな工場就職した。

なぜか筋トレとか走り込みとかが日課の軍隊みたいな会社

「僕ぁ、こんな事をする為に高校プログラムを覚えたわけじゃないんですよねえ」等と同期のヤンキー達に吹聴してたら流れ的に辞めるしかなくなった。

はいえ、ホントプログラムなんか言う程できたわけじゃないので、どっかの会社に応募して落とされたら、周りも納得するかーなんて軽い気持ちでテキトーに選んだ会社に応募したら内定きた。

その会社アセンブラかいミトコンドリアみたいに原初プログラム言語を叩き込まれた。

おかげで、CだろうがCOBOLだろうがC#だろうがJAVAだろうがハイソサエティだよね、て気持ちになれた。

結局そのままいろんな会社転々としつつもプログラム仕事を今でも続けられ、不自由なく暮らしていけてる。

て、おかしいだろ。マジで

僕の未来予測では35歳になるまでに、能力的に限界がきて、pepperくんに仕事を奪われ、飲んだくれた挙句アル中で手の震えが止まらキーボード打てなくなり、プログラム以外の仕事もできず、部屋に引きこもりxvideosばかり見てたら奥さんに愛想をつかされ、底辺高校に行かせるのがやっとの長男と、承認欲求をこじらせてニコ生やらツイキャスやらで裸体を晒す娘を連れて出ていかれるハズなのだ。今頃。

だが、現実はどうだ。

天海祐希似の奥さんと、映画CMとかで使われるくらい良ロケ高校に通う長男と、部活に汗する健全な娘に囲まれ、それなりにシアワセに生きている。

小学校時代に道端で座り込んでた奇妙な婆さんに「お前さん、34で死ぬよ」と言われ、なるほどですねーと過ごしていたが、既にそのXデーから十年以上経過しても元気に生きている。

たぶん、何十回か別の世界線で死んでるよね?僕。

じゃないと、そろそろ変な死に方しそうで怖い。

それか、首からケーブル抜かれて目覚めるか。

2017-04-27

自閉症長男(5)

人を叩いたり、追いかけ回したり、悪いことの認識ができてないので同じことが繰り返され続けてつらい

東北人はカス

東北でよかったなどと言ってるが、東北人はカスだ。

祖母遺産相続長男が仕切って、自分は1億以上もらって、うちの母と伯母は600万程度もらっただけ。

母も伯母も揉めるのが嫌だからそれ以上の権利を主張しないで終わったらしいが。

東北はだめだ。

2017-04-06

http://anond.hatelabo.jp/20170406190108

いやな事件だったね。

高島忠夫長男殺害事件たかしまただおちょうなんさつがいじけん)は、1964年昭和39年8月に発生した殺人事件である

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B3%B6%E5%BF%A0%E5%A4%AB%E9%95%B7%E7%94%B7%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

1964年8月24日未明東京都世田谷区上野毛に在住の俳優高島忠夫方より警察及び消防へ「息子が風呂に沈められ、部屋が荒らされている」との通報があった。

…中略…

この時に「この赤ん坊さえいなければ高島夫妻の愛情は私に戻るのではないか」と考え、気がついたら長男を湯船に沈めていたという。

高嶋政宏は二男

長男乳児の頃に殺されたんだと。

知らなかった。

2017-03-30

同僚が精神を病んだ

同期がきつい現場で順々に精神を病んでドロップアウトしていく。その同期の仕事は誰が巻き取るか。残された俺だ。大変だ。でも、精神を病むってほどでもない。俺は、精神を病まない。きつい現場と書いたけど、俺からしたらきつくない。ちょっと忙しいかなくらいだ。

同期には、ゆっくり休んでほしい。本人は辛かろう。もう俺がけろっとしてることすら、今の奴にとっては辛かろう。他がけろっとしている姿を見ると、自分が弱い気分になる。弱い気分になると、ろくなことがない。でも、魔法使いが打撃食らって死んだって、弱いことにはならんのだ。逆に、打撃で倒れんからといって、誇れることでもない。世の中は、うまくできている。

ただ、俺はこういう時、妹が風邪学校を休んだ日を思い出したりする。妹は、高熱で苦しんでいる。大変だ。でも、俺は学校を休めていいなあとか思ってしまう。本人は辛いだろうが、ちょっと羨ましい部分もある。そういう気分だ。俺だって大丈夫なだけで、痛みがないわけじゃない。休めるなら休みたい。

いや、違うか。違うな。実は、そんなに切実に休みたいとも思ってない。俺には「精神を病む」という手札がないので、純粋に手札が一枚多い奴を見て、ちょっと羨ましいんだと思う。俺のデッキに入ってないキラーカードを持っている奴を見て、「うおお、なんだそのカードは」と思っているんだろう。俺の通っているショップでは、そんなカード出たことがない。

妹に対しても、そう感じたことは何度かある。奴のデッキには「長男ではない」「末っ子である」という恐るべき強カードが入っている。何度母から「お兄ちゃんでしょ」というマジックワードねじ伏せられたかからない。もちろん俺のデッキしか入ってないカードもあるので、妹も同様に羨ましがっていたかもしれんが。隣の芝生は青いものだ。だから、俺らは素直に青い芝生を羨ましがっていたのだと思う。

今も、そんなかんじだ。当然のごとく俺が奴の仕事を引き継いでいるが。誰かから「お兄ちゃんでしょ」と言われている気分だ。あのかんじにすごい似ている。頑丈なので、なんとなく俺にダメージが降ってくる。俺なら耐えられるという理由で。奴らは精神を病むことでSOSの声をあげられるが、俺は俺の大変さをどうしたらいい。一枚少ない手札で考える。「解せぬ」と思う瞬間が、なくもない。

こうして羨ましいと思うこと自体が奴の負担になるのかもしれんので、難しい。まあ、ケツ持ちしてダメージ引き受ける人間特権として、ちょっと愚痴は許してくれるとうれしい。これが俺の辛さだ。倒れ方がわからんので、多分最後までこんなかんじだ。大丈夫。なんとかする。あまり気にするな。

妹が風邪で休んだ日、俺はよくスーパーアイスを二本買ったものだ。それは風邪をひかず健康である負い目みたいな部分もあるし、結局俺は妹のことが好きだったんだと思うし、兄貴というのは弱っている妹にアイスくらい買ってやるものなんだと思っていたような気もする。もし、あいつの負担にならないようなら、慰労会くらいしてやりたい。元気になったら、また一緒に仕事がしたいとも。

2017-03-17

自分では何も出来ないという話。

思えばずっと甘やかされて育ってきた。

以下、かなり長い自分語りが続くので注意。

先に今現在の話をしておく。

現在私は大学の2回生で、2回生とは言いながら単位を落としすぎて留年した身であるクズと言っても差し支えないだろう。実家田舎のため上京して都会の大学に通っている。具体的金額は伏せるが、親には割と多めの金額仕送りとして貰っていた。

私は長男として生まれた。結局2人目以降は出来なかったので、1人っ子として育った。

不自由ない生活をしてきた。

幼稚園の頃から愛情たっぷりに育てられた。

特に母は本当に私に優しく接してくれた。

私が幼い頃は父と母がよく夫婦喧嘩をしていて、父がよく大声で怒鳴っていたし、母が私にその愚痴を漏らすことが時々あったので、幼少期の私の両親に対する印象は、母が優しい人で、父は怒らせると怖い人、という印象であった。

当時の親や周囲の私の印象は「我の強い子」であったらしい。思い通りにならないと直ぐに癇癪をおこしたそうだ。記憶する限りでは、水泳の授業が嫌いで、水泳のある日は玄関先でこれでもかと言うくらいに抵抗していた。

母は躾はしっかりしていたので、例えば服を脱げば洗濯機に入れるとか、食べた後の食器は台所に運ぶとか、そういうことはきちんと私に教えたし、私も素直に聞いていたらしい。

私が小学校に通うようになると、色んな人と関わる機会が増えた。他の友達の家に遊びに行くようになった。遊びに言った感想は、「何だかちゃごちゃしている」といった感じだった。恐らく共働き家庭だったり、親があまり片付けたりしないような家庭だったのだろう。もちろん綺麗な家庭も、恐らく3割くらいはあったと思うのだが、子供心に「他所の家庭はもっと雑」という印象が残った。そういう余計な影響を受けて、これまで躾られて出来ていたことをしなくなったらしい。これは結局高校卒業までしていないことになるので、相当である

関係あるのかどうかは分からないが、この頃に学校でも奇行が目立つ。喧嘩が弱い癖に、喧嘩をよく吹っかけた(そして返り討ちにあっていた)。小学校低学年だからまだ許されたのだろうが、かなり過激なことをやった。クラスメイトスカートを捲ったりもした。当然学年中の女子から嫌われた。馬鹿である。当たり前のように友達は居なくなった。落書きをよくするようになった。友達ほとんど居なくなったが、ノートにでかい絵を描いて(というか落書きをして)それを見せびらかしたり、長い迷路を書いたりして、周囲の興味を引こうとしていた。健気と言えば健気である。「友達が欲しい」とよく言っていたそうである母親に泣きついたりしていた。

母親も、この時期は何故かかなり厳しかった。もちろん素行が悪くなったこともあるが、他にもゲームの件がある。私は幼稚園卒業するころあたりからゲームが好きだった。あまりにも没頭するので、「1日に30分まで」という制限を課された。が、それを素直に受け入れるわけもなく、毎日のように文句を言ったりして親子喧嘩をした。思えばなぜあそこまで熱中していたかは分からないが、ゲームは今でもかなりやっている方だと思う。とにかくゲーム人生のようなものだった。多分尋常じゃないくらいのハマりようだったのだろう。

そんな小学校低学年を送った。

中学年(3年生)くらいになると、流石にさっきのような奇行はなくなった。が、失ったものはそう簡単には戻らない。相変わらず孤独生活をしていた。この頃になると、いわゆる「クラスの人気者」に対して逆恨みから喧嘩を吹っかけていたような記憶がある(そして返り討ちにされる)。まあとにかく、喧嘩が絶えなかった。そんな時味方でいてくれたのはやはり母である。母は相変わらずゲームに関しては厳しかったが、学校での対人関係では味方でいてくれた。おそらく私の悪い点はちゃんと指摘していたのだろうが、それでも当時の私からすれば無条件の私の味方だった。

悲しいことに、それでも自分の思い通りにならないことがあると癇癪をおこして親に暴言を吐いたりしていたらしい。

高学年になると、県内進学校目指して中学受験勉強をするようになる。低学年の頃から学力の高さには自信があり、塾ではほぼ成績1位であった。まあ、自主的勉強していたわけではなく、自宅での勉強は母が付きっきりだった。しかし、受験しようと言い出したのは私自身であり、親としては別に受験はしなくてもいいという意見だったそうだ。負けず嫌いだったのもあり、勉強苦痛だったが我慢してやれていた。

この頃になるとわりと多くの友達が出来ていたように思う。まあ、親友と言えるほど親しい相手は数人なのではあるが。

小学校通して、友達が少ないという割には活発で、よく色んな人と遊んだ矛盾しているように聞こえるが、要するにそんなに仲良くない人にも突っ込んで遊びに誘っていたわけである友達を人数で計って多い方がいいと言う単純な発想で、家に1度に多くの人が遊びに来た方が偉いという考えである。今思えば極端すぎるが…まあ、自分の好きなもの優先なので、病院に行く予定があるのに勝手に遊びに行く約束を重ねてそちらを優先しようとしたりとかしていた。自己中心的の極みである。まあ、当然親に怒られるのだが…

そしてついに女子からの評判は最悪のまま小学校生活を終えた。まあ、妥当である。ことあるごとに私のことが嫌いという態度を取るので(一種いじめである。いわゆる「〇〇菌がうつる」とか、席替えで隣になった女子が机を離すとかは日常茶飯事)、こちらも腹が立ってよく喧嘩を吹っかけていた。今思うと馬鹿であるが。女子というものは口達者で、特にそういうところが嫌いだった。女性なんて信用してなるものか、女性というのは陰湿で口達者で陰険で裏表のある連中だ、と子供心に思った。

無事志望校合格して中学生になった。この頃からコミュ障を発揮し始める。元々喧嘩を売るしかコミュニケーションの取り方を知らないのだから仕方がないのかも知れない。人との距離の取り方が分からない。友達が出来なかったわけではないが、そんなに多くはなかったと思う。この頃ラノベにハマる。オタク路線まっしぐらである…かと思いきや、意外とドライであった。色んなラノベ漫画を読むのではあるが、一つの作品キャラにどっぷりハマることは無かった。グッズなどはあまり買わなかった。

相変わらずゲームが好きだったし、その事で母と揉めていたのも相変わらずである。ただ、褒められる機会は減ったような気がする。相対的に怒られることが増えた。この頃になると、私にとっての母の印象はただ怒る人になってきていた。

この頃「うごメモ」に出会う。当時DSiパラパラマンガアニメーションを作れるソフト配信されていたのだか、これが使いこなすと結構クオリティの物が作れる。これをインターネット投稿出来るのだ。凝り性な私が作ったうごメモ一定の評価を得た。そのジャンルではそこそこ名の知れたという程度の作者にはなった。どハマりしたのは言うまでもない。やはりそこでも母との対立であるクオリティの高い作品を作りたいのに、時間制限(しかもかなり短い)を課してくる母が憎かったのは覚えている。

まりにやめようとしなかったので、ついにそのDSi永遠に没収された。突然の引退である。同時にゲーム禁止令を出され、これが4年間続くことになる。うごメモ続けたかったのに。

一方で生活面ではさながら幼稚園児かというレベルでの親への甘えっぷりが続いていた。至れり尽くせりである。何でも母がやってくれるのである。この頃から生活面での親へ依存から全く抜けられていない。要するに親離れ出来ていないのだ。この時点で母も対策すべきだ思うが、甘やかしてこのまま放置されていた。

中2のとき初恋をした。クラスの中でもかなり可愛い子であり、要するに私は面喰いだったわけである。先述の女性不信の癖に、「この子だけは純粋無垢で優しくて大丈夫」とかい根拠の無い自信があった。ハマるととことんハマって思い通りにならないと嫌な我の強い性格がここにも発揮されたのか、とにかく追いかけ回す、その勢いまさにストーカーと言っても差し支えない。当然嫌われる。だが、その子は優しいので直接的に迷惑と言わない。告白してもフられるものの、嫌いだとハッキリ言わない。そういうわけなので、私は「ワンチャンある」と3年間くらい信じ続けるハメになるのだ。

そのくせ、何故か他の女の子にもアタックした。いや、アタックしたというか、ただ手当りしだいに告白してただけである。その人数たるや7人である。たぶん誰でも良かったんだと思う。誰でもいいから、異性に好かれたかったのだ。女性不信のくせに。結果は全滅である。当然といえば当然。まあ仲のいい女子なんてひとりも居なかった。関わる機会が無かったわけではないはずなのだが…部活女子の方が多いのだが、部のほかの男子女子と仲いい癖に私はなんとなくその輪の外にいたような感じだった。私だって女子と仲良くしたかったのに。ずっと決まった男子とつるんでいた。間違いなくスクールカースト下層だった。

こういう学校のことは、親にはあまりさなくなっていた。なんだか恥ずかしいのである。なんというか、学校生活、つまり小学校より成長した感じを両親に見せたくない。ずっと小学生のままで居たいような感覚である。要するに甘えてるのだ。この期に及んで。一丁前に恋なんかしてる姿なぞ死んでも見せたくなかった。

高校でもこんな感じである。この頃にはすっかり物事に対するやる気というものをなくし、宿題すらやらなくなって行った。学校に行ってる間は授業はそこそこ真面目に受けるのだが(人並みである)、自宅では全く勉強しない。面倒くさいし、自主的勉強してる姿を親に見られるのが何より気持ちいからだ。

まあ、塾に行っていたのと、学校での授業はそこそこ真面目に聞いていたお陰で、わりといい大学には合格したのだが、自習はほぼ全くしていない。勉強する習慣も皆無である部活も、文化部ではあったが、練習は真面目にやらなかった。努力らしい努力をしてない。この頃にはもう何かを頑張ると言うことをほぼしなくなっていた。何故だろうか…。

ずっと家でこっそり買ったゲームをしたりとかしていた。

そういえば中高生とき携帯スマホの類は親が買ってくれなかった。理由は明白である。まずゲームの件があるから電子機器を与えるのはまずいし、トラブルを引き起こすことも多くメールなどさせたくなかったのだ。一方私としてはそういう電話とかメールとかLINEかいう繋がりから自分が疎外されているのが嫌で、またそれが原因で輪に入れないのが嫌でやはり抗議した。そして親子での衝突は絶えなかった。

そして大学一人暮らしである

親に甘え続けスネをかじり続けた結果、ろくに身の回りのこともしないクズ大学生の出来上がりである。面倒くさいので次第に出席すらしなくなり、面倒くさいのでテスト勉強はせず、部屋の片付けもせず、洗濯は週1回、辛うじて風呂にだけは入るという堕落しきった生活である自炊などもってのほか仕送りは遊ぶ金(しかも大概一人で遊ぶのである友達もほぼ居ない)に消える。自分自身酷いと思う。

少しは書いたが、高校までの私の親に甘えきった生活も改めて書くと、

着ていた服を洗濯機に入れるなどせずに脱ぎ散らかす

食べ終わった食器放置

偏食が激しく母にはわざわざ別メニューを作ってもらう

部屋の片付けも母担当、の癖に母の片付けにいちいち文句を言う

風呂入る順番と時間文句を言う(入りたい時間に、1番目に入りたいのである)

などなどまあ酷いものである。下二つは文句を言って結局喧嘩になるのだが上三つは本当にそうであったのだ。ちなみに偏食の件、最初は本当に偏食であったのだが今は大体の場合「親の前でだけ食べられない」感じである。親がいないと普通に食べるものも多い。

まりに酷いので私自身が高二あたりの時に「小さい頃甘やかしすぎたからこうなった」みたいな事を親に言ったら「私の育て方は間違ってない、あんたが勝手にそんなクズになっただけだろ」と言われた。でも親に甘えちゃうから自分から直す気がないあたりが私のクズっぷりである喧嘩ばかりしてきているし親は嫌いだ。でも親に依存している。

最近は「努力ができたらなあ」と切に思う。目標があっても、そのためになにもしないので何も変わらない。面倒くさいからだ。何か行動を起こし継続して努力出来れば、とよく思う。でもできない。自分の好きなことにすら努力出来ない。

ただ、人にちやほやされたいだけ。承認欲求の塊である過去孤独からだろうか?親の愛情は少なくとも幼少期はたっぷりに受けてきたはずだ。自分に自信が無い。どうしてだろうか。虚栄心ばかりだ。まるで山月記の李徴である。臆病な自尊心尊大羞恥心の獣である。変なプライドだけはある。

さて、どうしようか。

2017-03-15

http://anond.hatelabo.jp/20170315145610

俺の死んだ爺さんもそれ言っててギョッとしたが、どういう価値観なんだそれ

その墓守っていうの

自分長男長男長男が生まれたら「墓守が確保された」って喜んでてビビッた

どうでもええやろ墓なんか…

てか小学1年ぐらいの子に「墓守」とか言ってておぞましかったわなんか

http://anond.hatelabo.jp/20170314181833

長男気質からなのか

小学生の頃から社会人の今に至るまで

年賀状クラスメイト職場の同僚全員に出し

義理チョコには義理チョコを返すように心がけていた。

しかしながら5年に1回ぐらいは

調子にのってチョコなんて配って何を企んでいるんだ。

勘違いも甚だしいし下心見え見えで気持ちが悪い。しね」

という内容の影口を叩かれていることを知ってしまう。

実際に聞いたこともある。

思えば1月1日にくる年賀状も多くて7枚。

平均3.78枚。

ももう今年で27歳になります

これからは分をわきまえて

年賀状上司しかさないし

義理チョコを誰かに渡すこともしません。

人間として人らしく社会に受け入れてもらえるよう

分をわきまえて慎ましい暮らし精進していく所存なので

どうかお手柔らかに。

2017-03-14

自分

当方大学3年生、就職活動真っ只中であり、先月失恋したばかりでもある。以前とある就活セミナーにおいて、「自分史」を書くと自己分析捗ると言うので纏めてみようと思ったのだが、なんだかダラダラ書いてしまいそうになるので、人の目に触れるという条件ならばちゃんとした文章になるのではないかと、此処「はてな匿名ダイアリー」に試験的に投降してみた。

以下、私立文系現役就活生、その半生のあらましである

誕生小学生時代

私はとある裕福な家庭に、長男として誕生した。

母は底辺出身で、元ヤクザ幹部を父に持ち、成り上がる為にスパルタ教育を叩き込まれ秀才であったものの、「女性である」というただ一点で、評価されることなく、夢叶わなかった人間である

父もまた、底辺出身であり、米の代わりに芋を食うような家で育ち、早くに両親を亡くした境遇を持ちながらも、最終的にはF欄大学だが主席卒業し、好きな分野で食っていこうと考えていたが、推薦で入社した会社が急成長を遂げ上級管理職となってしまい、念願の技術屋にはなれなかった人間である

そんな両親の元に、私は産まれた。

母親は自らの経験から所謂教育ママに、父親は古風な家庭で育った為、マナー生活習慣にこと厳しかった。

両親は私を教育するために、自らのストレス妄執をぶつけてきた。

「どうしてこんなことができないのか」「私はあなたにこんなに投資しているのよ」「お前の為にやりたくもない仕事を続けているんだ」

両親の理不尽社会に対する呪詛が、私の実存破壊していった。

私はまた、いじめを受けてもいた。当時はまだ運動もできずどんくさい奴だったからだ。殴られたり蹴られたり、避けられたり、悪口を散々言われたりした。

親にいじめ告白したものの、「男ならやりかえせ」の一点張りでとりあってはくれなかった。

憎かった。両親が、周囲の人々が、社会が、世界が。

両親に叱られる度に、いじめられる度に、「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す…」と自分の部屋で唱えていたのを覚えている。

本気で両親やいじめっ子を殺す計画を立てたこともあるし、逆に自殺しようと思ったこともあった(いずれも発見されたことで未遂に終わっている)。

上記の計画が失敗に終わった為、何も感じなくなるように、心を殺せるよういつも自己暗示をかけていた。

力が欲しかった。死にたくなかった。生き抜く力が欲しかった。そして認められたかった。愛されたかった。

そんな自分に味方をしてくれた人間が一人だけいた。祖父であった。

祖父はどうやら自分の娘にスパルタ教育を施したことを負い目に感じているようで、両親(特にからから暴言を良く諌めてくれた。

共働きの影響でよく一人で夕飯を迎えなくてはいけない自分に、良くご飯を作ってくれた。(味は大味すぎだったが)

昔の話を交えながら、「力」について色々と話してくれたのを覚えている。暴力権力学力、魅力…生きていくための力について…

戦中戦後混沌とした日本を力が物言う世界の中生き抜いた祖父一言一句には、老い衰えながらも凄まじい説得力があった。

中学生時代

私立に進学させようとする母親に対し、祖父後ろ盾を得ることで私は無事希望通りに公立中学校に進学することができた。

祖父から「力」について学んだ結果、小学生時代において最底辺だった自分スクールカーストものの見事に逆転した。

陸上競技を始めたことで身体を鍛え、喧嘩も強くなったし、会話術を学んだことで周りから慕われるようになり、部活部長や、生徒会長などリーダー役割兼任したり、学力も向上しトップはいかないものの上位に食い込んだ。そして異性の友人がぐんと増えた。これまでの環境が一変したのだ。

だが母親干渉は止むことはなかった。認められることもなかった。学業邪魔になるから課外活動は止めろと言い、トップになれなければ意味はないと口うるさく言ってきた。無理やり塾へ入れたりもした。

そして環境の変化は「人の心というのは力次第でこんなにも変わってしまうのか」と一種疑念を抱くきっかけにもなった。

それでもなんとかやっていけたのは、唯一本音を話せた祖父後ろ盾と、貧乏すぎてろくな学生時代を送れなかった父親わずかばかりの支援があったからだ。課外活動を維持できたのは父のおかげである

(父は学業、というか母の行動について全くと言っていいほど干渉しなかった。巻き込まれるのが嫌だったというのもあるが、仕事に手一杯で余裕がなかったというのもある。事実ウツ一歩手前であった。)

だがこんな日常が長く続くことはなかった。

母の希望によって、確実に試験突破できる県で2番目に高い進学校入学することが決定したその日、唯一心から信頼していた祖父自殺してしまった。祖父肺炎に長くかかっており、これ以上迷惑をかけたくなかったということ、妻(祖母のこと)を亡くしてからずっと孤独を感じていたということが遺書には記してあった。そして「生きろ」とも。

私が祖父の亡骸を観た時、感じたのはひどい喪失感と「生きることに逃げた」という感情から来る怒りだった。

コレ以降、母の私への干渉は激化することになる。

高校時代

私は初めて心から挫折を味わうことになった。私が進学した高校田舎にあったため、小学校から高校まで、ほぼそのまま上がってくる人間ほとんどであり、既にクラス内にコロニー形成されていた。異なる地方から来た私は、その風習に上手く馴染むことができなかった。

加えて、地頭いいわけでは無い私に対し、周りの人間自分より何倍も優秀な奴らばかりであり、中学時代形成されたちっぽけなプライドはぐしゃぐしゃになってしまった。存在理由否定されたかのようにも思えた。

また、再びいじめを受けることになってしまった、いや、巻き込まれたと言ったほうが正しいだろうか。

入学当初、私と同様、雰囲気に馴染めずいじめられている生徒がおり、私は一度正義感故に彼を庇った。それをきっかけに私もいじめの標的となった。担任先生にも相談したものの、「彼(いじめられていた子)の面倒は君が見てくれ」と聞き入ってはくれなかった。(その先生が私が入っていた陸上競技部顧問だったのだから笑えない)

いじめは年度を超えて行われ、いじめられていた子がいじめを苦にして高校を退学し、いじめ実行犯学校から指導を受けるまで続いた。2年次の後期まで続いた。

学校はその事実隠蔽した。

その結果、部活遠征中に競技出場名簿を改ざんされ体育祭に出ることは叶わず(当日までわからなかった)、

女装して踊る予定だった文化祭は前日に衣装を何者かに隠され(これまた部活遠征でいない間の犯行だった)出演することができなかった。(当日来てくれた他校の友人たちに色々謝ったのを覚えている)

その他はまあ陰口や悪口無視程度で済んでいた。いじめは人の業だと割り切っていたし、自分の心を殺せば、特にダメージはなかった。

後ろ盾を失い、学校はいじめを受け、家では両親から干渉され、行き場を失っていた自分は、性に逃げていた。我ながら最低だったと思う。

中学時代に作った女友達のツテを使うことで、絶えず女の子を紹介してもらうことが出来た。

の子の家庭環境や、生い立ち、タイプ男性など様々な情報を聞き出し、ニーズにあった男性像を演じれば、簡単彼氏彼女関係になることもできた。(例えば片親の子なら包容力のある、甘えられる都合のいい男だったり)

承認欲求を満たし、そのうちに罪悪感に苛まれ自分から関係を切っていくというループに陥っていた。最低だと分かっていながらも止められなかった。

そして人の心に対する疑念は更に高まっていった。

いじめが止んだ高校3年次

なんと今までじぶんやあの子いじめてきた人間が、取り巻きが、なにごともなかったかのように普通に親しげに接してきたのだった。これには絶望した。本当に絶望した。いじめ自体は人の業だと、生物習性だと、遺伝子しかたないのだと、割り切ってきた。仕方のないことだと。心を殺して耐えればいいと。しかしなんだこれは、お前らは十字架を背負うこと無く、一切の反省もなく、悪びれもせず、気まずさもなく、あの時俺が挨拶をしたら無視をしたくせに、ただ自然に「おはよう」だと?「いっしょに昼ごはんどう?」だと?「あいつ(いじめ主犯)最悪だよね」だと?グループワークで一切否定してきたくせにこんどは尊重だと?一緒に勉強しないかだと?なんなんだお前らは一体何で出来ているんだタンパク質か喋るタンパク質なのかこれが人間かそうかそうかこれが心か

今まで私は人の心を操っていた反動で、くだらないことにある種「理想的人間関係」というものを思い描いていた。お互いにお互いを高め合える関係 友情努力勝利

いつか素晴らしい友達出会えるのだと、そう信じていた。

私はほとんど学校に行かなくなってしまっていた。公園にいってひたすらに筋トレや走り込みを行い、図書館に篭り、救いを求めて哲学書や思想書、自己啓発書宗教の本を読み漁り、

部活だけ出て帰る。授業をバックレることもあった。幸い制服が無く、度重なるストレスのせいか老け顔なので、補導されるというのはなかった。親に見つかっても怒鳴られるのを耐えればいいだけなので、平気だった。

本を通じて様々な思想を取り込んでいく中で、ただひたすらに耐えるだけだった親に対しての反抗心が芽生えていくのを感じた。

そして遂に「俺はお前の人形じゃないんだよ」と叫ぶことができた。「ごめんなさい」と泣かれた。「すまなかった」と言われた。12月クリスマス前のことだった。

受験勉強をすっぽかして読書思索にふけった結果、案の定成績はビリから3番目であり、浪人をすることになった。


大学時代

から刷り込みによって、座学が完全にアレルギーになってしまい、勉強をすればするほど体調が悪化しながらも、なんとかそこそこの私立大学に潜り込むことができた。

続きは後で書きます

誰かと一緒に何かをシェアして食べることが異常に不快

長子育ちで、わりとなんでもトップバッターで独り占めしながら生きてきたので(これを言うと皆に長男長女ってそういうもんじゃないと言われるのですが)、

とにかく他人料理シェアすることが苦手です。

焼肉や鍋ならいいんですけど、4人ぐらいのランチなんかで

「みんなで別の種類頼んで、シェアしよう〜」

的なあさってなこと提案されると、心の底からゲンナリします。

自分で選んだ好きなもんを、ひとりで全部食べたいんで。

大人からそういう場で反論はしないのですが、何かの会合でない限り、極力ランチは一人で行きます

ちょっとずつ味わいたいって、ホントに味がわかりますか?

わっかんねーよ。

わたしは、味わいたいものは一人でガッツリ食べたいのです。

ただ、「おひとりさま」という、女性誌が喜びそうな耳障りの良いつまんないくくりで括られるのもツラい。

なぜなら、ひとりで全てを独占したい、意地汚い根性欲求を満たすために行ってるだけなのに

おひとりさま人種最近料理写メ撮りながら悦に入って幅きかせてるの見るとちょっとあれって思います

結婚して何がツラいって、一人で好きなだけ好きな物を、夕飯に食べられなくなってしまったことでしょうか。

焼肉寿司しゃぶしゃぶ定食屋ラーメン・煮込み屋・居酒屋立ち食いそば…気の向くまま、その日食べたいものを味わってきました。

本当にやりたいことと、本当に食べたいものは、自分ひとりでやった方が圧倒的に楽しい人種はある一定存在します。

結婚とは、規則正しく安定した生活と引き換えに、欲望に赴くまま自由に行動する享楽を捨て去ることでした。

本当にしたいこと行きたいところには、ひとりで行った方がいい…という渇望は極力捨て去り生きています

誰の影響も受けずに自分一人で、まずは判断してみたい欲望は、人間として未成熟ということなのか。

ささやかな夢は、一人で焼肉屋に行き、〆のスープとかクッパを、独り占めできる喜び。

ショボいちっちゃい皿にちんまり盛られてんじゃなくて、器ごとガバッと食べる快感

誰かと一緒に食べる喜びなんかより、圧倒的に勝ります

今日は連れが友人と飲みに行くということで、ひとり行きつけの焼肉屋にやってきました。

ビールを頼んで、ロースハラミコブクロを頼み、コムタンスープを頼む。

ひとりで食べる〆のコムタンスープが最高に美味しい。

もう15年以上ひとり通いつめていますが、

肉がそこそこ美味くて、配膳以外は客を徹底的に放っておいてくれる愛想のなさが、最高に素敵な焼肉屋です。

痒いところに手が届くホスピタリティとか笑顔接客とか、逆にひとりメシする側にとってはとてもウザいものなのです。

店員の愛想がない」「店が古くて汚い」とか言って、小さい街の昔ながらの焼肉屋に低評価つけてる食べログのクソレビュアー、早く絶滅しないかな。

2017-03-09

http://anond.hatelabo.jp/20170309143318

女性だってフェミが台頭するまでは、同じく声を上げちゃいけないって規範はあったよ

黙って父に従い、嫁いでは夫に従い、老いては子(長男)に従えとね。

今ではそんなのすっかり忘れ去られてるから増田みたいな意見が出てくるけど。

やっぱりどっかで誰かが頑張って声上げないと、縛られてる規範からは逃れられないのだから

自分が声上げられないならせめて、声上げてる人を引きずり下ろすのは辞めたほうがいいと思う

2017-03-04

switch買った。

子供の時からの発売日にゲーム機を買うってのをやってみたっかったのと

子供達に「パパ買ってきたぞー」って自慢したくて発売日にゲットした。

定時ダッシュして、子供達の前でyoutubeのように開封の義やってみせた。

ソフト子供達と買おうとおもっていたので、その日は習い事があるから習い事の後ソフト買いに行った。

長男ゼルダ次男3DSソフト持ってきた。

次男に「スイッチソフトじゃない」と、虚構新聞ばりに否定してしまった。

次男スプラトゥーン2がやりたいみたいで、ローンチタイトルにほしいソフトがなかった。

そもそも、次男文句は凄く言うくせに、これがほしいとかはあまり言う子ではないので。

子供なりに少し我慢してるのかなぁと思って心配していたはずなのに。

せっかく、子供から欲しいと言ってくれたのに受け止められなかった。

次男には、帰りにもう一軒、ゲーム屋さんによってピクミン3を買った。

難しいかなぁ、できるかなぁ?と思って心配したけど、

膝に乗せて一緒にやったら、ピクミン可愛いねぇ、死んだらかわいそうだと言って、楽しそうにやってた。

最後次男から、「明日も、パパ一緒にやろうね」と、スターをいっぱい頂いてとても嬉しかった。

2017-02-17

日本人正男に甘すぎる

体型、顔立ち、「まさお」と日本読み発音できる名前、たしかに親しみやすいが、でもしかし思い出せ。彼は独裁王朝長男だ。

犯罪まがいの行為で金を動かしていたと言われているではないか

なんという兄弟だ。

長男国際感覚をもち、ビジネスをし、子供ディズニーランドに連れて行って捕まる、東南アジアで殺される。

次男虚弱詩人で、大勢の女に囲まれながら、もしかしたらもう殺さていてる。

三男は将軍様になる予定の張りのあるデブ長男はだらっとしたデブだが、三男には張りがあり、年々増量中。

誰だよ、三男が権力を握る時に「若い世代トップに立つことによって民主化は無理でもなんらかの変化が起こる可能性が・・・」とか言ってた解説者!

オヤジよりやばいやつじゃねえかよ、三男。

北朝鮮ロック

金正男暗殺された。

次に狙われるのは金正男の息子、漢卒だと噂されている。

曰く有名な大学を経てエリートコースを進み、民主主義を好んでいるという。

金正男同様、脱北者が作る暫定政府の若き指導者として担ぎ上げられることを金正恩は警戒しているらしい。

これだけでも下手な小説映画を遥かに超える大河スペクタクル

それを海を挟んだ特等席から見学できるのだから日本人は堪ったものではない。

金正恩は3兄弟。だんごみたい。

長男金正男

次男金正哲

三男が金正恩

正男とほか二人で異母兄弟関係となっている。

今回正男暗殺されたが、残る正哲はどこに行ってしまったのか。

どうやら音楽やら趣味やらに没頭して政争には関心がなく、結果として正恩に後継者争いに影響なしと判断されて軟禁されている。

正哲は正恩体制にとって危険因子にはならないのだろうか?

ここからは完全な想像、いや妄想

正哲は音楽が好きなのだ

クラプトンが好きなのだ

チェンジ・ザ・ワールドだ。

最も体制派が嫌う話題ではないか

もともとロックには反体制、反権力の血が流れている。

軟禁され自由に動けない正哲。

手元には1本のギターがあるだけ。

窓の外を眺めながら自由に憧れギターを弾く。

その時目覚めるのだ。

偉大なる指導者金日成の血が。

彼は北朝鮮民主化を目指して立ち上がる。

彼を支えるのは息を潜めていた反正恩派の幹部たちだ。

処刑された張成沢派の残党も金正男亡き今手を貸すかもしれない。

彼らは蜂起する。

金正恩体制転覆を目指すのだ。

中国保護されている金漢卒も蜂起の噂を耳にする。

好機は今と脱北者暫定政府中国の後押しのもと打ち立てるに違いない。

内外同時に起こった大きな流れに金正恩は抗いきれず、遂に北朝鮮革命が起きるのだ。

そんな妄想グッドモーニングのお天気お兄さんである依田さんを見つめながら歯を磨いているときにぼーっと考えていた。

今週もあと一日だ。

2017-02-15

マサオが死んだ

マサオが死んだ。死んだのだ。

死ぬまで彼のことをさほど意識したことはなかった。ディズニーランドに来たがってる楽しげなおっさん、ぐらいの認識で。

でも、彼が死んだ今、何か悲しくてしょうがない。なぜなんだろう。

本当に接点のない、気のいいおっさんが死んだだけなのに。彼の死に、彼の死と共に死んだものを僕は数えているのだろうか。

彼が増田投稿するとしたらなんて書くだろう。「ただディズニーランドに行きたいだけの人生だった。」だろうか。

なんだろう。そのタイトルがどうなるかだけ考えるだけでも、涙が出てくる。いや、生き方に同情したいわけじゃない。幸せは個々人の人生にあるだろう。

けれども、何か、悔しさなのだろうか。ハンターハンターに出て来そうな独裁国家元首長男として生まれ、寵愛され、それゆえ外の世界をみる特権を与えられ、それゆえ最後には弟に殺されてしまう。

おじさんの笑顔に隠されたそういうストーリーがなんとも心にくる。これは漫画じゃないのに、とても漫画みたいで、それゆえ僕は知り合いでもなんでもない漫画キャラクター感情移入するかのように画面の向こうを眺めて悲しんでいるのだろうか。

行く気になれば僕はいつでもディズニーランドにいつでもいける。正男にはそれができなかった。

海外に行く気になれば、僕は命を狙われることなくいつでもいける。正男にはそれができなかった。

僕はたかが平凡な一日本国民であって、彼は国家権力の長子であったにもかかわらず。

せめて死後に天国というものがあれば、彼にはディズニーランドで目一杯遊んでもらいたい。

そして叶うことなら、どうだったんだ、とひとつ会話を交わしてみたい。

実は死んでなかったらいいのにな。正男

2017-02-14

【ねぐれくと】自閉症次男はお米が好き

訳あって嫁とは家庭内別居状態

小学生6年、小学生1年の子供が居ます

小1の子供は自閉症持ち(精神年齢2~3歳)


嫁は宗教的なとこに嵌って家にあんまり居ない。

俺は、離婚を前提にしてるので家族と関わってない。

嫁がね、帰ってこんのですわ。

いつもは家を空けてることがおおい俺なんですが、その時は21時くらいまで家に居た。しんどかったので寝てた。

17:30ぐらいに自閉症次男デイサービスから帰ってくるの。

それの迎えを小学生長男がするの。

ほんで、次男が帰ってきたあと、17時半~ 嫁が帰ってくる21時過ぎまで、長男次男の面倒みてるの。

でも、長男もまだまだ子供なので、次男ほったらかしてみたい録画アニメとかみるよね。

次男が泣きながらそこらへんうろうろしてる。

ほんで、飯の用意もないから、長男次男おにぎりを作ってやるか否かみたいなその日の都合もあるみたい。


さすがに布団から出て次男おにぎり(具なし、味つけなし)作って与えたけどね、

俺の知らないとこで嫁と息子達はこんな生活してるんだって思ったよね。

そりゃ俺も悪いんだけれど、

宗教的なのに嵌った嫁がここまで我が子をないがしろに扱うってのを知って恐怖した。

2017-02-13

ネグレクトなんだろうなあ

次男小学一年生自閉症精神年齢は2歳ぐらい)。

いろいろあって嫁と不仲になり、家庭内別居してる状態

たまにどうしてもと頼まれ子供を見ることはあっても基本は放置

嫁と会話なんてしたくないし、会話にならないから顔を合わせないようにしてる。

俺は、いつもは夕方は家にいないんだけれど、たまたまその時は家に居た。

次男は17時くらいに、デイサービスの送迎車で帰ってくる。

最近次男は嫁の母に見て貰うことが多いようなのでその日もそうだと思ってたら小学校6年の長男が頼まれていたらしい。

風邪でしんどかったので、寝てた。

一応、嫁から二男の世話を仰せつかっている長男様、二男そっちのけで自分の見たいアニメ見てる。

次男は部屋で大泣き。

しょうがいから多少は次男相手する。

19時になって20時になっても嫁は帰って来ない。

長男はまだ我慢できるからお腹すかせて待ってたけど、次男我慢できない。

白米が好きなので具も味付けもなんにもないおにぎりを何個も食べる。

ようやく20時過ぎになって、長男に嫁からから帰ると連絡が。それから時間ぐらいかかるらしい。

次男適当テレビを見せつつ、長男にせがまれカードゲームなどしつつ、嫁が帰ってくる前に家を出た。(起きてると顔を合わせてしまうので)

前にも嫁の母が次男を持て余してるところみたことあるし、実際問題、俺が見てやるのが筋なんだろうけど。

俺はそれを拒否してるし(嫁が家を空ける理由が納得できてないから)、嫁も言って来なくなったし。

薄々気づいては居たけど、ああ、うちの子供ってそういう風になってたんだなあって。

嫁の帰りが遅いのはほぼ毎日だし土日もほとんど家に居なかったりするし、これが日常なんだと。

小学生二人、しかもうち一人は自閉症とかそういうの平気で家にほっぽってしま夫婦なわけですよ。

俺はもう離婚しようと思ってるし、子供は嫁に任せようとしか考えてないから、悪いなあと思いつつ積極的子供のこと見る気が無いし。

最低限の衣食住はできてるとはいえ、子供にとって暮らしやすい家庭とはいえなくて、でもどうしようもなくって愚痴っていうか、なんだろね。書きたくなったの。

から電話がつらい

上京して既に10年以上経つが。未だに週に1・2回は田舎の父から電話が来る。

家に子供がいなくて寂しいのだろう。話し相手になってやろうじゃないかという気概はある。

しかし、電話の内容が毎回「お前は長男なんだから云々」「長男としての責任がアレコレ」というのが本当に辛い。

曰く、俺は長男から両親の面倒を見なければならない。

曰く、俺は長男から弟の監督をしなければならない。

曰く、俺は長男から頑張らなければならない。

両親の面倒は、まぁ分かる。実際兄弟のうち誰がやるかという問題はあるし、自分妥当であろうという考えさえある。

でもな、とうの昔に社会人やってる弟の面倒まで何故俺が見なくてははならないのかね。自分のことですら精一杯なのに……

長男であるお前の言うことを弟が聞かないはずはない」などと申しますが、父よ、それはあまりにも尊大な考えではないでしょうか。

だいたい、弟の方が勉強運動も出来る上に社交性もあって、普段人と関わらずネットアニメ観てニヤニヤしてる俺なんかよりずっと立派な人間だ。

たかだか1・2年早く産まれたからって、何故そんな責任が生じるのか。つーか過干渉過ぎませんかね、俺にも弟にも。もうガキじゃねーんだ。

そして俺は既に頑張ってる。言われなくても頑張ってる。頑張らないと社会では生きていけない。

小さい頃から似たようなことはずっと言われてきたけど、親元を離れてから10年以上も同じように言い聞かされるとは考えてもいなかった。

毎回同じことしか言わないので、一人暮らしを始めてから1年も経たない内に、父から電話をとるのが億劫になってしまった。その話題の為だけに電話を取らなければならないのであれば、電話にも出たくなくなるってもんだ。しか素面の時は絶対に連絡しないんだから困る。何故こうも酔ってられるのか。何故自分発言を忘れられるのか。

言われなくても、もうわかってる。あんたらの面倒はみるつもりだし、弟に必要意見は言うし、自分なりに頑張ってるつもりだ。

からもう、取り留めのない話題でいいから、別の話をしてくれ。辛いんだよ本当に……長男からって理由だけで生じる責任を見つめさせられるのが。

2017-02-07

http://anond.hatelabo.jp/20170207100354

しか金持ち長男として恵まれ環境で育っても「こいつ絶対俺等と血繋がってねーだろ」って疑念持たれてDNA鑑定にいたったんだよなー

血筋も育ちもどっちも重要ってこった

2017-02-04

http://anond.hatelabo.jp/20170204164339

そういう人は昔の風潮が続いている、「幼い女の子」の地位が低い田舎在住じゃないかねえ

「幼い女の子」が粗末に扱われる時代は、「幼い男の子特に長男)」は大人の女よりも大切に扱われる時代でもあったか

女は「長男」を産むのが地位向上の手段だったわけで

2017-02-02

夫の父親....

これって普通

1.実の親(夫から見て祖父母)と関係を絶っている。理由不明長男だが、次男に家を譲り「俺は遺産は要らない代わりに世話も見ない」と宣言実家とは30分の距離なのに盆も正月も会わないらしい。育てて貰ったのに....

そのせいで旦那祖父母と会ったことが数回しかないらしい。今度私に子供が生まれるのだが、そのことも伝えてないっぽい。会いに行きたいと言ったが、そんな必要はないと却下された。初ひ孫...お婆ちゃん会いたいんじゃないかなぁ....結婚する際には私たち夫婦から提案してご挨拶に伺わせて貰った。すごく素敵なおうちだったよ。なんでこんないい家を捨てるんだろ。

2.金持ちなのに金にがめつい

高卒だが、某大手家電メーカー就職し、課長ぐらいまでは出世できたらしい。早期希望退職制度に応募して数千万の割り増し退職金をゲット。現在再就職先で緩やかなサラリーマン生活。つまりお金に困っている訳ではない。

だが異様に金に執着している。まず妻に金を渡さない。お金に困った義母からたまに旦那に十万単位で金の無心がくる。また、勿論旦那家族と出かけた時の会計は全部うちがもつ旦那を育ててくれた両親。料理とか、スカイツリー入場料とか出すのは全く構わないし、恩返しだもんね。だが、買い物行くと数百円程度の菓子すら自分で出そうとせず人の買い物カゴにポンポン入れてこられたり、博物館とかの数百円の入場料すら当然のように出させられるとなんとなく...「さっき出してもらったしここはうちが」の一言が欲しいだけなんです。

この前、義両親が義母の母と同居を開始した。(老化が進んだので、田舎から引き取ったらしい)偉いとこあんじゃん、義父。と思ったけど義母から聞くと義父は義祖母から隔月で6万、義母の兄からも隔月で6万徴収しているらしい。やっぱり金か、とがっくり。別に私に関係ないけど、お前なんもばあみゃんの世話してないやんけ!身内から毎月6万もとるんかい

父が自殺したいと言っているのを聞いてしまった

ブログには書けないけど、どうしても吐き出したくなったのでこっちに投稿する。

実家に帰ったとき、父が母に「時々自殺したいと思うことがある」と話しているのを偶然聞いてしまった。

死にたいと言ってる奴は死なないというし、それほど切羽詰まった感じではなかったので父も本当に死ぬつもりはないのだろうけど、それを耳にしたときはとてもショックだった。

父は今病気をしているので、精神的にも弱っているのだろう。

夜寝れないと言っていた。

毎日のように夢でうなされているようで、寝言で大声を出しているのが別室で寝ている私にもわかった。

父が追い詰められているのは病気のこともそうだけど、経済的なことが大きいのだと思う。

家にはお金がない。

父は自営業で母はその手伝い。

父は今病気で前のように仕事はできていない。

そのうえまだ学校に通っている子供が2人いる。

家のローンもまだ残っているし、じきに要介護になるであろう祖父がいる。

正直祖父状態が悪くなれば詰みだ。

私は父をどこかで嫌っている。

今まで育ててくれたことには感謝しているし、仕事をがんばってきたことは尊意している。

しかし、父は人の親になるには向いていない人間だと思うし、なぜ母が父と結婚して何人も子供を作ったのかわからない。

父は母より一回り以上年上で、典型的田舎長男気質の持ち主だ。

家事育児は一切しない。

学校行事には絶対出席しない。

家族で外出するのも嫌がる。

母によると、父は家族のことに一生懸命になるのは恥ずかしいことだと思っているそうだ。

それでも子供のことは好きらしい(本当か?)。

父は結婚が遅かったため、長子の私でさえ父が40過ぎてからの子だ。

さいころは父が高齢なことが恥ずかしかった。私がそうなのだから一番下の兄弟は尚更だろう。

計画性のない人なのだ

家にお金がないからか、大学に通っている私の前で、ほかの兄弟に対して「大学になんか行くな」と言っていた。

実際今の状況では下の兄弟たちは大学には行けないだろう。

から私はたいして頭もよくないのに自分だけ大学に進学したことに罪悪感を持っている。

私が高卒地元就職していたら、もっと暮らしは楽だったろう。

今は就職したばかりで給料も少ないけど、実家の援助のためにこれからどんどんキャリアアップしなければと思う。

まとまらないけど終わる。疲れた

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