はてなキーワード: 一流企業とは
東京の片田舎に生まれて、将来の夢はお花屋さんとか公務員とか、特段の野心もなく育った
たまたま中学受験をして中堅の進学校に合格し、まあマーチくらいに入れれば超上出来だなと入学当初は思っていた
高校に入りたまたま模試の成績がよく、塾の授業料が全額無料や半額になったりした
そこで何かの歯車が狂ったのだと思う
自分の実力を過大評価した 国公立に受かって当たり前、落ちて最低早慶の価値観に巻き込まれた
国公立には受からなかった 第二志望の大学に進学したがあまりに第一志望の亡霊に囚われすぎて勉強もせず、留年した
国家資格の資格勉強を始めて、自分の地頭が大したことないと自覚した 偏差値は塾への課金で底上げされていただけだった
仕事が自己実現だという幻想に囚われて仕事を頑張ろうと思った 働いている間は楽しかった
やがて資本家層と結婚して自分の時間を労働に搾取されていることが虚しく感じられた
ただ周りの価値観に流されて、自分を追い込んでいた そして自分にも周りにもそれを求めた
一流大学じゃなきゃ、一流企業じゃなきゃ、子供の英語教育、自己実現、自己実現
満たされない心はどんどん冷えていく
実力不相応の世界を進んできた私からすれば、田舎でマイルドヤンキーで、早々と結婚して子供を育てて、強く高い目標に固執しない生き方の方が
便乗して。
完全な地方都市に生まれて、国立大や早慶に入るような人がいると近所で話題になるくらいの町で育った。
周りと比較すると勉強ができたので自分は頭がいいという錯覚に陥って、かつ運動神経が悪くコミュニケーション能力も低かった自分は
勉強くらいしか人並みにできることがなかった為、勉強を頑張った。
高校は電車で1時間くらいかかるその地域ではそこそこの進学校に入った。(年に一人二人東大入るかどうかくらいのレベルの学校)
そこでもただひたすらに3年間がり勉し続けた。結果ぎりぎり滑り込めたのが文系の国立大の一橋大学だった。
東大や京大は受けられるレベルにすらなかった(今は知らないけど当時は東大は社会の科目が一つ多く、
京大は数学の範囲が広く他の国立大受験と比べても一段階大変で格が違った)
この頃から、自分は地頭がよくない唯の宿題芸人に過ぎないということを何となく気づき始めていたが
上京して大学に入ってまじまじと突きつけられることになった。高校自体のほとんどすべてを費やして
なんとか滑り込めた一橋大だったが、クラスの半分くらい?は首都圏の著名な進学校の人たちだった。
話してみると、同級生の大半は東大か医学部にいったけど、落ちこぼれの俺は一橋が限界だったとか
高校時代遊びすぎてしまった、みたいなひとが沢山いて驚いたのを覚えている。
で、実際ゼミなどで議論をしたりすると頭の回転の速さの違いに驚愕した。なんというか脳のCPUが違う気がした。
卒業できるのか不安になったけど宿題芸人の気質のある自分は単位はなんとかとれて滞りなく卒業、就職できた。
民間の就職に強い大学のブランドの恩恵にあずかって世間的には立派な会社に就職できた。田舎の出の自分が
こんな会社に入社できるとは、と当時はうれしかったし感慨深いものがあった。で、入社してみて同期のレベルの高さと家柄の良さに驚いた。
もちろん自分みたいな田舎の出もいたけど、マジョリティは東大だったし、大学を問わず所謂都市の有名中高出身の人が多かったのである。
留学したり帰国子女で英語が話せるのが当たり前だったり、聞いてみると両親も誰もが知ってる一流企業で働いていたりと
通ってきた道がそもそも全然違うんだなと思った。(脇道にそれるけど金持ち喧嘩せず、というか大体おおらかで良いやつが多かった)
その後実際働いてみると先輩や上司も含めて頭がよくて、地頭の悪さを痛感しつつやり過ごす日々だけど10年くらいなんとか辞めずに続いている。
で、いつからか思うようになったのは「自分は東京に移民してきた田舎移民一世」なんだという感覚だ。あくまで東京という国においては外人で異物に過ぎない。
結婚して自分の子供が生まれたら、その子は移民2世として自分よりは”東京”に順応した存在になるのかなと。それが何代か続いて初めてこれまで出会って来た
地頭のいい純粋培養の都心のエリートみたいな存在が生まれ得るのかなーと。とりとめがなさ過ぎるし、で何がいいたいのか?といわれるとうまくまとめられないんだけど、現実問題地方と都心では格差があることは事実だなーと。
一方で就職してから仕事の関係でアメリカとアジアの国にそれぞれちょっとずつ住んだ印象だと、日本の格差はまだましな方だなとも感じた。一億総中流風?なのが逆に諦観にまで至ることが出来ずに苦しいのかもしれないけど。
この話をフィクションと思われてもいい。嘘松認定されてもいい。誰かの目に触れるだけで嬉しいから。
私は北国の相当の田舎で生まれた。コンビニも車がなければ行けない場所にあるようなところだ。当然電車なんて走っていない。ファミレスもないし、地方都市の象徴と言われているイオンなんてものはない。地方都市とも言えない部類の地域だった。
私は小さい頃から勉強ができた。少なくても幼稚園の頃にはひらがなはかけたし、繰り上がりの足し算も誰にも教えられずにできた。漢字は一度見たらすぐに覚えた。だから読んでいた物語に出てくるような高学年向けの漢字も2、3年生の頃には書くことはできた。周りがなぜ同じようにできなかったか理解できなかった。
そんな私を親も当然理解できなかった。周りの大人は中卒と高卒しかいなかった。学校を出れば男は工場だの大工だの漁師だの農家だのになるもの、女はさっさと結婚して子供を2、3人は生むのが当たり前で、勉強なんてする必要のないものだった。スーツを着る仕事といえば役場の人か車のセールスマンぐらいだった。親も親戚も半分高卒もう半分は中卒という環境だったから、私は突然変異のなにかだったのだろう。私が勉強ができることを何か嫌な目で見ていた。私は親から勉強をしているところを見られるのが嫌で家で勉強をすることが全くできなかった。
家にはパソコンが無かった。インターネットも当然なかった。私の情報手段はテレビと新聞と学校の図書室だけだった。町には本屋もなかった。
私は決して学校の勉強から遅れることはなかった。地元の中学校から高校に進学するにあたっては、地元に一つある高校ではあまりに偏差値が違いすぎたため、バスや電車を乗り継いだ地方都市にある校区の最上位高に進学することになった。通学時間は片道2時間以上かかる場所にあった。私の中学校からそこに進学する生徒は数年ぶりだったらしい。交通費がそれなりに掛かる場所にあったが、親は文句一つ言わずお金を出してくれた。ものすごく感謝している。
あと、高校進学とともにスマートフォンが手に入った。ただ、当時スマートフォンを使っている人など一人としていなかった。都会では当たり前だったけど、田舎にはそんなものがなかった。私はインターネットをするためにどうしても必要だった。ガラケーでいいと主張する親をどうにかなだめて、スマートフォンを買ってもらった。iPhoneなどではなく、Androidのポンコツだったが、インターネットにつながるというだけで私には十分すぎるものだった。町の中で完結していた私の世界が急に広がった。Twitterを初めてオバマ大統領のアカウントをフォローした時には、テレビや新聞の世界を飛び出した自分が誇らしい気持ちになった。ただ、Twitterでは痛い発言をして、炎上というほどではないクソリプをもらって恥ずかしくなってアカウントを消すという10代の恥ずかしいことも経験した。
同時に高校では人間関係も様変わりした。周りの子たちはよく勉強をよくやっていた。そこで初めて予習復習の必要性を知った。教科書にかかれていることだけやっていては不十分だということだった。大学受験ではそれ以上の問題が出てくるという。私は教科書は一度読めば覚えるものだったので、まともに勉強をしたことがなく、それだけでは点数が取れない、という経験を初めてやった。参考書も初めて買った。高校があった街は私の住んでいたところよりは何十倍も都会と呼べるところだが、いわゆる地方都市の一つで本屋さんはショッピングモールに一つあるだけだった。私は午後6時にはその街をでないと家に帰れないので、学校が終わっての僅かな時間で本屋に向かい、そこで少ないお金で買える参考書を立ち読みしながら一つ選んで繰り返し繰り返し勉強した。何冊も買う余裕はなかったし、予備校に通うような時間もなかった。また私は乗り物酔いをしやすいので電車ではともかくバスでは本を読めず、スマートフォンに参考書を自分で朗読した音声を吹き込んでそれを聞いて覚えるようにした。
その後私は大学受験をする。私の地元にはそんなことをする人は誰もいない。私の親は大学受験することは認めたが国公立大学に限定した。仕送りも必要だし、お金がないからだ。奨学金だって借りる必要がある。私はどうしても東京に行きたかった。東京じゃなくても東京に近い横浜でも千葉でも埼玉でもどこでも良かったが、とにかく都会に住みたかった。田舎の何もなさにうんざりしていた。私は映画が好きだったが、映画というのはテレビでしか見れないものだった。運良く私の家はBSを契約してくれていたのでNHK BSでやっている昔の名作などを録画しては見ることができたが、面白そうな新作映画はテレビやYoutubeの予告編でしか見れないものだった。アカデミー賞やカンヌを取るような映画は大抵東京で最初にやって、その後に地方に回ってくるが、それも大都市に限定される。私の住んでいたところはツタヤもなかったのでレンタルすらできなかった。私の憧れは渋谷のミニシアターでヨーロッパのどこかの映画を公開初日に見に行くことだった。今思えばそんなつまらない理由だったが、東京に住むという強いモチベーションになった。また、東京には私のような地方から出てきた学生に優遇してくれる寮もあった。一人暮らしなんて贅沢はとても言えなかった。
私はどうにか大学受験をして東京のとある国立大学に進学することができた。親は私の入学式に出るために人生で2度目の東京の土を踏んだ。私がそんな都会で暮らすことに不安を覚えたらしいが、進む大学も住むところも何もかもすべてを一人で決めてきた私に言えることなど何もなかった。私は親の手には負えない存在だった。
初めての東京に私は圧倒されることになる。一番驚いたのは電車だった。SUICAや本数のことではない。広告の多さだった。駅も電車内も外も広告で満たされている。歩いているだけで色んな情報が入ってくる。私が子供のときに見ていた日曜日昼の番組で中吊り大賞などというのがあって週刊誌の記事を色々取り上げていたけど、中吊りというものが何だったのかを恥ずかしながらそこで初めて知ったのだった。ときに週刊誌の卑猥なコピーが小学生の頭の上で揺れているのにも衝撃を受けた。電車で立っているだけで世の中のことについて情報が入ってくる。それが東京で最初に印象に残ったことだ。
私はよくありがちな大学生としてサークル活動も始める。そのサークルはインカレでいろんな大学の人とつながることになった。私の出身地のことを話しても誰も知らなかったので、自己紹介では東京から私の町までどうやって行くのかを話すのがつかみとして大いに受けた。
そこである東大と慶応の学生たちと出会ったことが、私の人生そして性格にも極めて大きな影響を与えることになった。お互いの情報交換をするなかで家庭の話になった。私の父は町の工場で働いていた。トヨタなどの大企業ではなく、ただの町工場の従業員として何十年も変わらない仕事をしていた。それを話す私のことを動物園の珍しい爬虫類を眺めるような、そんな目でみんなは見ていた。そんな人は誰一人としていなかったからだ。ある男の親は商社マンだった。私が「商社ってなんですか?」と聞いたら何言ってるんだこいつ?って明らかに馬鹿にされたような顔をされた。私は三菱商事や三井物産を知らなかった。三菱といえば車か銀行だった。三井は遊園地だった。またある女の親はファンドマネージャーで、別の女の親は広告代理店、ある男は外資系企業を渡り歩いているらしかった。全員都内に実家があった。
私は、自分と彼らの家庭環境のあまりの格差の違いを見せつけられる事になった。最大の違いは勉強する目的だった。何を勉強するとどのような仕事につくことができるのか、そのためにはどんな資格を取る必要があるのか、その仕事につけばどれぐらいの年収が得られて、どこでどんな生活ができるのか、それらを彼らは親や親族の仕事から知っていたのだ。私はテストで点を取る以上の目的がなかった。テストで点数を取れればこれぐらいの高校や大学に行ける、それ以上の意味がなかった。さっき書いたが親兄弟を含めて全員中卒か高卒なので勉強をすること仕事というのはほとんど無関係と言ってよかった。せいぜい工業高校で乙4を取れば、ガソリンスタンドで仕事ができるぐらいの意味しかなかった。私は大学に入って、彼らと知り合うことで、大学によってその後の人生が大きく変わることを知ったのだ。
他にもある。勉強する環境だった。彼らは小学校から塾に通って勉強をして私立中学高校の一貫校に行っていた。私は中学受験というものも知らなかった。そして中高一貫校では高校1年生などで高校のカリキュラムを終え、その後の2年間で大学受験の勉強をひたすらにするということも知らなかった。更に学校帰りには予備校に行き、夜遅くまで勉強をするのだという。私は興味があって、知り合った一人から予備校のテキストを見せてもらった。そのテキストは私が受験勉強で解けなかった問題を非常にわかりやすく説明していた。こんなテキストは私の手に届く場所にあった本屋にもなかった。そのテキストを読んだときに私は涙をこぼしてしまった。彼は動揺していた。私は気づいてしまったのだ。
私にとって東大というのは雲の上で超天才がいく学校という印象だった。東大の過去問を一度やってみたことがあるが、ほとんど解けなかった。それは私が頭が悪いからだとずっと思っていた。まあ、国公立大学に入れるぐらいなんだからそれでいいよね、というのが私の自分への評価だった。でも違ったのだ。私は勉強をするにはあまりに彼らと環境が違いすぎていた。勉強する友人にも小学校のうちから囲まれていた。誰も勉強ができることをバカにしたりはしない。親も勉強への投資を惜しまない。彼らが望まなくても英語の勉強のために夏休みにカナダに語学留学をさせて、ネイティブな発音などを身に着けさせていた。私は英語の勉強が好きだったが、流暢な発音は馬鹿にされるものであり、英語などは隠れて勉強していた。小さな声でMP3でダウンロードした英語のスピーチを繰り返していた私とは違った。彼らは圧倒的重課金と、息をするだけで情報が入ってくる恵まれた環境により、私よりも進んでいただけだった。私が布の服と木の棒で戦っている間に彼らはトマホークミサイルを連発して、敵を木っ端微塵にしていたのだ。
私は自分の人生を激しく呪うことになる。生まれた場所が違うだけで、家庭が違うだけでなぜここまでの差をつけられなければいけないのか。彼らは別に頭がいいわけじゃないが、環境だけで私よりもずっと高い学歴を獲得していた。それが悔しくて仕方なかった。私が入った大学は別に悪い大学ではない。学歴としては十分に評価されるところだ。でも私は環境さえよければもっと上に行けたのだと。
私はショックだったが、私が住んでいたのは寮だったので部屋に一人で閉じこもって泣き崩れることもできない。私は一人でどんどん悪い考えに蝕まれていった。そして一つの結論に達する。私の住んでいた町は日本から捨てられた土地なのだと。
私が出会った家庭環境に恵まれた彼らは手に入れた学歴を武器にこの後は一流企業に就職したり官僚になったりするだろう。日本というのは東京や大阪に住む一部の裕福な家庭から出てくる人たちで回せるのだと。私のようなど田舎に住んでいる人間はそもそもいらないのだと。だから勉強する環境も手段も与えられることはない。だから黙って地元で油にまみれて仕事をするか、子供をぽこぽこ産めと。
私が大学を卒業した後の話だが、昨年文部科学大臣が大学試験について「地方の学生はそれなりに」といった発言をして相当問題になった。あれは政府の本質なのだと思う。東京に住んでいる人間だけで日本は十分なのだ。地方は土地以上の価値はないのだ。今地方はどんどん衰退していっている。政府は口先では地方創生などと口走るが、実際はただただ衰退しているだけである。高齢化が進む町にだって子供はいる。彼らを救う手段を国が与えたことがあっただろうか。
また、インターネットがあればどこにいたって勉強ができるという発言もよく聞く。あれは戯言だ。東京で使うインターネットと地方で使うインターネットはまるで別物である。インターネットを使いこなすためにはまず存在をしらなくてはいけない。例えばPCのプログラミングというものの存在を私の田舎で認識することは極めて困難である。ただ、都会に住んでいれば、今となっては子供はプログラミング教室などに通って小さいころからそういうものの存在を知ることができる。あるいはさっき書いた駅の中吊り広告だっていい。色んな情報が目に入るのだ。田舎では色んな情報の存在を知る事もできない。そのような情報格差がある状態でインターネットを使ったところで、格差が開く一方なのは容易に想像がつく。インターネットがあれば壁を超えられるというのは、何もわかっていない持っている立場の人間の発言に過ぎない。孫正義が優秀な子供に奨学金を与えたりしているけど、田舎の子供は目立つ手段も知らなければ、そういう行動も取ることができない。結局ああいうので評価されるのは都会で恵まれた親から生まれた子供だけである。田舎の頭がいいだけで何も知らない子供はただだた埋もれていくだけだ。
私は田舎を飛び出して東京まで来てしまった。田舎に私を受け入れる場所はどこにも残ってはいない。そして東京にも私が必要とされている場所はない。私のような田舎ものを必要とする会社があるのだろうか。私は結婚をすることができるのだろうか。私は鬱々とした気持ちを抱えながらも、彼らに負けたくないと勉強に励むことに大学時代を費やした。奨学金も借りたしバイトもした。得たお金で高い専門書を買って、もとを取るように読みまくった。英語の勉強も授業以上に独学でやった。ただ、海外に行ったのは一人でいった卒業旅行の一回だけで、そのときは非英語圏を選んだ。英語は今のところ仕事では役に立たないけど、日常生活での情報収集には役立っている。
とにかく必死だった。帰る場所も必要とされる場所もないのであれば、自分で作るしかないのだと。そうがんばれたことが私にとって一番幸運だったということが今ならわかる。あのとき挫折して、引きこもりになっていたかもしれない。もしかしてテロリストのようになっていたかもしれない。あるいは当選の見込みがない政治家を目指そうとしてたかもしれない。そのどれにもならず、今私は社会人としてそれなりのお金を貰えるようになった。ただ、そのお金で奨学金の返済を行っている。東京に生まれた人々は奨学金を返す必要もなく入ったお金を自由に使って遊んでいるのだろう。私はまだ過去と日本が課した呪縛から逃れられていない。
こんな意味のない文章を長々と書いてしまった。ここまで書いてしまったので誰かに読まれたらいいと思うけど、おそらく増田の早いタイムラインの中で埋もれてしまう。私が日本が見捨てた小さな田舎で誰にも気づかれることもなく勉強をしていたときのように消えていく運命だと思う。でも書かずにはいられなかったし、誰かの目に止まって嘘松認定のいいねの一つでもしてもらえたら、田舎でもがいていた中学生だった頃の私の自尊心が少しでも満たされるかもしれない。
追記1
めでたく嘘認定されたので、ちょっと補足しますね。今は業務休憩中。
高校には社長の息子とか医者がゴロゴロいたでしょって話について。
同級生にいたのは板金塗装屋の社長の子はいたよ。社長はそれぐらい。医者はいなかった。そういうお金持ちの子はもっと都会の私立の学校にいくのでは?うちは公立だったし。東京と違って地方は公立の方がレベルが高いので。
同級生でいい家って言えば市役所の人。これは間違いない。あと警察官とか? 大手企業で働くお家とか? そういえば市議会議員の子もいたのを思い出した。つながり殆どなかったけど。
友達は床屋さんの子どもとか、どっかの工場で働く人とかが多かったです。
でもみんなよく勉強してました。
同級生は殆どは地元を出たはず。みんなどうしているんだろう。繋がりが切れてしまったので分からないので、あまりわかりませんが、facebookで検索したときにインターネット系の大手で働いている人はいました。
追記2
追記を書きました。
菅義偉は自分もMARCHのHこと法政大学を卒業しているし、息子は三人とも大卒(次男は東大)で広告代理店とかゼネコンとか一流企業に就職してるんだよね。
菅義偉とその息子たちは増田とは違う階層の人間なんだけど、それをうまく消臭するために色々と盛りまくった苦労エピソードを利用したイメージ戦略をとっているし、その延長として増田のような階層の人たちが喜ぶだろうと計算したうえで学者イジメをやってるわけ。
学者イジメを見て気分が良くなる気持ちはわからなくもないけど、それで増田の学歴コンプレックスが緩和されたり、増田の暮らしが良くなったり、高卒より大卒の方が優遇される仕組みが変わったりすることは絶対にないよ。
まあ俺も多分ド底辺の残念な仲間なのさ、増田たちもきっと大多数がそうさ、そう思ってもらえば心も荒まないだろ?
こじらせて変な文章を投稿し続ける増田に進化しちゃったりもしないはずさ
ネットで人は自分が言われて一番刺さる悪態を吐きがちってことは分かってるからね
一流企業、なんて言葉を吐きつつ誰かに噛み付いた時点で、どうあがいてもコンプなんだなと可哀相にしか見られないのさ
だから俺は増田たちに真正面からレスするスタイルはおすすめしないね
一単語くらい拾って全然関係ない平和な話題を横から展開しはじめるアレな人にでもなっとけば数人くらいは和んでくれるだろうさ
そういうことに俺は喜びを感じるのさ
10年以上は前の話。
田舎出身。都会に憧れがあったので、首都圏の難関ではない某国公立大を志望した。当時の自分の学力に合っていて、希望する学科があるのがそこだった。田舎の県立高校で地道に勉強し、受験し、合格した。他の大学のことはよく知らなかった。国立単願だったし、元から偏差値が合わない大学は眼中になかったので。俺はただ憧れの大学に通えることが誇らしく、新生活に胸を躍らせていた……
4月。新入生オリエンテーションが終わり、同じ学科の数人で集まって話していたときのことだと思う。経緯は忘れたが、同級生の1人が「こんなBランク大学」と言ったのだ。「本当はこんな所に来るはずじゃなかった」「俺の同級生には東大生がたくさんいる」と。(今考えるとFランではなくCランでもなく「Bラン」をチョイスしたところに彼の葛藤が伺える)
それを聞いてとてもショックだった。なぜかは分からなかったが、ものすごくショックだった。地道に勉強して、希望どおりの大学に入ったのに、目の前のこの人はそうではないんだと。当時は学歴コンプレックスというものの存在がよくわからなかった。ただ、全く違う価値観で生きてきた人なんだということは感じた。まさに異文化との遭遇。田舎の高校にも、難関大学を志望したりそれで不合格だった同級生はいたが、それとは違う何かを感じた。
それからしばらく経って、大学の同期の中にも「中高一貫の進学校」出身者が多くいることに気づいた。そこは田舎の県立普通高校とは全く違う何かであるようだった(今だによくわからない)。また、関東出身の同級生たちは殆ど皆、受験予備校に通っていた。河合塾とか駿台予備校とか。都会出身の同級生たちは受験戦争の荒波に揉まれまくった生き残り(または、当人の感覚では敗残兵)だったらしい。東大とかナントカ難関大学とかの高みを目指し、そこにたどり着いた、またはたどり着かなかった、妥協して腰を落ち着けた…。マジかよ。田舎の価値観と違いすぎるだろ。そら学歴コンプにもなるわ。子供のうちからそんな生活してたら心が荒むに決まってるじゃん。
とくにオチもないんだけど、このことは何故かふとした時に何度も思い出すし、地域間格差とか、学習機会の均等とか、受験戦争の過酷さとかなんかそんな話題が出るたびにジワーっと思い出してモヤモヤするので吐き出したかった。
バリバリ勉強して一流大を卒業して素敵な伴侶を得たって、ハタから見て増田の選択は最適だったように見える。
一般的に、一軒家を持ってる素敵な伴侶(実家ぎ裕福or本人が高収入と見た)を得るには
の2択だと思うんだけど、元増田は②のルートだよね。勉強が向いていたようだし、元増田にとって、結婚においては②のルートが最適だったんだと思う。(①にも別の才能と努力が必要なので、②ができる人が①も実現できるわけではないと思う)
バリバリ勉強して、バリバリ働くというというアイデンティティとの対立に悩んでいるようだけど、それは両立しうるものだと思う。
今は育休から復帰して管理職に昇進する女性もいるし、今の仕事でそれが無理そう(もしくはキツすぎる)なら業界を選んで転職するのもありだと思う。公務員試験受けるとか。
今何歳か知らないけど、勉強が好きなら、思い切って会社やめて、数年勉強しなおして資格職に転職、子育てが落ち着いてから復帰してバリバリ働くという手もあるだろうし。
学歴も伴侶もなく、安アパートで孤独に日々モヤシ齧ってる身からすると、元増田は色々な選択肢があって、今までの頑張りが報われていて、輝いているように思えるよ。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 152 | 15241 | 100.3 | 54 |
01 | 95 | 7704 | 81.1 | 40 |
02 | 105 | 11088 | 105.6 | 58 |
03 | 30 | 2981 | 99.4 | 48 |
04 | 34 | 7666 | 225.5 | 45 |
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06 | 41 | 4029 | 98.3 | 37 |
07 | 52 | 4516 | 86.8 | 40.5 |
08 | 45 | 3119 | 69.3 | 42 |
09 | 32 | 5556 | 173.6 | 61 |
10 | 98 | 9043 | 92.3 | 37.5 |
11 | 89 | 13627 | 153.1 | 41 |
12 | 102 | 12377 | 121.3 | 38 |
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14 | 69 | 7944 | 115.1 | 66 |
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23 | 122 | 25331 | 207.6 | 47.5 |
1日 | 2073 | 224563 | 108.3 | 41 |
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現役医師です。かつてはあなたのような部分がありました。そして、あなたのような同級生もいました。
関西の有名私学→二浪→非医学部に2年通う→再受験で地方国立医学部→医者○年目。女。
発表パワポ作ってるフリしてこれ書いてる。
中学受験までは成績優秀だったけれど、入学後は成績が低迷。そしてあなたのように親から非難・否定され続けてた。
非医学部に入ったけれど、入った大学をいろいろ言われたから国立医学部に入り直した。
入り直した医学部のレベルが旧帝じゃないからこれもいろいろ言われた。
まず大変残念なお知らせだけれども、周りの学生の人格については仕方がない。
医学部に関係なく、一般的にエリートと呼ばれる人の中にも頭の中は「酒、女、ギャンブル」だらけなんてたくさんいる。
世の一流企業でセクハラ、パワハラのニュースが絶えないのが論より証拠。
働き出していろんな人を見ていると、むしろ医者・医学部生はまだそのあたりマトモだなあ、と思うことの方が多い。
よく患者さんの話を聞く人あたりのいい医者が、とんでもない治療していることはザラにある。
夜の街で飲みまくって遊びまくってる医者が、難手術をバリバリこなしていることもザラにある。
しかし法律の世界にも、きっと「仕事はできるけれど人格は最低」という人はいるだろう。
それを目の当たりにした時に、あなたは法律の世界に絶望するのでは、と私は心配している。
「ずっと願っていた世界」が現実のものとなった時、表からは見えない裏の顔が見えるようになっても
あなたは「法律が好き」という気持ちだけでがんばれるだろうか。
かつての私は経済を勉強したかった。会計士になろうと思っていた。
超一流大学を出て、司法試験と並ぶ超難関資格の公認会計士試験をパスしている。周囲もそんな感じらしい。
でも職場での話を聞けば聞くほど、「ならなくてよかった」と思ってしまう。パワハラ、セクハラのオンパレード。
今の私の勤めている病院の方が百倍マシ。バイアス入っているんだろうけれど。
アドバイスできるとしたら、医学部内ではない、でも医療系のコミュニティに入ること。
今はCOVID-19問題で難しいけれど、地域の病院実習に行くとか、勉強会に顔を出すとか。
M3で来てくれたら、迎える側もとても嬉しいはず。私はとっても歓迎する。
教員の先生方の中には、必ずあなたのような学生を非常に気にかけてくれるタイプがいるから、それを見つけよう。
みんなが思いっきり悩んでそれでも生きて医療をしている様子を見てほしい。
あなたの育った環境と、それによって培われたあなたの思考回路とは、長い年月をかけて折り合いをつけるしかない。
それについてはカウンセリングとか、認知行動療法とか、いろいろあるけれど、医学部生なら図書館で調べてられるだろう。
お金の問題はあるだろうけれど、ぜひ自分でいろいろ試してみてほしい。その経験は非常に価値がある。
親はいずれ歳をとって、弱くなる。だから長期戦ではあなたに分がある。今の時点で心折ってしまうのはもったいない。
一口に医師と言っても、バリバリ手術する外科医もいれば、研究に勤しむ博士課程の人もいれば
厚労省の医系技官になって、「公務員としてしっかり働いて、法律にかかわる仕事」もいいんじゃないかな。
今のあなたに必要なのは、周りに自分のことをきちんと話すこと。
再受験生、編入生はいる?法律の世界からやってきた医学生は時々いる。そういう人を探すのもいい。
オンラインで人と接さないのは楽だけど、問題の先送りでしかないと思う。
いっぱい話して、自分を開示しまくって、代わりにいろんな意見を吸収してほしい。
私個人としては、あなたのように悩んで悩んで悩みまくった人に、医師になってほしいです。
いつか直接でも間接でも、一緒に働ける日を待っています。
そろいもそろって偏差値40~50のレベルなので、会話が揃わない
そんな親が恥ずかしいと小学生のとき思って、偏差値70の高校、大学に行った
友人は、一流企業ばかりで、30手前にして年収1000万に到達するやつもでてきた
いよいよ、親と会話のレベルが噛み合わない
非常に不快
何を話しても、頭の悪さをむき出しで会話してくる
いや、本人たちはそれで普通なのだろうが、俺にとっては苦痛。つくづく苦痛。
政治経済、社会問題の話はまず期待できないので、最近読んだ小説の話などをする
それもまた噛み合わない
来ているやつらはほとんど工業高校や商業高校を出て、地元の工場で自動車作ってたりしてるそうだ
本当に頭が悪い
アメリカでは共和党支持者と民主党支持者でなにからなにまで趣味嗜好が異なるそうだが、まさにそれ
彼らは、未だに小学校のクラスレベルのコミュニティで人付き合いをしており、
話す内容も、15年前と変わってない
もう、家族にも昔の友人にも、本当に話したい話ができない
大学の友人には、普通に話せるし、彼らも興味を持って聞いてくれる
もう、彼らとは会話ができない