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はてなキーワード: 成功体験とは

2024-07-06

堀口くんがネットから消えたら叩いてる奴らも静かになるよって暇アノンしょっちゅう言って

ネットを続ける堀口くんが悪いと主張してたけど

消えたって結局デマで叩きまくってるんだよな

都知事になんてなれそうにもないかカリカリして「ただの大学生集団中傷してネットから追い出した」という唯一の成功体験にすがるしかない

anond:20240706085228

まあ子育て自体お金もその他のコストもかかることだから、札びらで引っ叩くなら全額補助でやっとトントンじゃん…?

それ以外のインセンティヴっていうのもあるから人は子をもうけて育もうとするわけで、それってなんなのかな?っていうとこにもうちょっと目を向けてもいい気はする。

みんながそうするからとか女の幸せとかそういうことじゃあなくて、もっとこう…なんか子をもうけることの成功体験とかをプッシュするとか?わかんないけど。新しいロールモデルっていうか。

それだけじゃダメだろうから札と同時進行でやることになるだろうけど。

そんでその札じゃないインセンティヴこそが産む機械ではなくて、自分意思で子をもうけ育てるんだっていう意識になるんじゃないかなあ…そのほうが子育てに対する取り組みとか意欲も変わってくるから教育も行き届きやすいとかもあるかもだし。

まあでもアンチナタリズムとかが結構叫ばれてきた感じとか考えると、今は人類は減少するのが正しいのかもしんないけど。

生物には本能的にそういう個体数調節機能が備わってる気がするし。

まあでもそれにしてもソフトランディング大事だしな。

別にそこ女がどうとか考えなくても、淡々とやれることやればいいんじゃないすかね…

2024-07-04

anond:20240704220928

注目に載る事なんて目指してるやつなんてろくでもないからな

喜ぶハードルが低すぎるやつって、成功体験ないんだなって周りに思われるだけ

2024-07-03

anond:20240703214903

強姦も、そこへ至るメンタリティわからんではないよ

俺もおかし成功体験を重ねたらおかしくなっても不思議はないとすら思う

幸い、強姦なんて興味も持てない人生を歩めているだけだ

2024-07-02

Xの引リツでウザ絡みする人たち

斜に構えた言い方で

自分の方が賢くて世間を知っているって

マウントを取る姿勢共通しているけど

どこかでああいう形で歪んだ成功体験をしたのか?

それともストレス発散の書き逃げ?両方かな?

なんだかそういう共通点がある

2024-06-29

宣戦布告するヤツいるじゃん

私はあなたが嫌い、信用していない、みたいなのを言葉や態度でハッキリ示しちゃう

プライベートなら自由にやればいいが、仕事で、しか顧客取引先にまでやりやがるんだよな

合わないならそう上に伝えてくれれば(あなた担当から外すから)いいのに

相手個人ストレートに伝えやがるから、結果として信頼関係ボロボロになる

大体は威嚇された相手が気を遣って譲歩してくれるから何とか業務回ってるけど、同じタイプの敵にぶち当たると大喧嘩になって辞めていくんだよな

でも再就職先で同じことしてんだろうな

成功体験があるから

2024-06-28

欲がある弱者女性もいると思う

https://anond.hatelabo.jp/20240625135549

自称弱者男性の一番キツイとこって、欲があるとこじゃん? 性欲とか自己顕示欲とか物欲とかさ。貧乏かつ欲があると一番大変だと思う。

国際ロマンス詐欺に騙されている女性いるから、欲がある高齢弱者女性もいるんじゃないかな。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/international_news_navi/articles/feature/2024/03/22/38517.html

https://www.secom.co.jp/anshinnavi/net_security/backnumber400.html

NHK記事男性女性なりすまし男性から金を詐取しているケースだったけど、「日本でも被害額は去年1年間で177億円を超えた」とある

https://www.youtube.com/watch?v=AruFY70nLB0

ロマンス詐欺被害者は『40代女性が最多』兵庫県警が発表…全体の3割以上に 次に多かったのは『60代の男性』(2024年5月1日

スマホフェイビデオ通話ができるようになる前のガラケーメール時代から

嵐の松潤から間違いメールが送られてきて出会い系サイト誘導されて金をだまし取られる女性、みたいなもの存在したんだよね。

成功体験がなくてうらぶれた腐った感じの女性というよりは、割と自信があって若いころの成功体験があり楽観的な女性が騙されているという印象がある。

(あと軽度知的障害グレーゾーン可能性もあるのかも。普通に考えて嵐の松潤が間違いメールきっかけで一般女性に悩み相談をするわけがない)

さらにこれからは生成AI進歩で、詐欺師が一人一人の被害者に接客する必要性すらなくなり、全自動で金をだまし取られるケースも増えてくるのでは?

 

から女性は」欲が少ないから騙される危険が少なくて安心、みたいな考え方はどうかと思うんだよね。

あと傾向として感じるのは、騙される女性経済的に詰んでいく女性恋愛経験が意外と豊富な人、バツイチ等が多いということ…。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/jiken_kisha/kishanote/kishanote15/

去年11月都内バス停路上生活者の60代の女性が男に突然殴られ、死亡した事件

大林さんはその後、27歳で結婚し、夫とともに上京。健二さんにとっては、順風満帆人生を送っているかのように見えた。

しかし、結婚してまもなく、先に上京していた健二さんに「自宅に泊めてほしい」という連絡が来る。夫から暴力を受けたと説明していたという。

5日間ほど寝泊まりした後、大林さんはそのまま広島実家へ帰り、翌年離婚

わずか1年余りの結婚生活だった。

この方の場合も、婚姻歴のある美女だった。

若いころの写真掲載されているけど、「アナウンサーを目指していて、結婚式場で3年ほど司会を務めていた」とあるのも納得する華やかさがある。

男性女性では人生がどういう風に行き詰っていくのかにかなり性差がある気がする。

弱者男性話題では小学生の頃から女子排除されていて、一生を通じて一度も良い思いをしたことがない、みたいな層が呪い言葉を吐いているけど、

女性場合はそこそこの成功体験があって、そこから離婚シングルマザー化によって経済的に転落というケースが多いように思う。

時間一夫多妻」の概念がすでにあるけど、そこには歳をとってから夫に捨てられる元妻の存在がある。

結婚出来れば、子供が生まれればゴールというわけじゃないんだよなぁ。

そのあたり、弱者男性は本当に認識が薄いなと思うけど、人生経験が浅いから仕方ないよね。

今後も「夫に捨てられたとはいえ、一度は結婚できただろ」と貧困高齢女性を叩き続けそう。

 

要するに女性場合は、若い頃でもあまり容姿で得した成功体験がなく、地味に暮らしてきて「セルフ去勢」みたいな姿勢で生きてる人が割とうまくいきそう。

逆に若い頃に容姿で得した成功体験があって、加齢した自分を受容できずに夢見がちな少女性を残していて、

未診断なだけで思考力がグレーゾーンな方が、イケメンへの夢を残したまま高齢になっているだけに危ない気がする。

セクハラをするオジサンも、成功体験ゼロセルフ去勢してる男性ではなく、若い頃は「イケメン無罪」で許されてきた人が加齢でアウトになったケースが多いような…過去成功体験にしがみついている自信家)

ホストにハマる10代の女の子たちが「イケメンにメンケアされるために生きてる」みたいなことを言い、そのために立ちんぼで稼いで貢いでいるわけだけど、

イケメンにメンケアされるために生きてる」が高齢者になっても残ってる感じの女性が居ないこともなくて、そのパターンがかなり厳しい。

今の40代50代の女性って、女性主体的な性欲を抑圧されてきた人も多い世代だと思うんだけど、今の1020代女性推し活全盛期というか、女性イケメンを求めるのは当たり前という時代に生きてる。

抑圧が良いとまでは言わないけど、資本主義ドライブされて「イケメンをどんどん求めろ!」という社会背景で育って、これが中年女性になったとして、まともに適応できるんだろうか。

現在40代50代の弱者男性のような悲惨な結末(欲深くて、自分スペックが見合わず、ずっとキレている)になるんじゃないかって気が勝手にしています粛々とは生きられないんじゃないか

2024-06-27

「競プロ転職ができる」の揺り戻しが起きているのかもしれない

ITエンジニア界隈の転職市場は、少なくとも5年前くらいから売り手市場と言われ、PaizaとかAtCoderとかで一定レベルある人は(コーディングテスト対策意味もあって)転職で有利みたいなのが言われてきた。

医師爆速でレート上げてgoogle転職果たしたみたいなドリームも一役買ったのかもしれない。学生時代に競プロやってた人たちが就職するようになるくらいに時間が経過して、競プロ転職した人の記事やXポストも見るようになった。

転職就職)を果たした人たち目線記事では軒並み成功体験が語られているのだが、それを受け入れた企業(受け入れた部署の人たち)目線ではそうではなかったということなのかもしれない。最近プロアンチ増田記事が増えたのは、そういう揺り戻しというか、アンサーが書かれはじめたのかもしれない。5年という年月も、そこそこ業務経験を積むには十分な期間だし、経験則という名のデータも揃っての結論を出せる期間だ。

個人的感想としては、自分はRedCoderはおろか競プロerが入りたくなるような企業では働いてないし、そもそもプロをやっている人をガチで見たことない田舎で働いているので、どれも都会の、大企業愚痴といった感じだ。よくある人間関係不和で、マネジメントの失敗で、教育の失敗にも見える。増田大言壮語記事を書くために、属性問題帰属させて問題をわかりやすくしたと結論づけるのが、増田記事を読む際の正しい読み方だと思うが、ただ田舎中小企業で働く身としては、部署にたった一人ヤバい奴が居たら、その部署のみならず会社全体の営業利益に直結するほどの痛手というのはわかるので、ううむと唸らされたと言ったところだ。

そういうヤバい奴は軒並み試用期間にやらかして去っていくのだが、競プロのレートという企業外に実力を見出されている人たちは、自信を持って破天荒できるのだろう。オブラートに包んだが、別に褒めてはいない。

2024-06-24

anond:20240624091358

いうてワイも発達障害エンジニアなんやねんけど

あいつらのやばさは

なんなんだろうな…

「そこまで言わんでも」を学ぶ機会がなかったっていうか

する気がなくてもなんとかなってしまった成功体験みたいなの、あると思うでえ…

2024-06-23

感情の起伏をオタクしか得てこなかったアラサー

社会人になり、一人暮らしを始め、5年目。

コロナ禍で、リモートワークで、

毎日動き回ってた大学時代と比べて、

はちゃめちゃに体力と気力が失われた。

最近はなににおいても無気力自分が嫌だ。

物心ついてから特に思春期〜去年からまではいろんな界隈に推しがいる所謂雑色オタクだった。

最後推していた人は韓国人だった、正確には今も好きだけど兵役に行っているから前みたいに感情ジェットコースターになることはない。その推し兵役行ってからに何か夢中になれることにも出会えていない。

オタクしてるとき自分は嫌いだったけど、今みたいに無気力になることもなかった。体力の許す限り私生活オタク仕事もして、支障をきたすこともあった。

それが推し兵役を機にパタっとオタクから蓋を閉じたかのように自分生活がつまらなくなった。

感情の起伏をおたくしか得てこなかった自分にも嫌気がさす。

オタクをしてる自分が嫌だったと書いたが、オタクを除くと私には何もない。つまらない人間だ。

冬に人恋しくてマッチングアプリを入れても、上手くいった試しがない。条件だけをみて人を選んでいくのも難しいし、人生モテたこともないから選ばれることすらない。この間、やっと良い感じの人ができて告白してみたけど、フラれた。相手言い訳ばかり並べてきて、なんか悲しかった。向こうが何をしたかったのか?分からないままだけど、また成功体験にすらならなくて病んだ。

振られた次の日、友達を家に呼び寄せて家中に塩撒いて、そいつ存在を消し、知り合いに勧められるままに赤ワイン風呂をしてみた。

仕事世間的にはめちゃくちゃホワイトだけど、職種総合職ではないからたまに肩身が狭い。就活時に希望してた業界でも職種でもない。本当にまぐれで入れただけ。たまたま運が良かった。向いてないなとは思うけど、ホワイトだし環境も悪くないか死ぬほど辞めたいとまで思うことがなくて、ただただ向いてないと思う仕事をこなしていく。周りから総合職に転換した方がいいと言われ、勉強して試験受けなよと、頑張ることを強いられる。

アラサーなって周りがどんどん結婚したり良きパートナーに巡り会ったりしてるのをただ眺める。休日会える友人が減ってくなんて嘆きながらネットサーフィンして休日が終わる。

上司との面談ではもう5年目だもんね…と言われ、その後貴方が言いたいセリフはなんですか??と問いかけたくなるがこちらも黙る。こないだ4年間でこの仕事しかしてなかったのは勿体無いよって言ってきたのは、シンプル仕事ができないって思われて陰で色々言われてるんだろうか。

会社が望む様な自己研鑽を積めてないことも自覚してるし、勉強に向かうも即違うこと始めてしまって一丁前に毎日自己嫌悪にはなる。

自費で試験申し込むのに、何回落ちたんだろう。

後輩のが総合職になるための勉強も頑張ってる。私はこのままなんとなく向いてない仕事をなんとなくこなすおばさんになるんだろうか。

何を手始めにすればいいんだろうか、どこで間違えたんだろう。

推し兵役から戻るまであと324日。

戻ってきたとて、前みたいな熱量応援できるんだろうか。

無気力で、病院を予約しても、まともに行けない自分から脱却するにはどうすればいいんだろう。

生きてるだけで偉いみたいなのは嘘で、実際は頑張ってない、仕事ができない人間に対する風当たりはきつい。こうやって言い訳ばかり並べてる自分も、きつい。

2024-06-22

anond:20240622125351

思い切ってやってみたら『自分は』なんとかなったっていう成功体験を積み上げてきたから、だろ

自分の話しかしないよな、『子どもが』どう生きていくかの話ししてんのに

anond:20240622124652

思い切ってやってみたらなんとかなったっていう成功体験を積み上げてきたか

2024-06-18

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

2024-06-16

プロジェクトXニッポン人が過去成功体験に酔いしれているだけ

タイトル通り。

みっともないからもうやめてくれ。

これから不安だっていう人がほとんどだろ?

2024-06-13

小学生時代にボッチでいじめられてそうな強キャラ

そのせいで性格が歪んであんキャラに。

碇ゲンドウ

山岡士郎

赤木シゲル(ただし報復はしてそう)

鷲津

一方、大槻班長は明らかにいじめる側。その辺の間違った成功体験を引きずってしまい、中高でもお山の大将を気取って道を踏み外し転落人生にて地下送り。

2024-06-10

anond:20240610161905

かに、延々と呪詛を吐いてる中年弱男や中年フェミを見たとこで、自分とは別の生き物、ああはなりたくないと漠然と思うだけよな。

もっと成功体験を共有してる奴らの事をみたほうがいい。

私が希望モテないのはどう考えてもお前らが悪い!

どう見たって日本のこれからお先真っ暗なのに、バブル世代の親は「今耐えればなんとかなる」って何年もずっと壊れたスピーカーみたいに言ってる。

昭和成功体験をずっと持ってるみたいな感じなんだよな。

まあお先真っ暗だとしても自分達の生活は続く訳だし、希望持たなきゃやってらんねえんだろうけど、マジで希望なんか持てないわ。私が希望モテないのはどう考えても時代が悪い!

バブル恩恵を受けたのは一部だけ

よく少子化話題経済問題により婚姻率が低下したと主張するとすかさず、

バブルの頃から少子化は開始していた(から経済支援不要、既婚者への子育て支援だけでいい)」

という反論が出てくる

でもそもそもバブルの頃って、本当に経済問題とは無縁だったの?裕福だったのは一部だけだったと考えた方が自然では?

一部上場企業だの、新卒就活だの、そういう一部の上澄みが豊かなのは令和の今だって同じじゃん

バブルも同じで、「みんなで豊かになる」という高度経済成長成功体験の夢から覚めて、

まさに格差故に若者未来絶望し、婚姻率ひいては出生率が下がるという経過を辿ったんじゃないの?

いわゆるバブル世代であっても、皆がバブル恩恵を受けたわけではありませんけどね

https://note.com/yukiharu_nihei/n/n6489583bc006

私はバブルの頃には幼稚園小学校低学年だったのであまりよく覚えてないが、それでも田舎一般家庭にまで好景気の影響があって豊かになった記憶は全くないし

当時からテレビの中の乱痴気騒ぎは割と冷ややかな目で見られていたと思うんだよなあ


あと、当時からこの好景気一時的ものであるとみなし、末永く続くものとは思えなかったから、慎重になって結婚しなかったのでは?

バブル景気って言葉自体1987年からあったらしいし。

1980年代後半当時は「バブル景気」という言葉一般認知されていなかった[6]。「バブル景気」という語は1987年命名されたとされる。野口悠紀雄1987年11月に「バブルで膨らんだ地価」という論文を『週刊東洋経済近代経済学シリーズ』に掲載しており、「私の知る限り、この時期の地価高騰を「バブル」という言葉規定したのは、これが最初である」と述べている[7]

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%96%E3%83%AB%E6%99%AF%E6%B0%97

2024-06-09

情報エリート主義と闇

今日も、私の目に飛び込んできたのは、ありきたりなおすすめ商品たち。

既視感満載のアイテムばかりだ。

まるで、流行を追いかけるだけのロボットのような気分にさせられる。

協調フィルタリングというアルゴリズムは、確かに便利だ。

過去評価購入履歴から、似たような趣味を持つユーザーの行動を分析し、私に最適な商品提案してくれる。

しかし、その一方で、恐ろしいほど偏った情報を生み出す側面も見逃せない。

バズるものはよりバズる

協調フィルタリングは、人気のあるものほど多くの人に推薦され、さらに人気が高まるという「バズる現象を生み出す。

まるで、情報格差がどんどん広がっていくようだ。

埋もれていた良質なコンテンツや、マイナージャンルは、日の目を見る機会すら与えられずに消えていく。

情報は画一化し、思考は停止する

このアルゴリズムは、まるで温室育ちの花のようだ。

多様性排除し、画一的情報を生み出す。

私たちは、いつの間にか、自分の好みや思考を委ねてしまい、自ら情報を探索する意欲を失っていく。

新たな発見は生まれず、創造性は枯渇する

協調フィルタリングは、過去に基づいた情報提供するだけで、未来創造することはできない。

未知の領域への挑戦や、独創的なアイデアは生まれない。

まるで、過去の栄光にしがみつく時代錯誤の王のように、私たち過去成功体験に囚われ、現状維持に甘んじてしまう。

情報闇市場と、監視社会の影

協調フィルタリングは、ユーザーの行動データ収集し、分析することで成り立っている。

その結果、私たちはいつの間にか、情報奴隷と化してしまう。

自分の好みや思考を丸裸にされ、企業政府の思惑に操られてしまうのだ。

真の多様性と、個性尊重した未来

私たちは、協調フィルタリングというアルゴリズム支配される必要はない。

もっと多様な情報に触れ、自分の頭で考え、主体的に行動することが大切だ。

情報エリート主義を打破し、真の多様性尊重した未来へ。

協調フィルタリングの闇に抗い、個性を輝かせるために、私たち一人ひとりが声を上げなければならない。

弱者男性が考える、自分人生と向き合うための方法

こんにちははてな匿名ダイアリーの読者の皆さん。僕は、社会の中で「弱者男性」として生きることについて考えている32歳の独身男性です。今日は、僕が自分人生と向き合うために実践している方法シェアしたいと思います。それが誰かの役に立てば嬉しいです。

まず最初に、自分のことを少し紹介します。学生時代からいじめあい自尊心を保つのが難しい日々を過ごしてきました。社会人になってからも、職場での人間関係もうまく築けず、孤独感にさいなまれる日が続いています恋愛経験ほとんどなく、気づけば30代に突入していました。

そんな僕ですが、ここ数年で少しずつ人生を前向きに捉えることができるようになってきました。そのために実践している方法を以下に挙げます

1. 小さな成功体験を積む

まずは小さな目標を設定し、それを達成することで自己肯定感を高めることが大切です。例えば、毎朝5分間の瞑想を続けるとか、週に1回はジムに通うとか。自分がやり遂げたことを確認し、「自分にもできるんだ」という感覚を持つことが重要です。

2. 自己啓発書ポッドキャスト活用する

他人成功体験ポジティブ言葉を聞くことで、自分の考え方や視点が広がります。本やポッドキャストはその良い手段です。僕は自己啓発書を読み、ポッドキャスト聴くことで日常ストレスを軽減し、前向きな気持ちを保っています

3. 健康管理に努める

心身の健康はやはり基本です。健康的な食事、適度な運動、十分な睡眠を心がけることで、気持ちが安定します。特に運動ストレス解消に効果的で、自信を持つための第一歩にもなります

4. 新しい趣味を見つける

興味を持てる分野を見つけ、それに時間エネルギーを注ぐことで、生活の質が向上します。僕は写真撮影にハマりはじめてから日常の中に楽しみを見いだせるようになりました。

5. 専門家サポートを受ける

時には専門家の助けを借りることも重要です。カウンセリングコーチングを受けることで、自分問題点客観的に見つめ、新しい視点を得ることができます

6. コミュニティに参加する

一人で悩むのは辛いです。同じような境遇の人たちとつながることで、自分けが特別に困難な状況にあるわけではないと感じることができます。僕もSNSオンラインフォーラムで「弱者男性」としての日々を分かち合い、共感を得ることで救われています

最後に、僕自身まだまだ道の途中です。でも、こうした取り組みを通じて、少しずつでも前に進んでいる気がしています。同じような悩みを持つ皆さんにも、少しでも勇気希望を感じてもらえたら嬉しいです。これからもお互い頑張りましょう。

読んでくださってありがとうございました。

2024-06-08

anond:20240608201718

おもしろ視点だね。以下にいくつか追加してみるよ:

4. 有名人料理本

 ただのレシピ集なのに、有名人名前が入っているだけで売れる。実際には、料理の腕前はその分野の人たちに到底及ばないことが多い。

5. ダイエット成功体験

 一時的成功体験を元に過剰な期待を抱かせる内容が多い。長期的な視野で考えられていないアドバイスが多く、有効性が疑問。

6. 占い本やスピリチュアルガイド

 一部の人には効果があるかもしれないが、多くの場合科学的根拠に乏しく、気をつけないと痛い目に会うことがある。

考えは人それぞれだけど、どの本にも学びがあるかもしれないから、一概に全て読む価値がないとは言えないかもしれないね

anond:20240607221536

今じゃそこまでニジウラ依存してないし時代の流れで廃れるならそれはそれで構わないけど

「俺が潰してやった」って荒らし成功体験なっちゃうんだとしたらそれだけは嫌だなあと思っている

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