はてなキーワード: クスリとは
それな。難しい話だね
イタリアには長期入院の精神病院がなくて日本もそうなったらいいのにと思うが
お薬出しますねしかしない+手遅れになるまで放置し続ける毒親大国日本じゃ無理だろうなぁ
イタリアには精神病院がない anond:20181219090224
(重度の精神病者のいるご家族のご苦労は本当だと思う・・・が)
イタリアの精神科医が行った「バザーリア改革」って門外漢であっても知っている有名な話じゃないですの?
イタリアには精神病院はない。何故なら精神病者を社会から隔離して薬漬けにしてプラスに運ぶ事は何一つとしてないからである。(人権を無視して永久にクスリ漬けにして閉じ込める場合は別として)
バザーリア曰く、「人は自分の狂気と共存でき、人生の主人公として生きることができる」
そりゃそうだよね
一方、日本の精神科病床数は30万超、入院患者数は人口比、絶対数とも世界最多。
イタリアで精神病を患っている方々は、一般社会で、ホテル、レストラン、バー、ラジオステーション、建設業、映像制作、農業、酪農、園芸、警備、修理 など仕事をし、
共に働く人々にとっても精神障がいのことを知る良い機会となっている。
一方日本は?というと、大した障がいレベルでは無い相手に対して、共に働く人間が「負担だ」とか「邪魔だ」とかやって、時には訴えられたりもしている始末
バリアーザ曰く、
専門技術者、医師、心理士、技術面の管理法の専門家といった私たちの役割は、二次的なものになってしまいます。
精神医療の専門職を廃止し、政治家になってしまうことは望ましいことではないのではないですか」
「私たちは二つの状況、二つの役割、つまり専門技術者としての役割と政治的な活動家としての役割をあわせもっていなければなりません」
つまり専門職としての役割も政治的な役割もどちらもあるだろう、と彼は考えるわけです。
すべては与えられるのを待たず、プロ意識を持ち、他人任せしない事じゃないですかね
生まれついて、アタマに障害がある人間は、どうしたら良いのか。
わからない。
もう、気がつけば中年だ。どうしようもない。35歳限界どころか、45歳以下はたいてい
別の業界では働くことが厳しい。
なんか、騙しだまし、隠れ発達障害として生きて、病気になって、病院に行って、しっかり診断も下ったし、クスリももらえたが。はー。はたして、これ以上、良くなる気がしない。
1日で集中できるのは、せいぜい4時間。。。いや、クスリを飲めば、まだ少しマシだが。
去年は、それでも10ヶ月ぐらい派遣事務職で週3日6時間勤務したけれど。
もう、おんなじようなことしか、出来なそう。。
もう、伸び代は残ってないのかな。。
その信頼は起用する側の問題でしょ
あいつはクスリでいつ飛ぶかわからんから起用にリスクがあるな、って製作者が思えば当然職はなくなる
それで消えるなら仕方ないよね
違反を犯した人は逮捕され、裁判にかけられ、罪にふさわしい刑事罰が言い渡される
それをちゃんと務めあげれば、法治国家としてはその罪は清算された状態となる
部外者が、刑期を終えた者の復帰を妨げようとする気持ちは差別心以外何者でもない
上記の内容に納得できない方へ補足をする
量刑そのものに不満がある人は、法改正を呼びかけ、厳罰化を求めるのが最も正しいアクションだと思う
伊勢谷友介の件に限らないが、彼らの復帰が嫌な人の最も正しいアクションは法改正へ世論を誘導することなので、差別心を隠して正しく動くといいと思う
2、信頼の問題
彼らが逮捕されたことで迷惑をかけられた業界が、彼らへの信頼をなくし、今後起用を戸惑う、というのは差別にあたらず、当事者の業界での信頼の問題だと思う
仕事に来ずに無断欠席ばかりする人はどんな職場でも責任ある仕事を任されることはなく、それは差別ではない
信頼失墜により自然と復帰への道を断たれるのはあっても良いだろうと思う
映画やドラマや音楽を世に出すにはスポンサーがいて、宣伝や販売費用を負担することで作品が生まれ、そこから得た収入で会社が儲かり、製作者、出演者にお金が支払われる
そして出演者がクスリを買ってクスリを吸うということは、スポンサーは犯罪者を使ってお金を稼ぎ、その稼いだお金の一部が暴力団等へ流れているということになる
ノーカットで公開します、とか、過去の出演作の販売を継続します、というのはそういうことで、それはつまり「我が社は犯罪者を使って金儲けをし、利益の一部を暴力団へ供与します」ということに他ならないのだけど、「作品に罪はない」論者が優勢で困惑しかない
公開をやめないが、我が社は利益を受け取ることはしません、と表明するなら、純粋に罪のない行為と思う
1、2、3の問題点と、犯罪者が刑期を終えた後の社会復帰は切り離す問題と考える
1、2、3の問題点により結果的に復帰が経たれるのは仕方のないことだと思うし、そこがクリアされていて復帰できる人を非難する理由はないとも思う
自前で規制してたら法規制されないって保証は誰もくれないって点が一番大きいと思います。むしろどんどん範囲を広げようとされてるって感じます。
よく言われることだけどあくまで「性的な絵」を消費しているのであって、
女性を消費しているのは大学の某サークルとか飲み物にクスリ入れてる人たちでしょう。
惨事なんて良い言葉では全くないけれど、それを言うならこちらだって散々キモいと言われ続けています。キモいものはキモいから仕方ないですか?
配慮配慮と言いますが、例えば警察ドラマは殺人事件の被害者遺族に配慮して地上波から撤退したりしていません。
なぜnot for meであると自分から目を逸らさないのですか?
絵描きさんはそれぞれの感覚ですでに配慮して、大丈夫と思うところに載せているのでしょう。アカBANされたくないでしょうし。
そういう人にちょうどいいオクスリがアルね
Twitterで話題になっていた「同人女」に関するマンガを読んだ。面白かった。
大分流行に遅れてしまったけれど、このマンガにまつわるエピソードを語りたい。
https://twitter.com/sanada_jp/status/1269465337675698176?s=20
まず、「面白かった」、というのは「ギャグマンガとして面白かった」という意味だ。
ラストもその執念がちょっと空振りする感じ(うまくいえないけれど)がギャグ的に楽しかった。
Twitterで流れてきてサクッと読め、クスリと笑えるマンガとしては最高のバランスだ。
わたしは、これを「ギャグマンガ」として読ませていただいた。作者さんのファンになった。
Twitterで巻き起こったこのマンガに対する「語り」は、別次元に発展し、
同人女たちが共振し、ときには己の古傷を語りだしたありさまは、魔法で裁判にかけられた人みたいだった。
特に、わたしがタイムラインで見た「おけけパワー中島」への「心乱され感」がすごかった。
といった嫉妬・憎悪方向への共感があったことに驚いてしまった。
特に、
といった、冷静と情熱のあいだ、みたいな言及が、私にとっては恐怖そのものだった。
おけけパワー中島は、悪くはないのに人の心を乱す……?
ヒトノキモチ、ワカラナイ……コワイ ……
同人に参加する多くの人はアマチュアで、「作品が好き」という気持ちが昂ぶった帰結として、
「大金を使って本を出す」という狂気の趣味だ。意味がわからない。
この愛に狂った感じが心地いい。
結婚や出産・昇進、病気……理由は様々だが、自分では本は出さなくなった人もいる。
同人活動も生身の人間がやっているものなので、対人・金銭トラブル等の噂は耳にするものの、
基本的には「自分が作品に狂っている活動」を粛々と行っているように思えたので、
こうした「他人へのイラつき」みたいなものをカジュアルに表明されるのに驚いてしまったのだ。
私にとって「おけけパワー中島」は、初読のときには「神作家のフォロワーに一人はいる軽いノリの人あるある」程度だった。
私の経験でも、ものすごく上手な同人作家さんはなんとなく気軽に話しかけづらいものだが、
たいてい一人は非常に仲の良い人がいるので、楽しそうだな~と思いながら眺めているのが常だ。
もしリアルの友人が同じことしていたら
「ちょっとストーカーっぽい思考だから、しばらく同人から距離おいたら……?」と言う。
もしくは、
「そんなに仲良くなりたいんだったら、まずは挨拶とか萌え語りとかしてみないとスタートラインに建てないんじゃない? 」と言う。
七瀬さんは仲良くなりたいわけではなさそうなので、地雷を踏み抜きそうだなとも思う。
でも、千と千尋の神隠しで、「カオナシ」が千尋に金を差し出して気を引こうとしているのを眺めている気持ちになってしまう。
クソデカ感情の一方通行現象は、同人誌の中だけでお腹いっぱいだ。
「人に認められたい」「人に見られたい」というのは、ときには苦しいものなのではないかと思う。
承認欲求というのは自力では解決できない側面があり、努力で100%解決できるものではない。
"地獄になりやすい欲求ランキングトップ3(私調べ)"なので、
趣味である同人に持ち込むととてもじゃないがやってられないだろう。
そんなこじれた感情は、思春期で経験して割り切っていてほしいものである。
七瀬さんに対しては、「相互フォロワーになることと、pixivのブクマを超すことだったら、後者だけに絞れば?」とも言うかもしれない。
ブクマ数は努力という自分の責任になり、他人をコントロールしようという衝動から逃れるすべだとおもうからだ。
そんな価値観を持つ私は、
おけけパワー中島に心を乱される同人女の人とは、仲良くなれないと思っていた。
でも、そうではなかった。
Twitterで仲良くしてもらっていた人も、実際に経験していたようだし、
その気持を表明できる程度には、よくある話なのかもしれない。
いや、もしかしたら心を乱されないほうの人が少数派なのだろうか?
おけけパワー中島みたいに、「悪くはないのに人の心を乱す」存在はいくつもバリエーションがあるのかもしれないし、
わたしも、人知れず、誰かを傷つけたり恨みを買ったりしているかもしれない。
コワイ。
「おけけパワー中島」は、同人女のロールシャッハテストみたいなものだった。
彼女を見て何を感じ、何を語るか。それはその人の価値観や経験が色濃く反映されているのだろう。
もちろん、物語への没入能力が高い人は経験ないことにおいても”共感”ができるので、
実際に経験をしたことがなくても「おけけパワー中島に心を乱されるのあるあるだよね~」となるのかもしれない。
「おけけパワー中島」によって、
【価値観が異なる世界をまた一つ知ってしまった】という単なるカルチャーショックである。
カルチャーショックの対処方法は「そんな世界もあるんだな」って割り切ることしかない。