はてなキーワード: 違憲とは
http://anond.hatelabo.jp/20151217213202
夫婦同姓の制度が慣習的に男が女の姓になり、男性が色々な手続き仕事研究などで不利益を被るって場合ならその男性裁判官達は違憲と判断したと思うし、圧倒的多数の男達が別姓になって女がこっちの姓に会わせない選択ができるのがウザイみたいな男に有利な判決をしているよね。
何をそんなに恐れるのか。
大学の転籍先の一つに法学部がある。法学部か文学部か経営学部。法学部はなんだかんだ面白くない気がしなくない。
夫婦別姓がどうのこうの言っている。
何が正しいのかというのは自分は分からない。別に夫婦別姓、再婚禁止期間とかいうには自分にとってどうでもいいことだ。
ただ夫婦別姓の裁判の事実を見ると15人の裁判官のうち女性3人は夫婦同姓は違憲だという判断を下したそうだ。
10人とくに行政官とか役所上がり系の人を中心とした男性は合憲と判断した。
もしかしたら、この合憲という判断は正しくないのかもしれないし、正しいかもしれない。
ただ、女性はみんな基本的に少なくとも女性には有利な判断を示したという事実から見ると、裁判官の性別が判決にバイアスをかけるということを表している。
それは女性の裁判官が女性の人権にたいしてとても意識があるのかもしれない。
それは素晴らしいことだ。
ただ、裁判官の性別によって判断が変わってくるということは、女性の裁判官というのが今後さらに増えた時、女性に有利な判断をする可能性があるということを表している。
とりあえず、司法にはあまり期待していないが、世の中にはもっと期待できない。
男性の貧困だって深刻で、自殺率だって高い。そこから目を背けて、比較的同情しやすい女性にだけ逃げようとしている気さえする。
首都圏の通勤電車によくいる足を引きずっている中年以上にホームレスの男性を嘲笑ったり、避けるコメントを男女問わずしているのを散見する。
その癖、妊婦などは皆、同情したり助けたりするのだろう。
醜い者でいるのはうんざりだ。
重婚禁止違憲訴訟の準備してた知人がfbで意気消沈していて、何となくほっとした
「たった一人としか婚姻関係を結べないなんておかしい。愛し合う人数に制限を課すなど内心の自由の侵害で違憲だ」とか普段から熱弁している奴だったので、こいつを相手にせずに済んだ判事の方々にはおめでとうと言いたい
"はじめに、SEALDsとは、「Student Emergency Action for Liberal Democracy s」。日本語で言うと、「自由と民主主義のための学生緊急行動」です。
私たちは特定の支持政党を持っていません。無党派の集まりで、保守、革新、改憲、護憲の垣根を越えて繋がっています。"
と述べていた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150915-00003690-bengocom-soci
この演説で、SEALDsの中にも改憲派がいるのだと初めて知って驚いた人もいるだろう。
つまり、「安保法案に対して反対」という一点によって無党派が集まった団体だということだ。
多くの人は、彼の言葉を信じて、これが彼らの活動の根本にあると受け取っているはずだ。
"別にSEALDsは戦争法案廃案のために立ち上がった団体ではねえですよ。もとの目的は改憲阻止" と明確にぶっちゃけている。
https://twitter.com/ILLMATIC_UCD/status/657101498933899265
こんな重要な点について、主要メンバーの奥田愛基と牛田悦正が語っていることには明らかな矛盾がある。
これだけ各種メディアで話題になっている団体についてこうも矛盾があるのに、なぜそれが語られないのか。
それはSEALDsという団体が明らかする公式的で明確な政治的主張はないというしかないからだ。
もちろん、「安倍が嫌い」「戦争反対」「戦争法案反対」というような緩やかな主張のつながりはあるが、具体的な公式見解はない。
なぜなら、彼らはリーダーを持たず、「SEALDsの公式見解」というものは存在しないからだ。
SEALDsに所属するメンバーがデモでそれぞれの意見を発表したり、インタビューに答えたりするわけだが、それはそれぞれ個人の意見なだけだ。
「肩を組んで酒を飲めば戦争はなくなる」とか「スイス軍的なものなら認めてもいい」とか発言はあっても、それはただの個人の意見なだけだ。
あるデモでのあるスピーカーの発言について異論を唱えたとしても、それは別にSEALDsとしての見解ではないということで大きな議論には決して発展しない。
例えば、あなたはSEALDsが「自衛隊が違憲か合憲か」どのようなスタンスを示しているか答えられるだろうか。
答えられないだろう。
これだけ安保法案の話題の中心にあり続けた団体が「自衛隊が違憲か合憲か」についてどう捉えているかということも、誰も知らない。
誰も分からずに、議論が進んでいたわけだ。何の前提も共有しないまま議論が進み、終わった。
これは安保賛成派にとっても、反対派にとっても不幸なことだったと思う。
SEALDsがリーダーを持たず、公式見解を持たないというのは意図的にやっていることで、チェ・ゲバラのゲリラ軍に学んでいるらしいということは各種インタビューで述べられている。
それは響きはかっこいいし、ゆるやかで大きなつながりを生んだことにつながったことは間違いないのだけど、
その結果、団体としての具体的な主張が明らかにされず、議論の前提が共有されない状況を招いているのは明らかだ。
もはや大きなムーブメントとなった今、具体的に議論をすすめていくうえで、具体的なイシューに対する団体としての公式見解が具体的に何なのか明らかにしなければ、議論は全て無駄になる。
だから、もう「無党派の集まり」などという欺瞞を捨てるべきだ。
あるいは、「自衛隊は合憲/違憲と捉えているのか」を明らかにしなければ、憲法と軍事の関係についてどう議論を進めればいいのだろう。
というか、何が議論されてきたのだろう。
なぜSEALDsが「自衛隊が違憲か合憲か」考えているかも分からずに、僕らはSEALDsに賛成したり反対したりしてきたのだろう。
もし、安保法制の中身に賛成でも手続きがおかしければ反対して欲しいんですね。
今回は皆様も感じていらっしゃるように民主主義の手続きが踏まれていないと思います。
こういうとね、多くの愚かな政治学者を含めて「民主主義とは多数決だからそれでいいんだ」と応えるかもしれませんね。
それが何故愚かなのかというとね、政治思想の歴史を知らないからなんです。
それは具体的にはルソーによるロックの反駁として知られています。
ルソーはロック流のある種の代議制民主主義をこう言ったんです。
ですので、代議制は必ず、デモその他に国民たちが絶えず参加することで補完されなければならないとされた。
つまり、民主主義とは何かといいますと「参加による自治」のことをいいます。
まず、ここまでが前置きです。
このルソーの反駁として知られる有名な議論も含めて、当初、民主主義は小さな規模で考えられていました。
ところが、アメリカのような大きな国が(あるいはヨーロッパも20世紀に大きな国になっていきますが)
出現したとき、考え出されたのが「共和」というシステムなんですね。
それは、民主主義的な自治のスモールユニット(小さな単位)が共生するため、
ヨーロッパなら(補完性の原則に基づいて)できるだけ下の単位で決め、できないことを上にあげていく、
そのように運営されている仕組みのことです。
民主主義とは「多数決”ではなく”」、基本的には「自治なのである」ということなのです。
もっと言えば、自治の本質とは「代議士に任せない」ということなんですね。
そういうことを知った上でモノを言っている人がどれだけいるのでしょうね。
また、そういったことについて考えてみると、日本のおかしな仕組みで「党議拘束」というものがあります。
海外では「無理やり党の決定に従わせること」という一文に置き換えられています。
ひどいでしょう?個人がいくら公約したところで、その意味が剥奪されてしまっている。
党が決め、その党が多数を占めてシナリオを描いてその通りに進む審議に何の意味もないではないですか。
また、勘違いされている方が多いのですが、今回の法案は自民党に利するところより官僚に利するところが多い。
官僚の権限の無限の拡大が疑われているのが国会審議で分かりつつあります。
法案の中に歯止めとなる部分が無い、政府の思うままにことを動かせる内容です。
「政府」というと一見すると安部政権であるように思われますが「そうではありません」。
政権はあるとき必ず変わります。しかし、変わら無いものは根底に流れ続けている。
官僚機構が(自衛隊の安全確保基準も無いまま派兵ができようなっているなど)絶大な権限を得るような内容になっている。
それが今回の法案です。自民党はそうとは知らずに片棒を担いでいるに過ぎません。
安部政権、自民政権がそのままならばいいでしょう。その権限の一部を彼らが行使できるわけですから。
自民党、安部氏を応援している方々は、そうした政権(たとえば民主党や公明党)に、
鴻池氏の言動に幾ばくかの逡巡が見られた方もいらっしゃるでしょうが、実はそのあたりだと思われます。
「最小限度基準」なども書かれておらず、「安全基準」も書かれていない。
権限をときの(誰が握るか分からない!)政権に無限に使わせないための「歯止め」がない。
「合理的に判断して」など、ようするにときの政府が総合的に判断する、と。どうにでもなる内容で書かれているのです。
今回、残念なことに「違憲かどうか」にかなり焦点が当てられてしまったが故に注目が薄いのですが、
「違憲」をひとまず横に置いておいたとしても、「法律としてあまりにも問題が多い」んです。
ここで知っておいて頂きたいのですが、「一旦法律としてできてしまったら、それが取り消されない限り有効」です。
最高裁判所で違憲判決が出されるか、次の政権が廃案にしない限り、有効であり続ける。
とうことは、次の政権と官僚機構に無限の権限の行使を許すことになる、ということです。
(続きはWEBで!)
「戦争反対」のムーブメントが起きているわけだが(もう下火?出遅れてすいません)、なんだか重大な矛盾があるように見えるし指摘もされてる。アメリカにくっついちゃうと戦争しちゃうよ(この70年でアメリカは何度か軍事同盟国を動員して戦争してる)、それはやだ、ってわけだけど、アメリカにくっつかないと中国に戦争しかけられちゃうかもよ(この70年で中国は自分より弱い国に何度か戦争しかけたり侵攻してる)、それいいの?ってとこがどうも無視されてる。
いや、無視してんじゃないと思う。そこ、本質じゃないと思うんだよね。
いろいろな考えを持ったいろいろな人が参加してる。それは当然だと思う。大きなムーブメントにおいてすべての人の意思が統一されてる、なんてのはフィクションであり北朝鮮だ。いろいろな考えを持ってるのは当然。戦争しちゃうかもを最重要視してる人もいれば、違憲性を最重要視してる人もいるだろう(個人的には後者の立場の人には共感する思いが強い)。
でも、そういう人たちを結びつける何かがないとムーブメントにはならない。それはなにか?このムーブメントの本質とは?なんだか戦争反対・平和主義っていうのは語感がいいからスローガン化してるように見えるが、冒頭に挙げたようにそれが本質であるように思えない。もちろん、単に騙されてる(あるいは暴走してる)人も多いだろうが、頭のいい人達もかなり動員されてるので、みんながみんなそうではない。
何が彼らを結びつけているのか?
結局、反米じゃね?
って思った。
証明手段はない。個人の感想。すまんね。しかし、過去の日本のムーブメントを観察し、それで今のムーブメントについても同じ特徴をもつ蓋然性が高いだろう議論は可能だと思う。ちょっと言葉を変えると、尤度ベースで考えてみよう、みたいな感じのことだ。専門家からバカにされるだろけどね。だから増田に書いてるわけさ。
さてどうだろうか。戦争については、起こしたかったり起こしたくなかったりいろいろだ。護憲主義かどうかについては、冒頭の明治維新がすでに国体をひっくり返してる。しかしどれも明確に同じであるのは、反欧米の姿勢じゃないですかね。過去の大きなムーブメントはどれも反欧米の姿勢であって、それが過去の3つの大ムーブメントのどれにおいても起こっていることから、ベイズの定理によって反欧米姿勢があるために大きなムーブメントが起こったのだとする仮説の事後確率が高いのだと思えますね。問題点:観察したイベントが3つしかねぇ。超事前分布を置こう。めんどくさいからやんない。
他に日露戦争後の三国干渉への強い反発・日比谷焼き討ちだとか、湾岸戦争・イラク戦争時のアメポチ批判とかは、強いか弱いかにかかわらずやはり反欧米的姿勢に見える。太平洋戦争の本とかよむと、国際連盟脱退して帰国した時、松岡洋右は非常な非難を覚悟したのに、大歓迎されて却ってとまどったとかいうのがあったが、それもこれかもだ。太平洋戦争時には他に、満州事変から日中戦争の時には日本国民はあきらかに戸惑っていたが、太平洋戦争開戦時にはだれもが意気揚々として喜んだというのも読んだ。
さて、まともな議論のような皮を被った確証バイアスだらけのようにも思われる話はここまでで終わり。みんな批判的思考を持ちましょう。
あとは完全に個人の感想。
逆に親欧米にはどういうのがあるかっていうと、
ってとこでしょうか。
さて単純にどう思うかって話なのだ。
私がどう思ったかは、もうわかっていただけたと思うけど、日本国民を感情的に動かしてムーブメントを作りやすいのは反欧米的姿勢だけど、日本国を繁栄させてるのは常にアングロサクソンにくっついてる時じゃないのってことです。明治維新なんて説明するまでもなく、ムーブメント自体は尊皇攘夷運動だったはずが、最終的に親欧米政権つくって西郷さんと大久保死んじゃったみたいな話なわけで。
さてこういう話をするとき、明治維新のときから続く歴史の長いレッテル貼りがあって、それは今で言う「アメポチ」ってやつだ。言ってみれば、アメポチ初号機は井伊直弼であったともいえよう。戦時中には、鬼畜米英とか言ってる人を非難するような人は「非国民」とか言われていた。もちろん逆方面に対してはチョンとかなんとか言ってたわけで、究極的には自分最高って思ってるだけだろうけど。
で、アメポチ。アメポチ悪いの?ってこと。ていうか犬バカにしてね?まあそれはいい。
「情けない」とか帝国軍人みたいなこという人もあろう。でもさ。国家がアメポチであってそれが情けないなら、個人でアメリカいって勝負すればいいだけじゃないか。本当にアメポチにならなくて済むような有能な人は、当然アメリカで全くやっていけるし、あの国は人種や国籍にかかわらず、能力だけで天下を取れる、そういう国だ。ヨーロッパ人だってそうしてるよ。われわれ極東の日本人が「あれはアメリカ人」と思ってる人たちの中の相当数に、元ヨーロッパ人が相当隠れてる。ドイツ・オーストリア系とか特にね。敗戦国ですし。日本もだよ。
それだけの能力がない人は?そうやって能力もないのにこの冷酷な世界の中で平和を望む・・・そんならアメポチになれってことなわけ。自分一人で世界の中でアメポチにならずに立ち回れる能力がないくせに、日本国家に守られてアメポチではない立場になりたい、でも日本国家は嫌いだ、とかそんな都合の良い話はあるめえよ。
この世の中はローマ帝国と漢王朝の時代からまったく変わっていないと僕は思う。コーカソイドと東アジアに2つの帝国が出現するところまで変わらない(たぶん、20世紀のある一時期には日本がそれになりうる可能性を考えられていたかもしれないが、今は誰もそう思ってないっちゃ、ライジングサン)。
「戦争法案反対」論者の中には一定数、「すぐに中国が世界最強になるから敵にするのはまずい」と思ってる人がいるかもしれない。こういう人とは酒は飲める。まあわたしはそんなの数十年先以降なんじゃねーのって思うけど(だって科学力が違うからね〜)。
安保法案をめぐるここ一連の流れは、今まで日本という国と国民が先送りしてきた諸々の問題が噴出してきた感がある。それは安全保障だけでなく、日本の行政機構の構造の問題や、ともすると太平洋戦争に至る過程・戦中の流れ・戦後の総括についての話題も含まれるようだ。
先に、これを書いている私個人の意見を述べておくと、憲法違反の疑念の問題を除けば、安保法案に消極的賛成だ。「後ろ向き」賛成ともいう。
たぶん、この3点は、程度の差があれども(で、程度の差によって意見が分かれるところだろうけど)、普通の日本国民の誰もが感じていることではないだろうか。
安保法案に憲法違反の疑念がある問題は、安保法案が主題としている安全保障とは別のところで、大問題だといえる。
乱暴に言えば、「オレオレ憲法解釈」で物事を進めてしまうことは、「オレオレ『コーランの解釈』」で物事を進めているISISと似たようなものだ(「オレオレじゃない『コーランの解釈』」=イスラム法)。ISISを非難できなくなってしまう。
本来は、安保法案を進めたいのなら、憲法を改正すべきなのだ。だが憲法改正に関しては、また別の、根の深い問題がある(後述)。
憲法違反の件を無視するなら、安保法案で示している内容には、傾聴に値するものがある。
それは「俺は殴るつもりはなかったし、むしろなだめようとしたんだけど、興奮した相手が殴りかかってきて……」というケースにどう対応するか、という問題だ。
基本的に、戦争なんて損ばかりだ。人道的にも、財政的にも、経済的にも問題がありすぎる。戦争せずに済むなら、その方がよいのは当然だ。
太平洋戦争を経て日本が学んだことは、第一に「自分から殴りかからない」ということであり、第二に「とりあえず、まずは話し合いをこころみる」ということだ。この2つをまとめると「揉め事には『大人の対応』で臨め! ガキじゃあるまいし、すぐに殴ろうとしなさんな」となる。
(まあアメリカも、「ABCD包囲網での締め上げ」とか「蒋介石にカイロ宣言で『無条件降伏』を要求させちゃった」とか、火に油を注いだところが結構あるのだが)
とはいえ、揉め事は自分だけでなく相手もいるから生じるもので、相手が最初から殴る気で仕掛けてきたら……と考えると、少なくとも護身はできないとマズイ。
この辺のバランスが、(当時の国際政治の状況やら何やら事情があったとはいえども)自衛隊の誕生の一端にある、といえる。
問題は、東アジアの各国が経済成長にともない軍事力も増していることと、経済成長により他国との摩擦が表出してきたことと、世界的な不況の影響で各国国民の不満がたまっていることと、その不満が経済成長による他国との摩擦で高まってきたナショナリズムの気運に流れ込んでいることと、そんなナショナリズムの高まりを各国政府が制御しきれるか否か、である。今の東アジアは、第一次世界大戦前夜のヨーロッパ並みにキナ臭い。
個人的には、政府の戦略として反日を主導している今の中国や韓国よりも、何らかの要因で政府の力が弱まって下からの突き上げを抑えきれなくなった場合の中国や韓国の方が怖い。戦前の日本にもそんな感じ(=下からの突き上げ)があっただけに。
しかも他国の軍事力が増加しているため、自衛隊との相対的な差が縮まることで、相手から「くみしやすい(殴っても問題ない)」と思われてしまう可能性もある。
日本の場合、四方が海で、防衛すべき範囲が広い。海上自衛隊か海上保安庁はともかく、今よりも備えを厚くする必要はあるだろう。現実問題として、離島地域では中国漁船の違法操業の問題があるし、竹島や尖閣諸島のような離島地域での領土問題も抱えている。
備えを厚くする場合、方向性として「自前で全てそろえる」と「仲間を呼ぶ」の2つが考えられる。安保法案は後者の「仲間を呼ぶ」の流れを汲んでいる。
実際のところ、日本の経済状況的に「海上保安庁や自衛隊を拡充して、日本全土を自前の軍隊で守る」というのは厳しい。先に書いたように、四方が海であるために、防衛すべき範囲が広い(というか広すぎる)。また、例えば対中国で考えると、装備や錬度でカバーするのが難しいぐらいに「数」の差がある。
ここで従来のようにアメリカと組むとして、アメリカ軍が度々行われてきた軍縮で縮小していることに留意する必要がある。この影響は、少なからずアメリカ軍の軍事力を頼りに軍縮していた同盟国に影響を与えている。日本も例外ではない。
あと安保法案の話で「自衛隊がアメリカの都合で起きた戦争に駆り出されたら――」的な批判がなされるが、同様の批判はアメリカ国内にもあるだろう。すなわち「他国の都合の戦争に、自国(アメリカ)の若者を送り出すって、どうなのよ?」ということだ。アメリカ軍を引っ張り出したいなら、アメリカ国内が納得する「(アメリカにとっての)大義やメリット」が必要だ。選挙のこともあるだろうし。
安保法案は、いわば「規模を縮小したので一度にカバーできる範囲が狭くなったアメリカ軍の協力をとりつけやすくする(アメリカから見た優先度を上げさせる)」ためのものだ。こうしておくことで、「ワイの後ろには○○の代紋があるんやで」効果で相手を怯ませることも狙えるだろう。
繰り返すが、戦争せずに済むなら、その方がよい。その一方で、万が一への備えそのものは必要だ。
(再三ならが、憲法違反の件を無視するとして)安全保障の点で、安保法案が示す内容は、良し悪しは別として、ある意味で現実路線と言える。
いえるのだが、しかし、実際に日本国民として安保法案に直面して感じるのは、「これ、悪用されずに適切に運用されるのだろうか?」という心配である。
私はとりたてて再軍備主義者ではないが、日本が再軍備化すると仮定した場合、重要になる点を1つだけ知っている。
一言で表すなら、それは「空手の有段者になれ!」ということだ。空手の有段者は強いが、強いからといってむやみに周囲に殴るかかることはない。むしろ、普通の人よりも強い自制が求められる。
仮に日本が再軍備化するとして、再軍備化したからといってすぐにやたらと殴りまわったら、それはガキの態度だ。大人ではない。軍隊を持つ平和路線の他の国家と同様に「(鍛えてますけど、むやみに殴りかかりませんよ。だって)大人ですから……」という方向が望ましい。
民主主義国家において、このような態度をとるには、第一に軍隊自体の暴走を防ぐためのシビリアン・コントロールが必要であり、第二に軍隊を統帥する政府の暴走を防ぐための「国民による政府の監視と、選挙による適切なコントロール」が必要であり、第三に「国民自身の自制」が必要となる。
日本の再軍備化を進めるなら、国民はまず自省して、過激な排外主義を排除しなくてはならない。排外主義は他国や他民族とのいらぬ摩擦を生み出し、火種となってしまう。これは大人の態度ではない。排外主義は排除されるべきだろう。軽挙妄動は許されない。高い倫理観を持つべきだ。
また国民は、日常的に政府の動きを監視し、選挙直前の動きや宣伝に紛らわされることなく、観察した記録にもとづいて投票を行い、政府の暴走の要因となりうる人物を当選させないように努めなくてはならない。
残念ながら、今の日本では、まず選挙による政府のコントロールが効いていない。例えば安倍政権の安保法案の一件は、2014年の選挙の時点で囁かれていた話だ。だが、結果はどうだろうか? 選挙の時、我々は直近の出来事にとらわれて投票していなかっただろうか?
次に、日本では政府の暴走の歯止めとなる公的機関が存在しない。例えば憲法裁判所がないため、憲法違反の疑念がある法律であっても、一度可決・公布されてしまえば、何か具体的な事件が起きて誰かが提訴しない限り、違憲性の審査は行われない。
最後に、行政・立法・司法の三権のどの分野でも構造的問題が指摘されているにもかかわらず、何の変化もないため、三権に対する不信がある。
例えば、仮に日本に憲法裁判所があったとして、安保法案に違憲の判断を下すことができるだろうか? 日本の裁判官の大半は実質的に最高裁判所の裁判官に任用されている。最高裁判所の裁判官は内閣によって任命されている。そして最高裁長官の任命過程においては、内閣の意向が少なからず反映されている。このような流れの中に憲法裁判所があるのならば、暗黙のうちに内閣の意向に影響された判決がでても不思議ではない(ことに、内閣の意向を受けた最高裁判所の裁判官の胸三寸で出世も更迭も決まってしまう一般の裁判官の身ともなれば……そして、内閣の意向によって出世の頂点(最高裁の裁判官)に立てるか否かが決まる最高裁判官の候補や、下手すると引き摺り下ろされかねない最高裁判官ともなれば……)。
行政・立法に関しては、外部から見て、どうにも組織に自浄作用があるように思えない。例えば何か問題が起きた場合、大抵はトップの更迭で済んでしまう。何が問題であったか分析し、具体的で効果のある改善案を提示し、改善を行い、その結果を問題分析や改善案を含めて広く公開する……というPDCAサイクル的なものが、組織外部の国民の目にはみえない。
そもそも我々日本人は、失敗を恐れすぎる。もとより人間は失敗する動物だ。何も考えずに突っ走って失敗するべくして失敗するのは、さすがにどうかと思うが……しかしある程度成功確率を高めたなら、その時点でチャレンジしてみて、失敗したならしたで反省会を行い、次に生かすべきなのだ。
だが実際には、なぜか最初から失敗を許さない雰囲気が強いし、失敗するとすぐに責任問題を言い出す(本来は、反省会で色々と分析した上での「責任問題」のはずだが……)。人格攻撃になることもしばしばある。そして早すぎる責任問題に決着がつくことで、本来開かれるべき反省会はなされず、有耶無耶に終わってしまう。
悪いことに、日本社会は失敗に厳しすぎる。一度更迭されたら、ずっとそのままだ。このような環境では、皆失敗を恐れるし、失敗したら隠そうとする。なぜなら、失敗したら、そして失敗したことが発覚すれば、この先一生どん底だからだ。
行政や立法の構造の問題は、この日本社会の「失敗への厳しさ」が悪い方向に作用しているために生じている気がしてならない。誰だって自分の身はかわいいものだ。少なくとも私はそうだ。あんただって、そうだろ?
ともかく、日本国民には少なからず三権への不信があるうえに、政府をうまくコントロールすることもできていない。この状態では、どのような法律であっても、適切に運用されるか否かの疑念が生じる。
特に、安保法案をめぐる安倍政権や自民党の動きはマズかった。政権による強引な進め方や、一部議員による乱暴な発言は、国民にとって「国民が政府・議会をコントロールできていない」という印象を与え、不信を高める結果となった。またオレオレ憲法解釈を持ち出してきたことで、安保法案そのものについて「将来、オレオレ『安保法案の解釈』を持ち出して、滅茶苦茶なことをやらかす政権がでるのではないか?」という疑念を与えてしまった。
「安保法案=戦争法案」と揶揄される背景には、その内容の難解さだけでなく、「誤った運用がなされるだけでなく、将来、拡大解釈して無茶なことをやらかすようにならないか? そして誰にも止められないのではないか?」という三権への不信が見え隠れしている。
蛇足だが、安保法案を通すには、本来は憲法改正が必要だ。だが日本国民には憲法改正へのアレルギーがある。なぜか? 「あいつら絶対に余分な変更(=改悪)も入れてくるから」という政府・議会への不信があるからだ。自民党の憲法改正案は酷かったし、派遣法の改正もアレだった。こんな実例が山ほどあるのだから、不信が高まって憲法改正アレルギーになるのも無理はない。
日本国憲法に関しては、そもそも押し付け憲法論がある。個人的には、押し付けだろうとなんだろうと、ネズミを捕るのが良い猫だと思うのだが……。
仮に押し付け憲法だったとして、ではなぜ世界でも稀な憲法九条が存在するのか、という点を考えてみることは重要だ。世界的には、平和路線の国家でも(規模の大小はあれども)軍隊を持っているものだ。
要するに、大日本帝国は、当時のアメリカに「キ○ガイ」だと思われたのだ。あいつらに刃物を持たせたらあかん、何やらかすか分かったもんじゃねえ――ということだ。
例えば、現在生きている日本人たる我々がニュースで目にする自爆テロを理解しがたいように、当時のアメリカ人は特攻という行為を行う日本人を理解しがたかったのではないか? また国体維持のためだけに南方戦線で損耗率7~8割という無茶(現代戦では損耗率3割で全滅判定)をやらかしたメンタリティーも理解できなかったのではないか?
理解できないことが、恐怖をあおる。戦略的には、特攻も南方戦線での戦いも、大日本帝国の政府にとっては裏目に出てしまった。日本は軍隊を持つ資格はない、とんだキ○ガイだと認定されてしまったのだ。
しかしこれは、裏を返せば「まともな国になったなら、まあ、軍隊を持ってもええんじゃね?」ということにもなる。まともな大人は刃物を振り回しません、ということだ。
さて、「安保法案=戦争法案」と揶揄される背景をもう少し考えてみると、興味深いことに気づく。それは、日本国は未だに「キ○ガイ」ではないか、という疑念だ。これは中国や韓国の主張(実際に彼らの言っていることから類推すると、そういうことになる)のことではなくて、日本国民から日本国政府ならび議会への疑念のことだ。
というのも、「安保法案=戦争法案」という構図には、どこか「また『特攻』や『ニューギニア戦線での地獄』が繰り返されるのでは」という不安があるからだ。
これは、太平洋戦争について国民と国家をひっくるめた反省会(失敗の原因の分析、具体的な改善案の提示、改善案の適用)が行われなかった弊害だろう。
そもそも太平洋戦争は大失敗だった(戦争に懲りたということは、つまり、失敗だったということだ)。大失敗だったからこそ、三権と国民を巻き込んでの大反省会が必要不可欠で――もしかしたらどこかで行われていたのかもしれないが、残念ながら私は寡聞にして知らない。
国民と国家自らによる反省会(総括)が行われて、落とし前がついていたなら、ここまで疑念は膨れ上がらなかったはずだ。でも反省会無し・対策も無しなら、「またやっちゃうかも」という心配は残ったままとなる。
戦後に反省会が行われず、そのまま70年が経過した。その間、残念ながら三権への国民の不信が高まった。そしてここ20年ほどの政府・議会の混乱や暴走ともとれかねない動きは、国民に「政府と議会=我々がコントロールできない代物」という印象を強く与えてしまった(仮にも民主主義国家だというのに……)。
再度繰り返すが、戦争せずに済むなら、その方がよい。その一方で、万が一への備えそのものは必要だ。
必要だが、しかしまた「キ○ガイ」のごとく暴走してしまわないか? やむをえない自衛のための戦争ならともかく、暴走して要らぬ戦争を起こしてしまわないだろうか? 三権への根深い不信と、国民が政府と議会をコントロールできていないのではないかという疑念ゆえに、日本国民は、日本という国が「キ○ガイ」のままではないかという恐怖を感じているのだ。
私は憲法違反の疑念より安保法案に否定的であり、安全保障の面では安保法案に Permalink | 記事への反応(1) | 18:20
もちろん自衛隊には戦争をして欲しくないが、自衛隊には国を守るためのある程度の戦力を持っていて欲しい。
その「戦力」自体は厳密に言えばまあ違憲なのだろうけれど、そこはまあ、ねえ。
違憲なら改正すればいいのではという意見もは正論だろうけれど、改正は難しいだろうね。9条気に入っている人が多いし。自分も嫌いじゃないし。
国会前で叫んでいる人たちにはあまり共感できないんだけど、かといって与党側もあそこまで法案をまとめていっぺんに通さなくてもいいんじゃないのかね。
自衛隊の皆様におかれましては、こちらの勝手で不安定な立場を押し付けて、本当に申し訳ありません。感謝しています。災害時も本当に頼りにしています。
こんな感じだろう。
自分もだいたいこんな感じだ。
SEALDsに参加しようとは思わない。
僕は、そして周りもほとんど(少なくとも僕の交友範囲や見聞きした話では)安倍政権の集団的自衛権行使容認の決定や、安保法案は明らかに違憲で、撤回すべきだと考えている。
合憲だと言っている学者の名前を見たら見覚えがありすぎて笑ってしまった。御用学者として有名な方々だからだ。
明らかに無理な法案だからこそ、安倍政権が死に物狂いで成立させようとしているのは分かる。
しかしSEALDsに参加しようとは思わない。周りにも参加している人はいない。
彼らのデモでの醜態やTwitter上のやらかし、音楽ライブを見ると全く共感できないし、むしろ苦々しく思っている。
もちろん法律を専門に勉強していない人の反対する声や数の力が大事なことは分かっているし、軽薄に見えるライブやラップによる抗議も、従来の暴力的な学生運動のイメージを払拭する試みだということは知っている。
それでもあんな集団には入りたくない。ほとんどの構成員の発言は幼稚で無勉強でイライラする。
当然SEALDsに見当違いの批判をしているネット右翼とアフィブログは論外。何も知らないのに偉そうなことを主張できる人があれだけいるなら、立憲主義は意味不明だと発言したり、法的安定性は関係ないと主張する政治家がいても不思議じゃない。
学生運動アレルギーもあると思う。毎日毎日入学初日から拡声器で演説し、変わり映えのないクソダサいチラシと量産する左翼グループを嫌わない学生はいない。日頃の行いのせいで本当にヤバい時に役に立たないのは皮肉な話だ。
しかし何もしないとまず確実に安保法案は通る。(無理矢理成立させるために民法の改正が先送りになったことについて、法学部生は怒っている。改正前のも改正後のもどちらも勉強しなければならないのだ。)
ちょっと法律を勉強しているからってSEALDsを馬鹿にし、安倍政権を叩き、ネット右翼を嘲笑して学生運動に背を向けた僕と多くの法学部生は結局、口だけ達者で何もしない口だけ野郎だ。
日本の車道の最高速度規制の設定と運用に、日本人の法に対する態度が表れているんじゃないかと思う。
イギリスやマレーシアとか、田舎の幅員4メートル程度のくねくねした道路さえ、最高速度80km/h(イギリスはマイル/h表示だが)とか、とんでもなく高い。
で(そのとおりに飛ばす人も実際多いけど)少しでも超えたら、法律違反で検挙だろう。
一方で、日本では最高速度の標識は目安みたいなもので、プラス10km/hくらいは問題なし、というか標識を守って走るほうが危ないことも多い。
慣習や周囲に倣うことのほうが、法令順守よりも重要とされる社会である証左でしょう。
「自民党『法律を憲法に合わせるのではなく、憲法を法律に合わせていく』」 を例に、集団的自衛権賛成(違憲?)、反対(9条は国際法と矛盾?)、ともに憲法や法律は自分たちの主張を通すためのツールでしかない感じがする。政策より政局、中身の醸成より「勝った・負けた」。
現ドイツのような、法の矛盾を徹底的につぶしてきた国とは真反対。彼らのような国の人たちからしたら、日本国社会の法の運用って気持ち悪いだろうな。原発の件もそうだけど、そりゃ議論にならないよな。別のスレにあった「未開の*人」と言われてもおかしくないレベルだ。
右翼でも左翼でも、ネット右翼でもネット左翼でもないけども。最近の国会前のデモやら座り込みやら拡声器でラップらや一体なぜ行おうと思ったんだろうか。
Twitter、Facebookで「デモに参加しましょう」「シールズ応援しています」と書き込む人間は『なぜ法律を変えてはいけないのか(第9条だっけ?安保だっけ?)』を的確に論理的に説明はしてくれない。お前が勉強しなさいな、と言われればそこまでだけど活動を広めたいなら説明してくれてもいいんじゃないかな。
『戦争は悲惨な事だからです』→はい、わかってます。一言も戦争するぞ、なんて言ったか。戦争が起きる可能性があるだって!いまもそうだ。
『子供が戦地に行って人を殺すかも』→そうなの、一般人も徴兵されるの?本当に?
『JKS47』→集まった坊さんは本当にそれがいい事だと思っているのか
『戦争が始まってしまう』→戦争はなぜ起きるのか、過去の出来事を考えてみよう。
『シールズ』→みんな、洒落とるね。よっ!Strikinglyで作ったサイトかっこいいぞ!
『リベラル勢力の結集にむけて』→リベラルの使い方違くありませんか
『安倍辞めろ!』→基本的に人を呼び捨てにする人が嫌いです。乱暴な言葉使いをする人は信用できません。
主張は分かるのだけれども、感情的で大きな声を出してプラカード掲げるだけ。雰囲気に流されていないか?
それが国民の意思の様に捉えてはいけない。あくまで君たちだけだ。
でかい声でみんな怖い。先の未来より、今現在の君たちの方が怖い。じんわり泣けてくる
もちろん侵略戦争は反対だが、攻め込まれた時が本当に怖い。そこが重要なだけで、あとは勝手に改正してくれって感じだ。
それより、オリンピック反対運動にしませんか。無理やりやることはない。元気な日本を世界にアピールする必要は本当にあるのか。まだまだ早いって。
先に日本の中できちんと整理して落ち着いていきましょう。どれもこれも中途半端なままで次に進んではいけない。
・追記:トラックバックについて
http://anond.hatelabo.jp/20150829002158
シールズも同じような事言っていたのか。ほーほー。検索しても直ぐに出てこなかったが、動画とかFacebookで言っているのでしょうか?
地域の限定も対象限定したら自分の手の内見せているようなもんだけど、あえて曖昧にしている部分があるという事はわかりました。
自衛と戦争の線引きがこれまた曖昧なので解釈次第で(解釈って便利だ)どちらにでも転んでしまう。
ただシステムチックにしすぎると、肝心な時に適用できないという事が生きる場合を危惧しているのでしょうね。
制限?しなくてもいいんじゃないでしょうか。手の内見せる事で何かを有利に進む要因になるとは思えない。
http://anond.hatelabo.jp/20150829002158
『憲法は守りましょう』がないのはわざと?
→これ結局どっちなんだ? 合憲なのか違憲なのか、捉え方一つで変わってきますよね。ニュースによって偏っているのでどこも信用できない。
選挙って僕ら有権者が国に対して意見を言える唯一の時。前回のアベノミクス選挙だっけ?総理大臣が消費増税を先送りするのは重大なことなので国民に信を問う必要があるとおっしゃっていた。あの時野党は衆議院解散総選挙には約700億の金がかかるのでもったいないとかそんな金があるならもっと他に使い道があんべみたいなことを言ってたと思うんだけど、そもそも与党を解散に追い込みたいはずの野党がなんで選挙を嫌うのかちょっと不思議だった。解散権を持っている総理大臣がくれたチャンスなんだから、その意味では野党にとっては日々の活動の成果が問われるときであって、受けて立つどころか待ってましたと喜ぶべきだ。だって受けて立つもたたないも解散しちゃうんだから受けるしかないんだし。
んで今は消費増税のことなんて全く話題にもならなくなってきたんだけど、真ぁ最近はGDPのマイナス成長が数字として鮮明に表れてしまったのでひょっとするとそこら辺のところで話題になるかもねって程度だと思う。だってもっぱら話題になってるのは憲法学者の多くが違憲であると判断した安全保障関連法案だからだ。
安保関連法案はマジで多くの注目を集めているようで、多くのブロガーも安保関連の記事を書いていたしニュースなんかでも何度も取り上げられていた。国会前のデモはニュースや報道以前にTwitterなどでも話題になっており、挙句の果てにはそのデモ利己的なんだからと国会議員が言っちゃったりするとそこからまた騒ぎが別の意味で大きくなったり。
ここまで来ると完全に消費増税よりも重要な問題なんじゃね?って思う人は少なくないと思うんだけど、なんで衆議院を解散して選挙をやらないのかね?やっちまえばすっきりするのに。野党だって自分の主張が正しければ今こそ解散に追い込むべきだと思うんだけど。
集団的自衛権が合憲だという政府の判断に対して「解釈改憲」だなんて、今更な話だ。「憲法を守れ」とか戯言も大概にしろ。
憲法なんてとっくの昔に踏みにじられている。個別的自衛権を、自衛隊を認めた時に。それから眼を逸らして恰も今さっき汚されたかのように振舞うな。
なぜ個別的自衛権の解釈改憲は許されて、集団的自衛権の解釈改憲は許されないのか。現実に則さない憲法はむしろ害悪であるということを、大日本帝国憲法で学んだはずなのに、なぜカビの生えた憲法を後生大事に抱えているのか。
斜め読みで悪いけどどっちかと言えばリンク先で解説されているのは安保法制反対派の欺瞞だよな。国家の安全保障をどうするかという大事なことを野党が政権攻撃の材料としかみなしていないから幼稚な印象操作に終始し議論が深まらない。だから自衛隊や日米安保は違憲か合憲かなんていう自分たちの足元を脅かすようなこと言わない。本当はそこに立ち入らないとまともな批判などできないのに。
民主党だってそのことを分かってる。だから仮に民主党が政権取っても絶対に廃止なんかしないしできない。その証拠に幹部が対案をだすぜーなんて気軽にテレビで行っちゃうわけだ。で、せっかくうまく有権者騙してんのになにすんだと執行部に叱られてしゅんとなる。