はてなキーワード: 裕仁とは
寧ろ左翼の人達が天皇裕仁をヒトラーやムッソリーニと並べる事に違和感を覚えない方が不思議なんだよなあ
じゃあ日本国が敗戦後も40年以上天皇の地位に居座らせておいた事を何だと思ってんの?
昭和天皇という存在をヒトラーやムッソリーニ同列に扱って絶対悪の独裁者として否定するなら
それって「戦後民主主義の否定」で「象徴天皇制を定めた日本国憲法の否定」になるし
「日本人自身の手で新しい憲法を作り出そう」という動きに繋がるだろうし
で、現在それをやろうとしたら政府与党である自由民主党の作った「新しい憲法案」がそのまま新憲法になる可能性が極めて高いんだよね
「今の日本国は大日本帝国とは違うんです」という建前を用いるならば尚更、ヒトラーやムッソリーニの位置に裕仁を置いては駄目だろう
皇族の不自由さを「気の毒」と思うなら解決策は一つ 「天皇制と人権」河西秀哉と木村草太が語る https://dot.asahi.com/aera/2021102700056.html
良記事だと思ったが、現上皇がお気持ち表明にて「退位の意思」を示した件については、突っ込みが甘い。
天皇が高齢で公務執行が難しいのであれば、公務自体を減らすなり、摂政を立てて代行としたりすることが十分可能だった。
なぜそうしなかったのか、それは天皇本人による公務の継続だけが「天皇の権威」を維持するために必要だということを、明仁氏がよく理解しているからだ。
現上皇の意思表明は、明らかに天皇の権威維持を目的としたものだ。
これがさらに難しいのは、その目的がおそらく明仁氏個人の欲望とは無関係である所だ。
彼は心から天皇という制度が日本国にとって不可欠な存在であると認識しており、その為に我が身を差し出している。
日本国の中心に、個人の欲望が存在しない空白の地点が常に存在する。
当然父親である裕仁は戦争導いた人間として根強くそれなりの数の国民から憎まれてたろうし、実際に朕はたらふく食ったとか、皇太子も襲撃受けたりだとか戦後まもないころから昭和の時代は天皇制度自体に疑問投げかけられてたように思う
でも平成になって戦争知らん世代が多数を占めるようになってそういう目はだいぶ減った。
これは上皇が、綺麗な奥さんもらって、人の良さそうなじじいを演じ続けたからなんじゃないかな
もし上皇がポンコツで、ちゃらんぽらんなボンボンぷりを披露したり、自分の父親を擁護するような態度を示してたら、今も天皇制度に対する懐疑の目というのは大きかったんじゃないだろうか
「あんまり絡みないけど天皇ハピバ!」に代表されるようなよく知らないけど人の良さそう爺さんを叩けないみたいな雰囲気を作り、危ぶまれた天皇制の安定を生み出したのは名君だなと思った
小室氏登場でどうなるのか気になる
101.称光天皇(1414~1428))
102.後花園天皇(1428~1464)
譲位後に発生した応仁の乱を嘆いて出家。政務を放棄した足利義政を戒めたこともある。
103.後土御門天皇(1464~1500)
大嘗会を催したが、直後に応仁の乱が発生したため、中世最後の大嘗会となった。
104.後柏原天皇(1500~26)
即位時、朝廷の財政は困窮しており、父であった先帝の葬儀も40日後、即位式も即位後21年という有様であった。
105.後奈良天皇(1526~1557)
飢饉と疫病に苦しむ民を救うため、諸国の一宮に直筆の般若心経を奉納した。
106.正親町天皇(1557~1586)
毛利元就の献上金で即位。織田信長・豊臣秀吉の援助で皇居の修復、伊勢神宮の造営などを実現した。
107.後陽成天皇(1586~1611)
秀吉の援助で朝廷の権威回復に努めた。聚楽第行幸を行った。学問を好み、日本書紀などの慶長勅版を刊行した。
108.後水尾天皇(1611~1629)
女帝。
110.後光明天皇(1643~1654)
111.後西天皇(1655~1663)
112.霊元天皇(1663~1687)
113.東山天皇(1687~1709)
114.中御門天皇(1709~1735)
先帝の代に復興した大嘗祭が再び途絶えた。公事部類を残した。笛が巧く、狐ですら聞き入ったとされる。
115.桜町天皇(1735~1747)
116.桃園天皇(1747~1762)
117.後桜町天皇(1762~1771)
118.後桃園天皇(1771~1779)
父典仁親王に尊号を与えようとするも松平定信に阻まれる尊号事件があった。
120.仁孝天皇(1817~1846)
121.孝明天皇(1846~1867)
安政5ヶ国条約に反対し、攘夷を主張した。反面、和宮の降嫁に賛成し、公武合体を推し進めた。
122.明治天皇(1867~1912)
大政奉還がなされ、明治政府が誕生。在位中は大日本帝国憲法発布、廃藩置県、国会創設など近代化が進められた。日清・日露戦争の勝利、韓国併合により日本は列強の仲間入りは果たした。
123.大正天皇(1912~1926)
生まれつき病弱であったため、皇太子裕仁が摂政に任じられた。在位中に第一次世界大戦が勃発。皇室として初めて一夫一妻を確立。
124.昭和天皇(1926~1989)
在位中に第二次世界大戦が勃発。日本の敗北を受け入れ、日本国憲法が制定された。
125.上皇(1989~2019)
世界各国を訪問して皇室外交による親善に努めた。東日本大震災の際には自ら被災地を訪問した。
126.今上天皇(2019~) NEW!!