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2023-09-16

下方婚したよん

私 27歳年収650旧帝卒 他人からは時々お世辞風に褒められるけど旦那に顔が好みと言われたことはない

旦那 32歳年収450Fラン私大卒 イケメンではないけど好きな人は好きな顔だと思う、私は好み

二人とも都内に住んでる

私がハイスペなわけじゃないか世間で言われるような下方婚に当てはまるのかはわからないけど。

出会いアプリ地方から上京して友達あんまりいなかったくてたまたま家が近くて会った。そこから4年付き合って結婚した。付き合ってた当初は学力とか年収とかあんまり気にしてなかった。年上だからといってリードされることもなく、安居酒屋で飲んだり二人でゲームしたりして過ごすのが楽しかった。

ただ結婚となるとめちゃくちゃ悩んだ。子供を持つと考えた時に、私はどちらかが何らかの原因で働けなくなった時も生活していけるくらいの基盤が欲しいと思っていた。対して向こうは産育休中は給与が下がることも知らないくらいだった。「最悪増田ちゃんが働いて俺は家で家事するよ」と言われたこともあった。ちなみにこの時に世の中で専業主婦を養ってる男性は本当にすごいなって思った。嫌味とかじゃなくて。

結婚するか、と思ったきっかけは向こうが家事を覚えてくれたこと。一緒に住み始めた当初は家事負担は私9旦那1くらい。お互い一人暮らしだったんだけど、向こうはゴミ屋敷かつ自炊5年以上してないという状態だった。(炊飯器の使い方わかんないって言われた)ただ私はそれは嫌だよって日々伝えたことで数年かけて料理も、洗濯も、死ぬほど嫌がってた排水口の掃除もできるようになった。

じゃあ今家事負担が5:5かと言われるとそうではなくて正直私6旦那4あるかな?くらいだけど、旦那キャパもあるから私も手を抜きたい時は抜いて3日連続コンビニとかもある。

家事スキルのものというより変わってくれたことが大きかった。上から目線なっちゃうけど、時間はかかっても変わってくれるのであればこれから嫌だなって思うことがあってもお互いに話し合っていい方向を目指していけるのかなって。お金不安はなくなったわけじゃないけど、今は旦那経験を生かして年収上がる職業への転職を一緒に考えてる。

直5歳も年上だからリードして欲しいなーと全く思わないわけではないけど、私だって完璧じゃないし、その上でお互いを補完し合えると思ってる。

勿論それだけじゃなくて、日々感じる愛情とかフィーリングの部分も踏まえての結婚だけれども。

ここまで読み返してお前は変わらないのか?と自分に思ってしまったんだけど、あんまり指摘されることがないのと料理とか仕事とかは旦那自身も変わったほうがいいという認識はあったか一方的押し付けではない…はず。でもこうして欲しいああして欲しいっていう時になんか見下してるって思われるんじゃないかって不安はあります。難しい。

結局下方婚→同等婚を目指してる人間から「女は下方婚しない」になっちゃうのかもしれないけど、お金だけじゃなくて自分のために何か行動を起こしてくれるっていう要素で結婚した人もいますよという一例です。

2023-09-11

恐ろしい夢を見た話

増田大学2年、女。

昨日の夜から今日の朝にかけて、恐ろしい夢を見た話がしたい。

どこにも吐き出せないからせめてここにだけ書き残させて。

夢の内容は

高校時代の友人と数年ぶりに会って現在自分生活高校生活を振り返りながら談笑する」という字面だけ見れば何ら恐ろしい要素は無い他愛のない夢だった。

その友人との関係性を加味しなければの話だが。

・・・

その友人はみらい(仮名)という名前だ。

元々面識はなかったが、高2の新学期コロナによる数ヶ月にわたる臨時休校狭間で行われたクラス替えで同じクラスになり自己紹介で私が「趣味読書で◯◯◯◯◯と◯◯◯◯が好きです」と言ったのがきっかけで仲良くなった。

自己紹介が終わって自由に席移動して気になる人と話していい時間になった時、私は元々友達が少ないためクラス内に友達がいないこと、そして他人に執着しない性格だったこともあり手持ちの本を読んでやり過ごそうとした。

すると、「ねえ、◯◯◯◯◯好きってホントわたしも好きなんだ〜」とみらいが話しかけてきた。

第一印象は「綺麗だな」だった。

二重まぶたに通った鼻筋、光を湛える黒目がちの瞳、細く白い腕、赤い唇。

どこをとっても絵に書いたような美少女だ。

◯◯◯◯◯は私達の世代が好んで読むような作家ではないので本物の読書家だということは問わずとも明らかだった。

その後時間の許す限り◯◯◯◯◯や他の好きなこと、部活などの話をした。

その日の下校の時にはどちらともなく先生の目を盗んで校内でスマホの電源をつけ、LINEを交換するほど意気投合していた。

その日から臨時休校で暇を持て余していたこともありほぼ毎日のようにLINEでいろいろな話をした。

初めて話したときからなんとなく感じていたが、みらいは私と思考パターンが似ていた。

そして学力もほぼ差が無かった。

得意な教科の話になったとき時、二人とも同じ教科を挙げた。

その教科は私が1年の間たった1度だけ1位を名も知らぬ誰かに明け渡してしまった教科だった。

まさかと思いながら「もしかして1位取ったことある?」と返信した。

すると、「もしかしてずっと1位だったの◯◯(増田の下の名前)だったの!?私、1回だけ1位取ったことあってその回以外はずっと2位だったの!」と返ってきた。

こんなことってあるのかと思った。

それと同時に彼女のは切磋琢磨しあえる良い関係になる予感がした。

臨時休校が明けて登校が始まると私達はさらに仲良くなった。

それとともに私の中には負の感情が巣食いはじめた

初めて遠隔ではない担任の授業を受け、二人で談笑しながら教室へ向かっていると、担任からしかけられた。

増田新川(みらいの苗字)(仮名)!お前ら1年の頃から同じクラスだったのか?」

担任にはそれぐらい仲がよく見えたのだろう。

「違いますよ〜!担任なら前のクラスぐらい把握しておくのが筋ってもんじゃないですか〜?」

とみらいが軽口を叩いているのを横目に見ながら私は内心嬉しくて堪らなかった。

こんな美少女と対等な友人関係を築けていることが他人の目から見ても明らかなこと、私はその事実歓喜した。

しかし、その数日後私は地獄を見た。

その日、授業が終わると担任ロッカーを整理しているみらいの所へ向かうのが見えた。

その数秒後、廊下から二人の笑い声が聴こえてきて、今度は私のもとに担任がやってきた。

その担任第一声が

「ごめん。新川増田だと勘違いして声かけちゃった。だってお前ら背丈といい雰囲気といいなんか似すぎなんだよ。」

だった。

信じられなかった。あの美少女を私だと見間違えるなんて。

だって私は重い一重まぶたで背も彼女ほど高くはない。

それなのに見間違えるなんて許せない、彼女の美に対する冒涜だとさえ感じた。

きっと委員会の連絡か何がだったとは思うが、担任のその後の言葉が頭に入ってこないほどの衝撃だった。

担任と会話したあとチャイムがなったので自分の席に戻るともう一度さっきのことについて思索を巡らした。

そこで私は気付いてしまった。

私がおかしいということに。

普通人間なら心の中で喜ぶべきことを私は赦されないことだと感じて、しかも怒りさえも感じた。

どう考えてもおかしい。

他人に執着しないはずの私が、彼女には彼女に対しては何故かこんなに心を掻き乱されている。

もう手遅れだった。

その頃にはもう彼女への、そして彼女の美に対する感情はもはや信仰の域に達していたことを、その時ようやくわからされた。

私とみらいはいつもそばに居た。

休み時間になると彼女の方から私の所へやってくるのが当たり前だった。

その美しさや性格から友達は多いが、その数多くの友達の中で私のことを選んでくれた。

それが私にとっては至上の喜びだった。

クラスメイトが

「みらいちゃんかわいい〜」と言うと

みらいは

「まぁね〜」と当たり前だとばかりに返答していた。

そんな彼女自己肯定感の高さがこの上なく好きで、でもそんな彼女が眩しかった。

だってはいつも彼女の影だったから。

彼女が他のクラスメイトの「かわいい」と言われる時、私はいつも息苦しかった。

私をかわいいと言ってくれる人はいいから。

当たり前だ。わかってる。私が彼女より醜い事は私自身が誰よりも知っている。

決して表には出さなかったが称賛を全てほしいままにしている彼女が横にいると気が滅入ることも多々あった。

それでも私は彼女と一緒にいた。

二人でいる時だけは、その美しい瞳に私以外は映らないから。

それから数カ月後、修学旅行が始まった。

もちろん全ての行動を共にした。

一日目は某県の某資料館へ2学年全員で向かった。

みらいも私も暗い場所は苦手なのでドキドキしながら入館した。

手が触れたのを契機に、どちらともなくお互いに指を絡めて相手の震えを感じながら暗い館内を歩いた。

私は手汗が出やすい体質なので1度手を解こうとしたが、

「怖いから話さないで」と小声で訴えられたので逆らえるわけもなく結局出口までそのまま向かった。

その次の日は班別活動で某県の某洋館へ向かった。

私がお土産を見繕っていると、みらいが

「ねえ、◯◯こういうの好きでしょ?」といきなり声をかけてきた。

彼女の指差す先には、色とりどりの硝子でできた美しいエジプト香水瓶(中は空)があった。

美しい曲線と精緻彫刻

まさに私の求めるもののものだった。

凄く綺麗……とつぶやく

「全部一点ものらしいよ!せっかくだからお揃いで買おうよ!」とみらいはもう買う気満々でその手の中には桜色の香水瓶が収まっていた。

私は彼女のそれとデザインの一部がよく似た空色香水瓶を選び二人でレジへ向かった。

その日の夜食ホテルレストランで食べた。

なかなか量が多く、少食気味なみらいは食べきることができるのかと心配になったのでそれとなく隣にいる彼女を見やるともう限界という顔をしていた。

すると彼女の方から

「これとこれ食べれる?」と言ってきたので有り難く拝借した。

それで終わると思いきや、デザートミニケーキの二種盛りがやってきた。

私はぺろりと平らげたが、彼女はどうしても最後の一つが食べられないようだった。

そして

「ごめん。これ食べれる?」と聞いてきた。

私はうんと言おうとしたが、

私の食器フォークはつい先程席を巡回しているホテルの方に回収されてしまったので食べる術がない。

手で食べるのははしたないしと逡巡していると

はい、あ〜ん」

と私の方に彼女フォークで刺したケーキ差し向けてきた。

同じテーブルの生徒の視線彼女の手と私の顔に集まり、恥ずかしさで頬に熱が走るのを感じた。

いつまでもこのままではいられないと思い、覚悟を決めて顔を近づけ、食べた。

修学旅行でそんなことが起こったため、その後の学校生活ではクラスメイトに彼女との仲をからかわれることも増えた。

「なんかみらいちゃん増田さんって二人だけの世界?っていうか独特な空気感あるよね〜」と言われたりなんかもした。

今まではそう感じたことは無かったがあの修学旅行を経ると確かにと思う自分も居た。

その関係に心地よさを感じる一方、今振り返ればどこか嫌悪感があった。

念のため言っておくと、私は普通の女だ。

小中学生の頃は普通男子と付き合っていたし、好きになるのはいつも男だった。

でも共学は嫌いだった。共学の女が嫌いだった。

あらぬ噂を立てて私と彼氏を引き離そうとする、そういう汚い女が大嫌いだった。

から高校女子校を選んだ。

中学時代仲の良かった先輩から

女子校は本当に生きやすい。男がいないとそういう争いとかもないし。」と聞いていたのもあり必死勉強して女子校入学した。

女子校は先輩の言う通り生きやす空間だった。

秘密の花園なんてのは空想だけれど、進学校だったこともあり皆自分が一番大切だから自然無駄な争いを避けるようになっていたから本当に生きやすかった。

彼女存在けが想定外だった。

今思い返すとというより当時から薄々感じていたが、みらいはボディータッチが多かった。

1日に少なくとも2回以上はハグしてくるし、堂々と人前で手は繋ぐし、とにかく距離感おかしい。

最初こそ戸惑っていた私も仲良くなるにつれて気にしなくなってきたものの、時折嫌悪感に近いものを感じることさえあった。

でも、やめてとは言えなかった。

だってそうされている時だけは自分特別だと感じられたから。

2年の3学期になって3年生0学期なんていう進学校あるあるワード教師の口から出始める中、彼女との関係が変わった(と増田勝手に思っている)出来事が起こった。

2学年最後模試だ。

その前の記述模試から国数英3教科に加えて理社科目が追加された。

その記述模試ではあの教科は二人仲良く同点だった。

最後模試マーク模試だった。

2年最後だしここで一つ頑張ってあの教科でみらいに勝ちたいと密かに思っていた。

毎晩負けまいと勉強して迎えた本番。

習っていない範囲もあったが自分勉強してカバーした分自身はあった。

3月、結果が出た。

私はその教科で全国一桁の順位を取った。

模試順位掲示されるので早速見ると、みらいは私のすぐ下の段にいた。

しか偏差値には20程の差があった。

私は勝ったと思う前に彼女の不調が気になった。

トイレに行っていたみらいがこちらに来て順位が張り出された紙を見ると

「やっぱり◯◯はすごいよ、」と一言言って自分の席に戻っていった。

その日は話しかけてもどこか上の空だった。

次の日、彼女は休んだ。

心配休み時間隠れてスマホを起動させ、LINEを開いてメッセージを送った

すると数分後

明日は行ける。心配かけてごめん。」と返ってきた。

こんな時まで謝ってくるのが彼女らしいなとその時は思った。

次の日予告通り彼女は帰ってきたが、いつものボディータッチは無いしなんだかひどく静かだった。

結局2年の終業式の日まで彼女はずっとそんな感じだった。

3年になるとクラスが離れた。

前はあんなに同じクラスがいいと思っていたのに、最近彼女の煮えきらない態度をあまり好ましく思っていなかったので実際の所は

嬉しさ7割悲しみ3割といったところだった。

しかしその思いはすぐ覆された。

一つがクラスメイトの私に対する反応だった。

2年の時みらいと私ともう一人のクラスメイトの3人でたまに会話することがあった。

3年に進級してそのクラスメイトとはまた同じクラスになったので声をかけると

素っ気無いそぶりですぐ別の友達の所へ向かっていった。

そこで私は気付いてしまった。

結局私は彼女が隣りにいなければ価値のない、何も特別なところなどない人間だと。

みらいとはクラスが2つ離れていたため頻繁には話すことは無かったが、たまに会話するとそれはそれは惨めな気持ちになった。

彼女友達が多い。

私にとっての彼女はたった一人の心を許せる友人だった。

けれど彼女にとっては大勢友達の中の一人でしか無いという事実に串刺しにされる気持ちだった。

から私は彼女抜きで特別になると決めた。

2月模試の結果が私の背を押してくれた。

私にはポテンシャルがあることを教えてくれた。

それだけに縋って、今までの人生でやったことのないぐらい死ぬ気で勉強した。

その成果は存外早く出て6月模試では早速学年1位に躍り出た。

この結果には教師陣も驚いたのか露骨におだててくるようになった。

それをあしらいながら只管勉強した。

7月、もう何ヶ月もLINEなんて送ってこなかったのにみらいから急に連絡が来た。

夏休み日中学校勉強するよね?

良かったらうちの部室くる?」という内容だった。

彼女美術部の期待の星で、大学も某美大を目指していた。

3年に入ってからは画塾にも通い始めたと聞いた。

彼女には夏休み特別に部室の一角占領する権利顧問からもらったらしい。

私はその誘いにあっさり乗った。

彼女と実質二人だけで過ごせる時間をみすみす手放す訳がなかった。

夏休み、みらいの部活の日はみらいの部室で、それ以外の学校開放日はひたすら教室図書館勉強をする日々が始まった。

部室ではみらいが自分の背丈ほどの大きさのキャンパスにひたすら油性絵の具を塗りたくっていた。

正直油性絵の具の匂いは苦手だったが、みらいと同じ空間にいる方が大切なので我慢した。

他愛のない話をしながら、彼女は絵を、私は過去問をそれぞれ仕上げていった。

そんな夏が終わると、また連絡を取る回数が減った。

それもそのはず、彼女は推薦と一般美大受験するため、画塾に通うだけでなく面接練習なども必要になったからだ。

私はただ勉強していった。

この頃には志望校偏差値を大幅に上回る成績を取れるようになってきた。

冬がやってきた。

去年のクリスマス彼女と一緒に過ごしたのに今年はひとりだ。

そんなことを思いながら夜食で出されたホールケーキの残りを頬張りながら勉強していると突然LINE電話がかかってきた。

みらいだ。

素早くスマホに手を伸ばし電話に出た。

「ねえ、受験終わったら卒業旅行行こうよ。

修学旅行でまわったとこ、また二人で全部回ろう」

みらいは電話越しにそう言った。

私が

「うん、絶対行こう。約束

と言うと

「うん。約束。」という言葉最後電話が切れた。

突然そんな提案をしてきたのには驚いたが、その約束は私を鼓舞した。

そして迎えた共通テスト

かつて無い手応えを感じた。

自己採点をするとこれまで取ったことのないほどの高得点だった。

私は私大1本だったか2月受験は終わった。

みらいは家の都合で国公立しか受けられないと言っていたか3月にならないと結果は出ない。

祈るような気持ち2月を過ごした。

3月の頭、卒業式があった。

式が終わってもみらいの元へ向かった

「◯◯、待ってた」

そう彼女は言った。

写真撮りたい」

そう言うと彼女は私にカメラを向けてきた。

自分顔面に自信が無い私はせっかくだから二人で映ろうよと言って彼女スマホを借りてツーショを撮った。

その後は卒アル落書きをし合って別れた。

案外あっさりした別れだった。

そのときはそれでいいと思っていた。

だって卒業旅行に行こうと彼女は言ったから。

その日、LINE彼女スマホで撮った写真が送られてきたのを最後彼女からLINEが送られてくることは無かった。

みらいは志望校合格したら連絡すると言っていた。

彼女志望校合格発表日が過ぎても連絡が来なかったので、私はある決意をした。

整形をする決意を。

幼い頃から親に「醜い顔で産んだから形代は出すよ。ただし、高校卒業したらね」と言われていた。

今こそその時だと思い、すぐカウンセリングの予約をし、施術プランと日程も決まった。

私の思い一重は施術とダウンタイムを経て左右差のない整った二重になった。

大学が始まってからもみらいから連絡が来ることは無かった。

私は私で上京したので新しい暮らしと新しい環境に慣れるので精一杯でみらいに連絡している時間もなかった。

二重になってから人生難易度体感20レペル下がった。

大学同級生とはすぐに仲良くなれた。

それこそみらいが高校時代同級生から言われていたように

かわいい」なんて言われるようにもなった。

高校時代までの私からしたら信じられないほど環境が変わった。

やっぱり美は正義だなと感じた。

前期は友達遊んだテストレポートと格闘している間に過ぎ去っていった

夏休みも終わりに差し掛かった頃、ふとみらいのことを思い出した。

そして私からLINEを送った。

時間後、数日後、数週間後。

待てども待てども返信が来ない。

それどころか未読無視をされている。

プロフィール画像などは変更されているかLINEを見ていない訳では無いだろうに。

つの間にか私は彼女LINE確認しなくなっていった。

しかし私は今でもふとした瞬間にかつての彼女を思い出してしまう。

例えば鏡で自分の顔を見るとき

いつだっただろうか。

私とみらいはあの時担任が言ったように本当に瓜二つだと初めて気付いたのは。

卒業式の後、送られてきた彼女と一緒に写った写真をまじまじと見てみると

私と彼女は鼻の高さ、形、口の大きさ、頭蓋の形が本当によく似ていた。

そう、違っていたのは目だけだった。

私が二重に整形したことで、私の目はぱっちりと開くようになり、彼女の瞳の形そのものになっていた。

今の私と彼女双子のようにそっくりなのだろう。

今の彼女はどんな顔をしているのだろう。きっと美しさが増しているだろう。

そんなことを、私は鏡で自分の顔を見ると考えてしまう。

・・・

今日見た夢は

みらいと数年越しに会って食事なんかしながら

近況や今までのこと、あの時はお互いをどう思っていたかについて話し合う夢だった。

美しいのは相変わらずだなぁなんて彼女を見つめていると、

「◯◯、整形したの?良いじゃん似合ってるよ」なんて言ってきた。

本当に彼女らしいなんて思っているとアラームの音で現実に引き戻された。

起きて夢かぁと思いながら十数ヶ月ぶりに彼女LINEを開いたがやはり既読はついていない。

午後、用事を済ませて家に帰って来ると既読がつくはずないのになんとなくまたみらいのLINEを開きたくなった。

その衝動のまま、トーク画面を開き、自分の送ったメッセージを目で追う

「みらい!最近どう?元気?」

見慣れたそのメッセージの上に目を向けると、そこにはそのメッセージを送った日付が表示されていた。

それを見て息を呑んだ。

そこに表示されていたのは

「1年前の今日の日付」だった。

こんなに都合のいいタイミングで夢に出てくるほど彼女の幻影をいつまでもいかけている自分が心底恐ろしい。

という話。

anond:20230911080812

自分もそう思って何回か検査してもらったけどなんも問題もなかった

機能不全家族だと抑圧されたりして脳のワーキングメモリ足りなくなって知的だったり発達障害みたいな症状は出るらしい

寛解したとは言えないけど多少精神的に余裕がうまれたらマルチタスクは人並みにできるようになったしね

4年在学の間に下の兄弟私大に行かせられるくらい稼げたから結果良かったよ

ノートパソコンなんて持ってねえよバーーーーーカ

研究室ノートパソコンを使う研究に配属された。

別にそれ自体はいい。ノートパソコンも持ってない生徒には貸してくれるみたいだし。

ただ借りるには教授(メアド不明)の許可必要なのと毎日使い終わったら返さなきゃいけない。いつもいるとは限らない教授にどうやって許可取るの?会えないうちからなんか研究始まるみたいだし…。

だいたい持ち運びできる程度に軽量のノートパソコンなんて高い。20万円以上する。それを持ってる前提、買える前提で言われても困るんだけど…研究室に置いていけばいいとか先輩()に言われたけどそもそもうちのノートパソコン研究室に置いて行ったら家で使えるパソコンがなくなっちゃう。そもそもパソコン作業にiPadじゃダメか?って聞いた時点でなんでそこまで想像できないんだよ。iPadだって私は最近初めて買ったぐらいだ。

 

だいたい忙しい学年でバイト時間も少ないし実家も頼れないか20万円なんてポンと出すのは無理だしそれ以前に現状生活もかなり困ってる。奨学金だってとっくに借りてる。

 

こんな不親切な研究室に配属されたの研究室ガチャドブって感じ。

一応金持ち私大だけど福利厚生充実してるし給付奨学金豊富だし生徒に裕福であることを押し付ける感じも今までなかったから居心地良かったのにここまで不愉快な思いをしたの初めて。バックれたい。

2023-09-03

anond:20230903191707

私大だったらいくらでもいるんじゃね

マル合教員は無理だと思うが

2023-08-28

anond:20230620104704

私は1966年まれ還暦近い老人ですが、この年は「丙午(ひのえうま)」と言われる年で、この年に生まれるとあまりよろしくないという迷信があり、前年の1965年には出生が185万人あったのが、この年は四分の三以下の135万人しかなかったという年でした。当時の人はまだ迷信とか気にしていたんですね。

こんな年に生まれるとどうなるかですが、まず大学受験がだいぶ楽でした。当時はの大学定員は40万人ほどで現在の60万人ほどと比べるとかなり少なく、進学希望率は今ほど高くないとはいえ人口が多いので大学新入生の半分は浪人しており、受験地獄と言われていた時代です。当時私大ブームなる不思議現象が起きていて代ゼミが我が世の春を謳歌していました。

しかし、前年に比べ25%人が少ない1966年まれだけは楽でした。浪人が多い時代だったので受験者数も25%減とはいきませんでしたがそれでも前年や翌年に比べ競争はゆるかったとは思います。このおかげで怠惰な私も大学に入ることができました。

ちなみに当時は医学部がとても簡単で、琉球医学部ボーダー偏差値55位、聖マリアンナ大だと偏差値45位だったと記憶しています。今では考えられないですね。

そして1989年就職となるわけですが、当時は「バブル景気」というやつでとにかく無駄に景気が良いため企業採用意欲が異常に高い時代でした。前年もそうでしたが更に人口の少ない私の年代だとどうなったかというと大学生の奪い合いです。各企業がろくに選考もせずどんどん内定を出し、すると内定者にどんどん蹴られていくので更に内定を出しなんとか内定接待をして囲い込み採用予定人数を確保することが人事の仕事。という時代でしたからさすがに人気業界トップティ企業はそれなりの厳しさはありましたが、日経225クラスで良ければ怠惰学生でも大抵はどこかに入れたような感触でした。

入社後も新人時代飲み会タクシーが捕まらないのでハイヤーで帰ったり、新入社員ビジネスクラス出張したりという狼藉を働いていました。世の中にも会社にも金が余ってたんですよね。とはいえ初任給は今より低かったですが。そしてバブル崩壊します...

こんな感じで甘やかされた学生生活を送ってきた1966組ですが、氷河期の皆さんの話を聞くと申し訳ない気がしています。そして自身幸運迷信を気にせず産んでくれた親にひたすら感謝します。

と同時に、おそらく今の出生年80万人世代受験就職はずいぶん楽になるのではないかという気がします。景気は分かりませんが産んで子供感謝される確率は他の世代よりきっと高いですよ。

2023-08-25

anond:20230823145057

例えば、1000人に飲ませれば999人に効く薬があったとしても1人には効かないこともあるわけだ

大学教員なのに統計もまともに知らないのか。

科学結論を導く上で統計学は当然身につけておかなければならないし、米国でPhD取る時は大学レベル統計学の単位が必修になってる場合も多い。

その点、日本大学院は研究するのに統計をきちんと教えないところも多いからなあ。

それとも研究なんてほとんどしてない講義専門の教員かね。どっかの適当私大の。

anond:20230824222731

そうか、元増田田舎出身からキャンパスの立地にこだわってるのか。

元増田だけど、俺がこだわってるのはキャンパス雰囲気であって立地じゃないぞ。なんでみんな立地だと思いこんで話してるのかわからん。矢上の話を書いたからか?矢上は日吉に比べてキャンパス雰囲気ダメという意味だよ。

都心にある私大も狭い敷地ビルが何本か建ってて終わりみたいなキャンパスで本当にクソだなって思う(明治大とかああいうの)。

2023-08-22

anond:20230822100404

Fラン私大とか言うけど、そんな一口簡単にまとめられるもんでもないと思うし、大学ランク野球部の質はまた別だからなあ。

例えば富士大学なんて名前だけ聞いたら静岡県大学しか思えないような岩手県花巻市大学がこの10年で目覚しい実績を上げてたりもするし

甲子園ベスト8進出したぞ!大会通して主力として活躍もしたぞ!

こんなふうに死に物狂いで頑張り続け世代競争にも勝ち続けた人材でも、推薦で東京にすらない本当のFラン私大に本当にぶち込まれから鬼だと思う。

ていうか野球で六大学行くのシビアすぎやわ。明治立教法政ですら。



日本人って学生スポーツのなかで謎に高校野球だけ別格扱いしてるけど実利はマジで与えんのな。


現実的にはド田舎高校にある射撃部とか、農業高校馬術部とかのほうがスポーツ推薦では全然良い思いしとるわ。

2023-08-20

大手企業女性総合職にもルッキズム採用やってるのでは?

従業員100人くらいの会社エンジニアやってた嫁(Fラン一歩手前の都内私大卒でTOEICスコア勉強してない高校生並みに低い)が、世間は知らんがはてな民なら皆知ってる某外資系大手コンサルに中途で受かった

本人曰く「なんで受かったのか分からない」とのこと


やがて、

「同僚に肥満女性が滅多にいない」

高身長女性割合が異様に多い(嫁は身長170cmあるが自分より背高い女性ゴロゴロいて、そんなコミュニティ人生で初めてだそうだ)」

と気づいたらしい

それを聞いて俺は、一流企業でも女性総合職ルッキズム採用やっているのではと疑うようになった

 

そしてその要素は、

かつてJTCで定番だった「お嫁さん候補や社内キャバ嬢候補として採用するから顔がとにかく大事」というルッキズム採用ではなく、

高身長かどうか、肥満でないかどうか、

が大切な要素になってるのではないかと思っている



肥満は性根がどうたらとかもっともらしく言えるけど、女の採用にも高身長求めてくるのはかなりエグくね?

2023-08-14

anond:20230814225009

そういう奴に限って教師受けは良いので指定校推薦で難関私大へ行きがち

イジメられてた負け犬駅弁大ぐらい

anond:20230814165314

いや、今から勉強しても例えばお医者さんになったりエンジニアになれる可能性があるのはわかってるよ。なんなら俺の上司私大文系卒だけど2年前に退職して今医学生だしね。エンジニア転職した同期もいる。

ただ、今からなれるのは臨床医だろうなってこと。しか大学とかじゃなく町の総合病院とかのね。エンジニアにしても民間技術者で御の字って感じだろう。

本庶先生山中先生岡田先生ワトソン先生石井秀明先生松尾先生のように人類に貢献するには高校時代にはもう切符掴んでないといけないからね。

anond:20230814065331

なんだ私大文系か。

まともな大学に進学してれば一人暮らしさせる金もあったろうにな。

2023-08-11

anond:20230811194816

プログラミング必須単位で設定されてて数学入試にある国立文系でも文系女子の連中のプログラミング音痴っぷりは半端なかった

教え方も悪かったと思うけど

ましてや数学不要入試私大だとヤバいんじゃね

2023-08-10

anond:20230810150953

夫が教えてなくても妻が夫の隠し財産を把握してるなんて珍しくないぞ。

財産分与500万円なら夫婦共有財産は1000万円だったってことになるけど、年収2000万円だと子供3人くらいいて全員私大進学ならたいして残らん。

そんで家庭に興味は無いけど家事雑務をする妻と冷え切った老後を迎えようというご家庭は五万とある。妻側が破綻原因作ってくれないとそうするしかいからな。

嘘だと思うべきポイントはそこじゃねーよ。

2023-08-09

anond:20230808100835

そうなんだよ〜、あと薬剤師コースじゃなくて創薬コースから修士1年って扱いらしい(どうでもいいかごめん)

多分本人の性格的に、1.2は不可能なんだよね…MRなんて出来るタイプじゃない…

なので3.4か、修士卒→研究職みたい

旧帝以上じゃないと厳しいか〜😭一応かなり良い私大で、研究室の教授もその分野の第一人者らしいから何とかなりませんかね!?絶対営業できないと思う…

いやまあでも修士卒→研究職で丸く収まるのかな?

私はどうしたらいいんだ…全然分かんなくなってきちゃった…

とりあえずアカデミアは安定まで遠そうということがわかってよかったです…ウゥ…

2023-08-05

anond:20230805085212

国立大教育学部美術とかなかったっけ

そっちなら良いんじゃない

あと自分が出た大学工学部なんだけどデザイン工学科っていう同じ理系なのに理系とは思えない学生が多数いる学科があったな

そういう方面もアリじゃない

あと授業料年160万って私大だと別に普通じゃない

画材なんかはともかくそれでだめってのは国立以外ダメって言ってるようなもんだし

2023-07-31

東京に住んでるだけの人って、どうやって文化享受してるんだろう。

西日本のよくある地方都市に生まれて。

大学だけ関西マンモス私大に通っていた。(院は京都)

関西は、文化的趣味(美術音楽、古伝を基礎にした先端の感性に触れる)機会があって、けっこう楽しかった。

大阪京都神戸。どこも自分の住んでいた古い町よりも深くて大きくて驚いた。驚くことで調べて地元の深さ広さ高さ長さも知った。「大阪」や「東京」という一語にくくれない。どんな都市文化だってそうだ。自分の街も関西についても0.4%だって知らなかったなってイキり散らした間抜け自分ダメージ

最先端のものを追いかけて、日本上陸サムシングに群がる有象無象クルクルパームーブって虚しいなと思った。彼/彼女らは、たいてい東京に3店舗くらい来て3年待たず撤退する不良債権みたいな事業ばかりを追いかけてる。殺虫灯に走っていく夏の夜の虫みたい。

もちろん、東京しかないものもあるだろう。人口が多いから成立する商売だ。たしかに5%くらいは東京のものかもしれない。でも5%なら、その他の市町村にも固有性はあるんじゃないだろうか。語彙「文化」は、まさに、そういった普遍性固有性を汲み上げるための教養であり、それを支え、そこに参与していく主体性と不可分ではないだろうか。

から東京に住んでいることだけで、自分たちを文化の中心にいると勘違いしてる人を見ると哀れだなと、としみじみ思った。

それで、社会人になってからだ。

出張に行くことも増えてきた。

そうすると、福岡だったり、仙台だったり、札幌だったり、熊本だったりと、それなりに栄えた地方都市の豊かさに心打たれるようになった。

ここには、東京でやった展覧会巡回展も来てくれない。海外アーティストライブだってやらない。でも国会図書館にはアクセスできる。

こういう場所暮らしている人々もまた、それぞれに趣味を楽しみ文化をつくっている。自分のいる場所が中心じゃない。

大人になると誰でも、この程度は判る話だ。

辛くならないんだろうか。東京に住んでるだけ、海外文化消費者第一人者自称することで、文化つくってる気になるなんて。

まあ、地方だって展覧会には行列ができる。でも東京で数時間ならんで観るくらいなら、その時間で、もっと文化的で豊かなことできそうだけど。

寂れた東京痴呆民の戯言だけどね。

なんか、悲しくなってきた。

追記

地方文化なんて単なる消費じゃないか!みたいな意見が大きな釣り針で垂らされていて、すこし驚いている。

聞いてみたいんだけど。

いい?

海外から東京地方の人たちのところまで降りてきた"文化"が、最初から"文化"として存在していたと思ってるの?」

まだ評価が定まっていない、新しいモノ・若いモノの中から未来コンテクストとなるような本物を自分の目で見つける。

自分と同世代の人たちのあふれる才能にビビりながらも影響を受けていく。

もしくは深く長く高く広い伝統文化と、そこから湧出する人類普遍文化的性質との邂逅。

そのスリリングさ。

文化って、そうやって生まれものでしょ?

そんな文化の創出を支えていくのが人間醍醐味だし、現場にいないと、感じとれない大切なモノってあるでしょ?

文化」は東京に住んでるだけでつくれるモノじゃ、ないんです。

海外で生まれ文化を、周回遅れで東京享受する。

そんな受け身体験は、消費であって文化ではない。

または、京都奈良のような古都について。

評価の定まったもの、枯れた文化の上であぐらをかける人々にも出会えない程度の人脈と教養しかなかった君のどこが文化的なの?

まあ東京4世代から住んでいて、かつての東京の深みのようなものを、ある程度まで理解してるなら別だけど、住んでるだけなら、もはや首都神話観光業界が生み出したファンタジーだってかると思うけど。

東京サロン文化だなんて言うけど、どこでももサロン文化あるからね。明治維新の頃に、日本近代化したの知ってるかな。

最後に、ちょっと他の人の記事に反応するようだけど。

東京の雑踏に住んでいたら新しいもの出会う。

素敵だけど、それは個人的体験であって、文化とは別の価値

文化とは、人の集まるところにしか成立しないもの。そして人類の多くが集まって暮らしてる。

あと、蛇足だけどガルシアマルケス翻訳をみたの?原文を読んだの?

2023-07-30

anond:20230730160421

数学なしで入れる文系学部

もしかして私大のこと大学とか思っちゃってる?

日本には大学なんて2、3個しかないんですけど笑

PTSDなんだろうかとずっと考えている

幼稚園から高校のころまで田舎に住んでいたが、少なくとも幼稚園入園から中学卒業までいじめを受けていたような気がする。

というのも、田舎だと幼稚園人間関係中学校、下手すれば高校ぐらいまで固定された状態だ。

そんな状態では一人をスケープゴートにし続けて集団の結束を図るということが行われる。実際にそのターゲット自分が選ばれた。

だけど、どんなことをされたかを思い出そうとしても思い出せないというか、頭が強く締め付けられるような感覚になって思い出せない。そのうち動悸とか眩暈もしてくる。

ただ「怖いことがあった」「(親や教師の言うことに逆らうと/従っても)ひどいことになる」という感覚けがこびりついている。

ついでに親や教師の言うことには服従していた。なぜなら教師の言うことに逆らうと恐ろしい目に合うからだ。だからといって従っても同年代から恐ろしい目に合うので世話がない。

 

高校まで大体そんな状態だった。大学進学の際、誰も来なさそうな遠い田舎にある無名の小さなFランク大学に進学を決めた。

推薦入試も「同級生に進路が知られて襲われるのではないか」という疑念がぬぐい切れず受験せず、センター試験利用一本という一番楽な方法受験した。

あと、進学先が特定されないようにダミーでそこそこ名が知れたマンモス私大合格したり、架空大学合格証書(今考えると有印公文書偽造ガチ犯罪)をこれ見よがしに机に置いたりと偽装工作を繰り返した。

しかし同じ学校に通っていた人間が同じ大学に進学してきた。その瞬間目の前が真っ暗になった。

同じ学校人間地元の連中を引き連れて自分のところに「お礼参り」に来てひどい目にあうのではないか。その恐怖が大学時代続き、半分息を殺しながら生活し続けた。

結局大学院進学の時にようやく地元人間から完全に縁が切れた。とはいえ大学院に在籍していた時も「また地元に引き戻されていじめてきた連中におびえる生活をしなければいけないのではないか」という疑念もぬぐい切れなかった。

その恐怖のせいでM2後期のころには精神ボロボロになった。一応お情けで修士号は貰い、フニーターや雇われ研究員になったりもした。

しか意識的無意識地元の人への恐怖心はぬぐい切れず、結局精神が完全にイカれてしまった。

最終的にうつ病だの○○病だのという診断は降り、色々書けないようなイリーガルなことをしながら小銭を稼いで食いつないできた。とはいえ別件でトラブルに巻き込まれたせいでなけなしの小銭も吹っ飛び無一文になった。

このあたりに関しては色々後ろ暗いこともあるので込み入ったことは書けないということは許してほしい。

 

両親は経済的理由から自分実家に引き戻したがっている。ただ、地元に戻ったら同級生に襲われるのではないか?また酷い目に合うのではないかという恐怖はぬぐえない。

その恐怖から十数年間必死に逃げ続けてきたが、地元への強制送還というかたちで逃げる手段がなくなったなら恐怖のあまり精神が完全に無になってしまう。

実家のある地域の閉鎖性を鑑みた場合、どこかで地元同級生にあう可能性は高い。そんなことになったらと考えただけで全身が凍り付きそうになる。

ついでに親にこのことを話しても「それはお前が劣った人間からだ」と糾されるのがオチだ。そもそもいじめっぽいことをされていた時期ですら、学校を休むという選択肢はほぼなかった。

なぜなら学校意味なく休めば長田百●子がやってきて「お前を施設連行していじめ倒す!」みたいなことになりかねないからだ。実際自分小中学生のころはそういう番組が頻繁に流れていた。

そういうさらに恐ろしい目に合わないためにも親の期待する優等生を演じるしかなかった。だから親も本当は信じられないというか、自分にとっては恐怖の対象しかない。そのほかに信じられる人間もいない。

 

一度認知行動療法を受けようとしたことがあったが、「自分のことについて考えよう」というテーマが出た途端頭が締め付けられるような感覚に襲われた。動機もした。

それは「お前が酷い目に遭っているのはお前が全部悪い!お前は劣等だから酷い目に遭って当然!」ということを眼前に提示されるからからだ。

実際「自分いか卑劣で極悪な人間か」「自分はおぞましいことをしながら生を貪る自己中心的外道だ!」「自分に比べたら凶悪犯罪者の○○なんて聖人君子」ということはずっと考えている。

逆に自分をほめることは「悪徳の栄えの一丁目」でしかないと思っているため、絶対にしないよう心掛けている。

もうぼろぼろなので「あと2年ぐらいでお迎えが来そうだ」とも薄々感じている。お迎えが来る前に自分の苦しさの正体がなんであるのか?ということを詳しく知りたい。

PTSDなんだろうかね?

 

余談

子供の声を聴いただけで動悸が止まらなくなったり、全身が硬直したりするのだが、これも学校での酷い経験があったからなんだろうかとふと。

2023-07-28

anond:20230728153340

油画とかはそうかもしんないけど、デザイン系なんかは一般私大あんま変わんないと思うよ

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