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はてなキーワード: 学問とは

2021-04-06

文系学問は要らんっていうても

理系の基礎研究も同レベに要らなくね

じゃあ応用研究なら役に立つのかって言われても、マネタイズできるもの企業がやってるから大学でやる必要ないよね

やっぱ学問自体要らないんじゃね

大学は潰して農地にして真ん中に原発を建てよう

2021-04-05

anond:20210405234200

学問は一番公平議論がやりやすいはずの分野 企業政治司法軍事情報を隠して敵をミスリードするのがデフォであてにならん 主張が全く嘘である可能性が高い

その言葉自分の声に出して家族にでも話すと良いよ

きっと「馬鹿なの」と言われるから

anond:20180104132743

わかる。結局のところ、

辺りが原因だと思う。

「最適な受験科目設定は何か」みたいな学問必要なんだよな。

タイトル:(めちゃ難しそうな哲学本)を読んで

この本を選んだのには理由がある、校内の誰よりも難しい本に挑戦し、書物の一部だけでも

自らの血肉とすることが出来れば今後の人生にも活きようと思ったからだ。

先に結論を述べると分からない、この一言に尽きる。学校先生達も理解していないのではないかと思えるほどである

単語意味がつかめない、困る、読み進めるのに苦労する。そんな中目次を読み込んだり、副読本のようなものをあたりキーワードを集めたり、分からない場所を一旦飛ばして読んだりもした。

そもそも私のように元々哲学バックグラウンドもなく、そのような授業も受けておらず、ユーチューブ動画すら見たことが無い、そのような者にこの本の読書感想文を書くのには夏休み期間はあまりに短すぎる

結果的惨敗であったがただ本を開き辞書と格闘し夏休みの大半を部活に費やし時間が取れない中、仲間などと意見交換を活発に行い、本の中身を分かろうとした経験は今後自分人生において役立つと確信している。

ナントカ)という概念勉強部活にも通じるところもあったが学問の奥深さをおぼろげながら感じている。今年の収穫はそれである

来年以降も挑戦し、今度はいい結果が出せるように頑張りたいと思った。

なお、本を出来るだけ読み込んだうえで書きたいと思い、感想文を書き始めることがなかなか出来ず、本の内容が頭に入らず、生半可な知識ですら喋ることははばかられるのに、そのようなよくつかめない、宙に浮いたような、抽象的な言葉が飛び交う中、現在期限の日である。かなり混乱しながら書き上げている。

来年は早期に取り掛かりたいと思った。

乱文乱筆、ご寛恕のほどよろしくお願いいたします。

ところで実は実質的自分はその本を読んでないのではないかということも考えた。

そう思うと心が暗く、重くなってしまう。

プロセスと結果どちらが大事なのかというテーマがある。

読書感想文というのは読書感想文に分けられる。読書経験は良かった。先生達で読んだことある人は半分もいないだろう。僕は戦ったのだ。

しかし自らの力不足を恥じることにもなった、それは来年以降に期待するばかりである

まとまりのない文章ではあるが、読書感想文という一連のプロセスを散文的に書いたということでご勘弁いただきたい。

2021-04-04

anond:20210404173554

国際的普通の国では、学校への送り迎えを親にさせてしない親を取り締まったりしているんだけど。そりゃ各国の事情が色々だからねぇ…としか思えない。なんか全然知らん人の学問的業績の話とか出て来て、ますます意味が解らなかった。

社会学者キャンセルカルチャーを乱発してる理由

あれって、自分たち学問インチキ疑似科学だってバレて困ってるからだよね。

独裁政権が、自分の影響力が落ちてきたら、とりあえず見せしめ適当理由をつけてぶっ殺すのと一緒。

見せしめとしてのキャンセルカルチャー

anond:20210404023611

いや、それが正解っぽいな。

大学進学に対する理解が深まった結果、女性学問がしたくて大学進学したとナチュラルに思い込んでたけど、今だって学位雇用が紐づいてるもんな。いい仕事に就かせてあげたい、っていう親の意志が一番大きいわ。

anond:20210404003904

そもそも弱者男性論はフェミニズム欺瞞を指摘するもの

まあそうだろうね。だから冷笑」だと言われるんだろうね。だってそこに「主張したいこと」が何も無いんだもの

まあ、学がないから「本当に主張したいこと」が上手く言語化出来ないんだろうけど、その学のなさこそが弱者性でもあるから難しいね。その意味では「もっと勉強しなさい(笑)」と一蹴するのもまた「冷笑」だろうなと思うよ。

学問とは権威であり権力であるということを理解してない人は大学で教鞭とる資格ないと俺は思うけどね。

ちな横。

2021-04-03

anond:20210403195620

だって大学先生からしエクセル数字マウスコピペしてアプリに移動してるもん

学問が得意なのが自慢の学者先生の時点で資料がいっぱいあるプログラム勉強をしたくない人が全員なんだから

じゃあそんな人が全員の大学指導されたら卒業生は全員そうに決まってるよ

anond:20210403132400

よくわからんけど、いわゆる社会問題を扱う学問をやってるのは別に社会学部だけじゃないぞ

そもそも社会学部以外で社会学学ぶ場合ごまんとあるし。

そんな変な学び方では関心があるとみなさないとか言われるって話だったらすまんが……

anond:20210403051558

元の記事と思われるものを読んできたが、元の記事学問知識がどういうものか、「知る」という営みにどういう意味があるのか、に重点をおいて語っていた。他方でこの記事学校教育がなぜ必要かを語っていて、少々論点がズレているような気もしなくもない。

 「教育受益者社会だ」、この主張には概ね納得。ただ勿論、教育にも功罪があって、例えば優生学社会進化論を下敷きにして作った教育ファシスト的なものになるかも知れない(それこそ周りを見下すための教育になりうる)。或いは、歴史教育隣国との領土問題過去戦争問題を語ったり聞いたりする時には、歴史知識を使うわけだけれども、教育で与えられた知識をそのまま(或いは自己流に解釈して)使った結果として、隣国との対立が続いたままになっていたりはしないだろうか?この記事学問教育の善を部分的に語っているわけだけれども、その悪も合わせて知らせないと、そこからまれ社会は少々歪になるかも知れませんね(ここが我々の現在地かも知れません)。

 教育制度論点からするなら少々話がずれるかも知れないが、主体的な学びであるならば、広義の「学ぶこと」「知ること」「考えること」それ自体社会のためであれ、個人のためであれ良いように思う。個人的な興味から幼少期に好きだった昆虫恐竜探究するもよし、文学を学ぶもよし、災害から街を守るためにインフラ整備について学ぶもよし、娯楽である家庭用ゲームについて個人的に考えるのもよし。

 教育から与えられた「勉強」がなくても生きること自体はできるだろう。しかしながら、自分から何か(扱うものは極端な話なんでもいいんです)を知ろうとする時に「勉強」がないと困るのも事実だ。我々が文章を読めるのは、どんな形であれ共通コードとして教育があったからだ。映画音楽、詩や文学、(極端だが)ブログなどの娯楽を楽しめるのも、部分的にそのコードに沿いつつ「主体的に何かを学んだ人」がいるからのように思う。「勉強」がみんなで楽しめるものの基礎の部分を作っていること、社会文化の一部を作ってきたことも否定できない。

 ざっとまとめるならば、「勉強」と「主体的な学び」に乖離があるのは事実かも知れないけれども、「勉強」が個人社会も(物質的にも内面的にも)豊かにしうることは事実かも知れない。勿論、どちらにも功罪はあるけれども、一見無駄に見える「勉強」であれ、「主体的な学び」であれ、我々が何らかの形で日常的に使うものであることは否定できないはずだ。

 まだ社会に出ていない子どもとして思うこととしては以上です。

(長文失礼しました)

anond:20210403111629

結論ありきなので学問ではなくただの活動なんじゃないかな。

anond:20210403111323

どういうこと?フェミニズム学問ではなく政治活動に類するものなんじゃないの?

anond:20210403105511

単に出家しろしか言ってねえよなこの男性学とやらって

もう学問というより宗教領域

2021-04-02

コロナ禍2年目の大学2年生の嘆き

 想像力のある方々なら、内容はタイトルからおおよそ察せられるものと思う。この手の話はテレビ新聞ラジオSNSその他媒体で散々語り尽くされてきたものからだ。

 はじめに少々長い前置きをさせてもらおう。

 私は人との比較の上では少なくとも「苦しんではいない」。というのは、コロナ禍が始まってからも特段生活には困っていないからだ。家庭の収入が少なからず減ったりはしているし、出かけられる機会も減ったりしている。けれども、出費を切り詰めないといけないほどに家計が逼迫しているわけではないし、人間関係が修復不可能なほどに壊れて絶望的に孤独なわけでもない。ましてや、留学生の方々のように故郷へ帰るための道を断たれたわけでもない。私は、コロナ失業した人も知っているし、帰国できなくなった留学生の方も知っている。元々生活の困窮していた人が、更に困窮して居場所を追われる状況になっていることも知っている。彼らの心中を察するに、私の苦しみなど所詮は道端の糞ほどにも意味をなさないだろう。反対に、私とは違って全く苦しんでいない人も或いはあるかもしれない。

 ともあれ、ここで敢えて一つ言わせて頂きたいことがある。この記事目的は「私の苦しみが他者のそれを上回る」ことを主張することにはないし、その認識を持つつもりは少なくともない。仮に「私より苦しんでいない人」を想定したとして、その人に牙をむくことはこの記事目的にはない。考えは未だまとまっていないし、書きながら自己矛盾を感じているところもある(矛盾を見つけても指摘するだけ無駄かも知れません)。しかしながら、先に述べたような悪意があるわけではないことを、頭の片隅に置いて読んでいただきたい。

 ニュース新聞SNSなどを通じて、皆が苦しんでいる状況にあることは知っているつもりだ。身の回り家族、友人、知り合いが苦しんでいることも知っている。身の回り他者自分の苦しみという重荷を更に背負わせないためにも今まで沈黙してきた。皆が苦しむ中で、自分の苦しみが苦しみとして認めてもらえないんじゃないか、そういう思いも大きかった。もしかしたら、自分の苦しみを認めたくない自分いたことが一番大きかったのかもしれない。

 他者との比較を求めるものでないことは先述した。ここに記すのはあくまで「私の苦しみ」であって、世間一般大学生通用する苦しみではないかもしれない。繰り返し、「私の苦しみ」であって、他者のを上回るものでもないし、反対に他者否定できうるものでもないことを述べておく。

 長くなったが、前置きはここまで。

[人間関係などに関して]

 2020年の春に現役で無事第一志望の大学入学した。しかしながら、周知の通り、そこで待っていたのは世間一般の思い描くキャンパスライフではなく、完全オンラインの「大学生活」だった。終日自室にこもって講義を受け、レポートを書き、深夜帯までデータベース上の論文を読み漁り、ひたすら思索に耽る(後ろ2つについては、本気の学問をできる環境の整った大学なので、対面だったとしても似通ったものだったとは思う)。特に堪えたのは、初年次のクラスメイトとの顔合わせすらもオンラインだったことだ。知らない人達と急に向き合わされる上に、他の人の画面に常に自分の顔が映っているという状況、楽しむことが強いられているように感じて終始作り笑いをしながら耐えていた。酷く疲弊した。かなりの労力を費やしたが、教室のそれとは違って個々人で話す機会もなく、仲良くなれた人はいなかった。他の少人数講義も似たような状況であった。唯一、ゼミ形式過酷講義グループワークをする中で多少仲良くなった人はいるが、会えない中で関係を維持することはできなかった。

 感染者の減った夏から秋ごろにかけて、少しだけ対面のサークル活動(運動系)ができた。回数は減らされ、条件付きで練習も認められた。複数受けた少人数講義も、合計でたった20回程度ではあるが対面で実施された。少々語らうことはあったが、教室で話すなとのお達しもあり、あまり話すこともできなかった。キャンパスが自宅から遠いこともあり、あまり会うこともできず、サークルでも少人数講義でもそれほど仲良くなった人はいない。

 臆せずに会いに行けばいいという人もあるかも知れないが、それができないから困っているのだ。昼夜問わず会食はできないし、気軽に家に上がることもできない。自分が出歩いて感染したくないというのも勿論あるが、問題はその先だ。例えば、感染したことサークル活動長期間停止されるかも知れない。或いは、他の人が楽しみにしていた対面授業の機会を奪うことになるかも知れない(言わずもがな医療にも負担を強いることになる)。自分一人が自由に出歩くことが他人の首を絞めることになりうる。反対に他者が好き勝手に動き回った結果として自分の首が絞められることもあるかも知れない。出かけたとして咎められはしないだろうが、それができない。手足を縛られて動けない。そんな状況にある。これは何も人間関係に限った話ではなく、以前はアウトドア趣味だったのだがそちらにも足が向かなくなった。理由は同じだ。

[「可哀想」と語ることの無意味]

 入学以来たびたび言われるのが、「せっかく入学したのに大学に行けなくて可哀想だ」「対面授業少なくて残念だね」「せっかくサークルに入ったのに活動少なくて残念だね」「新しい人間関係ができなくて可哀想」…(以下略)といった内容のものだ。要するに世に言うところの「キャンパスライフ」がないことを憐んでくれるわけだ。正直言ってこの言葉には腹が立って仕方がない。憐んでくれたところで、その言葉によって大元の原因が霧消してくれるわけではないし、状況は少しも動かない。医療という、か細い一本の柱に寄りかかって生きている今日現在にあって、ワクチンが普及したり、治療薬が完成したりしない限りにおいて、「キャンパスライフ」の実現可能性はほぼゼロである。この状況にあって、憐れみを述べる言葉意味を少しも意味をなさない。ましてや「小中高や会社が(条件つきながら)通常営業できている中で、大学生だけ社会的に抑圧されているのはおかしい」と擁護論陣を張ってくれたところで、待っているのは徒労だけである

 この手の話は、旱魃や凶作、飢えや渇きに苦しむ人に対して、殊更に強調して水や食料の美味しさを説くことに等しい。私の下の代やその下の代の頃には「キャンパスライフ」は可能かも知れない。しかしながら、既に4分の1が消し飛んだ今、私の卒業まで三年弱という状況にあって、その望みは薄いように感じる。自分が何をどうしようが手に入らなそうなもの美徳を説かれたところで気分が悪くなるだけだ。憐憫を垂れてくれる必要はないし、そういうことはしてほしくない。今、私が手に入れることができるのは、大学生活の亜種だけであって「キャンパスライフ」ではない。今できることに取り組もうとする人間に対して、今後できそうにもないことを押し付けるのは是非ともやめていただきたい。

[無為生活]

 オンライン中心での大学生活における大きな悩みの一つとして、「無為」な生活になってしまうことが挙げられる。「モラトリアムなのだからそれでいいのでは?」と言う人もいるかも知れない。しかし、これは何も自堕落生活を送ることを指すのではなくて、「大学4年間で頑張ったこと」が何もない状況に陥りそうだと言っているのだ。自室に籠る生活を続ける中で読みたい本、読む必要のある本、多くの文字資料を読んできた。資料をたどりながら、学問的な問題社会問題についても自分なりに考えを深めてきた。内的には少しだけ豊かになったかも知れない。けれども外的なものが何一つない。活動制限される今、これを自分は頑張ったんだと言い切れるようなもの(サークルバイトインターン学業面での功績等々)はまだ何もない(学業はこれからではあるが……。バイト最近始めたが見つけるのにかなり苦労した)。頑張ったこと、熱心に打ち込んだことが欲しいと言うのは単に自分気持ち問題であって、就職のために必要としているわけではないけれども、面接官に「大学生活で何を頑張りましたか」と訊かれた時には、「大学生活などというものは無いに等しかった」と答えて離席するかも知れない。或いは面接官を殴らずにはいられないかも知れない。

 この生活の中では、目標も失ってしまったし、舵取りも上手にはできない。と言うのも、目標となるような存在出会う機会に乏しく、手に入る情報もとにかく少ないからだ。小中高の教室、或いは大学研究室でもいいから、とにかくそこを思い浮かべてほしい。手本になるような人物、或いは反対に悪例となるような人物はいなかっただろうか?恩師、友人、同期、後輩、先輩、誰であれ少なから自分生き方の参考になるような人がいたはずだ。オンライン化されたことの一番手痛い問題として、そうした道標が失われてしまたこともあるのかも知れない。兎にも角にも、抜け出そうとあがきながらも、未だ無為生活している。(これを努力不足と言おうとすることがあらば、それは見当違いというものである。)

[肥大する被害者意識]

 一年が経過して大学2年になった。もう後輩が入学してくる時期となってしまった。諸用でキャンパスに行くと手続きに臨む新入生の列を見かける。SNS上では眩しいほどに希望に満ち溢れた姿を見たりもする。羨望を通り越して嫉妬してしまいそうなほどである。一方で「対面授業が少ないではないか」という声を聞いたりもする。「こんな世情にあって贅沢言ってるんじゃないよ」と言おうとして、すんでのところで踏みとどまる。対面形式講義を沢山受けてきた諸先輩方や、コロナ禍にあっても高校で対面授業があった新入生にとっては理解し難いことかも知れない。比較しないように努めていながらも、どこかで強烈な被害者意識が渦巻いている。他者自分の苦しみを味わせたいわけでは無いけれども、どこかでそれを求めているように感じてしまう。パワハラ上司はこうやって再生産されるのかも知れないなと思いながら、なんとか発言を飲み込んで止まっている。

 ざっとこんな感じだろうか。筆をとる中で少々整理されたような気もしなくもない。繰り返し、他者に牙をむくことや、他者の苦しみと比較して変な優越感に浸ることはこの記事の本意ではない。もしそう感じられる内容があるのだとすれば、私の言語能力限界ゆえ、或いは私の未熟さゆであると思っていただきたい。

anond:20210402144545

学問だけで世の中に出てない人にありがちな考えだけど、そもそもインターネットにも本にもない知識ってのはあるよ。

特定業界特定業務の専門知識なんかは社内では情報共有されてるだろうが出版されてるわけでもなきゃネットノウハウがあるわけでもないだろう。むしろ社外秘だったりする。

たとえば証券会社トレーダーとして働く上での日々のタスクからかいノウハウプロシージャーツールの扱い方なんて本でもないしインターネットにも正確でアップデートされた知識を常に手に入れるなんて不可能だよ。

インターネットで「ある限りすべての」情報アクセスするなんてのが期待しすぎなんだよ。

2021-03-31

anond:20210330002613

根拠としては何を書いたの?

テレビ番組とか、教育における具体的なエピソードとかを書いたならバツにした先生おかしいけど、

根拠なく結論だけ書いたなら学問としてはバツでしょう。

結論意見としては正直同意だけど、大学課題ならどう思考たか必要じゃない?

書く欄が狭かったとかならごめんね。

2021-03-29

anond:20210329093532

そういう技術改革を望むなら現代に生きる男女が目指すべきは、対処的な少子化対策じゃなくて、学問労働に励んで、数年以内に結果を出すことなのかな。

その結果男女の交際を経なくても子供が増えて持続可能社会になれば万々歳だね。

2021-03-28

【呉座騒動與那覇潤先生も「「誤読」ないし「意図的に歪曲」」してない?

呉座勇一氏のNHK大河ドラマ降板を憂う - 與那覇潤|論座 - 朝日新聞社の言論サイト

話題のこれ。自分一般論部分には特に反論はないし具体論についても部分的同意するところはある。

まあその上で色々思うとこがある中で恐らく最もどうでも良さそうなところに噛み付くのだが。

元のツイート職業学歴など、本人の選択次第で「移動可能」な特性非難するのは差別ではない、とする(呉座氏以外の)主張に対して、そうしたロジックを認めれば「在日問題も『帰化しろ』で終了してしまう」と批判したものだ。

これの話って五野井DaDa論争のことだろうと思う。以下のTogetter見るに個人的には心底”Theネット”という感じで大変意義のない争いにしか見えんけど。

学者「ナチズムには差別が内在しているので表現の自由に値しない。共産主義?それは別」 - Togetter

けどこの與那覇先生の読解って正しいんですかね?当時のやり取りそのまま引用するとこういう感じで(敬称略)。

五野井「どの表現も加害となりうる。では表現一般ヘイトスピーチの違いは何か。それは後者差別煽動であり、それに踊らされた者らによって現在まで多くの人々が傷つき殺されてきた点だ。「私にはヘイトスピーチする自由がある」を「私には差別に基づく加害や殺人煽動する自由がある」に置き換えてみてくれ。」

DaDa「何言ってんだ、その言い分だと共産主義に踊らされた者らによって現在まで多くの人々が傷つき殺されてきたから、共産主義禁止もしくは監視あるいは一定制限の下にしか存在を許されない、なんて理屈が罷り通ることになる。」

五野井「わたし共産主義には微塵の魅力も感じないが、そもそも共産主義ヘイトスピーチと違って、人種差別が内在していないことは明らかだ。ナチズムが禁じられる理由は、まさに人種差別差別煽動が埋め込まれいるかである。「差別煽動」という術語をわざと外す暴論には感心しない。誠実な反論を望む。」

DaDa「あら、共産主義に内在的に埋め込まれている階級出自による煽動差別でないとは斬新な見解ですこと。」

五野井「人種差別の話をしているのになぜ階級の話になるのか。人種階級のように移動できるのだろうか。できないだろう。それをあえて比較対象とするのは不誠実だ。為にする批判ではなく、改めて誠実な議論を求める。」

DaDa「階級は移動できる問題ないって安直社会学者が言うの致命的な発言でなくって?」

五野井「人種って移動可能なのですね(笑)あなたは、人種は移動できるという想定を前提でわたし議論をふっかけてきたわけですが、まずはどうやったら人種が移動できるかを教えて下さい。なお階級は、容易ではありませんが移動可能ですよね。ライフピア大勢いるし。あと社会学者って誰のことかしらん?」

DaDa「人種は移動できるっていつ何処で誰が言ったんですかマイケル・ジャクソンですか?」

五野井「わたしが移動不可能人種差別問題にしているのに、あえて移動可能性のある階級問題とわざと等価にして食いついてきたのはあなただろう。ポップなネタに持ち込んで、ごまかそうとする悪いクセはやめなさい。不誠実な相対化で立論をしているかぎり、あなたには勝ち目はない。で、社会学者って誰よ?」

DaDa「だから人種階級絶対に優先だって学問定説あるんですかあ、差別に優劣ありってそれこそ差別的でしょう。あと社会学者だか政治学者だか人文学者だか知らんけど階級移動なんか些末なことって言い放てるなら社会問題コミットする立場として大問題に違いないと思いますよ。」

本当、意味のない議論だよ。このTogetterはてブが何で真面目に議論してるかも理解できんほど噛み合ってないやり取りなんだわ。

それはともかく、五野井先生は「職業学歴など、本人の選択次第で「移動可能」な特性非難するのは差別ではない」なんて言ってます?これ差別を論じるに人種階級は移動可能の可否に違いがあるから等価に扱えない”であって”移動可能属性なら差別ではない”ではないんじゃないかなあ。DaDa氏も借金玉氏も呉座先生も與那覇先生勘違いされてるようですが。いや、たぶんDaDa氏は他3人と違って最後最後で気付いたんでしょうね。だから最後に「人種階級絶対に優先だって学問定説あるんですかあ、差別に優劣ありってそれこそ差別的」と五野井先生階級差別存在否定していない可能性を認識したような反論をしている(反論として妥当とは言わないが)。

お嬢様自己実現なんて知らんがな」から女性自己実現否定している」という解釈ダメだと與那覇先生がおっしゃるなら、直接言ってもないことを実際にあった主張だと断定するのはギルティーでしょうとも。しかしまあ素晴らしい見識を備えた学者方がアルファツイッタラーが気付いていることにすら気付かないのはいかがなものか。それこそ「誤読」ないし「意図的に歪曲」と言われても仕方ないのでは。

実証的に文言を読み解けば不当だと論証できる非難」を傍観するべきでないということのようなので気になったところ指摘しておく次第。

蛇足

まあ、五野井先生もかなり微妙手法使ってて、例えば「共産主義には人種差別はない。ナチズムには人種差別差別煽動内包されている。差別煽動という術語を外すな」と言っていたのに階級差別の話を持ち出されたら「人種差別の話をしている」と言って差別煽動の部分を吹っ飛ばししまう。だから勘違いを引き起こすわけで…。もっと問題なのは五野井先生は当初の書き方だとヘイトスピーチについては差別煽動であることに重きを置いてたはずなんですね。それによって生じる被害害悪果たして「移動可能」か否かで変わるものなのか?差別を語るうえで属性の「移動可能性」に着目すること自体王道にしてもそことの論理的接続性は本当にあるのか。

ところがDaDa氏はそこを指摘するわけでもなく、何故か人種差別云々に乗っかってしかも「移動可能」とかいうそれを考慮すること自体は実はわりと妥当な部分に噛み付いて滅茶苦茶にするしなんなんでしょうねこれ。そもそもマルクス主義持ち出してきたのも大体イメージ人によって変わるとこだから困ったもんだなと思わないでもない。

それで言うとここには引用してないけど階級について「移動困難」だと五野井先生が認めているところがあって、むしろそっちの方が突っ込みどころでは?ヘイトスピーチ定義を調べた人は「変更不可能または困難な属性理由に~」みたいな文章たことあると思うんですよ。移動困難ならば移動不可能と同じカテゴリーではってことね。もちろん困難とはどういう意味でどの程度困難なのかって話がその次に待ってるんだろうけど…。

まあ今更どうでもいいね。語ってもしゃーなし。

移動可能というか変更可能/不可能考慮することはあるということを上で書いたので一応実例は出しておく。

まあわりと差別とかを考えたことある人には馴染みがある考え方の1つだと思うのだが、呉座先生(ともしかしたら與那覇潤先生)の反応見るにあまり知られてないのかな。

日本国籍は,我が国構成員としての資格であるとともに,我が国において基本的人権保障公的資格付与公的給付等を受ける上で意味を持つ重要法的地位でもある。一方,父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得するか否かということは,子にとっては自らの意思努力によっては変えることのできない父母の身分行為に係る事柄である。したがって,このような事柄をもって日本国籍取得の要件に関して区別を生じさせることに合理的理由があるか否かについては,慎重に検討することが必要である

――国籍法3条1項違憲最高裁判決2008年

上記制度の下で父母が婚姻関係になかったという、子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄理由としてその子不利益を及ぼすことは許されず、子を個人として尊重し、その権利保障すべきであるという考えが確立されてきているものということができる。

――非嫡出子相続差別違憲最高裁判決2013年

もちろん変更可能か否かだけが全てじゃないしその種の別異取扱いは絶許みたいな0か100かって話ではないのだけれども。

fff -フォルティッシッシモ-』〜歓喜に歌え!〜 第13-14場

anond:20210314223160

ネタバレ

第13場実況

A 雪原〜雪のシンフォニー

雪組だけに?

これ一幕ものでよかった、と思う。

雪原?ロシアロシアナポレオンが敗北したロシア。でもサクサク動いてみんなを助けて、いい人なんだなあナポレオンさん。

ここは少し気持ちがダレた。もうちょっと演者側でやりようがあったように感じる。ワンスマックスやこのナポレオン、月城かなと氏だったらどう演じたかなと考える。city hunterは楽しみにしている。

ベートーヴェン「おれたちは何のために生きてるんだ」

ナポレオン「苦しむためだ」「苦しむためじゃなかったら、おまえは何のために生きてきた」

人間はあらゆるもの発明することができる。ただ幸福になる術を除いては」不可能あるやん、ていう。

ベートーヴェン平和の、敵、ブオナパルテ」

出生名

ナポレオン「そ!こ!そ!こ!」

わらった。

ナポレオンヨーロッパの国々を、ひとつ連合にする」

!!ナポレオンEU構想持ってたの⁈つながった!第九、the European Anthem。なるほど、ヤバ!

ナポレオン世界が豊かになる方法は、人と、モノと、情報自由に遠くまで運ばれ、優れたものが交換されることだ」

おやリカード比較優位論、貿易大原理。1817年か。

音楽数学だし、昔は世界を解き明かす学問として必修科目だったしね。

再び勝利

ナポレオン勉強は好きか」

「愚人は才人にまさる大いなる利得を有する。彼は常に自らに満足している」

ベートーヴェン所蔵のカント『実践理性批判』

ナポレオン「生きることは、不幸だ。不幸に敗北するか、それとも不幸に戦いを挑むか、それとも」

ナポレオンって銃弾に倒れたわけではないやんな。

B 彼女名前

ナポレオンが死んだのは1821年。ウィーン会議から6年経ってる。第11ウィーン会議ロッシーニいたことを考えると、あそこで1822年ぐらいまで描いていたと考えてもいいのかもしれない(『セビリアの理髪師』1816、『どろぼうかささぎ』1817、ロッシーニウィーン訪問1822)。

謎の女「かつて地上にあった人間のすべての苦しみ それがわたし

ベートーヴェン「おまえは、人類の、不幸」

謎の女「誰もがわたしを憎む もうひとりのあなたとも知らず 醜い不吉な女だと 憎んで恐れて逃げまどう 憎むほど自由奪われて ただ 死を 待つ」

ベートーヴェンも謎の女に失せろと言った。そして孤独期、曲も作れず、ただ…。

謎の女「死は、救いなの」

ベートーヴェン「哀しく強い、おまえの歌」

ベートーヴェン「強くてきれいな人類の不幸。おまえの名前がやっとわかった」「運命」

あーー。だから、曲、献呈。「やるならやってみろ、運命よ」は1816年の彼の日記のことば。

「今、運命が私をつかむ。やるならやってみよ運命よ!我々は自らを支配していない。始めから決定されてあることは、そうなる他はない。さあ、そうなるがよい!そして私に出来ることは何か?運命以上のものになることだ。」

ベートーヴェン「生きることが苦しみでも、おれは、おまえという運命を、愛するよ」

上田氏の京大講演会経験の中で一番痛いもの、辛いことが不愉快ものなら、当然、それがなくなることはない」

第13場まとめ

第14場 最後シンフォニー 実況

智天使ケルブ「この世界に別れを告げる時間だ」

1827年

ベートーヴェン「どうすれば音にできるだろう、この祈りを」

運命「これはいつくしまれた不幸の、よろこびの歌」

ここは本当にありがとうと言いたい。望海真彩(あと非常に聞こえづらいけど多分望海の右手)でメロディを歌いながら、真彩の右手オーボエパート、望海の左手クラリネットパートかな、をなぞってきっちり3声の対位法をやってのけた。歴史に残るメロディ爆誕の瞬間。1822年。

ヘンデルあいつ、なんと…」

モーツァルト「不幸と一緒になって、よろこびをうたってる!」

シラーの『歓喜に寄せて』は、もともと『自由賛歌』で、ベートーヴェンが感動して曲をつけようとしたのは『自由賛歌』のほうであるが、当時の体制下で云々。…というのは都市伝説であると、英語版のWikipediaには書いてあるなあ。日本語版の出典のひとつURLの変更があったっぽく今はたぶんこっち。もうひとつ出典では『自由賛歌』がシラー作品だとは言っておらず。セイヤー氏の著作都市伝説の元なのかな。

東西ドイツ統一式典では「自由バージョンで歌われた。

ベートーヴェン「あー」(A4)

運命「あー」(A5)

爆笑超音波なの?すごすぎ。

ベートーヴェン「苦悩を突き抜け、歓喜に至れ!」

1815年の手紙から日本語訳がピッタリこないけどドイツ語からいから2つの英訳

"We finite ones with infinite souls are born only for sorrows and joy and it might almost be said that the best of us receive joy through sorrow."

"we mortals with immortal minds are only born for sorrows and joys, and one might almost say that the most excellent only receive their joys through sorrows."

智天使ケルブ「まあいいだ〜ろう♪」

よかったね天国行きだよ!

歓喜のその歌 ともに歌うとき あなたわたしも」ベートーヴェン父・メッテルニヒ「ゆるしーあーえーるーだろー」

あー、早霧さんが出てた世界ふしぎ発見でやってた話。

  • 舞台後方真ん中でひとり手を広げて立つケルブ様

und der Cherub 音楽は おれたちのものだー! steht vor Gott, フォルテー! steht vor Gott, フォルティッシモー! vor Gott, フォルティッシッシモー! vor Gott.

ここだけドイツ語詞で、ケルブ様出てきた。第九の中のここの歌詞解釈はなかなか大変なようで、まあなんとなく壁・障害天国/楽園行きを阻むもの自由を阻むもの、ぐらいで自分は捉えておこうかなあというところ。

今作においては、ベートーヴェンさんお亡くなりになりました、ってことかしら?

コーダ⁈やば。3人の強きものfたち。

そりゃalla marciaには入らないよね。音楽配信も始まってしまったわけだけど、これ音だけで聴いてると爽快にズッコケる、爽快。そのうち慣れるだろうけど。

リズム隊が醸す歌謡曲感。

ベートーヴェンアンコール!」

きたー

ベートーヴェン人生幸せだったー!」

諸君拍手を!喜劇は終わった」

キンキラキンのすごい背景ー笑、衣装は白いし。

ベートーヴェン葬儀には多くの市民が続々と駆けつけ参列者は2万人、異様な様相、大混乱だったと。

世界果てなく 祈り 響かせ

うたえ 生きとし生けるもののうた

なんかここのベートーヴェン推定54歳)と運命さん(年齢不詳)の振り付けかわいいな。

第14場まとめ

全体総括

ぴあの上田久美子インタビュー記事より(2020/3/16 コロナ前)

耳が聞こえなくなって絶望し、一度は死ぬことも考えたけれど、神から与えられた才能は自分だけの物ではないから、身体の中の音を外に出すまでは死ねない、どんなに不幸でも生きていようと思ったそうなんです。すごいですよね。そうやって作った最後交響曲が第九で、その合唱部分の『歓喜の歌』は、今で言ったら異常に盛り上がるロックみたいな感じだったと思うんです。それを、音楽のために一切の個人的幸福を諦めた人がどうして作れたのか、ぜひその物語を書きたいと思いました。

予習の段階で目を通したこの通りの内容。第九誕生物語

お見事。

配役を見て?が浮かんでいたところに次々とピースがきれいにはまっていく気持ちよさ。タイトル意味しかり。

重くなりがちなベートーヴェンの話をできうる限り軽快に描き、新しいベートーヴェン像を見せてくれた(そもそも楽聖ベートーヴェンイメージシントラーやロマン・ロランによって作られたもの)。

おまけ:ミュージカルシンフォニア

第14場がコーダっぽかったので、ソナタ形式に当てはめて考えてみた。

*一瞬だがベートーヴェン真ん中でナポレオンゲーテが左右におり、謎の女もいるので。


うーん、苦しいか?意外とうまくハマった気がしている。

anond:20210328085620

NHK云々の文脈で言う「面白い番組」ってまさに教育系の番組のことだと思ってたけどな。

大河ドラマ歴史教育の一環だろうし、理系の俺としてはピタゴラスイッチとかすイエんサーとか評価してるよ。

1人でじっくり考える時間教科書を読む時にとるものであって、公共放送に求められてる「教育」って、その学問入口に興味を持ってもらうことというか、まずは楽しんでもらうことなんじゃないのかなぁ。

あと、増田税金を使って文化遺産を保存することにも反対するのかな?

2021-03-27

塵芥ゴミソチカスインターネット

誰もが発信できるようになって、誰もが受信できるようになったインターネット

俺のインターネットあなたインターネット。君のインターネット。お姉さんお兄さんお母さんお父さんのインターネットあいつ達のインターネット。それはきっとそれぞれ違うインターネット

決して、昔のインターネットは素晴らしいものではなかった。誹謗中傷の数は今とそう変わらなかった。匿名人間が大量のゴミを残していった。

端的に言うと99%はゴミだった。クソったれ。どうしようもない。残す価値の無い塵芥。

インターネット利用者は、意識せずとも、現実ネットを分けていた。

別の空間だった。その理由は、インターネットを利用するには、人間パソコンの前に座る必要があったからだ。

インターネットアクセスする方法が限られていたからだ。インターネット情報を残す方法は限られていたからだ。

ごみ溜めと呼ばれていた。アンダーグラウンドで、無意味で金にならないどうしようもないコンテンツが大量に存在して、その無価値もの無意味に流動していた。

ネットによって支えられた不毛文化存在した。

インターネットに集まる人間は、その性質上、日陰者が多かった。悲観主義な奴が多かった。孤独な奴が多かった。

それぞれがみんな足りないモノを求めた。全員ハンドルネーム匿名著名人有名人以外はみんな、別人だった。現実にはなりえない何者になろうとした。

現実には存在しない空間を求めた。インターネット上では、現実の何者である必要はない。平等なクソだ。

インターネットは徐々に現実と融合した。どこもかしこも、誰もかれもがスマホ凝視して、インターネットを利用した。

ありとあらゆる問題インターネットに放り込まれた。政治経済、世の中の流れ、人間学問エンタメ情報に次ぐ情報

世界についてのすべて。人が喜ぶ、人が妬む、誰もが注目する情報情報情報

人間関係を可視化して、人間の優劣をつけるためのSNSが現れた。

大量の企業が、政治団体が、利用し始めた。ガキから老人までインターネット内包された。

インターネットはもはや化け物だ。ゴミモンスターゴミモンスター世界を覆い、人間インターネット内包した。粗探し、炎上政治問題社会問題。老若男女問わず情報情報情報

 情報は金になった。経済を回す推進剤となった。

人間現実の全てをインターネット切り貼りして、金に変換した。友情愛情人間関係も犬も猫も芸術政治経済日記も全て。

人間キャパシティーを超える情報量に混乱し、アメリカ合衆国ネット翻弄された。

全てが可視化された。全ての傷口がパブリックものとなり、解剖され弄りまわされ、化膿し、悪化し、感染した。

 ネットはクソのはずだ。誰しも認めていたはずだ。ネットはクソだ。ネットは無価値だ。

まるで、人生のようで、だからこそインターネットに夢中になったはずだ。

インターネット現実のクソではなかったはずだ。インターネット固有のクソであったはずだ。

俺にはクソを選ぶ権利があった。現実のクソとインターネットのクソ。

クソなりにクソの選択肢があった。

今のクソは、現実のクソとインターネットのクソを組み合わせたハイブリットなクソ。

選択肢は一つ。

最高だ。

最高。最高。最高。

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