はてなキーワード: 大学受験とは
日本でまじめに6年、9年間英語の授業を受けてもほとんどの人が英語を話せない。そんなの普通に考えておかしい。アジアでも抜きんでてると思います。国民性もあるのかもしれないけど英語教育のあり方がズレているのは周知の事実と思います。教育のあり方を大人はどこまで考えているのか疑問に思います。
この批判に対してだが、まず6〜9年間英語の授業を真面目に受けていた人がほとんどいないという前提を見誤っている。
彼は慶應出身なようだが、正直慶應程度にしか入れないような人間の大部分は真面目に中高時代勉強してきていないはずである。ましてや、慶應未満の大学レベルの人間だと会話はもちろん読み書きすらできないだろう。
さらに言うとこれは英語に限らず、他の科目においても言えることだ。
彼の音楽は違法音楽アプリ等で聴かれているはずであり、これも学校教育が身についていないことの証左と言えると思う。
数学もそうだ。
大学で分数の計算をするようなところ、二次方程式が解けない経済学部の学生が慶應レベルでも跋扈しているらしい。
話が逸れたが、結局のところ学校レベルの英語さえまともに取り組めている人はいないのだ。
これが東大などになると、それほど優秀な方でない学生でも、発音はイマイチだがほとんどの学生は聞き取って、なんとかコミュニケーションを取ることができる。
そもそも日本の英語教育は大学受験の形式もあって読み書きを重視している。
流暢に話すことはできないが論文が読める、契約書が読める、という人間ではやはりまず後者の方が必要なように思われる。
まず社会で活動するには後者になることからでよい。それを繰り返していればいずれ会話も上達し、流暢に会話ができるようになるのだ。
というわけで私には彼の批判こそが"ズレている"と思われるが如何だろうか。
30代帰国子女。
子供が幼稚園に入園し、小学校への入学を考え始めた時、日本の小学校に入れるのが夜も眠れないぐらい不安になってきた。
小学校の途中でアメリカから帰ってきた私は、いじめにあうどころか、物珍しさかクラスのリーダーグループに入れてもらい、長く海外で育った帰国子女としては珍しく非常にスムーズに日本に適応できた方だと思う。その後、特に問題なく中学受験・大学受験にも成功し、日本人としてきちんとこの年まで人生を送ることもできた。
それでも、日本の小学校のことを思い出すと、不安になり、子供をどうしても通わせたくないと思い、インターナショナルスクールなどを検討し始めた私を、日本生まれ日本育ちの夫は怪訝な顔で見ている。
そんな時ネットでたまたま鴻上尚史さんの、帰国子女のお嬢さんに対するアドバイスを読んで、首がふりきれるぐらい頷きたくなった。
https://dot.asahi.com/dot/2018081000019.html?page=1
そう、きっと私はこの同調圧力が怖いのだ。
みんなと一緒でなければいけないというプレッシャーに、子供ながらに悩み苦しみ、日本社会で生きていく中でそれなりに折り合いをつけてやってきたつもりであっても、まだまだそれが怖くて、子供をそういう環境に入れたくないのだ(そして私も親としてその環境に関わるのが嫌なのだ)
子供が大事にしている価値観や趣味、子供ながらに抱いている自分に対するプライドを潰してしまうかもしれない環境が迫ってきているのが不安で不安で仕方ないのだ。
ただ、一番の問題は、子供が日本の小学校に行きたがっているということ…。英語の小学校は嫌だと全面拒否をしている。
子供には英語の習い事などをさせているが、親も先生も英語が話せるのに自分だけが話せないのが苛だたしいのか、私が英語を話すと激しく怒る。
母国語できちんと考える力を身につけるためにも、本当は日本語環境においてあげたいのだが、日本語かつ同調圧力が低いという環境が全く見つからない。
私立・国立の小学校も調べてみたが、小学校受験に対応している小学校は近所の公立小学校より更に同調圧力が強そうで、完全にオプションから外した(そもそも、小学校受検のために、親としてネイビーのワンピースを来て、小学校受検の塾に通わないといけないというのを想像するだけで辛い)
最終的に、子供の願いを叶えて日本の小学校に入れてあげるべきなのか、インターナショナルスクールに無理矢理入れてあげるべきなのか、悩みは尽きない(インターナショナルスクールに合格してからどちらに行かせるか悩めばいいという夫の実務的なアドバイスに従い、とりあえずひたすら願書を準備している)
あなたは二十年前の私か
女の子が欲しかったのに叶わなかったことは、心のなかでちくちくし続けていた。
自分の中で、自分が女の子を求める気持ちは増田の言うように分析していたけど
分析できたから解決できるものでもなく、理屈じゃないんだよね。こういうの。
私の場合は特に、実母が男の子ママを「かわいそう」とか「嫁ができたら親を見向きもしない」とか
(そう、一番身近な身内の実母は、女の子ママなのだ! 当たり前だが)
ただ、不思議といつの間にか女の子がほしい気持ちは息子たちが大きくなるにつれ消えていった。
娘がほしいという気持ちは全くないなあ。
息子たちが育っていく過程で、よその娘さんたちを育てる大変さも目にしていたからかもしれないし、
(小学校高学年の女の子の育てにくさは、見ててとてもしんどそうだった)
今の男の子たちは母親との距離の取り方が、マザコンでもなく反抗でもなく、フラットな子が多いからというのもあるかもしれない。
買い物もつきあってくれるし、若い男の子たちの新しくて新鮮な世界の話をしてくれる存在は、年取ってくるととてもまぶしくてありがたく感じる。
今思えば、女の子が良かったという気持ちのピークは幼児~小学校低学年ぐらいかも。
二十歳ぐらいの頃は、大学受験で大金使ったあとに振り袖の用意とか大変すぎて、
このときは心底男で良かったと思った…。女の子ママさん、どうやってやりくりしてたんだろう。すごいわ。
とりとめのない話でごめん。
増田の気持ちを今すぐどうにかしてあげられないけど、こうやっていつかは息子で良かったなと思えたという人もいると伝えたかった。
僕も褒められなかったという話。
僕はずば抜けて優秀だったわけじゃないけど、小中学生時代は勉強も運動も上位10~20%以内には入っていたはずだ。
父はその頃の学校のテストの結果を見て、兄が30点を取るとよくできたね、と褒めた。
だけれど僕が80点を取ると小言を言った、この前はもっとできたじゃないか、と。
そんなものだと諦めていたけれど、どこかで不満も感じていた。
父は僕を非難するとき決まって「お前の人生は右肩下がりだな」と言った。
そんなことないんだけどなあ、と思いつつ、ああ俺もっといい結果出さなきゃいけないんだなあ、と思っていた。
それから大人になって、就職を機に僕は実家を出ることになった。
あるとき実家に帰省していて、僕が東京の家に戻るときに父が駅まで車で送ってくれた。
車の中で父と話していて、父が「お前は元々できる奴だったのにな。右肩下がりの人生だな。」と、言われた。
ああ、昔から言われ続けたいつものが始まったよ、と僕は無意識に感情を押し殺していた。
「俺は今も昔も小さい時から変わってないよ。
父ちゃんから見れば俺は失敗なのかもしれないけど、俺はそう思ってないよ。
気づかないうちに父に対して言いたいことが頭の中にあったのかもしれない。
僕がどれだけハッキリした態度でそれを言えたのかはわからないけど、
父は少し怯んだ様子で運転する先を見ながら「そうかあ」と言ったのを覚えている。
今考えると、父は父自身のことを僕に重ねていたんじゃないかと思う。
言葉の端から父も学歴コンプレックスを持っていることを感じていた。
邪推になるかもしれないけれど、僕が勉強できるようになって父を超えるようになっては、父は困ったんじゃないかな。
僕は大学受験に失敗しているんだけれど、あのとき、父のプライドが守られたという、安堵が感じれらた気がするのだ。
昔から父と話せば喧嘩ばかりだったけれど、今のところその車の中での会話が父と衝突した最後だ。
それ以降は、父と話しても他愛のない話の中とか些細な事とかでぶつかったりしなくなった気がする。
巷の予備校じゃあ合格体験記ってのが配られるらしいじゃないか。
大学受験でも、就職試験でも。経験して思ったのは、成功する手段なんて十人十色なんだよ。大学受験で言えば、才能がある人ならMARCHは3ヶ月なんだよ。だけど、失敗する原因には共通して言えるものがあるんじゃないかい?勉強量が不足しているのは共通して言える失敗理由だ。
巷の大学就活課じゃあ就活が終わった学生が3年生のサポートをするらしいじゃないか。
一部の就活勝(?)者の話の何がウザいって、彼ら彼女らへの嫉妬よりも、自分の事を一般化して話して来る所なんだよぁ(=聞いても役に立たないことが多い) それよりも一般化できる失敗談の方が為になると思う。
東京の郊外にあるありふれたFラン大であるが、かなりバラエティに富んだ人間がいて頭悪いがそれなりに楽しい大学生活を送った。
通っていたFラン大の某学部は関西を除いて全国各地から学生を集めており、大学全体では所属学生が万単位でいる伝統的マンモスFラン大だ。
Jリーグに内定した選手やドラフト会議で球団から指名を貰いプロ野球で活躍してる人は何人もいるし、学力以外の分野で知名度を上げている大学だ。
そして地方でもそれなりに知名度がありOBもそれなりに多い方だ。そこらの専門上がりのFランとは格が違う。
そして、インターンの文字が掲示板を踊る3年生に無事進級することができた。(まぁ課題と出席回数クリアすりゃほぼ単位出るので進級できない方がマズイのだが)
就職を考える時に、まずやりたい職種や業種を絞り、その次に地元に帰るかか東京に残るかを選択する。
食堂で親しくしている友人と昼食ととっている時に就職の話題になり、ふと地元に帰るのか?と聞いてみた
「あんな田舎帰る気さらさら無いし、そもそも東京で就職するためにここ入ったんだよ」
とほとんどの地方出身の友人がこれに似たようなニュアンスの回答を寄越してきた。Fラン大と地方の闇が垣間見ることができた。
現代の高卒就職は、学校の推薦か就職課に届く求人票を基に連絡し就活するのが基本となっている。
ということで高卒就職を選んだ時点で一生地元にいることが確定するのである。
地元のFラン大進学を選ぶと、関東のFラン大と比較して知名度で劣る上、東京で働きたいのであれば交通費や宿泊費もバカにならない金額になる。
安いバイト代で就活費をやりくりしなければならない。専門進学にしても似たような話であり、就職時の待遇を考えると専門の旨味も少ない。
そもそも日本は専門や専攻よりやる気や協調性を求める企業が多いのだ。
そもそも地方出身の人にとって、地元は都会に出れない人の巣窟と化している。
地方の頭いい人は大学進学で優秀な大学を選択し、東京や大阪名古屋、札仙広福を目指す。地元の国立駅弁大学より優秀な人間はもれなく地元から離れるという地域はざらにある。
就職を機に地元に戻る人も一定数いるが、それでも半数以上は都会に残り就職する。それを100年ほど続け大学進学がメジャーになり、地方と都市で学力格差が生まれてきた。
そうなると都市では考えられないような世界が地方では当然のように広がっており、それが稀に来る優秀な人材(地元民にとっては非常識な人間)を排斥し、「ムラ社会」を形成するようになる。
そして排斥された人や醜悪な待遇に痺れを切らした常識人が都市に流れていくのを横目に「人手不足だ!」とか「東京一極集中だ!」とか騒ぐのである。
高校進学率はほぼ100%になったが、大学進学率は50%と割合で見るとまだまだ低い。
偏差値40程度のFラン大学とは言えだいたいは高校偏差値が50前後、受験に失敗した人なら60以上の高校出身の地元ではそこそこ頭のいい連中がFラン大に潜り込んでいるのである。
知名度のあるFラン大は地元を離れたい学生のセーフティネットとしての役割を果たしていたのだ。
地元から抜け出すためだけにバイトを入れながら奨学金と仕送りもやりくりし、女子大生であれば体を売ってまで激狭アパートで一人暮らししているのである。
お父さんが死んだのは中学生の頃で、今大学生をやっている私にとって何年も前の話になる。
でも正直、もう誰と一緒にいてもご飯食べてもお泊まりしても、遊んでも。
どこか満たされない、帰る場所が無い虚無感、寂しい、そして欠けているって気持ちが今もずっと心にある。
長年の時を経てもジメジメしてる私のこんな思いは、相談するにも馬鹿馬鹿しいから、ここに吐き出してしまおうと思った。
関東のちょっとした郊外に生まれて、家族4人で借りた一軒家で9年余り過ごしていた。父は鬱病で、母は専業主婦。
ケンカも耐えなかったけど、それに父は機嫌が悪くなると物に当たってすごく怖かったけれど。家族皆で富士山の麓でお団子を食べたり、江ノ島に行って展望台に登ったり、ファミレスで皆でチーズフォンデュを食べたり、パパが写真を撮って、私が笑う。クリスマスにはサンタが今どこにいるのか中継するってテレビを見ながら、お母さんの作ったシチューとタンドリーチキンを皆で食べたりした。
部屋の中は温かくて…だから私は今でも冬の匂いでこの光景を思い出せる、
幸せだったな……
この数年間の幸せな思いで、私は生涯生きていけると思う。
そんな日々は長くは続かなくて、お父さんは鬱病が悪化し、ケンカの耐えなかった母は、私が小学校高学年のとき、身の危険を感じて私と妹を連れて田舎の実家に飛んだ。
家族が離れ離れになる寂しさもあったけど、お父さんは時々ここまで会いに来てくれたから良かった。話し合いを重ね、私が高校生になるときにまた一緒に関東で暮らすことになった。私はそんな話を聞きながらファミレスの大きなステーキを食べてたのを覚えてる。いつも美味しいご飯のそばには家族があった。
が、
突然、父は帰らぬ人となった。
父1人で数年間過ごしていたため、睡眠や食事が不規則で不健康になったのだろう。脳梗塞で、しかも発見は死後三日後だったという。腐敗が進んでいたため、私は最期眠った父の顔を見ることは出来なかった。
最後、そばにいられたら…、苦しい思いをしたのかな、最後に会った時、これから一緒に暮らすって約束したじゃん、
そして今だに、動いてない父の飼い猫のトプ画のTwitterアカウントを見て、ちゃんと生きていた、動いていたって確認してしまうのです。
そして、
もう私には完全に帰る場所が無くなったのだと…帰りたい場所は過去にあるんだと、もう帰りたい、家族に甘えたくても、手に入らないんだと
そんなどこか欠けてるような諦めがふとした時に思い出されるのです。
それは例えば友達の家に遊びに行った時。家具や小物から両親から大事に育てられて、帰ったら両親がいる。そんな幸せがどうしても羨ましくも妬ましく思ってしまう。私とは違う、私はこれにはなれないって。
そんな私は大学受験を頑張って再び関東に帰ってきた。もう帰る場所はないよって思い知らされるのが嫌でまだ思い出の地を訪れ、そして過去と決別する勇気が出ない。
高校の楽しかった思い出とか側からどんどん忘れていってしまう。
どうしたら過去を忘れられるのだろうか。どうしたら決別できる、どうしたら幸せになれる………
これではいけない、今から死にものぐるいで母と父の分まで幸せを掴むんだと、必死で勉強してお金も貯めているが、ふと後ろを振り返ったときに思い出してしまう欠落感…。寒い日にふとファミレスの窓から見えてしまう家族のあの光景…
何もかも吐き出してちょっとスッキリしました。最近朝にならないと眠れてないので今から寝ようと思います。
おやすみなさい。よい一日を。
https://www.bengo4.com/c_5/n_10082/
契約書を渡さないのは勤務している学校もそうで、同僚に聞いても非正規の教員はもらってないと聞く。
契約書がないと身分が確定しないので労働者なのかそうでないのかも曖昧である。
労働者であると有休がもらえるが、改めて契約書の提示を求めると業務委託契約になるそうだ。
業務委託とあるが自由に授業できるわけでもなく毎回何ページ進めるかスケジュールが決まっていて
他の先生との進行協力もあるので授業に制約がある。つまり指揮監督下にあり労働者性が高い。
授業教材は学校側が指定しプリント印刷、準備によるPCは教員室で自由に使える。
先生は1コマ何円の仕事でそれが終わったら帰れるかと言われたらそうでもなくて
事務作業、担当した授業の生徒の出席管理や小テストの答え合わせなどの業務にただ働きさせられている。
それ以外にも授業準備もあるので授業時間働いて終わりにならない。
「急増する日本語学校 基準厳しく」(ここに注目!) | おはよう日本 「ここに注目!」 | 解説アーカイブス | NHK 解説委員室
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/300/406137.html
にあるように今年から、おそらく東京福祉大学の留学生が大量に失踪した話が大きいと思うが
色々と国に報告することが多くなっているようだ。
一クラス20人までなのは日本語だけを教えるクラスで、大学受験を目指すクラスはそれよりも多くの学生が
一クラスに在籍している。
いわゆる「N国」やら「受信料」が話題になるたび,「自分はNHKなんて普段見ないのに」という声をTwitterなどで目にする。そんなことあるか?と僕はいつも思う。ところが,僕が普段接しているコミュニティの中には,NHKをよく見る人ばかりのコミュニティと,民放をよく見る人ばかりのコミュニティがある。「NHKを普段からよく見るか」という問いは,何故かコミュニティによってキッパリ綺麗に回答がまとまる(と僕は感じている)。
「NHKをよく見る」人が多いのは,大学関係のコミュニティだ。僕が通う大学は国内の大学受験で最難関クラスと呼ばれる大学で,都会/地方出身問わず高所得の家庭出身の子弟が多く通う大学でもある。彼らは当然のように何も流すものがなければNHKを点けるし,NHKのドキュメンタリーの話をよくするし,実家でもNHKしか流れない,なんて話もする。
一方で「民放をよく見る」人が多いのは,両親を含む親族や地元の公立中学関係のコミュニティだ。両親は地方出身のブルーカラー,地元の公立中学というのは都会から電車で40分くらいのベッドタウンにある,そこまで豊かではない家庭の子弟が多く通う学校だ。彼らは民放のドラマやバラエティの話をし,民放が映し出されたTVこそがお茶の間の原風景だという。
僕はこの観察から,富裕層とそうでない層との間に存在する経済的・知的な階級格差の一つのあり方が「NHKをよく見るか」なのではないかと思っている。もっと踏み込んで言うと,親から子に受け継がれる所得や学歴,品性や習慣の一つとして,「よく見るTVのチャンネル(特にNHK/民放)」があるのでは,ということだ。
自分の見える範囲だけで推測した思いつきにすぎないんだけど,どうなんすかね。
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僕はというと,フ○テレビを筆頭とした民放を好む両親とは違って,NHKをよく見る方だ。特にNHKの特集番組は情報収集とそのまとめが素直に上手くて,知的好奇心を満足させてくれるから好きだ。反対に民放に溢れているような,他人を虚仮にして取る笑いとか日本スゴーイとか芸能人の惚れた腫れたとか可愛い動物動画とか少しも楽しめたことがないし,作る方も見る方も品性を疑ってしまう。こういう消極的な理由で,とりあえずTVを点けておきたいときはNHKにするというのもある。
ということで,裕福ではないけどNHKをよく見る人,裕福だけど民放をよく見る人,というのももちろん存在すると思うけど,あくまで指標として……という話です。
勉強が得意な子は、特段成績を上げる努力したわけでもなく気づいたら成績上位者だったというパターンがほとんどだと思う。
だいたい小学校中学年ぐらいの学力の上下関係がそのまま大学受験まで維持されてく感じ。
最近いわゆる「10000時間の法則」を否定する研究が出たけど、それによると楽器演奏において最終的な到達レベルが高いハイパフォーマンス群ほど、一定レベルに至るまでの練習時間が短いとのこと。
つまり、短い練習時間でみるみる上手くなってやがて超絶技巧をこなせるようになる人がいる一方で、どんなに時間をかけても低いレベルで演奏技術が頭打ちな人がいる。
よーいドンで一斉に練習を始めさせると、初期の段階で既に力量に差が表れて、最終的にはより顕著な広がりを見せる。
この結果を受験勉強に当てはめれば、高偏差値群ほどより効率よく勉強をこなしているという仮説が導かれるが、これは増田の直感ともよく合致している。
35歳、マーチ卒のリーマン。1年かけてTOEIC860点を取得。1年前は400点。
長期休暇になると、何か資格の勉強でも始めるかと思い立っては、何もせぬまま家と会社の往復を繰り返して35歳になった。
働き方改革で残業も減ったので、家族に内緒で会社帰りにカフェで1時間勉強してから帰宅するのを習慣にした。接待や飲み会や家族サービスがある日は勉強しないので、毎日勉強したわけではないが、1年で500時間近く勉強した。
大学受験時もこれくらい頑張ればと少し後悔。年齢的に今更勉強しても何か変わるわけじゃないけど、色んな事に興味を持って取り組んでいこうと思う。
とりあえず今年はTOEIC900とオンライン英会話だ。子供と海外旅行に行ってみたい。普段、妻にハゲとからかわれている無能系親父だが、外人としゃべって少し良いところを見せたい。
どもども(・∀・)ノシ
今日は増田が専業主夫になった経緯をぽまえらにきいてもらおうと思うお(^ω^ ≡ ^ω^)
増田はそう裕福ではないものの、教育費を惜しまない家庭に生まれたんだお!増田はわりかし学校の勉強が得意だったから、中学受験も大学受験も第一志望に合格したで!進学したら周りが賢くて、自分なんか全然・・・みたいな話をたまに聞くけど、幸か不幸か増田は進学先でもデキる方やったんや。女の子にもそこそこモテたし、就活も無双やったんで(※無理なところは狙わなかったのもデカイ!)、人生楽勝ワロリンコ〜!!!と・・・思ってた・・・んやけど・・・・・・・
就職後、わいの配属先はざっくり言うとバックオフィス系やったんや。人生で初めて(社内とはいえ)望んだところに行けなかったわいは、人生初の挫折を味わった、と、当時は思ったもんだお(^ω^)わいの行きたかった部署に配属された同期はひぃひぃ言いながら連日残業三昧で、「俺なら絶対もっとやれる」と根拠なく思っていた・・・んだお・・・・・・・・・・
2年後、増田は自分から希望を出して、花形の部署に異動したんだお!それが地獄のはじまりだったお〜〜〜!!
端的に言うと、増田は仕事ができなかった!!その仕事では、計画を立てることや計画通りの進行はもちろんのこと、なにより臨機応変な行動が求められたんや。その柔軟さとか空気を読んだ駆け引きとかが、わいには難しかったんや・・・。
上司との相性も悪かった。上司は昔ながらの「根性があれば何でもできる!」「やる気!元気!いわき!」ってタイプで、面倒見がいい代わりにパワハラポケモンだったんだお。出来る部下、可愛い後輩のミスは全力でフォローする一方、一度ダメなやつ認定した部下の扱いはゴミ以下で、もちろん増田はゴミ側やった。
同期たちとも仲良くやってるつもりやったが、デキる面してた増田がからっきし使えないとわかって、同期の中の扱いも変わってきたんや。簡単に言えばいじられキャラになった。今思えば、いじってくれるだけマシだったしそれも気遣いだったのかもしれんが、わいには耐えられんかった・・・。その場では笑って過ごせても、家に帰ると涙が止まらんかった。こうして少しずつ、わいの心は壊れていったんや・・・。
休職を余儀なくされたわいには、復帰できる保証もなかった。当時の彼女は「支えられる自信がない」とすたこら逃げて、1年後には弁護士の奥さんになってたお。
1年後に復職したものの、すぐにまた休職するはめに・・・部署も変えてもらったんだけど・・・あからさまな窓際で、「もう自分の人生は終ったんだなぁ」と、生産性のないクリックとスクロールを繰り返すのが、情けなくて情けなくて・・・1番死にたかった時期だお・・・。
そんな時、同期の女子に飲みに行こうと誘われたんや。この同期は武士のような女で、忠義!礼儀!剛毅!みたいな・・・。とにかく自分に自信があってひるまないタイプというか、上司からのパワハラも「出るとこでんぞゴラァ」ができるし、それでいて基本は忠実・「お世辞は言わぬが上司を立てる」をやるもんだから、不思議と可愛がられているというわけのわからない女であった。増田の苦手な臨機応変が得意で、ちょっとガサツなところもあるけどとにかくデキる女やった・・・。
実は増田、この同期には一度告白されているんや。まだバックオフィスにいた頃で(女武士は最初から花形配属やった)、入社1年経ってなかったと思う。同期数人との飲み会帰りに、普通に「好きだから付き合わない?」って言われた。いやマジでびびったし、彼女がいたし、タイプじゃなかったから断った。武士は「そう」とだけ言って、その後は普通に会話して帰った。その後も態度は変わることなく、部署が一緒になってからもメチャメチャ助けてくれたんや。パワハラポケモンに理不尽精神論(まあでも一理あるっちゃある)で詰められて、軽いいじめみたいのにあった時、表立ってかばってくれたのはこの女武士だけだった。当時は「女子に守られて・・・鬱だ氏のう・・・」という思いもなくもなかったが、それをきっかけに味方が増えたし、それきっかけで「パワハラポケモンは上司であって神ではない」ってのが増田を含めて部署のみんなにも伝わったのではなかろうか。神に嫌われたら死ぬしかないが、上司に嫌われるなら道はいろいろあるのである。結局休職したんだけどね(^ω^)(ドッ)
二度目の休職はさすがにセカイノオワリ感がすごくて、出世はおろか会社にも長くはいられないとは思ってて、転職も・・・くだらないと思うかもしれんが、自分のプライドを満たすような転職先にはもうありつけない。増田を「デキるお兄ちゃん」として誇りに思ってくれてる実家に帰って腫れ物に触る扱いをされるくらいなら死にたい。金銭的な問題もあるが、今思えば当時の増田を殺しかけていたのは、他でもない自分のプライドやったんや。
会社の同期たちとは疎遠になっとった。みんなデキる子で、それぞれ活躍していたし品の良い奴らが品よく向ける「無理すんなよ」が一番プライド(←またこれ)にクるからだお。でも女武士との交流は続いていた。なぜならす女武士は規格外すぎて既に自分と比べる対象ですらなくなっていたし、女武士は憐れむ素振りを全く見せなかったからだお。気は使ってくれてたと思うが。
久しぶりの飲みの席で、女武士は転職すると話してくれた。外資のでかいとこ。海外転勤あり。素直に寂しくなるなと思った。女武士は、その頃の増田が唯一かっこつけずに話せる友人だったので・・・。
そこで「ついてくるか」と聞かれた。あっけにとられたが、「結婚して専業主夫やらないか。少なくとも金銭面での苦労はかけない」という話だった。かっこよすぎね????流石に即「抱いて・・・」とはならんし戸惑ったが、女武士に会えなくなるのは嫌だった。これが恋愛感情かはわからなかったし、まぁたぶん違うんだけど、なぜか自然に「それもありやな」と思った。
その後のことは、結論から言うと増田と女武士は半年たたずに結婚した。親は死ぬほど驚いていたし、父親は一時キレていたけどまあそれは・・・仕方ないね・・・。増田は専業主夫を数年、そこから自宅でちょっとした仕事を始めた。でも基軸は子育てと家事。専業主婦の女性が抱く不満を増田も抱き、片働きの夫が言うようなセリフをたまに女武士が吐くが、わりかし仲良くやっている。
プライドの高い増田が、どうして専業主夫の道を選べたか。それは自分でもちょっとわからない。「激務の妻を支える」という大義名分のある、単なる逃げ道だったのかもしれない。専業主夫は思ったよりも大変で(特に子供が産まれてからは)増田がヒス起こしたりもしたけれど、臨機応変な対応が身についたようにも思う。外で働くのとは違うプレッシャーがあるが、増田はこちらの方が向いていたっぽい。
妻に対する感情は、今でもよくわからない。付き合っても結婚しても、いわゆるときめき?みたいなものはほとんどなかったが、安心感がぱない。妻と一緒に住み始めたら不眠が治った。かたじけない、かたじけない・・・。増田に対しては基本的にはよきにはからえスタイルだが、たまに「いざ出陣!!!!」って場面があって振り回されるけど、妻のことはすごく信頼している。恋愛をすっとばして家族になったって感じだろうか・・・
終わり方がわからなくなってきた。とりあえず、来週は妻の誕生日なので、レモンケーキを焼くつもりだお(^ω^)(^ω^)(^ω^)!
NHKから国民を守る党の党首の立花孝志、高卒だけど、テレビ見てても、俺より地頭いいと思う。マジで。頭の回転早いし、選挙ハックも上手い。
別になんにも不思議なことではない…そもそも大学受験は人口の半分しかしないし、地方から東大を狙える財力ある子はごく一部だ。俺は東大に通える範囲にたまたま実家があったのでゲタ履かせられてたし、それを自覚して武器にして、天才層がまるごとやってくるバケモノの巣窟である東大を生き延びた。自分が天才でないのは自覚してたから、実家は最大限使わせてもらった。
大学を目指さなかった人口の半分、その上澄みにも自分よりはるかに地頭いい奴がいるのはごく自然なことだし、予想していた。選挙がああやってあぶり出してきてくれた。おもしろい。
8歳ごろに昭和が終わる
小学生時代は、土曜は半日授業。今の若者には個性がないと言われ続けて育つ
親も週休1日で休日はほぼ遊んでくれることはなかった
忘れ物をすると教師に殴られるし廊下に立たされる毎日だったがそれが普通だと思ってた
教師の生徒へのセクハラも日常茶飯事だが問題になることはほぼなかった
大学受験失敗→浪人→ようやく大学入学するも、就職氷河期でなかなか就職が難しい
もちろんバブルの恩恵は一切ないが、恩恵を受けてきた世代の自慢話を聞かされる
転職を繰り返すことになった
中小企業に入るも、景気も悪く上の世代が詰まっているので出世できないことを目の当たりにする
それでも働き方改革もないし、会社の景気も悪いし20代はなんとか徹夜しながら精神論で乗り切る
つき合う子は、少し上の世代に奢られ慣れているし
専業主婦願望を唱えられても実現させてあげることは不可能だった
ようやく結婚できたのが35歳
マイホームを買うのはもう諦めた
それでも、就職氷河期世代は頑張りが足りない世代みたいに社会に扱われる
何の恩恵も受けていないし、生き残るために必死だっただけなのに
今の新卒世代には、精神論で生きてきたおじさん世代として扱われる
若い世代を定時で帰すようにするために中間管理職として残業を受け入れるため仕事は楽にならない
精神論世代の人が残業していても、昔からそうでしょとあまり罪悪感は持たれない
それでも39歳で早くも、古くて、邪魔な世代として扱われ始めている
僕らが社会人になった時に40歳くらいの人たちを見て感じたあの感情は
そんな8歳の頃から今まで変わっていないことがある
B’z’がずっと変わらずに売れていること
大学受験のテストでDiscriminator能力は測れるが、Generator能力は測れない
ようやく機械学習やGANを知って考えて至った
Generatorした状態と、記憶したものを思い出した状態は同じだから、勉強して(覚えて)試験が解けるようになる
天才は答えを思い付くことができるが、秀才はできないので、覚えたものを組み合わせて正しいか判別を繰り返して答えに至る
Generatorがよくても、Discriminatorがポンコツだと奇人変人になる
NNのこと聞いたとき
「これ俺の思考と同じだ。コンピューターに同じことされたら記憶量もスピードも勝てるわけない。やばい。」
と感じてどうすればいいか悩んでた
将棋みたいな総当たりできるものはGeneratorは機械的にやればいい
そうでない機械的にできないことをやるのが俺の生き残る道なのか