「象徴天皇制」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 象徴天皇制とは

2018-03-04

anond:20180304022107

じゃあ、シンプルGHQの手柄か。天皇万歳宗教だったんだな。信仰を切り離して象徴天皇制に切り替えといて良かった。

2017-12-28

日本再興戦略

はじめに

 昭和20年大東亜戦争終結以来、我が国は急速な復興を遂げ、GDP換算で世界第2位の経済国家となった。他方で、アメリカ合衆国米国)を中心とするGHQによって拙速に作られ、我が国民の総意を反映しているとはおよそ言い難い憲法を保持することにより、国民精神の十全な発揚を伴った発展は掣肘を受けた。その結果、近年では共産党政権一党独裁国家である中華人民共和国中国)の経済成長に比して我が国経済の成長速度は鈍化し、世界第3位の経済大国という地位に甘んじている。拡大する経済力を基盤とした中国軍事的拡張と、各地での侵略行為は留まるところを知らず、国際秩序の安定上、予断を許さない状況が続いている。

 今こそ、軍事的圧力を背景に押し付けられた借り物の秩序から脱却し、我が国独自政治・経済社会的秩序を打ち建てる時が来ている。帝国主義的な拡張路線にひた走る中国ロシア凌駕し、我が国民がその潜在力を十全に発揮し、我が国未来永劫にわたって繁栄を続けるための基本的条件は、古来より連綿と受け継がれたわが国独自精神文化に立ち戻り、それ基づく政治・経済社会へと変革を成し遂げることにある。以下ではこうした方針に基づいた変革のあらましを記述し、現在に至るまでの進捗状況について述べる。

政治社会

 現行憲法に起因する政治社会制度上の根本的な問題は、国民主権あるいは民主主義の名の下に、収拾のつかぬ意見の多数性がいたずらに尊重され、急を要するあらゆる変革への掣肘となり、かえって衆愚政治に堕していることである。したがって、憲法改正して大日本帝国憲法天皇主権に立ち戻り、国民の強固な統合を図ることが最も枢要である。この目的に照らしてみれば、基本的人権結社の自由信教の自由制限を受けることは当然である。引き続き憲法改正議論を提起し、我が国伝統的家父長制に基づいた国民統合を進めねばならない。

 大東亜戦争終結時、GHQにより天皇制廃止議論が起こり、その方向で新憲法が起案された。先代天皇連合国最高司令官マッカーサー元帥と面会し、象徴としての天皇制存続を取り付けることに成功した。天皇主権国家が次に戦争をひきおこし、他国国土占領される事態に至った場合万世一系天皇家は確実に廃絶されるという教訓を、この経験天皇家に与えた。

 今上天皇はこの教訓を遵守し、天皇主権憲法へと改正を進める論議が起こるにあたって、自らの退位によってこの流れを断ち切ろうと試みた。しか象徴天皇制下において、このような越権行為断じて許されるものではない。天皇象徴となった現在、新憲法下で天皇主権意味するところは、天皇に助言を行う内閣主権であり、ひいては、内閣の長たる内閣総理大臣主権でなくてはならない。こうした主権移譲が円滑に行われるよう、憲法改正議論は続けていかなくてはならない。

 現行憲法下での平等は機会の均等を国民保障する根拠となったが、これはかえって我が国の発展を妨げることとなった。国家が永続的な発展を続けるには、強いものさらなる発展を続けることが、より合理的である。したがって、豊かなものさらに豊かに、強いものさらに強くなるよう、あらゆる方面において既存の有力家への支援を一層拡大することが枢要である

 進捗度: 順調に推移している。

経済

 イノベーションとは畢竟、知的金銭的、社会的な多様な資本の集約を要する。資源の限られたわが国において、すでに成長を遂げた企業への支援継続することが最も合理的である税制労働法制の改革はこの路線に沿って行われなければならない。

 強いものさらなる発展を続けることが合理的である以上、国民の間に所得によって階層分化が生じることは必然である低所得者納税額高所得者に比して低いため、利用可能福祉サービスを減らすことが合理的である福祉サービスの削減について合意を得るためには、強いもの努力によって強くなったのであり、弱いものはみずから怠惰からそうなったのであり、自己責任であるという当然の理路について、国民により一層の教育を図る必要がある。

 進捗度: 順調に推移している。

科学技術

 科学技術国家経済的軍事的発展を支え、国家威信を高めるものでなければ、その存在意義を持たず、財政的援助を受ける必然性がないことは論を俟たない。したがって、産業への応用可能性が最も高い分野に集中的な投資を行い、投資正味現在価値に対する監視を強め、投資判断組織の改編は迅速に行うべきである

 我が国独立独歩中国およびロシア軍事的に対抗するためには、軍事産業の育成が急務である。したがって、大学等の高等研究機関において軍事研究への投資を拡大し、軍事産業の発展に必要技術および人材の育成をさらに進めるべきである

 大学における学問の自由は、天皇主権国家の発展を妨げないかぎりにおいて認められる。国立大学については財政上、人事上での国家の関与を一層強化し、国家経済的軍事的発展へ大学が確実に資するよう政府は導かねばならない。

 進捗度: 順調に推移している。



平成29年12月28日改訂

内閣府では本戦略案に関するパブリックコメントを受け付けています

2017-12-21

意味が分からない。

天皇制さっさとなくなれよ。

かこさんはかわいいから何とも言いにくいけど、まじで天皇税金しり取って生活してんじゃねぇよふざけんな。何が象徴くそったれ。

天皇は我々では考えられないほどの仕事をしてるんだ!!!」

っていうならわかったよ。じゃあ交換だ。俺と変われ。

なぜできない。差別じゃないか

まれた親が違うだけで、こんなにも違うのか生活が。

平等社会に!」とかほざいてんじゃねぇよ。だったら天皇芸能プロダクションかなんかに入って、自分で稼げよ。

全く努力をせず、ただニコニコして、まわりの言うように動いてそんであの超優遇

ありえない。

まずどう見ても差別じゃないか

被差別部落の人を馬鹿にするのは、いけないわけだ。

それはなんでだ。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」ってことだろう?

なんで生まれた時から「さま」付けされて生きてんだ。

「さま」って敬意をこめて使う呼び方だろ。なんで敬意をこめなきゃいけないんだ。

伝統のある家系からか?じゃあ被差別部落人間侮辱の意を込めて呼ぼうぜ。何がいけない?

てかまずさ、これはホント初歩的なことだけど、まぁ百歩譲って天皇を認めるとしよう。

天皇ってさ、「日本国象徴」なわけだ。

そんで「象徴」って「主に抽象的なものを表すのに役立つ、それと関係が深いまたはそれを連想させやすい、具体的なもの。」っていう意味なわけだ。

まってくれ。都心あんデカいスペースを使ってお家立てて、税金バンバン入ってて、高級車にボディーガードに最高級の料理

これって、日本人日本国象徴なのか?お前らで同じような生活してるやつどのくらいいるよ。象徴だろ????

キトーなんだよなホント。そんでこれについて異議を唱えると、チョンだ、売国奴だって言われる。

意味が分からない。

じゃあ逆に仮に俺がお隣の国から来たとして、君らはこの問題にしっかりと立ち向かえるのか?無理だろう?戦前から思考停止して、森友大好きな連中だもんな。

まぁ政治の話を入れると荒れそうだからあんま言わないけど、天皇について一度よく考えてみてもいいんじゃないかなと思っただけです。

追記

天皇制象徴天皇制

被差別部落人間侮辱すべきでないと知っています。例えとして挙げただけで、差別はよくないことです。

自分正式な記録が残っている範囲では四代前から日本人です。それ以上前は探すのにお金がかかるのでやってませんが、日本人だったとは聞いてます

あと、生まれた時から東京育ちです。てか、すぐチョンだっていうネトウヨってホント馬鹿だよな。

2017-09-19

憲法二条改正論

序論

安倍首相が、「2020年を新しい憲法施行される年にしたい」と憲法記念日ビデオメッセージ発言したことが、改憲論議を活発化させている。

安倍首相改憲の焦点として挙げているのは第九条だ。また、第九十六条改正して改正発議要件を緩和すべきという議論もある。しかし、第二条をめぐっては、天皇の退位の問題に関連して言及されることはあっても、改正すべきという議論は聞こえてこない。しかし、第二条ほど改正必要とする条項は他にないのではないだろうか。

日本国憲法二条は次のような条文だ。

皇位は、世襲のものであつて、国会議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

問題は、皇位世襲のものとしている点だ。世襲制度の採用合理的か否かはケースバイケースだが、現行の天皇制世襲制度を維持することに、果たしてどんな利点があるのだろうか。むしろ弊害のほうが大きいのではないか

本稿は、皇位世襲制度は廃止すべきであるという立場から、この問題を論ずる。

日本国憲法二条問題点

日本国憲法二条が定めている皇位世襲制度には、次の二つの点で瑕疵がある。

以下、詳論する。

人権侵害

ワタミフードサービス電通ゼリア新薬ベネッセコーポレーションLDHのような、長時間労働強要洗脳退職勧奨、暴力行為といった、社員に対する人権侵害常態化している企業は、「ブラック企業」と称される。企業社員とは言えないが、天皇が置かれている境遇もまた、あたかブラック企業社員のごとく、人権侵害が甚だしい。

天皇に対する最大の人権侵害は、職務過酷さだ。天皇職務過酷だと思わない者は、所功天皇の「まつりごと」』を読むとよい。そうすれば、天皇仕事量がいかに膨大である理解できるだろう。

信教の自由を奪われていることも、天皇に対する人権侵害の一つだ。天皇信仰を許される唯一の宗教神道だ。明治維新までは仏教信仰も許されていたが、それ以降、天皇仏教帰依することは暗黙のタブーとなっている。

天皇職務過酷さも、信教の自由侵害も、その原因は世襲制度だ。天皇職務過酷であるのは、天皇という一人の人間に二人分の職務が課せられているからだ。すなわち、国家機関としての天皇が果たすべき職務と、祭祀王としての天皇が果たすべき職務は、それぞれが一人分の仕事量に相当する。天皇信教の自由侵害されているのも、天皇祭祀王を兼任しているからだ。

皇位世襲制度を廃止するということは、国家機関としての天皇と、祭祀王としての天皇との分離を意味する(後者呼称は「天皇」以外のものに改称されることが望ましい)。天皇二名に分離すれば、職務過酷さの問題も、信教の自由問題解決する。新たな制度における国家機関としての天皇は、宮中祭祀の重責から解放され、信教の自由も獲得するだろう。

余談だが、現行の天皇制において人権侵害されるのは、皇嗣として生まれてきた者のみに留まらない。その者の配偶者もまた同様だ。

皇嗣の配偶者になることは自身自由放棄することだ。誰が喜んでそんなことをするだろう。雅子さまも、本人の意思によって浩宮さまと結婚されたわけではない。Newsweek誌は雅子さまThe Reluctant Princess(不承不承のプリンセス)と呼んだが、この言葉彼女の身の上に何が起こったかを的確に表現するものだ。来る悠仁さまのお后選びでは、このような悲劇が繰り返されないことを願いたい。

天皇資質

子供は親のクローンではない。ゆえに、鳶が鷹を生むこともあれば、逆に鷹が鳶を生むこともある。世襲制度を厳格に運用した場合、もしも生まれてきた者が鳶ならば、鳶が何らかの地位継承することになるが、これは悲劇を生む蓋然性が高い。

次のような事例がある。

https://twitter.com/osakadenshi/status/863981952474300416

ウィキペディアによれば、この学校がこれまでに輩出した卒業生の数は3万人だそうだ。しかし、現状がこれだとすると、4万人に到達する日は永遠に来ないだろう。

この学校が急激に衰退した原因は、世襲制度だ。生まれてきた者が鷹ではなく鳶だった場合は、どこかから鷹を連れて来て禅譲すべきだった。世襲制度に拘泥した結果がこの悲劇だ。

現行の天皇制もまた、鳶が皇位に即く危険性と無縁ではない。皇位世襲制度に固執し続けるならば、日本はいつか、鳶が天皇即位する日を迎えるだろう。天皇庶民の前に姿を見せる必要がなかった時代においては、鳶であろうと雀であろうと問題はなかったかもしれないが、象徴天皇制における天皇が鳶に務まるかどうかは心もとない。

皇室血統伝統いかに維持するか

皇位世襲制度を廃止すべきという主張に対して、おそらく保守派の人々は、「万世一系血統」乃至「皇室伝統」というような議論を持ち出すだろう。しかし、国家制度において血統伝統を維持することにはいかなる合理的必要性もない。さらに、皇室伝統には宮中祭祀という宗教的活動が含まれているが、これは憲法第二十条規定される政教分離抵触しているおそれがある。

おそらく日本国民の大多数は、皇室保有している血統伝統はいかなる価値もないという主張には賛同しないだろう。ゆえに、それを維持すべきであるという主張にも一定合理性がある。しかし、何らかの組織血統伝統を維持するために、それが国家機関であることを必要とするだろうか。血統伝統を維持している民間組織枚挙に遑がない。

皇位世襲制度を廃止するということは、国家機関としての天皇と、祭祀王としての天皇との分離を意味する」と上で述べたが、それらが分離されたとき、それと同時に皇室民営化されるべきだ。そうすれば、憲法第二十条抵触することな宮中祭祀を維持することができる。

世襲制度に代わる制度

本稿の目的は、皇位世襲制度は廃止すべきだと主張することであり、それに代わる制度について述べることは本稿の目的ではない。しかし、世襲制度に代わる制度について、付論として筆者の見解を述べておきたい。

世襲制度に代わる制度としては、公選制度が望ましいとする意見が出されることが予想される。しかし筆者は、皇位公選制度には反対だ。その理由は、天皇の人選には反知性主義的な見解が反映されるべきではないと考えるからだ。天皇は、今上陛下がそうであるごとく、正しい歴史認識を持つ者でなければならないが、公選制度によって選出された天皇がその条件を満たすとは考え難い。

世襲制度に代わる制度設計する上で参考となるのは、元号の選定の制度だ。なぜなら、元号の選定もまた、反知性主義的な見解を避けなければならない制度の一つだからだ。元号は、漢文学国文学関連の有識者候補を考案することになっていて、決して一般公募ではない。しかし、これに対する異論寡聞にして知らない。大多数の国民DQN元号キラキラ元号を望んでいないからだろう。

結論

日本国憲法二条規定する皇位世襲制度は、人権侵害及び天皇資質に関する懸念があり、廃止すべきだ。

そして、憲法第二十条規定する政教分離抵触することを避けるため、宮中祭祀実施する主体である皇室民営化すべきだ。

2017-06-04

敢えて、天皇陛下にご諫言申し上げたい。

2016年8月8日、「象徴としてのお務め」に関する天皇陛下のお言葉以降、退位へ向けた法整備が進んできました。

私は、陛下のお言葉を拝聴して以来、この事態を大変憂慮しております

私は、我が国国民のために献身的に尽くされている天皇陛下のお姿、例えば、東日本大震災被災者先の大戦戦没者に対する慰霊特にパラオをはじめとする国外の様々な地域へのご訪問など、陛下の務められる幾多のご公務を通じて示されているご意志お気持ち全面的に信頼しております

先のお言葉の中で示されたお気持ちは、単なる「存在」としての「象徴天皇」ではなく、「行為する存在」としての「象徴天皇」のあり方に対する強い決意と自負の表明であり、「十分に行為できなくなった天皇」が「象徴」の地位にとどまり続けることこそが、やがて象徴天皇皇室に対する国民の信頼を失わせ、その結果として皇室の存続を危うくすることにつながるという強い危機感の表明である、と私は理解しました。

しかし、私は、この陛下お気持ちの示され方について、敢えてご諫言申し上げねばなりません。

先の大戦で、私たちの国は、天皇神格として祀り上げ、天皇の名のもとに、悲惨戦争を戦いました。国内外に甚大な死者を出したこの戦争は、国策の誤りでした。

私たち日本国憲法代表される戦後政治体制のもとで、天皇日本国日本国民統合象徴として位置付けることで、政治的権能から切り離しました。

天皇の権能を非政治化し祭祀国事行為限定することは、むしろ日本国日本国民にとって素晴らしい知恵であったと考えます。非政治的存在として祈り慰霊するからこそ、私たちはそのお気持ちを信頼し、共にひとつとなれるのです。もし政治的権能を有する者であったなら、その政治的行為に対する責任が生じ、過ちがあればその責任を追及し責めを負わせなければならなくなります。仮にその政治的行為のために報われない者が生じれば、その者たちは行為者に対して怨嗟感情を抱くこともあるでしょう。政治的権能を有しないからこそ、日本国日本国民統合象徴でありえるのであり、私たちはその心を信じることができ、癒しを得ることができるのです。

今回のお言葉によって、国会は退位を可能とする特例法を制定しようとしていますしかし、これは明らかに、天皇陛下のお言葉立法過程へ影響を与えたことになり、天皇政治的行為可能性をひとつ押し広げてしまったことは間違いありません。

また、2017年5月21日毎日新聞が、天皇退位をめぐる政府有識者会議における専門家発言に対して、不満を漏らされたと報じました。「自分意志が曲げられるとは思っていなかった」と述べたとされています毎日新聞報道を受け、発言をした専門家しかも一人はすでに故人)が陛下生き方全否定しているなどと強く批判されました。

もしこの発言事実であるとすれば由々しきことであるのは言うまでもありません。天皇意志とは異なる形で立法作業が進むことを天皇自身が阻むことになれば、それはもはや政治的行為のものです。天皇が自らの意志を表明して、政治的行為を直接行ったり、また間接的にでも強い影響力を及ぼすことは、象徴としての天皇位置づけを揺るがすものであり、上で述べた天皇行為による癒しを損ない、むしろ皇室に対する信頼を危険晒すことになると考えます

あるいはこの発言事実ではなかったのかもしれません。しかし、天皇が、たとえ自らの地位出処進退に関することであったとしても、意志を表明し影響力を与えることができる可能性を広げることは、天皇意志僭称し、それをもって国民を動かし、一定政治的成果を得ようとする者を産むことにつながるのです。天皇意志に基づいていると見せかけて、特定個人糾弾されることは、戦後私たちが作り上げてきた象徴天皇制の枠組みの中で、極めて異常な事態なのです。

私たちは、今回のように「天皇意志」が示された、あるいはそれが僭称されたことで、容易にその意向に沿おうとしたり、それによって個人糾弾したりしてしまう傾向を今もなお強く持っています。だからこそ、天皇意志が直接にはもちろん間接的にではあっても政治的影響力を持つことがないよう、意思の表明を極めて抑制的に限定し、同時にそのことで、祭祀慰霊という行為を通じて、天皇日本国日本国民統合象徴たらしめ、同時にすべての日本国民が等しく癒しを得ることができる仕組み─「象徴天皇制」─が大切なのです。

陛下は先のお言葉の中で、「十分に行為できなくなった天皇」が「象徴」の地位にとどまり続けることが皇室の存続を危うくすると述べられました。しかし、私たち臣民」は、どうぞそこまでご心配さらないでください、と申し上げなければなりません。たとえ陛下が十分に行為できなくなり、代行者を置かなければならなくなったとしても、私たち陛下のお心を、そしてこれまだ果たしてこられたその行為を決して忘れることはないし、またそのことで皇室を廃そうなどと考えることは決してございません、と。むしろ政治的影響力を与える可能性を広げてしまうことの方が、象徴としての「存在」を穢し、皇室に対する国民的信頼を損なうことになってしまうのです、と。

2016-08-09

NewsPicksより

(引用)

崩御、即、改元ではないとしたら、象徴天皇制であっても明治時代以来の転換となりますので、これまでのあり方が大きく変わることになります政府にも国民にもそれなりの自覚が求められますが、果たしてどこまで考察が深まるだろうか。

追記 拙著東条英機処刑の日」(文春文庫版)の宣伝と思われるのがいやだったので書きませんでしたが、皇太子時代の、15歳の誕生日戦犯処刑されたのはGHQが仕組んだ導火線でした。天皇誕生日ごとに休日となりあの戦争を思い出す仕掛けです。しか昭和天皇長寿ですっかり忘れられてしまいましたが、今上天皇陛下はひとときも忘れずアジア沖縄など戦争被災地訪問し続けたのです。

-------

明治以降の転換なのでこれまでのあり方と大きく変わる

という認識があまりないのかなというのを感じる

2016-08-08

http://anond.hatelabo.jp/20160808234619

生前退位検討する上で、そもそもの象徴天皇制の維持について議論が及ぶことは避けられないだろうね

純然たる日本国民

純然たる日本国民へ。

平成28年8月8日天皇陛下お気持ちを示されました。

その一部は、高齢加齢による国事行為公的行為が全うできいことへの陛下自身の憂いである。

私は、高齢であっても「人が老いるのは当然でしょ」という思いがあるので、

陛下公務が減少しても、たとえ間違いがあっても、「陛下も人なのだから、それはそれでよいのではないか」と、

陛下の体調に合わせた公務の仕方を採り、陛下ありのままのお姿で構わないではないか、と考えていた。

ところが、今日陛下お気持ちには、

生前退位を含意する強いご意志があるのである

日本国憲法にいう第4条、もとい象徴天皇制においては、天皇が国政に関する権能を有しないのだから

このお気持ちを示されたことをもって、直ちに日本政府国会議員公人のうちだけで直接あるいは間接的に関連法規改正言動してはならないのである

無論、この制度的に保障された部分について異論は無い。むしろ陛下もそれは望まないであろう。

しかし、これでは、天皇陛下お気持ち過去数年前から憂慮されていることが具現化できない。

今上天皇は、日本国憲法公布以降はじめての皇位継承をされたお立場である

戦後象徴天皇制のお務めを全うすべく大変なご苦労やお気遣いをされてきたのである

日本国民とともに歩み続け、日本国民とともに在り続けたいという陛下のこの思いは、

先述の「公務を減らしたり、間違いがあっても構わない」ということでは成しえない、という憂いの現われである

そこで、純然たる日本国民は、請願実施しようではないか請願法昭和22年3月13日法律第13号)に則した請願であれば、

国民から請願によって国会政府に働きかけることができるのである

国民から法律改正(主に皇室典範)を請願すれば、政府国会大義名分で審議ができるのである

さぁ、純然たる日本国民よ。

請願しよう。

Powered by 元ヤン

2016-07-17

天皇人権ってなに?

天皇生前に退位するのしないの云々の問題でよく

「やめたいのにやめられないなんて、陛下人権は?」みたいなことを言ってる人いるけど、

そもそも天皇とか皇族基本的人権ってないよね?


職業選択の自由も、移動の自由も、選挙権被選挙権もないし、

「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種信条性別社会的身分又は門地により、

政治的経済的又は社会的関係において、差別されない。(第14条)」とは

対極の存在だし、

そもそも日本国戸籍すらない。

まあ、だからといってすべての人権が奪われているわけでもなかろうが、

幸福追求の権利保障されているのかいないのか、よく分からん


人権制限されて、「象徴」のお仕事をひたすら続ける国民の僕みたいな存在なのが

今の(日本国憲法かにおける制度としての)天皇なんだろうと思う。


天皇のご希望にしたがって法律を作るというのも、

現行の象徴天皇制としてはちとマズい話なので、

宮内庁長官やら次長やらが「陛下がそのような意思を示れたことはない」と

頑なに言い張るのも、その辺のことが絡んでいるからだろう。み

一連の報道の影には、あくまで、国民がそう望んでいるんですよ、という雰囲気作りの意図

感じなくもない。


宮内庁安部内閣なかなか言うとおりに動いてくれないので、

世論を動かそうとして、天皇自らがなんらかのルートを使ってリークした、とかだったりすると

話としては面白いけれど、


にしても、陛下がおかわいそう、陛下希望をかなえて差し上げたい、というのを突き詰めていくと、

行き着く先は「憲法を変える」とか、「天皇制廃止する」とか、そういうことになるんだろうけど、

はたして そこまでラディカルに考えている人は、どれくらいいるんだろうか?

2014-05-30

現代社会は、神性を政治に求めて敗れた人々が行き着いた妥協産物だ。

人々には認識可能な神の存在必要だが、人はたやすく神にはなれない。

身分としての「神」があったとしても、神性を維持するためには「神」は実際の政治を行わず世襲によって維持するのが現実的である

その点、象徴天皇制議会制民主主義並存は極めて優れた方法である

必要なのは安易現状変更ではなく、全国民が一体となる祝福と、現状制度の適切運用である

2013-11-07

園遊会の場での手紙の件についてのご説明とお詫び

先日の園遊会の場で、わたくしが天皇陛下手紙をお渡しをした件に関しまして、今一度皆さまにご説明をさせていただきたく存じます

--

まずは、この場をお借りいたしまして、関係者の皆さま方に大変なご迷惑をおかけしておりますことをお詫び申し上げます

--

参議院議員である私が、このような行動を取ったということによって、議会制民主主義観点象徴天皇制観点などから、大変に重大な影響が各所に及んでいるということは、まさしく、皆さまがマスコミ報道を通じてご覧になられているとおりであります私自身、あの場で、あの行動に及んだ際に、そうした意味を事前に十分理解をしていたかというと、大変申し訳ないのですが、答えは否であり、その点におきまして、私の認識不足・勉強不足であり、軽率であったことを率直に認めたいと思います有権者の方々、選挙を通じて私をご支持いただいた支援者の方々にお詫び申し上げたい。また、天皇陛下に対してこのような言い方をするのが適切なのかどうかもわからないのですが、天皇陛下にご迷惑をおかけしていること、これを心からお詫び申し上げたいと思います

--

私が、あの行動、天皇陛下に対して自筆の手紙をお渡しするという行動に至った背景といいますか、心境に関してご説明をさせてください。

--

2011年3月11日震災のあの日を境に日本は大きく変わりました。津波により多くのの方々が命を失い、また、いまでもなお行方不明の方が多くいらっしゃいます。そのような方が約2万名もいらっしゃいます。そして、福島第一原子力発電所事故により、住み慣れた故郷の地を追われた方が多くいらっしゃいます放射能の影響で健康生活を失った方、健康被害におびえる方々が数多くいらっしゃいます

--

震災から2年と半年がたち、日本は確かな復興の道を歩み始めたように世間では言われております東京オリンピックを開催することが決まりました。東北で起きたことは過去のことで、われわれは、すでに未来に向かっている、そのように感じられますしかし、はたしてそれは正しいのでしょうか。私たちがこのようにしている今この瞬間にも、震災により苦しみ続けている方が日本に何万人もいるという事実収束の見込みのない原子炉暴走に対してわが身を賭して立ち向かう方々が何千人もいるという事実、そうした事実に対して私は言いようのない焦燥感を感じるのです。私たちは向き合うべき事実から目をそらしているだけでないか未来に目を向ける前に、現実悲惨でやるせない現実、重苦しい現実に目を向けるべきではないか、そのように私は考えるのです。

--

政治家とは、国民に対してビジョンを示さねばなりません。参議院議員である私はどうすべきか。オリンピック開催をはじめとする、華々しい未来経済発展科学技術により生活の向上が日本の進むべき道なのか。経済発展を推し進め、国民経済的にさらに豊かになるという姿が日本の目指すべき道なのか。3月11日以降に我々が感じた迷いを忘れ、成長への道を再び、がむしゃらに歩むのが正しいのか。私には、どうしてもそのようには感じられません。

--

私は考えます。今は一歩踏みとどまり、考えるべき時であると。思わず目を背けたくなる事実と向き合う。つらい境遇、本当につらい境遇に今ある人々たちに寄り添うこと。そして、我々の今までを振り返り、反省すべきことは反省し、改めるべきことは改める。成長のスピードは落ちるかもしれません。しかし、それが我々にとって真の豊かさと平和を与えてくれるのではないか日本を取り囲む世界の人々と本当の意味で理解しあい、そして共に歩む未来になるのではないか、このように思うのです。

--

園遊会の前は私は一睡もしておりませんでした。園遊会というものに関して最初に知りました、その時から、何か私には、インスピレーションといいますか、私の思いを天皇陛下にお伝えすべきだ、とその一念に取りつかれておりました。そして、園遊会の3日ほど前からでしょうか。私は最初はおぼえがきのようなつもりで自らの考えを書き始め、書いては、やはりそのようなことは大それたことと思い、それを破り捨て、しかし思い直しては、やはり書き直し、ということを私は何度繰り返したかわかりません。そして、もう最後は、赤坂御苑に向かう車の出発するその時間まで、机の上の自筆の紙と向き合い、悩み続け、それをどうすべきか迷いながら、そして、最後は私の中の情念といいますか、そのようなもの自分の迷いを押し切る形で天皇陛下にお渡しをした、それがあの手紙でございます

--

私の起こした行動により、大変な影響が生じておりますこと、冒頭に申し上げました通り、大変申し訳なく思っておりますしかしながら、あえてこの場で申し上げたい。震災によって生じている現実から目を背けるべきではありません。そのことに関しましては、私は、今現在も信念は変わりませんし、国民の皆さまに同じことをこれからも訴え続けていきたいと思います。このような言い方をすると、関係各所の方からお叱りを受けると思いますが、私が仮に、またあの園遊会の同じ場におりましたら、同じことを行います。迷いながら、そして、不器用ではありますが、お伝えすべきこと・訴えるべきことには、声を上げ続ける。大変申し訳ありませんが、それが私のスタイルです。今後ともなにとぞ、ご支持ならびにご鞭撻を賜りますよう心よりお願いを申し上げます

2013-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20131101212144

掲示板に転がってたのこぴぺ

山本太郎手紙手渡し事件まとめ

問題点

不敬罪的なもの(そういう罪は実際ない)

 ⇒天皇制解釈の問題になるので深くは突っ込まない

天皇政治利用

山本太郎議員資格

 1.現在日本象徴天皇制であり直訴には意味がない⇒憲法理解していない

 2.議員立場活用していない(議員でありながら活動家のような行動)

テロを想定していなかった

 仮に山本太郎議員議席をもったテロリストだったらどうしていたか

対応

議席を失わせる

憲法58条「議員規則懲罰」で出席議員3分の2の過半数が賛成で除名(ただしこれは院内での話)

憲法55条「資格争訟の裁判」で出席議員3分の2の過半数が賛成で議席失わせられる

*懸念

・体制に除去されることで英雄化する

 =キリスト効果

  迫害を受ければ受けるほど権威コンプレックスあるやつらに歓迎される

  (⇒左翼テロリストの狙い目「弱者救済」)

2013-07-09

http://anond.hatelabo.jp/20130709183114

国旗国歌の尊重が「押し付けであるなら、

国旗国歌の「尊重」に文句を言ってるソースリーズ

国旗国歌を「押しつけ」してはいかん、そんなことはしないしそんな法律ではない、と「国旗国歌法」の採決時には、国会でも説明があったわけで、「国旗国歌を尊重する」ことは当たり前としても「国旗国歌押し付け」はダメですよ。当然。

だが、結果的に言えば、下っ端の阿呆押し付けをする事態になっても、法を決めた国は知らん顔である。だから文句がでる。当然のこと。

軍隊を持つな」という現行憲法GHQによる「押し付け」ではないのか?

草案が「押し付け」であっても、法案は日本国会で採決され承認されている。GHQが「憲法ハコレダ。国会承認ナド不要ダ」と言ったのならそれは押し付けだろう。が、当該法案は国会付託され、衆議院本会議では「賛成421票、反対8票」という、圧倒的多数により可決している。さらに、戦後60年を振り返れば、現行憲法をうまく利用することで日本は発展を謳歌してきた事実がある。そして、現在ほとんどの世代は、現行憲法の下で生まれ、育ち、繁栄の結果を享受して生きている。いつまでも押し付け」というバカの一つ覚えを繰り返すのは、現行の日本という国家に対して強い不満をもつ方々だけではないか

ちなみに、自民党がずっと党是として「憲法改正自主憲法制定」を掲げてきたことは、当然知っている。その眼目が、象徴天皇制と、戦力不保持を定めた9条の改正にあることもよく知っているし、戦前世代の方々がずっともやもやしておられるのも、心情としてはよく分かる。が、現下の状況で、それらを改正することが本当に必要なのか? あるいは、タイミングとしてベストか? 現行憲法下でも自衛隊は厳然と存在し、海外派遣もした。空母よりでかい船でも、「護衛艦」と言い張ることで、周辺国からの過剰な摩擦なしにウマウマと建造できている。象徴であれなんであれ、天皇制は見事に存続し、一定の敬意は保たれている。何か不満があるのか?

今、自民政権憲法改正に突き進めば、必ずや内外の大きな反発を呼び、極東の緊張は高まる中韓との領土問題北朝鮮の核が顕在化する現時点で、その方向に事態が進むことを、おそらくアメリカは望まない。イラクときには、一応アメリカ自衛隊海外派遣必要としており、その意味では、今よりずっとタイミングとしては可能性があった。今は、残念ながらそのタイミングではない(むしろ逆風だ)。ハッキリ言って、今、いくら国民の支持を得たところで、現実憲法改正の段階へ進もうとすると、外からの逆風をモロに被って、結局そうなると政権は話を引っ込めるだろう。

それが分かっている以上、憲法改正の話は、所詮ブラフだ。安倍政権は、憲法改正を(本当は)やらないし、そもそもできないだろう。あなたが懸命に「押し付けガー」と強弁しても、半年後にはハシゴを外されているよ。多分。

護憲派は、自分達の主張に沿う内容なら「押し付けではない」と抗弁し、自分達の主張に沿わなければ「押し付けではない」と抗弁する。そんな二重基準だから護憲派から人が離れていく。

まあ、あなたそもそも護憲派じゃないだろうw

2013-07-02

憲法ブームにのっかって最初から読んでみる・前文と1条から9条まで

10日分たまったので整理、というかコピペ

条文ごとに別記事だと見にくいし、かといって今回のようにコピペするのも面倒なので、10条以降は書いたものに追記していくことにしよう。




昨日からコンビニ憲法の本が販売されてるらしい。

改正の話題などもあって、どうやら憲法ブームのようなものが起きつつあると感じる。

ので、自分もこれにのっかって憲法を読んでみて、思ったところを書きとめておこうと思う。

今日はとりあえず前文を。

  日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府行為によつて再び戦争惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威国民に由来し、その権力国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法法令及び詔勅を排除する。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐ国際社会おいて、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想目的を達成することを誓ふ。

「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」→代表民主制ってことか。

主権国民に存することを宣言」→国民主権だね。

「恒久の平和を念願し、……」→このあたりが平和主義かね。

「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない……と信ずる」→国際協調主義

学校では憲法の基本原理として「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」の3つを教えられたが、前文に基本的人権の尊重は少なくともわかりやすい形では出てこないのな。あえて言うなら「自由のもたらす恵沢を確保」あたりか。

あと気になったのは、「これに反する一切の憲法法令及び詔勅を排除する」って部分。

「これ」は「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、……」からはじまる「人類普遍原理」を指すのだろうが、それはつまりこの「人類普遍原理」に反するような憲法改正はできないということだろうか。いや別にできなくていいけど。

今日は1条。

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

「象徴」であるということをどう捉えるべきなのか。「象徴に過ぎない」という消極的な意味に尽きるのか、なんらかの積極的な意味を読みこむことが可能なのか。

そもそも「象徴であ」るってどういうことなのだろう。

今日は2条。

皇位は、世襲のものであつて、国会議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

国会議決した」ってことなら「法律」でいいんじゃないの、と思ってしまうのだがなぜわざわざ「皇室典範」としたのだろう。

皇室典範」は成立要件や効果等の面において他の法律とは何か違いがあるということなのだろうか。←解決。教えてくれた人ありがとう

今日は3条。

天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

いまいち意図をつかめてない気がする。

ひとまずは(象徴天皇制ゆえ?)天皇フリーハンドの決定を許さない、その反面として責任も負わせないということだと理解しておく。

今日は4条。

天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。

2項  天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為委任することができる。

自分は3条についてひとまず「(象徴天皇制ゆえ?)天皇フリーハンドの決定を許さない、その反面として責任も負わせないということだと理解」したわけだが、4条を見ると「国政に関する権能を有しない」と定めることで既に天皇フリーハンドの決定は不可能とされ、天皇政治的実権は奪われているように思える。

だとすれば、「国事に関する行為」についても「内閣の助言と承認」を要求したのはなぜなのだろうか。「内閣の助言と承認はいかなる意義を有するのか。そもそも「国事に関する行為」とはいったい何なのか。

今日は5条。

皇室典範 の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。

前条2項が準用されていないのは、摂政が国事に関する行為さら委任することはできないということだろうか。

今日は6条。

天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。

2項  天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。

これらは「国事に関する行為なのだろうか。4条に照らせばそう考えるのが自然な気がするが、司法行政トップを任命する行為は明らかに政治性を帯びており「国政に関する」行為であるという気もする。

前者だとすれば、国事に関する行為と国政に関する行為との区別の仕方がまったく分からない。

後者だとすれば、本条は4条の例外としてなしうる国政に関する行為を定めたものと理解することになるのだろうか。だとすると、3条が「内閣の助言と承認」を要求しているのは国事に関する行為のみなので、国政に関する行為というより濫用の危険の高いものフリーハンドで行われることになりかねず大変問題ではないかと思うのだが。

今日は7条。

天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。

一  憲法改正法律政令及び条約公布すること。

二  国会を召集すること。

三  衆議院を解散すること。

四  国会議員総選挙施行公示すること。

五  国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。

六  大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。

七  栄典を授与すること。

八  批准書及び法律の定めるその他の外交文書認証すること。

九  外国大使及び公使を接受すること。

十  儀式を行ふこと。

ここに挙げられているものは国事に関する行為ということで、ますます国政に関する行為との区別が分からなくなった。

儀式を行ふ」などは国事に関する行為イメージどおりだが、「国会を召集」したり「衆議院を解散」したりするのは政治性があり、むしろ国政に関する行為ではないかという気がする。

今日は8条。

皇室財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会議決に基かなければならない。

財政上も統制を加えるということなんだろう。

今日9条

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2項  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

さすがにこれは有名なのでどのあたりがポイントなのか聞いたことある

1項は「国際紛争を解決する手段としては」という文言が何を意味するか(放棄するのは侵略戦争のみか、自衛戦争もか)という点。

2項はこれによって放棄される「戦力」とは何か(自衛隊は「戦力」か)という点が重要ポイントだということだったか

2013-06-25

憲法ブームにのっかって最初から読んでみる・4条

憲法を読んで思ったところを書きとめる試みの5日目。

今日は4条。

天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。

2項  天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為委任することができる。

自分は3条についてひとまず「(象徴天皇制ゆえ?)天皇フリーハンドの決定を許さない、その反面として責任も負わせないということだと理解」したわけだが、4条を見ると「国政に関する権能を有しない」と定めることで既に天皇フリーハンドの決定は不可能とされ、天皇政治的実権は奪われているように思える。

だとすれば、「国事に関する行為」についても「内閣の助言と承認」を要求したのはなぜなのだろうか。「内閣の助言と承認はいかなる意義を有するのか。そもそも「国事に関する行為」とはいったい何なのか。

2013-06-24

憲法ブームにのっかって最初から読んでみる・3条

憲法を読んで思ったところを書きとめる試みの4日目。

今日は3条。

天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

いまいち意図をつかめてない気がする。

ひとまずは(象徴天皇制ゆえ?)天皇フリーハンドの決定を許さない、その反面として責任も負わせないということだと理解しておく。

2013-04-14

http://anond.hatelabo.jp/20130414135659

なんか勘違いしてるみたいだから、書いておくが、皇室において人権に制限がかかっているのは女だけじゃないぞ。男も同じだぞ。

そもそも、象徴天皇制において、皇室人間人間扱いされてない。あれは人形だ。

2008-07-31

歴史オタが非オタ彼女に近代日本の歴史を軽く紹介するための10人

via : http://anond.hatelabo.jp/20080721222220

まあ、どのくらいの数の歴史オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、

「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、

 その上で全く知らない歴史世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」

ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、日本の歴史を紹介するために

見せるべき10人を選んでみたいのだけれど。

(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に「明治天皇紀」を布教するのではなく

 相互のコミュニケーションの入口として)

あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う近代以前の歴史は避けたい。

できれば明治維新、遡っても幕末期にとどめたい。

あと、いくら歴史的に基礎といっても基礎的すぎるものは避けたい。

歴史好きが国会図書館憲政資料室の文書群は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。

そういう感じ。

彼女の設定は

歴史知識はいわゆる「その時歴史は動いた」的なものを除けば、山川日本史程度は読んでいる

歴史教養度も低いが、頭はけっこう良い

という条件で。

まずは俺的に。出した順番は実質的には意味がない。

明治天皇(睦仁、第122代天皇

まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「明治以前」を濃縮しきっていて、「明治以後」を決定づけたという点では

外せないんだよなあ。天皇だし。

ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。

この伝説過多な人物について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の立憲君主的成長を彼女

伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」試験としてはいいタスクだろうと思う。

大久保利通(初代・第3・5代内務卿)、木戸孝允(第2代内務卿)

アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな薩長リーダー(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの

という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには

一番よさそうな素材なんじゃないのかな。

歴史オタとしては維新以後の木戸存在が“空気”にされていると思うんだけど、率直に言ってどう?」って。

井上毅(第2代法制局長官

ある種の歴史法律オタが持ってる西洋法への憧憬と、ボアソナード監修のオタ的な考証へのこだわりを

彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも井上毅

天皇による国家統治権の正当性」を歴史性によって担保するという憲法義解

立憲主義」を体現するために宗教色を排除した教育勅語

の二つをはじめとして、オタ好きのする法を歴史にちりばめているのが、紹介してみたい理由。

伊藤博文(初代・第3・8・10代内閣総理大臣

たぶんこれを見た彼女は「千円札の人」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。

この人物がその後暗殺されたこと、それが韓国では大人気になったこと、

韓国暗殺犯が実写テレビドラマになったけれど、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、

日本国内でそういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。

岸信介(第56・57代内閣総理大臣

「やっぱり戦時経済国家総動員法だよね」という話になったときに、そこで選ぶのは近衛文麿

でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この人物にかける東条英機の思いが好きだから。

断腸の思い満州に渡って人脈築いた、っていう経歴が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、

その「統制経済」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。

産業合理化運動を俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが

小林一三石橋湛山だったらきっちり自由経済にしてしまうだろうとも思う。

なのに、軍需次官に降格人事を自分でかけながらも無任所大臣に就任してしまう、というあたり、どうしても

「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ岸がそういうキャラでなかったとしても、

親近感を禁じ得ない。戦後首相になった際の評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。

後藤新平(第34・39代内務大臣

今の若年層で『国家衛生原理』を読んだことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。

蒋介石よりも前の段階で、台湾の統治とか統制とかはこの人物で頂点に達していたとも言えて、

こういうクオリティの人物が東京市長で大正時代にいたんだよ、というのは、

別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく歴史好きとしては不思議に誇らしいし、

いわゆる改軌論争でしか後藤を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。

原敬(第19代内閣総理大臣

原の「政党政治」あるいは「護憲運動」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。

選挙対策としての地元への利益誘導」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、

だからこそ田中角栄日本列島改造論』はストロー効果以外ではあり得なかったとも思う。

「箱物行政」というオタの感覚今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の

源は原敬にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、

単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。

東条英機(第40代総理大臣

これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。

こういう統制派風味の軍人をこういうかたちで総理大臣にして、それが連合国に受け入れられるか

気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。

昭和天皇裕仁、第124代天皇

9人まではあっさり決まったんだけど10人目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に昭和天皇を選んだ。

明治天皇から始まって昭和天皇で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、人間宣言以降の象徴天皇制の先駆けと

なった人物でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい人物がいそうな気もする。

というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10人目はこんなのどうよ、というのがあったら

教えてください。

「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。

こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。



山縣・桂・西園寺あたりも入れたかったが、無理だった。

というか、ネタとして何番煎じなんだろう

2008-01-26

教委主催講演会に行ったら、講師が「つくる会」だった件。

 

前書き

ほぼ記事タイトル通りの出来事があったので思わず匿名ダイアリー

(厳密には、八木氏はかつてはつくる会会長だったが、今はつくる会とは無関係

 

書くの初めてなので、読み難ければ申し訳ない。

 

先に書いておきますと、私は公立校勤務です。

で、私が勤務する地域では、「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書を採択しています。

 

この教育講演会教職員一斉研修会)は、教委が主催したもので、基本的に地区内の全職員(学校事務職員も含む)が参加しました。

 

講師は八木秀次氏(日本教育再生機構理事長)。

 

恥ずかしながら、誰だか知らなかったんですが。

 

忍び寄る何か

開会前、もらったレジュメを読んでいると、最初に出てきたトピック

“「不当な支配」の主体の転換”

という内容。

 

教育基本法の、

教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである(旧第十条)」

という規定が、

教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない(改正第十六条)」

と改められたことによって、服してはならない「不当な支配」の主体が、

 

before:政府の圧力

after:日教組などの職員団体

 

と変化しており、政府首脳部からもそのような見解に立った発言が相次いでいる……という鋭い指摘。

 

私としては、

「なるほどそうか……。これは大変だな」

と思ったわけなのですが、その先を読んだら

「……なんか違う?」

 

なにしろ、いざ講演が始まったら、この

政府=正当な支配」

「職員組合=不当な支配」

という立場を全面的に賞賛する論調でして。

 

日教組に参加してる職員が1%切ってる本地区でそんなこと言われてもな……。

(うちの地元には、「教職協議会」という、日教組とは別の組織があり、これが97%の組織率を誇っています。

方針としては、行政との対話路線。

私もそっちに入っています。

まあ、日教組の勧誘姿勢もアレだし。

新採の時、勧誘パンフが送られてきて。

ガリ版刷りの楽しげなパンフレットだったんですが、封筒に

「教え子を戦場に送るな!」

って書いてある。

言いたいことはわかるがちょっと引いた。)

 

内容は、なんというか、ツッコミどころ満載だったんですが、まず特に違和感を感じた点。

 

滅びこそ我が喜び。死にゆく者こそ美しい。 byゾーマ(DQ3)

講演の中で、エルトゥルル号の遭難とか、有名な“美談”がいくつも紹介されるわけですが、その中に真岡郵便電信局事件の話も出てきました。

 

第二次大戦末期、樺太ソ連軍が攻め寄せてきた時、最後まで電話交換所に残った女性達が、青酸カリを飲んで自決した事件です。

事件名とか知らなくても、

「みなさん、これが最後です。さようなら……さようなら……」

とかいう台詞は聞いたことある人は多いのでは。

 

で、八木氏は、自決した9人の女性電話交換手のことを、

日本人公共心の高さ、責任に殉じる態度が現れたもの」

とか褒め称えるわけです。

 

……ところで、これは教育講演会なんですが。

このエピソードを教育にどう生かせと?

 

彼女たちの行動こそ、日本人の鑑、責任に殉じる素晴らしい態度である。

お前達も、もし同じような状況に置かれたら……」

 

置かれたら?

 

自分の子どもになんと教えて欲しいかは、人によるかも知れませんが。

 

私としては、子どもたちには

「なんとしても生き残れ。命を大事にしろ」

……って、教えるべきなんじゃないかと思ったり。

 

ちなみに、八木氏は全然触れなかったことですけど、その時当直だった女性交換手は、全部で12人いたんです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%B2%A1%E9%83%B5%E4%BE%BF%E9%9B%BB%E4%BF%A1%E5%B1%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

で、死ななかった3人は、最初は押し入れとかに隠れててですね。

そのままソ連統治下で職員として再雇用され、日本にも無事に帰ってくるんですけど。

 

彼女ら3人は、「責任に殉じ」て死ななかった駄目な日本人なんでしょうかね?

 

少なくとも、八木氏の言う

ソ連軍は、刑務所から出てきたゴロツキみたいなのを最前線の兵士として送り込むわけですよ。だから、女性は陵辱されたり恐ろしい目に遭わされるわけです」

……というのは、この場合は事実に即してないと思います。

 

……まあ、ソ連軍がひどかったのはわりとかなり事実だと思うんですけど。

 

また、沖縄集団自決の件について、八木氏は、

沖縄というのは、長らく琉球王国という日本とは違う国で、その後は島津の統治下になり、近代化されたのが他の地域よりも遅れた土地なんです。

だからこそ、日本人的であろう、という責任感が逆に強くなって、それでああいう事件が起きたのではないかと思います」

 

という、目の覚めるような主張を展開します。

 

なんで目が覚めるかというと、すごいアクロバットだから。論理の。

危険なのでよい子はまねしないでください。

 

もし沖縄県民があの場にいたらかなり血圧が上がったんじゃないか、と思うんですが、あれはたぶん、戦わずして論敵を脳溢血で葬ろうという高度な戦術なんだと思います。

危険なのでよい子はまねしないでください。

 

ていうか、「集団自決」と「責任感」がどうつながるのかそもそも良くわからんのですが。

なんか、とにかく死ね責任感がある、みたいな話で、日本文化の奥深さを感じました。

 

「命どぅ宝」のお婆さんは、やっぱり駄目な日本人なんじゃろうかね。

近代化が遅れた地域だからな。

 

あとまあ全般に言いたいことは山ほどあるんですが、重箱の隅つつきは後回しにします。

 

本当の戦いはこれからだ!(打ち切り

とにかく、こういう歴史観のリビジョン促すような講演会に、公務として参加させられるのが、本地区の実態なわけですね。

開会が14:00でしたから、どの学校も特別日課で対応したと思います。

本校でも、当日は授業を午前中で切り上げて参加したわけですよ。

 

もちろん、講演聞いてる間にも給料が出てます。勤務時間内ですから。

なんという教育予算の有効活用

 

内容に疑問を感じたのは何も私だけではなくて、翌日の職員室では批判大会

 

「○○中学校社会先生も、あれはひどいと言っていた」

「○○小の先生に聞いたら、あれは有名な右翼だと」

「終わった後、あの先生と偉い人達とで飲み会があったらしいから、八木先生は急いでいたわけじゃないらしい。なのに質疑応答の時間を設けなかったのは、意図的なものに違いない」

 

……ええーっとですね。

つまり、「つくる会」の教科書採用した地域の学校だからといって、教員が唯々諾々と「つくる会史観に染まるわけではない、ということですよ。

 

このことは、左右どちらの論者にも覚えておいて欲しい、と思います。

我々はロボットではない。

 

いや、染めることを目的にした講演会だったんでしょうけどね。

 

本地区では、教育長はじめ偉い人が「つくる会」の支持者です。

その一存で採択が決まったようなもので。

 

しかし、「つくる会教科書を採択した、というだけで、かなり外部からの批判にもさらされてるし、学校現場にも不満があるのが実態です。

なので、教育委員会の方針に疑問を持っている教員を「啓蒙」しよう、というのが、この講演会趣旨だったんだと思います。

 

しかし、今どき、中学生ならネットくらい使いますよ?

真岡郵便局には女性交換手が12人いた」

くらいのこと、10分もかけずにわかっちゃうわけですよ。

 

授業で、“公共心ある日本人”の美談を得々と語って聞かせたら、生徒から史実に基づいたツッコミが入る可能性くらい容易に予想されるじゃないですか?

そういう意味では、都合のいいことだけ書いた教科書というのは、発行する側は気分がいいかもしれないけど、現場人間にとっては迷惑そのものなわけですよ。

 

……ああ、そうか、授業で質問の時間を設けなきゃいいわけですね。

さすが日本教育再生機構理事長

率先垂範を地で行っておられる。

 

で、その他、「作る会」教科書を使ってると高校受験に対応できないとかいう現場の苦悩をよそに、首長とか教育長とか、講演会場の最前列に座っていてですね。

で、講演会が終わった時なんか、立ち上がって喝采してるわけです。

 

スタンディングオベーションかよ偉い人。

 

とりあえず絶望した。

現場がなんとかしないとならん。

 

重箱の隅つつき。

以下、こまごまとしたこと。

 

*紀元は2600年。

八木氏は、聴衆に「日本の建国はいつか?」と問うて、「それは西暦600から700年前後である」とします。

 

なぜなら、「日本」という国号が成立し、「公」の意識誕生したのがその時代だからだ、というのです。

ちなみに、ここで言う「公の意識」とは、天皇を中心とした中央集権体制の確立のことを指します。

天皇独裁者ではなく、「国家の公的統治を究極において体現すべき地位」だというのですね。

 

……飛鳥時代象徴天皇制だったのか。

 

八木氏は、「皇室ニッチ産業」だ、という、寛仁親王言葉引用します。

政府行政の足りないところを補う。それが、皇室の果たす役割なんです」

 

確かに、障害者スキーへの支援とか、結構なことですね。

 

「このような皇室の在り方は、古代からずっとそうだったわけです」

いや……そうなの?

 

革命史観

八木氏は、他の教科書にある

平安時代貴族は贅沢な生活をしていた一方、庶民は貧しく、奴婢は売買の対象だった」

……とかいう記述を「闘争的だ」と評します。

 

これらが、マルクス階級闘争史観子どもたちを導くものだ、というのです。

 

君の教科書もまっ赤っか! これはレッドベアーの陰謀だ! 愛國戦隊を呼べ!

 

……別に教科書記述は、富裕層の打倒とかを呼びかけるものじゃないし、そもそも平安朝だって、階級闘争によって打倒されたわけじゃないんですが。

なんでマルクス

明治維新を含めて、日本には「階級闘争」とか「市民革命」とかいうものはないんじゃないですかね。古い見解でしょうか?

 

明治維新は、公のために働くことを自己の使命と考えていた武士たちによって実現した改革だった」(「新しい歴史教科書」。レジュメの孫引き)

うわ新しい見解だ。色んな意味で。

 

そんなに昔から日本人の自覚とか公共の意識とかがあったなら、もう少し早く戦国時代が終わりそうなものですが。

武田信玄「こうして同じ日本人同士が争っていても仕方がないじゃないか!」

上杉謙信「そうだとも! 天皇陛下の元にはせ参じ、一つの国を作ろう!」

……みたいに。

 

八木氏によると、現在学校教育では、歴史教育で闘争的姿勢を学び、公民教育で具体的な闘争目標を与えられている、というのです。

 

その闘争目標とは、電通経団連の打倒……ではなく。

「公民教科書には、夫婦別姓など、まだ法的に定められてもいないトピックが取り上げられている」

とかいうのが「闘争目標の提示」だと。

 

……ずいぶんせこいマルクス主義ですね。

 

歴史に学べ。歴史は繰り返す。

仮に、八木氏の言うとおり、飛鳥時代平安時代がそんなに素晴らしい時代だったとしたら、逆に言って、日本社会は1400年の長きにわたって大して進歩していないことになるんですが、それでいいんでしょうか。

 

奴婢の話とかって、私は

「私たちの社会は、昔より良くなっているのです」

って趣旨の話だと理解していたんですが。

人類歴史進歩と改良の歴史なのです。私たちも、もっともっと素晴らしい世の中を作っていきましょう。明日が今日より良い日であるように」

的な。

 

八木氏に言わせるとこれも「闘争的」なのかも知れませんが。

 

私としては、貴族平民に大きな差があったとか、事実なんだから仕方ないんじゃないか、と思うんですがどうでしょう。

八木氏も、それが「事実ではない」とは言わなかったし)

 

都合の悪い歴史事実は教えない、という態度の方が、むしろ我が国を危機に追いやる気がします。

それこそ、遺伝学におけるソビエトルイセンコ学説みたいに、学問イデオロギーに従わせようとした挙げ句、研究開発で西側に後れを取るような。

 

まあ、「歴史科学ではない」が、「つくる会」の立場なんだそうですが。

 

でも、望ましい思想を注入するために、歴史事実の方を改変する、っていうのは、それこそ共産国十八番なんじゃ。

ソ連生まれのくせに白頭山で生まれたと称する誰かさんとか。

 

日本の伝統を尊重しよう。祖先精神を大切にしよう。

基本的に「公共の意識」だけで日本の歴史・文化を語ろう、というのは、無理だと思うんです。

「恥の意識」とか「武士道」とかと同様、一言で語りきれるほど、日本人精神というのは浅薄なものじゃないんじゃないでしょうか。

 

そもそも、「公共の意識」が飛鳥時代から日本にあった、という主張自体いかがなものか。

確かに「公」という漢字自体は大昔からありますが、古文に出てくる、「公家」とかいうときの「公」と、「public」の訳語としての「公」を同一視するのは誤りだと思うんですが。

八木氏は、「公共」の意識が近代になって成立した、というのは誤りで、日本人日本人としての自覚はずっと以前から存在した、と言うんですが、それは逆に言って、国民国家建設のために尽力した明治の人々を愚弄するものではないでしょうか。

 

ちなみに八木氏は、中教審が、縄文時代記述を重視するよう議論しているのに不満を表明しています。

縄文時代は公共の意識が発生していない」=「日本ではない」

から、というわけですが、これは循環論法ではないですかね。

 

日本あけぼの」って言えば、普通縄文時代を指しますし。

逆に、明治憲法現行憲法の発布、あるいは江戸幕府なり鎌倉幕府なりを「日本」の成立、と見なす立場だってあり得るわけで。

 

縄文人だって一生懸命に生きていたのだし、彼らが苦労して稲作技術を会得していったからこそ、現代の日本があるわけで。

縄文人は日本人じゃない」という言いぐさは、縄文人に失礼だと思いますが。

 

八木氏は、チェスタトンの「伝統とは選挙権時間的拡大」「死者には墓石投票してもらわねばならない」なんかを引用して、伝統の大切さ、先祖の意思を尊ぶべきことを訴えるわけですが、縄文人は先祖じゃないらしいです。

……天孫降臨

 

ちなみに、八木氏が引用した中には、相田みつをの「自分の番 いのちバトン」とかまで含まれるんですが、相田さんってそういう主義の人だったのか。

走者がバトン渡す前に死んだらリレーにならなくね?

 

ところで、八木氏は「死者の民主主義」(チェスタトン)がお気に入りのようですが、私はむしろ、「地球は子孫からの預かり物」(ケニアのことわざ)の方が好きです。

死んだ世代の意思よりも、次の世代の幸せの方が重要だ、と、私は信じます(これでも学校関係者のはしくれですから)。

 

……ケニアのことわざの割に「地球」とか、かなり超訳の気配ですが。

 

*美しい日本語を守ろう。

八木氏、「屋久島の灯台守り」という、これまた美談を紹介してくれたんですが。

 

「顔は土気色」を「どきいろ」ってあんた。

一瞬、弥生式か縄文式か悩んじゃったじゃないですか。

 

自分で持ち込んだ資料が正しく読めないって、早稲田大学法学部卒が泣くぞ。

 

日本の文化がどうとか言う前に、八木氏はまず日本語くらいちゃんと読めるようにすべきだと思います。

 

返信欄

なんかあれこれコメントをもらってるようなのでここへ部分的に返信。

 

教育委員会主催講演会とかに行って何かを得たことがあるの?

ありますよ。

まあ、教育関係者の講演、というのは、聞いてすぐに教室で使える内容が多い一方、似たような話も多い……というか、教育界の通念を上手にまとめただけの、刺激に乏しい講演も多い、とは思います。

……ちょっと今回は刺激的すぎましたが。

 

>その場でぶつけてくれたら面白かったのに。

まあ、チキンなので。

 

偉い人が「つくる会」支持者で、しかも同席してるわけですから。

そこでこれだけのことを言ってしまうと、後々どんな処遇を受けることか。

 

それはもう、陵辱されたり恐ろしい目に遭わされるわけです。(流言)

 

それに、ここに書いた内容は、これでも推敲した内容です。

これをとっさに思いつける程度には賢くありたいのですが。

 

っていうか、偉そうなことを書いておいて恥ずかしいのですが、「女性交換手が12人いた」ということもその時は知らず、家に帰って調べてわかった次第。

 

でも、何か質問はしてやろう、とは思っていて、講演の間中必死で考えていたのも事実

古代以来、皇室ニッチ産業としての役割を果たしてきた、とのお話でしたが、私、不勉強でそういったことを存じませんでした。

そこで、例えば平安時代朝廷が、そういった役割を果たしていた、という実例を2・3ご教示願えるとありがたいのですが……」

くらいのことを聞いてみよう、と思っていたのですが、本文で書いたとおり、質疑応答の時間がなかったので不発に終わりました。

 

>自分のはてなダイアリーで書いたら?

少しでも匿名性の高いところで、と思ったのです。

何か使い方として問題がありましたら申し訳ない。

(ていうか、そもそもこの内容自体トラックバックで返すべきなのかも知れませんが、匿名ダイアリーに慣れてないので、返信があちこちにばらけるのが落ち着かないのです。なんでコメント欄がないんだろう)

 

こんなにブックマークをもらうとは思ってなかったのでちょっと動揺しています。

偉い人にばれたらどうしよう。

 

>「教職協議会」つーのは要するに「全日http://www.ntfj.net/tanidantai/」系団体だよね。共産党系の。

右寄りではないかも知れませんが共産党系とも思ってなかったのですが。「美しい日本人」がどうとかこうとか。どうなんでしょうか。

会員でありながら組織背後関係とかは知らないのです、申し訳ないです。(でもたぶんみんなそう)

 

>教師という連中が本当に馬鹿ばっかりでイデオロギーの固まりだということが良くわかった。

ククク、その通り。だが、気付くのが遅すぎたようダな……(ロシア訛り)

今や日本教育は、我がレッドベアーの(不当な)支配下にあル!

あと10年もすれば、この国はコミンテルンの軍門に降るだろウ……!(遅すぎる)

 

馬鹿冗談はさておき。

大学になるまで歴史教えるのやめちゃえば?自分で判断して学ぶまで教師の馬鹿どもから余計なノイズを入れないで欲しい

難しいところですね。

 

おっしゃるとおり、批判精神の薄い子どもに、イデオロギー教育をするのは禁忌だと思います。

 

その一方で、基本的な歴史知識は、全国民が持っているべき教養だとも思うのです。

そして、大学専門教育の場であるべきで、そういうことに時間を費やすべきではないと考えます。

だから、結局は義務教育に基礎的な歴史教育を盛り込まざるを得ないのではないかと。

 

その内容としては、重要歴史事実を教えるにとどめ、それをどう解釈するか、という思想的側面は、個々人に任されるべきだと思います。

 

……もっとも、「歴史事実」というのは現実にはほとんど無限存在するわけで、その中から何を「重要」として採り上げるかに、思想的問題が絡んで来ざるを得ないのも事実ですが。

エルトゥールル号を採り上げて奴婢は省くのか、その逆をやるのか。

 

でも、できる限り中立であろうとする姿勢は必要だと思います。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん