はてなキーワード: テレビアニメとは
これも昭和の女性(60代以上)なら当たり前の価値観なのだがな。
まあ時代モノとしてではなく、あたかも同時代的なグッズとして販売してしまったのが原因かな。
「マイメロおばあちゃん名言」として売ったなら炎上はしなかった。
2005~09年放送のテレビアニメ「おねがいマイメロディ」シリーズに登場するマイメロディのママの「名言」を使ったバレンタイン向けの商品が論議になっている。
「女の敵は、いつだって女なのよ」といった表現があり、ジェンダーバイアスを助長するのではといった批判がツイッター上などの一部で出ている。アパレル大手「ワールド」の子会社とのコラボ商品を監修したサンリオは、こうした商品の発売を中止すると取材に明かし、「今後の商品企画に活かしていく」としている。
■「今見たら女らしさ、男らしさの押しつけ満載」などの声も
おねがいマイメロディは、テレビ大阪が制作し、テレビ東京系で2005~06年に放送された。サンリオのキャラクター「マイメロディ」を原案としており、人気を集めて続編も次々に放送された。マイメロディのママは、毒舌を得意として、放送中もお茶の間で話題になった。
ママの「名言」を使った商品は、デザインアイテム「マイメロディのバレンタイン」の1つとして、ワールド子会社「ファッションクロス」運営のブランド「ITS'DEMO(イッツデモ)」で2022年1月18日に発売が予定されていた。イッツデモの公式ツイッターで21年12月21日に告知されるなどした。
それが、公式ツイッターへのリプライなどで疑問や批判が増えてきて、22年1月12日には、いくつかのまとめサイトも取り上げる騒ぎになった。
「名言」を載せた商品は、いくつかあり、ピンク色でデザインされたノートブックでは、「ママと愛のレッスン」と英語で書かれ、マイメロやママのイラストとともに、様々な「名言」が表紙に出ている。
「傷ついた心の絆創膏は新しい恋よ」といった男女を問わないものもいくつかあったが、主に論議の的になったのは、「女の敵...」のような男女別のものだ。
「一度や二度の失敗でくよくよするような男をつかんだら一生の不覚よ」
「男って、プライドを傷つけられるのが一番こたえるのよ」
「そういうキャラクターなんだからよくない?」の声もあったが...
こうした「名言」について、ツイッター上では、「今見たら女らしさ、男らしさの押しつけ満載」「現代と感覚がズレているんだな」「なんでそれをそのまま今出してくるの」といった疑問や批判が相次いでいる。
一方で、マイメロママ「名言」の商品化について、理解を示す向きもあった。「アニメのマイメロ見てた層なら不思議には思わない」「そういうキャラクターなんだからよくない?」「クレームは気にしないでいいと思います」などの声も寄せられていた。
ネット上で出ている疑問や批判について、J-CASTニュースでは、商品を監修したサンリオの広報課に1月13日から取材を申し込んでおり、17日になってコメントがあった。
疑問などをどう考えるのかについては、回答はなかったが、「今回の商品は、バレンタイン企画として進めたシリーズでしたが、一部商品の発売を中止することにいたしました」と明らかにした。そのうえで、「このたび頂きましたご意見は、今後の商品企画に活かして参ります」としている。
イッツデモの公式サイト・ツイッターなどでも17日夕、「『マイメロディのバレンタイン』一部販売中止のお知らせ」と題して報告があった。そこでは、「バレンタイン企画として進めた一部の商品の発売を中止することにいたしました。ご了承ください」と説明している。
なお、イッツデモの公式ツイッターで行われた商品の告知は、すでに削除されている。
(J-CASTニュース編集部 野口博之)
(1) 恋人のいない人に限って、人の恋を心配したがるものなのよ。
(2) 結構いるのよね。自分は大したことないクセに偉そうにするコーチって。そういう人に限ってムチャなコトを他人に要求したがるのよ。どうせ自分じゃできないのにね。
(3) お友達はちゃんと選ばないと あとで自分が後悔することになるのよ。
(4) 相手を見定めるならランチからの方がいいわね。イキナリ、ディナーは…ダメよ。
(6) 女心は秋の空より、移り変わりが激しいのよ。
(7) 人ってね、権力を手にすると己の器も弁えず使ってみたくなるのよ。
(8) 男は先手必勝よ。
(9) 1度や2度の失敗で、クヨクヨするような男をつかんだら、一生の不覚よ。
(11) 女の子が気にしてることを言うような男は、ぶってもいいのよ。
(13) 男のコの”いつかオレはやるぜ”は、当てにならないから信じちゃダメよ。
(14) 周りが見えなくなる、それが恋なの。
(15) 昔話ばかりしてる男ほど、将来を期待出来ないものよ。
(17) 恋に不器用な男ほど、無口な自分をカッコいいと思っているのよ。
(18) 女の子にわざと他の女の子の話をするのは、不器用な男の子が構って欲しいからよ。
(19) 男って、プライドが傷つけられるのが、1番応えるのよ。
(20) 頂点を極めると輝きを失う男っているのよね。
インターネットを通して動画のDL・配信が可能になった自体と技術的に被ってるんだよね。
それとファミコン以降の超コンシューマー一色時代があったから「PCゲー≒マニア向けの雑魚」みたいな偏見があった。
そこにテレビアニメばりの映像とOPソングをぶら下げてきたエロゲが超すごいって扱いになった気はする。
これの何が強いって、ゲームやったことがない人でもどっかで動画を見るだけで「これはちょっと舐めてたかも知れないぞ」って勝手に思ってくれる。
エロゲ黄金期において本当にエロゲをやっていた人口とはまた別に、エロゲをやってないけど最近のエロゲは凄いと聞いている層の存在によってあの界隈の都市伝説感が熟成されたように思う。
それを成立させたのは、有名ブロガーがエロゲの感想で盛り上がっていたこと、実社会において気持ち悪い奴らが怪しいDISのやりとりをしていた光景、そしてネットに無数に転がる高クオリティのOP映像、これらが作品自体の売上や品質以上にその存在に対しての熱狂的な共通幻想を形成したのではないだろうか。
都合2度テレビアニメ化されているはずだが
概ね、作品としては(おそらく)2期目のほうが好評だったと思う。
しかし、おれは1期目の花右京メイド隊には本当に助けれられた。
爪弾きにあいながらもなんとかかんとか生きていくことが出来たのは
家に帰れば、
その歌を聞くことが出来ると、
あの歌を聞けばすべて忘れることが出来る、
と、そのことを励みにしていたからだ。
内容なんてひとかけらも覚えていない。
でも、そういうことではないんだ。
人生には後から考えると信じられないほど、どうしようもない時期というものが存在する
(と同時に後から考えると、それほど深刻に捉える必要もなかったのだ、と気づくがそれは別の話)。
そういった時期に俺のような生粋のKKOが生きていくために必要な何か、
それを与えてくれたのが花右京メイド隊だった。
なんでもかんでも目についたものを
叩くのはやめて欲しい。
洋画・邦画に限らずここ1,2年に公開された新作映画がことごとくつまんない
映画ってまず最初の20分ぐらいかけて観客に状況把握をさせるっていうのがセオリーで
セオリーを破るとしたらシンプルな進め方をしないと観客がついて行けない
ロード・オブ・ザ・リングだってスターウォーズだって丁寧に世界の説明するでしょ
最近の映画は説明なしにどんどん登場人物だけ増やしていく(しかも魅力が無い)から全然話の内容が分からんし追いつけない
後半になって最初の方に出てきたあいつが実は犯人でしたーとか言われても
「は?誰?」
現在アニメの一つの主流となっている声優に歌わせ踊らせるアイドル系作品だが、コロナ流行下においてもリアルライブを行えるほど体力の残っている作品はごく少数であり、コロナ禍が長引けば長引くほどこの形式はさらにどん詰まりに近くなる。
ここ1年でVtuberがアニメ・ゲームの声優として起用される例が増えている。
しかし現在はまだ脇役としての起用が基本であり、メインキャストに添えた例は今のところ邪神ちゃんしか知らない(しかもオーディション込みで、Vの起用は結果であって前提ではない)。
だが、数年後はどうだろう。有観客ライブですら人数制限が続き、時世次第では興行不可能とまでなる声優アイドルより、ネット上でライブ配信ができるVtuberをアイドルとする方向に移行していく可能性は高いように思える。
今後3年以内に「メインキャストが全員大手箱所属Vtuberのテレビアニメ作品」が出現するのは間違いない。
おそらくツイッターは燃え、5chとニコニコはネガ記事にあふれ、ふたばではスレを立てただけで荒らし認定されるような作品になると思うが、少なくとも序盤は多くの人間の支持を得る(これが持続するかどうかは脚本次第)だろう。
一度そのような作品が現れれば、あとは雨後の竹の子である。気づいたときには、声優に求められるものは歌やダンスからAPEXの腕へと変わっている。
万能なように思えるVtuberの声優起用だが、現在でもゴリ押しだと批判する声も少なくはない。その問題は、V声優が一般化してこそ根強く実体化する。
メインキャストが全員Vtuberの作品は黎明期こそオリジナルを中心として慎重に制作されるだろうが、いずれ中身のVありきで原作つき作品を改変する「ジャニーズドラマ型アニメ化」が出現するはずだ。
初めから売れなさそうなアニメであっても、人気Vtuber出演という箔がつけば視聴者が集まると安易な考えに至るアニメプロデューサーは少なくはないと思われる。
さらに現状の案件配信やソシャゲのVコラボを見ればわかるが、必ずしもリスナー側が作品に興味を持つとは限らないという点も重要である。
ネットと現実の温度差は今後さらに増し、「アニメ化したのに話題になるのは主演のVばかりで原作はちっとも盛り上がらない」という例が増加すると考えられる。
本当に事実か?
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このあたりをサンプルとして「主要登場人物のうち一人でも美少年・美少女と作中で明言されているアニメ」の割合を出してみるべきではないか?
漫画をどれだけ深く読み込んでるかで成否が決まってくるような問題が出たのかと思ったらそうではなかった。
どうでもいいからうろ覚えで書くがようはたとえば「ねずこの口枷してるときの声はどうやって出してるのか」みたいな問題だった。
こりゃ漫画端から端まで読み込んでも解けないどころかスタジオ内での漫画のカンニング可だっただったとしても答え導き出せないわ。
たとえるなら六法全書持ち込み可の司法試験よりある意味理不尽。
小学生が見事優勝したようだったけどこいつはこいつで逆に初期のタイトル案や「親殺しの火」である爆血からネヅコの元ネタが日本神話のカグツチらしいってこととかは知らないんじゃないかね。
当たり前っちゃ当たり前なんだけど同じ「作品に詳しい人」でも追求してる領域が少しずつ異なるんだろうなって改めて分かった例だった。
まあテレビでアニメ化してない部分から問題出すのはネタバレになっちゃうからああいう問題構成にならざるをえなかったんだろうけど、逆に四字熟語の問題とか普通に好きで漫画読んでる人ならガイジでもないかぎり即答できるとか難易度の差が激しかったりいろいろお粗末。
所詮はテレビアニメや映画の宣伝なんですねって感じで当時の5ch実況民とかも問題見て、知らんがな解散ってなったんだろうな。
個人が言ってるのを含めたらキリがないのでGoogleニュースの検索対象のみ。
愛と戦いの物語を描いた伝説の少女漫画「美少女戦士セーラームーン」が25年ぶりとなる劇場版として帰ってきた。
『ときめきトゥナイト』といえば、1982年から1994年まで「りぼん」で連載された大ヒットファンタジー少女漫画。3部作構成で、主人公が変わっていきましたが、中でも第1部の江藤蘭世編は伝説の少女漫画と言われるほどの影響力と人気を誇っていました。
さて、皆さんは『ガラスの仮面』をご存知でしょうか? 北島マヤと姫川亜弓という2人の演劇少女が伝説の舞台『紅天女』の主人公役を追い求め成長する様を描き、1976年(昭和51年)から漫画家の美内すずえ氏が『花とゆめ』で連載を開始、単行本は現在49巻まで刊行されている未完の伝説の少女漫画です。
漫画家・吉住渉によって1995年まで少女マンガ誌『りぼん』(集英社)で連載、アニメ化もされた人気作『ママレード・ボーイ』が満を持して実写映画化され、27日より公開される。(中略)伝説の少女漫画の映画化にあたって、原作者の吉住渉に話を聞いた。
さらに、キャラクター原案は、テレビアニメ化、実写映画化された伝説の少女漫画『君に届け』の作者・椎名軽穂氏が手がけている。
シリーズ累計1200万部を超える『はいからさんが通る』。いち早くテレビアニメ化され、舞台にもなった伝説の少女マンガが、40年の時を経て新作アニメーションに。
伝説の少女マンガ『絶愛-1989-』(以下、『絶愛』)、その続編でもある『BRONZE-ブロンズ-ZETSUAI since 1989』(以下、『BRONZE』)をご存じだろうか?
惣領冬実が描く累計発行部数500万部超の伝説の少女コミック『MARS』(マース)は、藤ヶ谷太輔×窪田正孝のW主演で実写ドラマ化&映画化された大ヒットコミック。
この映画「先生!」は累計発行部数570万部を突破した河原和音先生による伝説の少女コミックの映画化で、先生と生徒の切ない純愛を描いています。
累計発行部数1,300万部を超える伝説の少女コミック「ピーチガール」が実写映画化。原作は、1997年10月号から2004年1月号にかけて講談社「別冊フレンド」にて連載されていた漫画家・上田美和氏による同名コミック。
本作品の原作、累計発行部数3,500万部越えの伝説的少女漫画「イタズラなKiss」(多田かおる/集英社「別冊マーガレット」)は、1990年に連載がスタートしてから27年、その人気は衰えることなく世代を超えた“永遠の乙女のバイブル”として日本のみならず世界中でドラマ化、また舞台化、アニメ化され、愛され続けている作品であり、本作「イタズラなKiss THE MOVIE」は、その映画版となります。
販売部数累計450万部超えの伝説的少女漫画「ホットギミック」の実写映画『ホットギミック ガールミーツボーイ』が6月28日(金)より公開。
咲坂伊緒が描く伝説的少女コミック「ストロボ・エッジ」「アオハライド」の系譜を継ぐ、青春三部作最終章「思い、思われ、ふり、ふられ」。
長澤まさみと岡田将生のW主演で、いくえみ綾の伝説的少女コミック「潔く柔く(きよくやわく)」が映画化。そのロケ地マップが配布されています。
こっそり追記するけど、これはもともと「(ニュース記事で)レイアースが伝説の少女漫画扱いされてたけど言うほどか?セーラームーンとかのほうが伝説じゃないか?」という話題があったので、他にどんな作品が「伝説の少女漫画」扱いされているかを調べてみたものです。ここから業界の「伝説」基準を察していただければさいわいです。
https://anond.hatelabo.jp/20211004080408
注意。自分語りです。
上の26歳の増田が、俺と同じ年齢なのに価値観が違い過ぎて悲しくなったから、引用・対比しながら俺のオタク人生と、思ったことを書く。
結論から言っちゃうと、上の26歳増田はオタクではないと感じている。
俺と元増田、どちらが正しい人間なのかというと、元増田なのだが。
当時つけていた日記なんかも参照しながら、書く。
小学校の時、親が「こういうサイトは見ちゃいかんよ」とか言いながら『2ちゃんねる』を見せてくるという、
子供の性格を歪めたいとしか思えない所業により、無事2ちゃんねらーデビューを果たす。俺の記憶が正しければ9歳か10歳の時である。
小学生の自分は爆笑コピペ関係、あとは確かジョジョのスレ、エロ関係のスレを食い入るように見ていた。
確か11歳か12歳のころ、ジャンプ・サンデー・マガジンを購読するようになる。
2ちゃん的価値観を刷り込まれた俺は「ドラマやバラエティは下らない」という結論に至り、
高校生くらいまでSMAPのメンバーを1人も言うことができないという暗黒の時代を過ごすことになった。
ちなみに26歳の今でも、「ガキの使いやあらへんで」を1度も見た事がないし、ジャニーズの曲を1曲もフルで聞いたことがない。
映画になるまでフレディってクロマティ高校のキャラという認識しかなかった。
ちなみに当時好きだった漫画は日記によると「いちご100%」と「魔法先生ネギま。」。
だが、オカズはドラゴンボールのブルマが乳を晒すシーンと地獄先生ぬ~べ~やこち亀のエロシーンであったことが記録されている。死にたい。
本屋の立ち読み、謎のゲーム雑誌で当時読んでいた「タカヤ」のエロ同人誌、クリムゾン先生の存在を知り、自分の性癖がソフト陵辱であることに気がつく。
だが当時はまだエロ同人を無料で見る手段がなかった。もしくは自分にサーチ能力がなかったため、「中学生になったら18歳と同じだしクリムゾンを買える」(原文ママ)という思い込みが発生。
早く中学生になりたいと悶々としていた日々を過ごしていたようだ。
また、おそらく「痛いニュース」やテキストサイトにどっぷりとハマり、
同時期にハヤテのごとく!のSSにハマって投稿していた形跡がある。「スパイラル推理の絆」丸パクリの展開を書いて、コメントでボコボコにされたらしい。
今となっては恥ずかしいが、アニメはほとんど違法視聴して、動画サイトにないものは近所のビデオ屋(TSUTAYAではなかったと思う)に借りに行っていた。
日記の落書きを見る限り、機動戦艦ナデシコ劇場版のアキトの笑い方と、アウトロースターの武器にやたら憧れていたらしい。
とにかくそんなのだったので、2ちゃんの「俺はバラエティを見ているような奴らとは違う」という価値観を持つ小学生だった。
情報の授業の時間にFLASHを見て喜んでいる層に「やれやれ…もっと面白いものがあるのにな…」という優越感を感じつつ、自分もFLASHにハマっていた。
オタクはなんとなくすごい人達だと思っていたし、今にして思うと、先日話題になった「オタクになりたいオタク」そのものだったと思う。
そしてドラマの舞台であった秋葉原では路上でハルヒダンスを展開するオタクがニュースにもなった
秋葉原+オタク=秋葉系みたいな概念が世間に浸透していった時期だと思う
しかし、中学に上がる前にその秋葉原で秋葉原通り魔事件が起きた
宮崎努ほどではないと思うけど、この時にメディアでは「犯人の加藤はオタクだった」といった報道が展開され、世間でもオタク=危険人物みたいな風潮が強まった
でも、それは大人にとっての世間の話であり当時の小学生達にとってはあまり影響はなかったと思う
むしろ、当時の小学生の間ではおもしろフラッシュ倉庫を起点にフラッシュ動画が流行っていたのでオタク文化のイメージはこれらフラッシュ動画の方に強く影響を受けていたと思う
ハルヒは確かにドはまりして、やはりSS掲示板で長門×キョンのSSを漁りまくっていた。(同時にエヴァとナデシコとGS美神にSS経由でハマった)
だが、多分アフィサイトの「マスゴミが流すニュースは全て嘘」という価値観に基づき、ニュースはほぼ見ていなかったので通り魔事件もあまり記憶にない。
中学に上がる少し前は、上で書いたようにゴミのようなSSを乱造して、
パクりもよくしていたのでぶっ叩かれて、当時幼かった俺は「下らないことで人を叩くとか、オタクってクソだな」といったようなことを逆恨みで感じていたらしい。
ガキの分際で、いっちょ前にオタクに対して同族嫌悪を感じている自分に酔っていたわけだ。
あと『スクールランブル』の八雲と播磨、『Dグレイマン』のリナリーとアレンがくっつくことに異様な熱意を燃やしていた。旗派だったか、おにぎり派だったか。記憶が定かでなくなってしまったが。
というか、日記を見るにリア友の情報がほぼない。友達は確か、いたと思うのだが。今から思うとこんな人間はいじめられていたとしか考えられない。
当時ひぐらしは既に出題編と解答編のテレビアニメは終了していたのだが、ニコ動のMAD動画経由で再びブームに火がついた
そして物語シリーズ、けいおん!、あとやっぱりハルヒも流行った
影の薄い生徒(当時は陰キャは使われてなかった)のみならずクラスの人気者でもこれらのサブカルチャーに親しむ人が増えてきた時期だった
この頃のお昼の放送は
AKB系列、ジャニーズ系列、ボーカロイド、アニソン(主にけいおん!とハルヒ)、いきものがかりその他JPOP……みたいなカオスな曲目だった
「ニコ厨」と呼ばれ嫌われていて、自分も「ニコ厨は死ね」とほざいていたが、確かコメントつきのAIRなどを楽しく見ていた記憶がある。
大体この世代のネタもわかるし、中学のころの自分は何かしら理屈をつけて、両方の立場からニコニコを嫌いつつ楽しんでいた。
AKBやジャニーズはとにかく理由もなく嫌いだったし(なお、1人も名前すら知らなかった)、JPOPは「押忍!たたかえ応援団」以外で聞いたことがないという有様だった。
ボカロは何か合わなかった。
同時に、エロゲと古いアニメ文化にハマる。古いアニメ文化にハマったのは人とは違う自分を演出したかったからで、エロゲはシコるためである。
帽子を深く被り、自分の中で精一杯オッサン的な格好をした自分は「とらのあな」に乗り込み、確かセフィリアか乱菊の同人誌をレジまで持って行ったのだが、
「年齢を証明できるものはありますか?」の一言の前に粉砕され、すごすごと帰宅したのはハッキリと覚えている。
だが、その後、代引きでAmazonを使えばエロゲを人知れず買えることに気がつく。一番初めに購入したのは「真・恋姫無双」だったと記憶している。
俺が人生で初めてセックスというものを理解したのはロリ張飛の濡れ場だった。懐かしい記憶だ。(クリムゾンのエロだと、本番シーンが簡易すぎてセックスを理解していなかったのだなあ)
そこから2ちゃんのエロゲー作品別板で、住人達と殴り合ったり、真剣恋のスレに毎日参加したり、青山ゆかりを讃えたりして時間を過ごしていた。
名作のエロゲと言われるものは大体全部やったと思う。というかエロスケで85点以上のものはおそらく全部やった…ような。多分。おそらく。
また、やる夫系のサイトにドはまりした記憶と形跡があるのだが、日記に「気に入らない作者を潰してやった藁」とか書いてあったのであまり深く触れないでおく。
古典アニメについては「周りとは違う」という思い込みを補強するためのもので、「攻殻機動隊」や「あしたのジョー」を漫画アニメ劇場版全シリーズ無駄に見るなどして、「俺はわかっている人間だ」という考えを補強していた。
「やれやれ、浅いやつらは出崎統の偉大さもわからないのか」と、のたまうタイプのゴミであった。今すぐ過去に戻って当時の俺を殺したい。
また、無駄にガンダムSEEDを叩き、無印のガンダムを持ち上げる文書(種は見たことがない)、
ひぐらしとスクイズあたりのグロシーンを「浅い」と長文で書き連ねた文書が日記に残されており、今、ダメージを受けている。
小~中の時代にこじらせすぎて、Mステも人生で1度も見たことがないくらいだから、やっちまった感が強い。
ちなみに、この頃に書いたというか、赤っ恥を晒したのがコピペ化され、今でもたまにネットで浮上してドキリとすることがある。本当にやめてほしいような、懐かしいような。やっぱりやめてくれ。
一言で言うと、中二病だったのだろう。(今も、多分根底はそのままなのだが)
高校でも相変わらずアニメは盛況でこの時期はマドまぎやSAOを筆頭に後の世まで語られる有名アニメが沢山排出された
またこの頃はスマートフォンが本格的にガラケーからの世代交代を開始した時期とも重なり、俺が高2の頃は既にクラスの過半数がスマートフォンになっていた
みんな暇があったらパズドラやってた
そしてこうしたソシャゲはアニメを見ない人達にアニメキャラへの耐性をつける役割を買ったと思われる
ソシャゲのキャラクターにはいわゆる萌え系のデザインのキャラが少なくなく、アニメを見ない人達もそうしたデザインに自然と親しむ様になった
これはパチンコ好きのヤンキーがエヴァやアクエリオンに抵抗なくなる現象に近いと思う
それを未成年の世界にも引き起こしたのがソーシャルゲームで、現代のアニオタを語る上ではこのソーシャルゲームの影響は無視できないと思ってる
ソシャゲは確かに流行していたが、パズドラはやらなかった。というかその後もやったことがない。
パズドラをやらなかった理由は「みんながやっていたから」である。といいつつ、モバマスはやっていた。身勝手なものである。
(デレマスと呼称されるようになったのはアニメ以後なので、あえてモバマスと書く)
200位圏内に何度か滑りこんだが、あの頃はソシャゲ全体で、今より課金しなくて済んだような気がする。気のせいだろうか?
まどマギやSAOに関しては、高校生の分際で、「ああ、みんなようやく虚淵さんや川原さんのよさに気づいたんだ、ところで鬼哭街はやったのかね?」と高説を垂れていた。
だが、高校にもなってくると廃スぺオタクが発生するもので、しかもそこそこ偏差値のいい高校だったものだから、
「ああ、やったけど?ところでお前Phantomは当然やったんだよな?」と、スポーツ万能のイケメン風の男に言われ、
やってなかったので地団駄を踏んだのをよく覚えている。
そしてこの辺りから自分には文章の才能があると思い込むようになり、(ここまで読んでもらえればわかると思うが、ない)ついにはラノベを書いて新人賞に投稿した。
『文学作品がロボになって戦う』という、中学時代にハマっていたFate丸パクリの会心のネタを応募するも見事に一次選考にすら残らずに撃沈。
「応募作には必ず講評をお送りします」とのことだったのだが、来なかった。データは残ってないが、どう考えても面白くなかったしひどい文章だったので、むしろ良かったのだと思う。
この頃には、同世代でそれこそボカロで成功したり、ラノベ作家にデビューしたやつも出てきたので、「人とは違う」と思いたかった俺も、イケてるクリエイターになりたかったのだろう。
その後、なんだかんだあって、大学を卒業し、今はアニメ業界にいる。
有名な監督や、アニメ業界に関わらず、ゲームや出版関係の人達とも多く出会った。師匠と心から呼べる人間にも出会った。自分の小ささに気づいた。演出というものの奥深さも知った。
ネット上の文字列、雑誌の写真のインクの塊、動画の上で画面越しに見るしかなかったクリエイター達も、多くが人間であり、深い知性と情動の元で仕事をしている、生物なのだと知った。
仕事も覚えてきて、ようやく金になるようなことが出来てきた。簡単に述べると、「仕事が少しわかってきた」。この業界ではまだまだな年齢だが、なんとか食らいついている。
周りでも海外への配信権を売るビジネスが好調で、何やら巨大な金も動かせそうな時代である。昔より技術も高くなり、表現の幅も増えた。業界としての未来は、なんだかんだで明るそうだ。
以上が、大体の俺の人生である。オタクの人生であると言っていいんじゃないだろうか。
引用した増田とは同じ時代を生きてきたが、かなり感じたものは違うと思っている。
君は、多分オタクサイドの人間じゃないよ。俺は、半可通だが、オタクサイドの人間だと思う。
そして、結論を書こう。
この国のオタク達が積み上げてきたものは、その全てが間違いだった。
アニメは間違いだった。
漫画も間違いだった。
ゲームは間違いだった。
ラノベは間違いだった。
この国のクリエイターが作り上げてきたもので、善かったものは一つとしてない。
オタクはクソだ。ただのゴミだ。彼らが話す言葉、彼らが創るもの、彼らの文化。その全ては、消え去った方がいい。
オタクは全員いなくなった方が、この世のためだよ。
26歳(95年生まれ)だけどオタク差別が社会、特に学校から衰潮していく様をリアルに体感したわ
小学校の時に電車男が大流行して、オタクという概念への認知が生まれた
そしてドラマの舞台であった秋葉原では路上でハルヒダンスを展開するオタクがニュースにもなった
秋葉原+オタク=秋葉系みたいな概念が世間に浸透していった時期だと思う
しかし、中学に上がる前にその秋葉原で秋葉原通り魔事件が起きた
宮崎努ほどではないと思うけど、この時にメディアでは「犯人の加藤はオタクだった」といった報道が展開され、世間でもオタク=危険人物みたいな風潮が強まった
でも、それは大人にとっての世間の話であり当時の小学生達にとってはあまり影響はなかったと思う
むしろ、当時の小学生の間ではおもしろフラッシュ倉庫を起点にフラッシュ動画が流行っていたのでオタク文化のイメージはこれらフラッシュ動画の方に強く影響を受けていたと思う
当時ひぐらしは既に出題編と解答編のテレビアニメは終了していたのだが、ニコ動のMAD動画経由で再びブームに火がついた
そして物語シリーズ、けいおん!、あとやっぱりハルヒも流行った
影の薄い生徒(当時は陰キャは使われてなかった)のみならずクラスの人気者でもこれらのサブカルチャーに親しむ人が増えてきた時期だった
この頃のお昼の放送は
AKB系列、ジャニーズ系列、ボーカロイド、アニソン(主にけいおん!とハルヒ)、いきものがかりその他JPOP……みたいなカオスな曲目だった
けいおん!がオリコン1位をとってMステで紹介されたのもこの頃だった記憶
高校でも相変わらずアニメは盛況でこの時期はマドまぎやSAOを筆頭に後の世まで語られる有名アニメが沢山排出された
またこの頃はスマートフォンが本格的にガラケーからの世代交代を開始した時期とも重なり、俺が高2の頃は既にクラスの過半数がスマートフォンになっていた
みんな暇があったらパズドラやってた
そしてこうしたソシャゲはアニメを見ない人達にアニメキャラへの耐性をつける役割を買ったと思われる
ソシャゲのキャラクターにはいわゆる萌え系のデザインのキャラが少なくなく、アニメを見ない人達もそうしたデザインに自然と親しむ様になった
これはパチンコ好きのヤンキーがエヴァやアクエリオンに抵抗なくなる現象に近いと思う
それを未成年の世界にも引き起こしたのがソーシャルゲームで、現代のアニオタを語る上ではこのソーシャルゲームの影響は無視できないと思ってる
こんな感じで高校までの自分の学生時代を振り返ると、アニメが若者文化のメインストリームにめちゃくちゃ接近してきた時代だったなと思う
今の10代はもっと当たり前にアニメを消費しているので、俺もその感覚を前にすると当惑を隠せなかったりする
単純にキモい奴、暗い奴、ノリが悪い奴を陰キャ、チー牛として差別するだけ
「お前が差別されるのはオタクだからではなく、お前がキモいからだ」という時代の到来は、果たして旧来のオタクが望んだ世界だったのか疑問ではあるけど
衰微と退潮がごちゃ混ぜになって衰潮と書いてしまった……恥ずかしい……
『名探偵コナン』という作品を知ったのはテレビアニメの放映であった。放映開始は96年、前世紀である。その頃、自営業をしていた自分の家では仕出しの弁当業者が休みだと出前を取っており、子供だった自分も出前の料理を食べさせてもらえてとても嬉しかったのをおぼえている。色々な店のメニューが事務所の勝手口に貼ってあり、注文するときは父からお金をもらって、従業員からメニューを指定されて、自分が電話してお金を用意して置く。その記憶からなんとなくうな重はラーメンや定食の一食の1.5から2倍程度の値段なんだなという感覚がある。その頃はその出前のうな重一つ1500円だったと記憶している。しかし今同じ店で3500円するのだ。元太は作品中なんか食いに行くかという状況になるとすぐうな重を食いたいと叫び出すギャグキャラだったが、現在の所得平均の減少とうなぎの価格高騰、稚魚の乱獲問題、うなぎヤクザの跋扈の合わせ技でノータイムうな重コールはサイコ発言としか思えないし、元々この発言により嫌いな元太が更に嫌いになっている。
ふざけんなうな重デブ!金ががっぽりあったってノータイムうな重コールはさすがにムカつくんじゃ!みんなでなに食べよって時にまず提案するのは大事、そこはありがとう。でもお前いっつも変な空気にしてるだろ!まなべ!そのおにぎりヘッドのちっさい脳ミソで!それまで100円ショップの食パンかじってろ!
映画100日間生きたワニを見た。
ネットで事前情報を仕入れていたので映像に動きが少ないことは知っていたがそう聞くとネガティブに聞こえるが、
実際に観てみると「なるほど、これは新しいアニメの表現なのだな」と納得してしまった。
どういう事かと言うと日本はテレビアニメをやるのにディズニーの様な1秒間24コマの作画で作ることが難しかったために1秒間8コマの作画でやるのが当たり前だった。
100ワニは間を多様することで更に少ないコストで作ることを示したのだ。
「動かない間」を作ることで緊張感が生まれてそれがリアリティに繋がるのだ。
「動く面白さ」がアニメーションの醍醐味であったが「動かない面白さ」という価値を100ワニは提示したのだ。
それはさながら淡口ラーメンのようで淡口ラーメンも鮎の煮干しの様に繊細な味を味わうには濃口は似つかわしくなく、
アニメーションも間を楽しむのには動きは極力無い方が良い訳だ。