はてなキーワード: 孤立とは
生きることに悩んでいる人の苦しみがネット上で吐露されると「あなたはもしかすると発達障害の可能性があるかもしれません。心療内科を受診しましょう。」という趣旨の書き込みがなされることが多々ある。
実際に病院に行ったことで、原因不明だった生きづらさが何なのか解明する手がかりを掴む人も確かにいるはずだ。
だが発達障害というものはここ10年ほどの間で、その名前だけが世間に認知されていった。
その定義も特徴も曖昧で難解なこの障害を説明することは容易いことではないのだ。
マスメディアを通じこの聞きなれない障害を知った人々は、ネット上で絶えず繰り返される人生の悩みと、それに対し発達障害を疑う返答というやりとりも幾度となくみてきた。
俺が指摘したいのはこれによって発達障害=変人・無能という誤った認識をインプットしてしまった人が多いのではないかということだ。
学校に馴染めない。虐められる。
このような悩みに発達障害の可能性を指摘する書き込みが寄せられるイメージにより、逆説として発達障害は、集団に溶け込めず一般的な事務的労働をこなすことができない人間が抱える障害と捉えられてしまってはないだろうか。
集団に溶け込めず一般的な事務的労働をこなすことができないということは個人的体験であり、発達障害の特徴を端的に表した事象とは言い難い。
発達障害者には特有の苦手なことがあり、不幸にもそのために悩みの語り手はトラブルに巻き込まれてしまったのである。
発達障害者だからといって皆が皆総じて友だちがうまく作れず仕事ができず社会から孤立しているわけではない。
定型発達者の中にもうまく社会生活が送れていない人がいるように発達障害者の中にもそういった人がいるというだけではないか。
悲惨な状況にいる発達障害者ばかりが可視化されてきたことで、どうも日本では発達障害というものに過度にネガティヴなイメージがついてしまったのではないかと思う。
発達障害者を「協調することができず通常の業務を遂行することもできない人間」というふうに捉えてしまえば、配慮して共生していこうという寛容を保つことも難しくなってしまう。
最近では変わった人や冴えない人を蔑むためだけに発達障害という言葉が投げかわされているよう見える場面に出くわすこともあるようだ。
せっかく生きづらさを抱える人に発達障害というヒントが提示されても、発達障害者として生きることが世間の好奇と侮蔑の眼差しに苦しむことになってしまっては意味がない。
これからの時代に必要なのは、発達障害者の社会参画を特に知識や経験のない一般人にイメージしてもらうために、実際に活躍する障害者をロールモデルとして紹介していくことではないだろうか。
障害者にも感情や慈愛はあるし、彼らは彼らが持つ道理にしたがって行動しているわけで決して思慮の浅い人間というわけではない。
共感できすぎて辛い。
うちも同じような母親の下で育った。
同じように不信感を持った私は親を振り切って他県に働きに出て、そこで出会った彼氏と同棲・結婚した。
母は、「あなたのため」、「あなたのような世間知らずが結婚したら周りに迷惑がかかる(母は専業、私は一人暮らしで正社員)」、「反対してる訳では無い、もう少し時間をかけて考えろ(既に5年以上交際してる。私はアラサー)」などよく分からない反対をしてきたけれど、意味がわからないの一点張りで無視、無理矢理話を進めた。
父は当初は母の味方をしていたけれど、私が向こうの親に話をつけている事、周辺に既に結婚の話をしていて応援されている事を聞くと、体裁が悪いと感じたのか手のひら返したようにこちらの味方になった。
誰にも味方してもらえず孤立した母は仕方なくという形で結婚を許可する形になった。
結婚して子どもができてからも、相変わらず母は夫を敵視している。(表面上は取り繕っているが)
あからさまに絶縁してしまうとそれはそれで面倒がおきるので、夫にはできるだけ母に近づけないよう牽制しながら距離を置いている。
多分うちの母も増田の母も、本気でこどものためだと思い込んでいるんだろうけど、自分のこどもである娘が自分のコントロール下に置けない存在になるのが耐えられないのだと思う。
子どもは自分の所有物という価値観が根本にあるんじゃないかと思う。
はっきり言って話し合ったところで時間の無駄になる可能性は高いし、こちらから明確に線引きして距離を置くしかないと思う。
私もこんな親でも嫌いになりきれなかったし、自分にも自信がなくて迷うことも多かったけど、自分の人生は自分のもの、失敗してもその責任を自分で取ればいいと思って今好きなように生きているよ。
いやこっちも男なんだけど
もともとその気はあるので、男ばかり付き合っていたけど、走馬灯に男ばかりというのもバランスが悪いから、彼女を作ろうと努めている。
で、結果一人と付き合ったけど、なんというか、子供みたいな恋愛をして直ぐに別れた。理由を聞けば、トータルで言うと男らしくないから、とのこと。
当然荒れ荒れ荒れの助で増田に愚痴書いて、増田に怒られたりして、最近やっとこさ立ち直り、この数年を振り替えって思ったのは
彼女作ろうとしてた数年の間も、ずっと男を口説いてたってことだった
いや正確には口説いてないというか、
純粋に仲良くしようよって感じだったんだ。
でも考えてみれば、
③楽しく談笑、しかし、ここではまだ100甘えない。付かず離れず。
いやホントにチンコにかけて言うけど、ヤリチン違うのよ。お付き合いとかそんなにしてないし。
でも、なんというか、相手から「親友だよね」とか、「友達だよね」みたいな確認をされたり、「飛影はそんなこと言わない」みたいなこと言われたときは、その、ゾクゾクってなったのは確かで、なんだろう、気づいたら友達たらしみたいになっていた。
女性に対するやれたかも委員会は開けないけど、男に対してなら死ぬほど開催できちゃう。
そういう気持ちを抱くのは良くないので、どうにかせんとなんだけど、気がついたら、またそのムーブにはいってる。
糞ヤリチンがとか思ってたけど今じゃ彼らを責められない。
世間話をしよう。
今日では、男性嫌悪なおばちゃんが何かと槍玉に挙げられる。こんなの↓(見なくてよい)
https://twitter.com/kobayashigiriko/status/826378866646081537
これは「女性嫌悪がネットにもいっぱいあるから、男が嫌いにもなる」と読める。なるほどワシも男じゃ。正直、スマンカッタ。
ちょっと昔の、2000年代的なネットの負の側面は加藤智大に象徴されると思われる。(※加藤智大は2008年の秋葉原通り魔事件の犯人。この事件で加藤は17人を負傷させ、うち7名が死亡した)
結果が出ないからなにもしなくなる
まずそれに気付きましょう
そして受け入れましょう
顔だよ顔
全て顔
とにかく顔
顔、顔、顔、顔、顔
……00年代のネットでは「非リア(友達が一人もいない人々)」がまだ目立っていて「リア充(話し相手が一人はいる恵まれたヤツラ)」への、どす黒い感情が渦巻いていた(※アンサイクロペディアの該当ページぐらいにしか名残がないけど本来、非リアは完全に孤立した人間の意)
ちょっと昔のネットの中には、こんなへんないきものが、どうもいたらしいのです。ブサイクで、ハゲで、チビで、デブで、ガリガリで、友達が一人もいなくて、家族からも疎まれている。おっさん? おっさんかも。
つまり、みんな非リアのことを忘れちまったのです。
どうしてネットで女性が「マンコ」「ま〜ん(笑)」と呼ばれたか。友達が一人もいない男にとって、女性は全く接点がなくて人間ではなかった。人間以上のもの、人間未満のもの。幸福や社会や抑圧や差別の象徴だった。
ちょっと前までネットの女性蔑視は弱者の声だった。素直な感情だった。
今となってはネット人口が急増したことも気づかない。「リア充爆発しろ」「他人の不幸でメシがうまい」は死語で、非リアの原義も忘れ去られた。普通の人がネットをするようになった。
そうすると素直な感情論でおばちゃんが「女性蔑視はひどい! 男性嫌悪にもなるわ」と言う。男性保育士にザワザワして少年漫画にザワザワして巨乳とか童顔のオタク・アートにザワザワしたりする。
言わせてくれ。2ちゃんねるが始まってから我々は全く進歩していない!
男性嫌悪も女性嫌悪も否定されるものじゃない。どれも弱者の声、どれも素直な感情かもしれない。
でもこれ、結局はカウンターカルチャーですよね? 正義ではないよね?
別に男女の話だけじゃなく。政治にしても。北方領土どうにもならないから反露親米になったり沖縄基地どうにもならないから反米親中親韓になったり。左翼にしても右翼にしても。ただの反発なのではなかろうか?
ネットやってると「四月入社の新社員にアドバイス」とかいう、どうでもいい内容がアクセス数を稼ぐわけですよ。あたかも会社が絶対悪みたいな。みんなはヒラ社員だから長時間労働がヤバいとか会社はキツいしか感想がないんだろうけど、経営陣もツラいからね? アレな社員もいるからね?
育児の話題になったら親を叩いとけば無難みたいな。毒親とか言ってる割にみんなみんな毒子じゃろ。きいつけや。「育児は大変」と「子供は最高」は両立できるんやで。子供がテストで0点取ってきた時の正解なんてないからの。
最初の三行だけ読んで脊髄反射でレスくれるんだろうなって分かってます。つまりそれなんだよ、ネットの性格ってさ。
(※ネトウヨが2ちゃんねる発祥とか、アメリカのトランプやフランスのルペンがネット的な風潮から誕生したんではなかろうかとかは、あまりにも安直なのでカットしました)
(※昔のネットには負の側面ばかりじゃなくてアスキーアートのような、創造的な、人生楽しくなかろうがどんちゃん騒ぎで祭りじゃワショーイ的なムーブメントがあった。ヌクモリティのガイドラインを読め。ネット出身の漫画家の作品が死ぬほどアニメ化されてんだろ! ネットが好きだ! 俺の想いよネットへ届け!! ハルケギニアのネットへ届け)
今回は里子対象の子は10代の男の子で、本人も同意の上らしい、って噂だが。
高校生くらいで本人の同意もあるのなら、まあいいのかもしれない。
(まあ乳幼児は特別養子対象になるし人気も高いから、特別養子前提で里子希望の人が沢山いてそっちが優先されるだろうし
それなら現状では特別養子は得られないゲイカップルが選ばれる事はないだろうけど、
というのも、乳幼児は親同伴でないと友達と一緒に遊んだりできない。
昔ならともかく、今時未就学児を親や監督する大人が居ない状況に置くのはネグレクトであり、
友人の家に遊びに行かせるのは、親同士がよほど気心知れた仲でない限り非常識な託児親扱いだ。
なので子供が友人の家で遊ぶとなったら、親も一緒に行くのが普通。
でも男性が家に来る事を許容する、他の母親はどれだけいるだろうか?
母親が他の母親と付き合う分にはただの「ママ友」付き合いでありごく普通の事だが、
同じように「パパ友」と付き合っても良いという母親はほぼいない。
噂も立てられそうだし、その母親の夫も「自分が不在の間に妻が他所の母親を家に入れている」は許しても
「既婚の男女が密室の中にいる=不倫認定」は日本の法律でもある。
「いやあの男性はゲイだから女性と不倫はあり得ないですよ」ってのも通用しない。
それは日本の育児の場が女性のみに押し付けられてるから、父親が阻害されてるだけだ!
父親は父親同士で付き合えばいい!と言う人もいるかもしれない。
他の父親が「パパ友」付き合いしていたとしても、
「あのパパもゲイだったんだ」「ゲイ不倫なんて最低」「うちの夫はゲイだったんだろうか、私は騙されたのか」…となるわけだ。
つまりゲイカップルの父親は、他の母親とも大多数のヘテロな父親とも付き合えず孤立する。
「そんなの専業の子だけでしょ!保育園は親同士の付き合いなんかないし放課後遊んでる暇もないから保育園に入れればいい」って人もいるかもしれない。
でも乳幼児の里子ってのは基本的に「自宅保育出来る人=専業」でないと得られないのが原則。
(施設から出て、また施設(保育園)に預けられるのでは意味がないからね)
保育園には入れない。
そのゲイカップルの片方がMTFなんかで、誰が見ても女性、ってなら多少は許容されるかもしれない。
でも「どう見てもどちらも男にしか見えない男らしい男同士のゲイカップル」だったら、許容されるだろうか?
小学生以上になっても、親同士の付き合いがない子は一緒に遊びにくい。
となると交友関係が完全に親から離れられる年齢(小学校高学年~中学生くらい)まで、その子は孤立し続けるわけだ。
勿論地域差もあり、都心部でそもそも近所付き合いが希薄、入学して来る子の出身幼稚園もバラバラで親同士の付き合いも希薄で
皆塾だの習い事だの行ってるから放課後遊ぶ暇なんかない子多数、ってな所なら支障ないかもしれない。
でもご近所付き合いが過密で、皆同じ近所の幼稚園出身だから親同士は幼稚園時代からべったり付き合いがあり、
放課後も友達の家をお互い行き来して遊ぶのが普通、と言う地域だったらずっと一人だけ仲間外れにされる事になる。
この辺、解決しようがあるのかな。
「既婚の男女が密室の中にいる=不倫認定」という法律を廃止すればいい?
そもそもこの法律は皆ヘテロであるという前提に基づいているからゲイ差別であるとか言って?
「既婚の男女が密室にいようがすぐ不倫認定するのは差別」という風潮も広めればいい?
「妻が他所の男と付き合うのは禁止と言い出す夫は差別主義者」とすればいい?
そんな事できるの?
ブコメに対して
ゲイと友達付き合いすることは許容されるか?という問いに対しては許容されるとしか思えないし、子供がゲイとの友達付き合いを不倫だなんだと勘ぐるならそれは育て方が間違っている
独身なら許されるだろうけどな。
でも既婚者はそうはいかない。結婚したら異性の友達とは距離を置くのが普通だし、ゲイと言ってもバイと区別がつかない以上、同じ事だろう。
「お花見でもして浮かれているんじゃないの?」と母親が留守電にメッセージを入れていた。
物凄く腹が立ったが、冷静に考えて納得したことがある。
こういう性格の親に育てられたら、そりゃあ自己肯定感なんて持てる筈がないという事に気付いたのだ。
統合失調を患い入院してた母が、病棟から電話を掛ける様になってきた。
入院当初は文法もまともじゃなく、四六時中幻聴に取りつかれていたようだが、
最近は薬の効果があるらしく、比較的会話が成立するようになってきた様だった。
しかし相変わらず病識はなく、会話の中で彼女の敵が現れ、悪い事をされている妄想がたまに出る様だが、
数年前の最低限の社会生活ができていた頃の状態にまでは戻っている様な印象を持った。
先日「春物の服が無いから持って来てくれ」という要求があった。
多少の回復を喜びつつも、男の見立てで申し訳ないが、女性用の服やら、見舞いの品を持って行った。
見舞いの際は服も差し入れもとても喜んでくれ、会話も比較的まともになりつつあり、それなりに喜ばしい時間を過ごして戻ってきた。
医師やケースワーカーさんとも話したが、やはり今後も病識をもってもらう事は難しそうという見解だった。
しかし、入院時の完全なる狂気の状態は脱している様で、これからどうするか、という事も徐々に考え行きましょう。
という事でその日は帰った。
なんでも持って行ったパンツやらスカートのサイズが合わない、気に食わないという不満の表明と文句が延々と入っていた。
そして最後に「お前は、花見でもして浮かれてるんじゃなの?」だからからまともな服を買ってくることもできないんだろ、
自分の意図に沿わない服を届けられただけで、その相手に対し「花見でもして浮かれてるんじゃないの?」と言い放つ。
病気の症状が軽減されて現れたのは、かつて自分が嫌った親の姿だった。
ああそうか、そうだった、こういう人だった。
こちらの苦労や意図など全く無視して、自分の都合でしか物事を考えず、自分が常に正しいと考え、
自分を省みる事がないから、周囲の人間を傷つけ、呆れられ、孤立する。
何かをやろうとしても、母の意図に沿わないと否定され、激高し、ののしられる。
そのようにののしられて育った記憶がよみがえり心がざわついて仕方がない。
そんな親に育てられた子どもの頃の自分は、きっとけっこうかわいそうな部類だったのだろう。
でもだからこそ、今、自分を認めてくれる人を大事にしようと思うし、
自分を必要以上に否定する必要もない事に改めて気付く事ができた。
母との溝は絶対に埋まることはないだろう事を改めて予感しながら
私はもういい年の三十路の女です。
最近、SNSで知り合い仲が良くなって、頻繁に遊びに行ったり、自分の部屋に呼んで飲んだり泊まったりできる友人(女性)ができた。
それなりの時間をかけて、トラブルもなく順調に仲良くなっていって、本音も少しずつではあるけど話せるようになっていった。
しかし、それは突然終わりを告げた。
つながりを切られていた。
切られたことに対してのショックはなく、純粋に驚いた。
ネット上だけの関係なら繋がりを切ることに躊躇など必要ないとは思うのだが、自宅に行き来するような仲でもそういうことができるのか、と。
しかし、切られたことに対して攻める気持はないし、あちらからしたらその程度の関係だったということだろう。
と、思ってはいるのだが、これがキッカケで「友人を作る」ということの難しさをまた痛感することになった。
誰しもそうだとは思うが、人間関係で大きかれ小さかれトラブルを経験すると「マイルール」ができてくると思う。
それは事あるごとに変化していくものだが、今回の件でそのマイルールが全て無駄だったと思った瞬間、友達を作ることができなくなるのでは、と恐怖を覚えた。
仲を深める、ということは、会話が重要だと思う。
自分はなるべく会話で相手を知る、自分を知ってもらおうと思っている。
当然、後悔している。
「あの時、なんで話をちゃんと聞いてあげなかったのだろう」
「あの時、ああ言わなければよかったんじゃないか」
よくある、と表現するのは不適切かもしれないが、本当にそう後悔している。
死ぬまで後悔しつづけると思う、だからこの後悔は当然マイルールに影響している。
おそらく誰しもがそうしてるであろう内容なので、書かないといけないのか?と思われるかもしれないが、自分メモとして、ざっと書き出してみたい。
・相槌は必ず打つ。
・相手の立場になって話を聞く。(相手の心情をなるべく理解できるように)
これは私が相手にすることであって、相手が必ず私にしてくれることではない。
他にも、会話の内容だけではないが、自分にとっての常識が他人にとっての非常識な場合もあるし、その時の相手の精神状態などもあるだろうから、一概に全てをこのマイルールに適用させることはあまりない。
そうやって色々、相手のことを考えつつ、自分のことも考えて築いていくのが人間関係なのだと、思っている。
私にはそれができない、できていないようだ。
「気が合う友達」というのが親友以外名前を挙げれないのだが、親友は私に対してそう思ってくれていたのか、今では確認のしようがないから不安と疑問と恐怖でいっぱいだ。
だからと
いって、その気持を払拭するために、もし今後「気が合う友達」ができた時に「私はこう思っているがそう思ってくれているか」なんて聞けることもないだろう。
私は「遊びや旅行などに誘いあえる」「なんでも話ができる」「助け合える」ことができる友人が欲しいと思っている。
突き詰めていけば、もう一人自分がいればいいのだが、この世にコピーロボットは存在しないから無理な話。
しかしどうすればそんな友人ができるのだろうか。
そもそも、人付き合いがとても苦手なのだ。
だから受動的になったというか、自分から率先していくことはなくなった。
自分から見て、この人とは付き合わないほうがいい、と思って離れると、自分だけが離れてしまうことばかりだった。
いつも孤立する側で、周りに人が残らなくて、全てリセットされてしまった。
その度「私がおかしいのだ」と思ったし、今でも思っている。
それと私には「人を見る目がない」から友人がいない。
たまに「あなたは人が良すぎる。もっと自分を出したほうがいい」と言われるのだが、そういうことばかりだと自分はなかなか出すことができない。
どうにかしないと、と思って入るが、出会いの場もそもそもどこにあるのかわからない、一般的に使われているSNS以外のどこで友人ができるのだろうか。
皆どこで友人を作っているのだろう、出会っているのだろう。
よく「趣味の集まりで」等きくが、その集まりはどこでできた集まりなのか。
そこには人と人の繋がりがあってできる集まりと、ネットサービスでの集まり等様々があるのだろうが、そもそもそこにたどり着くプロセスが形成できない。
仕事でも社内以外の人間と接することは一切ないただの事務職なので、その繋がりを作ることもできない。
もし仮にまたできたとしても、コミュ障特有の気持ち悪いしゃべりしかできないので、そこから関係を広げられるかどうか不安もある。
不安を言い出したらキリがない。
そもそも、人と付き合うことに対して恐怖を持っているのかもしれない。
私は「親しくなりたい」と思ってもらえない人間なのだろうとも思う。
どうすればそれを覆せるのかもわからない、多分今までもそう思って行動を取っていたかもしれないが、失敗しているんだろう。
こんな人間が結婚できると思えないし、そもそも結婚願望もない、子供がほしいとも思わない。
ただ、諦めることはなく、これからも友人を作りたいとは思っている。
ずっとこんな気持でいながら作らねばならないのか、と気が重くはなるが。
ここまで読んでくれた人、ありがとう。
女と幼少のころからまったく接点がなく手をつなぐ可能性のない層がいることを知っておいてほしい。
アイドルイベントとかオタクのイベントに行くと何人か必ずいる。
可能性がゼロの層と女と世間的ができる層にどれほどの違いがあるのかわからないけど、可能性がゼロの層はまったくのゼロだ。
俺はもう47歳だがまったく女と接点がない。
孤立してしまうと周りが気を使うのではじまってすぐくらいで眠いし帰ると言って帰ることが多い。
もちろん誰も引き止めない。
ついでにいうと同性ともほとんど接点はない。
オタクイベントにいくと俺と似た様な雰囲気のやつがいて仲間がいたってちょっと安心する。
話しかけたりはしない。
ゆいいつの友達がいる。こいつももちろん女と接点はない。小さい時の同級生でオタクイベントで偶然会ってしゃべるようになった。
47年の人生で親以外の女と会話した延べ時間って二人足しても1時間もないだろうなって話してる。
昨日はコンビニでおつりもらった時に女の店員と手が触れ合ったぜって話してる。
まあでも現実を受け入れると気分は楽になる。
俺を選ぶ女はこの世にはいない。
簡単な話だ。
寝坊しすぎて大学中退、ノリと勢いで行動決断、いろんなことに無頓着、楽観的で金銭や時間の管理ができず、離婚届を突き付けられた父親
極端に頑固で凝り性、共感性を重視した会話の仕方が分からないため交友関係が築けず田舎で孤立しっぱなしの母親
社会に飛び出してみたものの、にっちもさっちもいかなくなって病院に行ったらアナタASDとADHD両方ありますねーと診断された一人息子
立派なハイブリッドです、本当にありがとうございました。当家は当代をもって子孫繁栄を断念、断絶と致します。
当代をもって断絶とはなりますが、当面の間は私、増田が現世での墓所サポート対応など窓口業務を継続して参りますので、
先祖の皆さま方にあられましては、これまで同様見守って頂き、増田永眠まで今しばらくの間ご支援、ご加護のほどを何卒よろしくお願い致します。
いや元増田の考えと認識はどうか知らないけど。私はそう思った。
こういう、発達障害とか鬱病とかアスペとかコミュ障とか言われる、精神的な問題って、共感されないし同情されないよね。
同じ様に(それこそ自殺を考える程に)苦しんでいるにも関わらず、被災者は共感され同情され、何より支援される。
かたや精神的問題は自己責任だと叩かれ、絡み辛いと遠巻きにされ、カウンセリングは(場合によるが)保険も効かない。
ここに不公平感がある。
つまり、元増田の怒りの対象は被災者ではなく、共感出来る不幸には物質的・精神的に救いを差し伸べるが、そうでない不幸には寧ろ石を投げる、世間・社会なんじゃないのか。
コミュ障や精神疾患は、周囲から叩かれ疎まれ、それにより更にコミュ障になり、更に叩かれる無限地獄。
かく言う私自身も、周りに居るそういう人を個人的に助ける事は出来ない。
同情はするし出来る範囲の事はしたいと思ってるが、家族や旧友でもなければ彼等を好きになれないし、積極的に関わるのには莫大なエネルギーが必要だからだ。
人に助けて貰う為には先ず好かれるか同情されなければならないが、そこで躓く。
ひと昔前は発達障害や鬱病という言葉も認識されて居なかったので、今よりも更に「怠け者」「性格が悪い」という認識をされ易かった。
そういう意味では今はマシにはなってるが、不十分だと思う。
秋葉原無差別殺人事件の加藤なんかは、そういう負のループから生まれた面も有ると思ってる。
彼が「社会」「世間」に攻撃したのはある意味当然の帰結ではないか。
その社会に彼が共感を持つ事は無いし、復讐心を抑えるブレーキは機能しない。
元増田はとりあえずカウンセリングとか精神科に行って、専門家に知見を求めるのが良いと思うが、社会っつーか我々の理解がもう少し進めば、こうした「救われない不幸」は減って行くんじゃないかと思う。
Facebookに1年付き合ってた彼女とのツーショット写真を初めて載せてタグを付けたら高校の同級生からメッセージがきた。
聞くと同級生は彼女と本当に地元が一緒で出身中学がも同じだった。
いじめていじめて、飽きたら標的を変えていじめる、みたいな感じで、順番で。
いじめの具体的な内容は悪口ばらまいて孤立させたり、男子に頼んで殴らせたり、給食にゴミ入れて食べてるのを笑ったり、保健室登校になった子を保健室までわざわざ追いかけて大声で悪口言ったり。
むかし彼女から昔いじめられたことあるの、私は被害者だったのって聞いたことがあったんだ。
でも正しくは
「女子バスケ部の子の彼氏を寝取ったから女子バスの反感を買った」のと「今までのいじめが露呈したので3年の後半は孤立してたこと」らしい。ちなみに同級生から聞いた話と彼女から聞いた話の一部は一致した。
高校の同級生は一緒に励まし合って受験勉強頑張ったりしてずっと仲良しだった、嘘つくような人じゃない。
言うか迷ったけどやっぱりその女といるのは応援できないって言ってた。
あと自分の仕事教師なんだけど、そこらへんを考えて言ってたほうがいいと思って言ったってさ。
ちなみに彼女も教師なんだけど、同級生の地元ではあの女が自分の子供の担任とか絶対イヤだよねってなってるらしい。
同級生は、別れさせたいわけじゃないけど、その女と結婚とかするならもう俺とはあんまりかかわりたくないんだって。それでいいぐらいの覚悟言ったとさ。
それを聞いて何年か前に見たいじめの恨みは本人に返ってくるとは限らないって言葉を思い出した。
ずっと付き合ってた彼女が否定されて、悲しいような信じられない気持ちでいっぱいだ。
ADHDである部下がまともに働いてくれない愚痴です。書きなぐりの乱文です。
・週のうち2日ほど無断で休む。(土日は別)
・来たとしても午後からで18時くらいに帰る。
・日々の仕事の報告はなし。
・納期を全く守らない。
過去に一旦解雇したのだが、心入れ替えて頑張ると言ってくれたので信じて再度雇ったのだが再雇用後、1ヶ月で既にこの状態。
混雑した電車に乗ると動悸がするらしいので午後出勤については多めに見ている。
仕事の納期に関しては丸投げするにはまだ未熟なので細かくタスクを分けて日単位/週単位で決めている。
本人は納期を守っているつもりかもしれないが、基本的に仕事の質が低いのでやり直しになる。何度やり直しても質は低い。で、何度も納期を遅れるので結局誰かが引継ぐ。
毎日仕事が終わった後に報告なしで帰ってしまう。結局、次の日に昨日の作業内容を聞くことになる。
で、ミスが多かったりするのでやり直しになる。毎日これの繰り返し。
うちは中小企業で午後から深夜まで働くプログラマもいるので出退勤に関しては本人達に任せている。
進捗が問題なければ休んで貰っても良いし、自宅で作業する事があっても問題ないとしている。
今までは運良くそれでうまく回っていたのだが、ここに来て整備されていない自由過ぎた環境がガンとなっている。
せめて時間くらい正確に守って貰うためにタイムカードの導入などを検討したが
成果主義で頑張ってきてくれたベテラン社員の猛反発がすごいし、ベテラン達に抜けられると困る。
自社の関わったゲームをやったことない。これも周りの人間と温度差が大きく開いてしまっている原因。
言ってもやり方がよく分からないとのことでやろうとしない。(マリオ以外のゲームは分からなくなるとのこと)
・職場で孤立感がある(本人はずっとヘッドフォンで音楽聴いていて挨拶も返さないが・・・)
・指示が細かすぎて威圧されてる気分
孤立感があるならヘッドフォンで音楽やめて積極的にコミュニケーションを取ったらどう?と言うと
ベテラン達が交代で教育していたこともあったが全員サジを投げてしまって
今では誰も関わろうとしない。それどころか、ベテラン社員の一人が教育に疲れてウツになってしまったこともあった。
なぜ教育するのに疲れるか?というと、1時間前に指示したことを平気で守らない。
しつこく言うと黙ってふてくされたり聞こえないふりして無視したりする。
注意すると反省はするし泣いて謝るのだが次の日には忘れている。もしくは来ない。
ADHDだからダメとは思っていないし、ADHDでも働きやすい環境を提供しようと努力しているつもりなのだが
みんな振り回されて会社を支えてくれているベテランのテンション下がるし、経営は赤字転落。
解雇しても良いのかもしれないが、本人も苦しんでいるのだろうと思うとできれば解雇はしたくない。
昨日も無断欠勤だったので夜に電話で話しをした。(説教はしていない)
いろいろ説得してやる気を出してくれたようだったが今日も来なかった。
そして今、自分は納期が昨日だった彼女の担当イラストの塗り漏れ、デッサン狂い、消し忘れ、などを修正している。
(それでも全然完成していないけど)
本当にどうしたもんだか・・・