はてなキーワード: 孫の顔とは
結論を先に書くと、ゲイに襲われた経験のある父親(俺)は息子にゲイだと明かされたら絶縁を選ぶ。
もしあなたが親にカミングアウトすべきか悩んでいるゲイなら、縁を切っても構わない程度の親と思っているのでなければカミングアウトはしないでくれ。
男の子を授かって、生来のゲイの割合は5%というのが正しければうちの子は絶対に違うとは言えない確率だな、もしゲイだとしたら自分は息子を受け入れられのか?
と傍から見ればアホな独りよがりなんだろうけど自分にとっては切実な問いにここしばらく取り組んだ末に「受け入れられない」というが自分の答えだった。
俺の場合は、ゲイに襲われたと言ってもレイプまでされたわけではない。高校生の時に通学の電車で痴漢されて性器を直に弄られたところまでの被害で済んだ。
それだけでも一生ゲイフォビアを抱くのに十分だったが。
成人してから酒のはずみで父にこのことを冗談交じりに話したら、陽気に飲んでいた父が俯いて押し黙った後「……俺も中学の時にそういうことがあった。ホモ連中はクズだ」と初めて聞く声色で言うので酔いが冷めた。
父は人格者とまではいわないけどあからさまに他人を罵るような人ではなかったので本当に驚いた。
「ゲイフォビアは総じて薄っぺらな世間体や伝統道徳や宗教信念が形作った妄念に過ぎない」というのは危険な誤解だと思う。
俺や父のようにゲイに襲われた経験からハードコアなゲイフォビアになった人間はそれなりにいるし、あなたの父親もそういう誰にも話せないトラウマを抱えているかもしれないという想定を持って欲しい。
「ゲイを全てレイピストの如く見るのはいかがなものか」という反論は理性的だと認める。
だが、幼女の時に男に襲われた経験を持つ女性が母親になり産んだ息子が幼女しか性対象にできない真性のペドフィリアだったとしたらどうだ?
生来のペドファイルの多くは二次元などの性的ファンタジーで性欲をコントロールできており実際に性犯罪に至る者は少ない。
実際の児童への性犯罪のほとんどは「正常」な性指向の男性により行われており、性犯罪者は本来の性対象の成人女性の代替として無力な子供を狙うのだ。
というよく聞くペド擁護が統計的な事実だとして、その事実が息子を家から追い出したい、「治療」したい、いっそ心中すべきかとまで思い詰める母親の心を救えるだろうか?
俺にとって、ゲイの息子を持つということはそれと同じ苦しみをもたらすものなんだ。
では、ゲイのあなたは父親とどう向き合うべきなのか(もし息子がゲイだったら俺はどうして欲しいのか)?
端的に言って、向き合わなくていいし何もしなくていい。
母親やきょうだいの口の堅さが信用できないなら、家族の雰囲気で父親が事実を察してしまいそうなら、父親以外の家族にもカミングアウトしないでくれるとありがたい。
幸いなことに日本の男性生涯未婚率は既に2割いずれ3割になる。
父親から結婚はまだか孫の顔が見たいなどの繰り言が出たら、仕事や趣味に忙しくて結婚に興味が無い(単純にもてなくて結婚できない)3割のありふれた未婚男のふりをすればいいだけだ。
繰り返す。
この世にはゲイに襲われ傷つけられた男がいて、あなたの父親も自分からは決して語らなくともその一人かも知れず、息子がゲイであることを知ることは父親の傷をさらに深く抉ることになるかも知れない。
このことを常に忘れるな。
先日、親戚の集まりがあった。
そこで数年ぶりに同い年の従兄弟に会った。
子供たちの祖父母(自分から見たら叔父と叔母)の顔は嬉しそう。
職業は商社マンで世界中を飛び回っているそう。稼ぎもいいんだろうな。
都心にマイホームを構え、一家の大黒柱として立派にやっている。
すごく幸せそう。
自分は未だに独身で、結婚する予定もないし、今後もできる気がしない。
収入は世代平均からは結構上回っている。すごく贅沢ができるわけではないけど、一人で生きて行くぶんには十分なぐらいは稼いでる。
五体満足だし、趣味が充実しているので不幸と思ったことはない。
しかし、こういうのを見てしまうと幸せだと思っていたものが根底から崩れて、急に惨めに感じてしまった。
やっぱ親は孫の顔が見たいのかなー。
幸せってなんだろう。
母が亡くなってから1か月が経った。
夏コミサークル参加でホテルに前泊してる、その日の深夜に「母が亡くなりました」と父からLINEが入っていたので、起きて身支度をして、人の流れに逆らいながら国際展示場駅を後にした。
結婚して3年が経った。
子どもが欲しいと思ってから2年4カ月、不妊治療をし出してから1年4カ月。今日また生理が来た。腹が痛い。
母がガンになったのは4年前のGWだった。
母のために孫の顔を見せたいと思ったが、最後までかなわなかった。
不妊外来の先生に、母のガンがいよいよ末期であと3か月しか持たないかもしれない。高額でも問題ないから、確率が一番高い方法を取りたい。体外受精がしたい。と言ってみたけれど、「年齢的にもまだ今はやる時期ではない」といわれて子宮内体内受精しかしていない。
母の主治医が最後に予告していたとおり、母はちょうど3か月で逝ってしまった。
亡くなる10日前まで、自分にトイレに行けたし、話もできたし、奇跡的な元気さだった。最後の最後まで「何言ってんの、治すに決まってるでしょ」と完治を疑わず、「最期に言いたいことは、伝えたいことは」みたいな雰囲気にはできなかった。どう見たって治らないということが分かったところで、「信ずれば治る」と、信じて疑わない本人に「絶対治らない」とは言えなかった。でも無理やりにでも、生きてるうちに「あなたの子供に生まれることができてよかった、素晴らしいお母さんだった、あなたと子育てをしたかった」とか、直接伝えられたらよかったのかなあ。
物心ついてから親族が亡くなるのは初めてだったので、人が亡くなった後の流れをよくわかっていなかった。
実際は、病院でお風呂に入れてもらい、服を私服に着替えさせてもらい、葬儀場に運ばれ、エンゼルケアをしてもらって、棺に入れてもらったみたいだった。
自分がいない間に葬儀場の予約から式次第から至るものが準備されていて、香典返しには母の名前も印刷されているし、遺影だって古い写真を取り込んでトリミングしてぼかしていい感じに作ってくれていたし、お花もたくさん飾られていて、この業界はスピード感があるなあとか、親族多くてありがたいなあとか思った。
亡くなってから再開した母は顔がふっくらしており、スターみたいなヘアスタイルと、普段とは全然違う化粧をしていて、なんだか別人みたいになっちゃったなと思った。
親戚がおおいうえにみんな近くに住んでいて仲が良いので、告別式だというのに結婚式かと思うような設置をいとこたちがしてくれた。当日来た方がメッセージカードにカラーペンでコメントを書き入れて、模造紙に貼り付けられるようにしてくれたし、旅行の写真を飾り付けたり、色紙を持ってきて寄せ書きを作ったりしてくれた。
お通夜から葬儀まで一夜あったというのに、こちらときたら手紙の1枚もこさえることをしなくて、葬儀場の遺族控室は大きな民宿みたいだなとかのんきなことを思いながら過ごしてしまっていて、反省した。
通夜と葬式で450人くらいの来場者数があった。葬儀場に入りきらない人数で、改めてすごい主婦だなあと思った。自分の葬式にはどれほどの人が来てくれるんだろうな。
葬儀が終わって、香典のまとめやお返しも終わって、納骨はまだだけど実家にいる理由もなくなったので、実家からは遠い自分の家に帰ってきて3週間くらい経った。
1か月前の今頃はこういうことをしていたなと思うと、夜泣けて寝付けなくなってしまうことが増えた。こういうのは直後より、少し時間を置いた方が来るものがあるんだな。
母が亡くなった直後というのは、覚悟があったからかもしれないけどあんまり絶望みたいなのはなくて、悲しいけど失意のどん底っていう感じでも無い状態だったから、葬式の翌々日は普通に仕事をしてしまった。その後はなんだかんだしばらく休みをもらったけど家族も同じように割と元気で、淡白かなあと思ったけど、どうだろう。
しばらく帰省していた間におばあさんと朝ドラ見ていたので、今でもお昼に見ている。
そしたら主人公の母もガンになっちまった。は~~~よくある話ですわなほんま
は~~、な~~にが「治療やめたら案外すんなりできることもあるしね」じゃ
母が亡くなったから転生してくるみたいなオカルトにもちょっと期待したけどそんなことはなかったわ。
朝ごはん食べてなかったから昼にご飯作ったけど、口に飯を入れたら味覚からいろんな感覚が刺激されて泣けて泣けてのどが絞まってものが飲み込めねえ。
は~~~せめて早くこどもできねえかな~~~~~~
なんて仕事さぼって文章殴り書きしてたらだいぶ気持ちが落ち着いてきた。
チラシの裏です。
タイトルはあくまで釣りなので、脊髄反射で警察などに通報せぬように…
というか、警察がこの内容を見ても捕まえられない書き方するので、通報したほうがむしろ面倒なことになると思います。
最初に本題を。私は世間でひろゆき考案の「無敵の人」の上位種「完全無敵の人」です。
年齢は40代で精神障碍者手帳持ちで、仕事は精神障害者専用の仕事場に何とかパートとして雇ってもらい、
だけど給料は超安くて生活保護を受けてる状態です。さらに地方から都会に引っ越してきた流れ者です。
とりあえずそんな人が思うところがあり、刺した「無敵の人」彼の方の擁護をしてみたいとは思います。今の所誰も擁護していない風に見えたので。
もちろん、彼がした犯罪は許してはいけない。むしろ彼を一生許してはいけないのですが。(理由は後程)
(因みに、私の通っている職場に、もっと上の「最弱無敵完璧超人」(私認証)がいます。職場に行くのが超怖いです)
まず、彼が何故人殺しという犯罪に走ったか?といっても彼の状況がまだ出てこないので、年齢が近い私の状況に照らし合わせて考えてみたいと思います。
というかつまりは、私も犯罪に走る可能性があるという事です。いや、この事件が起きるまで走ろうか悩んでました。今はやりませんが。
私はこう考えます。彼自身は「無敵の人」に近かった。けど、その状態で追い込まれていた。と。
そして、刑務所に行くことで、その追い込んだ人間全てに対して清算が出来る。という打算があったんだろう。とも。
つまり、リアルから逃げたかった。でも、リアルでもいい事何も無かったから、せめて何かしてから、残りの人生を面倒見てくれる監獄で終わろうとも。
ぶっちゃけ、この氷河期世代は今だからこそ、嫌がられる事が沢山あります。
孫の顔が見たいと親にせがまれ、老後の世話をしろと親に押し付けられ、就職できずに派遣低賃金のまま雇い主に犬の様に便利に扱われて、
いとこから結婚後の子供の写真を見せびらかせ、同年代の同能力の成功者から喋るなと黙らせられ、それを社会全体に広められてリンチを食らい、精神に障害を負わされて捨てられ、
正社員に絶対になれず、後輩に出世で追い抜かれて、あの人40歳=キチガイだから会社から出ていけと言われる日々。
…書いててドンドンつらくなってきた。ヤクザの方が殴れる分自由じゃね?とか思えてしまう…
とまあ、希望が完全に消滅し、希望がほぼ全くない状態になる。のが今の氷河期世代の現状と言えると思います。
(因みに、私はこの底の様に見える状態の、さらに下、地獄がぬるま湯になるような状況下にいます。聞きたいという要望があれば、書くかもしれません。しかし、何分精神状態が悪く、起きて仕事する事からかなりの重労働となっていますので、何時出せるかはお答えしかねます)
彼もかなり似た境遇だと勝手に思ってしまいます。いや、思わずにはいられないです。
というか、成功している人はこんな事全く考えずに、やっぱり今日も好き放題言葉の槍を投げてきますので。
私みたいな障害者に向かって
ええそうです、私は彼が精神障害を負ってる人だと(勝手に)考えています
九大卒という情報が入ってきたとき、ラーメン屋に(仕方なく?)就職し、コミュ症でごみの様に扱われながらも必死に働いて欝になり、
完全に頭が働かない状態でもわからず、店に損害を出す事故に繋げてしまい、誰も死んでないのに責任取らされて辞めてしまっても
それでも親に急き立てられ、自分でもあきらめ切れず、しかし社会的信用も無く金もなく、履歴書を書いては投げ捨てられ、
それを100回以上して、それが病気のせいとは思えず、社会が悪いと思い、だけど、右翼左翼はどっちも悪いと信じ込み、
だからこそ、それでも尚周りの期待に応えようと、ネットで有名人を叩いて承認欲求を満たす日々。
はてなで言葉尻に低能を付けたのも、その擦り切れ切った精神で、それでも追い込んでくる親族共々から耐えるために、はけ口としてだと思ってます。自分勝手にですが。
だけど、同時期に「精神障害者はクソだ」とTV報道で瞬間最大で大量に言葉の槍を投げつけられ、
彼も譲れない一線として引いてしまったんでしょうね。地方では、そして高年齢者では、TVが一番信用できる情報源なので。
というかそれしかなく、それ以外をけなさないと地域を維持できない。デジタルディバイド問題状態に陥っていますので。
ここまでの(勝手な)状況で、彼は、もう生きるためにはは監獄しかない。とでも思ってしまったんだと思います。
だからこその犯行声明文。ヤる前から、監獄で一生を過ごすためのダメ押しとして、犯行前から用意してたんでしょう。
しかし、彼自身の最後の書き込みを見る限り、はてなに投稿を止められた理由が解ってない風に思います。
それとは別に、どうにもネットに関する知識不足が否めない感じもします。
東京へ行って、何かはしたかったんでしょうね。はてなが東京にあるって思いこんじゃってますし。
「完全無敵の人」?の私からすれば、まだまだヤレる事はあると思いますが。
(精神科に行って福祉手帳の手続き、精神障害手帳を持って生活保護の手続き、それからetc…)
大変なのはこれからです。(私がやろうとしていた事を先に)無敵の人が一地方でヤらかしてしまった。
私みたいな氷河期世代の無敵の人がです。大学出て一定の資格持ちがです。
こうなると、もう社会にどうにもならない状態だと自分で思い込んでる状態なので、その資格を駆使して、地域一斉爆破とかしてくるかもしれません。
(書き込んでて、今すぐ地方の山奥に逃げ込みたい気分になりました。とても恐ろしいです。)
少なくともオリンピックまでは持つと思ってたのに。東京でしか蜂起しないと思ってたのに。
これでTVにまた大々的に適当に、嘘ばかり書き連ねまくり、警備がドンドン強化され、そして一気に風化しだれも注意しなくなった中
浮かれムードでのオリンピックが開催され、そこで大々的なテロを予告なしにいきなりされるとか。
…私は先に書き込みましたからね。やりませんからね。計画すら立ててませんからね。ぼっちに関係者とか問われても言いようが無いですからね!!
ここまでで「人生なにかまだやれる事があるじゃないか?」と、何とか励ましてくれる人が出るかもしれません。
しかし私から見ると、「自分の保身に走って、ただ言い放ってるだけのクソ」としか見えません。
また同様に「精神障碍者は異常者」と言われるかもしれませんが、私は「努力してないニートがw」と上から目線で余裕で返すだけです。
氷河期世代は今も同じように苦しんでいると。せめて何か残そうと頑張っているんだと伝えたかっただけなので。
(ここまでの長文を読んでくださり、有難うございました)
追伸:これ書いている間にやまもといちろう氏に似たようなのを書かれて先に出されてしまった。
ええい私の気になってどうしようもなく欝になり会社に休みを申し出たけど結局内緒で書いてしまった時間とその間のパート自給をよこせ
親に孫ができたので、私が子供を産まなければというプレッシャーが無くなった。
自分にとっての結婚・出産というのは、「親に孫の顔を見せる」というのが全てで、それ以外はどうでもよかったのだとわかった。
姉よありがとう。
私に姉妹がいて良かった。
この前友人に尋ねられた言葉に衝撃を受けた。
「付き合いの長さで言えば○○かな」「○○だったらそつなくやってくれそう」「○○はすぐ泣きそうだよね」
私は衝撃を受けながら、「考えたことなかったな」と一言だけ言った。
20歳半ば、四捨五入すれば30になる女にとって結婚の話は避けられない。
誰それが今度結婚するだとか、私はいつ結婚出来るんだろうだとか、いい人いる?気になる人いる?いい人紹介して?云々…。
「今後どう働いていきたい?あなたも数年後には結婚するんだろうから、いずれは産休、育休、そういったことも含めて考えといてね。」
そう言われて他人事のように、(ああ私は数年後に結婚するのか。想像がつかないな)と思った。
結婚さえ想像がつかないのに、産休や育休なんてもってのほかだ。
まだ健在の祖父母の家に行けば、
いつ結婚するの?孫の顔を見るまで死ねないわね。早く安心させてほしいわ。いい人はいる?お付き合いしてる人は?どんな人がタイプなの?
会社だったらセクハラなのにな、と思いながら「ボチボチかな」と祖母の目を見ずに答え、早めに祖父母宅を出た。
・結婚したくない。
・子供が嫌いだ。
私の中にあるこれらの感情は、どうやって処理すればいいのだろうか。
私だって親や祖父母に恩返ししてあげたいし、それが孫の顔を見せるということなら出来る限りがんばりたい。
でも、その恩返しをしたいという気持ちだけで、結婚・妊娠・子育て・その後の人生をがんばれるほど、それらの過程が生ぬるくないこともわかってる。
ここまで言ってなんだが、男が嫌いという訳ではないのだ。
顔が好きで、地方からわざわざ東京や大阪まで追いかけている男性の俳優もいる。
同じ会社の人で、顔が良くてそつがなくて仕事ができる人と話す機会があれば嬉しくってこっそりガッツポーズもする。
友人とホストに遊びに行けば、かっこいい男に出会ってしばらくその人のLINEのアイコンを眺めてしまう日を過ごすこともある。
大勢の飲み会中に、この後二人だけで飲まないかというお誘いだった。仕事も出来て、性格も良い。この人と結婚したら幸せだろうなという人だ。
普通に話すのも楽しい人だったので了承し、2時間半ほど居酒屋で飲んだ。
楽しかった。
少しだけ会話に困ったときもあったけど、向こうが優しい人だったので、気まずくはならなかったと思う。
たぶん彼は、私のことが気になってるんだろうなと察しがついた。
別れ際、家の前まで送ってくれた彼は、私の頭を撫でて「また飲もうな」と笑って言った。
家に帰って部屋で一人になってから、とても悲しくなった。
あんな風に触って欲しくなかった、と感じる自分に自己嫌悪した。
自分に向けられている好意に対して、何の感情も抱くことができない。
誰かの特別になりたくない。
思い返せば、二人きりの飲み会でもたびたび思った。
「この人は他の誰でもない私と二人きりになってるのか、この人の時間を独り占めしてしまっているのか」
そしてその事に「申し訳ないな」と。
私はこのまま人を好きになることが出来ないのかもしれない。
私はそれでいい。
一人で生きていける覚悟も、それなりの自信もある。
でも、そのことで悲しませてしまう人がいるかもしれない、という事実に耐えられる自信は、今のところまったく無い。
そんな風に思ってくれる男性がいるという仮定は思い上がりかもしれない。
けれど、その思い上がりを除いたとしても、一人娘である私を大切に育ててくれた両親や祖父母は確実に悲しませてしまうだろうなと思うと、やりきれない気持ちでいっぱいになる。
周りがどんどん結婚していく。
罪悪感に浸かりながら、そしてその一方で確実に得ている日々の充足感に浸かりながら。
早く私のことを諦めてほしい。
私のことを誰も特別に思わないでほしい。
私に期待しないでほしい。
頼むから、放っておいてほしい。
この前友人に尋ねられた言葉に衝撃を受けた。
「付き合いの長さで言えば○○かな」「○○だったらそつなくやってくれそう」「○○はすぐ泣きそうだよね」
私は衝撃を受けながら、「考えたことなかったな」と一言だけ言った。
20歳半ば、四捨五入すれば30になる女にとって結婚の話は避けられない。
誰それが今度結婚するだとか、私はいつ結婚出来るんだろうだとか、いい人いる?気になる人いる?いい人紹介して?云々…。
「今後どう働いていきたい?あなたも数年後には結婚するんだろうから、いずれは産休、育休、そういったことも含めて考えといてね。」
そう言われて他人事のように、(ああ私は数年後に結婚するのか。想像がつかないな)と思った。
結婚さえ想像がつかないのに、産休や育休なんてもってのほかだ。
まだ健在の祖父母の家に行けば、
いつ結婚するの?孫の顔を見るまで死ねないわね。早く安心させてほしいわ。いい人はいる?お付き合いしてる人は?どんな人がタイプなの?
会社だったらセクハラなのにな、と思いながら「ボチボチかな」と祖母の目を見ずに答え、早めに祖父母宅を出た。
・結婚したくない。
・子供が嫌いだ。
私の中にあるこれらの感情は、どうやって処理すればいいのだろうか。
私だって親や祖父母に恩返ししてあげたいし、それが孫の顔を見せるということなら出来る限りがんばりたい。
でも、その恩返しをしたいという気持ちだけで、結婚・妊娠・子育て・その後の人生をがんばれるほど、それらの過程が生ぬるくないこともわかってる。
ここまで言ってなんだが、男が嫌いという訳ではないのだ。
顔が好きで、地方からわざわざ東京や大阪まで追いかけている男性の俳優もいる。
同じ会社の人で、顔が良くてそつがなくて仕事ができる人と話す機会があれば嬉しくってこっそりガッツポーズもする。
友人とホストに遊びに行けば、かっこいい男に出会ってしばらくその人のLINEのアイコンを眺めてしまう日を過ごすこともある。
大勢の飲み会中に、この後二人だけで飲まないかというお誘いだった。仕事も出来て、性格も良い。この人と結婚したら幸せだろうなという人だ。
普通に話すのも楽しい人だったので了承し、2時間半ほど居酒屋で飲んだ。
楽しかった。
少しだけ会話に困ったときもあったけど、向こうが優しい人だったので、気まずくはならなかったと思う。
たぶん彼は、私のことが気になってるんだろうなと察しがついた。
別れ際、家の前まで送ってくれた彼は、私の頭を撫でて「また飲もうな」と笑って言った。
家に帰って部屋で一人になってから、とても悲しくなった。
あんな風に触って欲しくなかった、と感じる自分に自己嫌悪した。
自分に向けられている好意に対して、何の感情も抱くことができない。
誰かの特別になりたくない。
思い返せば、二人きりの飲み会でもたびたび思った。
「この人は他の誰でもない私と二人きりになってるのか、この人の時間を独り占めしてしまっているのか」
そしてその事に「申し訳ないな」と。
私はこのまま人を好きになることが出来ないのかもしれない。
私はそれでいい。
一人で生きていける覚悟も、それなりの自信もある。
でも、そのことで悲しませてしまう人がいるかもしれない、という事実に耐えられる自信は、今のところまったく無い。
そんな風に思ってくれる男性がいるという仮定は思い上がりかもしれない。
けれど、その思い上がりを除いたとしても、一人娘である私を大切に育ててくれた両親や祖父母は確実に悲しませてしまうだろうなと思うと、やりきれない気持ちでいっぱいになる。
周りがどんどん結婚していく。
罪悪感に浸かりながら、そしてその一方で確実に得ている日々の充足感に浸かりながら。
早く私のことを諦めてほしい。
私のことを誰も特別に思わないでほしい。
私に期待しないでほしい。
頼むから、放っておいてほしい。
ほんとはできたら男女2人ずつ、子供4人欲しい
どうせ生まれたら可愛いに決まってるんだから、うちに生まれてくれるんなら何でもいいんだけど、同性のきょうだいがいた方が楽しいかなってのと、
だけども、4人子供いてもテーマパーク連れてってあげたり、習い事の1つもさせてやりたいし
高学歴は無理でも、就職に困らないような学歴とか技術はつけてあげたいし
あと病気や障害を持って生まれてきたら適切な医療を受けてケアしてあげたいし
…ってなことを諸々と考えると、まあお金がいるんだ
だから、お金持ちのご夫婦は羨ましいなと思うのに、お金持ちは意外に子供の数多くないんだよね、1人とかだよね
子沢山のお金持ちはそんなにいない、たまにいるけど
しかしさっき生後7時間ってハッシュタグ読んでたら、妊娠時のしんどさと出産の過酷さと産んでしばらくのゾンビぶりを思い出したわ
あれはしんどいんだわ
しかししんどさに代えられない可愛さがあるから、産みたい気持ちは尽きない
せっかく幸運にして産める体があり、産みたいと思う心があるのに
私は性格はとてもネガティブ。頭も顔もスタイルは中の中といったところだ、決して美人ではないがブスでもない。キツめな顔立ちだがそれなりに告白もされたし結婚を申し込まれたこともある。ごくごく平凡だ。そしてとても親不孝者だ。
父は既に他界した。
記憶にある限り父は働き通しの人だった。成人式で一般的な家庭では記念に家族写真を撮るだろう、我が家でもそうだった。しかし私は写真を撮るときに笑顔が作ることが出来ない。どうしてかいつからかは分からない。自分が醜いと心の底から理解したときなのだろうか。他人からの世辞も鳥肌が立つし告白の言葉も友達の言葉もどうせ嘘だろうと受け止められない、そういう捻くれた心のせいなのか自分の笑顔に吐き気を感じる。当然のように「ハイ、笑って」と言われる写真は心底苦手なものだ。振袖を着て、ドレスアップした家族と写真館に連れて行かれたとき私は笑顔を浮かべることがどうしてもどうしても出来なかった。頬が引き攣り動悸が激しくなり涙が溢れた。一生に一度の記念写真を撮ることすらままならない。写真館のスタッフも家族も困惑したことだろう。写真が嫌いなことを知っている母でさえそれ程とは思っていなかったのだろう、自分まで涙を浮かべていた。本当に申し訳ない。どうして笑えないのか、どうしてそんなことも出来ないのか。そんな当たり前のことも出来ない自分に情けなさと悔しさと悲しさと全てで苦しかった。結局安くない代金を支払い、記念となるはずだったそのアルバムを家族の誰も受け取りに行っていない。もし私が普通の子たちのようにカメラの普通に笑うことさえ出来れば普通に撮影を終えることが出来ていたのなら、仕事ばかりであまり写真のない父の遺影になっていたかもしれない。遺影写真を母と探したときにひっそりと申し訳なさで涙が出た。仲が良い家族とは言えなかったが大きくなってからの家族写真は本当に一枚もない。
親の兄弟含めても私が初孫だった。だから一番に甘やかされさぞ可愛がられたことだろう。姑に少しいびられていた母から私がどんなに祖父祖母から甘やかされ放題だったかという話を思い出話とセットで昔よく聞いた。みんな私の結婚式に出たいと孫の顔がみてみたいと言っていた免許を取ったらドライブに連れていって欲しいと言っていた。私が心配だと言っていた。最後を看取ることは出来たがみんな意識が戻らぬ状態のまま亡くなったので誰とも最期に言葉を交わすことはなかった、父とも。もし言葉を掛ける時間があったとして、私に何か声を掛けることが出来ただろうか。父の遺品整理のときに常に持っていた財布から私が子供の頃に書いた手紙を見つけた。頭が痛くなるほど泣いた。なんて親不孝者なんだろう。
母はまだ元気に笑っているが私は彼女に申し訳ない気持ちしかない。
彼女は賢くはないが明るくよく笑い周囲に気を使うことが出来る。カウンターで隣り合わせになった相手ともすぐに打ち解けられ店員とも友達になるようなタイプ。そんな彼女は子供が大好きだ、だから彼女自身も早くに結婚して子供を産んだ。私にも学生の頃から貴女の子供が出来たら可愛いよ子供が出来たらいつでも面倒見るからねとあれがしたいこれがしたいと話をされ、同級生の誰ちゃんが赤ちゃん産んだみたい抱っこさせてもらった可愛かったよと笑顔で話をされる度に私は子供好きじゃないからと嫌々と返していた。申し訳ないが本当に苦手なのだ、小?中?学時代の子供の頃から既に例え結婚したとしても子供は産まないだろうとずっと思っていた。私は自分自身が大嫌いだから自分の子供も愛せないだろうとその事実に子供の頃から気が付いていた。しかし成人をとうに過ぎ三十路を迎え婚活の必要性を友人に説かれたとき、ふと自分が好きなところを見つけて結婚に至れる相手の子ならば愛せるかもしれないと思った。母が大好きな子供を、初孫を抱かせてあげえることも出来ると思った。それが唯一出来る親孝行のような気がしたのだ。結果として婚活は中断しているが、きっとこの先も独身のまま天災に巻き込まれるかどこかで孤独死するのだろう。結婚相談所に入会することを母が気付いたとき彼女は喜んでいた、退会を伝え孫はもう無理だろう諦めてほしいと伝え面と向かって謝罪したとき彼女は泣いていた。ある日、母の友人に孫が産まれたという話を聞いていると「もし私に子供出来てももう丸一日面倒見てあげることは出来ないね、私も取ったんだなぁ」と言われた。前は孫とどうしたいと理想を話してくれた、近年はその度に申し訳ない気持ちでごめんねと返していたが段々とそのやり取りもなくなってきた。きっと自分が娘を産んだ時から私のウエディングドレス姿や孫を抱く日のことをそれはそれは楽しみにしていたんだろう。それすら叶えることが出来ない不出来な娘で親不孝者で本当に申し訳ないという気持ちで苦しくて、突然涙がこみ上げる夜がある。
SNSを眺めていると頭がおかしくなりそうになることがある。鳥肌が立ち吐き気に襲われることがある。
どう見ても可愛いと思えない子の自撮りした笑顔が流れてくることがある。どうしてそんな笑顔で写真に写ることが出来るんだろう。その写真を見て気持ち悪いと思われるとは思わないのかその顔が周りを不快に不愉快にさせるとは考えないのか。もし私がその顔に生まれていたら即整形している。その姿でどうして幸せそうなのだろう。わからない。
どう見ても可愛いと思えない子が母になり子供との笑顔が流れてくることがある。性格が良かったんだろう料理が上手かったんだろうもしかしたらその顔が好みだったのかもしれない。そうだろう理由なんてそれぞれに山とあるのだろう。どうして私にはそれすら叶えることが出来ないのだろう。どうしてどうして。マウンティングという言葉を聞いたときなるほどなと感じるが私のそれはもっと根本的で病的なものだ。あの子が不細工だからというところに強調がつくのではなく、そこに劣るほど自分が駄目な人間であるというところに強調をつける。私はどうしようもなく醜く駄目な人間なのだ。
明るく社交性が飛びぬけている母とは違い不器用な人だった父。
私たち家族は仲の良い家族ではなかった。みんな帰宅してもそれぞれの部屋に籠るような生活になっていたし父が死ぬ前数年間は言葉も交わすことも少なくなっていた。父が倒れる前の晩、最後に声を掛けられた私が返した言葉は「なんでもない」だ。本当にどうしようもない。それでも血縁者であり家族であることに変わりない。父に似ているとよく言われたことが多くある。どこでこうなったのかわからない、不器用な人だった父もきっと生きるのは大変だっただろう。それでも一般的に恋愛結婚し仕事を貫いた点で彼は私と比べるまでもなくまともな人間であったのだろう。もし私が母に似て愛嬌たっぷりになっていたのなら人生は違っていたのだろうか。私には愛想笑いすらとても難しい。笑顔での接客対応ですら必死で仕事終わりには顔が痙攣することもある。いつも笑顔の母とは似ても似つかない。
両親の兄弟を思い返しても血縁を切ったような相手しか浮かばない。もしかせずとも我が家の家系はここで途切れるのだろう。かもしれないと別の可能性を見出すことすら出来ない。私が母と出掛けねば手入れされていないお墓を想像がつく。祖父祖母に申し訳ないと思っていた、両親に申し訳ないと思っていた。ほんとはそれだけではなくもっともっと多くの人に申し訳が立たないんだろう。私はどこまでも親不孝者なのだ。
先日母に頼まれて年金保険というものに加入したが受け取る日はこないだろう。痴呆が始まるようになった日には自殺しようと心に決めている。吐き気がするほどネガティブな私にもいまが幸せだと思う瞬間はあった、それを忘れてしまうくらいなら自分で幕をひく。家系的にそう長生きするタイプではないから平均寿命もいかないだろう、きっとあと40年もない。30年程とすればゴールまで折り返しだ。憎まれっ子世にはばかる渋柿の長持ち論で性格の悪さから長生きする可能性もあるが、それを上回るメンタルの弱さで心から蝕まれているのでことわざ効果は大いに打ち消してくれていることだろう。人生は死ぬまでの暇つぶしに過ぎないという言葉を聞いたときほんの少しだけ心にある澱みが軽くなったような気がした、そのまま日々ゆるりと死に向かっている。最近体調がすぐれないこともあるが無性に眠い。抗えない虚脱感と眠気に襲われるときこのまま死ぬのだと毎度感じる。いつの日か本当にそのまま死ぬのだろう。何を産み残すこともなく継がせることもなく。誰に何を返すことも出来ず。本当にごめんなさい。
どこかに書きなぐりたくなった。
私は女だ。
その女である私に親戚の女は言った。
「結婚はいいものだよ、ひとりじゃないし。私も子供が嫌いだったけど産んだら可愛い。夫のお金も自由に使える。」
またその夫である男は言った。
「結婚しないでどうすんの、孤独死するの?老後ひとりで死ぬの?孫の顔を見せるのは親孝行だよ」
彼らには勿論守るべき家庭がある。子供がいる。
彼らの意見は私の人生を決定する上での一意見として聞いたものだ。これらの意見を踏まえ、また社会を観察するにおいてもやはり、私は結婚も出産もしたくないと思う。そして彼らの意見はあまりの価値観の違いに衝撃を受けるものだった。何故、何処が違うのかを記す。
ひとりじゃない。それにメリットはあるのだろうか?何時でも人がいる空間は、とてもつらい。気を遣う。一人で集中したいものと向き合うことが出来ない。別に私は人が嫌いなわけではないし、友人のことは大好きだ。だが、大好きだからっていつでも一緒にいたいか?と言えばそれは違う。互いの都合の良い気が向いたときベストなコンディションで楽しみたい。
②子供が嫌い
私は子供は好きだ。親戚の子供でも可愛いし、道行く子供たちも可愛らしいなと感じる。だが、自分の子供はどうだろうかと考えるととてもおぞましくなる。何故かはわかっている。私が、私自身と私の父と母のことを気持ち悪いと思っているからだ。仔細は省くが、両親は離婚している。父は浮気をした。母は私を殴り蹴り飛ばした。予定調和だ。崩壊する家庭なんてものもなかった。母は私のことを「私(母)の遺伝子を分けた人間」と言った。その通りだ。私は汚い父と汚い母の遺伝子のふたつたけで形成されている汚い人間だ。時たま人間でいられているのか不安になる。
こんな屈折した人間から産まれてくる子供は、かわいそうだ。きっとうまく愛せないのだ。そして幸せにしてやれないのだ。そう思う。何故両親は私を生み出す前に幸せにしてやれるのか考えられなかったのだろう。そして世の中にはそんな人々が多すぎる。子供は親の為に産まれてくるのではない。子供は子供の人生を生きる為に産まれてくるのだ。そう思いたい。彼らは幸せになる権利をもって産まれてくるのに。
生命の安全。虐待で亡くなる子供たちは、後を絶えない。私は子供を産んだことがないから、子供がいる孤独に苛まれる親達の気持ちは一生わからない。殴られた子供の視点でしかものを言えない。でも、本当に。命を産む前に、命を産むということを考えてほしいのだ。一人が誕生するということを考えてほしい。無理だと思ったら早々に投げ捨ててもいいと思う。だって、産まれるということは苦しい。楽しいこともあるけど、それでも悲しい。そして私は多分一生このままだ。親の影は消えない。こんな風になってしまう。子供はいつか大人になる。傷ついてひしゃげた大人になった子供にも責任がとれるのか考えてほしい。
教育。それはこの国で最も身近な未来への投資だろう。学さえあれば多くのことが出来る。しかしその学は金で買うものだ。そしてその多くが国民自身が賄わなくてはいけない。日本は教育に関する国の関心が低い。学費はいつまで経っても高いままで、勉強がしたくても親にお金が無ければ出来ない。いくら賢くても。だから親達は金を稼ぐ。子供の為に。私にはそれが呪いにしか感じられない。自分に使いたいお金を使えず、学費が馬鹿みたいに高い癖に学歴社会のこの国でそこそこの人生を歩むには学費を馬鹿みたいに払わなくちゃならない。少子化だのなんだのと騒いでいるが、結局子供を産むメリットを国が提示できていないのが原因ではないのか。教育はこの国の未来だ。だってこの国の未来は今産まれる生命が生きていくものなのだから。高齢化社会だなんだと高々5年10年先の問題ばかり見て、肝心の50年先100年先の国のことが見えてないのではないか。100年もすれば私だって死んでいる。でも、その頃に生きている子供たちがこんなくだらない、勉強を金で買わせられるなんて本当に馬鹿馬鹿しいことに苦しめられないでいてくれればいいと思う。
これに関しては気持ち悪いとしか言い様がなかった。私だったら自分の金を人に管理されるなんて真っ平御免だ。
④孤独死、老後
孤独死上等だよ。何なら身辺整理済ませて迷惑のかからないところで死んでやるわ。老後の世話だと全部それ家族にやらせる気なのか?どれだけ大変なことか…甘ったれているのか…。そもそもそれは子供を老後の労働力としてしか見なしていないから出てきた発言なのだろうか?私には理解できない。
まあともかくとしてだ。私の理想とする自分の老後の生活としては、トモダチコレクションがある。島の真ん中に、大きなマンションがあって、そこに友人や親しい人それぞれが一人で住んでいる。あれが一番いいなと思う。友人に会えるし、一人の時間はあるし。理想は老人ホームに世話になる前にさっぱりと死ぬことだが。安楽死を導入してほしいな。
⑤親孝行
私がまともな人間でまともに親に感謝していたら理解できたのかなあとも思うが全くわからない。申し訳ない。そもそも親孝行の為に産まれてくる子供が可愛そうだ。本当に子供のことを想って子供を産むことができた人たちはどれほどいるのだろう?数十年前は結婚しない女は気違い扱いされていたが。もちろん出産も含め。
長々と連ねた。彼らの意見を聞いたのは高々数秒だったが、それだけのことにこれだけ論ずることができるのは中々におかしなことだな、と思う。結局、結婚も出産もしたくはない。自分の為に生きて、家族の為だけに限定された生き方ではなく、もっと多くの誰かの為に生きたいのだと考えた。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20180402/k00/00m/040/023000c
かつて保育園落ちた日本死ねが生まれたこのはてなでこんなうんこみたいな流れが出来た事に怒りを覚える。
経営者(園長)が狂ってるだの、訴えろだのやめりゃ良いだの、問題の本質も知ろうとせずトチ狂ってるのはどっちだよ?!
どんだけの人間が同じブクマで本質を知らせようとコメントしてくれてるんだよ?!
全部スルーして安直にバカなことばっか好き勝手言ってスッキリしてんじゃねーよ!
保育園潰す気か!待機児童に回った子の未来潰す気か!共働きじゃないとやってけない現代社会の家庭潰す気か!
産休と言う名の長期休暇で会社の利益が損なわれるなんて単純なマタハラ問題じゃないんだよ、どこの保育園もギリギリの給与、ギリギリの保育士で回されてる。そんな状況で単純にやめりゃ良いなんて、ただただ保育園を潰すようなもんだ。
子供預かって見てるんだから、普通の会社みたく辞めたら利益が減るなんてレベルじゃないんだよ、その人が見てた子供をだれか見なきゃいけないし、見れなくなって退院をお願いするだの潰れでもしたら、巡り巡って待機児童問題にしか、家庭の不幸にしか、自分たち国民側の不利益にしか繋がらない、つまり辞めろだの訴えろだの園長が悪いだのは悪循環の一環を担ってるだけに過ぎない。
この状況を改善するには保育園を増やしましただの給与を数千〜1万上げました程度じゃダメだ。元記事にあるように保育士の給与は他の職より10万下回る。
手っ取り早く言ってしまえば何かのサービスを手厚くするなら、何かのサービスを手薄にする他ない。
私は、自分の老後を捧げたい。
この国は少子高齢化という問題を前にしてこの2〜30年、減る子供の子育てより増える老人の世話へと力の入れどころを日和ってしまった。
その結果が今日の待機児童問題やら本件の保育士不足と言う歪みとなって表れた。
子を育てようとしないコミュニティは終わって当然。
国にしても、家族にしても然り。
子供より老人が優先された今は異常なんだ。
なまじ日本がよく出来た民主主義で、選挙権は大人が持つもので、社会は大人が作るもので、社会を支えた大人が自分たちの未来を憂いてきたからこそ、子供若者軽視老人優先なんて言う形に今はなってしまったのだと思う。
それを代表するような年金システムは救いのない破綻を引き起こしつつある。
そんな社会で私は、今一度子育て優先の国に戻したい、お国のためとも繋がるけど、お国のためとは言わない、引いては自分の子や、孫の世代にどんな世界を残したいかと言うこと、そのために私は、今の老人を、自分の老後の憂いを犠牲としたい。
良いじゃん、子のため孫のため住み良い世界になるなら、老い先短い自分の人生なんて。
なんとなく65歳くらいまで、孫の顔が見られるかもしれない爺婆となれるくらいまでは生きられたら、あとは福祉なしで、そりゃ自然と生きられるならそれに越したことはないし、わざわざ65歳になったからと不幸を選択する必要もない、子供も老人も救われるほどの豊かさがあるならそれに越したこともない、けれどこの国の現状を省みれば、老人福祉は65歳くらいまでで良いと思うのだ。
じゃないと、どうしたらこの少子高齢化社会での、没落して行く日本社会での鬱屈した空気を変えていけるのか、子供世代に引き継がせずに居られるのか。
まあこれは、ただの私個人の一考えにすぎないにしても、本件はただのマタハラ問題として目をそらすものではなく、この国の現代最大の問題の根底に触れるものだと思うのだ。
答えは私と違っても良い、ただ、そうした事をしっかり考えて触れて欲しい。
私は当時10階建の社宅に住んでいて、日曜の朝にビン・缶・ペットボトルのリサイクル回収を出しに行くのが家族の中での仕事だった。
回収用のカゴは社宅を出て、大きい通とは反対側の道に置いてあって、朝9時(10時かも)までに出す決まりになってた。
いつも通りビンだの缶だのを出しに道に出て歩いていたら、突然尻と胸を鷲掴みにされた。何が起きたのか全然わからなくて、声とか何も出なかった。
若いスーツ姿の男が自転車で去っていくのを見た。チラッとわたしの方を振り返って、そのまま走っていった。
意味がわからないままとりあえずビン出して、社宅の正面に戻って エレベーターに乗ってから、ああ痴漢にあったんだと思った
親には言えなかった。今でも言ってない。私は顔が良くないほうなので、言っても信じてもらえないと思った(実際顔なんて関係ないのかもしれないけど、それでも本当にそう思った)
その時から男性と話すことが苦痛になった。父親とか教師とか、おじさんならなんの問題もなく会話が出来たけど、同世代の男、若い男と話すのがつらかった。話そうとしても言葉が出てこなくて、頑張ろうとすると頭に血がのぼって顔が真っ赤になった。それが恥ずかしくて、余計に会話を避けるようになった。
中学校は田舎の私立校で、クラスの人数も少なくて内気な性格の人が多かったので、あまり会話の必要に迫られなかった。高校は県内でも有名な進学校だった。共学で人も多かったけど、勉強に忙しくて男の人には興味ありません、みたいな顔してやりすごした。
進路を決めるにあたって、自分の将来を考えた。このままでは絶対に結婚なんてできないのだから、一人で生きていけるようにしなくてはならないと思った。英語の勉強が好きだったけど、安定していなくては、と思って医療系の科がある大学を志望した。
勉強は昔からできるほうだったので、志望通りの大学に行くことができた。大学では、中学高校とは違って、男と関わらないなんてのは無理だった。サークルもゼミも、どうしたって異性との会話が必要だった。最初はしんどかった。なんせ8年はまともに男性と会話していなかったので、男性との会話がどんなものだったかわからなかった。それでもなんとかして、(最初は絶対友達の女の子がいないとダメだったけど)会話できるようになった。 なんだ、大丈夫じゃないかと思った。中学高校時代は何だったのかと、青春を無駄にしたなあなんて思った。
それでもやっぱり深い仲になるのは無理だった。食事に誘われても怖くて断ってしまうし、そもそも一対一で話すことがほとんどできないので、多くの人に対して、女友達ですらない、知り合い、みたいな状態だった。この歳になって彼氏が出来たことないなんて普通じゃないと思って、恋活パーティみたいなのも参加したけど、一対一の食事が楽しめなくて自然消滅した。
個人的には一人でいるのが好きだし、気楽なので良いんだけど、親に孫の顔が見せられないのが不甲斐なくて辛い。もし痴漢に遭ってなかったらもっと違った人生だったかもと思ってしまう。今更どうしようもないんだけど。