はてなキーワード: 反動とは
そして話がそれちゃうから別エントリにするけど、「表現の不自由展」開催にはもちろん賛成。
ただし展示内容全てに賛同することを意味するわけではない。っていうか正直あまり興味ないからなんともいえん。
展示物に対して批判することは良いと思うし、もし内容にそっぽ向かれて閑古鳥みたいな結果になったとしてもそういうものだと思うが、
脅迫や爆竹騒ぎみたいな暴力で展示を止められるいわれはないと思ってる。
ただ施設としてはそれこそ安全確保の面で展示を一時中止にせざるを得ないというのも理解できるから、現場の判断に文句つける気もない。
悪いのは爆竹送りつけてきた犯人で、それは威力業務妨害容疑で調べているってことだから進展待ち。
展示そのものに興味がないから割と温度感低いんだけど、もしこれがオタク・サブカル向け展示会で、オタクヘイターに爆竹送りつけられて同じような目に遭う可能性を考えるとすこしニーメラーじみてるなとは思ってる。脅迫で即売会中止とか実際あったし。こういったことを防ぐ仕組みがなにかできればいいのだけど、いい案はない…
あと、これも感想として思うのだけど、「表現の不自由展」の展示内容そのものが好き、支持してる人ってあまりいないのかな…愛国保守(?)がガチギレしてんのはわかるんだけど。
展示中止に反対するコメントも「表現の自由が脅かされるから」って観点ばかりな気がする。展示物の性質上そうなるといえばそうだし、そういう反応が引き出せることが成功だと思うからそうといえばそうなんだけど…
「表現の自由」って報道とか政治表現の自由が大本だと思うんよね。エログロ含むマンガとかオタク系の表現が弾圧された反動で票が集まったりしてそっちの支持が目立つようになってしまったけど。そもそもの、政治思想が色濃いほうをメインで扱うところは無いんだろうかって思うんだが、それも含めて「表現の自由」がないがしろにされてきたってことなのかもしれないな。本来は新聞社や出版社、報道機関が担うところなのかなあ。
好きな芸人がいる
好きな芸人がお笑いファンではないネット民から漠然と好感を持たれていたり
声優や漫画を取り上げる企画で対象を辱しめることなく無難に取り上げたことでオタクから褒め倒されると
嬉しい反面、何も知らねーくせに、持ち上げるだけ持ち上げてラジオや深夜番組でのいつもの振る舞いを見たら「こんな下品な人だったなんて!」と反動で過剰に叩くくせに、はてなや棘やまとめサイトを使って煽動してリンチするくせに、何回もやられてるんだからな、ボクらはいつも虐げられる側ですみたいなしてんじゃねえぞアニメオタクどもがよぉ、変に持ち上げるな、散れ!という感情もある
好きな漫画がある
有名ファッション誌で大好きな漫画として名前を挙げたとかとんでもない登録数のYouTuberチャンネルで紹介したとかそういうのをイメージしてほしい
漫画のファンは唐突な出来事に困惑しつつも「あの漫画の名作ぶりが普段漫画を読まない人にも届いて嬉しい」と沸いた
絵が上手い人はそのアイドルが単行本を手に取っているファンアートを描いたりアイドルに感謝するツイートを投稿した
それがまずかった
バラエティ番組でアニメ特集があると聞くとそわそわするように、
アイドルのオタクも得体の知れない二次元オタクからの着火を恐れていたのか
アイドルファンが「漫画オタクさんがこんなこと言ってくれてるよ、嬉しい!」と集団で押し寄せて引用リツイートをしたりリプライを送ったりフォローしたり
アイドル関係ないツイートまでアイドル関係の話と誤解していいねを飛ばしたり
その漫画は今回のように芸能人がたびたび名前を挙げるほどの人気はあるのだが、ツイッターでその漫画を語るための専用アカウントを持ちファンアートを描くような人はあまりいない
数少ない神たちはアイドルファンを無下にできずすっかり参ってしまっていた
いっそアイドルファンのスレでそういった行為はやめてほしいと書こうかとも思ったが今や5chは高齢化が進んでおり距離なし引用リツイートするようなタイプの若いファンはそこにはいないだろうから意味はないだろう
リツイートした後は互いの持ち場に戻ってくれ
フェミニズムが女を殺す
はてブでこのnoteが話題になりましたね。
同性としての意見を寄せようと思います。
私はフェミニストでした。noteの筆者と同様に20代の頃まではという補足が付きますが。
しかし私はフェミニズムの功績を否定することはありません。
フェミニズムは確かに日本社会へ巣食っていた男尊女卑や家父長制のような価値観を否定しました。
それらの否定が公正であると日本社会へ広め、内心は自由でありますので内心は様々でしょうが、男尊女卑や家父長制の否定へ不支持の姿勢を表立って示すことは良くないことであるという考えを現代日本社会へ確かに根付かせたのです。
それは日本国の制度として男女共同参画社会を実行へ移そうという段まで到達したのですから、これは日本の歴史へ刻むべきフェミニズムの功績であり、男女双方がフェミニズムのこの功績へ対して敬意を持たなければならないと私は思います。
男性がではございません、女性がではございません、男女双方が、何なら男女によらず日本全国民がフェミニズムのこの功績へ対して敬意を持つべきだということです。
しかし、前述のnoteで触れられている通り一部のフェミニストは暴走とも取れるような動きをしてしまっています。
私は40代の就職氷河期世代で就職に苦心した世代ですが、今の10代〜30代の方々はサブカルが非常に身近で「宇崎ちゃん騒動」はフェミニストたちへ非常にモヤモヤした感情を持ったと思います。
特に私は40代ですので「オタク」へどのような扱いを社会がしていたのか知っていますし、今の30代の方々が疎まれても折れないで熱心な創作活動を続けて「オタク」を社会へ受け入れさせた、というよりかは「オタク」を「当たり前」にまで持っていったのは驚くべきことであります。
「宮崎勤事件」は「オタクを日本社会から排除することは公正であると誤認」されてしまうほど社会へインパクトがあり、それを今の30代の方々はひっくり返したのです。
「オタク」を当たり前にした30代の後ろ姿を見て育った今の10代や20代の方々からすると「宇崎ちゃん騒動」は受け入れがたいフェミニストの暴走であるように映ったはずです。
日本社会はこれまでの反動からフェミニズムの主張を真に受けすぎている傾向が徐々に現れ始めています。
フェミニズムは日本社会へ対して大きなインパクトを示しました。だからこそ一部の過激な主張をあたかも公正であると誤認させることが増えてきているのです。
私は若い頃、田嶋陽子先生のファンであり、田嶋先生の活動や主張を多く目にし、そして支持していました。
TVタックルで男ども(田嶋節)へ食って掛かり鼻で笑われても諦めない田嶋先生は爽快で、そして田嶋先生と共になったつもりでなぜ理解しないんだ!とTVへ向かって一緒に怒っていました。
この思いは就職する時期となったとき更に強くなりました。何社にも断られ続け、同級の男性たちはどんどん就職していくのですから悔しさと情けなさで胸が一杯になったのです。
結局私の新卒入社は派遣会社へ勤めるしか無く、派遣先で正社員登用を目指しながら働きました。
そしてその2年後、晴れて私は正社員となりました。
運が味方した部分もあります。私の直属の上司はいわゆるバリキャリな女性で正社員登用を目指す私を応援してくれたのでした。
私は正社員になった後に結婚と幾度かの出産を経験しました。
出産育児休暇を取得し、一時的にであれ家事育児などを中心とした生活を行ったのです。
そこで見えてきたのは現在のフェミニズムは家事育児の現実を見ておらず、理想論しか語っていないという事実です。
フェミニズムの主張はこうです。
「夫の協力があれば家事育児は楽になる」
家事育児を経験した女性へ問いたい。本当に夫の協力があれば家事育児は楽になると思いますか?
家事育児を経験した私は楽になることはないと断言します。
そもそも夫はフルタイムで働いていて家に居ないのです。
もし育児が一段落し、フェミニズムが言うところの女性の社会進出で妻もまたフルタイムで働らけば夫婦双方が家へ居ないことになります。
夫婦双方が労働して帰宅したあとにする家事が夫婦双方の協力があると楽になると思いますか?
そんなわけないでしょう。
フェミニズムは妻へ家事育児を投げっぱなしにする夫という藁人形を用意して夫の家事育児参加が足りないと主張しますが、夫が完全無欠に家事育児へ参加したとしても、労働した後なんですから家事育児が楽だなんてことは絶対に無いんです。断言します絶対に有り得ません。
何なら私の夫は料理人で、私よりも調理に関しては圧倒的に上手く手早く美味しいので家庭内調理の8割は夫が担当してくれていますし、子煩悩な夫なので育児参加はPTA役員を率先的にやってしまうほどですが、ここまで夫が協力して居てくれても働きながらする家事育児を私は快適に行えていません。
日々の掃除や、夫の手が空いていない時にする子供の送り迎え、洗濯、買い物、町内会の催しetc...まったくもって楽になってないんですよ。
フェミニズムは家事育児の煩雑さへの回答として用意しているのは夫のみ、まるで夫が家事育児の万能薬かのように言っているのです。
私はこのことを尊敬する上司へ質問しました。
すると上司は「あれ?確かにフェミニズムは夫を家事育児の万能薬と思ってるフシがあるね。私も今まで気付かなかった。上手く言えないけどこれフェミニズム的じゃないね」と返してきました。
大先輩ですらこうです。上手く言えないんです。家事育児へ対してフェミニズムにはどうやら欠陥があるけれども、それが何なのかよくわからないんです。
私があまりにも悩んでいるかのように見えたのか上司は後日私へ「ちょっと考えてみたんだけど」と色々と考えてくれていました。
そしてこう続けます「認めがたい事実だけどフェミニズムは男性社会資本を女性が活用するための思想で、女性社会資本については活用しようとすら思っていないんじゃないかな」と。
突然出てきた小難しい言い回しに私は困ってしまいましたが上司が語ってくれたことを要約すると下記のとおりです。
上司の話を聞いて私は目から鱗が落ちる思いだった。
上司はバリキャリで結婚もせず子供ももちろん居ない。
それなのに私が悩んでいるだろうと自分には関係ないことなのにしっかりと考えてくれて、しかも今のフェミニズムの悪い部分を指摘しました。フェミニズムを体現するような方なのに私は感動しきりです。
フェミニズムが持つ家事育児への欠陥を、何なのかわからない答えを上司は言葉にしてくれたのです。
現代のフェミニズムは女を救う、ただし男性社会へ進出した女に限ると看破し、修正しようと言ってくれました。
男に負けじと働く女性も。専業主婦になりたいなと思う女性も上司の考えは全く否定しません。
フェミニズムを否定するような考えでもなく、むしろ女性社会という視点を加えてくれてフェミニズムをより発展できるような考えです。
現代のフェミニズムを修正し、男女によらずアナタの選択を尊重する次代のフェミニズムはこれであると私は確信します。私はここに真の男女共同参画社会を見ました。
私はもしかしたら現代のフェミニストから見るとフェミニストとはもう言えない思想を持ってしまっているかも知れません。
しかし私は再びフェミニストと名乗ります。新しいフェミニストだと。フェミニズムはすべての女を救う思想のはずで、私は専業主婦として家事育児を頑張る女性も救いたいですから。
個人的には負の影響を受けてることも一種の依存と捉えてるんだよね。負の感情でも人と繋がれるし、人を生かすから。「親から褒められなかった、だから俺は人を褒められない」というのはある意味「親から卒業」できない・親に依存している、と考えてます。
だからいつか人を褒められるようになった時に、「親から卒業」したとも言える。そこの説明すっ飛ばして卒業の話になったからちょっと違ったかも。
親以外からも無償の愛で、褒められたり優しくされることはあるだろうからね。その人のおかげで、もしかしたら折り合いがつくかもしれない。そういう意味で、「卒業」や「自立」が思いあがり=人間には解決できないものとして扱っていた彼が、どうやって対処しようとしてるのか気になった。
>切り離せない関係性を個人の頭の中で無理に脇に押しやるのは、確かに不健全だし、反動がありそうだ。
友達との親について語らいの話は、微妙かな。うまくいってないと正直に伝えるのも「自立」してると言えるし、その事実を言う必要もないし。
横だけど、「親から褒められなかったから他人を褒めるなんてできないよ」に対して「親から卒業しろ」って返信だから、元の主題とは直接関係ないと思う。
彼は「決別」を否定と見ているんだな。
ケジメをつける。決着をつける。卒業する… これらは似た意味を持っている。
脳内で今と昔を切り離して距離を置くことで、それを忘れる事が出来る。
個人的には、これにはポジティブな側面もあるように思う。トラウマを払拭したり、こだわりを脱したりね。
だけど究極的に人間は、他の人間からは独立できない。どこかで繋がっているから社会なんだ。
現代では「自立」は「より多くの依存先を持つこと」として再定義されてきている。
切り離せない関係性を個人の頭の中で無理に脇に押しやるのは、確かに不健全だし、反動がありそうだ。
例えば、できたばかりの友人との語らいで、突然親の話になったらどうする? 親孝行とか父の日・母の日に親子で仲良く旅行に行く話とかが出てきたら? 親から「自立」した人は無理に話を逸らそうとしたり、あるいは自分を責めたりするだろう。
町山智浩 @TomoMachi
「お金は持っていないけど、食いたか」。無職の男(65歳)は佐賀市内のコンビニに陳列されたクッキー(148円)を手に取り、店外へ。男性店員が取り押さえた。南署幹部は「クッキー1個で逮捕しなければならないなんて…」と複雑な思いをのぞかせた。
148円で警察呼ぶなよ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e1c2fc922c4a513894e42ee9cd5841eef1250b08
ベードラ @4PitchBassdrum
@TomoMachi 所持金持ってない、住所も証明出来ない。お店は148円の利益を生み出す為には通常1万円位の売上が必要と考えられます。町山さん、お店の気持ちになったら最後の一言はひどいと思います。
町山智浩 @TomoMachi
カリフォルニアにいる町山の発想を想像するに、アメリカでは90年代以降厳罰主義が進んで大量収監が社会問題化してるから、
初孫・長女・一人っ子の3属性を背負っていた為、どこに出しても(というよりは、祖父母の前に出しても)恥ずかしくないようにと、やや抑圧された育ち方をした。
その甲斐あってか、物心ついてからは比較的手の掛からない子供だったと思う。可愛がってもらった記憶はあるし、両親のことも祖父母のことも好きだ。
性的なものから遠ざけられてきたからか(結局友達との話や自分の好奇心からこっそり触れることにはなるんだけど)、性嫌悪とまではいかなくとも、スケベ=悪みたいな認識が若干染み付いていたんだと思う。
結果、若干性癖が横に逸れた。
元は獣人寄りの二足歩行してるタイプが1番好きだったんだけど、近頃原型が凄く好きになってきて、性癖の進行を感じて若干マズいなと思っている。
最近になって「父親も育児するのが当たり前、育児しないのはネグレクトのクズ父」という風潮が広がってからは
反動で子供を愛してる俺かっこいいアピールしたがる自称イクメンが増えてる
なんか両極端なんだよな
ジンの話を出した増田だけど、正にこれ。昨今のイクメンブームや「自分はイクメンと呼ばれるのは嫌いですね。育児をするのは"当たり前"のことですから」というテンプレムーブの極端さに辟易している。昔読んだ「タガメ女」云々という本の中に「子供とは本来は日常の生活や人生の中に自然に存在するものであって、それを何か特別な宝物や儀式のように扱うものではないのでは」みたいなことが書いてあって、ほんとそうだよなと思った。現代はなんか「子育て」を前面に押し出して強調し続けないと精神の均衡を崩しちゃう何かがある状態に見える。
オナニーしない方が翌日元気なんだよなあ。
最近、1,2日置きだったのを諸事情により5日堪えた反動で4日連続してしまったが、本当に活力が出ない。
雨のせいもあるかもだけど、なんかネガティブだしやる気も起きない。
高校生の時。モテるかな、と思って。近所のハードオフで買った。コードを押さえられなくて挫折。ギターが悪かった、手が小さくて向いてないと自分の中で言い訳。家族に譲った。
アコギからの派生。ベンドが上手くできなくて挫折。まだ手元にある。
・イラスト
昔の作品にも詳しいとカッコいいかな、と思って。結局抜きゲーで抜いていただけ。
・バイク
大学生の時。旅を趣味にしたかった。中古バイクを購入。機械もいじれるとカッコいいかと思ったけど、メンテもそんなにせず結局あまり乗っていない。まだ手元にある。
社会人になりたての時。買ったばかりの頃は馬鹿みたいに撮っていたけど、設定とかを覚えるのが面倒になってしまって埃をかぶっている。あと、レンズが高い。
同上。ヤフオクで買って、モルトプレーンだけ中途半端に入れ替えたけどまだ一枚も撮ったことがない。
・登山
近所の山をちょっと登った。高い山に登るのは面倒くさい。高かった登山靴は埃をかぶっている。
・キャンプ
バイク旅のために買ったけど、結局家でダラダラしている方が好きなことに気がついた。道具はまだ持っている。
・タロット
覚えているとカッコいいと思ったけど、覚えるのが面倒くさい。本だけ何冊も持っている。
・映画
名作と言われる作品は知っておきたいと思ったけど、数が多すぎる。見たところで語れるほどの経験も知識も含蓄もない。自分の浅さに自己嫌悪。
覚えることが多い。本ばかり持っている。でも読んでない。
・筋トレ
継続は力なり。ただ自分にはその力はなかった。めちゃくちゃ量のあるプロテインだけ持っている。ジムも契約したっきりほぼ行ってない。勿体ない。
文章なら俺にも!と思ったけど、そんなわけなかった。形から入るタイプなのでMacBook Proなんか買っちゃったりして。むろん埃をかぶる。
指輪物語、十二国記、ラブクラフト、シャーロックホームズ、アガサクリスティ、館シリーズ、鬼平犯科帳、グイン・サーガ…全部挫折。根気が続かない。作者で読んでみようとしてもまず続かない。
・作曲
高いソフト買ったのに、何も生み出せてない。
・御朱印集め
外に出ないので、ほぼ白紙。
やる友達がいなかった。
思いつく限り書いてみたけれど、まだ有りそう。
こうして見ると、如何に自分が人からよく見られるために色々なことに手を出しているかがよくわかる。
自分はこれをやってます!って胸を張って言えるようなものがないや。
・裁縫
・盆栽
・家庭菜園
・天体観測
・釣り
・自転車
押しつぶされそうだ。
※追記
コメントを頂いて、いくつか思い出したので残しておく。皆さん俺のことよくそんなに分かるね。
色々教えてくれてありがとう。
カチャカチャカチャって素早く揃えられるとカッコいいよね。買って説明書を見ながら数回6面揃えたけど、今は部屋のオブジェになってる。
今の仕事が嫌いすぎて転職を考えた時に。本も買ったよ。やってないけど。
道を歩いていて、「この花は〇〇だね」って言いたかった。図鑑を持ってる。
・読書
積ん読って言ったら聞こえはいいかもしれないけれど、結局根気がなくて読んでいないだけ。買ったことで読んだ気になってしまっている。自己啓発本とか、小説とか、詩集とか、図鑑とか、資料集とか。紙、電子問わず読んでいない、または読みかけの本が大量にある。
趣味と言えるかわからなかったから書かなかったけど、服もめちゃくちゃある。わかってもらえるかわからないんだけど、「定番」とか「一生モノ」って言葉に弱い。例えば、「このアイテムが欲しい!」ってなった時は一時的にめちゃくちゃネットやら雑誌で調べて、「これ買ったら間違い無いだろう」ってものを買ったら満足してしまう。たまに気がついて着るくらい。
・麻雀
ネット麻雀にハマって、麻雀牌まで買った。小手返しやってみたいな、と思ったけど手が追いつかない。あとやる相手がいない。
一時期通っていたけど、自分の身体の可動域の狭さにびっくりしてやめてしまった。
小説ダメならこっちだな、と思ったけどそもそも書けるようなネタがない人間がセンスを求められるこれらをやろうとしたところで、という結論に至った。
・競馬
このブームに自分みたいな人間が手を出してないわけないよね……。自分でも呆れる。
ダービーで800円、鳴尾記念で500円、安田記念で300円、エプソムカップで600円負けてるよ。
・ゴルフ
職場の付き合いで。クラブセットも持ってるよ。知人が「120に壁が…」なんて言っていたけど、そもそもそのレベルにも達していない。たまに職場でコースに出てもひたすらボールを追いかけてマラソンするばかり。
・料理
鉄のフライパン、中華鍋なんて買っちゃったりしてメンテを怠ってこげつくようになっちゃったり。調味料ばかり揃えてみたりして期限を切らしたり。自炊程度ならやっているけど、趣味なのかこれは。
・TRPG
これもやってた(やってないけど)。ソードワールド、クトゥルフ。ルールブックを買ってきて、キャラシまで作るんだけど「え、これ誰とやるの?」という疑問が出てやめている。オンセがあるのは知ってるけど、そこまでのバイタリティがない。
・データベースになろうとする。詳しくなろうとする。
ナンバリングタイトルやシリーズもののゲームを全部やろうとする(ドラクエ、FF、メガテン、ポケモン、ゼル伝などなど)。
ご指摘はごもっともで、多分自分は「趣味に打ち込んで、誰かに認められる」ではなく、「誰かに認められるためにとりあえずわかりやすいものに金を出して何か始める」パターンが多い。
誰かに認められた経験が少ないから手っ取り早く「すごい」と言われる手段を求めているのだと思う。承認欲求バリバリだね。
このネット社会、ちょっと調べるとどんな事象にも初心者向けのハウツーが転がっているので、自分にもできてしまうんじゃないか、という気がしてしまう。これを始めれば人生変わるんじゃないかと思って一時的にカッと熱くなるけど、すぐに冷めてしまう。その繰り返し。確かにこれは趣味と呼べないかも。
〇気になるコンテンツを見つける
→気になるコンテンツの作者が影響を受けたコンテンツやルーツとなったコンテンツを調べる
→これを理解しないとこの気になるコンテンツを完全に理解することはできない!
→手を出す
→量の膨大さ、内容の難解さに挫折
このパターンが非常に多い。指輪物語とか、クトゥルフとかが一番わかりやすい例だと思う。映画もそう。服買う時とかでもこういうことがある。(調べまくった結果、定番モノしか買わない、とか)
勉強、部活とか何かに打ち込んだり、成し遂げたりしたことがないからその反動じゃないかなって考えている。積み重ねがないから急いでそれを何かで埋めようとしている感覚。
AmazonとYouTubeとTwitterは余りにもキラキラし過ぎていて、人に影響を受けて流されやすい自分のような人間には本当に毒です。Instagram?だめだめ!
英語、キーボード(ピアノ)、動画制作、プラモデル、格闘技(ボクシングor空手)、アマチュア無線、DJ全部昔気になってたことだ。
発信者になろうと思って昔作ったブログの残骸もネットの海で化石になってる。発信するような積み重ねがないし。
部屋は汚い。よくわかったね。
お金はないよ。カツカツです。
ものがどんどん増えるのは、始めてしまったからにはやり切らないといけないって言う心底下らないプライドがあるのだと思う。
掲示板の世界ではかつて匿名が主流だったことに対する反動してワッチョイという仕組みが導入されたり強制生IDの仕組みが検討されたりしています。
私はそういう流れについては否定的です。
私はニコニコ大百科に付属している「語るスレ」という掲示板によく書き込みます。そこは日付が変わってもIDは変わりません。
通りすがり、少しでも板の常連にとって気に食わない書き込みをしてしまったとします。
趣味嗜好や行動パターンが一定なら、また月日が経って、過去に自分がその板に書き込んでいたことも忘れてしまった頃に、無意識に同じ板を訪れるということもありえることでしょう。そして前とは全く別のことを書き込むとします。
すると何か月も前の書き込みをコピペしてきて「アンチのID:○○だろ。まだいたの?」みたいなレスが返ってくるのです。実体験です。
今度は内容自体は波風立てるようなものではなかったはずなのに、IDによって本人も忘れている過去の言動とひもづけられ、共々否定されるのです。
IDが固定でなかったら、今度は打ち解けていたかもしれないのに、そうでないために、関係性がリセットされないわけです。
これは弊害としか思えません。寝た子を起こすようなことをして何になるのでしょう。その度にある種の構図が復元され、同じようなレスで延々と掲示板が埋まっていくことになります。その構図とは無関係な内容(しかしスレ違いではない)を新規の人が書き込むのに躊躇させられるというデメリットもあります。つまり、掲示板の風通しが悪くなっていくのです。
そもそもずっと考え方が一貫している人などいるのでしょうか。そうでないのは矛盾していることになるのでしょうか?
一度と敵とみなされるような考え方を発表したら、敵であり続けなければならないというのでしょうか?
どのIDが敵であるとしてずっと根に持っているのも疑問です。たかだか掲示板内での現象にこれほどの記憶力を発揮するというのは、それほどにまで掲示板中心に生活が回っているのかというか、なんというか。ちょっと異常と言わざるをえません。
しかしそういう人がいるのは事実なのですから、やはりID固定制などはよくないと思います。
匿名でなくす方が荒らしにとって掲示板を荒らす心理的なハードルが上がるという意見がありますが、その効果は低いと私は思います。
別に実名や住所を公開させられるわけでもない、IDが固定されているというだけのことで荒らしが躊躇するとは思えません。
なりすましが減るという意見もありますが、IDが変わるに乗じて取り立てて別人を装うようなことをする荒らしは少ないと思います。自己顕示欲のために荒らす場合が多いのにわざわざ別人格を演じる必要はないのです。