はてなキーワード: ハワイ旅行とは
仕事中にふざけていたわけではない。他体力仕事だが長時間労働の色々とキツイ職場であった。だがバイトから社員の昇格があり更に2、3人だかバイトさんを使える立場になったため変にやる気が上がり辛い仕事でも続けていた。
だか俺増田は辛いのでなんかやらかすのであった。例えば朝自宅で着替える時にダラダラ着替え「レジャーだ!」とか言い出してハワイ旅行に行ったような気分を味わっていた。
そんな異常に加えて昇格したら休みも少なくなり仕事もスピードを求められもうカレーの辛さも倍増しまくりで事件は起こる。
早朝出勤だともう眠いので朝ダラダラと歩いていた。もう歩きながら眠るレベルであり排水溝に足をツッコむ事もあった。
そんな冬の日だから自分を八甲田山雪中の陸軍斥候だと妄想し奮い立たせ「犬死するな!鬼畜米英!」と厨二気分でフラフラ行軍した。業務スピードノルマはあるが通勤速度ノルマはない、遅刻しなければ良いのだ。ルールに厳しい職場だが通勤うんたらは干渉しない所であった、多分。だがだが、それが悪かった。
なんか知らんが上司に見つかったらしい、それかアメリカ軍のスパイに見つかったのだろうか?詳細は知らんが怒られた。常識外のフラフラだと当然怒られだろう、当たり前だ。こうして陸軍斥候ごっこをして上司から怒られたわけである。
私は中高が一貫の女子校で、その間ずっと恋する乙女だった。恋した相手の数は4人。すべて片想いだった。それでも楽しかった。しかし女でありながら女の人を好きだと言うのを周囲にバレるわけもいかず、恋バナなんてしたことがなかった。高校を卒業してから何年も経ち、多くの友人は共学の大学に通うようになったり、バイト先や職場で新しい出会いがあるらしく、日々好きな異性のことを沢山話してくれるようになった。聞いていて楽しいけれど、自分も中高の頃隠さずにこんな風に片想いの話を彼女達と共有できていたらさぞかし楽しかっただろうなと思うので覚えている思い出を放出する。前置きが長くなってしまって申し訳ない。とても長い内容のうえに素人文章なのでご注意
中学の時に好きになったのは、同じ陸上部の三個上のA先輩だった。一年生でまだまだガキだった私はそれが恋とは知らなかったけれど、校内で見かけるたびにドキドキしてしまうのでうまく挨拶ができなくて先輩方に叱られた。一年として学年全体で怒られた後に、私に「うちらも怒りたくて怒ってるわけじゃないよ。悲しまないでね。現状を良くしたいだけなの」とフォローしてくれた。一年は居残り時間が30分短く、先輩よりは下校時間が早くて一緒に変えることはできなかった。何かと理由をつけて部活後も校内に残って待ち伏せしたけど話しかけることはできなかった。きもいな。恋だとはわからないままでも自分はすごく乙女だった。部活の汗の匂いが気になって近寄って欲しいけど近寄れなかったり、少しでも可愛くなりたくてスキンケア用品もお小遣い貯めて買ってみたりした。(とはいっても洗顔料と化粧水だけ)。部活中は一つ結びしか許されていなかったから、無礼講の部内クリスマスパーティでは髪型を少し変えて気づいてもらえるか試したりした。気づいてはもらえなかった。
中2の時に好きになったのは当時仲が良かった友達Bちゃん。体育祭の時に疲れたと愚痴ると膝枕をしてくれた。その子自身は体育の男性教員が好きだったからいつも胸がモヤモヤしていた。夏休み、家族でハワイ旅行に行った時に友達用にお土産を大量買いしたけれど、彼女にはちょっと特別なものを他の子にバレないようにあげた。その時の笑顔が忘れられないほど綺麗だった。でも恋だとは自覚しないまま終わった。
高一の時に好きになったのは同じクラスのcさんだった。すごく仲がいいわけでもなく、勝手に好きになっていた。席替えで隣の席になれた時にすごく嬉しくて、夏休みに入る目前、恋だと自覚した。自覚してしまうといろいろ早くて(思春期なのもあって)キスしたい、ハグしたい、裸で触れ合いたいとか思うことが増えたけど、そんなことは顔に出すわけにはいかない。夜1人で妄想して、朝になったら忘れて何事もなかったかのように隣の席に座った。挙動不審にならないようにわざと冷たく当たってみたりもした。それでも彼女は優しくて、廊下とかですれ違っても「よっ!」と肩を叩いたりしてくれた。久しぶりに私から話しかけると、「やっと話しかけてくれた…無視されて辛かった」と言ってくれたけれど、彼女のそれが恋愛感情からくるものじゃないのは明らかだった。誰にでも優しくて、他人に注意を払うのがとてもうまかった。夕暮れで視界が悪いのに下校途中で私に気づいて手を振ってくれるのはすごく嬉しかった。
高3になってもcのことが好きだった。毎年クラス替えがあったけれど、また同じクラスになった。すごくすごく辛かった。クラスの中心的なその子と話す機会は減った。でもまた奇跡的に隣の席になれた。天にも昇る心地だった。脳内お花畑だったからこれはもう運命では?とさえ思った。調理実習で作ったクッキーを食べて欲しかったけど、スムーズに渡せなくて、席が近隣の子達におすそ分けって苦しい名目で周りに配ったら別の子Dに全部食べられてしまってCの手に渡ることはなかった。Dには怒りが湧いたけれど「美味しかったご馳走さま」と言ってくれたので許した。
しばらくして漫画みたいな出来事が起こった。Dが同じ町内にひっこしてきた。歩いて五分くらいの距離に。私の高校は私立で、近所に同じ学校の人がいるという感覚がこれまでなかったので純粋に嬉しかった。これによって謝恩会の準備や話し合いが放課後に近所でできるようになって純粋に楽だった。実は、もともとDの印象はすこぶる悪かった。Dは中3のとき、離れ離れのクラスになったBが新しいクラスで仲良くしていた子だったから。当時Bが好きだった私は勝手にBを取られたような気でどうしてもDを好きになれなかった。
高3になるとみんな受験で忙しくて、委員会なんてする人はいなくなった。でもクラスに必ず数人いなくてはならない卒業式後の謝恩会委員というポジションがあった。これがなかなか決まらないため、ホームルームが終わらない。Dが一緒にやろうと言ってきた。お前は受験はいいのか、と思いながらほかに立候補者もいないし、なんとなくすることにした。私のクラスは私たち2人だけだった。謝恩会委員はやることが意外に多くて、Dの受験が純粋に心配になった。私はAO推薦でほぼ確定だったので積極的に作業していた…と思う。ある日、Dの分である作業をなんとなく勝手に進めているととても感謝されて腰のあたりに抱きつかれた。cの前だったから恥ずかしくて腕を振りほどいた。CとDは髪型がとてもよく似ていた。うちの高校はキリスト教だったので、全員強制参加の式典が年に何度かあった。秋のある日の式典で、私はどうしても暇でCを目で追ってしまった。それに偶然気づいたDが小さく手を振ってきた。お前じゃない、と思いながらも実はちょっときゅんとした。
ある日の放課後、雑談をしながら謝恩会の作業中、何気もなしに部活の後輩が好きだったことがあると言ってきた。とてもびっくりした。自分も女子校内で片恋ばっかしている人間だったけれど、それを他人に話すということが異文化すぎた。気が動転してそれからしばらくはDのことを避けてしまった。
冬になってまた別の校内式典があった。それは義務ではなくて、行きたい人が行くものだった。99.9%の人が大学進学を希望するのでクラスの中では本番の迫る受験のために欠席する人、気休めと文字通り神頼みのために参加する人の二分だった。CもDもとても頭が良かったから参加するかどうかなんとなく気になった。Cは来ないというのを教室内の会話で知ってがっかりしたが、Dは来ると言っていた。なぜかとても嬉しかった。もしかしたらこれが終わって三学期になれば自由登校で友達に会えなくなるからかもしれないと勝手に納得した。
それからしばらくしてDに放課後に呼び出された。理由は私が避けすぎたためだったらしい。Dは私が最近は目も合わせてくれないと言って泣いた。とても驚いた。避けている自覚はあったけれど目を合わせていないなんて自覚はなかった。だから今度は目を見て話を聞こうと思った。でも出来なかった。そこで初めて私はDが好きなんだと自覚した。目を合わせられないのはあの有名な歌詞通り、見つめ合うと素直におしゃべりできないからだった。急に恥ずかしくなって帰りたくなった。でも帰ったら一緒にいられないと思うとどうすれば良いのかわからなくなって、とりあえず適当に謝ってから家が近所なこともあって一緒に帰った。
謝ったと言ってもそれでまたDとおしゃべりなんてできるようになるわけがなく、言いたいことは全部紙に書いて伝えるようになった。本当に恥ずかしくて会話ができない。でもDと交流したい。Dは手紙にして返事をくれたりした。とても嬉しかった。それから冬休みに入って、三学期になって学校に行くことがなくなっても手紙のやり取りは双方にとって近所の公園に貼り付けるという約束になって続いた。
バレンタインになった。何か渡したいけれども渡す時間を取らせるのも申し訳ない。公園に手紙と一緒に食べ物を置くのも憚られる。代わりに手作りで学業成就のお守りを使って置いておいた(重い上にキモい)。お世辞だろうとも喜んでくれた旨が手紙に書かれていた。嬉しくて家でニヤニヤしていたら家族にキモいと叱られた。
その後、彼女の第一志望の受験前日は3つも神社をお参りしてクジを引いたら大吉だった。うれしくなって、おみくじのことと、明日の受験頑張れと書いた手紙を貼った。結果発表の日が過ぎてもDから連絡は来なかった。催促するのもよろしくないのでそれから次の登校日まで待った。
合格者発表から数日経った次の登校日、学校に行くとほぼ全員受験のストレスから解放されていた。教室ではDが他の子達となんと恋バナをしていた。他のクラスメートたちが、受験期中に同じ塾の男の子相手に密かに恋をしていたこととかを話していた。D自身はどうなんだろうか、不安になった。聞きたいけど怖くて聞きたくないので「いいなぁ楽しそう。もっといろいろ聞かせて?」と他の子に聞いた。するとDが「じゃあ〇〇も恋バナすればいいじゃん。好きな人いないの?」と聞いてきた。胸がとても痛かった。その日のうちにD本人から、実は第一志望に合格していたと聞いた。嬉しかったけれど、どうしてすぐに伝えてくれなかったんだろう。そんなこと話す間柄とすら思ってもらえてないのかと、また胸が痛くなった。
卒業式の帰り、謝恩会も無事終わり、クラスの打ち上げも解散に近づいた頃、Dに、今日は一緒に帰ろうと言ってもらえた。とても嬉しかった。私の大学は地方だったから多分これがDに理由もなく会える最後だと思うと泣きたくなった。帰り道は何も話さなかった。誤差の範囲だけれどDの家に先についた。お別れの時だ、と思ったら、Dがマンションの共有スペースまで上げてくれた。一緒にケーキを食べた。告白するべきかしないべきか、すごく悩んでケーキを食べ終わってもずっと無言で泣いてしまった。Dは私が何かいうのを待っているようだった。その時、母親からもう帰って来いと電話が来たので仕方なくさよならを言った。Dは地方でも頑張ってと応援してくれた。私は泣きながら短い距離を帰った。
本当のところはわからないけれど、おそらくDは私がDを好きだと気付いていたんだと思う。でもわたしには告白する勇気もなければ、このあと地方に自分は行くのに、Dが大学で彼氏を作るのを見ているのは辛くて無理だった。大学に入ってしばらくして、私は、自身では記憶にないが飲み会で盛大に酔っ払ったらしく、ライン電話でDに泣きながら告白していたらしい、というのは飲み会に参加していた別の友人に聞いた。Dのリアクションはわからない。電話口だったので私にしか聞こえていなかったし、私本人が酔って忘れてしまった。そのうち、私が1回目の帰省をする頃には風の噂でDに年上の彼氏ができたことを聞いた。私は泣いた。多分もうDとも関わることなんて、同窓会以外ないだろう。私はいつまであの時に囚われているのかわからないけれど、あれ以来人を好きになったことがない。もう22だけれど、中高で経験した以上の恋愛ができる気がしない。それでもいいと思っている。後悔もない。充実した青春だったし。これが私が学生時代、仲の良かった友人としてみたくても出来なかった恋バナの内容。
時差は19時間だが、実用的には5時間違うと思っておいて良い。
飛行機の中では時差ボケ解消のために寝ずに起きていて、夕方に日本についた。
新婚旅行に行かない/行けないカップルがいるのも知っている。行けるだけありがたいと思っている。
「休みの間は一切仕事を忘れていいから」と言ってくれた。ありがとう上司。
行先は嫁の希望で決まった。
嫁は英語が一切わからないというので、多少なりとも日本語が通じる場所が良かったらしい。
テレビでハワイのおすすめスポット紹介みたいなのを見るたびに、
どーせ楽しんでるのは撮影してるお前らだけじゃねーか、とかよく分からないひねくれた思いが頭に浮かび、
クアロア牧場は本当に良かった。素晴らしい景色を眺めることができた。ステーキハウスの肉もおいしかった。
海水浴に行ったら一瞬だけだけどウミガメを見ることができたし、バスの中から虹も見れた。
ウミガメを見たら幸運なことが起きるらしい。記念にウミガメのキーホルダーを買った。
嫁とほっともっとの弁当を食べ、眠くなったので、仕事に備えて22時くらいに寝た。
夢を見た。
俺は誰かを謀殺したらしく、警察に追われていたが、そんな中で俺はゲームセンターに立ち寄った。
俺がゲームセンターで10人くらい並んで椅子に座って楽しむゲーム(競馬ゲームみたいなの?)に座ってゲームをやっていると、
誰かが隣に座って寄りかかってきた。
誰かと思えば、少し呼吸が荒くなったばーちゃんが、俺に寄りかかって寝ていた。
俺は呼吸を確かめ、席に向かいなおした。ばーちゃんはまだ生きていた。
その後俺は少し画面に夢中になった。ばーちゃんのことは一瞬忘れた。
ふと気付くと、寄りかかっていたばーちゃんがいなくなっていた。
気付いたら床にばーちゃんが倒れていた。
危篤の連絡を受けて、亡くなる1週間くらい前に見た、細くて軽い、少し熱い体だった。
抱き上げたら、ほとんど呼吸していないように見えた。
俺はばーちゃんがこのまま死んでしまうのではないかと慌てて、「ばーちゃん!ばーちゃん!」と叫んだ。
幸いばーちゃんはまだ息を引き取ってなかった。
ばーちゃんはこっちを見て、「いっしょ、いっしょ」と答えてくれた。
そこで俺は「あれ、ばーちゃんは死んだはずじゃ?」と思ったところで、これが夢だと気付いた。
夢だと気付いた瞬間、俺は現実でも泣いていることに気付いたと同時に、夢から醒めそうであることもわかった。
「まって、まってくれ!」と強く願ったが願いはかなわず、目が覚めてしまった。
目が覚めたら、やはり号泣していたことに気付いた。声を出して泣いていた。
泣きながら寝たことはあったが、泣きながら目が覚めたのは人生で初めてだった。
数年前、お盆休みに実家に帰ったときにばーちゃんに会ったら、「すこーし熱の出て下がらんもんねー」と言っていた。
「若こーはなかけん、早よー病院に行きんしゃい」と答えた。飯の量も心なしか減っていた。
体から老人ホームの臭いがしたのが少し気になったが、歳を取ったらそんなものかと思いつつ、帰省は終わった。
俺が実家に帰ったあと、病院に行って検査入院して、そのまま3か月後に亡くなった。
飯が食えなくなったとのことで、どうやら寿命だったらしい。
何の気なしに病院に行くのを勧めたんだが、あの時勧めて良かったのかどうかは今もわからない。
危篤と聞いて俺が駆け付けた時には、意識はあったもののほとんど話ができなくなっていた。
俺が話しかけると、たまに声にならない声で応えてくれるといった有様だった。
ずっとついていたいと思ったが、遠方に住んでいたのでそういう訳にもいかず、
その5日後に亡くなった。
嫁は何もなかったかのように隣でぐっすり寝ている。
嫁は夜勤付きの看護師で、どんなタイミングでも寝れるのが特技だ。
ばーちゃんに嫁と合わせて話をさせたかった。プロポーズしようと思った矢先だった。
そもそもばーちゃんが生きてるうちに嫁の顔を見せてやろうと思って始めた婚活だった。
いらっとすることもあるが、それでもうまくやっている。
嫁の寝息を聞いていたら、また泣けてきたので、PCの前に座ることにした。
この夢を記録しておきたいと思った。
時計を見たら夜1時、ホノルル時間で朝6時。いつの間にか2時を過ぎていた。
時差ボケ解消ならずということか。
いっしょだよ。お土産買ってこなくてごめん。
書いていたらまた泣けてきた。
当分寝れそうにない。
ここ最近、陰部に痒みと痛みがあった。
カンジダの再発だ。
季節の変わり目になるとやってくるやつ。
扁桃炎にならなくなってきたと思ったら下に下がってきた。
何度か再発を繰り返していると、もう自然治癒力に任せていいんではないかと思えてくる。
実際、直近2回ぐらいの再発は気のせいだと言うことにして無視した。
多嚢胞性卵巣症候群の治療をまた放置し病院へ行きづらくなってたから。
が、どうにも痒い。
寝ても冷めても痒いし、違和感がある。
そして、下腹部痛も痛い。
重い腰を上げ病院へ行った。
1時間ぐらい待って診察。
陰部を見られるのに抵抗はないけど、何故かあの婦人科特有な椅子にまたがるのには抵抗がある。
そーいえば…
ここの女医さんは触診しないけど、他の先生(男性)にはされてたような…
それって…?やっぱ触って置きたいものなのかな?笑 違うか。笑
痒みはカンジダで正解。
大当たりでハワイ旅行だったら良かったな〜。
現実では、冷たい器具で膣を開かれて、そこそこ雑に綿棒的な何かで膣内に薬と冷たい消毒液をつけられる。と言う、なかなかの苦行だ。
下腹部痛があるのと、治療途中になってる多嚢胞性卵巣症候群の様子を見るのに、膣内エコーを撮る。
すると…
「んー、左の卵巣が腫れてるねぇ。6cmぐらいかな。腫瘍だね。これはウチで処置、要するに手術なんだけど、できないから大きい病院で見てもらってー。」
ながれで、さら〜っ。と言われたからその場ではイマイチ理解できないまま診察室に戻る。
診察室でエコーを見ながら
「これね、普通は1〜2cmぐらいの大きさなんだけど、加瀬さんの左の卵巣は6cmまで腫れてるんだよね。つまり卵巣腫瘍なんだけど、ここまで腫れてると手術になると思う。とりあえず、次来たときにまた見てみて様子が変わってなければ大きい病院で診てもらって。今日はこれでおしまいです。」と、改めて説明されるも
ほーん。まぁー、多嚢胞性卵巣症候群と診断されてるにもかかわらず定期通院もしてなかったしなぁ。月経事に限らず、自分の体についてはあまり関心を持ってこなかったし、しゃーないな。ぐらいにしか思わなかった。
そういえば、思い出すと、確かにお腹が刺すように痛いなと思うときはだいたい左側だったし、触ると違和感を感じる事もあった。
原因はなんですか?と聞いたら、「腫瘍ってものは原因がわからないから、コレからも調べるんですよ。」と淡々と答えられた。
どーもここの先生はホスピタリティに欠けている気がする。ホスピタルなのに。
(正確にはクリニック。笑)
先生が詳しく「卵巣腫瘍」について説明してくださらなかったので、遠回しなggrksなのだな。と思いながら、会計待ちでggってみた。
卵巣腫瘍=卵巣癌、または、卵巣癌になりうる可能性が非常に高い なのかと思って調べてたけど、そうでもないらしい。
ほほんどが良性ではあるものの5〜6cm以上ものは手術対象になる?みたいな事がわかった。
(イマイチわかってない。)
まだ、検査段階だからか、全然悲壮感とか不安?絶望?みたいなのは感じず
初潮から10数年まともに生理が来てたこともないし、親もそれについては全くの無関心だったし、むしろ嫌悪すらしてたしな。しかたないなー。
子供って作れなくなるのか?
あ、いや、そうじゃなくて。
まぁ、そこまで欲しいわけじゃないけど…
彼氏に言うべきだろうか?言うべきだろうな〜。ガチ手術って事になったら病院の行き帰りとか、手続き?みたなのに同行して欲しいしな。どう言おうか。
この体格(ウエスト100cm越えるQueenサイズ)を手術しなきゃいけなくなる先生大変だなぁ。
一層、癌の方が箔がつくんでは? 周りが優しくしてくれるチャンスなんでは?!仕事も公的に休めるぞ!
いや、でも、遠く国外に暮らす親より先に死ぬのはさすがに申し訳ないな。ていうか、親にも説明しなきゃなのか?んー。めんどくさいな。
まぁ、とりあえず、それなりにいい人生だったな。
と、最終的には、既に余命幾ばくもない癌宣告でもされたかのような謎のテンションになった。笑
家に帰って、夜になったけど、まぁ、気持ちはそれほど変わらず。
カンジダの増殖してる膣は相変わらず痒い。
薬塗ったほうがむしろ痒い説。
こんなオワコンの日本に生まれちまって、もう新元号を迎えちまった20歳の自分は何すりゃいいのかね
日本は2次元コンテンツの源流だし東京や東京近辺にいれば金以外に趣味で困ることはないし治安、衛生もいいとされてる先進国だ
なのに出生率は1.43(2018年)で駄々下がるばかりだし幼稚園の待機児童だの育児問題だのはなかなか解決されないからそのせいで今もこれからも年金はクソほど減ってくし
性差別は男女どちらにもまだ存在しているしLGBTQや身体・精神障害者にも同じく差別はあるしそのせいでフェミ(というよりミソジニスト)とオタク(というよりミサンドリスト)の言い争いは耐えないし
ブラック企業や○○ハラスメントという、問題にテンプレ的な呼称が与えられて問題視されるようになったけど全部の会社や仕事がクリーンになったわけでもないし
よく「クールジャパン」とか言われて称えられたアニメやCGも、最近はアメリカや中韓がこちらを後追いしつつある(例えばスパイダーマンスパイダーバースとか、アプリゲーの崩壊3rdや非人類学園の公式がうpってるアニメとか見たら「外国製www」って笑えんくなるぞ)
自分は一応今将来どこか外国で暮らせるように英語やフランス語勉強してるけど、やはりどうしても日本文化に染まりまくった俺は日本を離れるのが苦しい。数年前家族でハワイ旅行行ったけど、アプリゲーがログイン専になったりYouTubeが一部見られなかったりするのがきつくてきつくて地味に「早く帰りたい…」って思ってた
こういうこと言ってると親が「そんなに言うなら政治家にでもなって世間を変えなさいよ!」って言うけど、もしそうなろうと本気で思ってるならもっと昔から勉強してる。でも今の政治家をニュースなり国会中継なりで見ていて自分はむしろ「せっかく勉強して選挙に受かったところで、あんな誰かを蹴落すのが本性みたいな奴と同じになんてなりたくねえ!」って思ったよ
ペルソナの主人公みたいに、そう簡単に世界を変えるなんてやっぱ出来ない。出来ないからこそああいう作品に憧れや希望を抱くんだろうな
…なんか脱線したけど、やっぱ日本に生まれて日本のオタクコンテンツにズブズブになった日本パラサイトの自分は日本に骨を埋めるしかねえのかなぁ
卒業式で袴や振袖が着られない小学生はそれはその子個人は惨めな思いもするだろうし、その後の中学校でいじめられるかもしれないし、その子の内面的世界ではものすごく不幸だしあるいは地獄を感じるかもしれない。けれど、それがじゃあ貧困なのか? っていったらどうなんかね。
この種の貧困って撲滅可能なのか? いや、この貧困は例えば「全小学生に振袖レンタル料の給付」みたいな方法で(バカバカしいというのは横に置きつつ)撲滅できるかもしれないが、そうして撲滅したところで、このレベルの他の格差光景が次々と抽出されていたちごっこになるだけなんじゃないのか?
そして仮にじゃあ面倒だ、貧困家庭に40万円給付します! ってなったら、この家庭は一家で温泉旅行に行って結局子供は袴も振り袖もきられないままになるんではないのか?
生活保護の金額を割り込むようなワーキングプア、絶対的貧困というのは理解できるし撲滅すべきだと思うのだが、日本の相対的貧困ってどこが問題でどうすればいいのかさっぱりわからない。そして相対的な貧困よりは上のラインだが中央値には届いていないような「ちょっと収入が少ない家」も、振袖が着られないとかハワイ旅行に行けないとか幼稚園に入れないと喚けば、社会補助をしなければいけないような風潮になるのか? なんか先に痛みを表明したもの勝ち社会にみえてくる。
私と妻と4歳の息子の1家3人。妻の両親と、いわゆる「スープの冷めない距離」に暮らしている。
ハワイが好きで留学経験もある妻のために、普段から質素倹約に努め、外食やレジャーも我慢して、やっとたまったマイルを掃き出してハワイ旅行を計画していたのだが、妻が自分の両親も連れていきたいと行ってきた。
・孫の面倒をよく見てくれる。
・孫もよくなついている
・義父母のことは好きで、義父母も私のことも気をかけてくれているらしい。
以上のことから、行ってしまえば恐らくそれなりに楽しめるのだが、どうにも気が向かない。
というか、一緒には行きたくない。
・家族3人だけの思い出を残したい。せっかくの家族旅行は水入らずで楽しみたい。
・息子と思い出を残したいが、息子と義父母がベッタリになってしまうのが目に見えている。
・家計に余裕がなく、と言うか火の車で、次に海外旅行に行ける見込みもない。
・将来、自分の両親をハワイに連れていけるだけの余裕はまったくなく、あわせる顔が無くなる。黙っていくことすら考えている。
国内旅行やサイパン・グアムくらいならカバン持ちでもなんでもやってニコニコついていくのだが、せっかくのハワイに、行きも帰りも同便、部屋は違えど同じホテル。これで非日常感を味わえるはずもないし、私のせいで雰囲気が悪くなるシーンも想定できる。
PCデポの件も話題になっているので、私の母が最近あった詐欺(と言っていいと思う)について被害者を増やしたくないので書く。
ハワイ旅行に行くためには、ESTAというビザのようなものの申請が必要なのだけれど、申請するにはWEBから公式サイトから申し込む必要がある。
しかし、Yahooで「ハワイ ESTA」のようなワードで検索すると、検索結果の広告枠にESTAの申請サイトとして
ESTA申請ウェブサイト | esta-center.com(非公式サイト)
ESTA申請 日本語ウェブサイト | esta-website.com(非公式サイト)
ESTA申請 米国渡航認証システム | apply-esta.info/ESTA-USA-FOR-JAPA(非公式サイト)
などなど
ここからESTAの申請は可能なのだけれど、これらはあくまで申請代行サイトで、公式サイトから申請した場合の数倍の価格を要求されるので注意してほしい。
googleで検索した場合は広告枠にこれらサイトは表示されないので、googleはこれらサイトを広告を出すべきではないと判定しているのだと思う。
(Yahooは広告表示が甘い。間接的に詐欺に加担しているといえる。)
無差別であったり、むしろ日本人が標的になっていることを考えれば恐ろしくもある。
被害にあった人とその家族や周辺の人たちの気持ちを考えれば悲しみや憤り、かと言って何もできない虚無感なども痛いほどに伝わってくる。
それはわかる。
でもどうしてそれで今年のハワイ旅行を中止するというのだ嫁よ。
バングラディシュでのテロは明確に外国人が標的にされている。それならばそうしたテロの中心国に近づかなければいい。
アメリカでの銃乱射事件は主に大学など明確なターゲットを持って行われている。だったら無差別テロが起こる可能性は低い。
それにハイジャックの危険性だって、911以降アメリカの空港におけるセキュリティは胸糞悪いくらいに厳しくなっているのだから、車で出かけるよりよっぽど安全だ。
中東と地続きのアジア・ヨーロッパ諸国に行くわけでもないし、海から気軽に密航できるような近隣国に行くわけでもない。
大量の武器を持ち込むのにはとてもリスクの高い南国の孤島に行こうと言っているのだ。
大剣幕で「こどもたちに何かあったら責任が取れるの?」と怒鳴っているが、それは国内においても同じことではないか。
それにそもそも海外旅行自体が少なからずリスクの上に成り立っているものではないか。
それでもそれ以上の感動や経験が待っているからこそお金を払ってでも行くのではないか。
嫁が言うにはママ友達の中にもこの夏の旅行を中止する人が多くいるらしい。
それにはまったく呆れて言葉も出なかった。
いつか必ず訪れる死を怖がりすぎるあまり今を生きることを諦めてしまってどうするというのだ。
嫁の不満そうな態度も相まって、今年は耐え難き退屈な夏になりそうだ。
職場で『ハワイ旅行が云々』『ハワイのリゾートホテルに泊まりたい云々』の話題が出たのだが。
ハワイって、一体どこがいいの?
自分が鉄道マニアなので、『鉄道がある海外は行くが、鉄道が走ってない海外には行かない』というのもあるが、
『南の島でのんびり』というのが、あまり性に合ってないのかもしれない。
・でもどうせ南の島に行くのなら、物価水準が途上国な南の島(セブ島・ペナン島・プーケット島・バリ島など)の方が、
『コストパフォーマンスに優れている』のではないか?
現地散財費用が同じ10万円でも、ハワイで散財するよりセブ島で散財する方が、より多くのサービスが受けれる筈
ハワイでバーベキューが云々というのも、地元ならではの食材が少ないから、という気がする。
・周りが海に囲まれているのだが、海鮮料理が云々、というイメージもない。
海の幸って、寒流と暖流の接点とかが美味しかったり、『寒さで魚の身が引き締まったり』で、
それなりに『寒くない』と、美味しくなかろう。
・『先進国の領内なので、治安の点で安心できる』『日本語の店が使える』というメリットもあるのだろうが、
グアム・サイパンだったら『飛行機搭乗時間が短い』『時差が少ない』というメリットがある。
言語は日本語だし、時差ゼロだし、最近だとLCCで安く行ける。
一方、ハワイにはLCCがない。
・『観光資源』という観点でも、ハワイアンダンスしかないハワイより、
バリ島とか沖縄の方が、土着の文化を堪能できて観光資源が豊富。
・・・と考えると、ハワイって冷静に考えると『観光的には、大したことないじゃん』という結論に至るのだが、
逆に『俺はハワイに毎年行ってるぞ!!』という増田民がいたら、どんどん反論してほしい。
たとえば、コンプリートするとXXがもらえます。という条件をつけて売るも
その中の一種類が めちゃくちゃレアで実質 コンプリートできない。
たとえば、コンプしたらハワイ旅行プレゼント。なんだが、その内の一種類が ハワイで発売してる。とか。
周知する前に売られていて販売個数0とか いろんな 悪徳商法が作れる。
そこまで、あくどくなくても、実質 かなりの高確率とかな。
そのため、コンプしたら何かを上げるは 包括して禁止になってる。
メーカー側が際限なく確立を引き上げられてそれが消費者にわからないというのが理由。
(もちろん、コンプ元が ランダム性が低く、入手性が極めて高ければ 問題にはならない。)
韓流とアニメとアイドル(笑)系J-POPって、売り方に共通点ができてしまって。
共通点は固定ファンが一定数いて、そのコアな層の金払いが(このご時世にしては相対的に)いいこと。他にも似たようなジャンルは存在するけどとりあえずこの3つだけで話をする。
マーケティングのどこが似ているか?たとえば、「同じ映画を同一人物が複数回見ると特典がつく」というようなシステムは、韓流系映画とアニメ映画以外ではほとんどみかけない(これらのジャンルでも少数派だけど、ほかは絶対もっと少ないってば)。「何度でも見るような客がいる」からなされるのは明らか。
DVDやCDに特典をつけることで売り上げを確保する手法も重要。初回特典重要。普通の映画とかでもそれなりにあるけどさー、ひとりで二枚でも三枚でも買わせることすらやるのは、ねぇ(AKBほど極端な例はさすがに他では知らんけど、ローソンのアニメ系タイアップじゃあペットボトル箱買いネタはあったよね。実話かネタ画像か知らんけど)。
アニメのうち、特に深夜アニメは、作る側としては通常TV放送ではむしろ金を払って放送しているので赤字。キャンペーンとして放送して、あとから回収する。韓流TVドラマについてコンテンツが安いとか安くないとか諸説流れていて、まぁ作品によってもちろん値段は違うわけですが、レンタルビデオ店やセルビデオとの関連を考えれば深夜アニメのそれとの共通点も見えてくるでしょう(似たような現象で映画でもマイナー系では映画館では赤字になることが分かっていても宣伝効果等を考えてDVDセールスのために上映することもある)。日本のTVドラマで同じだけDVD/BDが売れる作品ってそんなにないですよ(もちろん、売れてる作品はちゃんと熟れてる)。作品数でいえば日本よりアメリカものの方がむしろ売れてるんじゃないかな(周辺グッズ収入は、調べてないけど多分アメリカものより韓流ものの方が売れてるだろうから、やはりTV放送を中心とした売上構造という意味では売る方が頼りたくなる構図は存在してしまっている。コンテンツの品質を放送側がどう思っているかとか無関係なところでも)。まぁ、韓流系のTVドラマとかは売上のピークは過ぎてるので、本来なら減っていくのは時間の問題のはずだけど(細かいことを言うと、韓国側が売れなくなった時にたたき売りになったら買われるとか、抱き合わせ商法的売買とかが入ったりすると、そんなにきれいに減少しないのだけど)、これは相対的なものなので、他に代わりになるコンテンツが出てこないことには時期は正直予想困難。
まー、どっちにしろ、それがすべてではないけど、「コンテンツが商売になりづらい時代の商法として儲かるものは使っている」という側面は確実にあるので、今後のマスメディアやこのてのコンテンツがどうなるか正直自分には予想はできないけど、短期的にはちゃんと作り手に金を流さないで「韓流流すな」つって変わると思うメンタリティが理解できない。
ちなみに、「韓流専門番組は以外の番組にまで韓国ネタが出てくるのがごり押し」とかいう別っぽい意見もみかけるけど、上記の話との結びつきは明確だし、そもそも韓国旅行者数ってこの10年以上みてもそこそこの人数なのでネタとしてほしい人が一定数いるのは明らかで「仕掛け人」「ごり押し」が「なければ」…「減った」可能性はあるかもしれんけど、全部「ねつ造」で説明できるというのはちょっとね。
中学まではそれなりに裕福な生活してたんだ。
でも家業がつぶれて親父自殺、結婚寸前だった姉貴はそのせいで結婚流れた。
実家も会社名義だったから手放して、2DKのアパートに引っ越した。
姉貴は俺よりも裕福な期間が長くて大学卒業まで本当にお嬢様育ちだった。
その姉貴もすげー辛かったはずなのに働いて俺の学費出してくれてた。
絶対元の生活に戻ろうと決心した。
でも、マックやコンビニのバイトの時給なんて700円とかで全然足りないんだわ。
だからババア相手に売春しながら金溜めて自分でビジネスすることにしたんだよ。
ビジネスのイロハを覚えて20歳の誕生日に当時流行ってたWEB系の会社を起業。
はっきり言ってダンピングしながら仕事取りまくって、学費と生活費をまかなった。
在学中に国際発表2回、査読論文を1stで1本。共著だと14本ある。
学会でスカウトしてきた某企業に入社した。会社は他人に売った。
自分の給料削ってでも良いエンジニア集めてたから業績も良かった。
1年目に会社売った金で一度手放した実家を買い戻した。空き家になってて修復に結構かかった。
2年目に税金でヤバいことになったけど、色々と裏技を使って乗り切り、しかも姉貴がすげーいい人と結婚した。式代は俺が出した。
3年目に姪っ子ができた。母親が孫出来てめっちゃ喜んでた。姉夫婦から死んだ親父の代わりにって頼まれて俺が名前つけた。
4年目は同期で最速のマネージャーに昇進、配属がUSになって1年海外勤務。インド人相手に格闘してた。
5年目の今年で年収1000万超えた。
年に2回、夏休みとクリスマス休暇に俺の金で姉貴家族と母親を昔親父がしてくれたように海外旅行に連れてってやれるようになった。
今年も今日の夕方の便でハワイ行くんだよ。母親と姉貴にエステとか贅沢させてやるんだ。
なのに昨日、研究室の同窓会に久々に顔を出したときに2次会で同級生に言われた言葉で腸が煮えくりかえってる。
『お前は勝ち組で甘い汁吸って良いよな』
『金あんでしょ?奢ってよ。』
周りもそんな雰囲気になってなんか、金出さない俺が悪いみたいにみんな言うんだ。
なんもしないで研究室のコネで日立とか入ったのはどこのどいつだよ?
ヤメとけって言ったのに自称ベンチャーの零細企業に入ったのはどこのどいつだ?
なんで俺が面倒見なきゃならないの?
当然の結果だろ?
なんで金出さない俺が悪いみたいなことになってんの?
そもそも俺自身は金なんてホトンド持ってねえんだよ。
持ってるわけないじゃん。
俺が稼いだ金は全部、家族のために使ったの。
お前らに使う金は1円も無いの。