iPhoneの新作が発売されるたびに前日から並んでいるような人たちは、死ぬことについてどのように考えているのだろう?私は自分の死後に発表されるiPhone(その頃にはiPhoneという名称ではないかもしれないが)のことを思うと気が滅入ってしまう。そのiPhoneには現代では想像もできないような新しく素晴らしい機能が搭載されていることだろう。なのに、死んでいる私はそれを体感できないのだ。くやしい。不老不死になりたい。
そういうわけで「私が死んだら同時に人類は滅亡する」という設定で生活をはじめた。滅亡してしまえばそこから世界が発展することもないだろう、これで一安心、というきわめて自己中心的な。もともとは「私が死んでも世界は変わらない」「生きていても死んでいても意味がない」と思っては涙を流すような、繊細な中高生だったのだけれど。今ではすっかり私が神だ!状態である。嫌いな人と相対していても、こいつもしょせん私が死んだら同時に死ぬ運命にあるからなあ……ふふふ……という冷静になると???な余裕がうまれているほどだ。
君が氏んでも世界は滅亡しないけど 君の中の宇宙は消えてなくなる。