はてなキーワード: クスリとは
夏場だし仕方ないとはいえ1日100人とか200人とか。圧倒的に少なすぎて絶望する。
こんなこと言うのもあれだが、アメリカやブラジルがうらやましい。
正直な気持ちだが、新型コロナという病気自体は 嫌ではあるが怖くはない。
しんどいのはしんだいだろうし、こじらせれば死ぬこともありえる。けどしんどいのは2週間程度だし、日本じゃそうそう死なない/高リスクになる条件もわかってきている。後遺症が残ったり死んだりする病気じゃないのなら そこまで恐れるものでもない。
しかし、罹ったときの 社会的なダメージ、職場や周り近所、感染者として報道されること、クラスター追跡などの理由でプライバシーが滅茶苦茶にされそうなこと、など病気以外の部分が 物凄く怖い。恐ろしい。
症状以外が怖いんだよ。
いま感染者ゼロの岩手県民は相当な心理的負担、プレッシャーがかかってるんじゃないか?もし感染してしまったら間違いなく全国トップニュースになるだろう。恐ろしすぎる・・・。
この恐怖をなくすにはどうしたらよいか?
「あいつはコロナに罹ったことがある。治ったっていってるけど実はウイルスを隠し持っているんじゃないか?」
東日本震災のときに 福島県人が言われたやつ。放射線は検出されないのにつまはじきにされたやつ。目に見えない"ケガレ"が憑いた 扱いになるんだよな。
となれば、
夜布団に潜るたびに反省会が始まって眠れないから書きなぐってストレス発散するんじゃ。
そろそろ仕事に慣れてきただろうし、次は先輩に付き添って学んでくれやって。そこで小言に耐えられず1週間後にとんずらこいた。こいつうんこすぎない?一番効いたのは「普段クスリとも笑わないけど、友達と過ごすときもそんな感じなんだね?」何も言えずに下向いて口パクパクしてましたあ!うんこうんこうんこー!こいつは成長性に難アリ。使い物になるまで10年はかかりますようるせー!こちとら打ち上げの幹事なんてやったことないんじゃ!こうういうのがパッとできないと社会人とは言えないねじゃねー大学3年の頃から講義以外に家から出れなかったことを面接で言わなかったことは謝りますけどね?
とにかく翌日無断欠勤し、そのあと辞めた。
そういえば、ちょい前に悩みごとがあれば相談してくれって同期のヤツに言われたこと忘れてたわ。こんなのと一緒に仕事させて本当にすまんかったわ。サッカー部のキャプテンなのにあんまり圧がなくて、失敗も多いけどそれをウケに変える愛されキャラってことくらいしか印象に残ってなかったけど。でも向こうから見て俺はゲームが好き?な人(何のゲームが好きかは知らん)みたいな感じだったろうし。コミュる気ゼロじゃんなめてんのか。大体、こんなこと相談されてどうすんだよ。自分を変えられないめんどくさいって駄々こねてるだけなのにどう反応返せばいいんだよ困るだろ。相手の口からこう明言されたらもう終わり耐えられないから親しい友人にも親にも話せなかった。事実は変わらないけども、脳が敗北を認識した時点でどうなるか怖いんよ。
バイトの時もそうだったわ努力もせず話も合わせようともせず。先輩と後から入ってきたやつ(どちらも同年代)がよく遊びに行ってたことを辞め際に知ったり。何今更ボディーブローのように効き始めてんのさ、そん時悲しい恥ずかしいって落ち込んどくべきだったってことじゃん。うんこ
そもそもなんでこの仕事選んだんだっけか。就職相談で「俺プレゼン得意なんですよ」ってぶち上げたら、営業やってみない?って流れになってあとは忘れた。セールスポイントが活きることはなかった。資料まとめて人前で説明するのに抵抗がないってだけなんだよね。そんで、俺は自己主張に乏しく会話も苦手マンタイプだから自分から手え上げないとそういう出番は回ってこないってのにさ?
なんか面倒になってきたからエスコンの話するわ。この前アリコーン戦でようやくSランクとったわ。といってもファルケンで使ってギリギリなんだけど。実在機では対艦最強装備SFFSを積めるF-15Eが一番有効だと思うんだけど、艦載機相手に振り回されちゃってタイムが厳しんだよね。機動力を強化したいが対空VLSが怖いから生存性重視にせざるをえんのだ。まあアリコーンかっこいいから失敗もそんなに苦じゃないけど。あとカウントいいよね。特に、「計算では一機でも生き延びれば作戦遂行できる!」っていう護衛対象に対して、「その計算ってのをやめねえか!」って叫ぶシーン。ビックマウスの元詐欺師のくせに仲間のことになるとすぐ熱くなるのがいい。次のミッションの、「遺書は書いてきたぜ」「笑えねえ冗談だ」ってセリフも受け取り方が変わるというか。
そうだ、居眠りが多いんだよね。さすがに立ったまま寝るほどではないけど、こう隙あらば水のみ鳥になる感じ。こいつ舐め腐ってんなーと思われてたね。工場研修の時はそうでもなかったから肉体労働の道しか残されてないっぽい。親御さんにごめんなさいしろ!高い金払って大学に通わせてもらったのに無心で手を動かすミートボーンアームにもなれないその性根を恥じろ!クソ
その他にもプライドを傷つけるような出来事がいっぱいあった気がしたけど忘れた。なんなんだろうね?エリートでもないのに自尊心だけはいっちょうまえだもんね?こういうのは学生までに一度へし折っておくべきものらしいのに、間に合わなかったね。大学を無為に過ごしたことへの後悔ばかりが募るのにどうすればいいのかわからん。自分の中で折り合いのつかない後悔とどう向き合えばいいのかわからない。
人と交流するのがめんどくさい。成長するための努力ができない。挑戦する一歩が踏み出せない。義務を果たせない。なんなの?陽のもとを胸張って歩くための能力が決定的に欠落してんじゃん。レースゲームで最高速とコーナリングが死んでるようなもんじゃん。
一日でも早く次の仕事を見つけて、見つかんないならバイトして、とりあえず働く。するべきことは明確なのに何もしない俺は何なの?するべき、した方がいいって言葉が全部、やってないお前はどうしようもないやつって言われているように感じる。テレビCMとかももううんざりだ。でも、「やんなきゃいけないのはわかってる」って口にだしてさ、無職になったやつがさ?もうヤバイ奴じゃん説得力皆無じゃん。弁解の自由を完全に失ったわけだけど、でも何もできないことがつらいってのを聞いてほしいのよ。でもやる気ないだけじゃんって返ってくるのが目に見えてんのよ。考えの堂々巡りが止まんねえのよグルグルさ。話せば変わるかもしれないけど、万一億が一完全に否定されるのが怖い。うんこ
かんたんに言うと個人がやっている闇金なのだが、これがエグいビジネスなのである。
試しに「借りパク 個人融資」とTwitterで検索して、画像のみ表示にしてほしい。
多くは語らないがビックリしたことだろう。こういう文化があるのだ。普通に楽しんでいるツイッターにこういう闇があるのだ。私が知らないだけでもっとたくさんの犯罪が眠っているんだと思う。
色々調べたのだがこのビジネスは
金持ってる風(もしくはマジで持っている)を装いTwitterに「個人融資します!」と書き込む。札束などの画像と一緒に。
↓
それを見た人がメッセージする
↓
融資側が審査と称して自撮りや免許証、社員証のコピー等を送らせ、金を貸す
↓
取り立てを行う
↓
という流れのようだ。
やり取りにはTelegramというサーバーに情報が残らないメッセージアプリを使うらしい。これはクスリの闇取引にも使われるアプリのようだ
女性だけを対象に貸してる輩もおり、返せない場合はいわゆる「身体で払ってもらう」ということもあるらしい。自撮りのなかには裸同然で免許証とともに写っている写真もあった。
なぜ私が増田にこれを書いたかというと、この文化を知り心苦しくなったからだ。こういうあくどいビジネスがあり、手を出したら個人情報をネタに永遠ゆすられ続けるというのは容易に想像できる。彼らが半グレ的な人物であることも。
本当にお金に困ったとして、ちゃんと返済をしたとして。彼らが個人情報をちゃんと破棄するだろうか?個人情報をもとにもっと金を得る悪い方法たくさんある。
最初にこの文化を知った時に「こんな怪しい奴から借りる人いないだろ・・・」と思ったのだが、たくさんの人が晒されている。
そこら中にあるよ
そんな風に生きてて楽しいですか?
ブスまだ生きてる?性格までブスじゃほんと救いようないしもう出てくんなよ?
消え失せろゴミ
黙ってればこのまま風化されて全て皆忘れてくれるとか思うんじゃねえぞこの卑怯者
犯人乙です。XXちゃんをイジメて楽しかった?まぁXXちゃんには足下にも及ばないがなwXXちゃんの苦痛を今度は自分が負う番(*´・ω・`)bね
は や く 自 首 し ろ ク ズ
今までずーっと色んな芸能人を見てきました。もちろんXXもです。XXの頃からです。
XX出んなよゴミが。お前はXXの恥。
ハメ撮り流出はよw
みんなの想いを伝えます。
そしていち早く警察に捕まってください
人を騙して金を取る詐欺師です
XXは人を笑顔にする仕事ですが、あなたは人を騙して悲しませる人です
最低です
あ、顔もブス付けるの忘れてた笑笑
XXに携わってる人すべてを傷つけた。
XXさんの次は国民を傷つけるんですか?
いい加減にして下さい。
しね
今回は上手くできなかったみたいですね。
XX以前に人として劣ってますよ。
おい、腸まで腐った人間の屑、早くXXから出て行けや、XXは清い水が流れているから美味しいお米や、美味しいお酒が出来るんだ、屑、その清い水を汚染させるな、XXに帰ってもXXの恥さらしと罵られるだろうがそれはお前がまいた種だ自分で刈れXXにリンチを加え今度はXXか人間の屑が
備忘録。SARS-CoV-2 (幼名 2019-nCoV)というコロナウイルスが引き起こすのがCOVID-19という急性呼吸器疾患。病名の別称として「新型コロナ」「新型肺炎」ともいわれる。
2019年末ごろに中国で人類によって発見された新型コロナウイルス性肺炎は非常に厄介で、新型コロナ前の世界と後の世界とを分断するインパクトがあるウイルスであると考えている。
(イ) ワクチンの研究が進んでいる。しかし有効なワクチンはできないとみている。風邪のウイルスの一種であるコロナウイルスは、一般論として変異が非常に早い。武漢で見つかった割には、武漢株とヨーロッパ・アメリカ株とでは区別ができるほどであり、後者の方が毒性が一段と違うとされる。3か月そこそこで変異株が見つかるほど変異が早い。では今から作ったワクチンはいつの株に間に合うのだろうか。
(ロ) インフルエンザワクチンですらだいたい香港型ソ連型があってABとある。そしてワクチンが必ず効くわけではない。(おたふくかぜや麻疹のように高い確率できくワクチンもあるけど)。では、コロナウイルスのワクチンは効くのか? 無発症感染者が市中を闊歩するようであればそのワクチンは「有効」と評価していいのだろうか。
(ハ) 薬は有効なのか。発症後の治療に有効だとしよう。しかしSERS-CoV2の厄介さは重症度だけではない。熱や咳が出たら薬飲んでおねんねしてればOKっていうヌルいウイルスならこんな状況にはなってない。極端に言えば「よくわかんないんだけど顔を合わせた人間がみんな病気になる。しかも朝元気ででも夜死ぬ」という西洋呪術か何かみたいな感染能力と症状との組み合わせが厄介なのである。
(1) 人類はよほどの覚悟があったとしてもこのコロナウイルスを撲滅できない。まず、すべての人間を清浄にしても他の生物(多分哺乳類だ)がウイルスを持っていればまた発生する。SARSはコウモリかなにかが元宿主であったし、MERSはヒトコブラクダである。そしてSARSもMERSも定着しているし、根絶はそもそも目指されていないといっていい。SARS-CoV2は猫やトラにうつったという報告もあった。人間だけどうにかしてどうなるものではない。
(2) それでもせめて人間だけでもどうにかしてみるとしよう。発症前に感染させることができるうえ、無発症感染者が一定数いる。神出鬼没、落下傘降下作戦、自然発生的といっていい。潜伏期間もはっきりしない。発症するとして感染からまでは他人にうつさないのか(つっても、うつされている以上体のどこかに一定量のウイルスが付着しているとみていいんだけど)、いつからうつすのかわからない。
(3) 2を補足する。当該ウイルスが物質の表面上で失活するまでの時間が執筆時点でよくわかっていない。3日ほどという説もある。仮に感染者が一人もいなくなったとしても、失活前のウイルスを拾ってしまえば感染者がまた出てくる可能性がある。
(4) 感染者が存在し続ける限り根絶はできないといっていい。未発症感染者という存在のせいで、感染者がいなくなって、今後も出ないと宣言するのが極めて困難である。
それでも何とか感染者をいなくしてみよう。最後の感染者が1人になり(なんなくてもいいんだけど)、その人が排出したウイルスがすべて失活すればこの病気は地球上から消えてなくなる。新型コロナがなめらかな物質表面で3日失活しなかったという説があるが、最後に排出したウイルスが失活するまで1週間としてみよう。発症した場合他人にうつす期間はどのくらいだろう。発症から3週間程度で死亡した話はある。余裕を見て発症から4週間は他人にうつすものとしよう。では、感染から発症まではどのくらいとしよう。1週間としよう。すると、最後から2番目に感染した人の感染から6週間はウイルスは活性を持ったまま地球上に存続しうる。非発症感染者も仮に感染からウイルス排出がやむまで5週間としよう。
すると、とある時点から6週間世界のみんなが完全に引きこもれば、地球上に感染力のある新型コロナウイルスはなくなることになる。でも、こんなことはそれこそあり得ない。まさに仮定することが無価値以外の何物でもない妄想である。
人類はSARS-CoV-2のいる地球で生きていくことになる。昨年11月に送ることができた生活はもはや送ることはできない。紙のない世界で生きていくことができない。文字のない世界で生きていくことができない。通貨のない世界で生きていくことができない。蒸気機関のない世界で生きていくことができない。石油のない世界で生きていくことができない。電力のない世界で生きていくことができない。半導体のない世界で生きていくことができない。電気通信のない世界で生きていくことができない。
たかだか1万年前にはこれらはすべてなかった。もはやこれらがない世界を想像するのは困難だ。そして、同様に、SARS-CoV-2のない世界で生きていくことができない。
それは受け取る側の判断ですべて決まる
実際、これまでネット上でさえも高卒者への差別発言は長期間に渡って繰り返されてきた歴史がある
学歴だけでその人のすべてを否定する差別主義者的なおかしな人が一定数おり
蓮舫は高卒差別発言で炎上、大バッシングを受け、信用を更に落とした
差別する者の末路の一例としてはひとつの良い形ができたと言っても良い
それがすべての人々への教訓となる
持病薬のオンライン処方を利用できると思ったら大間違いだった。厚労省や医師会などが旧態依然なので、
一般市民が不便や無駄な手間と出費を強いられる。その現状を知ったのでここに記したい。
(以下、「電話する」が列挙されるが、それもオンラインで不可能なのでやむなく電話を強いられている)
感染疑い者とうっかり短時間の接触(その人も無症状だが、おそらく感染しているかもしれない人)
↓
↓
いきつけの処方薬局に電話相談しても、「処方箋を出してもらうには患者から医師への相談が必須」と言われる
↓
「処方箋のweb送信は不可。FAX送信は出来るが別途、紙の原本を郵便送付が必須で、患者さんがこの経費を全額負担です。さらに医師との電話診察も必須。結局、通常の来院対面診療よりも患者さんの負担額は高額になります」と言われる
(おまけに「電話診察」と言っても、実際にかかりつけ医に電話に出てもらうまでには少なくとも10分以上の電話料金がかかり、いちどの通話で事が済む例は少ないはず。さらに医師との診察にも電話代が別途かかる。結局いつもと全く同じクスリをもらうのに延べ30分ほどの通話と、普段より高額な出費を強いられるのだ。)
こんな時代遅れのシステムを続けて得をする人なんて、既得権益者だけで、ほとんどの国民は損をするだろう。
何がオンライン処方だ。これでは外出自粛の中でも無理に無駄に病院へ行く人も出てしまう。紙や対面治療に固執する古い体質も、感染病の蔓延を招いているのだ。
コロナウイルス=アメリカ。相手が無尽蔵の生産力を誇るとかまったく考えずに、いま戦端を開かないと 日本の生命線が失われてしまう!とばかりに。
マスコミは煽りに煽って、国民はそれに踊らされて、とにかく戦わなきゃだめだ!と政府を突き上げ非常事態へ突き進む。
国民には「欲しがりません勝つまでは」と耐乏を強いて。
経済冷え込ませて耐乏して ウイルスの蔓延が止まったとしても、それはまだ勝ったわけじゃないんだよね。
一時的に収まってるだけで、みんな外に出てきたら また増殖は始まる。
根治させてるわけじゃなくて、遅滞させてるだけなんだから。
いつまで戦いは続くんでしょうね。
山本五十六さんが構想してたように 短期決戦でカタがつけばいいんだけど。
”クスリの開発”がいつになるのか
下手したら2年3年続くかも・・・。夏になっていったん収まっても 来冬にまた再発するだろうし。
仮に コロナによる直接的な死者を1万人救うかもしれないけど、代わりに 死んだ方がましという人々を100万人生み出す作戦に思える。
戦時経済は 戦争中は景気は持つんだけど、だいたい戦後に反動が来るんだよね。
太平洋戦争時も、戦時中は配給とかちゃんと機能してたんだけど 戦争末期~戦後は制度崩壊して闇市スラムが立ち並ぶ暗黒期が到来した。
あんときは朝鮮戦争特需があったけど、今回もそういう特需に乗れるかな?
何が正しいのかはわからないけど、
少なくともまともな報道ではない ワイドショーとかニュースショーに踊らされてる世論 及び 首相官邸 に自分の命運が託されてる状況がすごく嫌だ。
村上春樹の『色彩を持たない〜』より。本編は読んでないんだけどこの本を罵倒しまくってるAmazonレビューが話題になってたことがあって、その中であげつらわれていたセリフ。キモすぎる
映画『グッドウィル・ハンティング』でブチ切れた主人公(マット・デイモン)が叫ぶセリフ。Don’t bullshit meって二回小さめに言ったあとでかい声でファッキン付きがくるのでポップステップジャンプ的な気持ち良さがある。bullshitに動詞の用法があるというのを知れたという点でも思い出深い名台詞。
ちなみに検索すると該当シーンの切り抜きがYouTubeにある
アニメ映画『ストレンヂア』のラストバトル前にラスボス的存在が言うセリフ。この後の「いらん。痛みがあった方が、生きている気がする」→「(中国語?)いいな、すごくいい。ますますお前が好きになった…」も名台詞。
ゲーム『ファイナルファンタジータクティクスA2』のサブイベントで出てくるセリフ。「推し量る」を命令形でいうのがなんかすごい良くて覚えてる。
ゲーム『デモンズソウル』のヒロイン(?)、黒衣の火防女がレベルアップをしてくれるときに詠唱する呪文。全文多分覚えてるのは密かな自慢!
Soul of the mind, the key to life’s ether. Soul of the lost, withdrawn from its vessel.
Let the strength be granted, so the world might be mended. so the world, might be mended…
火防女さんは全体に古英語っぽい喋り方をするのがマジでいいし、声も好き。”Art thou done?”とかクソいい!
映画『50回目のファーストキス』のラストあたりで主人公が叫ぶセリフ。ワラナスホー!みたいな発音で、直後の青い海をバックにビーチボーイズの歌をヤケクソで歌うシーンの良さも相まって良く覚えている。日本リメイク版もネットフリックスでちょっと見たけどあのシーンがなかったのでダメ。ホンマにクソ!!
映画『おくりびと』で葬儀社の社長がフグの白子を食いながらいうセリフ。異常にうまそうなのと植物園みたいな部屋の内装、七輪の雰囲気などが相まってマジでいいシーンなんすよ……
去年鬱で入院したときに知り合った60才のおじさんとラインをしている
自分は退院して復職もしたけど、そのおじさんは入院したり退院したりを繰り返している
20年間働いておらず、パニック障害→身体症状症(旧 身体表現性障害)で苦しんでいる
身体表現性障害っていうのは、精神的な原因から身体的な苦しさ、つらさが出る病気
でも身体的に問題があるんだと思いたくて、しつこく検査をしてしまう
そっちはクスリ飲んでればどうにかなるもんだから特に問題じゃないけど
入院中から現在に至るまでのこの半年くらい、そのおじさんを対面、口頭、ラインで励ましたり、治療法を一生懸命探したりしたけど、
そういった関わり方はやめることにした
普通のやりとりだけにする
もともと入院中にそのおじさんに話しかけてもらったことがきっかけで体調がよくなったと思ってた恩を勝手に感じてた手前、
自分もその人のためになにかしてあげたいと思ったことから始めたことだったけど、
やっぱり20年間も治らない人を一朝一夕でどうにかするのは浅はかだった
あまりにも疾病利得(病気になっていることで得られる利益があること。他人から心配してもらえたり、仕事をしなくてよかったり)が大きくなりすぎてて今更どうにかなるもんじゃない
一応また働きたいとは言ってるけど、到底ムリだと思う
でもその浮いたぶんでお菓子とかを買いまくったり外食しまくってるのを見たり聞いたりすると複雑な気分になる
自分もうつになってたくせに、他人がおなじようなことをやってると甘えだと思ってしまっていることに絶望する
復職して数ヶ月たつけど、こないだ久しぶりに仕事ができなくなるくらいの状態になったから仕事を休んだ
そんなときにもその人を気遣うラインをしたけど、適当な返事をされたから、ぷっつり切れた
まだ自分もこんな状態なのに、他人なんかかまってるヒマはないんだって
だいたいラインをしててもこっちからなにかをきいて答えるくらいで、向こうがこっちを気遣ったり様子を伺ってくることはほぼないに等しい
相手が自分より弱いということで上からになっていたところは絶対あったと思うから、自分も少なからず悪かった
やっぱり対等に付き合えない人間とは、プライベートで付き合うべきじゃないんだろうなと思う
ただ、本当にその人のおかげで治った部分があったと思ってるのは今でも変わらない
むなしさとさびしさを感じる
https://anond.hatelabo.jp/20200323025005
――ところで、わたしは昔から、最後のスタンザは少し弱いのではないかと思っていたのですが……。
( ・3・) 弱い? 「リング」と「スプリング」とで韻を踏むのはありきたりだとか?
――弱いというよりは、ピンとこないといったほうが正確かもしれません。「彼女は春に生まれたが、わたしは生まれるのが遅すぎた」――これはどういうことなんでしょう。
( ・3・) 彼女のほうが歳上だったんじゃないか? 50歳くらい。
――それはたしかに too late な気がしますが、もし年齢が離れていることが問題なら、彼女が三月生まれであれ、七月生まれであれ、一年のうちで生まれた時期に言及する意味はないはずなんです。
( ・3・) 春に生まれようが夏に生まれようが誤差みたいなものだからな。
( ・3・) ははは、まさか。
――ここに一枚の写真があります。1975年に撮られたものです。
https://twitter.com/kedardo/status/1242030916232339458
( ・3・) ボブ・ディラン、本を読む。
――何という本ですか?
( ・3・) 『クリスタル・マジック』と書いてある。マジックのつづりが変だけど。
――目次には次のような言葉が並んでいます。「ケンタウルスが獅子を狩る」「シャンカラの理論は現実をどう捉えるか」「ハクスリーの知覚の扉」「アジュナチャクラあるいは第三の目」「カバラの諸相」
( ・3・) 神秘主義のロイヤル・ストレート・フラッシュという感じだな。
――星座が何であれば、支配星は何、エレメントは何、という表も載っています。
( ・3・) 本を読め、ただしまともな本を、と釘を刺したばかりだというのに。
――まともな本も読んでいますよ。このころディランはチェーホフやコンラッドに傾倒していたはずです。 [3] [4]
( ・3・) じゃあ『クリスタル・マジック』はたまたま手にとっただけで、内容を真に受けたとまではいえないんじゃないか?
――1974年、コンサート・ツアーを再開した理由を、ディランは次のように語っています。「わたしの惑星系 (my planetary system) において土星が障害となっていた。その状態がしばらく続いていたが、いま土星は別の場所へ移動した」 [5]
――1976年のアルバム『ディザイア』のバック・カヴァーには、タロットが描かれています。
( ・3・) タロット! イタロ・カルヴィーノの『宿命の交わる城』は何年だっけ。ちょっと待って――第一部・第二部の合本が出たのが1973年。英訳は1977年だ。
――1978年のインタヴューでは、占星術を信じているのかと単刀直入に訊かれています。
PLAYBOY: OK, back to less worldly concerns. You don't believe in astrology, do you?
DYLAN: I don't think so.
PLAYBOY: You were quoted recently as having said something about having a Gemini nature.
DYLAN: Well, maybe there are certain characteristics of people who are born under certain signs. But I don't know, I'm not sure how relevant it is.
PLAYBOY: Could it be there's an undiscovered twin or a double to Bob Dylan?
DYLAN: Someplace on the planet, there's a double of me walking around. Could very possibly be. [6]
( ・3・) 信じているかといえば、信じてはいない。星座と人間の気質とのあいだには何か関係があるかもしれないが、どの程度なのかは分からない。――うーん、言質を取られるのを避けているみたいだ。
――もともと質問に率直に答える人ではないのですが。
( ・3・) 思い出した。昔、日本の有名な批評家がイェール大学に文学を教えに行ったんだが、向こうでは占星術が流行っていて、同僚の学者の生年月日がどうのこうのと書いていたっけ。あれも70年代半ばじゃなかったかな。
――期せずして、アメリカにおける神秘主義の流行、というテーマに足を踏み入れてしまいました。
( ・3・) ……引き返そうか。
――「彼女は春に生まれたが、わたしは生まれるのが遅すぎた」の意味をめぐって脇道にそれてしまいましたが、実は、意外なかたちで問題が消滅します。
――いえ、問題自体が消えてなくなってしまうんです。アルバム発表から一年も経たないうちに、歌詞が書き直されて、最後のスタンザは大きく変わります。1975年のライヴ録音を聴いてみましょう。
To know too much for too long a time
She should have caught me in my prime
Instead of going off to sea
And leaving me to meditate
( ・3・) ジェミニを連想させる "she was my twin" も含めて、占星術につながりそうな表現はなくなったな。詩の問題の解決を、人は問題の消滅によってうやむやにする。
――「彼女はわたしの双子だった」も、考えてみれば謎めいた表現です。「本当の恋人だった」と「双子だった」とが置き換え可能かといえば、そうではないと思います。
( ・3・) 歌詞だけじゃなくて、コード進行も旋律も変わっているぞ。
――そうなんです。これまでわれわれが検討してきたことの少なからぬ部分が、このヴァージョンには当てはまらなくなっている。ディランにしてみれば、もう「わたしはそこにはいない」んです。
( ・3・) うなぎみたいなやつだな。
――歌詞の変更は1975年以降も続きます。「彼」と「彼女」とが入れ替わったり――
( ・3・) 体が?
――立場がです。第一スタンザで「孤独を感じ」「まっすぐに歩いていればよかった」と願い、第二スタンザで「夜の熱気に打たれるのを感じ」るのは、「彼」ではなく「彼女」になります。80年代にはさらに全面的な変更があり、90年代には――
( ・3・) もはや原形を留めなくなった?
――いえ、それが――。
( ・3・) それが?
――おおむね元のかたちに戻りました。
( ・3・) ……。
――……。
( ・3・) 「彼女は春に生まれたが、わたしは生まれるのが遅すぎた」も?
( ・3・) 抑圧された占星術の回帰……。なくなったはずの問題の再燃……。まるで人生のようだ。
――これで「運命のひとひねり」は概観できました。全体について何かありますか?
( ・3・) 英語は易しめだったな。
( ・3・) 「彼」と「彼女」との間に何があったのか、曲のなかでは詳しく語られないけど、これは、その、いわゆる一夜の関係というやつなの? [7]
――なぜそう思ったんですか?
――ただ、それだと、彼女がいなくなったときの彼の傷心ぶりや、「指輪をなくしてしまった」のくだりはうまく説明できません。
( ・3・) そうなんだよな。じゃあ、ある程度つきあった恋人たちの最後の夜だったんだろうか。
――第一スタンザに、「体の芯に火花が走るのを感じた」とありますが、これは恋に落ちるときの表現だと思います。まあ、よく知っている相手に対して改めて火花を感じる、という可能性もゼロではありませんが。
( ・3・) すでにつきあっている恋人同士なら、見知らぬホテルの前でまごまごするのも不自然だしな。うーん、こんがらがってきた。一方では、彼と彼女とは一夜の関係に見える。ある日の夕暮れに物語が始まって、翌朝には彼女は姿を消している。その一方、物語の後半では、彼は生涯の伴侶を失った男のように見える。
――常識と観測結果とが矛盾するときは、常識を捨てなければなりません。
( ・3・) 何を言いだしたんだ急に。
――ある日の夕暮れから翌朝まで、と考えて矛盾が生じるのであれば、そう考えるのをやめればいいんです。
( ・3・) いや、でも、ある日の夕暮れから翌朝までじゃないの? ネオンの輝く見知らぬホテルに長期滞在して、数年後の朝に彼女はいなくなりました、なんていくらなんでも無理があるだろう。
――キュビズムの絵画では、ある対象を複数の視点から捉え、平面のキャンバスに再構成して描きます。
( ・3・) 何を言いだしたんだ急に。
――ある日の夕暮れから翌朝まで、という枠組みのなかに、出会いから別れまでの一切が凝縮されたかたちで描かれているとしたら?
( ・3・) 時間の流れが一律ではなかったということか?
――いいですか、時計の秒針が聞こえてくるのは、彼女がいなくなった後です。それから彼にとっての永遠の現在が始まり、彼女がいた過去は、彼の記憶のなかで遠近法的な奥行きを失うんです。
( ・3・) 時計を一種の仕掛けと見立てて、内在的に解釈するわけか。理屈は通っているかもしれないが、常識を捨てさせるには、まだ十分ではないと思うぞ。
――では、時間の流れが一律であるとは限らないという外在的な傍証を。1978年のインタヴューです。
Everybody agrees that that [Blood on the Tracks] was pretty different, and what's different about it is that there's a code in the lyrics and also there's no sense of time. There's no respect for it: you've got yesterday, today and tomorrow all in the same room, and there's very little that you can't imagine not happening. [8]
( ・3・) おい、詩に暗号が隠されていると言っているぞ。
――その点は保留にしてください。
( ・3・) 時間の意識は失われている。過去、現在、未来が同じ部屋に混在して、想像しえない出来事などほとんどない。
( ・3・) 「運命のひとひねり」の解題ではないんだな?
( ・3・) そうだな、まだ腑に落ちるとまではいかないが、時間の扱いは気に留めておいたほうがよさそうだ。
――はい。実は、キュビズムの絵画や、時間の意識をもちだしたのは、次に聴く曲「タングルド・アップ・イン・ブルー」でも同じ問題がでてくるからなんです。邦題は「ブルーにこんがらがって」。ディランの重要な曲を挙げるとしたら、まず10位以内には入る。人によっては1位かもしれない。というわけで、ウォーム・アップは終了です。次は少し難しくなりますよ。
そのようにして彼らは「タングルド・アップ・イン・ブルー」を聴き、「シェルター・フロム・ザ・ストーム」を聴いた。窓のかたちをした陽だまりが床を移動し、寝ていたストラヴィンスキーの首から下が影に入ってしまった。もう次の曲に進む時間は残っていなかった。デレク・ベイリーのCDを持って帰らなければ、と彼は思った。マイルス・デイヴィスやビル・エヴァンスならいつでも買い直せる。しかしベイリーは品切れのまま再発されないことだってありうるのだ。
「もう帰るのか?」と上司は言った。
「はい。それで、デレク・ベ」
「おまえの家は一戸建てだったな、たしか。陽当たりと風通しは良好か?」
「陽当たり? まあ、それなりには。それで、デ」
「窓からの眺めは?」
「眺め? まあ、壁しか見えないということはありませんが。そ」
「じゃあ、決まりだな」と上司は言い、リムスキー=コルサコフの両脇を後ろから抱えると、目の高さまで持ち上げた。
「新しいパパだよ」
かくして予言は成就し、わたしは持っていったもの以上を持ち帰ることになる。小さなモフモフと、モフモフの当面の生活に必要なモフモフ用品とを。
まずはこの子に、猫としてまっとうな名前をつけよう。このままだと、もし何かの拍子に迷子にでもなったら、「リムスキー=コルサコフ! リムスキー=コルサコフ!」と大声で呼びながら近所を捜し回らなくてはならない。獣医にかかるときだって、きっと問診票に名前を書く欄があるだろう。常軌を逸した飼い主だと警戒され、信頼関係を築くのに支障をきたすかもしれない。
しかし、猫に名前をつけるのは難しい――T・S・エリオットの Old Possum's Book of Practical Cats にもそう書いてある。クラシックの作曲家では大仰すぎる。ジャズ・ミュージシャンではどうだろう。わたしはCDとレコードの棚の前に立ち、名前の候補をピック・アウトしていく。チェット。論外である。マタタビに耽溺してばかりの猫になってしまいそうだ。ドルフィー。才能も人格も申し分ないが、早世の不安がつきまとう。ベイリー。デレク・ベイリーのCDを取り戻すまで、わたしはあとどれだけの道を歩まなくてはならないのだろう。
わたしは気づく。予言は成就していない。少なくとも完全には成就していない。人知を超えた力によって予言はねじ曲げられ、わたしは持っていったもの以上ではなく、持っていったもの以外を持ち帰ったのだ。新しい家の探検を終え、お腹を上にして眠る小さなモフモフよ、おまえのしっぽが曲がっているのも、運命のひとひねりのせいなのか?
[1] 実際にはEより少し高く聴こえる(テープの再生速度を上げているため)。
[2] これ以降、歌詞の引用は2小節ごとに改行を加えている。
[3] Bob Dylan. Chronicles: Volume One. Simon and Schuster, 2004. p. 122.
[4] Sam Shepard. Rolling Thunder Logbook. Da Capo Press, 2004. p. 78.
[5] https://maureenorth.com/1974/01/dylan-rolling-again-newsweek-cover-story/
[6] Interview with Ron Rosenbaum. Playboy, March 1978; reprinted in Bob Dylan: The Essential Interviews. Wenner Books, 2006. p. 236.
[7] 草稿では、第三スタンザは以下のように書かれたあと、大きなバツ印がつけられている。"She raised her weary head / And couldn't help but hate / Cashing in on a Simple Twist of Fate." 初めは娼婦として描かれていた点を重視することもできるし、その構想が放棄された点を重視することもできる。
[8] Interview with Jonathan Cott. Rolling Stone, November 16, 1978; reprinted in Bob Dylan: The Essential Interviews. Wenner Books, 2006. p. 260.