はてなキーワード: 教室とは
将棋界のプロ制度には1)「棋士(性別不問)」と2)「女流棋士(女性のみ)」があります。
(https://www.shogi.or.jp/knowledge/world/01.html)
>プロの世界には、現役・引退あわせて230名を超える棋士がおります。 現在は男性しかおりませんが、女性でも棋士になることは可能です。
>棋士になるには、奨励会という棋士養成機関に入ります。 奨励会には一定以下の年齢で、棋士の推薦を受けた人のみが受験できます。
>女流棋士になるには、研修会に入ります。 研修会には25歳以下の女性が入会できます。そこで規定の成績を挙げることにより女流棋士2級となります。
で、1)「棋士」と2)「女流棋士」は全く別の制度ですので区別する必要がありますが、"女性棋士"という言葉は1)「棋士」の女性を指します(現状は存在しません)。
「女流」という言葉が差別的だという意見もありますが、代替案として私が思い付くのは「レディース棋士」ぐらいです。ダメか。
ただ女流棋士という名称は数十年かけて定着したので変更は簡単ではないでしょう。
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またこの手の話題では「女流棋士は女性が奨励会を勝ち抜けないから女性だけのプロ組織ができた」という意見もありますが、これは正確には誤りです。
時代をすごーく遡ると江戸時代には数名女性が将棋を指した記録が残っていますが、明治から大正、昭和にかけては将棋を指す女性はほぼいませんでした(賭け将棋が流行っていた、将棋=ギャンブルの時代)。
それが1960年代に連盟が女性教室を開いたり、女性アマ棋戦を作ったりして女性の将棋ファンが少しずつ増え、1974年に女流棋士制度が誕生します(来年で50周年)。
大山康晴十五世名人は将棋普及面の充実ため女流棋士制度の確立を強く提唱したそうです。
ちなみに1976年に建設された東京・将棋会館の設計にあたって大山名人は女子トイレの増設も主張したとか。えらい。
少し話がずれましたが、女流棋士が出来たときは将棋を指す女性は非常に少なく、棋士と比べるレベルではなかったんですね。
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数十年の時が流れ、昔より女性の将棋ファンは増えたと言っても競技人口としては女性はまだまだ少ないです。特にプロを目指せる小学生(棋士は大体5、6歳で将棋を覚える)。
将棋は早く始めないとプロ棋士は無理。これホント。中学生になって囲碁から将棋に転向しました〜とかないですから。
ただ早熟が正義なのは変わりませんが、誰でも将棋が強くなりやすい時代にはなったと思います。
昔は対面で指すしかなかったのがネット対局や将棋ソフトなど勉強方法は多様化。地方在住のハンデは少なくなったし、将棋を指す友達が0人でも強くなれる。
だから女性棋士も沖縄出身の棋士もそのうち出るでしょう、きっと。
(今日の豆知識:福井県、滋賀県、島根県、佐賀県、大分県、鹿児島県、沖縄県は将棋棋士を一人も輩出していない)
(終わり)
芸術家をどう定義するかによるけど、作品を売ってそれだけで食べてる人だけでなく、仕事は別にあるけど作品を売っている人、教室で教えて生計を立てて作品も売る人、教室などで教えて作品はほとんんど売っていない人、まで広げると女性の方が多い印象
ただし音楽は全く知らない
仕事は別にあるけどコマーシャルギャラリーなどで作品を売っている人は女性ばっかりのイメージがある
男性は就職しなかったり脱サラして芸術で食っていくぞ!って感じで夢見るけど脱落する
それはエロ目線もあるけど、コミュニケーション能力に長けた芸術家は圧倒的に女性の方が多いことの結果かもしれない
美術部あがりのインドア腐女子がラウダモンペしてカワイソカワイソしているがラウダを可哀想がるポイントがズレてるから反省しろ
パイロット科なんて若い男のなかでも特に負けず嫌いなほうのやつしかおらんだろ(※シャディク・ゼネリを除く)
現実にいるやつに例えるなら野球やサッカーのスポーツ特待で進学する奴だったり
ゲームもエンジョイ勢じゃなくガチってeスポーツの大会出るような勝負師メンタリティしとると考えるほうが自然
(だいたいお前ら腐女子は中学や高校で男子生徒がジャンプ読んでも教室で強さ議論ばかりして、「男同士の激重感情がどうの」みたいな話してたのが美術部か演劇部の腐女子しかいなかったことを覚えてないんか。陰キャ男ですらポケカの強さ議論しかしとらんかっただろ。人間関係ないがしろにすると人生が本当にやばいと気づき始めるのはだいたい大学以降や。それより前は強えヤツか雑魚かしかない。「ざぁ~こ」とかいう発想はメスガキやなくてリアル男児脳。それが気に食わないなら架空男性と理解したうえで商業BL読めや!)
そいつが後輩の女の子に機体完璧に整備しときましたよ!言われて寮全体から応援されて送り出されながら
「ガン!うわ〜!」で終わり、失神したところを後輩の女の子とアーシアンに庇われてましたってプライドズタズタだろ
かわいそうに……かける言葉もねえよ
そこのガノタは今すぐにカミル・ケーシンクの気持ちになってみろっていうんだよ
カミルの立場になってこのときのラウダになんて声をかければいいか考えてみろっていう話だよクソどもがよ
ラウダディランザはグエルに勝手に使われてエラン4号君にボコボコにされたときにしろ
ランブルリングでラウダがワンパンされたときにしろ噛ませ犬ばっかで可哀想なモビルスーツではあるんだわ
ファラクトもソフィのルブリスもガンダム禁止や決闘仕様の出力制限など無視したルール破りのモビルスーツだし
どっちも不正して高性能のMSにボコられてはいるけど、晒し者みたいな酷え負けっぷりだっただろ
グエルは4号にだいぶ憎まれてるのか執拗に毟られてたし、逆にラウダはワンパン(ソフィがラウダに一切興味がないから)っていう方向性の違う尊厳破壊
しかしどうして腐女子は強い弱いとか勝ち負けを徹底的に無視してメソメソして男から男への執着とホモセックス可能性のことばかり考えるのかね
ラウダがなんで可哀想かってずっとルール守って、身内も自分もルール違反者にボコられてプライドズタズタにされて耐えてきたのに
最後の最後に彼女意識不明説で錯乱してシュバルゼッテ乗ったのが「えっ、何?」「今それどころじゃねえんだよな~」「シンプルに邪魔」「グエルディランザと盛り盛りの最新鋭機シュバルゼッテでやっと釣り合うほど兄弟で実力差あったのかよ」と言われてしまうことやろが
しかも一方的にグエルに喧嘩売ったせいでもう賞賛されている兄と自意識同化することもできなくなった
「メッシ来たから俺らマイアミ最強!」みたいな帰属意識が異常なスポーツ観戦者のように、強者と自己同一化してプライド守るやり口が、もう使えないわけだわ
─3年後─と丸々スッ飛ばされたけどこの飛ばされた期間の適応や成長がラウダにとっては大変だったやろなまあメインキャラではないから丸々カットも当然の処遇ではあるが
ラウダ腐女子は自己憐憫の投影が強すぎるのとインドア文化部の発想の限界のせいでキャラクターの心情エミュレートにフルスロットルで大失敗しとると思うわ
藤井総太に「将棋指したいんで駒の動かし方から教えてw」って言いに行くのが非常識なのと同じで、作品や競技で金とってるプロに聞きに行くんだったら、せめてそのプロじゃなきゃ答えられないようなことを聞きに行くべき、って話じゃないのん?
もろちん、プロが自分で「未経験者歓迎、アットホームな技術教室です」って言ってるんだったら別ね。
みんな言うように技術書もいっぱい出てるし、コマ割りやデッサンの基本から教えてくれるオンライン講座も対面で教えてくれるワークショップも探せばいっぱいあるよ。そこの講師は「まず作品書いてもってこい。話はそれからだ」なんて言わないよ。
だから「創作に関しては常に根性論」っていうのは純粋に間違ってるって言うか、飛び級を望みすぎなだけだと思うんだよね。
料理だって例えば三ツ星レストランや有名ホテルのレストランにコックさんとして就職したいってなったら「ほな、腕前見せてもらいましょか」ってなるじゃん。でも町のフランチャイズレストランの厨房なら最悪、包丁ちょっと使えるくらいから働けるわけじゃん。
プロの漫画家や、プロの編集者っていう業界トップに何か教えを乞うために必要最低限のレベルがあるってだけで、別に漫画描き始めたい、小説書き始めたいって人が行くべき場所や通るべき道っていうのは普通に存在するよ。
新木伸ってラノベ作家がいて、GJ部と英雄教室がアニメ化されているそこそこな有名作家。
彼が大昔にやってた作家志望育成BBSでワナビー相手にイキりちらかしてたんだけど、
その中からデビュー作「かのこん」がアニメ化した西野かつみがデビューしてるのは
普通に考えてわりとえらいことだなーって思った。
その西野かつみはかのこんももう一方のシリーズも途中で放り投げちゃったんだけど
小説の書き方教えるぜヘイヘーイみたいなこと言って何の結果も出せずに死んでいく奴ばっかなのに
割とちゃんと売れたって言えるプロを輩出してるのはなかなかすごいことかもしれない。
ちなみに「かのこん」がアニメ化した際には師匠の新木伸はアニメ化作品を1作も持っておらず
弟子が師匠を一瞬で追い越したwwwwなどと揶揄されていたが、その後「GJ部」がアニメ化し
更にその10年後には「英雄教室」がアニメ化しているので、師匠の面目躍如といったところ。
なにより、絶やさず作家業を続けていけるということ自体がやっぱ才能だよなーって思う。
こいつすげー才能ある!ってなっても途中で消えちゃう奴いるよな。片山憲太郎、テメーのことだぞ。
漫画家にはアシスタントって制度があってそこからデビューしていく人多いイメージあるけど
だからです。
漫画描きが絵の練習をするのは日々の筋トレみたいなものです。筋トレだけでは漫画はかけるようになりません。
「プロ野球選手になりたいから毎日うさぎ跳びをしています。野球の試合はしたことがありません」
こんな人がいたらまずは野球してみろといいたくなるでしょう。同じです。
絵を練習し極めてもたどり着く先はイラストレーターです。漫画家はイラストレーターの上位職ではありません。
ここで言う漫画の上手さとは、コマ割り、演出、構成などです。(ストーリーの面白さはまた別パラメータなのでちょっと置いておきます)
まずは漫画を描いてみることで初めて自分の課題が自覚できるのだと思います。
顔のアップばかり続いちゃうとか、セリフが長すぎて読めないとか、背景どうやって描くの?とか。
自分の欠点を自覚できさえすれば、人の作品を読むときに無意識にチェックをするようになるし、漫画の描き方本を読んだり、1ページ模写をしたりと学習していけるわけです。
父さんが事故で亡くなってから、明るかった母さんが廃人みたいになってしまって、最悪の事態にならないようにと家族やご近所さんたちでずっと見守ってた。
藤井聡太くんがプロ棋士になって連勝を重ねていったあたりから、テレビや雑誌を見るようになって、藤井くんすごいねーと久しぶりにまともな会話をするようになった。
そのうち、アベマの将棋チャンネルを観始めたり、辞めてた将棋教室にもまた通うようになったり、周りの人との交流も戻っていって、すっかり元気になってくれた。
その頃からずっと藤井聡太くんのことを応援していて、タイトルを取ったときも、昇段したときも、タイトルを防衛したときも、毎回ケーキやご馳走を作ってお祝いしているらしい。
父さんの死後、母さんはずっとソファにぼーっと座っていて、食事はたまに牛乳を飲んだりお菓子をかじったりするだけで、気づいたら仏壇の前で泣いていて、という毎日だったんだけど、最近は仏壇に向かって「聡太先生を勝たせてね」と図々しいお願いをしている。
母にとって藤井聡太くんはいわゆる「推し」という存在なんだろうけど、俺たちにとっては母を立ち直らせてくれた神様みたいな存在。足を向けて寝られない。
八冠制覇を家族総出で期待している。
昔の話だが、息子が学級崩壊を扇動して騒動になったことがあった
当日息子が通う小学校では、男子の間で流行している、とある遊びがあった
息子たちはその言いつけを守り校庭の隅でやっていたのだが、女子が「男子がまたあの遊びをしている」と言い出し、それを受けて担任は息子たちを叱責しその遊びを場所を問わず禁止すると言い出した
それに息子がキレたらしい
「俺たちはルールを守って外で遊んでいた。(屋内での遊びを)禁止されてからは一度も校舎の中でやってない。なのに怒られて、遊び自体を禁止と言われても納得がいかない。だからもうルールは守らない。校舎の中だろうが構わず遊ぶ」と言い出し、日頃から女子のこういった言動に鬱憤を溜めていた男子の多くが賛同
教室は大混乱に陥った
ヘッドスライディングって走るより速いんですか? 元プロ野球選手に聞きました | となりのカインズさん
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/magazine.cainz.com/article/164673
zxcvdayo 各所で測定して検証されて10年以上前にとっくに決着ついてるのに何故か桑田がいろんなとこで遅いって言い張ってただけの話だからなこれ……
桑田がヘッドスライディング否定派なのは危険性が理由であって駆け抜けるより早いことは認めている
番組が走塁を検証したところ、ベースを駆け抜けるより、ヘッドスライディングをした方が、4人中3人が一塁へと早く到達している。
「昔はビデオやテレビを超スローとかで見れなかったので、イメージだけで伝えてこられたんですよね」と前置きしつつ、
「身体ができあがったプロ野球選手はやってもいいし、好きにすればいいんです。ビジネスですからね。
でも、成長期にある子供達は毎年骨や関節が伸びてますよね。その段階でヘッドスライディングをすると、脱臼や骨折や突き指をするんです。
https://news.livedoor.com/article/detail/5021738/
kyorecoba 福本豊「そら、頭から行った方が早いで。けどな…、ケガするからココというときだけにしとき」と野球教室で教わった。
福本はヘッドスライディングするより駆け抜ける方が早いと主張している
1塁は走り抜けた方が速いに決まっとるでしょうが。100メートル走で、ウサイン・ボルトがヘッドスライディングでゴールするか? 走り抜けとるがな。仮にヘッスラの方が速ければ、1人ぐらいゴールで頭から突っ込んでもおかしくない。
タッチが不要で、ランナーも走り抜けられる一塁では、トップスピードの状態で走り抜けた方が速い。なんでわざわざグラウンドと摩擦を生む必要があるのか。
https://www.news-postseven.com/archives/20130912_210429.html
thongirl 日頃から理系であることを自負しているはてブ民が、ニュートンの第1法則に準じない理論を支持するのは甚だ滑稽ではある
ヘッドスライディングの方が早いと主張する人たちはヘッドスライディングをすることで(普通に駆け抜けるより)加速できると言っているわけではない
2024.03 追記
上記記事の13年前に放送されたS1の僅か3年前にはイチローが、放送以降にも上記の福本、屋鋪など複数のプロ野球関係者が駆け抜けたほうが早い説を主張しており
'07年の北京五輪予選の台湾戦で、ソフトバンクの川崎宗則がチームを鼓舞しようと平凡なショートゴロで一塁へヘッドスライディングし、師匠と仰ぐイチローから「カッコ悪い。俺のいちばん嫌いなことをした」と説教を食らった。
一塁ベースまでの到達時間は駆け抜けた方が速いと言われているし、足でベースを踏んだ方が審判も見やすい。さらにヘッドスライディングは、ケガのリスクも高まる。そのため、イチローは非合理的で、プロらしからぬプレーだと切って捨てたのだ。
https://number.bunshun.jp/articles/-/828787?page=2
走塁は盗塁王の屋鋪さんが担当し、打者の打撃のタイミングに合わせたリードの取り方などを指導。「ヘッドスライディングは危険で、プロでも何人もけがをした。駆け抜けた方が早いし、一生懸命しているというアピールでしかない」と語り、指導者に「しないように指導してください」と念を押していた。
https://www.sankei.com/article/20140928-I2QBD3JMNVMZLOGHYKOLYXXQUE/
避けたり分けたりすることはそもそも不可能じゃね?女オタクみたいな発想だけど、インターネットでそんなの無意味なんだよ
どうせこれで「電波ソング」みたいなハイコンテクストカルチャーの存在を初めて知った一般人がほとんどなんだろ
下手したらこれに触れてもなおすぐには文脈を理解できない人の方が多いまである
90年代00年代はPCでネットに触れる人は少なかったけど、触ってる人はネット歴を経るにつれてだいたいのネットカルチャーを俯瞰できただろ?
スマホからネットに入ったような一般人も、ネットの世界に接続した以上、いずれそうなっていく運命
ただ規模が大きすぎて四方八方へ広がる奇天烈カルチャーの浸透に時間がかかりすぎて、カルチャーショックの悲鳴が鳴り止まないだけ
90年代00年代なら、カルチャーショックを受けても「知らないのは俺だけだったんだ」くらい除け者感があったけど
今は「そんなの皆しらねーぞ常識的に考えろ」ということが言えてしまう空気だから、余計に難儀ではある
スマホデビュー層にとっての文化はテレビに映るものだけだったからギャップを埋めるにはまだまだ相当時間がかかるだろう
今のネットユーザーはメイドさんロックンロールとか巫女みこナースとかチルノのパーフェクトさんすう教室を面白がってた時代とは面構えが違うんだ
年収700万が弱者男性なのったらガチな弱者男性がかわいそうだわ。
あと、そんな対応の結婚相談所はいい相談所って言えないからやめときな。
相談所内のプロフ見て自分で申し込む見たいのの方がまし。仲人的なのがいるのはよっぽどカリスマな担当じゃなきゃだめ。
相談所ならプロフ見てメールしあう&仲介の両方やってるところがいいわ。なんならアプリからはじめればいいよ。
年収700万あれば20後半〜35で年収370万派遣ないしパン職ないし保育士とか介護士とかと結婚できるだろ。
知り合いの伝手がいいけどなかなか難しいよね。
自分は女子校時代の友達の伝手で。妹は同じ職場。友達で珍しいのは街コンみたいな出会いを担保する料理教室で出会って結婚。義兄はアプリ婚。
年収700万が弱者男性なのったらガチな弱者男性がかわいそうだわ。
あと、そんな対応の結婚相談所はいい相談所って言えないからやめときな。
相談所内のプロフ見て自分で申し込む見たいのの方がまし。仲人的なのがいるのはよっぽどカリスマな担当じゃなきゃだめ。
相談所ならプロフ見てメールしあう&仲介の両方やってるところがいいわ。なんならアプリからはじめればいいよ。
年収700万あれば20後半〜35で年収370万派遣ないしパン職ないし保育士とか介護士とかと結婚できるだろ。
知り合いの伝手がいいけどなかなか難しいよね。
自分は女子校時代の友達の伝手で。妹は同じ職場。友達で珍しいのは街コンみたいな出会いを担保する料理教室で出会って結婚。義兄はアプリ婚。
俺はASD/ADHD(不注意優勢型)のハイブリッドだが、明示だろうが黙示だろうが納得できないルールに従うのは難しい。
無意味だと思うルールに従うのが苦痛でバイトを二度辞めた。定型発達者が無意識にこなす「とりあえず従う」がとにかくド下手なのだ。
幼稚園の頃、よその教室に出入りする際は「失礼します」「失礼しました」と言う規則があった。
しかし俺は納得できなかった。
以上の理由からいつもルールを無視して教室移動していたが、ある日先生にバレて廊下に出され、「言うまで入れない」と命じられた。そして授業が終わるまで、ひとり外で泣き続けた。
現在はこの手の日常マナー問題は「犬が尻を嗅ぎ合うようなもので、集団に馴染む意思を表す記号である」と解釈することでクリアしている。
それはそうと、未だ解せないのが外食時にテーブルで「いただきます」「ごちそうさま」を言う人。あれは何なんだ。
スタッフへの感謝ならレジカウンターで直接言えばいい。食材への感謝というが、死骸に手を合わせて何が伝わるというのだ。プレデターに「血肉になってくれてありがとう」とか言われて喜ぶ人がいるだろうか。そんなんええから殺さんでくれと思うのが生き物として自然だろう。食卓でマスターベーションをするな。
「残すと食材に失礼」という謎の負い目もそう。獲って殺した時点で失礼もクソもない。
「米粒残すな農家に失礼」もわからない。稲刈りの時期は田の周りに獲り溢した米が点々と落ちている。米に神が宿るならまず農協にクレームを入れろ。
俺は味覚・嗅覚・触覚が過敏で手先も不器用なため、食事関係の苦手がとても多い。そのため食事教の教義に従わないと無条件で人格否定してくる人間全般に激しい怒りを抱いている。何が「育ちが悪い」だ、死ね。
少し話が逸れた。
インターネットには我こそは発達障害者の代表でございという顔で障害特性を語る当事者が多く本当に辟易する。発達障害はスペクトラム、千差万別、100人いれば100通りの特性がある。傾向こそあれ白と黒に分別できるものではない。
作業所に通っていた時期があるが、知的障害の有無を問わず誰一人として「同じだ」と感じる人はいなかったし、むしろ相入れない人の方が多かった。
だからさぁ、断定調の方がバズりを狙えるのはわかるんだけど、他の当事者が誤解されかねないんで止めてくれませんかね。anond:20230930021538もそうだけど。俺あんたらと全然違うよ。
小学生はその自由と人権を学んでる最中なのでね……私たち大人と同じように考えない方がいいよ。
まあ一度小学校の現場(とくに低学年)に来てみなさいって。本当にすごいから。
管理が「面倒」とかいうレベルじゃないから。あれをコントロールできる先生すごいよ。
私だって学校も先生も嫌いだったけど、はじめて尊敬したもん。学校ボランティア行って。
たまにコントロールしきれてない先生もいたりするけど無理ないと思う。
人権以前に「人間になる練習中」の子が多いのよ。その無秩序を放置すると普通に躾できてる子たちがしんどいし。
とにかくまずは教室の秩序が大事。子供たちの(心理的な)安全の方が大事。自由とか人権とかいうお話をするのはそれからなんだよ。
京アニ放火事件の青葉被告の、裁判での言動が日々メディアを騒がせている。
ヤフコメやXで見られる反応では青葉被告を徹底的に断罪したいようだが、私は公の法廷に現れた存在としての青葉被告を応援しているし、彼が無罪になればいいとも思っている。
少なくとも、青葉被告が、予定調和的に死刑になることは絶対に望んでいない。
被害者(=京アニ)についてはよく知らないし、遺族ほかを非難するつもりもない。これはただ私の思い入れこみによる勝手な文だ。
「もしお前やお前の家族が殺されたらどう思う」みたいな質問はここでは意味をなさない。そんな質問しかできない時点で、大きな断絶があるのだ。
青葉被告の死刑を容認する人々でさえも一部が指摘しているように、世間には「青葉」的な者がいる。そしてそれは、どんどん増えている。
魔の82年生まれとか発達障害の増加とかそういうお茶の濁し方ではなく、明確に、「青葉」被告的な苦痛に満ちた者が増えているのだ。
世間は少なくともそれをずっと認知して来た。それも、机上のグラフの上の数値ではない。
クラスに一人はいる彼。職場に一人紛れ込む彼女。近所や親戚に一人いるあいつ。
青葉の体験を一般化することはできないだろうが、あえて広く「彼等」の問題として考えたい。
彼等がコミュニケーションに行き詰った時、あなたはどう振舞っていたのか。
彼等がコンビニの列の最前列で何かにつっかえた時、あなたは舌打ちしなかったか。
彼等が同じ教室・職場で、教師・上司に何度も叱責される中で、ただ「そう」であることで評価を下げていなかったか。
私は、平均とか標準という考え方で言えば、「青葉」側の人間である。
ただ、例えば、世間の人々が得られる「幸せ」をあきらめることには納得はいく。
しかし、世間の人々に与えられる「逃げ道」をなぜか私が使えないとなったとき、その惨めさは何百倍にも何千倍にもなる。
私は青葉被告のどうにもならない体験を見て、そんな説明をひねり出すことができた。だが過去のいろいろな事件の時点でひねり出すべきだった。
小学校・中学校を通して、本人でもうまく説明が出来ない様な過ちをして、しょっちゅう教師にクラスメイトの面前で厳しく叱責されている、今でいえば学習障害とか自閉症なのだろうか、そんな同級生がいた。
この男子同級生はとても「愚か」「間抜け」ということになっていて、実際何を考えているのか、私達にもわからなかった。いや、わからないようになっていった。教師の度重なる叱責や軽視によって。彼が精いっぱい受け答えを捻りだすたびに、教師はその言動を叩き潰した。
今考えれば、教師は彼を叱責すべきではなく、話をゆっくりと聞くべきだった。もっと言ってしまえば、もはや「赦す」べきだった。教師こそがこの同級生の代弁を私達にすべきだった。
大げさに言えば、人に生きる意味を考えさせ、死の世界から遠ざける、ということをこの教師や社会はしていなかった。健全な市民を育むとかそんなのはどうしようもない建前だ。
そしてそれが為されないとき、この同級生が、教師を刺し殺したり私たちごと教室に「理不尽に」「逆恨みで」放火したとしても、私はもはや文句は言えない。これは一言で言えば「窮鼠猫を嚙む」という格言であり、逃げ場の許されない中で当然生じうる人間のむしろ正常な反応だとおもう。
そうできないならば、世間が彼を徹底的にバカにした通りに、彼はナイフやマッチの使い方もわからないまま見当違いの人を刺して燃やす。それは自然なことでしかない。世間が彼をそうさせた。
人を大切にしない社会は、そのどこをやりかえされてもしょうがないとおもう。
私は、あの同級生やそれと同じ人々が何千人と重なって一人となり、被告となって証言台に立っているのだとすら思う。
監禁された人間が「ストックホルム症候群」を起すことには同情されるのに、なぜ狭い世界で逃げ場を失った人間の行動には同情がされないのか。
そこで世間の人々は目を逸らし、「仕方ない、悲惨だけど、死刑」などという。
私は堂々と「青葉は無罪だ。無罪にすべきだ」という。それだけの問題提起をすべき理由がある。青葉を診療し死の淵から回復させた医者は「生きて裁かせる」という信念があったそうだが、直接関係ない私は「生きて無罪になれ」といいたい。
そして99%くらいの確率で青葉が死刑になったとしても、私はいい続ける。似た様な事件がまた起きればその被告を擁護する。
世間は、事件を繰り返させる前に、「青葉」的なものを真摯に今度こそ見つめ、「赦し」、我々の社会の要素として自然に見なすべきだ。それが達成されるまで、世間が目を背けた回数の分だけ事件が起きても、無罪にすべきだ。
十九世紀末のヨーロッパでも、社会の矛盾に対し、富裕層の集まる場所や公務員への爆弾攻撃で答えたアナーキストたちがいた。彼らは少なくとも自分の言葉と道具があった。
今は自分の言葉も道具すらも持てない時代が来ている。少しでもそんな時代から遠ざかるために。
私の匿名の日記は世間には何の影響も与えないだろうが、たくさんある非難に対して一つでもこういう意見があったと、どこかで思い出してもらえればいいなとおもっています。
学校側は、生徒の社会事情や、性格なども全て把握している上で、一番相性の悪いDQNと、教室という密室空間に放り込める。
そのために使われているのは、アポロ計画でも採用された、六タイプのシンプルな性格診断だろう。
アポロ計画の際には、その性格診断を使って、宇宙飛行士たちの不和の殆どを、かなり正確に予測できた。
詳しくは、『アルゴリズムが世界を支配する』という本に載っている。
それでもイジメられそうにない奴だと、いじめっ子に工作員を用意する。
それでも倒せなかった強い被害者には、クズ教師を割り当てて、嫌がらせが始まる。
現場の教師というのは、所詮は下っ端なので、そこまで質の悪い者もいないが、管理職の方、校長や理事長など、教育委員会レベルには、殆どヤクザ同然の屑どもが居る。