はてなキーワード: 落ち葉とは
私は役所の事務職員、相方は公立病院の勤務医、子は認可保育園に通園中の2歳児、の3人家族。
夫婦二人とも正職員としてフルタイムで働いてて、18時までに保育園に行けることは滅多にないので、私の実家が近いこともありほぼ毎日私の両親に保育園の迎えに行ってもらい1時間ほど預かってもらっている。
二人とも帰るのが早ければ手が空いてる方ができることをやるという形で、毎日の家事・育児はほぼ同量で分担してる。
相方が当直やオンコールで一晩中帰れないことが週に2日あり(これでも子供が産まれる前に比べれば減らしてもらっているが、全体的に人手不足でこれ以上減らすと同僚の負担が重くなりすぎ、完全になくすのは正職員である限りは無理なようだ)、
そのときは私の実家で私の母に作ってもらった晩御飯をみなで食べ、家に連れ帰って入浴させて歯磨きして寝かしつけ。
子供が寝たら洗濯機をまわし、前日から干してあった洗濯物を取り入れてたたみ、翌日の保育園の準備をして、洗濯物を干して、それからメールチェックしたりネットのニュースを見たりして、寝るのは12時ごろ。
相方の帰宅が朝方になると、翌日が休日だと日中はグタッとしてる。
相方は家を綺麗に保つことに関心がなくて、週末の各部屋の掃除機かけ、玄関前や門前道路の落ち葉掃除、布団干し、月1のトイレ掃除などはほぼ自分の役割。その間に相方は子供と一緒に公園に行って遊んでいる。
相方の帰りが遅かったり帰れないことに、最初は「医師で多忙だから私の家事育児の負担が重くなるのは仕方ない」と思って納得していた。
子供は毎日毎日かわいくなっていって言動を見ているだけで笑えたり楽しいので地獄の育児というわけではないし、
私の両親も初孫ということもあり毎日「ほんとかわいいねぇ」と言ってニコニコ子供を見てくれるので負担にもなってないと思う。
でも、だんだんと「なんでこっちばかり家事育児の負担が重いの」と不満を覚えることが多くなってきた。
仕事から帰ってきた相方が「疲れた」とソファーで目をつぶってる横で子供の相手しながら夕食作ってると「こっちだって仕事帰りで疲れてるのに」と思ってしまう。
私の両親のサポートが得られてたり、私の今の配属先は残業少なめで7時前には必ず帰れたり、世間の育児家庭より恵まれてる点があるのは自覚してる。
でもね
相方は多忙なぶん稼いでいて(年収だと私は500万ちょっと、相方は当直・オンコールの量によるが1200~1500万)、
それに見合う家計の負担をしているのならまだ納得できるんだけど、お互い社会人だからってことで家や車を買うときは折半で出して、光熱費なども折半。
稼いでるのに普通の消費しかしてないから貯めこんでるはずだが、それ将来子供の学費に使うんだろうな?と心配。
月々の保育料は相方の収入の高さゆえ一番上のランクになり高額なので相方が負担してるのと、
休日に3人で外食したりお泊りに行くときは相方が全額負担してるけど、
掃除機などの家電は私が必要に迫られて買ってるので相方ばかり負担してるというわけではない。
先週の日曜、私が家の周りを掃除してる間に子供と公園から帰ってきた相方に「ゴミ箱のゴミ集めといてね」と言うと「自分は好きなことやってたくせに」と言われてイラッときた。
いや、掃除好きでしてないから!家の周りの掃除しないと近所迷惑だから!
うちの周りだけ平日は掃除してないから落ち葉が多めなの見えるでしょ?って。
これまで何度か家事分担をめぐってケンカしたこともあって、相方から家事代行サービスや家政婦を頼もうかという話も出たが、
たぶん子育てが大変なのは子供が小さいうちで、成長するにつれ楽になってくると思うけど、このまま数年何事もなくすごせるのか不安になってくる。
幼いころの記憶は、2歳ぐらいから残っている。初めて乗った三輪車、初めていった遊園地でのヒーローショー、流行に乗って買ってもらったローラースケート、ファミリーコンピュータ。皆覚えている。
幼稚園の頃には、既に自分が他者とは異なる存在であることを認識していた。
幼稚園でやることは何もかもが退屈だった。何度同じことを教えてもらっても文字を読めない、たとえひらがなであっても自分の名前を書けない。そんな同い年の園児達に辟易していたし、先生の言うことも最終的に言いたい・結論の読める、そんな通り一辺倒の話しばかりで、毎朝幼稚園に通うバスに乗る時には苦痛を感じていた。
ある日、そんな苦痛の発生源から「近所の公園で落ち葉拾いをして、その落ち葉でちぎり絵を作りましょう!」と言われた。他の園児たちは落ち葉をかなり細かくちぎって、造形でギリギリ判別できるかどうかの「おさかなさん!」「おはな!」「おかあさん!」といったの作品を作って先生に持って行っていたが、俺は「いやいや、落ち葉で作るんだから落ち葉である事を活かせよ」と思い、少し捻くれた形をしたカエデの落ち葉を1枚と、他にも大量の落ち葉を拾って、「人喰いおおかみをやっつけた人が、その証としておおかみの右手をバイクに積んで村に戻っているところ」という作品を作った。
作ったちぎり絵を先生に見せた時、「これは・・・バイク?・・・と・・・手?」という反応をされたので、それは人の手では無く、怖くて悪い人喰い狼だと説明した。その際に俺は「これは他の人間にも説明が必要だな」と何故かひとり勝手に確信し、画用紙に黒のクレヨンで物語を描き始めた。最初は延々と文字だけで説明していたが、文字だけだと寂しいので、余白に挿絵もつけた。
「悪くて怖い人喰い狼が現れて困っている村人たちのところに、腕利きの猟師がやって来て・・・」という、何とも陳腐な筋書きではあるが、画用紙を10枚以上使ったと記憶している。
俺のちぎり絵と物語は幼稚園で話題になり、その年のお遊戯発表会の題材にもなった。先生は「やっぱり主役の猟師役は増田君がやるべき」と言ってくれたが、主役はガキ大将のS君に決まった。かけっこなどの身体を使う類いのことはからっきしだったので、俺はそれで良いと思った。
発表会は結構うまくいったようで、いつの間にか俺の「作品」達は、「画用紙に書いた物語と一緒に区役所に飾ろう」という話まで出て来ていた。
その事で幼稚園側と区役所側の担当者が何度か話し合いを持ったようだが、結局絵だけ飾る事になった。
区役所に絵を飾る事になるまでの一連の話を幼稚園から説明された両親は、たいそう喜んでくれた。
両親は平凡だった。見合いで結婚し、中庸であることを良しとし、毎日を善良に暮らし、一人息子である俺にもしっかりと愛情を注いでくれる。そんな両親だった。
ただ、そんな両親が、幼稚園側が区役所の絵画の話を交えつつ、「増田君は本当に優秀です。才能があります。小学校は是非とも私立を考えられては・・・?」と強く推した途端、「いえ、結構です。ウチは公立の小学校に行かせます」と、頑として譲らなかった。理由はわからない。金銭的な問題だったのかもしれないし、中庸を良しとする生き方に反していると考えたからかも知れない。
俺は単に「人間関係をリセットして、見知らぬ土地でまたイチからやり直すのは苦痛である」などとぼんやり考えており、小学校は地元の公立のほうが良いように思えた。
幼稚園の中に友達と呼べるような存在はいなかったと思うし、毎朝の通園バスも苦痛ではあったが、それでも何とか周囲の人間の為人を把握して対応方法をほぼほぼ確立していた矢先の話だった。小学校とやらに行く事になれば、公立でも私立でも「周囲の人間の数」は増えるのだろうが、私立でゼロから再構築するよりは公立のほうが幾分マシだろうと思っていた俺は、そのように両親に伝えた。
両親と俺の希望が一致していたので、当然小学校は地元の公立小学校に入学することになった。
小学校に入っても、特に俺自身の変化はなかった。小学校に入ると本格的に「勉強」というカリキュラムがはじまったが、先生が言っている事を聞いて、板書をして、家に帰ってから宿題を済ませた後に復習・予習をしていれば、テストの点数は取れた。
この頃になると、自分の状態を客観的に捉えた上で、自身についての考察ができるようになっていた。
俺は結論として、「俺は天才である」と考えた。井の中の蛙どころの騒ぎではない。加えて、空の青さも知らないとなればもはや滑稽を通り越して害悪であるが、俺の周囲には俺より優れた学力を持つ者も、俺を諫めようとする者もいなかった。
言い訳がましいが、物差しが少ない小学生の時分である。「学力」という物差ししか持っていなかった俺は増長し、慢心し、周囲を哄笑した。将来は俺のような人間が、東京大学のような「賢い一流の大学」に入って、「でっかい一流の会社」に入社して、いずれは社長になって世の中を動かしていくと、本気で思っていた。
何より、公立の小学校は毎日がヒマだった。普段から見下している同級生とは、恐ろしいぐらいに会話がかみ合わなかった。俺にコミュニケーションスキルがあれば、「会話をあわせに行く」「自分の会話ができる場を作る」といった芸当も可能だったかも知れないが、ご多分に漏れず俺はコミュ障だったし、そもそも会話を合わせるという発想もなかった。
「名のある企業に入れる」「いずれは社長になる」などと思いこんでいるような人間がコミュ障というのは、その時点でもう既に色々と破綻しているような気がしないでもない。
ともあれ、この頃の俺は毎日退屈な授業とかみ合わない会話をする為だけに、日帰りの監獄に通っていた。全国の小学生がこの地獄を味わっているとするなら、文部省は滅ぼさなければならないと本気で思っていた。その為に文部省に入って俺がこの国を変えてやるんだと、鼻息だけが荒い小学生だったと思う。
─────「良い会社」に入るには「良い大学」に行かないといけないらしい。
─────日本一の大学は東京大学というところらしいが、真の天才であるならば京都大学に行くらしい。
そんな情報を入手したのは、忘れもしない、小学4年生の秋頃である。いかにも小学生が摂取しそうな、狭い世界のテキトーな話である。だが俺は何故か純真無垢にその与太話を信じた。つまり、「将来は絶対に京都大学に入ろう」と思った。
そこから俺は色々と京都大学の情報を収集しはじめた。「学部」など、小学生の俺の辞書には登録されていない概念に触れる度に興奮しつつ、どうやったら京都大学に入れるのか?という情報を求めて方々に聞いて回った。まず一番初めに、俺にとってもっとも身近な「大人」である両親に「どうやったら京大に入れるのか?」と尋ねたところ、「知らん」と言われて会話を打ち切られてしまった。仕方なく学校の先生などに尋ねたりしていたが、小学生の調査能力などたかが知れており、当時はまだインターネットなども普及していなかったので、俺の京都大学情報収集はかなり早い段階で終止符を打たれることになってしまった。
しかし、京都大学に入れたとしても、大学入学までは今からでも約8年かかる。京都大学に入る方法とは別に、一刻も早くこの日帰り監獄から抜け出す方法はないものか・・・と模索していたところ、どうやら「私立中学」というところに通えば俺の退屈な生活におさらばできるようだという情報を得た。
日帰り監獄の看守たる先生も、たいそう熱心に「増田君は灘中学か東大寺学園に行かせるべきです。」と言ってくれた。特に小学6年生時の担当看守だったK先生は熱心で、何度も両親と懇談して、俺を私立に行かせようとしてくれた。
だが、ここでも両親は「ウチはあまり裕福ではなくて・・・。本人は成績も良いので、公立中学から北野高校にでも行ってくれたらいいと思っておりまして・・・。」と、俺を私立中学に進学させることは明確に拒否した。
看守は
「経済的に難しいと思っておられるなら、公立中学以下、なんなら増田君の学力ならおそらく無料で通える」
などと食い下がったが、両親は「もう公立に決めてますので・・・」と固辞した。
この頃になると、小学生の俺でもさすがに両親の言動に疑問を覚えるようになった。両親は「経済的に困窮しているから私立は行けない」の一点張りだったが、看守は「困窮していても通えます」という。イヤさすがにそれはちょっとヘンだろ、矛盾してるだろと思っていたが、当時の俺はそこまで頑なな両親を説き伏せてまで日帰り監獄から抜け出したいとまでの強い意志は持ちえなかったし、天才・秀才・英傑達と机を並べて学びたいという願望も希薄だったし、それらの一連の俺の態度が招くであろう結果も、特に深くは考えてはいなかった。
当時の両親の真意が奈辺にあったのか、今となっては分からない。草葉の陰から、声は聞こえない。
そうして地元の公立中学校に入学した俺は、特に変わり映えのしない日帰り監獄生活を送っていた。そんな俺だったが、中学生活の半ばに差し掛かろうという頃・・・具体的に言うと全国模試を受けたあたりで、「んん?あれ?・・・どうも俺って天才じゃないな、これは・・・」と薄々感づき始めた。全国模試の偏差値が出るからである。
そりゃもちろん、俺の偏差値は全国平均より遥か上には位置しているのだが、自分なりに努力をしてみても、偏差値的に灘高校にも東大寺学園高等部にも届かないという事実を突きつけられた。これは結構俺にとってはショックで、小学校の頃は「余裕で入れる」と言われた灘にも東大寺にも入れないという事実は俺に重くのしかかった。「このレベルの高校が無理なら、こりゃ京大や東大なんて夢のまた夢だろ、どうしよう・・・俺の人生、どうなるんだろう」と、本気で思い悩んだ。
悩みぬいた俺は中学2年の夏、両親に「塾に行きたい」と言ってみた。しかし結果はやはりというか順当というか、頑強に拒まれた。曰く
「成績がいいのに何故」
「塾はお金がかかる」
「家でも勉強はできる」
小学生の頃の俺なら諦めていただろうが、中学生になっていた俺は己の目標を達成する為に食い下がった。模試の結果を伝え、行きたい大学がある事、だが自分の今の成績ではそこに至ることができない事、自宅での自己学習には限界がある事などを説明した。
また、塾が無理なら定性的定量的に評価が可能な代替案の提示をせまった。塾の代金は高校に行ったら必ずバイトして返す、なんなら今から新聞配達をして払うと、土下座までして塾に行かせてくれとせがんだ。
半年ほど前に未亡人となった母はなんだかやつれて見えたが、当時の俺は塾に行けることが嬉しくて嬉しくてしょうがなくって、あまり母親のことを注意深く見ることはできなかった。今思えば、当時の母は様々な事に疲れ切って倦んでいたのだと思う。塾に行く許可も、根負けというよりかは思考放棄といったように俺には映った。
そんな母を尻目に意気揚々と進学塾に入った俺は、成績順のクラス分けで上から2番目のクラスに入れられた。正直、体が震えた。自分よりはるかに勉強ができる人間が、天才が、焦がれる存在が、今まさにすぐひとつ上のクラスにいるとリアルに感じられるのである。そして、その人間たちと同じ程度の授業を、自分も受けることができるのである。これがアニメだったら俄然燃えるBGMが聞こえてくるようだった。実際、あの時の俺には、何かが聴こえていたのだろう。俺は一心不乱に机に噛り付いた。机に歯形があるんじゃないのってぐらいには噛り付いていたと思う。
その甲斐あってか、入塾後すぐのクラス替えで、あっさりと一番上のクラスになれた。ここで俺は生まれて初めて、圧倒的な勉学の才能をもった人間、すなわち「天才」と直に出会った。それも一人や二人ではない。そんな輝ける才能がひとつの教室に雨後のタケノコのようにポコポコと存在している、そんな環境で学べるという喜びにも出会った。
毎日がただ楽しかった。自分は天才ではないのかも知れないけど、努力すればちゃんと数字が、成績がついてきてくれた。
幼少の頃、毎朝幼稚園に行くバスの中で感じていた苦痛や、小学生の頃に感じていた疎外感は、もう無かった。
高校は公立の北野高校というところに入った。維新の橋下弁護士とか、日本マクドナルドの創業者の藤田田(ふじたた、ではなく、ふじた・でん)とか、漫画家の岡田あーみんとかが通っていた高校である。
本当は東大寺学園に行きたかった。学力や模試の偏差値は足りていたと思う。赤本の自己採点でも余裕で合格圏内だった。だが、中学3年時に入塾した際に母親と交わした「高校は絶対に公立高校にする事」という約束を守った。その約束をした時点では「受験までにどうやって説得するか・・・」などと考えたりもしていたが、塾での公立中学では考えられない授業スピードについていけたことや、並み居る才能たちと交わした会話の中で、「公立高校からでも京都大学は狙える」という感触を、俺は確かに掴んでいた。
中学の頃はあまりよく理解していなかった奨学金制度は、高校に入ると同時に申請した。家計を理由に俺の私立進学を拒んだ母親は、中学時代に俺の奨学金を申請していないこともその時に知った。俺はそんな母親を信用せず、奨学金の申請手続きを自分自身で済ませた。
北野高校の授業の質は高いと思った。だが俺は油断せず、予備校にも通うことにした。私立中学入学組の連中は、少なくても俺より3年は早く走り出している。そいつらに追い付くには、そいつらと同等、いやそれ以上の勉強が必要であると思ったからだ。
俺は詐欺師丸出しの口調で「高校の学費が浮いたんだから、もともと払うつもりだった学費は予備校に回してほしい。予備校とバイトを完全両立させるのは時間的に難しい。学力的に、俺は中学までの借金がある状態。プラスに転じるには積み上げるしかない」などと母親に申し入れたところ、すんなりと受け入れられた。
この頃になると、奨学金の申請だけでなく、家の中の一通りの事は全て俺がやっていた。
「自分でできるようになったから」というのももちろん理由としてはあるが、母親が炊事・選択の家事全般を筆頭に、日常生活の様々な事をほぼ全て放棄してしまっている事のほうが、より比重の大きい理由だった。母親が予備校行きを認めたのも、「認めた」というよりは「俺が『予備校に行きますよ』と報告した」といった表現のほうが正しいように思う。
俺が小学生や中学生の頃には確かに存在していた、「理由なぞはよくわからないがとにかく自己の主張を持って論陣を張る頑強な”母”たる人間」は、もういなかった。朝起きて、TVをつけて、ご飯を食べて、夜眠るだけの人間がそこにはいた。
家計はほぼほぼ俺が全部見ていた。入ってくるカネと出ていくカネを計算して大幅なマイナスにならないと言う事だけを気にしていたので、一般的な家計管理よりはラクだった。現に、今つけている家計簿よりは簡単だったように思う。父親の遺した資産が多少あったので、その管理も俺がしていた。
高校生活は楽しかった。学力差のある人間を十把一絡げにして地域ごとに押し込める日帰り監獄では味わえない切磋琢磨がそこにはあった。同程度の学力を持つ者同士が集まった結果としてのシナジーがあった。今までは暗い色で塗りつぶされていた「学校での生活」に色が付き始めた。毎日学校に行く事が楽しかった。対照的に、毎日家に帰るのが億劫になり、やがてそれは苦痛に変わり、それに伴い、家の中が暗い色で塗り潰されていった。
昔、母を名乗っていた人間は炊事もしないので、学校帰りは毎日スーパーに寄り、食材を買い、俺が晩ご飯を作った。予備校のない日は二人で食事をするようにしていたが、食事中に会話のようなものはなく、TVから流れるバラエティー番組の下らないやりとりだけがBGMだった。ご飯の味はしなかった。たぶん、母だった人も、ご飯の味はしていなかったと思う。
もしかすると、家から目を逸らそうとして、無理に高校での生活が輝いていたんだ、良かったんだと自分自身に言い聞かせているだけなのかも知れない。我が事ながら、この頃の記憶は妙に混濁している。
大学入試は当然のように京都大学一本にした。学力も模試結果も問題無いと判断したし、何より俺には京都大学以外の大学に通う価値を見出せなかった。入学できるまでは何浪でもするつもりだったが、幸いにも現役で合格することができた。
ひとり身になったから身軽だったし、しばらく大阪から京都大学に通ってみたものの、さすがに京都の外れまで毎日通うのはちょっと辛いなと思った。何より、暗い色で塗り潰された、大阪のあの家に帰るのは嫌だった。もうTVの音は聞こえなくなったけど、あの家で目をつぶって眠るのが、怖かった。
大阪での様々な残務を片付けると、それらの結果や、これからの事、感謝の気持ちなどを両親の墓前に報告して、俺は京都に移り住んだ。
後編に続く
○ご飯
朝:なし。昼:餃子二人前。ビール。夜:考え中。間食:とりあえずドーナツ。
○調子
お酒飲んでしまうと何もできないね。なんとか洗濯はした。それとグラブルの期間限定イベントのクリアも。
○グラブル
装備が、どうして空は蒼いのかの楽器、シュヴァ剣五凸一本、シュヴァ剣四凸五本、マグナ終末四凸(上限アビつけ忘れてたの今気づいた)、ゼノコロ剣、コスモス剣。
石が、両面シュヴァ石、サブがノビヨ、サンダルフォン、フレイ、ゴールデンぴにゃこら太。
第一陣が、
ランバージャックジータ(ディスペル、安らぎの木漏れ日、落ち葉焚き)、リミテッドイオ、恒常レ・フィーエ、銃ゾーイ。
第二陣が、
ペコリーヌ、SSRソフィア、リミテッドヴィーラ、最終前ふんふ。
第三陣が、
最終前ソーン、恒常光SSRジャンヌ、リミテッドノア、恒常SSRアルベール。
とにかくリミテッドイオが強かった。久遠捧げた価値を感じられて大満足。
・全国のいたるところで公害
・一部の裕福な家庭を除き、大学へは行きたくても行けない(男子)
・「大学へ行くだと?女が大学に行ってどうするんだ?アタマおかしいのか?」(女子)
・夕方には帰宅して、家族みんなでテレビ見ながら晩ごはん ←深夜営業の外食もコンビニも電子レンジも普及してないから、そうするしかなかっただけ
・映画、歌、テレビ、みんなで同じものを見て、同じものを楽しんでいた ←野球とクルマが好きで酒・タバコ・バクチ・買春をたしなまないと男は社会的に死亡
・会社、学校、家族、誰もが帰属先を持てて、アイデンティティが確立できた ←今だって趣味、住所、政治的立ち位置あたりに誰もが帰属意識持てるし、アイデンティティをふりかざしてる人は多い
・男と女の役割分担がはっきりしていて、変な軋轢がなかった ←軋轢はあったよ。役割を分担してた分、男は稼ぎが少ないのをなじられ、女は炊事洗濯が出来ないとイビられる地獄な軋轢が。
・6日間必死に働いて、日曜にようやく休息してたら「濡れ落ち葉」と邪険にされたのが昭和のお父さん
・普通に働いていれば、それだけでいい ←と思ってたら、子はワープアで自分の介護は無理そうで、政府はアテにならず、あげく戦後の食糧難や公害といった苦労を知らない若造から「昭和時代にサラリーマンをやりたかった」などと言われ……
落ち葉を細かくちぎってパンくずみたいにして、ハトの目に入るところで餌やりっぽくばらまく
それをみたハトはアホなんでエサだと思ってやってくるし、他のハトが集まるのをみた遠くのハトも寄ってくる ちょっとした饗宴状態!
でも落ち葉しかないので困惑する その落ち葉をつついてみたりもするが、なんの変哲もない落ち葉だ 馬鹿めと思いながらもう一回落ち葉を撒く ハトはアホなんで律儀にまた落ち葉にたかる
この辺りであたりの視線が痛くなってくるので立ち去る これが俺の流儀
ネットでいくら検索をかけても同じようなことをやってるって話がヒットしないから、ここに一人いるぞということを示したくて書いた(増田は木っ端記事でも検索上位に来がちだし)
同好の士よ 君は一人じゃないぞ!
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 78 | 7710 | 98.8 | 30 |
01 | 53 | 3899 | 73.6 | 23 |
02 | 17 | 1010 | 59.4 | 13 |
03 | 2 | 234 | 117.0 | 117 |
04 | 35 | 3624 | 103.5 | 29 |
05 | 23 | 2889 | 125.6 | 30 |
06 | 29 | 4067 | 140.2 | 37 |
07 | 40 | 3143 | 78.6 | 49.5 |
08 | 51 | 3475 | 68.1 | 35 |
09 | 146 | 8681 | 59.5 | 28 |
10 | 141 | 16514 | 117.1 | 38 |
11 | 122 | 11091 | 90.9 | 34 |
12 | 146 | 7725 | 52.9 | 25 |
13 | 70 | 4850 | 69.3 | 30.5 |
14 | 72 | 4441 | 61.7 | 33.5 |
15 | 161 | 7441 | 46.2 | 26 |
16 | 112 | 5912 | 52.8 | 33.5 |
17 | 140 | 13736 | 98.1 | 33.5 |
18 | 205 | 18157 | 88.6 | 38 |
19 | 213 | 13074 | 61.4 | 38 |
20 | 114 | 12944 | 113.5 | 37 |
21 | 102 | 11627 | 114.0 | 36.5 |
22 | 103 | 5223 | 50.7 | 27 |
23 | 101 | 7009 | 69.4 | 25 |
1日 | 2276 | 178476 | 78.4 | 33 |
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6639046(2473)
6組13名で昼から翌日の昼まで一泊二日を過ごす。
準備はかなり面倒。
子ども用のお風呂セット、着替えセット、歯磨きセット、予備の着替えセットを分けてパッキング。
うちの子も誘われたけど、黙って俺の顔を見るだけ。
ここで親子はお別れ。
夕食も親子別々。同じ部屋だけど席は離れてる。
全部食べた?と聞くとうんと答える。
夕食後、親はエコバッグ作り。
隣の人に落ち葉を分けてもらい、適当にインクをつけて推して5分で終了。
俺は一人スマホをいじりながら、入浴時間まで過ごして、入浴後は持ち込んだSWITCHで寝るまで時間をつぶす。
子どもは引率者が入浴、同室での就寝まで看てくれる。
翌朝息子と再会。「来年も来よう」と言ってる。
朝の体操して朝食。また離れて座る。
また親子別々。子どもは昼食の準備、親はヨガと自然散策で多少時間をつぶす。
息子はキュウリを切る係。サラダ用のきゅうりを厚さ3センチで切る。
くりぬいたかぼちゃにシチューを入れてダッチオーブンで加熱する。
食べ終わったらみんなで皿洗いして終わりの会。
生産者です。初めて書いた匿名ダイアリーがホッテントリ入りしてびびってます。
コメントが1つでも付くといいな、くらいに思っていたらたくさんコメントいただきましたので、いくつか返答しつつ、こういう情報にも需要あるっぽいんで、あとちょっとだけ書きます。
ありがとうございます。バンバン書いたら、読む人置いてきぼりな長文になっちゃったんで、だいぶ縮めました。
元増田さんの内容を読んでいて、風に言及するのは珍しいな、と思ったので私も書いてみた次第です。
乾燥にも重要なんですが、光合成にも必要なんです。というのも、気孔から二酸化炭素を取り込むのに、葉の表面にびっしりとあるトリコームが邪魔になるんですね。たとえば、マスクをしたら呼吸がちょっと苦しい、みたいなもんです。風を送る事で、比較的二酸化炭素の多い空気を、植物体表面付近の、二酸化炭素が少なくなった空気と入れ替える事ができるため、光合成を促進すると考えられています。
喜んでるけど、すぐ枯れた方がたくさん売れるぜ~系の生産者の方が儲かってシェア取っていくんだろうな~ってのが市場原理の皮肉…。
そんなもんです。でも、うちで育てたのは長持ちって評判を聞くので、それだけでまぁいいかなって気分になります。
ありがとうございます。このコメントが一番うれしかったです。
ごく薄く薄めた液体肥料をたまーにやるくらいで十分です。水分を取り込む時に、一緒に養分も取り込んでます。根は、固定のためだけ、という説もありますが、実際には水分・養分も吸収しているらしいです。
着生している木に落ち葉や虫のフンが貯まる所が出来る→微生物によって分解される→雨と混じって液肥の出来上がり→木を伝って垂れてくる→エアープランツたちが吸収
これが、種(タネ)の戦略にも影響していて。いわゆる「種」のイメージって、養分たっぷりですよね。でも、エアープランツ…というか、着生タイプのチランジアの多くは、種には養分が少ししか含まれていません。
なぜかというと、大量の種を広い範囲に散らばらせ、生育に適した環境に着いた物だけが育つ、という事に最適化されている事が理由らしいです。十分な養分を種に持たせようとすると、たくさんの種を作るにはエネルギーが足りなくなりますので。たとえば上記のように、木を伝って栄養が来る、さらに明るさ・風通しもよい…というような所に着いた種が発芽・生育し、次世代を残す…という事になっているようです。
職業で言うと単に農業になっちゃうんですけどね。農業は副業で、本業はフリーランスでIT関連の便利屋みたいな事をやってます。今回ホッテントリ入りしたのを見た時は、本番環境でやらかしてApacheのテストページしか出てこなくなっちゃった時くらいビビりました。
ですよね。なので、書くかどうか迷いました。英語の発音だと、Trichomeなのでトライコームに近いのですが、エアープランツ関連だとトリコームって書かれる事が多いようです。語源としては、ギリシャ語のtrichoma、毛が生えてる…って意味らしいです。他の植物の、葉に生えてる産毛のような物も同じくtrichomeなんですけど、こちらは毛状突起と訳される事が一般的なんですよね。不思議。
国産だったのか…。
最近は以前よりもだいぶ流行ってるんで、海外から輸入して売ってる所も多いですね。
ごめんね。代わりと言っちゃなんだけど、できるだけ快適に過ごせる環境で元気に育ってもらえるようにするよ。
あとは、個人的に初めて知った時はへぇーーーってなった部分ですが、細かい内容なんで、オタクが早口で何か言ってるくらいに思ってください。
エアープランツの多くは、光合成がCAM型と言って、昼の暑い時は気孔を閉じていて、夜間気孔を開くしくみです。ただ、夜であっても、環境条件が合わないと気孔を開かないんですね。条件としては、外気の湿度が大きな影響を与えています。しかも、ストックよりもフロー重視というか、植物体の持っている水分量はあまり影響を与えないようです。すなわち、十分に水をやっていても、夜間空気が乾燥した状態だと、気孔はわずかしか開かない、という特性を持っています。
あと、昼夜の気温差が少ないと、これまた光合成速度は低下します。植物は、光合成でエネルギーを貯め、呼吸でそれを消費して生命を維持しているので、光合成速度が低下して、生命維持に必要なエネルギー生産量を下回ると、最終的には枯れます。生命維持に必要な量を超えると、超過分が植物体の成長等に使えるわけですね。なので、枯らさない/早く育てる、というのは、いかに光合成に適した環境を与えるか、という事にかかっているわけです。