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はてなキーワード: 晩年とは

2020-12-08

DTM音源に名指揮者演奏はやはり素晴らしいと感想述べてる老人

ワルターという指揮者がいて、20世紀3傑指揮者の一人とも言われてるんだが、晩年演奏は新設のオーケストラを連れてるから演奏練度は高くなく、ときどき金管楽器(ラッパとか)が音程を外してけたたましく鳴り響く

意外と味はあって評価もされてて俺は好きで、タイトルサムネイルがその指揮者の録音のものYouTubeに上がっていてなんとなく再生した(ちなみにアメリカでは著作権が切れておらず違法転載

 

機械で作られた音だなというのが30秒も聞けばわかった

これまで俺が聴いていた演奏が偽物だったのかもしれないし、YouTubeから音が劣化している可能性もあると思って結構聞いたが一度も金管楽器が音を外さな

おかしいなと思ってコンテンツIDを見るけどやはり何も書いてない

これ打ち込みだろと思ってコメントを見たら「72歳だが、……やはりワルター演奏はすばらしい。もう一度聞けて良かった。」「好きな録音だったので開いてみました……私が思うにコロンビア交響楽団晩年連れていたオケ)は若者が多く、金管楽器が鳴り響く音からワルター卿がこれから音楽を作る彼らにのびのびに演奏させてあげている姿が浮かぶ」等こいつら聴いてすらないだろというコメント20件ぐらいとそういう老人のコメントいくつかに投稿者いいねがついていた

こいつらは情報を食って生きているのだろうか?

あるいは老人は聴力が劣化して、普段から聞こえていない部分を脳内記憶で補っているのだろうか?

彼らには何が聴こえているのだろうか

2020-12-04

未来少年コナンが教えてくれたこ

まず、この作品未来少年と言いながら、主人公中年の髭を生やした船長であった。

中年船長はペ…、ロリコンであった。

彼は歳の大きく離れた美少女に恋をしたが、現代日本において児童婚違法であり、またそのような恋が実るはずもない。

最終回大円団」で彼は潔くJSを諦め、姉さん女房、肝っ玉母さん、「私はあなたママです」な成人女性結婚する。

まりロリコンマザコンになったのである

古くはミイラ取りがミイラになり、現代ではゾンビハンターゾンビになるのである

歴史上有名なロリコンといえば、古くはナボコフロリータゲーテ晩年失恋少女結婚したが金を持ち逃げされたゴーギャンが思い浮かぶ

しかし、未来少年コナンの作者は、そんな幻想は捨てろ、目を覚ませ、成人女性恋愛対象しろ、と作品で熱く訴えかけてくるのである

これは作者の実体験に基づいているのではないか、そう思えるぐらいの説得力であった。

中年や老人がJSに恋をしてもJSとの恋愛成就するはずがないのである

JSはただ足の指の力が異常に強いDS駆け落ちして村を出ていくだけなのである

これが後のJavaSctiptと任天堂DSであった。

我々老人はJSを遠くから眺めながら、嫌々JavaScriptを書き、ゴロ寝して任天堂DSで遊ぶのである

そう考えるだけで未来少年コナンを観るのがつらくなるのである

未来少年コナンの代わりに名探偵コナンを観ても、非実在ロリババアに恋をするのでよろしくないのである

から、我々老人はバーバリアンのコナンを観るべきである

フランク・フラゼッタ画集を観ながら、おっぱいおっぱい!と悶えるべきなのである

2020-11-24

anond:20201124120458

ハガキとか出しまくれよ。

このタイミングだし、逆に返信のハガキとか他の時期より多く来るかもしれない。

来たらアルバムかにしておけば、晩年に嬉しいかもしれんぞ。

2020-11-21

祖母叔父を、母は長男大事にする

母方の祖母長男である叔父(母の弟)を大事にしていて、遺産も家も全て叔父に渡していた。大正まれの昔の人だというのもあるのかもしれないが、叔父がすげえ可愛かったんだと思う。

祖母がなくなりひとりになった叔父は、奔放に生活しとった。叔父は、病(※昔の登山事故で頭打った後遺症海馬おかしくなったのと、晩年リンパのがん)も患ってたので、母はときどき何度か看にいってた。そしてその翌日に「(ばあちゃんはあたしに)よくもこんなもん(叔父)を残して逝ってくれたな」「私には一千も残さなかった、全部弟にくれたくせに。世話だけ私か」と文句を言っていた。私はよくそ愚痴を聞いていた。今年の冬に叔父は亡くなった。

そのあと空き家を何度か片付けにいったけど、おくの部屋は叔父賞状とかたくさん飾ってあったわ。それを見た母は「やっぱり長男可愛いかったんだよ」と言ってた

一方で、うちでは母が兄のことを大切にしているように思う。最近仕事精神的に参ってて一人になると一人言をつぶやく兄(糖質の一歩手前?などと母から聞いたがようわからん)。そんな兄にたいして、母は、気を遣っていた。部屋が片付いてないと兄は母を怒鳴り散らかすし、休みの日は朝8時から自室に掃除機をかけてるし夜は遅いときは深夜までうるせー音量でテレビを観てるし、ネットショッピングではほぼ毎日中古CDや本や服などを買い溜めてる兄。自室に買い溜めた物が入りきらなくなったら、真ん中の姉(いまは嫁にいっていない)の部屋に自分本棚を移動したりしてる。一方で、兄は他人の散らかってる部屋をみたら許せないらしく、少し前は物置に保管してた農具や季節の靴を捨てたし(私のブーツも捨てられた)、今朝は母の部屋の服も勝手に捨ててた。仕事は真面目なのかもしれないけど、家ではすげー身勝手兄貴だよ。でも、母は、兄を怒らず、なぜか下からでてなだめ、後々で私に愚痴をこぼすのさ。兄に殴られて骨折とかしたらやじゃん。

でも我慢ならない私が、兄に反論しようか、というんだけど、母は、それはやめろお前が殴られるから、と言って とめるんだ。

また、朝と夜は、私から兄に挨拶してやってくれ、とか、私からしかけてやってくれだとか、母は私に変な協力を強いる。兄が糖質寸前だか知らねーが、私は兄が昔から嫌いなので、それには応じることができない。

祖母叔父のことをすげー大事にしていたみたいだけど、私からしたら、母も兄のことをすげー大事にしているように見える。そして、母は私が一番末っ子立場が下だからといって強い物言い喧嘩腰で来たりするんだ。祖母叔父、兄にはそんなことしないくせに。母も性格が悪いと思う。私はなんなんだろう、サンドバッグかなにかか。一人暮らしをやめて実家に戻ったのが、やっぱりだめだったかな。そりゃ、だめか。世間的にも、アラサー独身で、仕事いまいちな、おばさんだもの。痛いよね。

めし食べてたら、母が「おにいちゃんには●●やるけど、てめえ(私の事)、うらやましがるんじゃねえぞ」って言ってきたの。私、なんにも話してないのに。母よ、なんで、そんなに喧嘩腰なの? 自分が兄から何か言われた時は私に愚痴るくせに。なんなの??ほんと、おまえらなんなの?私、家にいちゃだめですか。

ぐちゃぐちゃ書いて、ごめん。

2020-11-10

こんな駄目な自分だけど、人生晩年モテ期が到来したらどうしよう

人生には大きく三回のモテ期があるというが、死に際になって盆と正月クリスマスがやってきたとしたら

老人ホームモテモテ、外出してもJKモテモテ、そんな数日を送って棺桶に入るとしたら

それはそれで良い人生だったと言えるのではないだろうか

終わりよければ全てよしである

フレンチ・カンカンの穴あき見せパントップレスのショー

カンカンとの出会い

フレンチ・カンカン、というかラインダンスとの出会いは、おそらくは文明堂のCMだ。それからドレミファソネットどしたらできるの」で有名なso-netのCMだ。なぜかこのCMではおじさんの脚線美を見ることになるのだがそれはさておいて、Youtube検索すると今でも天国と地獄に合わせて踊る動画確認できる。

カンカン歴史、当時の見せパン

本題に移ろう。Can-can dressについてはウィキペディアではおおよそこのように述べている。ドレス基本的に何層にもなった大量のフリルがついていて、当時の下着の上に縫い付けられていた。脚は黒いストッキングや網タイツで覆われていた。つまりレオタード姿のソネットCMフレンチ・カンカンではないのである。足の動きの速さからしてまるで違う。

衣装ではなく、カンカンダンスのものについては、日本語版ウィキペディア英語版ウィキペディアで書いてあることが若干違う。おそらく英語から訳したときの版が違うのだろう。

両者の記述を比べてみたが、フレンチ・カンカンにおける見せパン起源はかなり曖昧らしい。足を思い切り上げてスカートの中が見えてしまう動きは、ショーの場では1820年代にアクロバット的な動きで知られるCharles Mazurierがバレエの大開脚を取り入れたことにさかのぼるようである。初期のダンサー娼婦セミプロ役者だけであったのだが、1890年代になるとムーラン・ルージュではトゥールーズロートレックの絵で知られるLa Goulue(食いしん坊さん、的な意味)やJane Avrilなどの高給を取るスターが生まれた。La Goulueのページでは当時の衣装とセットの見せパン確認できる。これらのスター生活は華やかだが晩年は不遇であることもあった。この二人もビジネスの失敗や大恐慌財産を失い、寂しく亡くなっている。

さて、カンカンは足を高く蹴り上げるので、当然スカートの中身が丸見えになる。しかも、それや当時としてはよりスキャンダラスであった。というのも、当時の下着であるpantalettesは衛生上の理由からロッチ部分が開いていたからである。要するに性器丸出しになるわけであるもっとも。そのあとにこんな記述がある。カンカンのための特別下着を用いていたという記録はないが、ムーラン・ルージュでは下着露出は禁じられていたことになっていた、と。どうもこのあたりの記録は曖昧というか[要出典]をつけたくなる箇所が多い。ウィキペディア普段自然科学記事を読むことが多いが、そこよりも曖昧記述が多い印象だ。文体もなんだか違う。

ところで、今のフレンチ・カンカンとして知られる、大人数の女性10分以上高度な振り付けを続けるスタイルは、1920年代アメリカで人気が出たスタイル逆輸入したものでそうである

実際、19世紀から20世紀初頭にかけては女性の脚部を見せるということでかなりスキャンダラスものとしてみられていた。また、陰部を覆う白い生理用(?)下着と黒いストッキング対照エロティックだとして見られていた。さらに、体を折り曲げてスカートを後ろからまくり上げ尻を見せる動作もあったという。先述のLa Goulueはこの芸で知られていたとのこと。また、前の席の客の帽子を蹴り飛ばすほど近づいて、スカートの中身を見せることもあった。もっとも、顔を思い切り蹴られる危険もあったのだが。

結論から言うと、当時のフランスに見せパンのものであったかどうかはわからないが、パンツが見えることは覚悟の上だった、ということになりそうだ。女性器が見えていたかどうかまでは根拠が怪しい。もっとも、今ほど表現自由でなかった当時のこと、そんなことを文学絵画で記録に残せたかどうかは怪しいものだ。ちなみに女性器を堂々と描いて当時の偽善的風潮に反発したクールベの「世界起源」が1868年ヌードスキャンダルを生んだ「草上の昼食」が1863年である

著名なキャバレーについて

パリはいくつも有名なキャバレーがあり、それは近現代芸術芸能に多大な影響を与えてきた。たとえば、ムーラン・ルージュ活躍した人物としてFrank SinatraやCharles Aznavourがいる。それらのすべてをここで述べるのは大変なので、地球の歩き方広告が載っていたと記憶しているものピックアップして簡単に述べる。子どもの頃、トップレス女性旅行ガイドに載っているのを見てドキドキしていたものだ。もっとも、その女性の姿はせいぜい五ミリくらいの大きさしかなかったのだけれども。

学生時代パリを訪れたときには、そこには寄らなかった。一日中美術館で過ごしてぐったりしていたし、まだ女性経験がなくて図々しくなれなかったからだ。今となってはいい思い出である

ムーラン・ルージュ

赤い風車で名高いキャバレーで、ここを舞台にした映画は数知れず。トゥールーズロートレック作品群でも有名。著名なダンサーも多く、全員を紹介するのはとても無理だし、別のキャバレーにも出演していて、キャバレー別に紹介するとややこしくなるので端折る。

ところで、ウィキペディアだけからヌードがどの程度ショーに盛り込まれていたかはわからないが、1893年舞踏会に裸の女性いたことがスキャンダルになったそうである。なんでもヌードモデルが活人画として周囲を歩き回り、裸の女性が深夜にテーブルに立っていたとのこと。一方、英国劇場のように活人画、すなわち生きた人間絵画再現する目的としてならヌード猥褻ではない、という意識もあったようである。例えば英国では劇場ヌードが現れたとき当局1930年代に裸の女性が動くことを禁じた。この禁令をかいくぐるために、モデルたちは活人画のように止まったままとなった(ストリップ記事を参照)。また、戦後日本でも「額縁ショー」と呼ばれるストリップのさきがけのようなものがあった。動かなければ猥褻ではないという謎理論がまかり通っていたのである。当時のGHQが何を意図していたのかはよくわからない。

これまたよくわからないのがゾラ1880年小説「ナナ」では、ヒロインがヴェリエテ劇場でほぼ全裸披露して観客を魅了するという場面があるのだが、実際のところどうだったのだろう? 本記事カンカンについてなので劇場ヌードについては語りつくせないので、今後の課題としておきたい。

1889年開業1915年に一度焼失するも再興し、ドイツ占領時代にも営業を続けて今に至る。

フォリー・ベルジェール

モネ絵画「フォリー・ベルジェールのバー」舞台としても知られる。また、黒人系の女性Josephine Baker活躍したキャバレーとしても知られる。バナナ型のスカート以外はほとんど身に着けていないエキゾチックな姿がオリエンタリズム流行した当時ヒットしたのだが、後にその恰好人種差別的だとされるようになり、そこからネグリチュード黒人意識の発展にも寄与した。また、彼女黒人人権活動家としても知られている。最近グーグル彼女の生涯を記念するドゥードゥルトップにした。

1869年開業1872年に今の名前になる。けばけばしい衣装で知られ、時としてヌード披露されることで知られる。

リド

映画「ファイアbyルブタン」で有名。セミヌードを含む映画公式予告がyoutubeに上がっている。身体をやわらかな特殊素材のように扱ったショーは性欲やエロスの向こう側に行ってしまっており、すごいものになっているとしか言えない。リンクを貼ったら怒られそうなので検索してください。もちろん、そこまで独特なものではなく、もっとわかりやすいショーもある。

ユニークなのはそのショーの一部をyoutubeの公式チャンネルで公開していることだろう。かなり古い白黒のものである。それと、公式ホームページ見ていたら驚いたのだけれども、リド自体には12歳以下の子どもでも入場できるそうであるヌードトップレスがないショーならOKなのか、それとも芸術ヌードならOKなのか。フランス映画年齢制限がないやつでも割と普通におっぱい出てくるし、表現規制の国ごとの温度差を示す実例であるのかもしれない。

1946年開業1920年代の人工的な砂浜をその前身とする。

クレイジーホース

ストリップティーズ」の項目によれば1960年代全裸のショーが行われた、とある

現に、創業者であるアランベルナルダン芸術性を伴った女性ヌードショーを見せるという着想に至ったそうで、要するに最初から全裸である

とはいえ、ただの全裸ではなく、巧みな照明技術により女性の裸体をキャンバスのようにとらえ、万華鏡のようなカラフルかつシャープな模様をダンサーの肌に映し出していることに特徴がある。ただ脱いだだけではないそうだ。1951年開業

余談

天国と地獄の曲を初めて聞いたのは文明堂CMと、音楽ファンタジーゆめでだ。後者CG黎明期であったせいかサイケデリック表現が多く、当時の感覚としても幾分薄気味悪いと同時に、今から振り返ってみると技術の未熟さ(失礼!)から来るアルカイック芸術のような独特の魅力があったように思われる。

ところで、この曲は地獄オルフェとしても知られている。タイトルからすると、ギリシア神話オルフェウスが死んだ妻を冥界から取り戻そうするとする話のはずだ。なのに、なんでこんな軽快な曲なのだろうと思って調べたら、ギリシア神話パロディ的なオペレッタからだそうだ。なるほど。

まとめ

今後の展望

こうしたレオタード姿のラインダンスカンカンではないと述べたが、それではこれはいからあるのか調べたい。おそらく日本国内では宝塚歌劇団関係している。また、バーレスク的なものとの関連について知りたく思う。そもそもバーレスクとは何か、僕はよくわかっていない。日本語版ウィキペディアバーレスクの記事には、乳首と陰部に前貼りを貼っただけの姿でパフォーマンスをする女性写真がある。リンクは張らないが、鍛えられたきれいな体だなあ、僕も筋トレ頑張らなきゃなあ、とは思う。しかし、欲望はそこまで感じなかった。隙がないのである

また、劇場において全裸が許容されたのはいからか、それも調べねばならない。

だが、まずはラインダンス調査に移りたく思う。

2020-10-26

島田紳助って評価高まったのって2000年以降だよね

島田紳助って晩年さんまとかと並ぶような格になってたけど、

記憶してる限りは「売れてはいるけど1、2枚格が劣る立ち位置司会者」みたいなイメージ

長くあった記憶がある。バラ色珍生とかの司会者イメージだった。


それが行列のできる法律相談所とかヘキサゴンとかで、すごい話術かつプロデュース力のある人みたいな感じが

2000年代に一気に高まって、気づけば芸能界最高権力者の一人、みたいな位置づけに急速に駆け上がったイメージがある。


で、ヘキサゴンとか感動路線とかやりすぎて食傷気味になり始めてきたころにあのスキャンダル引退したイメージ

俺は30代だから若いころの島田紳助をしらないのでデビューから見てる人はまた違う印象なのかもしれないけど。

2020-10-09

復習の計画

定年間際(だが嘱託業務継続)のじいさん社員がいる。

かつては偉かったようだが、晩年は後輩をパワハラ三昧で休職に追い込むとか、

理不尽要求をしてくるとか、別部署とはいえ立場的に上位の私にも文句

延々と垂れる、そのくせ自分のやる業務を全うしない、いわゆるクズ

そのじいさんのポジション計画的に外堀を埋めながら剥がしてやった。

今やノーミッションルーチンワークをひたすらやらせようと思ってる。

他者との会話も許可しないし、与えたワークを納期までに完了できないなら、

容赦なく追い込むつもりだ。私の上司は「何もそこまで」と言ってくるが、

「後輩を何人も壊した戦犯を許容するのか。ケツを拭いてきたのは私だ。」と

述べたら何も言わなくなった。

ワガママ放題だった老害絶対に許さない。ぶっ潰してやる。

自分から退職したいと思うほど追い込んでやる。

重箱のスミを突きまくって、納品させて、目の前でゴミ箱に捨てよう。

じゃないと、今でも復職できてない後輩がかわいそうだ。

2020-10-06

蜘蛛天井に張り付いていた

風呂場の天井蜘蛛が張り付いていた。

浴室干し用の除湿機を切り忘れたせいで室内はひどい暑さだった。昨朝干したバスタオルは水分という水分が奪われて干物のようだった。そんな浴室の天井に黒くて小さいそいつはいた。

恐らくハエトリとかいうやつだと思う、小さなクモ

私は虫が苦手だ、掴むことはできない。ホウキではたいて自分の頭上に落ちてきたらこサイズでも少し怖い。シャワーで流してしまう手もあるがこんな手合いのためにせっかく乾いたこの部屋を濡らすのも馬鹿らしい。

後で殺そう

風呂に入る時に流してしまえばいいと思った。

翌日、リビング兼寝室の壁に奴はいた。

ベッドに腰掛けた私の顔の高さに張り付いていたので確実に目が(これが目なのか定かではないけれど)合った。

さな前足をこしこしとこすり合わせ安っぽい賃貸ビニールクロスに張り付いていた。

こんな至近距離クモを見たことはない、不思議と恐怖はなかった。

それどころか私のことを恐れる様子もなくマイペースに身繕いをするちいさなそいつを不覚にも可愛いと感じた。

やばい

私はクモ可愛いと思ってしまうほど追い込まれている。

ここ最近、何もする気が起きない。

仕事にはなんとか通っているがこの土日は家に引きこもっている、やれGOTOだと言われても外に出る気が起こらない。食欲もない、眠りも浅い、というか人と関わりたくない。つまり病んでいた。


引っ張られまいと気をつけてはいたのだけれど最近立て続いた悲しいニュースにかなりダメージを受けている。

私の母は自死だった、精神不安定彼女に長年振り回されたので亡くなったと聞いた時は正直安堵した。

それから最後まで身勝手なあの人に腹が立った、そして不器用彼女なりに自分を愛してくれていたことに感謝した。

それでもまだ彼女に対する複雑な想いは拭えないけれど、私はついに誰にも縛られず自由に生きられるのだと思った。

それも長くは続かなかった。

この時勢、短期間で様々なことが起こりすぎて『何でどうして』を明確には語れないのだけど、とりあえず何もする気が起こらない。

ただ部屋でぼんやりとする時間が増えている、意味もなく涙が出る。ここ数週間それが顕著になってきた。ネットで調べてみると先ほどの状態を含め鬱のはじまりはこんな感じらしい

『だろうな』と思った。

理由は後述するがこの状況から抜け出したいという危機感はなかった。


私はずっと容姿コンプレックスがあった、実際何度か顔にメスを入れた。

仕事をしつつ、自責癖のある母に悟られないようにやったので劇的な変化は望めなかったがそれでも元の顔に比べれば多少はマシになった。

身なりにも気を配った、歩き方ひとつも美しくあろうとした、親に教わらなかった最低限のマナーは本で学んだ。生まれ持った容姿をそんなことで補正しようとあがいた、所詮全て付け焼き刃だったが奇跡的に分不相応の異性と知り合えた時期もあった。

(母には捨てられるに決まっていると酷く嘆かれた、実際長くは続かなかった、それ以来彼氏はいない)

とにかく今の自分の生き辛さのすべての原因は自分馬鹿で醜いからで、配られたカードを最大限生かし切ることの出来ない己のせいだと自分を責めた。

一番にはなれなくても”普通”になりさえすればきっと人並み程度の幸せが手にできると盲信していた。


からこそ美しい人には幸せであって欲しかった

みんながうらやむような華やかで素晴らしい人生を送って欲しかった。そんなものエゴだと分かっているけど。

あんなに美しい人たちが、私にとって雲の上の美しい人たちが、多くの人に愛されるあの人たちが、母と同じような死に方をする、信じたくなかった。


母の遺品を整理した時、古いアルバムを見つけた。若いころの彼女客観的に見てもとても美人で可愛らしかった。

精神を病んでしまった晩年はそれはそれは酷い顔だったと記憶しているけれど、写真に写る彼女キラキラ輝いていた。

学生時代は多くの異性に言い寄られたという武勇伝あながち嘘ではないんだろう、なんで私は母に似なかったのかと亡き父を恨んだ。

しかしこれほど愛らしい容姿を持って産まれ人間でも決して幸せにはなれない。あんな酷い最期を迎える。


うまく言えないのだけど自分の信じてきたものアイデンティティがそこで崩れてしまった。


最近のその想いが否応なしに強まった。

TLに流れてくる生前の美しいあの人たちの姿を見ると在りし日の母の笑顔を重ねてしまう。

私は人と上手く人間関係を築くことができない。

親友と呼べる人はいない、親戚とは疎遠で母以外の身内もいない、彼氏もいない、先述した通り無条件で愛されるような容姿もなければ、以前のように愛嬌を振りまく気力もない。

最近はとても口が悪くなっている気がする、まるで晩年の母のようだと思う。

このまま自分も母と同じ道を辿るのだろうと考えることが多くなった。

母はあんなめちゃくちゃな状態になりながらも子供のことは愛していた、彼女の残した日記には私を一人遺しては逝けないという想いが書き殴られていた。(それを読んだ時あまりに生きることが不器用なあの人を哀んで泣いた)

ただ私には誰もいない。この状態を抜け出したいと思えない理由はこれだ、私にはこの世に未練がない。

強いて言えばこれまで恥ずかしくて書けなかったファンレター推しに一通だけ書きたい。置かれた状況も、身の上話も一切書かず、ただお礼を述べたい。

あとは身の回りの整理

こんな生活感丸出しの部屋を人に見られるのは嫌だ。それは私の最後の美意識というか、最後最後まで人に本音を見せることのできない人間の悲しい性なのだと思う。

からこの土日で部屋を整理しようと試みた

しかしこんな精神状態なのでそれも遅々として進まなかった。

クモ出会ったのはそんな時だった。

私は虫が嫌いだ。なので部屋に観葉植物は置いていない。(以前はあったが水受けの皿に黒いあいつの死骸があったことがトラウマでそれ以来置いていない)

切り花を飾った時期もあったけれど日々しおれていく花を見るのが悲しくて辞めてしまった。

から今、私の目の前でぴょこぴょこと動くこいつはこの部屋で私以外の唯一の生き物だ。

いや、ダニノミだって生物なので厳密に言えば間違った認識なのだけど、私の目に見えないものはいないことと同じなので、やはりこの部屋にいる生き物は私とこのクモだけなのだ

そう思ったらこいつが無性に愛おしく感じた、そして自分はなんて寂しいやつなんだろうと今度は己を哀れに思った。

 

こんな私の部屋にやってきてくれた小さな客人、彼(彼女?)は大人なのか、赤ちゃんなのか、そもそも本当にハエトリなのか、もしかして成長して私の世界で一番嫌いなあいつをモリモリ食べてくれる軍曹なのか(このネタが分からない人は「クモ軍曹」で、ググってほしい)、皆目検討もつかない。調べようかと思ったけれど画像が怖いのでやめた。

今は床に散らかしたままの服や下着に囲まれこの文章を打っている。

さっきまで部屋中央の照明のあたりにあいはいたはずなのだけど今はその姿は見えない。多分エアコン付近死角にあたる場所にいるのだと思う。こいつはずっと動いている気がする。

あの小さなクモの方が数十年生きている私なんかよりよっぽど強くて生きるのが上手だ。

よく見たら造形もスタイリッシュだし、目(?)もくりっとしていて結構可愛い

どうも彼らの多くは無害で虫を食べてくれる益虫らしい。

負けている。私なんてクモより役立たずで、クモよりずっと醜い。あんなに美しくなりたかったのに虫にすら負けた。

もともとマイナスだった自尊心だけどまだ底があった。笑うしかない。

まりに笑えてちょっと元気がでた。

元気が出たので散らかった服をゴミ袋につめこんだ、死ぬ前に出したい推しへのファンレターの下書きをした。(思いの丈を書き散らかしたらめちゃくちゃ長くなってしまった、どうしよう)

あとはこれまで集めたグッズを価値のわかる人に譲らなければいけない。

せめて死ぬ前に荒れた肌を直したい。髪を染め直したい。ベリーショートにしてみたい。健康問題と思われたくないかジムも再開しとこうか。 

のどぐろを食べてみたい。寝台特急に乗って一人旅をしてみたい。全く理解出来なかったテネットをもう3回くらい観たい。

そういえば推しの出演作も来月に控えている、

Amazonで予約した雑誌も来週届くんだっけ。

ああやっぱりグッズを手放すのが惜しい、服もまだ捨てるの勿体無いかも、他にも何かあったかな、多分ある。

この文章を打っている途中は死ぬことしか考えていなかったのだけど私にはまだ未練が山ほどあった。

自分の根幹に関わる重大なことから先延ばしにしていたことしょーもないものまで山ほどあった。

これは母の自死までをリアルタイムで見た自死遺族としての経験則だけど、死にたい衝動は長くは続かない。希死念慮自殺衝動は違う、後者は発作のようなものだと思う。

その瞬間にたまたま悪い条件が全て揃ってしまうと最悪の結果をもたらしてしまう。それを本人の意思で止めることは難しいし、周囲の人間が止めることはもっと難しい、本当に難しい。

逆を言えばその一瞬踏みとどまればいい、ほんのささいなきっかけで命は繋がるのだと思う、例えば小指の爪ほどの小さなクモ1匹の存在でも。


事実私はこいつに現在進行形で救われていて、今は部屋の隅っこで泣きながらこの文章を打っている、病んでいる。やっぱり病院へ行こう。まだクモの姿は見えない。


ありがとうクモ、ちっちゃな恩人、友と呼ばせてほしい。

私は虫が苦手なので、これ以上君が大きくなったら同居はできないかもしれない。けれど絶対に私は君を殺しはしないか安心して欲しい。

些細なきっかけで人は死ぬ些細なことで人は生きる。けど結局人はいつか死ぬしこの世は碌なものではないという考えはもう私の心に根付いてしまって、これを変えることはできない。


このまま鬱が本格的に悪化して今度は本当に死にたくなるのかもしれない。そればかりはわからない。


母と同じように首に縄をかける瞬間が来たら、私は天井を見上げるとおもう、見上げたいと思う。

ちいさな友人を探すとおもう、縋るとおもう、さよなら挨拶をするために君を探すとおもう、その時に今日のことを思い出して最悪の条件が揃わないことを祈る。

死んでいいタイミングなんてない、私には未練がごまんとあるのだ。

とりあえず今は蜘蛛を愛でる己の滑稽さと、気ままに壁を動き回る小さな友人の姿を楽しみたい

エアコンの上を歩くクモが見えた。

2020-09-28

あの日、僕は彼女に別れを告げた。彼女のことを愛していたか

開口一番、医者は僕に病名を告知した。予想通りの病名。驚きはもちろん、悲しみさえわかなかった。むしろ若干自分のことが誇らしくすらあった。ここ数週間医学論文を読み込みたどり着いた結論と一致していたからだ。診断の意味するところは一つだった。僕は、もうすぐ死ぬ。緩やかに、けれども確実に。一つ一つ、できて当たり前のことができなくなりながら他人よりもずいぶん早いペースで死という端点へと近づいていく。「自発呼吸」というピース最後に残して、パズルからピースが外れていく。それを防ぐ手立て――治療法――は存在していなかった。

病院から彼女と一緒に暮らすマンションへと向かう帰路で、僕はこれまでの自分人生を、積み重ねてきた努力を思い返した。教授に詰められながらゼミ論文紹介をしたっけ。巨大なコードベースからなるプログラムの不可解なバグの原因を何週間もかけて追究したっけ。診断が意味していたのは、これまでの自分努力収束先だった。大学院で身に着けた英語論文サーベイするスキル、もはや複雑系様相を呈する巨大なソフトウェア不具合デバッグするなかで向上した問題解決能力、それらのおかげで英語医学論文を読み解くことができたし、近頃の体の不調の原因を特定するに至ったのだと思う。僕がこれまで努力してこれらのスキルを獲得したのは、自分の死期と死に様を人よりも早く知るためだったのか?僕は自嘲した。自分がこれまで生きてきたのはうまく死ぬためだったのかと思うと妙に可笑しかった。

連続時間軸上で物事連続的に変化する。そのどこに境界線を引くかは恣意的しか決められない。しかしそのことは境界線という概念のもの否定するものではない。何手目からという合意が必ずしもとれなくともチェスの対局には常にエンドゲームがあるように、人生には常に晩年がある。医師が診断を下した瞬間に晩年が始まったと僕は解釈した。そして僕にはまだ、晩年の概形を定めるだけの力は残されていた。やり遂げなければならないことがあった。晩節を汚さないために。手遅れになる前に。彼女と、別れる必要があった。

「なんのつもりー?」彼女は無邪気に笑った。本気だとは微塵も思っていないかのような口ぶりだ。僕が信じていたように、なにがあっても僕たちの愛は揺るぎない、そう彼女確信しているようだった。「ねえ、それ冗談だとしても面白くないかも」彼女が眉間にしわを寄せて言った。彼女の目を見ることが出来なかった。「ホント理解できないんだけど……どうして?」妥当な疑問だった。しかし僕は返答に窮した。本当のことなんか誰が言えようか?僕の人生でこれから待ち受けていることを告げても、彼女はそれを受け入れ、最期まで寄り添うことを決断してくれるであろうことは明らかだった。僕たちのあいだに存在するものは極めて純粋な形の愛だと断言できた。だからこそ、愛する彼女にそんなことをさせるわけにはいかなかった。君が男女平等主義者なのは知ってる。でも最後に一度だけパターナリスティック振る舞うことを許してほしい。残念ながら僕には君と一緒に思い描いた未来を歩む能力は、君を幸福にする能力は与えられていなかった。でも君が不幸になるのを防ぐことはできるんだ。僕の世話をする以外の未来が君にはあって、君はそれを選ぶべきなんだ。言うべき言葉は明らかだった。彼女の目を見据えて言った。「実は、他に好きな人ができたんだ」それを聞くなり彼女は目を見開き息を飲んだ。


それから三年の年月が経過した。秋の柔らかな日差しが窓から差し込んでいた。窓際でいつものように目の動きをキーボード入力に変換するソフトを使ってWebブラウジングをしていたところ、あの日別れを告げた彼女SNS 投稿が目に留まった。ウェディングドレスを着た彼女がとびきりの笑顔で写っていた。様々な種類の感情が同時に生起した。混沌のなかで最初言語化できたのは「これでよかったんだ」という思いだった。祝福する気持ち表現しようとしたが笑顔がうまく作れない。涙が頬を伝う感覚があった。しかしそれを確かめるすべを僕はとうに失っている。ちょうど暖かな日差しが運んできたまどろみに身を任せて僕は眠りに落ちた。

2020-08-25

anond:20200825173942

イオン経営する病院で生まれ、⇒イオンモールに総合クリニックを開設~「ドクターランド船橋

イオン経営する保育園に預けられ、⇒イオンのゆめみらい保育園

イオン経営する学校で学び、⇒イオン大学

イオン経営する広告代理店の紹介で、⇒イオンマーケティング(株)

イオン経営する会社で働き、⇒イオンエンターテイメント(株)

イオン経営する結婚紹介所で出会い、⇒ツヴァイ (今はイオングループを離脱

イオン経営する結婚式場で結婚し、⇒イオンウエディング

イオン経営する住宅に住み、⇒イオンタウン(株)

イオン経営する銀行で口座を開き、⇒イオン銀行

イオン経営する病院子供を産み、⇒イオンモールに総合クリニックを開設~「ドクターランド船橋

イオン経営する保険に加入し、⇒イオン保険サービス

イオン経営する保育園に子を預け、⇒イオンのゆめみらい保育園

イオン経営する学校に子を通わせ、⇒イオン大学

イオン経営する老人ホーム晩年を過ごし、⇒イオンリテール株式会社介護事業を直轄

イオン経営する墓地で眠り、⇒イオンライフ(株)

イオンポイント戒名が決まる。⇒イオンポイントカード

イオン荘園を抜け出せるのは一握りの才能ある人々かホームレスである

とある地方旅行した時、巨大なイオンモールに寄った。

その日に泊まった旅館でこんな夢を見た。

100年後の日本人イオン荘園暮らしている。

イオン経営する病院で生まれ

イオン経営する保育園に預けられ、

イオン経営する学校で学び、

イオン経営する広告代理店の紹介で、

イオン経営する会社で働き、

イオン経営する結婚紹介所で出会い

イオン経営する結婚式場で結婚し、

イオン経営する住宅に住み、

イオン経営する銀行で口座を開き、

イオン経営する病院子供を産み、

イオン経営する保険に加入し、

イオン経営する保育園に子を預け、

イオン経営する学校に子を通わせ、

イオン経営する老人ホーム晩年を過ごし、

イオン経営する墓地で眠り、

イオンポイント戒名が決まる。

イオン荘園を抜け出せるのは一握りの才能ある人々かホームレスである

2020-08-16

anond:20200816160652

だれでも知ってるようなエラフィツジェラルドでも結婚生活はあまり幸せでなかったようだし、晩年は糖尿で手足切断とか、

一芸があって世界有名人でもプロとしての顔を維持するための私生活犠牲は大きいね

2020-08-15

anond:20200815132630

うちの祖父は訓練中に海に落ちて、そのまま医者が病室から出さず終戦だったらしい

同期は特攻で亡くなった人もいたからその人たちに申し訳なかったって晩年まで言ってたな

2020-08-13

anond:20200812203146

北方健三が「試みの地平線」で本を100冊読んでほしいと言ってたから来る日も来る日も本を読んでた時があった。

わいは、結果、晩年を生きればいいかって思って今に至る。

当時読んだ本の中の登場人物たちは自分の代わりに死んだと言っても過言ではないだろうな。

...まあ、増田はワイがどの本を読んで晩年を生きればいいと思ったかをいろいろ読んで当ててみな。

2020-08-12

学の無さを可愛いだけで補っていると晩年は大変な事になる

長所ひとつだけだと、より強固にそれを武器としようとするからより厄介になる

2020-07-29

デヴィッド・ボウイ自分を「クローゼットヘテロ」と言ったエピソード面白い

時代とか好奇心とかで男色を嗜んでいて、自分ゲイであるとも公言してたのだが、実は惹かれるのは女性で、現に女性と二度結婚した。そして晩年クローゼットヘテロカミングアウトできないでいるけどヘテロである)だと告白した、と

なんちゅうか時代を先取りしまくったようなスターだな

anond:20200729005244

後世で偉業を認められるけど生きてる間は苦労に苦労を重ねて悲願の中で死ぬ人もいるし、人生の中で一度は世間から認められても掌を返されて不幸な晩年を送る人もいるし、今とりあえずこうしてインターネットで何か書き散らすことができる程度には一般人として暮らせてることを喜んだらいいんじゃないかな

2020-07-28

石原慎太郎業病発言理由

石原慎太郎は「霊友会」という新興宗教信者で、その宗教観から出た発言である

政治家が票田のために新興宗教に入信というのはよくある話だ

晩年脳梗塞発症で死を意識し、カルト思想に傾倒していったのだろう

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