はてなキーワード: 役者とは
今回はとなりのヤングジャンプ
大会は、まあ誰が残るかは予想通りだから、ダイジェストで問題ない。
絵面のインパクトでは豚神も凄い。
そんなバトルスタイルなのに、人格自体はSランクの中で割とヒーローっぽいのが逆に不思議にも見えてしまう。
なにはともあれ最終回。
総括。
私の中でスピンオフというものは役者だけを同じにして違う舞台で演じるみたいなものだと考えているので、その役目は十分に果たしたんじゃないかと。
料理始めたてって出来栄えに波があるから、上手くできた時に割と嬉しいってのはよく分かる。
でも、素でちほに渡すための弁当を自分が持ってきてしまって、それが昼になるまで気づかないって浮かれすぎ。
まあ、秀がところどころ抜けた部分があるのは、今までの出来事でその傾向があったけれども。
周囲の客の行動がストレスになっている事が多いのではないだろうか。
僕はそういうのがとても嫌なので、可能な限り最後列の一番端の席を選んでいる。
ひとりで観る映画は良い。
素晴らしい映像や音楽、役者の熱演に大いに怖れ、驚き、笑い、涙する。
ロード・オブ・ザリング 二つの塔でのガンダルフ率いる援軍の逆落としのシーン。
エイリアンvsプレデターでプレデターがジャイアントスイングをかますシーン。
様々な名シーンを目の当たりにして、
その感情の発露を
そのひとときを
しゃべる。音を立てて食う。座席を蹴る。
上映前にパンパカパンツが幼稚園児でもわかるよう、マナーを守ろうと言っているのに
貴様らは何故むざむざそれを犯すのか。
ただ静かに映画をみたいだけの僕は
また僕が移動することで馬鹿以外の観客に迷惑をかけてしまうのは嫌だった。
そうして心が凍るとき、
かつて自分しかいない映画館でイノセンスを観た思い出が蘇ってくる。
僕はその記憶に縋って
ひとりスクリーンの光に身を任せるのだ。
9年ぶりのボーンシリーズだったけど、ボーン役のマットデイモンが全然変わってなくてびっくりした
やっぱりいろいろ映画出てるから体系とか変わらないように気を付けてんのかね
それと引き換えニッキー役のジュリア・スタイルズが「役者さん変わった?」ってくらい別人になっててそっちもびっくりした
女は変わるんかぁ…今までの陰鬱な雰囲気も無くなってたのでそれも影響してるかも
アルティメイタムで髪をばっさり切っていたのが印象的だったのに、今作ではさっらさらの金髪ロングヘア―で登場
やはり35歳超えると役で髪は切りたくないのか
最後、部下の進言「ボーンはCIAに戻ってきたいはず」って戯言を真に受けたのか知らないが
一人丸腰で自分の部屋で待機し、やってきたボーンになんか言った後(覚えてない)、特に説得できたわけでもなく結局死ぬ(ネタバレ
ボーンが工作員になった最初の動機が父親がテロで死んだことだったのだが、実はそれもCIAの仕業でしたというチープな内容
そもそも父親がテロで死んだってのが今作初出のエピソードなので「そうだったの!?」と言えるほど驚きがない
3部作で完結しているので、今更「実はこうでした」を作れる隙がないのか…ちょっと残念
3部作全てが「勘違いからボーンが主犯とされ追われる」という展開だったのを逆手に取り、
「ボーンは本当は愛国者なので、本当はCIAに戻ってきたいんでしょ?」という問いに持っていったのはありだと思った(小並感
今更だが本作を見るにあたって、前3部作は見ておかないときついかもしれない
アマゾンプライムだと無料で見れるので、プライム会員の人は見ておいてほしい
http://www.amazon.co.jp/dp/B00G35GONS/
いや、実際のところ、神木くんみたいな役者さんって貴重なんじゃないかな
その点、君の名は。の神木くんの声はものすごく「普通の男子高校生」っぽさがあったと思う
ただ、逆に言えば神木くんみたいな声の持ち主がいたとしても深夜アニメなんかには居場所が無さそうなんだよね
書き方が悪くて伝わりにくかったかもしれない
神木くん自身が実写映画でも出ずっぱりなのはその通りなのだけど
アニメ映画には実写の俳優ではなくてアニメの声優を使うべき、みたいな論調があるでしょ
で、「君の名は。」にアニメ声優を使うなら誰だろうって、向こうの増田のコメントにもあったけど、
「君の名は。」の主人公を演じることができるようなアニメ声優がいたとして
他のアニメでも仕事を取ることができるかというと難しんじゃないかなあ
と思ってしまったという話
いやそれは言われて当然でしょ
カンフー映画もダメな役者が演じてる時はカメラ凝りまくるわけよ
まあこれ凝るっていうか誤魔化すためにそういうことをするわけ
ダメな動きははっきり見せない
逆にすげえ動き出来る人なら全身の動きがわかるように撮らなきゃダメ
変なアップとか奇をてらった角度とかアップとか要らない
極端に言えばヒキで全身写してりゃそれでいいとすら言える
先日ニコ動で某MMD動画投稿者が「完成度の高いダンスモーションを借りてカメラを暴れさせるのはモーションへの冒涜」とコメントされまくって新規投稿をやめると言い出した時も思ったけど
こんなん言われて当然だろ
カメラを暴れさせるのなんて誰にでも出来る
神戸牛にヘタクソコックが癖の強い余計な加工したらみんな怒るだろ?
その場その場で誰が1番偉いのか考えろってことなんだよ
一人で作ってるんじゃない時は常にさ
最高の和牛が主役の時は余計なことをせずに素直に焼くの
ダンスと言う素材が1番えらいならそれを生かす、邪魔にならない画面加工だけをするの
自分が1番偉いんじゃない時、
自分が1番に求められてるんじゃない時、
そういう時に主張を強くするなっていうの
そんんぐらい当たり前だろ?
そんなんものによるだろ
ダンスが売りなら正面固定的成分が強まっていくし
そうでなければカメラで凝ることが主役に近くなることもありうる
たとえばBABYMETALだってダンス見せるバンドだから正面固定的だよな
たまにアップとかカットとかするけど動きがわからなくならず途切れないように編集してる
あれダンスの動きがわからない撮りかたされたらみんながっかりするし怒っちゃうよ
そういうこと何も考えず1人よがりに
「この技術すごいっしょ?」だの「俺のことを見て!」だのの了見で
余計なことをするカメラはそれは失格でしょ
カメラマンの展示会に行った。かなり小さい展示会。そこのカメラマンと話をした。行った理由は、自分もクリエイティブなプロになってみたかったから。偶然が起きた。プロになるには~こうするといいんだぁ~という話が勝手に始まったのだ。自慢話のようにも聞こえた。でも、チャンスだと思い、彼の話を真面目に聞いた。
【プロになるには】
プロと話してごらん。
いいものを使ってごらん(多少、高くても。カメラマンなら一眼レフとかかな?)
そして、これを、自分で経験してごらん。これが1番、大事だよ。
プロのいうことが本当なのか?は、実際に自分で経験してみないとわからないよ。
間違っているかもしれないよ。
【あと、これは僕の中で1番、印象的だった言葉】
失敗してもいいよ。
いいものだけ見ろってこういうことか!!!というのを本気で納得した日でした。いいものってなに?と思ってたけど、プロの作品。人気作品、レベルの高いコンクール入選作品。意外と基本的なことばかりだけど、僕はできていない。そういえば、プロに話しかけたのも、はじめてだ。本気でプロのそばに近づいたこともない。作品にも近づいたことあまりなかった。僕はアマチュア作品が好きだった。フリーゲームが映画化するほうが面白い。でも、もちろんプロのほうがハイレベルだ。
なにか大事なことを忘れていた気がする。〇〇になりたい!っていう人がいる。でも、プロと実際に話した人はあまりいないかも。いいものを作っている人のそばに少しでも行く。これも、僕はできていない。そういえば、どっかの本で読んだことある。俺の劇団に見学に来ていいよ!勉強になるよって言ったベテラン役者がいた。たくさんなりたい人がいた。でも、1人しかl実際には来なかった。その1人だけが女優になった。人気女優なんとかさん。
このカメラマン、僕がプロに憧れているのを見抜いていたのかな。小さな個展だったから、長時間、そこにいただけだけど。教わったことを、全部、メモしておいた。プロになるコツを教えてくれるおじさんの目が、キラキラ輝いていたのも、印象的。
最初に書いておくとこれは女性や女優ををdisりたいために書いた記事ではない。そう伝わるのは本意ではない。
この記事はどちらかというとキャラの役目やストーリーの話である。
ドラマの女性キャラが苦手な時がある。それは折角面白いのに恋愛っぽいパートの部分がその面白さを阻害している、と思う時だ。
たまたま先程家族が垂れ流していたドラマを見ていた。「リッチマン・プアウーマン」という少し前のドラマらしい。家族の話と話の展開から、IT会社の天才かつ偏屈な社長と社長の会社にたまたまインターン生として入れた女性がメインの話だと分かった。ドラマは平たく言うと社長を取り巻くビジネスっぽいストーリーと、女性が全く価値観の違う社長と段々打ち解けてったりライバルの女性が現れて一悶着するといった恋愛っぽいストーリーで構成されている。
途中から見たのだが面白く、つい今見てしまっている。だが面白いのはビジネスっぽいストーリーの部分だ。そこの進展に興味があるのに、途中で恋愛っぽいパートが挟まれると一気にテンションが下がる。
とはいえ女性キャラの全てが悪いわけではない。ビジネスっぽいパートで価値観の違う女性キャラが社長に新たな目線から助言し良い展開に進んだ時とかは面白かった。そうして心が通じ合っていくというのは良いと思う。女性キャラが悪いわけでも人の心が動くシーンが悪いわけでもない。
悪いのはそれと恋愛パートを両立してしまうことだ。恋愛だけならそういうドラマとしてみるのだが、両立されてしまうと…。これが社長とインターン生の女と男が逆転しても変わらない。
折角ビジネスパートが緊迫してハラハラしているのに、そこにライバル女性が現れて三角関係!となるとげんなりしてしまう。
しかしそのライバル女性がキャリアウーマンとして悔しがったりするシーンは悪くない。
後女性キャラの性格がビジネスパートの足を引っ張ってると思う。役者の演技の問題ではない。
簡単に言うと…なんだろう、良くも悪くも少女漫画に、月9によくいそうな女子っぽい。感情を表に出し易いというか…。
恋愛ドラマには合ってそうなのだがビジネスパートにいると少し感情的過ぎるというか。
ウィキを見るとには恋愛とビジネスストーリーを意図して両立して描いた様だが、個人的には恋愛パートはいらないんじゃないかなと思ってしまう。
恋愛ドラマは嫌いではないし、ドラマの女性キャラ全ての存在を否定するわけでもないが、悪目立ちしてしまうと折角面白いストーリーを邪魔しているなと感じる。
類似例だとガリレオである。アレは原作小説がミステリーで、小説も探偵役と助手役両方男性だったのに、ドラマだと女性が追加されてしまった。まあ思ったよりミステリーの話を邪魔してはいなかったようには思うが…(ちょっと昔見たっきりだから覚えてない
その辺うまいことしていると思ったのは重版出来とシンゴジだ。重版出来は女性主人公が恋愛するわけでもなく、でも空気になる訳でもない、「出版社のストーリー」をやってくれていたと思…う…(これもドラマを少ししか見てないから間違っているかもしれない…。ただ漫画は全巻読んだのだがこの様な印象を受けた。)シンゴジは美人な女性も出てきたがあれも終始ゴジラを主軸にしたストーリーをしてくれたし、最後も主人公と女性キャラは恋愛オチではなかった。
なんか例に出したものが悉くあやふやで例として成り立っているか微妙だが…兎に角ドラマに恋愛を無闇に押し込むのは面白さの邪魔になるのかもしれないと言いたかった。女性キャラではない、過度な恋愛が邪魔な場合もある。仄めかすくらいなら良いのだろう。ドラマを例に出したのは実写ドラマにそういうのが多く見られる印象があったからである。
あー…でも掟上今日子はミステリーと恋愛だったけどドラマ面白かったんだよなあ…
全てが全てそうとは言い切れない…しかしシンゴジなんかは恋愛人情を過度に演出することをやめてゴジラを倒すストーリーを押し出したからこそキャラの魅力があったし話も面白かった…うーん…演出の問題でもあるのだろうか…
馬鹿な二世がやらかすおかげで二世への風評被害がなかなか凄いことになっているが
アナ雪で見事だった。歌えるし、演技もできる。演技しながら歌える。
それまでは正直二世だなぁと思っていたのだが、認識を改めさせられた。
もう単純に好きです。
父ちゃんの昔の写真見てもインパクトありすぎて似てるのかすら分からない。
歌姫ヒカル、二世だということをもう知らない人が多いのではないかな。
年々、生き写しみたいに父ちゃんソックリだなぁと。鏡を見て何を思うのか。
演技は親より龍平の方が好きかも。
これも若い頃の父ちゃんにソックリ。芯が通ってる演技もそっくり。
これまた父ちゃんソックリ。でももう二世なんて忘れてる人多いだろうね。
いや正直もう二世なんて考えたことも無かったけどね。
この人出ると画面が締まるっつーか、がっしりするよね。
この人出るとなんかこう、やらかしてくれるんじゃないかっていうサービス役者だよね。
でもまぁ一握りなんだよな。
世の中に出ることは他の芸能人よりもボーナスステージが設けられているのかもしれない。
だけどそこから長いこと残る人っていうのは
そうすれば親から与えられた才能が開花して大物になる可能性も高い
だからやっぱ「二世」について考えてみたけど、自分の中で「あんまどうでもいいな」という結論に至った。
好きな二世も居ればそうでもない二世も居る。しかし好きな芸能人も居ればそうでもない芸能人が居る、というだけの話なんだよ。
もう考えるのやめた。
伝えたいことが上手く書けてない気がするので、もうちょっと追加で書く。
そもそも、美人画=美人というのはちょっと違って、ちょっとじゃないか、まるっきり違って、美人画は特殊。
まず、こちらを見てほしい。
浮世絵ではない。
眼球をおさめる眼窩のくぼみ、頬骨、顎の丸み、それを想像できるのはもはや特殊能力だと思う。
だから、フィギュアを作る造形師というのは、絵師以上の才能だと思うんだよ。
そんなわけで、次にやっぱり浮世絵の世界でも美人画は特殊という話につなげていきたいのだけど、そもそもウキヨエって時点で特殊に思われてしまうので、まずその色眼鏡を外してもらいたい。
じゃあ、下の写楽の絵を見てほしい。(浮世絵の中でも写楽は特殊と言われりゃそれまでだが)
https://data.ukiyo-e.org/bm/images/AN00521343_001_l.jpg
ディプレイに表示されたら、右手の親指と人差し指でリングを作り、リングの中に口元だけが見えるようにサイズと手の位置を調節する。
鼻のライン、口のラインから、小鼻の膨らみ、顎にかけての丸みがちゃんと理解できるのがわかるだろうか?
線一つない白塗りの頬に、頬骨がせり出して涙骨とつながってるのが見えてくるだろう。
なんといっても鼻の線どりが見事だ。
最小の線で、小鼻の膨らみを画面につくってる。
小鼻の丸みの中の小さな平面、小さな平面と丸みの連続を見事に!
その線を脳内補完して、延長すると、頬骨、顎、おとがい、すべての凹凸が見えてくる。
いやはや、いやはや、これが写楽!
輪郭線が薄墨色でかなり薄い。
バックは黒なのに、光っている(画面ではわからないが、雲母(ようするに微細な天然ガラス)を砕いたものを敷き詰めてる)。
薄い色の輪郭線と、黒なのに光るバック、これが意味するところは、つまり!
スポットライトがない時代、薄暗い芝居小屋に役者が登場したところ!
窓から光が差す。光を浴びて白塗りの役者の顔がハレーションを起こしてる。その瞬間!
どうだろうか。
恐ろしく写実的であるのに、禍々しく怪しい力を放つ手元、感情がにじみ出た表情、素晴らしく感じないだろうか。
他方、歌麿を見てみよう。
https://data.ukiyo-e.org/aic/images/79632_350913.jpg
どうだろうか?
ちょっとこれは立体造形が難しい。
美人画だ。
アニメの絵のつぶれた鼻を、薄すぎる唇を、あれが実物だったら美人と呼べるだろうか?
否!
同じように、目が大きいほど、二重がはっきりしているほど美人というのは間違いだ。
ところで、この手の記事を書くたびに、浮世絵への情熱に驚かれてる人がけっこういるけど、知り合いのオーディオマニアはもっとすごいよ。
あれは魔道。沼。
続き
でも、顔の印象は春信からかなり変わったのがわかるかな?
出世作は、現代風にいうなら、昆虫図鑑、鳥類図鑑、貝図鑑的な写生もので(狂歌(和歌のパロディ)が入ってたんだけど)、その精巧なスケッチは博物学的にも価値がある。
お化けの絵の師匠から、写生でヒット、で美人画の大家になる、というのは浮世絵の世界ならではな感じで、普通、伝統的な日本画だったら、一派の画風を継ぐのが弟子の役目で、勝手に画風を変えるなんて許されないものだが、そこは画家ではなくイラストレーターたる浮世絵師、バーリトゥードで売れそうな絵にどんどん転身していく。
https://ja.ukiyo-e.org/image/mfa/sc156956
だいぶパッチリ系になってきたのはわかるだろうか。
指の感じもふくよかで、儚げな印象はもはやない。
みんな同じ顔なのに、表情がある。
なぜ同じ顔なのに表情が違って見えるのは、自分には今でもなぜだかわからない。
キャプテン翼みたいな感じだ。
みんな同じ顔だし、喜怒哀楽も同じ顔、それなのに、キャラの区別も表情の区別も出来る。
まず、富士びたい。
江戸の男性陣は生え際フェチで(今でも日本画は生え際にこだわりがあるらしい。個人的にはどうでもいいんだが)
ひたいは狭めで、台形がいいとされていた。
富士びたいをベジータひたいと勘違いしている人が多いが、正しくは、逆台形(ソリコミのヤンキー)の逆である。きれいな台形の額ということである。
あと、歯並びも重要だったらしい。
現代において、正しい噛み合わせとされているのは、上の前歯が下の前歯よりもわずかに手前にかぶさるのが理想らしいが、江戸時代の美人は、上と下の歯がピッタリか、若干下の前歯が手前にくるのを美人とされていたらしい。
そういえば、欧米人には八重歯の可愛さだとかアヒル口の可愛さが理解できないという話を聞いたことがある。
変な歯並びや口のかたちに萌えたりするのは江戸時代からの伝統なのか。
次に、若干マイナーなところで、鳥高斎栄昌をあげる。
歌麿と同様にドアップが多いのと、あと自分が単純に好きだから。
https://data.ukiyo-e.org/met/images/DP142137.jpg
栄昌は鳥文斎栄之という絵師の弟子で、鳥文斎栄之はすごく品がある慎ましやかな女性を描いたのだけど(栄之に比べたら、歌麿が清楚系といってもせいぜい素人JD、栄之のそれはお嬢様)、これまた師の画風とは一転。
(これを執筆しながらわかってきたのだけど、自分は素人もののAVが好きらしい)
このころ、だいぶパッチリ目になってきた。
https://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc221599.jpg
アニメ絵っぽくなってきたのがわかるだろうか?
お次また少しだけ時代進んで渓斎英泉
キーワードは「デカい頭」、「猫背」、「生活臭」、「睫毛すごい」
上睫毛もした睫毛もボーボー、小さい目を少しでも大きく見せようと、ゴキブリの脚みたいに太い付睫毛をつけまくったJKみたい。
浮世絵と萌え絵が同じ進化をたどっているなら、萌え絵の行きつく先はブス専のように思えてならない。
http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/wp-content/uploads/exhibition/2014_yositosi_kunitika/01.jpg
http://morimiya.net/online/ukiyoe-syousai/ukiyoe-images/yoshitoshi/itasau.jpg
それぞれ画題は
「けむそう」「いたそう」
ちょっと前に困り顔メイクがブームになったが、時代は繰り返すのかな。
それ以降については、浮世絵は日本画家(芸術として認知された人々)の系譜とイラストレーター(挿絵画家、広告画家)の系譜に分かれていくのだが、後者についていく。
俺が好きなのは油絵や日本画じゃなくて、版画なので。江戸も明治も大正も昭和も、芸術より商業印刷が好きだ。
有名どころで、竹久夢二
このころになると二重瞼が多くなってくる。
竹久夢二というと、女性の社会進出の象徴的な絵を描いているわけで、
ここでエロ談義ばかりですっかり忘れてたけど、女性の社会進出=快活=二重瞼説に戻す。
しかし、江戸時代でも役者絵(男性の絵)は、ものによってはけっこう写実的なところがあり、最小の線ながらも、顎の丸みやエラの張りかた、小鼻や頬の膨らみかたがわかったりするのだが
(もちろん、それがいいというわけではない。完全にデフォルメしてる絵や、本人無視で理想象で描いてる絵もある。歌舞伎堂艶鏡あたりはかなり写実的。東洲斎写楽なんかはデフォルメしてるものの、ちゃんと顔の膨らみは想像できる。)
女性の顔となると、江戸から明治大正にかけて、ずっとずっと平面の中にしか存在できない顔だなと思う。
顎の膨らみがどうなっているのかわからないし、チークは入っているのに、頬骨のでっぱり具合がさっぱりわからない。
フィギア化がすごく難しそう。
ほぼ同時期にこの手の絵の祖と思われる人があと数人いたんだが、名前を思い出せない。
近くを見ているような、遠くを見ているような、瞳の焦点が微妙にあってないのは、浮世絵の役者絵(男性のね)に近い気がする。
とまあ、瞼が二重か一重かはとにかくとして、眼でモテる方法を教える。
黒目、とくに瞳孔部分が大きいほど、モテるらしい。
黒目が大きいほど、柔和で優しそうにも、セクシーにも見える。
漫画なんかでは、催眠術にかかったような描写のときに、光彩と瞳孔を区別しないで描かれたりする。
古くは、アトロピンという薬剤を点眼することで、瞳孔を広げて美人に見せる術があったとかなかったとか。
薬剤なんか使わなくても瞳孔を広げる方法がある。
簡単に言えば、暗がりである。暗がりで美人に見えるのは、そのせいらしい。
逆にいえば、カラーコンタクトは最悪だね。
せっかく瞳孔が広がっても、レンズの模様のせいでそれが見えない。
あと最初の頃に戻るけど、一重なら、セクシー系を目指したほうがいいと思うな。
日本人は、すごく面食いなようで、内面重視というか、外見によく合致した内面を求めるというか。
まあ、そんなこんな。
せっかく浮世絵というキーワードが出たので、少し浮世絵の見地からコメントを残す。
その前に、この文章のなかでいう浮世絵とは、江戸明治期の大衆画、木版画ということで話を進める。
本当は浮世絵の定義でそれこそ一冊の本が出来上がってしまいそうなので、たぶんみなが一番あたまに浮かぶ絵として、そういうことにする。
おそらく、浮世絵の美人で一番名前が売れたのは、歌麿のものだと思う。
https://data.ukiyo-e.org/tnm/images/C0027082.jpg
他方で、役者絵などは、二重が多い。
https://ja.ukiyo-e.org/image/mfa/sc147410
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/kunimasa005/kunimasa005_main.jpg
役者=歌舞伎ということで自動的に男性になるわけで、女性と男性という違いが大きいので、これをもってどうとはいえないが、とりあえずそれを覚えておいていただき、次の話に移りたい。
(もう少し言えば、役者絵も理想化して描く場合と、写実的に描く場合と、個性をデフォルメを強くして描く場合とがあり、話が違ってくる)
四乃森蒼紫や流川楓を思い浮かべてほしい。
イケメンキャラというよりは、クール=糸目、熱血漢、優男=パッチリおめめでふと眉、という図式である。
藍染惣右介などわかりやすく、当初の優男の時から、敵役に回りクールな性格に変わると目が細くなった。
ここで、仮説を提案したい。
「二重、ぱっちり目は美人を示すアイコンではなく、快活な性格を示すアイコンである」
と。
そして、現代においては、快活で明るい女性が求められている(=二重、ぱっちり目)が求められている。
逆に、ぱっちり目でセクシー系も合わないように思う。
そりゃ、セクシー系の壇蜜だってキティちゃんグッズくらい買っててもおかしくないだろうし、ぱっちりおめめの橋本環奈だってアブノーマルハードコアセックスくらいしてかもしれんが、その容姿にふさわしいキャラというものを、われわれは求めている。
再び、浮世絵の話に戻ろう。
その仮説を検証しながら、浮世絵の世界での美人の変遷について語ろう。
まず、元号は明和の時代、浮世絵が単色や二色摺りから、多色摺りへ変化したときの絵師、鈴木春信である。
多色刷りという技術的な革新もさることながら、女性像も革新的だった。
江戸時代の女性像というのは、それ以前の髪を下したスタイルから、結ったアップスタイルに変化した時代だ。
アップスタイルは女性の社会進出の象徴であり、いなせで粋で大人な女性に萌えていた。
教科書的には、はかなげな女性を描いたことになってるらしいが、端的に言えば、ロリがハードコアに凌辱される絵である。
幼児ポルノは持ってるだけでお縄であるので、持っていないしURLを張り付けることも出来ないが、ハードコアロリ裏ビデオには、おめめパッチリの二重美少女よりも、糸目の薄幸少女がよく似合うと思いませんか!?
春信の絵は、物語性が強く、その絵の場面に至るまでの物語や、続きの物語を想像させられる。
薄幸そうな少女に、極太のデカいものがぶち込まれてる絵を一度みてしまうと、エロくない絵をみても
「このあとされちゃうんだろうなぁ」
と思ってしまう。
http://okunoin.up.seesaa.net/image/IMG20no.189.jpg
https://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc149258.jpg
春信の時代のものは、春画でも相当お高くて(一般に、春画のほうが安い。芸術と自分を騙せば100万でも買えても、エロパロのために何十万もは出す人は少ないんだろう)、春信の浮世絵を買うなら春画がおすすめだ。
続いて、鳥居清長。
https://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc226102.jpg
たぶん8頭身、下手したら9頭身くらいある。
女性を一人だけ描くことはせず、かならず複数の女性が絵に並ぶ。
体型も、表情も、健康的な感じがする。
続く
面白い、とは思う。設定もありきたりではあるが良く出来ている。シナリオに粗さはあるものの、それを誤魔化せるほどの熱量がある。このまま行けば、間違いなく今年一番のヒット作になるだろう。
さて、日本人の映画鑑賞に関する調査によれば、国民の半数は年に一回以下しか映画館へ足を運ばない。(http://research.lifemedia.jp/2015/02/150225_movie.html)
『君の名は。』の客層は、上記の「一年に一度以下映画館で映画を観る客」に学生を加え、そこに僅かばかりの童貞中年オタクを足せば出来上がる。女子高生の休日なんてカラオケ、映画、ショッピングのいずれかで片付くし、童貞中年オタクが新海映画を観に行かないわけがない。こいつらが『君の名は。』で涙を流し、ヤバいヤバいとSNSで連呼しているのだ。
彼らは決して『シン・ゴジラ』を観に行かないし、秋に公開される『怒り』の存在など知らない。『君の名は。』のシナリオの粗さにも気付ず、大満足で家路に着く。素晴らしい。まさにエンターテイメントじゃないか。
しかもアニメは取っ付き易い。実写映画とは違って役者の過去作のイメージもなければ、プライベートでのスキャンダルも関係ない。話にすんなりと入っていける。ジブリのおかげでアニメの地位はぐっと上がり、今やポスト宮崎駿と銘打てば映画は注目される。皆がそれを求めているから。マスコミに言わせれば新海誠もポスト宮崎駿らしい。それは全く違う気がするが、世間的にはパヤオっぽければ何でもいいのだろう。誰も、ポスト高畑勲なんて求めちゃいない。細田、またデジモンを作ってくれよ。
『君の名は。』を観た客よ、頼む。頼むから映画館へ通ってくれ。
パヤオの影だけを追い求めるお前たちが普段から映画を観てくれれば、『6才のボクが、大人になるまで。』ももっと大規模に上映されたんだよ。劇場で観たかったよ……。良い作品が埋もれることすら許されないこの現状はどう映っているんだろうか。日本の映画はどこに向かっているのか。
私には好きな若手俳優が居て、彼が出る舞台をよく観劇しに行っています。
彼の見た目も勿論好きだけど、彼の声や演技が好きで楽しく応援していました。昨日までは。
そんな推しが「私のホストちゃん」の入店テストを受けると知りました。
「私のホストちゃん」とは何なのか分からない人のために簡単な概要を説明します。
★「私のホストちゃん」とは?
客から貢がれる「ラブ」というポイントによって俳優たちの人気ランキングが決まります。
各公演の最後には最も多くのラブを貢いだ「太客」ランキングが発表され、ランクインした上位3名は終演後、指名したホストのオリジナル接客が受けられるサービスが実施されるなど、まるで本物のホストクラブに来たかのような体験ができるというお客様一体型エンターテイメントということです。
まあ簡単に言うと、推しの俳優をホストだと思って貢ぎまくってランキング上位にさせてあげようという鈴木O氏等による低俗な企画です。
このシリーズ、今まで推しが出ていなかったので存在は知っていてもスルーしていました。
面白いって言っている人は居るのであまり穿った言い方はしたくないのだけど、自分の推しには絶対出て欲しくないと思っていた。
こんな低俗なものに時間を費やすくらいなら、他の舞台に出てきちんとした演技を観たいと。
自分の推しには、息の長い素敵な役者になって欲しいと思っているからです。
なので今回、推しが入店テストという名の公開処刑…いえ、公開オーディションを受けると知った時はとてつもないショックを受けました。夢であって欲しいと思ったし、どうしてマネージャーは止めてくれなかったのかと心底落胆しました。
昨日、その公開処刑…公開オーディションがネット上で生放送されたのですが、まあ酷かった。
それに伴うオーディションだったわけですが、特技を披露するまでは耐えられたけれど、上半身を脱げ、と鈴木O氏に指示されてテストを受けている俳優たちが上半身裸になり「エア重量上げ」をした後に何か面白い一言を言えと指示されて指示に従ったり、引き続き上半身裸のままバカなことをやらされていた。
何年も真剣に応援していた推しのショッキングな姿に、これからどうしようと思いました。
みんな、自分の推しがこんなことさせられても大丈夫なの?面白いって思えるの?私は大丈夫じゃなかったから、とてもツラかったです。
入店テストを受けると決めたのは推しだと思うので、推しがやりたいようにやればいいと思う気持ち。
推しが一番だという贔屓したい気持ち。
色んな気持ちでぐちゃぐちゃになりました。
ツイッターを眺めていたら、推しに投票して舞台に出させてあげませんか?といった投稿がリツイートされていた。
マジで出て欲しいですか?
ねえ、あなた、推しが舞台に出れることになって、何万も何十万も貢げますか?
あなた、沢山お金を落とす覚悟があって声掛けしているんですよね?
これだけの醜態をネット上で晒してしまった推しが、オーディションに落ちたら落ちたで相当ツラいのですが、いっそ落ちて欲しいと思っています。
応援したい気持ちは山々です。推しだって出たくてオーディションを受けたんです。でも無理です。
世間では推しに出て欲しくないという声が多いんです。
推しのことを好きじゃない人も、彼は出なくて良かったんじゃないかと言っているくらいなんです。
彼は自分の価値を見誤っていると思いました。どうして出ようと思ってしまったんですか?
私は今回の「私のホストちゃん」には関わらないと決めました。
昨日の公開処刑も、観なきゃ良かったなあと心底後悔しています。
どうか推しが受かりませんように。
わかってないな。
そのまんまでやれるわけねーだろ
舞台を外国にして役者を外国人にしたら済むと思ってんのか?頭使え?
そんなんで二度美味しい思いが出来るなら日本に限らずどこでもそうしてるわな
そっくりそのまんまで、配役と CG だけを変えろ、と言っているの。
ば~~~~~~~か
さらに言えば、「そうするべきだ」という意味じゃない。「そうするべきだ」というのは、言葉の上だけ。
そうする方が儲かることも気づかないぐらい、国内市場優先でノミの心臓だということがわからないのか、と皮肉っている。「金儲けの仕方も知らないのか、この間抜け」と皮肉っている。
なのに、儲け方を知らない自分が皮肉られていることも気づかないのか。おめでたいやつだな。鈍感すぎる。そんなことだから、いつまでたっても、金儲けの機会を見失ってばかりなんだよ。
ニートのアホアホビジネスプランで「皮肉られているんだぞ!」とか喚いてる奴が居たら
そりゃお前はお前の脳内では最強のアイデアマンで最強の軍師なんだろうけどな
某旧帝大学生、センターのリスニングは42/50点(これが良いかどうかはさておく)、TOEIC/TOEFLは受けたことない
外国人の喋ってることが全く聞き取れないで苦しんでる
特にメジャーの中継とか解説が色々言った後実況と一緒にハッハッハッって笑ってるのに全然何言ってるのかわかんなくて笑えないしやばい
聞き取りできる順に、
=聞き取れる壁=
=まぁ聞き取れる壁=
=担当者によっては聞き取れる=
=無理=
メジャーリーグの中継
こんな感じ
というわけで分析
よくある順に、
語彙力が貧弱といえばそうなんだけど、文章だと前後の文で分かってしまうので、「前の文」しか流れてこないリスニングだと、「後ろの文」を聴いている間に「さっきの単語の推測」まで行うことは難しい
単語と単語の間を詰められれば詰められるほど脳が溶けていくのが分かる
知ってる単語2つでも間合いが詰まると未知の単語1つに化けていく
would=ウッド
will=ウィル
と覚えてると外国人はどっちも「ウッ」となるので聞き取れない
さらにはhaveはhasにもなるしhadにもなるし、見た目だと一瞬で判別できるけどリスニングでブチ込まれると混乱しかもたらさない
he isとhe hasの違いとかでぶっ壊れたりするのは読解じゃあり得ないけどリスニングでは茶飯事
助動詞は時制とかに繋がってくるのがうざい
助動詞、それからhaveの含まれる文章がダダーッと流れてきて「はいこれ未来形」「はいこれ過去完了」「はいこれ仮定法過去完了」と変換するのは難しい
andとか。
I'd like to...
を「ァライクトゥ」と聴いてしまうので、
..like to..
最低でも「ッドライクトゥ」と言って欲しいが奴らは「ァァライクトゥ」とか言ってくる
日本のアナウンサーが「わっわっ私もそう思います」とか「かっかっ彼は、彼は……」とか何度も言ったら池沼扱いだと思う
しかし外人アナウンサーは平気で「アッアッアッアイスィンク」とか言う
whichとかthatにマルをつけて、従属節がどこにかかってるか図示する方法がリスニングでは使えない
よってどこに何がかかっているのか謎化してしまう
ある程度ヤマを張って文脈で判断することが出来なければ一文丸ごと意味不明になるので白目をむくほかない
途中まで聞き取れていても、主語ねぇ、時制わかんねぇ、メインの動詞が意味わかんねえ、後の文は総崩れ、という状態で崩壊してしまう
役者の台詞とかならこういうことはあんまりないけど、普通の英語圏の人の会話には全くついて行けない
「アム……アッアッアッアイアイアイスィンク……faweiojaf;woiea3h;adfja;……イッイズじぇ;をいあfjをいえ……」
って感じ
「副詞」「助動詞」「助詞」とか「仮定法」「時制」「未来・過去」とかそういう名前をペタペタ一つ一つの単語にはりつけていって分類し構文を脳に流し込むという教育が悪かったんじゃないかと思う
ネイティブが喋る速度と同速度でその会話文に「はい主語、はい助動詞、はい動詞、はい時制はこれ、メインの文はこれ、従属節はこれ」って解析していくのが間違っている
もしかしてそれを期待して読んだか?
残念ながら解決法は見つかってない
おそらく解決するにはネイティブが喋る速度と同じ速度で「主語→(助動詞が来るかもしれない)→動詞→動詞の指す内容→主語→……」が常に流れてくるということを体で覚え込むしかない
時制をぱっと判断しようにもhaveが高速で流れ去るし、時制判断を行った直後に動詞が来るから判断に時間をかけていると肝心の動詞が抜け落ちる
キレそう