はてなキーワード: 演技力とは
作品で大事なのって「伝えたい事を、最大限の努力で伝える事」だろ。
かぐや様とか、銀魂とか、そういうのの実写化は分かるよ。ああいうのはカッコいい人がカッコイイ事やってるのが前提じゃん。それが面白さでもあるわけじゃん。
映像研には手を出すな!はカエルみたいな癖のあるガキ達が映像作ってくのが面白いんだろ。
可愛くて綺麗な女は必要ないんだよ。可愛くて綺麗な女を出すために演技力とかリアリティを犠牲にしてるじゃん。作品の面白さスポイルしてるじゃん。
ハリウッドみたいな、ルッキズムに気を使ってブスをねじ込んで結果的にゴミみたいな作品にしてるのとか、面白さをスポイルしているのは論外だし
「可愛い女の子である必要が無い!!」って言って作品にケチつけてるフェミには同意できないけどさ。その理由が「最終的に作品の面白さや魅力アップにつながってるか」が判断基準だけど
演技力によるのか…自信ないけど頑張ってみるか
「いまの若手に演技派がいない」
言っちゃ悪いが、大御所のデビュー作よりもよっぽど明らかに上手いのだ。
いや、本当に上手い。昔の声優のデビュー作を見ていると「よくこれでデビューできたなあ」と思うぐらいに棒読みだったりわざとらしかったりする。
その時代の演技のレベルそのものが低かったこともあるんだけれど、棒読みで、声に魅力がなく、今の水準でいえば演技自体ができてない声優がわんさかいた。
昔の、懐かしのアニメ特集とか見てみたらわかるよ。演技自体のレベルが圧倒的にわざとらしいし下手だもん。
だって、下手だもん。昔のアニメを見てると、演技が下手だなあと思う。耳が慣れてくるまでかなり根気が必要になる。
その頃の新人の演技を見てみると、よくこれでデビューしたなあと思う。
正直オーディションがあったのか疑うレベルで、今の水準からみると下手に聞こえる。
むしろ、今の声優業界は演技が高止まりしてるんだよね。演技が上手くてはまり役なのは当たり前って時代。
昔のアニメなんか見てると、違和感ありありで、「え? こんなに下手だった?」といつも驚く。叫び声、ふとしたしぐさにかかる演技、キメのセリフ。いまよりも明らかに下手だ。
こんなレベルの高い時代で、新人は過酷な競争に曝されてるのだが、昔の声優時代はもっと過酷だったかのようにまで言われるのを見ると、「いや、昔はそこまできつくなかったぞ」と思う。
漫画家はいまの新人は絵が自分のころより断然上手い」と素直に認めてるけれど、これはあらゆる業界において言えることだ。
昔は下手な中に上手い人がいたから目立ったが、今は「みんな上手いから、だれも上手さでは評価しない」という時代だ。
「昔は上手かった。いまは演技派がいない」とか半可通がえらそうに言ってるのを見ると反吐が出る。お前はまず今の基準で懐かしのアニメを見てこい。その下手さにひっくり返るぞ。
2.5のイケメン俳優等にハマってる人達が楽しそうで憧れてたんだけど、自分もやっと面白いと思える舞台作品に出合い、いわゆるイケメン俳優で「推そう」と思う人ができた。それが2年前のことだった。
それからはその俳優が出る作品を中心に、2.5やそうでない舞台を観に度々劇場へ足を運んだ。
推しはキラキラした外見とスタイルの良さが売りで、どんな舞台に出ても「彼はこのイケメンだらけのお話の世界観の中でも格別なイケメンのキャラなのである」と思わせる華があった。しかしそれ以上にアクションが上手で、いつかまた板の上で大暴れしてほしいなと思っていた。
そんな彼を追いかけているうちに直面したのは、彼の演技力の低さだった。最初は気にならなかったのだが、観劇の回数を重ねるうちに彼の演技はいわゆる「棒」であり、時には主演にもかかわらず共演の元アイドル女優にすら食われている状況だった。これまでは同じくらいのレベルのイケメン俳優とばかり共演していたので気にならなかったのだが、長年活躍しているバイプレイヤーたちとの共演では、彼の台詞回しは抑揚の無さが目立っていた。
私は元々映画が好きだったので、彼がいつか映画に出るまでは応援したいという目標があった。もし舞台を観に行かなくなっても、年間3000円ちょっとくらいのファンクラブ会費はしばらく払い続けてもいいかと思っていた。
今年の年明けにファンクラブから年賀メールが届いた。それは夢小説のように自分の名前が本文に何度か出てくるもので、最終的にメル画で見たような甘ったるい台詞を推しが喋っている体の文章で締められていた。
そのことをネタにしようと思ってスクショを取ったが、私に推しができて楽しそうにしているのを見守ってくれた友人各位にそんなものを見せたくないなと思った。
それから少し迷ったのだけれど、まだ更新期間までだいぶ時間のあるファンクラブを、昨日やっと退会した。
自分の中で「ガチ恋営業のように女性に夢を売る商売をやってのける俳優は、たぶんファンに対して誠実ではない」というイメージがあり、推しがその片鱗を見せたことが残念で仕方なかった。
これまで彼からはそういう匂いがしなかったので安心していたのだが(交流イベント等は定期的にあったが、自分は作品を通した彼が見たいためそれには一度も参加しなかったので雰囲気は不明)、正月のメルマガを見て「この人も事務所も、俳優としての限界を感じたからこういう方向に舵を切ったのでは」という疑いを持ってしまったのだ。
きっと彼はこれから俳優として成長するのは難しい。いつか有名監督の映画に出演してそのアクション能力を充分に発揮してくれることを願っていたが、その願いに投資しても望みは叶わないだろう。
彼は私があらかじめ覚悟していたようなスキャンダルも炎上もなかった。その辺は本当にきちんとしていて有難かった。それでも、生きている人間を応援し続ける事はとても難しいのだ。それがわかっただけで充分だった。
彼のお陰でいろんな俳優(男女含む)、演出家、脚本家や小劇団を知ることができた。俳優を軸に作品と出会うことは今までにない体験だったし、生で見る舞台の面白さも理解できた気がする。
また、残念ながら元推しから感じることはできなかったが、自分にとって「刺さる演技」が何なのか非常に明確に理解できるようになったような気がする。これは今後いろんな実写作品を見る上で役に立つ観点であろう。
何かに熱狂的にハマっている人は楽しそうだ。だが自分はその真似事しかできなかった。だって相手は生きてる人間なのだから。他人に自分の勝手な理想や希望を託し、期待することでエネルギーを得る生き方は、私には無理だった。「ガチ恋営業的な方向に行くのでは」と懸念している自分が気持ち悪かった。
彼の演技が成長してないとか勝手に難癖をつけてしまったけれど、俳優自身のほうが数百倍もっといろいろなことで悩み、苦労しているだろう。頑張っている「人間」そのものを批評することは、作品を批評することと全く違うように思え、私には心苦しかった。世間的にはアイドル俳優(偶像)であっても、私にとっては尊重すべき他人の一人だったから。
彼が仕事でどんなキャリアを積みたいのか、そんな事は私にはわからない。だからこそ自分の「俳優として頭角を現してほしい」という望みを託してしまうのは間違いだったのだと思う。
いろいろ書いたけれど、彼を追いかけていた2年間で得たものは、チケット代よりもはるかに多かったと思う。彼が知名度のある脚本家の作品や、ビッグタイトルに抜擢されるたびにテンションが上がった。追っかけ界隈の文化を色々学べた。現場で出くわす同担たちの会話を隣の席でこっそり聞くのも楽しかったし、ファンたちが心を込めて送ったであろうフラワースタンドの凝った意匠などにも都度感心したものだった。
ファンクラブを退会したことで非常に心が軽くなったことは確かだ。それでも、彼やスタッフたちには感謝の気持ちしかない。追っかけ活動はまさに生涯学習であり、適度に楽しめた私は幸せ者だったと思う。
旅行中詐欺にあったので、家族や友人に言うのも馬鹿にされるので、ここに記載しておく。
被害額は約5万円。アメリカから出張に来ていたがタクシーに荷物を取ってかれてしまった。帰りのチケットを買いたいから、お金を妻の口座からトランスファーするから銀行で引き出してくれ。という詐欺。日曜日だからトランスファーに時間がかかる、どうしよう、後でEMAILする。などでお金をわたしてしまった。
冷静に考えればパスポートなしに入国できるわけないとか、確認でFacebookのID聞いたら持ってないとか、いろいろおかしい点はあるのだが、中途半端な英語力のせいで不審な点をある意味良いように理解して、海外で困る人を助けてあげたいという気持ちで出してしまった。
別れた瞬間に詐欺だったかなと思いつつ、10分後にはネットで調べてほぼ詐欺であることを確信した。
今までアムウェイにはまる知り合いや、信仰宗教にはまる友達を冷ややかに見てたけど、自分も将来オレオレ詐欺とか日本郵政の詐欺とかに引っかかりそうだわ。
絶対に有り得ない。
役柄を毎回変える器用な役者ではないが、マッチョイメージってだけでラズベリーに選ばれたり、アクション俳優という「キャラクター」で不当に蔑まれてきた人だ。
スタローンの演技力の証明としては何より、「スタローンと競演した役者が輝く」という逸話がある。
『エクスペンダブルズ』のステイサムはわかりやすいが、『ロッキー』のエイドリアンにしても『ランボー』のトラウトマン大佐にしても、あんまり面白くない『暗殺者』で共演したバンデラスにしても、スタローンと絡んだ役者の活躍が記憶に残る。
共演者に花を持たせるのは「脇役役者」が持つ特性で、なんだ、主演の癖に脇役レベルじゃねえかと馬鹿にしたくなるかもしれないが、逆に脇役のように「他人を輝かせる」演技はうまくなければできないことなのである。
アイドルやタレントの主演作品で脇役を大御所俳優で固めるのと同じ事だ。
もちろんいくつも記憶に残るキャラクターを演じていることを考えれば、共演相手に食われているわけでは決してない。
あんなゴリゴリの見た目に濃い顔のアクション俳優なのに、自分が目立つのと同時に相手に合わせた「受け」の演技ができる柔軟さを持っている事に、みんなもっと驚くべきだ。
これはスタローンが演出家・脚本家としても優れているからこそできる芸当だろう。
(『ロッキーザファイナル』において、ロッキーの続編なんてと世間が馬鹿にする中、結果的に実力だけでその年の映画界の話題をかっさらった手腕を見よ)
ただの「筋肉バカ」「脳筋っぽい」と思っている人は、こういった彼の特徴に気づきもしないのだ。
伊達に、デニーロから超馬鹿にされながらも彼と共演して真正面からデニーロスタイルの演技対決を挑み、そして20年後にW主演で再共演を果たした男ではない。
世間からずっと馬鹿にされながらも、ファンはずっとスタローンの演技のうまさを唱え続けてきた。
そのたびにラズベリー賞なんていう何の権威も批評性もないただのお祭り騒ぎを根拠に、周囲からは馬鹿にされた。
その結果、「全盛期を過ぎてから評価する」でお馴染みのノロマなアカデミーでも、2015年、ついに『クリード』でアカデミー助演男優賞にノミネートされた。