はてなキーワード: キューティーハニーとは
イケメンが壁ドンしておもしれー女って言いながらレイプしてくる今どきの少女漫画しか知らんかったからビックリだわ。
今だって暁のヨナみたいのはあるにはあるが、アレもメインはイケメン逆ハーレムであってバトルや政治はマクガフィンな部分あるからなあ。
なんつかこう、アンジェリークにおけるRPG要素は欲しくない人はオートモードで飛ばせますよぐらいの比重と言うか、皇国のアルタイルみたいなガチの戦争ものと比べるとその差は歴然と言うか。
それにしてもスケバン刑事、コスプレお色気JK刑事みたいなのかと思ったらガチガチのスリル&サスペンスじゃないか。
こういうタイプの少女漫画はせいぜい『秘密』ぐらいのものだと思っていたが、昔は結構あったんかね。
主人公が女性って点だと少年漫画ってよりはガンガンや電撃大王みたいな青年コミック紙にありそうな感じやね。
ゆーて男の性欲と向き合わされるああいうのと比べると色気がなく、その分だけテンポが早いから俺としてはこっちの方が好きだな。
スケバン刑事、てっきりドラマ原作かと思ったら漫画原作だし、セーラー服と機関銃的なノリかと思ったらツナギきて女囚サソリみたいな所からスタートするし、なんかマジでイメージと違ったわ。
キューティーハニー的なノリの漫画ではなく、いわゆる番長モノ・ウラ番長モノの文脈における女主人公なわけね。
セーラー服≒若い女の色気 という文脈ではなく、学ラン≒学園闘争を生きる者たちの戦闘服 みたいな文脈に近いというか。
永井豪の漫画家としての功績とフェミニズムについて言うならば、それは「少年漫画における少女像の変遷」について語る必要があります。
少年漫画には歴然とエロ枠があり、その中からも常に漫画史に名を残すべき作品が生まれてきたことは間違いありません。日活ロマンポルノが多くの映画人を輩出してきたのと同様に、少年漫画のエロ枠からも多くの才能が巣立っていきました。しかし、その枠内で当時の漫画関係者のもっていた女性像自体の変革を試み、実際に成功した人と言えば、それはやはり数少ないと思います。永井豪は、間違いなくそのうちの一人です。
永井は、1970年前後に少年4誌で同時連載を実現したほどの売れっ子漫画家でしたが、彼の出世作が「ハレンチ学園」(ジャンプ,1968~)であることは間違いないでしょう。この作品で彼は「柳生十兵衛」という少女をヒロインに設定しました。十兵衛は、侍ガール(!)であり、そして、男のエロ攻撃に対して敢然と戦うヒロインです。もちろん、エロ枠ですからいろいろな目に遭うわけですが、それでも永井の中にある「凛々しく強い女性」への憧憬が原型として誕生したわけです。続く少年チャンピオンでの連載で彼は、それまで少年漫画では御法度とされていた「少女が主人公」で連載をやりたいと編集部に訴えます。が、却下されました。そこで彼は「では悪党一家が主人公ということで」と言い抜けて、実際は一家の長女を主人公として連載をしました。それが「あばしり一家」(1969~)です。菊之助は、強くて悪くてセクシーで、そして底抜けに明るい戦う少女です。以後、彼の代表作の数々において、このような女性たちが大活躍することになります。(「デビルマン」のヒロイン「美樹」は、登場当初から主人公を圧倒する気の強い少女として登場し、終盤では前に立って戦う……そして……姿まで見せます(それまで少年漫画であんな目に遭うヒロインがいたでしょうか?)。「キューティーハニー」はエロ枠でありながら、遂に堂々と少女を主人公としかつヒットを飛ばしました。また、「デビルマン」の後に書かれた永井の代表作といってよい「バイオレンスジャック」では、頼りない主人公(男)を守る「戦う女性たち」が凄絶な美しさをもつ存在として、そして、ジャック自身も性別を超越した存在として描かれます。)
実際、一般的に言ってエロ枠における女性像というのは、1980年代以後の超有名作で言えば「まいっちんぐマチ子先生」にみられるように”セクハラを許容する都合の良い無力な聖母”みたいな所にありました。そういったものと比較すれば、永井作品がいかに先進的であったかが理解できると思います。
強く、カッコよく、セクシーな戦う女性たち、そして何よりも、主人公として活躍する少女。今日の少年漫画に女性主人公、自立した強い少女、守られるのでなく前に立つ少女、戦う少女は少なくありません。彼女らはどこから来たのか。また、プリキュアなど「戦う少女像」がどこに源流をもつのか。もちろん全てがとは言いませんが、永井をはじめとする多くの表現者が、女性をエロネタ扱いすることに飽き足らず(表現者の良心として)挑戦を続けてきた結果であろうと思っています。
私は、永井の作品が、1970年代から以後のガールズ・エンパワメントの一翼を担い、その後の同種の作品の先鞭をつけたという点で、フェミニズム史に大きな貢献をした人物として評価してよいと思っています。まあ、彼自身は「単に女の子が好きで書いてただけですよ」というだけかもしれませんが、彼の仕事は大きな意義のある仕事でした。
そんな永井先生の仕事の意義も当時の時代状況も理解せず、ただ単に身の回りの身内に受けのよさげなことを口走る自称「フェミニスト」がいるとしたら、それは歴史についてもフェミニズムについても理解の精度が低く、底が浅い存在と言うしかないでしょう。残念なことです。増田の書き込みが、ただの風聞に過ぎないことを祈ります。
最近出た「磯光雄 ANIMATION WORKS preproduction」読んでビビったわ!
13話の使徒侵入の回と旧劇の2号機VS量産機のあのかっこいいシーンをやってたのは知ってたけどこんなにエヴァンゲリオンの根幹に関わってたなんて知らなかったわ!
この本400ページあって2キロぐらいあるんだけど、磯光雄がこれまで関わった攻殻機動隊とかエヴァとかガンダムとか未発表企画とか色々な作品の資料が載ってんだけど、マジでボリュームがすげえんだよ。
エヴァだけでも50ページぐらいあるんだけど、担当した13話の脚本とストリーボードとかアイデアメモで終わるかと思ったら、もう各話の設定、ストーリーボード、アイデアメモがびっっっっっっしり載ってんの!
1~26話のシリーズ構成案とかさ各キャラの設定案とかちょっとしたセリフから、何から何まで膨大な仕事量なのよ!
一番ビックリしたのはエヴァで好きな19話の男の戦いとかも磯光雄はめっちゃアイデアを出してて、結局本編では一部が採用されただけなんだけど
磯案がまたすごく面白そうなんだよな(本編のその後の展開に対する批判なんかも読めて面白い)
興奮して調べてたらすごいの見つけた
【セントラルドグマ】【マギ】【シグマユニット】『電脳コイル』磯光雄監督が20年以上前の某アニメ脚本回の設定資料を"供養"
https://togetter.com/li/1073950
あの50Pにびっしり載ってるだけで驚いたのにこの分厚いファイル・・・あれでもほんの一部だったのか・・・・・・・
>もう20年以上前の某アニメで作った脚本回の設定。地下施設の詳細が決まってなかったのでセントラルドグマとか名称や細部を私が設定していった。他にも中盤は私が作ったセリフや展開が結構使用されているが結局全部ノーギャラ。
ていうかノーギャラやったんかい!!!これだけ貢献した人に対していくらなんでもひどすぎる!!!庵野は今すぐギャラを払え!!!
銃器、メカ、キャラ、ストーリー、舞台設定、その他もろもろを描ける知識量と発想力が尋常じゃない。
アニメーターとしても一流なのになんでこんな色々できるんだ・・・。宮崎駿と並び立つ才能だろ。
頼むからアニメ業界はこの人がやりたいこと全部やらしてあげたほうがいい!
今度NHKで磯光雄監督作の「地球外少年少女」やるからみんな見てくれ!!
やっぱりさー庵野のセンスってエヴァQのヴンダーを喜びながら出すところなんだよな
創作の掟としてよく言われる「ついていい嘘は一つだけ」ってあんじゃん
すでに巨大人型ロボットってでっかい嘘があるのにそこに超技術の巨大戦艦とか出すんだもんな
今の旦那は10代の頃に出会ったんだけど恋愛的に好き!抱かれたい!とか言うよりは「こいつとおったらおもろいわ」と思って結婚したから正直キスもセックスも苦痛なんだよね(結婚した義務だと思ってヤってる)
でも25超えてからSNSで知り合った年下の女の子に告白されてから意識するようになって(もちろんお断りしたし会ってもない浮気は良くない)ついにデリヘルを呼ぶ夢まで見てしまった
よくよく考えたらアニメやゲームで好きになるキャラも女ばっかだし旦那以外の男性を好きになった事もないしキューティーハニーの変身シーン大好きだったな
シン・アナコンダ
シン・オクトパス
シン・クロコダイル
シン・ジョーズ
シン・タイタニック
シン・宇宙戦争
新 仁義なき戦い/謀殺
新 第三の極道
新 第三の極道 ~裏盃・流血の掟~
新 第三の極道 II
新 第三の極道 III
新 第三の極道 V 裏盃の逆襲
新・ど根性ガエル
新・バブルと寝た女たち
新・ミナミの帝王
新・ミナミの帝王 ーニンベンの女ー
新・ミナミの帝王 ー仕掛けられた罠ー
新・ミナミの帝王 ー失われた絆ー
新・ミナミの帝王 ー命の値段ー
新・実録おんな鑑別所 ー恋獄ー
新・首領への道
新・首領への道 2
新・首領への道 3
新・首領への道 4
新・首領への道 5
新・首領への道 6
新・女囚さそり 701号
新・仁義なき戦い。
新・仁義の墓場
新・雪国
新・年少バトルロワイヤル
新・年少バトルロワイヤル 2
新・年少バトルロワイヤル 3
新・必殺からくり人
新・必殺仕置人
新・必殺仕舞人
新・片腕必殺剣
新・野望の軍団
新・野望の軍団 第三部
新・野望の軍団 第二部
新アリゲーター 新種襲来
新ここからの景
新サクラ大戦 the Animation
新サラリーマン専科
新レック デッド・ビギニング
新喜劇王
新極道の妻たち
新劇場版 頭文字D BATTLE DIGEST
新少林寺
新少林寺 三十六房
新仁義なき戦い 組長の首
新西遊記
シン仮面ライダーと同じような映画はこの世に存在する。ラブ&ポップやキューティーハニーだ。
それより連れられて見た「わたしの幸せな結婚」がちょっと見たことのない映画だった。
表紙と原作序盤は見たことがあり、所謂「スイーツ系」の認識でいた。
実際に見ると開始からなかなか世界観が作り込まれていて、認識を変えることになった。
美術にかなり拘っている大正浪漫恋愛ドラマな雰囲気を持っている作品で、そこは実際に間違いはないのだが、これは「なろう」に投稿されていた原作をもとにしているのでナーロッパならぬナー大正。架空の時代を描いている。
というわけでキャラクターは異能力を持っているのだ。映画としてだけ見ると異世界能力バトルになっていたのだ。
「わたしの幸せな結婚」というタイトルで出てきた作品にしてはびっくり設定だ。
しかし本作は基本的に恋愛ものであり、7割近くは主人公二人の馴れ初めが描かれている。
可哀想なほど虐げられて感情を殺して生きてきた主人公の女性が、嫁入りをした先に居たのは性格に難がある男だった…でもなんやかんや仲良くなる。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンというと語弊があるが、心を取り戻していく再生の王道ストーリーである。
しかし嫁いでもなお、執拗に元の家の継母は彼女を痛めつけようとしてきて……
ここまで軽く昼ドラ要素もあるのだが、ここからが異能力展開になる。
街中にはウイルスがばらまかれ…!!
原作を冒頭くらいしか見てなかったので「ど、どういうこっちゃ」と驚きつつ、シン仮面ライダーよりしっかりしたVFXバトルが行われるスクリーンを唖然としながら見ていくことになるのだ(なおバトルシーンは特に異能シーンがないのが謎だった笑)
多数のイケメン俳優がわらわら戦ってるのはシン仮面ライダーより平成ライダー感があった。
ラスト、完全に恋愛からかけ離れ少年漫画的な引きで終わる。続編作る気満々やんけ!
泣いてうるうる感動で終とはならないで少し困惑した女性客たちの声が上映後に起きるのもちょっと笑った。
別に恋愛でいちゃこらするよりは和バトルのが好みだしなという感想で今に至る。
続編するならテレビドラマ的なカメラワークは変えて、アクション監修をガッツリ入れるべきだと思ったが、もうこの時点で続編があれば見に行く気持ちになっていることに気づいた。
鑑賞後あれこれ考えたが実写作品では全然類似作品が浮かばない。
あれとこれをかけ合わせた作品だな、とは思うのだがズバリそれが無い。
せっかくなので同じバトルもの?としてシン仮面ライダー見た人たちにおすすめしたいと思う。
感想を聞かせてくれ。
こんな感じやろ。
「魔法使いサリー」「ひみつのアッコちゃん」から始まる古典的なシリーズ。
「変身」に限らずさまざまな魔法を使えることが多い。
ヒロインは「大人に変身する」ことが多く、特にアイドル要素が強い。
追記。
「魔法少女ちゅうかなぱいぱい!」「美少女仮面ポワトリン」「有言実行三姉妹シュシュトリアン」などの実写特撮ドラマシリーズ。
戦闘要素もあり、特にポワトリンはセーラームーンに影響を与えたと言われる。
シリーズとしては、同じ東映の「スケバン刑事」のヒットを受けて制作されたものである。
「魔法少女」と「変身ヒロイン」の2つの流れが合流し、魔法少女にがっつり「戦闘」を絡ませた作風を確立。
フォロワーに「ウェディングピーチ」「りりかSOS」「カードキャプターさくら」など。少女漫画原作が多い。
ほのぼのコメディの「赤ずきんチャチャ」までアニメ版では変身して戦う羽目に。
「男性オタク向け魔法少女パロディ」の始祖的な作品で、いわば「リリカルなのは」の大先輩。
さらにパロディ要素が強い「邪道魔法少女」として「ナースウィッチ小麦ちゃん」「大魔法峠」「ぷにぷにぽえみぃ」などがある。
シリーズとしてはそこそこ続いたが他への影響は薄い。
「暗黒魔法少女」的な作品としてまどマギの直接的な先祖と言える。
セーラームーンよりも肉弾的な戦闘が特徴。現在まで続く長期シリーズに。
ラノベ作家・西尾維新が描く、魔法少女の設定を下敷きにした「暗黒魔法少女」的なバトルもの。
ラノベ全体でも、「撲殺天使ドクロちゃん」「おと×まほ」など、2000年代にシリアス/コメディ問わず魔法少女パロディが増加している。
エロゲ作品のスピンオフ。魔法をビーム砲のように撃ち合う描写が特徴。
オタクのあいだで人気を得て、続編が多く作られ、二次創作人気でも一時代を築いた。
能とかが顕著
洗練され過ぎた伝統芸能は、普通の人はよくわからないし、気軽に能見に行く人は現在は少ない
歌舞伎なんかはもうちょっと大衆に浸透しているけど、それでもやっぱり格式が高くて難しいイメージがある
文学もそう
大衆小説やラノベなら読めても、ガルシアマルケス読むのは苦痛だった
現代アートなんかもそう
部屋中にスプーンが散乱してる様を見せられても頭抱えるし、ホールをマラソンランナーが走り抜ける、とかを展示と言われても反応すらできない
これらの現象が生じる理由は、芸術表現の技術の継承や習得の過程で、それなりの作法や慣習、お約束事を学ぶ必要がまずあるからだ
その結果、技術的歴史的背景への理解が深まり、一般人の知り得ない見え方感じ方の習得も行われている
そして、芸術作品というのは過去にあった作品の発展形や、過去の芸術家に対する解釈をさらに新たな作品として世に出すこともある
そのため、目の前のものだけでは理解に必要な材料が揃っておらず、理解には前提となる膨大な知識を要求するようになっているのだ
で
ポップアート、いわゆる美少女イラストなんかも当然そうなっている
親しみやすく感じ取りやすいがため、一般人もポップアートを理解できている気がしているから、批判も起きやすい
が、本当は能がわからないのと同様、ポップアートも全然わかっていない
歴史的には春画から始まり、戦前はノラクロ三等兵、そしてひみつのあっこちゃんにキューティーハニー、そしてミンキーモモやあんみつ姫を経て、スレイヤーズなどの時代から萌え絵という概念が誕生する
そしてスレーヤーズ的な絵柄から、ハルヒ的な絵柄へと変遷があり、さらに今はラブライブ的な絵柄がイラストやアニメに携わるイラストレーター、アニメーターたちの、”お作法”となっている
これはまさに時代の中の芸術の変遷であり、我々がラブライブ風イラストを街で普通に見るのは、いわゆる同時代性と呼ぶべきものであろう
イラストレーターの技術の継承や絵柄の流行り廃りがあるからこそ、岸田メルやさいとうなおきなどのような、現代の優れたイラストレーターがこの時代に優れたイラストを描ける
しかし、それらを「不快な萌え絵」と呼び嫌悪する方が存在する、というのはつまり、他の芸術と同様、ポップアートに対する背景を共有できない者が存在する、ということだろう
イラストに関連する現代の文化そのものが、洗練されすぎ、先鋭化していっているがために、イラスト文化アニメ文化を共有できない者の理解が追い付かなくなっているのだ
この現象を軽く考え、反萌え絵派をただ批判するというのは、「ガルシアマルケスすらわからないやつがラノベ面白い、とか言ってて笑う」とか「高師直も塩冶判官も知らないやつが忠臣蔵のドラマ見てて笑う」みたいな態度と言えるだろう
歴史的文化的背景の継承者のみしか理解できない芸術は必ず尻すぼみになる
絵や文字は、わかっていると勘違いしやすいものであるため、この認識を持ちづらいのも問題であろう
「一般の場に出す実用作品に、背景を要求するものは相応しくない」というのも、萌え絵に関する議論で考えるべきひとつの側面だろう
https://www.tokyo-np.co.jp/article/135244
プリキュアは性的視線から意図的に遠ざけられている。主な視聴者層は未就学の女児。キャラクターは自分より年上のロールモデルだ。もしそのキャラが性的に消費されてしまったら、保護者はもとより、これから羽ばたこうとする女の子の翼を折ってしまうからだろう。
現在の女子大学生は、ちょうど初代プリキュアを見た世代だ。私が授業でコンセプトを紹介すると、「当時プリキュアを見て、強くてかっこいい女性になりたいと思った」「アニメを通して固定概念がなくなるのは良いこと。自分もそうした流れに参画していきたい」という感想が出てくる。戦隊ヒーローものの「ごっこ遊び」では、ピンク役(1人だけしかいない女性キャラ)をやるしかなかったが、「プリキュア以降は好みのキャラが選べるようになった」という学生もいる。プリキュアのメッセージが若者に確実に伝わっていることが、とても頼もしい。
こういうジャッジをされるとき、一番プリキュアを「汚された」と感じる。「女の子にも暴力のカタルシスを」というテーマで始まったやつを「正しさ」で評価するのなんなん。
普通に濃縮されたビビッドカラーの女の子の性的イコンそのままじゃん。プリティーシリーズやアイカツとかもそうだけど
キュアブラックが最初へそ出してたのを続編で隠されてその後またへそ出しプリキュアも登場してくるのはどう解釈すれば
強くてかっこいい女キャラならリボンの騎士も峰不二子もキューティーハニーも居る。ポワトリンやイパネマ、シュシュトリアンなんかも観ていた自分としては、フェミ的な持ち上げ方をされるプリキュアは苦手。