はてなキーワード: 江戸幕府とは
ただの暇つぶしにお前らすぐレポートだのアンケートだのうっさいからもうChatGPTに聞くわ。
戦国時代は日本の歴史上で最も激動した時期の一つで、多くの武将が戦闘や裏切り、病気などで悲惨な最期を遂げました。しかし、幸せというのは個人の価値観や状況によって大きく異なるため、「幸せな死に方」と定義するのは難しいです。それにもかかわらず、比較的平和な時期に自然死を迎えたり、自身の志を成し遂げた後に亡くなった武将もいました。
1. 徳川家康 - 戦国時代の最終局面を制し、江戸幕府を開いた家康は、1616年に75歳で自然死しました。彼の死により、彼が築いた体制はさらに固まり、260年以上続く平和な時代が始まりました。彼の生涯と成就を考えると、彼が満足する形でこの世を去ったと考えることもできます。
2. 豊臣秀吉 - 秀吉は、天下統一をほぼ成し遂げた後、1598年に病死しました。彼の死は自然死であり、彼自身が築き上げた豊臣政権の頂点にいた時でした。しかし、彼の死後、彼の築いた体制は徐々に崩れ、関ヶ原の戦いによって最終的には滅びました。
これらの武将が「幸せ」な死に方をしたかどうかは、彼らの遺した言葉や行動、後世の評価などから推測することしかできません。また、歴史的な文脈や個々の価値観によっても見解は変わり得るため、一概には言い切れません。
うーん、いまいち孫市。
オウフwwwいわゆるストレートな知行質問キタコレですねwww
おっとっとwww拙者『キタコレ』などとついネット用語がwww
まず増田殿にお教えするのは、一万石とか十万石とかいう「石高」とは持っている領土の生産力であって、それが実収入ではないのでござる。言ってみれば、諸経費込みの総売り上げ≒年商に相当するものなのでござるな。なので実は「トヨタ7億石大名説」はあってるのでござる。日本の総石高は天保年間に3千万石チョイ位でござるので、トヨタすごいでござるなぁ・・・
ところが、個人についてみると年収1000万円は途端に一石6万円換算はおかしくなるのでござる。
増田殿が個人事業主で年商1000万円ならば166石取りといってまあおかしくはないでござる。でも増田殿、サラリマンでござろう?
これ即ち、中下級武士クラスでござる。ただし、この階級でも、年収から一部の経費を負担しなければならないのでござる。しかしまあ、サラリマンも額面給与と手取りは違うでござる。その辺は深く考えないで欲しいでござる。
この階級のオサムライサンは、オチンギンの貰い方に2通りあるのでござるよ。
一つは、お殿様からちっちゃい領土を分けて貰って、そこのアカりがオチンギンになるパティーンでござる(知行制)。地方や物成りによってもまちまちでござるが、大体村一つで200~1000石ぐらいになるでござる。石高と人口は大体同じぐらいでござる。今だと田舎にある大字ぐらいが1つ村だと考えてくだされ。
現代で言ってみれば、大会社のシャッチョサンに「お前にこの子会社任すから、そこのアガりで食ってくれ」ということなのでござる。小なりと言えどもシャッチョサンなので、身分的にも良いのでござるよ。
この場合、領土の石高に対する年貢収入が実際の年収になること、賢き増田殿ならお分かりいただけると思うでござる。実際の年貢税率は、これも時代や地方によって違うでござるが、35~50%でござるよ。
ただし、本当にもらった領土を経営するとなるとひじょーにマンドクサなので、江戸時代も進むと「領地を持っていることにはなってるけど、お米は藩からもらう(知行蔵米制)」というスタイルがほとんどになったのでござるなぁ。ほとんど、という言葉を裏返すと最後まで領土経営を続けたところもあったんでござる。
その下のクラスになると、ストレートにお米を給料としてもらえるでござる(蔵米制)。これは藩の領地から取り立てた年貢米で、年に何俵という形で支給されるでござる。俵1つにはお米が0.35石入っているでござる。この0.35という数字、奇しくも領土1石から取れる年貢米と大体同じなのでござる。よって50俵もらえるオサムライサンは、50石の領土を持っているオサムライサンと、大体同じ収入になるでござる。しかしサラリマンは多少高給でもシャッチョサンよりは身分的には見劣りするのでござるなぁ・・・。この辺は拙者共も身分を取るか実入りを取るかで苦労したものでござる。
なので年収1000万円のサラリマンは、お米に直すと166石≒474俵取りのオサムライサンでござる。つまり474石分の領土に収入的には等しくなるでござる。
これは、ニッポンイチカンパニーである江戸幕府では500石超の「大身旗本」というクラスにあとちょっとで手が届くちょっと惜しい感じの家格。役職でいうと、具足奉行(本社のどうでもいい課長)や各地の郡代(出張所長)が大体このぐらい、ちょっと手を伸ばせば勘定吟味役(経理課長補佐)、御小姓(社長秘書)ぐらいのポジションでござる。
その他な藩では、その藩の石高次第ではござろうが、数万石規模の小大名ならば家老職にもなれるぐらいの石高でござるな。逆に大大名クラスの家老職は万石取りでござる。
そう考えると年収1000万円、今も昔もそんなに変わりがない気がするでござろうよ。。。
御台所(みだいどころ)は、大臣や将軍家などの貴人の妻に対して用いられた呼称です。奥方様の意で、「御台」や「御台盤」とは身分の高い人の食事を載せる台盤を指します。
江戸時代においては、主に江戸幕府将軍の正室の呼称として用いられていました。周囲の者からは「御台様(みだいさま)」と呼ばれました。
「御台所」の語源は、元々「台所」とは料理を盛り付ける場所だったことにあります。そして、「台所」で料理の盛り付けを仕切る、屋敷の主人の妻のことを「台所を取り仕切る人」ということで、丁寧な意味になる「御」をつけて「御台所(みだいどころ)」と呼ぶようになったと言われています。
非常に長文なので誰も読まないかもしれないが、読んでいただければ幸い。
日本人の宗教批判は主にオウム神理教や創価学会あたりから根深くなったと自分は思っている。とにもかくにも「宗教はやばい」となり、それが「宗教的なものはやばい」となっているのではないか。たしかに新興宗教団体はやばかった。最近でも、自民党から膿となって出てきた旧統一教会の問題がある。
日本人全体で、なんとなく「宗教はやばい」というゆるやかな共通認識があると思う。
そこから「宗教について熱心に語る者は、なんとなく、やばい」とされていると思う。ごく少数の人間だけが宗教について深く調べる。多くは、ミイラ取りがミイラになることを恐れているとか、宗教的な人間とみなされることを怖がっていたり、単に無関心な可能性もある。
ほとんどの人は、まずその「ヤバい」「うさんくさい」「拝金主義」という外から見える性質に嫌悪感を感じているはずだ。実際に、古来から権力・権威・金銭などと結びつきが強いように思う。多くの人々に害を為すものは、それが宗教だろうがなんであろうが、どういう形をとっていようと敵対される。宗教に対するネガティブな意見は、おおよそこの表面に出てきた宗教のネガティブな部分についてのものが多いと思われる。
また「人型の何か偉そうにした超常の力を持ったジジイ」を幻視して「そんなやつがこの世界作ったわけないだろ」と直感的に思うのではないか。
宗教的なものがやばいの1つの例でいえば、ガチのドルオタはキモいというものがある。キモいというのは比喩的表現で、ドルオタクラスタの方には申し訳ない表現だが、周りからは理解不能なのである。アイドルという神を信仰することで「生きがい」となして自分の人生を全うしていく。しかしひとたびその信仰の前提が破壊されれば、一瞬にして生きがいを喪失する。
アイドルの推し活は「きわめて宗教的だ」と半ば冗談めいて表現されることが多いが、比喩でなくそのまま宗教といっても過言ではない。仮に江戸時代に今のアイドルの状態を維持可能な状態で放り込めることができるとすれば、瞬く間に江戸幕府を牛耳ることができるだろう。実際BTS外交などと言われるほどアイドルは脅威的な潜在能力を持っている。一向宗など目ではない。江戸の民たちはアイドルの存在を知覚することで、それに畏怖し、夢を見ることができ、人生に生きる意味を見出しやすくなることだろう。本居宣長も、古事記伝にて「それはさておいても◯◯ちゃんのかわゆしこと尊し」などと書くかもしれない。知らんけど。
宗教のはじまりはアニミズムだという。何か神聖視せざるを得ないものを発見しそれに畏怖し感動することで、その圧倒的な偉大さを見て、人はそれを「神」と名付けたようだ。
日本では現状「科学信仰」と「常識信仰」が主流であると思う(これは自分の主観による)。「科学的な権威がありさえすれば信用する」だとか「よく知れ渡っているから信用する」といったものだ。「長いものには巻かれろ」という日和見主義的な発想がそこにあるように見える。
そもそも「信じる」とは「実際に本当にあるかどうかわからないが『ある』と信じる」ことにある。
自分には本当にあるかどうかよくわからないものを『本当にある』と思い込むことを信じるという。そういう行為には、根拠など無いのではないか。少し古いが「アイドルはうんちしない」などがそうだ。
宗教が必要かどうかは置いておいて、その発生過程や宗教が果たしてきた役割は、歴史を学習すれば誰でもその関連性には嫌でも気付くだろう(重要性は別かもしれないが)。人は「たかが宗教ごとき」で人を殺し合い、憎み恨み、人生を捧げたり、幸せになったり、正しく生きようと努力したり、救われてきた。さまざまな血を流してきたのであった。これは事実である。現在の今の自分にとって宗教は全然必要でないと感じていたとしても、その自分が存在する羽目になった基盤に宗教がある。一体全体どうしてこんなものが人類の中で大きな役目を持つようになったのか。
真に必要でないのであれば、なぜこの世から抹消できないのか。たとえばガラケーは抹消されつつある。必要でなくなったからだ。しかし宗教はどうか。消せども消せども名を変えて復活しているように思う。
科学的であると自負する人であっても、古来から続く伝統的な宗教っぽいものをなんとなく忌避していて、その拝金主義的傾向や宗教の政治的利用による人間支配を見て、なんとなく嫌悪しているのではないか。
また「宗教が必要かどうか」を論じるとき、「実際になくせるかどうか」のその現実性について論じられることは少ない。宗教がなくなれば代わりのものが出てくるのみである。名を変えたそれが絶対視される。
実際にとりあえず「宗教は必要ないもの」と考えて、この世から排除することにしてみよう。つまりそれは逆に言えば「信教の自由」の剥奪である。仏教を信じてはならない、キリスト教を信じてはならないとされる。
ありとあらゆる宗教的なものは不要なので排除されなければならないとする。しかし、必要か、不要か。それは誰にとって必要なのか、誰にとって不要なのか。
宗教と宗教でないものについて、どこで、誰が、どのように、なんの権限で線を引くのか。これはもしかすると権力闘争の始まりかもしれない。受容するか・弾圧するかのどちらかを、ある人間の主観で決めることができるということほど恐ろしいものはない。異端審問のラベリング(【十分科学的でない】というラベル)を受けて生きなければいけない世の中は厳しいものになるだろう。反ワクチン派・反知性主義者が実際にそうした世の中を生きている。われわれから見れば彼らは狂っているが、彼らから見ればわれわれが狂っているのである。
宗教と科学はなんの根拠もなく二項対立されがちだが、これは一神教的な態度ではないだろうか。
つまり科学的であればあるほど宗教的でなくなるはずだという根拠のない「思い込み」があるのかもしれない。
いったいなぜ、科学的であることが正しいのだろうか。いったいなぜ、論理的であることが正しいのだろうか。これは唯物論的な立場である。いったんそういうことにしているという、あくまで仮説である。そのように考えるとうまくいっているだけなのではないか。
そして、自分にとって宗教が必要ないからといって、他人にとっても同様に必要ないとは限らない。つまり全体としては「まだ必要」というのが答えになると思う。
それから自分は、ロジカルシンキングや科学最強説を強硬に主張してその他の考え方を排除しがちな陰キャはあまり好きではない(自分はロジカルシンキングそのものや科学的思考は好きだが、論理的であることが正しいことを信じることは論理的ではない、という前提があると思うからだ)。
彼らは科学や論理というアカデミックな権威のおこぼれを欲しており、いわば虎の威を借る狐のように見える。そうした人間は、自分よりも科学的で自分よりも論理的な人間が宗教的なものを崇拝しているのを目の当たりにしたとき、考え方を転向するかもしれない。これを改宗(conversion)というのだろう。
Visual Studio Code等さまざまなIDEに組み込んでコマンド操作できるテキストエディタがある。これはVimと呼ばれ、世の中で広く親しまれている。入門はやや難しいが、Must-Haveでおすすめである。これは宗教以上に必要である。
もちろんあなたはVimを導入しないという選択をとることもできる。
こう言うと自分は旧来の宗教観を引きずっているように思われるかもしれないが、一方で自分は古来から続いておりただの慣習となっていて合理的ではない規則を、ただ自分の強権を保とうとせんがために信じている老害もまた好きではない。彼らは自分の保身を考え、自らの世界観の安定させ、外に目を向けない人間である。生臭坊主と言われる。
自分は、そうした既製品の宗教や、新興宗教の教祖というただの詐欺師をそのまま信じてしまう人は愚かだと思うが、そういうことも含めて現実でありなぜそういった事象がでてきてしまうのか、なぜ彼らはそれに縋りつくはめになったのかを単に否定することは科学的ではないと思う。それは現実を観察できていない。少なくとも彼らにとって、彼らを救ってくれるのは科学ではなかったということなのだろう。
宗教はおもしろい。とりわけ理系で哲学や文学や詩や宗教やヒトや精神や心というものから縁遠かった者ほど、大人になってから初めて知ることで、そのおもしろさに気付きやすいかもしれない。
朝鮮王国は江戸時代、日本とは通信使の往来で儀礼的な国交があるという認識だった。基本的には鎖国(海禁)政策をとっていたので、対外貿易は清朝に対する朝貢が基本で、日本との貿易も対馬藩を通してのものだったから、政府として日本の政変に関与しようという動きはなかった。明治維新後、新政府が朝鮮と国交を結ぼうとしたとき、朝鮮は江戸幕府を正式な政府と認めていたからという名目で、それを倒した薩長政権は非合法政権であるとして相手にしなかった。これに苛立った明治政府がいろいろやったことが後のあれやこれやにつながっていく。
清朝は、もともと「王道を実践すれば周辺の蛮国は朝貢してくる」という態度だったので、積極的に周辺国の内政に関与する姿勢はなかった。特に日本に対しては、「明の頃には朝貢してたけど、その後、明朝にたてついて戦いを挑もうとしたときから国交は断絶してる。商人が非公式に貿易に行ってるようだが、政府としてはそれは積極的には認めていない」という認識だったので、そこで政変が起こっても、基本的には関係ないよという感覚だった。
1 戦国時代終了
15 江戸幕府終了
→その他
の順だと思うんだが、学校の授業だと家茂の暗殺はサラっと触れて終わりで、その代わりに家光・綱吉・吉宗をやたらクローズアップするから違和感すごいわ。
政策にしたって日本の政治経済史として重要な事柄について中身の解説もせず「生類憐れみの令」とかを名前だけ覚えさせてキャッキャッしとるやん?
理科や数学の授業で習ったことについては限られた枠の中で詰め込むならベストの内容だったと思うんだが、日本史に関しては無駄な寄り道する割には大事なこと教えて無くねと思ってしまう。
丸暗記の受験勉強に教科書まで乗っかって、丸っと暗記科目に成り下がっていた印象が強い。
それでも意味のある部分をひたすら覚えさせて真剣に学ぼうとしたときの足がかりにするつもりなら分かるんだが、「歴史を好きになって欲しい」みたいな助平心からかおもしろエピソード必死に紹介してたのがアホっぽいなと。
人類が少しずつ人間らしくなっていく過程を追うのが面白さじゃん。
神が皇帝を定め、皇帝が己の人民となるを認め、皇帝は神に祈りを捧げることを仕事にするクソバカの時代から少しずつ科学的で文化的で人道的に変わっていくのをマイルストーンを辿って追うのが面白いわけじゃんか。
他の科目は頑張ってた。
室町幕府とかを見ていると、
「自分の領地経営に専念して中央の統制からは距離を置く大名」がいて、
前者は政治へ介入してくるし、それが暴走して内乱が勃発することもある。
後者も、半ば独立して強大化して、幕府の統制が利かなくなるのは問題である。
あと、前者が領地を長いあいだ留守にしてると留守役のNo.2に領地を乗っ取られたりして、
そんな乗っ取りをするような奴は独立志向であることが多いので、やっぱり幕府の統制が利かなくなる。
そこで江戸幕府は考えた。両方の良いとこどりをしよう。
といって領地に腰を据えて独立を志向するのも防ぐことができる。
いやあ、神制度だよな。
新500円(外側が黄色くて中心が白い)を受けつけない自販機多い
最近は電気代も上昇し、手数料の高い電子決済をストップする自販機もあるぐらいなのに
いやわかってる
隣国が偽500円硬貨に使えそうな貨幣を使ってるのがもっと悪い
けど、その結果、新貨幣のほうが自販機に入らないって意味ないだろ
やる気ある? もっと大々的にデザイン変えてメディアに宣伝させるべきだったんじゃないの?
こっそり貨幣の成分を変えるとか江戸幕府の貨幣改鋳政策ですか?
それでいてオンライン決済に移行させて貨幣発行量を減らそうとか考えてるのおかしくない?
決済手数料の負担が増えたらそんだけお金の流通量が減るんじゃないの?
なんで両替手数料や決済手数料の負担を増やす方向に持ってこうとするんですかね?
幕府の領地を接収して、官僚の恩給にする計画があったからとしか
1 徳川は、オランダ東インド会社の支援で各藩の鉱山を幕領とし(リーフデ号)、金銀銅の輸出によって体制を維持していた
2 オランダは英蘭戦争の結果、国力が衰退し、1804年には仏ナポレオンに占領された(江戸幕府はそれで仏軍を軍事顧問にした)
4 1840年、イギリスは硫黄を巡ってイタリアの海上封鎖を試みて勝ったが、日本とも貿易をしたかった
6 幕府は鎖国体制でいたので黒船に攻撃させ、各藩の貿易規制も緩和させた
7 ただ幕府と各藩主と条約したとしても、幕府が倒されて政権が変われば条約破棄もされかねない、それならいっそ、幕府が倒れても条約が継続する天皇制にしてもらいたい
8 イギリスは日本駐在の英字新聞社を通して天皇制の必要を解き、支持藩を増やした(英国策論)
9 どこかの藩が外国船を攻撃したりするので、幕府は海軍増強に務めるが、米大統領リンカーンに軍艦の輸入を止められてしまう
10 薩長は天領の石高400万石を使って官吏軍人の恩給制度を作る計画をたて、公家を味方につける
11 問題は天領にいる旗本や会津などの佐幕派は、徳川が引退しても利権を離さないに違いない、できれば根絶やしにしたい、あとロシアが近い蝦夷にも兵をおいて天皇の管轄にしておきたい
12 1967年11月に大政奉還が行われたが、倒幕派はしつこく放火などで騒動をおこし、それに対し幕府は薩摩藩邸焼き討ちで報復
13 新政府は徳川慶喜にも難題を押し付けて蜂起させたうえ、死罪1名に付き一家3名死罪とする刑法を作った
14 幕府の軍で警察でもあった会津藩などは当然に反発し戊辰戦争が拡大するが、幕府側には仏兵、新政府側には英米兵も従軍し、はんば代理戦争となった、軍事物資もかなり輸入された
15 佐幕派は敗北し、新設の東京裁判所は首謀者らを一家死刑にして勢力を削ぎ、ゲルマン利権を確保(そのあとで刑法を穏健なものに改正)
16 1874年には大久保がドイツから明治通宝印刷機を購入し、新札を元手にのちの西南戦争も鎮圧
17 木戸は1975年頃から本当に公家軍人官吏の恩給制度を作りはじめ(現代の1.5兆円ぐらいがかかった)、そのことで農民が搾取されるようになった(パウル・マイエット談)
18 鉱山は新政府側の人間が乗っ取り、新たに家督優遇相続制度が作られ、二男三男は工場労働者か兵隊になり、貧しい農村の娘は売られ、地方と中央の格差は拡大
19 天皇にガーター勲章を与えたイギリスのために日清戦争、日露戦争もしたが、現地には入院施設も準備されず、負傷者は赤十字神戸丸で佐世保海軍病院まで連れ戻されていた