はてなキーワード: 演技力とは
……という話になるはずなのに、女性BL研究者がハル・ベリーの降板を支持してるのが謎すぎるんだよな。
「大炎上」を受け……ハル・ベリーのトランス役降板は、行き過ぎたポリコレか? | 文春オンライン
これは、トランス役にトランスジェンダーの俳優をキャスティングしたっていう話じゃなくて、トランス役に決まってたシスジェンダーの俳優を引きずり下ろしたって話だよね。
私は、トランスジェンダーの俳優にシスジェンダー役を演じる権利と資格があるのと同様にシスジェンダーの俳優にもトランスジェンダー役を演じる権利と資格があるはずだと思うので、本質的な演技力に欠けるとかの話であればともかく、シスジェンダーであるというだけの理由でハル・ベリーが引きずり下ろされたのは間違っていると思う。仮にトランスジェンダーの俳優の雇用機会を尊重するにしても、それは新作映画に積極的にトランス俳優を起用していくとかのやり方であるべきで、一旦は内定していたシスジェンダーの俳優を引きずり下ろすのはどう考えてもおかしい。
でもまあ百歩譲って、シスジェンダーであるという理由でハル・ベリーがトランスジェンダー役から引きずり下ろされたのは正しいとしましょう。
BL作家のすごいところは、ゲイの人に気を遣ってとか、ゲイの人に一生懸命たくさん取材をして、というわけではない人がほとんどで、自分たちの楽しみを追求しているだけ、という人が多いのに、それでも、リアルなゲイの方から見て、ポリティカリーにコレクトな表現にたどり着いている人が大勢いることです。
「トランスジェンダー役に決まったシスジェンダーの俳優を引きずり下ろす」ことを肯定した人が、女性文化としてのBLを肯定するのは意味不明すぎる。当然、ゲイではないどころかそもそも男ではないBL作家は全員引きずり下ろせと主張しなければ筋が通らないだろう。
いや、「当事者じゃないやつが当事者の役をするな」っていう主張はそういう結論を帰結するんじゃないんですか?
映画のトランス役はトランスの役者じゃないとポリコレじゃないけどBLは女が書いててもポリコレ、なんて理屈が通るわけないでしょ。
当事者の役は当事者がやるべきだ、というのはひとつの主義であり、私にはまったく賛同できないけど、それを一貫して主張するのであれば賛否はともかくとして立派な態度だと思う。でも、同じ口で当事者じゃない人が書いてる創作を称揚するのはダブルスタンダードってやつだろう。
私は、演技や創作に当事者性は必ずしも必要ではないと思う。低い声を出せるのなら女性声優が男性キャラを演じてもよいし、高音を出せるのなら女性キャラクタを男性声優が演じてもよいし、同性愛者の俳優が異性愛者を演じてもよいし、黒人声優が白人キャラに声を当ててもよいし、日系アメリカ人が中国を舞台にした映画で主役を演じてもよいし、第442連隊のドラマに中国人をキャスティングしてもよいし、男性作家が百合小説を書いてもよいし、女性作家がBL漫画を描いてもよい。だから当然、ハル・ベリーにもトランスジェンダーの人物を演じる権利があるはずだ。
でも、ハル・ベリーは引きずり下ろされた。
それを支持するのなら、当然、自分の好きなジャンルでも同じことを支持してなきゃおかしいはずですよね?
他人に行き過ぎたポリコレを押し付けておいて、自分には適用しないなんて都合のいい話が通用するはずないでしょう。
先月のBLポリコレ問題もそうだったけど、女性文化としてのBLとポリコレは根本的に相容れないのに、ポリコレを推進する女性のBLファンが大勢いるのは本当に謎。自分の作品の中でポリコレに気を使っているだけならとやかく言うことじゃないけど、他ジャンルにポリコレで火を付けてまわっているのはいったい何なんだろう。他ジャンルがポリコレじゃなくても放っておきなよ、あんたの好きなジャンルだってポリコレじゃないんだからさ。ポリコレじゃない創作をしている者同士、仲良くポリコレの押し付けに抵抗しようぜ。
BLというのは、女性にとって性のファンタジーなので、リアルな社会とは全く無関係なんですよ。
「トランスジェンダー役に決まったシスジェンダーの俳優を引きずり下ろす」というのは、リアルな社会問題を扱っているので、全く別。
「これはマイノリティを扱ってはいるけどあくまでもマジョリティにとってのファンタジーだから実際のマイノリティとは無関係」なんて理屈、ポリコレ的にはアウトに決まっとるやんけ。
いや、ワイは「BLは女性にとってのファンタジー」でいいと思うよ。「ジャンプのお色気セクハラ描写も男性にとってのファンタジー」なわけだし、当事者の人たちがBLに対して「こんなゲイはいねえよ」って思ったとしても、それは女性が男性向け作品に対して「こんな女いねえよ」って思うのと同じだよね。消費なんてのは多かれ少なかれそういう要素があるんじゃないですか。そこに文句つけるのは野暮ってもんよ。
でもそれはポリティカリー・コレクトな態度じゃないよね。マイノリティの表象をマジョリティが好き勝手に消費するのはよくない、というのがポリコレなんだから、BLが女性のファンタジーであればあるほどポリコレ的観点からは否定されるべき対象にしかならないでしょ。
女性文化としてのBLとポリティカル・コレクトネスは水と油なんで、どっち捨ててどっち守るか選んでくださいね。個人的にはポリコレ捨てるのがオススメだけど、BL捨てるっていうなら止めないよ。
それトランス俳優の活躍の場が非トランスに奪われてるのはおかしい、っていうのがまずありきだろ
なおポリコレ先進国では「シスジェンダー女性がゲイを主人公にした小説を書くことは当事者から機会を奪っている」という理論に基づいて女性小説家が叩かれている模様。
そんな遅れた認識でポリコレについて論じてたの? ちゃんと認識をグローバル水準にまでアップデートしてね! そんな認識じゃガラパゴスすぎるよ!
まあ普通に考えたらこんなの言いがかりでしかないけど、ポリティカル・コレクトネスの理路からいえばこうなっちゃうんだから、ポリコレを支持するなら女性作家がBL書くのは問題視されなきゃおかしいんじゃないですか。ワイは「こんな結論が導かれるポリコレは根本的に間違っている」って思うけど、日本のガラパゴス表現を批判しグローバル水準を崇め奉るポリコレ支持者の皆さんは当然この結論にも賛同するんですよね?
メキシコ移民を題材にした小説『夕陽の道を北へゆけ』について、作家が縁もゆかりもない白人で文化盗用だと批判されている( https://www.newsweekjapan.jp/watanabe/2020/08/post-68.php )ので、文芸も批判の対象にはなりうると思う
綿密にリサーチしてリアリティに凝っても当事者じゃないとポリティカリーにコレクトじゃない扱いされるのどうかしてるけど、こういうイカれた状況が現代ポリコレの最先端なんだから、日本のカルチャーはポリコレを取り入れてアップデートすべきと主張する向きにおかれてはぜひぜひ有言実行で最先端のポリコレを取り入れてくださいねとしか言えない。ワイはこんなのついてけねえって思うからポリコレに敵対するけどな!
少年ジャンプ編集部に腐女子の女性が入り込もうとしてた件も、要するに男性文化の簒奪なので、女性は女性の文化を自力で作ってほしい。女性主人公で自立したフェミ的、ポリコレ的価値観の作品を……。
一応言っとくと、ワイは「ポリコレを支持するならBLはアウトでしょ」と言ってるのであって、「BLはダメ」とも言ってないし「男性文化を簒奪するな」とも言ってないで。あくまでポリコレと女性文化としてのBLは相容れないって言ってるだけ。当然ワイはアンチポリコレ派なのでBLも自重せずどんどんやれ派です。
ポリコレ派腐女子は、まあ、うん、政治的信条に従って趣味捨てるか趣味に操を立てて政治的に転向するか、好きな方選べばいいんじゃない? そんなのはあくまで腐女子の中のごく一部、ノイジーマイノリティなんだろうし。……ノイジーマイノリティだよね?
該当記事、トランスの身体性はシスに再現不可能と断言してるのも悪手だと思う/てか何故それこそ当事者じゃなくBL研究家の人が書いたの?/日本腐ェミが連帯しようと言ってた韓国フェミも最近は「脱BL」掲げてるよね
トランスの身体性はシスには再現不可能論、つまりトランスとシスの違いは服を着て演技していてもわかる、見分けがつく、という話だから、それを特定の属性の排除の口実に使うのはトランス女性は女子トイレに入るなって言ってる人たちと半歩くらいの距離しかなくない? って思うし、その論理で言うなら当然トランスはシス役を演じることもNG、シス役はシスの俳優に、という結論になっちゃうよね……。
韓国のフェミニズムを持ち上げてたら脱BLの動きが始まってて頭抱えてるのは草しか生えない。結局、アメリカのポリコレは所詮「アメリカのポリコレ」であり、韓国のフェミニズムも所詮「韓国のフェミニズム」に過ぎないのであって、日本の文化風土に適してないんだよね。そこは日本風に換骨奪胎しようとする試行錯誤が必要なはずだったのに出羽守ムーヴを決めちゃうから外国の動向に振り回されることになる。本当に大事なのは日本社会で生きる我々がいかに自由で主体性を保っていられるかという点なのに……。
実際、これがスタンダードになったらおっさんずラブみたいなドラマはガチのゲイにやらせなきゃいかんようになって成り立たないよね。そんなんカミングアウトしたくないだろうし。
トランスの役はトランスの俳優に、と書いた同じ記事で『his』はゲイへのエンパワメントとか書いてあるのは意味不明すぎるよね。宮沢氷魚ってカミングアウトしてたの? 知らなかったなぁ(棒読み)。COしてない俳優が出演しててもエンパワメントになるならシス俳優が演じててもエンパワメントになるやんけ。別々の記事ならともかく同じ記事でこんなダイレクトに矛盾してるのはちょっと……
それはずれた論点に感じられる。生み出すものが完全に虚構か、実際の肉体を持った人間を利用したものか、は受け手に大きな差があると思うんだけど。この論理だと男性百合作家もダメだよね。
「当事者の機会を奪う」が論点になってるんだから完全な虚構か実際の肉体かなんて些細な違いでしかないし、ちゃんと小説が問題視された例も提示してるのに読めない?
「この論理だと男性百合作家もダメだよね」って言われても、うん、そういう帰結になるからおじちゃんはポリコレに反対してますって話をしてるので……え? まさかワイがポリコレBL規制派だと思ってるの? 読解力ぅ~~~~~~~~~
非当事者がマイノリティを主役にしたものを作るなって言われてるんだから、当然、ポリコレの観点からはそもそも女がBLを書くこと自体がけしからんという結論になるんじゃないですか。
……っていう話をしてるんですがマジで通じてないの? 読解力やべえな! これもう賛成反対どうこう以前の問題でしょ……
そもそも論として、炎上したから慌てて引っ込めた的な話をあまりロジカルな文脈に出すのは双方良くない気がする。 / だんだん語調が強くなりすぎてBL全体を委縮させる意図でもあるのと増田に聞いてみたくもなる。
BLは別に萎縮する必要はなーんもないし好きなだけ男どうしの性愛を描けばいいと思うんだけど、ポリコレを掲げて他ジャンルにイチャモンつけてまわってるごくごく一部のBLファンの活動については存分に萎縮すればいいと思うよ。キズナアイNHK特番とか宇崎ちゃん献血ポスターとかラブライブ皺ポスターとかの昨今の男性向けコンテンツの炎上事案、どれも腐女子兼フェミニストの人たちが中心になって暴れ回ってたよね?
「BLはちっともポリコレじゃない」「ゆえに腐女子は他ジャンルのポリティカリー・インコレクトな描写に文句を言う資格はない」の2点がコモンセンスになってほしいなぁ、というだけ。どうしても他人をポリコレ棒で殴りたければ腐女子をやめてからにしようね。もちろんポリコレ派じゃない大多数の腐女子に対しては何も文句ないっすよ。存分に男どうしの愛を創作して楽しめばええねん。
「お前の理路を敷衍するとこうなるよな?」という話が「たとえ話」に見える人間、議論に向いてなさそう。
それを認めると、創作物かけないじゃん
大学入試の現代文、あまりにも簡単すぎて足切りとしての意味あるの? って正直疑問だったんだけど、なるほど足切りとしてはあのくらいのラインがちょうどいいんだろうなあってこういうブクマ米見る度に実感しますね……
そのゲームは昔からめちゃくちゃ好きなので知識も溜まっておりある程度状況を説明出来る程度のレベルではある
生配信をしていると「ほんと○○オタクすぎて草」「おまえ○○を語る時だけ早口になるよね」みたいなコメントが残るたびに心にグサりとくる
私の好きな実況者に「愛の戦士」という実況者がいる
ゲーム実況はそれ一本+話題作ちょっとという感じなので必然的にダークソウルをやり始めた時に彼をしって
その底抜けの演技力 テンション 動画テンポ 企画力 全てが素晴らしかった 雷に打たれたようなとあるがまさに彼は自分にとって雷だった
そして彼がYoutubeに移り生配信も積極的に行い様々なジャンルの動画をあげているのをみているが彼のオタクとしての引き出しがすごすぎる
昨日はソウルキャリバーというゲームの大会みたいなのを開いておりソウルキャリバーは格闘ゲームなのにキャラクリが存在するという珍しいゲームなのでキャラクターにほかキャラクターのコスプレをさせる事ができる
そういったほかキャラクターのコスプレをした大会を行っていたようだ
彼は画面に次々と映し出される他ジャンルのキャラクターを逐一「○○じゃないか!」と大喜びして紹介する
そして実況もキャラにまつわる実況をする 例えば「ニョロゾ」というポケモンに扮したキャラが出てきた時「ニョロゾのメガトンパンチがきまったー!」など
1~2個わからないキャラクターもいたようだが大体はすぐに答えて実況に取り込んでいたとおもう
彼に比べたら自分は唯一つの長年続いてるゲーム1個の知識しかない
アニメを見続けることもできない
「強い」存在だろう?
相手の見た目に興味が薄い。
テレビやSNSで活躍してる俳優や芸能人を見ても、本当になんとも思わない。
学生生活で友達といると、俳優やアイドルの誰がすきとか、どんな人(容姿)がすき?とか話を振られたけど答えられなくて義務教育と高校の3年間はTOKIOの山口が好きってことで通した。
色々みれば好きな人の傾向がわかるかもと思って、邦画洋画問わず映画をみて、Twitterやインスタでいろんな人をフォローして自分なりに探ったけど結局わからずじまいだった。
人を、かっこいいな〜かわいいな〜って思う瞬間がない。
あるのかもしれないけど、どんなときかわかってない。
世間一般でこれはかわいいって言われるものはだいたい把握してきたけど全然共感できない。
原因はわかってる。
リビングで一緒にテレビみてて、かっこいいとかかわいいとか言ってるのを聞いたことがない。
「こいつはヅラだ」「鼻ぜったい整形だよね」「(番組で美女と紹介されてる女優に)これのどこがかわいいの」「こういう奴は生理的に受けつけない」「アトピーの痕がある可哀想」
好きな俳優もアイドルもいないから本当に褒めてるのを聞いたことない。
子どもの頃からそんな家族を反面教師にして『人の容姿について言う事は悪いこと、私は絶対あいてを見た目で判断しない』って決めたら、今度はどんな人にもなんの感情も湧かなくなった。
言葉遣いとか、人柄とか、演技力とかで好きになった人はいっぱいいるけどその人たちの容姿はなんとも思わない。
というか、思えない。
『見た目で判断しない』が、いきすぎて容姿を見て湧く感情に自分で制限をかけてるのかもしれない。(と、自己分析した)
それでいい、見た目じゃなくて内面で好き嫌いを判断できてるんだからって思ったときもあったけど、SNSで好きな人の写真をあげて「顔がいい」って騒いでる人みると羨ましく感じる。
「推しのやってることやべえけど顔がいいから許せる」的なバズったツイートがたまに流れてくる。
いいなぁって思う。
私の中で見た目はフラットだからこれで「かわいい」を作って見た目の格差ができるのを無意識に避けてるのかもしれない。
でも推しがかっこいい!推しの顔がいい!って狂ってる人ほんとうに楽しそうだから私もはやく好みができないかなあって思う。
ゆっくり探そうと思う。
つまりはそういうことなんだが、アクタージュ好きなんよ。私はね。
ちょっと前にチェンソーマンおよび藤本タツキ激推しお気持ち長文書いたんだけど、この増田に対してあのレベルの激推し文が書けるほどのバックボーンが私にはない。ただアクタージュってワードに反応して語りたく成った迷惑な早口キモオタだ。許せ。
漫画マニアなら、演劇漫画と言えば大御所も大御所、金字塔も金字塔のガラスの仮面が思いつくだろう。累も大好きだけど、あれは演劇が主体かと聞かれたら微妙なところだ。アクタージュの凄さ、面白さは、ガラスの仮面を下敷きにしながらきっちり少年漫画に落とし込む上手さ、現代性の取り入れ方だ。演劇なんてジャンプっぽくない題材で、どうやって少年漫画に落とし込むか?という方向性に疑問が行くだろう。しかし、違うのだ。元々のガラスの仮面、このガラスの仮面こそが、極めて少年漫画的で、かつ化け物じみた少女漫画なのだ。
ガラスの仮面において、しばしば主人公マヤの狂気性がクローズアップされる。どれだけ弱めても「狂気」だ。少女漫画はえてして、人間関係のドロドロを誇張含めて描きがちである。ガラスの仮面ファンも、アンチも、なんとなく読んだことがある人も、「こいつはヤバい」と思っただろう有名エピソードとして「泥まんじゅう」がある。ネタバレは出来るだけ避けるが、この狂気性はどうしても伝えたい。ガラスの仮面をこれから読む人でネタバレが気になる人はさよならだ。まあ流石に居ないだろ。
基本的には、マヤは「月影先生や速水の寵愛を受け、美味しいところを持っていく」役柄で、作中でもきちんと周りから指摘され、嫉妬される。なろう系のように「さすマヤ」状態にはならない。それこそ、ほぼ殺人未遂の石(本物)を舞台上で投げつけられたりする。まんじゅうを泥団子にすり替えられたりする。さすがのマヤも手が止まる。だが、「おらぁトキだ!」と、マヤが演じるトキになりきって、泥まんじゅうを満面の笑みで食ってしまうのだ。もはや「さすマヤ」である。あまりにも強烈過ぎる自己否定だ。彼女はマヤではなく、あの瞬間、間違いなくトキだったのだ。マヤは、自らがマヤであること、演技力がある人間であること、紫のバラの人に憧れを抱く人間であることなど、そんなアイデンティティにほとんど執着がないのだ。劇中で自分ではない何かに成った自分こそが彼女のアイデンティティなのだ。物語に没入していなければ「なんだこいつ」だし、没入してても「狂気」だ。「演劇をやりたい」という極めて明確な目標を元に、自分すらも捨て去る。演劇を主体として見ればとても少年漫画的であり、生き様としてみれば少女漫画のエッセンスがこれでもかと濃縮されている。不朽の名作だ。
さて、アクタージュの話だ。主人公の夜凪景は、いわゆる演目になりきる憑依型のアクターだ。まんまマヤである。さらにライバルキャラの百城千代子もほぼ亜弓である。そして主人公を演劇界に引っ張り上げた演出家には、いつかやりたい「幻の演目」……当然ながら「ガラスの仮面」への類似性への指摘されるし、あの名作と比較してどんな差別化をしてくれるのか、と比較される読み方をされていたと思う。ガラスの仮面を読んだことがない人も、ガラスの仮面ファンにも、ちゃんと面白いと思ってもらわなければ連載は続かない。
アクタージュは、必ず「この人はなぜこうなったか」「なぜそれができるか」「なぜそうするか」が描写される。つまり、描写される演技には必ず「アクター個人としての」アイデンティティが関わってくるように描かれている。ガラスの仮面のあまりにも強烈過ぎる自己否定など、微塵もない。この一点こそ、マヤと夜凪の、ガラスの仮面とアクタージュの決定的に違うところだ。ガラスの仮面ファンもニッコリ。
そしてもう一つ大きな違い、「個と組織」の違いだと考えている。ガラスの仮面は圧倒的に「個」だ。読めば分かるが、ガラスの仮面は組織が組織の強みを生かしたシーンが実は少ない。組織の良くない、ドロドロしたところの描写のほうが多いくらいだろう。マヤの理解者である、月影先生も劇団の主催ではあったものの、強烈な周りに理解されない天才、「個」だ。速水さんも明確な「個」である。強烈な個がぶつかり合う様でガラスの仮面は成り立っている。
アクタージュは、組織的なものがちゃんと組織として役割を担っている。それだけだと、ただ主人公とライバルが活躍するだけの漫画かと思ってしまうが、きちんと「組織」が役柄をもっているため、組織の存続に関する視点が本筋に関わっていく。商業的な視点も取り入れながら、きちんと少年漫画をやっている。実に現代的な視点であり、ガラスの仮面リバイバルとしても十分に面白い作品となっている。ガラスの仮面知らない人もニッコリ。
強烈過ぎる自己否定からくる演技への執着、それによって誰にでもなる、なってしまうガラスの「仮面」のマヤ、時には暴走するが、自らのバックボーンを捨てることなくリアルを演出する「アクター」ジュの夜凪。対比として美しいって書いてて思った。
どっちかのファンでもどっちも知らない人でも、片方読めば楽しめるし、両方読めば4倍楽しめる。1+1で2じゃないぞ、2の2乗で4倍だ4倍。読んでくれ、特にガラスの仮面。
ポリコレポリコレ言ってる人たちは「LGBTのパイが少ないからLGBTの役はLGBTの役者にやらせろ」とは言うけど、「LGBTの医者が少ないからLGBTの医者の数を増やせ」とは言わないんだよな。(LGBTは黒色人種でも黄色人種でもマイノリティなら何でもいい)
なぜかって、数合わせのために医者にしたやつがとんだヤブで人が死ぬと困るからだろう。
医者に必要な要素は、LBGTではなく、人種でもなく、適切な診断や治療法を考えられる頭脳だから。
でもそれなら、役者に必要なのは当事者性じゃなくて演技力と、役に合った外見じゃないの?(美しければいいとかではなく、運動神経抜群の設定の人物の外見がデブだったら違和感を感じるし、逆にデブだからいじめられてる設定の人物の外見がほっそりした美形だったら違和感を感じるという話)
LGBTだろうがなかろうが棒読みの素人だったら見るに堪えないし、LGBTであるかのように振舞えるなら、本人の性的志向とかどうでもいいと思う。もちろん、当事者の方が、演じている人物の苦悩がわかるから、リアリティのある演技ができる可能性はある。でも、当事者なら絶対にリアリティがあるというわけではないだろうし、それ以外の演技力が劣っている可能性ももちろんある。当事者性はリアリティのある演技をするために貢献するかもしれないが、本当に評価されているのは当事者性ではなく、リアリティのある演技ができるかどうかであるのではないか、と思う。
医者の子供は小さいころから親の仕事を見て、一般人より医学的な知識が多いかもしれない。でも、医者の子供だということを評価されて国家試験に合格したのではなく、医学的な知識を評価されて国家試験に合格したのだ。
実力以外で選ばれた人間が医者になったら医学のクオリティが下がり私が死ぬからそれはダメ。
でも役者なら実力以外で選ばれてドラマなり映画なりのクオリティが下がっても構わない。なぜなら私に害はないから。
って考えだとしたら、ずいぶん舐められてるなぁと、芸術関連に明るくない自分でも思う。
もしもLGBTの役者が演技力は十分なのに、偏見のため選ばれないのが問題ならオーディションでの評価を透明化するとか、そっちを変えるべきなんじゃないの?
オーディションを平等化するのは今は困難であり、平等化するための方法は試行錯誤中だ。いずれ平等に評価できるようにするから、それまでの次善の策として、LGBTに特権を付与している。という話ならまだ納得がいくけど、平等化するためにどういう方策を頑張っているみたいな話は聞かない。
そうなると、いつ次善の策から最善の策に変わるのかなど大した指標もなく、次善の策だけがなあなあでズルズルと続きそうな気がする。
ついでに言うなら今デモが起こってる理由の半分くらいはコロナの不安とかイライラとかをぶつけたい人たちが的を見つけたんだろうなと思っている。
常に差別問題に悩んでいる人もいないとは言わないが、過激化したのはコロナのせいだと思う。
まあ当事者から差別されたことがないからわからないんだ人でなしと言われれば、LGBT差別を受けたことがないのはその通りだし甘受するしかないが、当事者でもないポリコレ翼賛会の一員からなんか言われるとLGBTの問題はLGBTが言うべきでは? 文化盗用では? とか言いたくなってしまうな。
とてもいいゲームだった
これは簡単にいえば人狼ゲームの用語や設定をSFに置き換えつつ、CPUを相手に人狼が遊べるゲームだ
最初は人数や役職も少なく、たまにランダム発動する『直感』ぐらいしか嘘つきを見分ける手段がないのだが
周回して遊んでいると、レベルアップしてその直感の発動率を上げたり、嘘を見破られにくくしたり、相手を説得しやすくするといった
パラメータ強化要素があるため、繰り返し遊んでいるだけでだんだん勝つ・生き残れるようになってくる
このゲームは自分が死んだらそのループは終わりなので、投票で殺されにくくなる『かわいげ』、グノーシアに狙われにくくなる『ステルス』を伸ばすのがいいかもしれない
人狼ってリアルにやった場合、早々に死ぬとやっぱり終わるまでヒマなので、テンポよく死んだらはい次と進めるのは一人用ならではの利点だと思う
上でループと書いたが、これはループしてひたすら人狼を繰り返すゲームなのだ
なぜループして人狼をやらねばならないのか?(それはゲームだからというメタ視点は置いておいて)という疑問もあるかもしれないが
少しずつ登場人物や役職の異なるループを繰り返すうちにイベントが発生し、登場人物達の秘密が明かされていく
そのすべての秘密を明らかにしたときがエンディングである・・・というわけだ
それまでのキャラに対する描写の積み重ねや伏線が綺麗に立ち上がってきて、すばらしいエンディングだったと思う
相対するCPU達もプレイヤーと同じようにパラメータがありロジック偏重や演技力が低いといった設定になっていると思うんだが
そういった人狼ゲーム内で感じる「コイツはこういう奴」という印象と、イベントで明かされる秘密のダブルパンチでめちゃくちゃ印象に残る奴らになっている
ゲームを通じてキャラクターの性格がほぼ一貫しているので、「今回やけに他人をかばってておかしいな?」という推理もできたりする
秘密が明らかになるたびに相手も強くなっているらしいが、そこまで急激に強くなる感じでもないので、相手が強すぎということもないので安心
他人を巻き込んで疑ってくるやつ、ステルスしてなかなか処刑されないやつといった強めのキャラはいるけどね
個人的には嘘をついてもすぐバレて処刑され、嘘をつかなくてもとりあえずで初日に処刑されるしげみちがイベントも面白いので好きだ
でもやっぱ最後はセツだねうん
人狼の難易度については、序盤は結構処刑されやすいが、パラメータを上げていくことでかなり楽に遊べるようになる
また、参加人数や登場する役職、自分の役職を自由に設定できるが、他キャラは登場も役職もランダムのためイベントが発生せず終了することも多い
序盤をすぎたあたりでイベントサーチ機能が解放され、イベントが起きやすくなるような設定にすることができるようになるが
その場合でも特定の人物が役職に就く、あるキャラと最後まで生き残る、人狼中にあることをする、といった条件を満たす必要があったりするので
やっぱりこればかりは何度もやり直してみるしかない
ただ人狼を繰り返してちょっとだれてきたな、と感じるぐらいで新しいイベントが起きる感じになっていて、
自分の場合はだいたい150ループ弱、17時間でクリアしたので参考までに
人狼でループといえばレイジングループという傑作ゲームもあるが、あちらは人狼をやる人々を描いた読み物で、こちらは人狼をやる読み物という感じだろうか
あれ凄いよな。超律儀な男じゃん。
コンドーム1ダースくらい使って、全部結んであったりするだろ。
普通無理じゃね?お前A型の極みかよ。そもそも12回もできねぇ、という野暮は言わないとしても、出す、モノを抜く、ゴム外す、結ぶ、次のコンドームの封切る、着けるってことを11回やるわけだろ?
それ想像して笑っちまって抜けねぇ。
イラストだとケダモノのように犯してるように見えるけど、実際は外して結んでつけるという作業をちゃんとやってるわけだよな。
その間女の子どうしてるんだろ。
「あー…もう疲れたわ…」って絶対なるだろ。でもやっぱり男がまた挿入してきたらイラストみたいな感じにアンアンしちゃうわけで。ものすごい演技力じゃね?淫乱とか堕ちとかそういうんじゃなくて、普通に冷静でかつノリのいい理想の女の子だろこれ。
描いた人の意図としては「理性を失うくらいのセックス」なはずなのに、同じイラストの中に「二人が真顔に戻る瞬間が11回もある」ことを内包してるわけだよ。これ凄くね?
コトが終わった後のその二人の会話が気になる。絶対内心で「いやーキツいわぁ」ってなってるって。でもそれ言うと相手の頑張りに水さしちゃうから、ウェヒヒとか笑ってごまかすしかないわけだろ。
和んじまって抜けねぇ!
しかも、クッソ汚いオッサンでもたまに全結びのA型の鑑がいる。下品で臭くて男の俺でもマジ勘弁なオッサンでもちゃんと結んでるんだよ。
これは快挙だろ。いや、何が快挙なのか意味が分からんが、見てるこっちとしてはさ。そういう気持ちがしてくるだろ。
なんか…あのゴム厚くね?
つーことは、すげぇ激しくセックスをする性豪と見せかけて、早漏防止の極厚コンドームを使用しているという推測が成り立つわけだよな。
という絵面に反して、「極厚コンドームで自分のコンディションを調整する男」という妙に冷静な視点が加わるわけだよ。
以上のことから、使用済みコンドームが散乱しているタイプのエロ絵の男は
・数回~十数回も訪れる『沈黙の時間』に屈することなく行為を行い続けられる鋼の精神力
・「もういいだろ…」という空気をものともせず行為を行い続けられる不屈の精神力
・早漏という己の弱点を認識し、テクノロジーで解決していこうとする柔軟な対応力
を兼ね備えた存在ということになる。
疲れてんだから早く終わらせろよとか思ってる間も男はしっかりと極厚コンドームを結んでいるわけだよ。
辛いわ…。
昔はあんなに好きだったのにな…。
たいから書く。今期アニメの『ID:INVADED イド:インヴェイデッド』って作品が個人的に毎週楽しみすぎるので、ぜひ多くの人に観て欲しいので投稿してみる。
毎週次の展開が楽しみなんだけど、どうにもあまり話題になってない気がする。とてもいい作品なのに、ケムリクサと同じく1話切り上等のスルメ作品なんで辛い…。
展開を端的に説明すると、謎の銃で連続殺人犯の殺意を捉えて、その殺意の思念粒子から創造された意識世界に謎の機械でダイブする。
ダイブした人間は記憶を失うのだけど、「カエルちゃん」に遭遇すると自分が名探偵であることを思い出す。
そして謎を解いていき犯人を見つけ出す。という流れ。文章に書いても全然わからないですよね…。
謎ばっかりだけど、劇中のキャラクターたちも自分たちが使用している機器がどういう原理なのかわかっていないで使っている。そこもまた面白い。
いま佳境に入って来ているけれど、その謎を解くのもストーリーの重要な点になっている。
殺意とか銃とかPSYCHO-PASSを思い浮かべそうだけど全然違う感じ。
謎解き要素の雰囲気が似ているのは、監督のあおきえいさんが関わったこともある『櫻子さんの足下には死体が埋まっている』が近いのかも。
直接的な描写は少ないけれど、結構メンタル的に猟奇的な話が多いので苦手な人は注意して。
毎週のように頭のネジが3本ぐらい飛んだサイコパス犯人と物理法則が無茶苦茶なSF世界が出てきては使い捨てで、制作はすっごい大変だったはず。
監督のインタビュー見ると少人数スタッフで時間をかけて制作したとのこと。このへんもirodoriっぽい。観ててものすごく丁寧に作っただろうなというのが伝わってくる。
主人公の声優をしている津田健次郎さんの鳥肌モノの演技力もヤバい。声だけでこんなに感情揺さぶっていくるのかっていう。
ここまで読んでちょっと面白そうと思ってくれた人がもしいたら、是非Netflixかdアニメで追いかけてほしい。(追記:アマプラでも観られるようです。ブコメ感謝!)
ちょうど先週ニコ生で一挙放送があったので、プレミアム会員の人はタイムシフトで観るのもいいかも。明日で視聴期限だから急いで!
https://twitter.com/idinvadedanim/status/1236122854699089920
ハマる人は4話くらいで世界設定がわかってきて「おおー?おもしれー!」ってなるんじゃないかな。なってくれるといい。
ちなみに「マヨはない ええよ」ってEDの空耳にも注目。待ち構えてるとクセになる。
【雑な用語集】
名探偵酒井戸:カエルちゃんを見ると自分が名探偵酒井戸であることを思い出す。元警察官の犯罪者。(井戸を誤字ってました。スマン!)
ワクムスビ:PSYCHO-PASSの銃みたいな形状の端末。殺意を感知し、その思念粒子を採取する。
作品で大事なのって「伝えたい事を、最大限の努力で伝える事」だろ。
かぐや様とか、銀魂とか、そういうのの実写化は分かるよ。ああいうのはカッコいい人がカッコイイ事やってるのが前提じゃん。それが面白さでもあるわけじゃん。
映像研には手を出すな!はカエルみたいな癖のあるガキ達が映像作ってくのが面白いんだろ。
可愛くて綺麗な女は必要ないんだよ。可愛くて綺麗な女を出すために演技力とかリアリティを犠牲にしてるじゃん。作品の面白さスポイルしてるじゃん。
ハリウッドみたいな、ルッキズムに気を使ってブスをねじ込んで結果的にゴミみたいな作品にしてるのとか、面白さをスポイルしているのは論外だし
「可愛い女の子である必要が無い!!」って言って作品にケチつけてるフェミには同意できないけどさ。その理由が「最終的に作品の面白さや魅力アップにつながってるか」が判断基準だけど
演技力によるのか…自信ないけど頑張ってみるか