人と違うこと、劣っていること、知らないことをネタにいじめられる。いじめている側はそれをいじめと思っていない。普段の会話で友達と話しているのと変わらない。テレビで芸人がしていることと変わらない、楽しい遊びの一環だ。するといじめられる側に何が起きるか。自分を出そうとしなくなる。本当に仲の良い友達と何を話せばいいかわからない。自分がコミュニティのどこにいるかわからない。何を言えば傷付けず話すことができるか。一般的なこと以外は何を言っていいのか。自分を知らせないので相手も何を話せばいいかわからない。故に孤立する。人とのコミュニケーションに楽しさを見出せなく、他人に興味がなくなる。更に孤立する。これは学校のいじめだけに限らない。親からの「自分を出さないように」と解釈される教育がいじめと同じ結果を生み出す。いじめは相手に辛い思いをさせるだけではない。若い時分にいじめられたときに顕著だが、その後の人生を大きくマイナスの方向に向けられてしまう。後遺症の残る怪我を負わされるように、精神の病に近いものを負わされる。いじめた側はその病に対しての責任を取ることはできない。こうした場所にしか書けないことも、自分がどこにいるかわからないことと関係する。自分が言っていることが正しいのかわからない。かつて自分をいじめた人間に自分の人生の責任を負わせるようなことを他人に押し付けていいのかわからない。どう考えても結局は自分の責任という結論しか導かれず、その事実は一層私の精神を圧迫する。自立した心がわからない。自分の心に従ったことを表に出すほど、近くの人間から咎められる。混乱と怠惰が私を蝕む。
いじめられたからって改行しなくていい理由にはなりません。次の方どうぞ。
いじめっこを殺しましょう 住所はわかるだろ