はてなキーワード: 地名とは
地域密着型のJリーグって言うけどさ、この構想を打ち出した人は弱いチームを持つ地域のことを全く考えてない。
毎週毎週NHKの地方局等ローカル番組のスポーツコーナーで「では今日の○○(地元チームの名前)の結果は~何対何で敗れました」なんて聞かされる地元民の気持ちにもなってみろ。
サッカーニュースを聞く時は「はいはい今日も負けたんでしょ。放送しなくても分かってるよ」って思いながら聞いてるよ。
ローカルテレビ局のアナウンサーが「降格圏ですが、まだ残留のチャンスはあります」って力強い言葉で視聴者を鼓舞するんだが、それを聞いて「そんなの無駄無駄w」って虚無的に笑ってるわ。
チーム名に地元の名前が入ってるから質が悪い。新聞やネットでは、その地名を挙げられて「○○弱い」「○○負けた」と記事にされる。
こういうのほんと嫌な気持ちになるし、こんな毎週「負けた」「弱い」「降格」という言葉を聞かされて、その地元の子供がサッカーを新たに始めるわけないだろうが。地域密着が本末転倒になってるわ。
これ絶望的なのは地域の魅力度がそのまま地元チームの強さにつながるところなのよ。
チームを持ってる企業(たいていは地元の大企業や地元出身の経営者)やスポンサー企業の資金力が強さにつながるのはもちろんのことだが、それ以外に田舎のチームが実績ある強化選手を獲得しようとしても「そんな田舎だと子供の学校に困るから」とか「妻が嫌がるから」とかで断られる。外国人選手は常に家族で暮らすのが当たり前だから家族の生活が優先される。田舎には魅力的な私立の小学校もインターナショナルスクールもないからね。都心部から通う交通アクセスも弱いし。こうして魅力度が低い町のチームは強くできない。つまり弱いチームのある地域は寂れた町だ。こういう事実が地域密着型のJリーグのせいで毎週弱小チーム地方民に突きつけられる。別に「寂れた町」というのは事実だから仕方がないが、Jリーグのせいで「毎週つきつけられる」というのがポイントであって気分がめいる。
次に比較としてプロ野球を挙げるけど、最近になってプロ野球でも地域密着という言葉は使われるけど、そもそも全国に12チームしかなく、ホーム球場がある市県だけでなくて全国からファンを集めようと活動してるからJリーグのようにギチギチに地域住民が縛られるようなことはない。
またプロ野球は、格差のない2リーグ制で6チームのリーグ戦で135試合あるから、弱小チームは負け続けるだけのJリーグと違って、弱いチームでも負けっぱなしということはない。負け試合でも、ホームランや奪三振など個人の活躍を楽しめる。
最下位になっても降格はないし、最下位チームからホームラン王や最多勝投手が出るなど、弱小チームのファンでも個人の活躍を楽しめる。非常にファンに優しい興行スポーツだと思う。
しかしJリーグは酷い。さらにチーム数を増やす気でいるという。チームが増えても、上位チームに搾取されて、地域格差が露見して日本の分断を深めるだけだよ。
結論から言うと、やや勇み足だったのではと思う。お前誰だよって話だが、ただのしがない一町民である。
美瑛町によると、実際は町の病院を経ずにドクターヘリで旭川の病院に直接搬送することがあるという。放送後、町議がフジテレビに「実態と異なる」と電話で指摘したところ、12日に番組関係者が来町。角和浩幸町長が「フィクションとはいえ、医療過疎、住みにくいという印象を与えて残念だ」と抗議したという。
https://news.yahoo.co.jp/articles/52f840229039f3f4f4caff46e37bef41e950a2e7
そんなに適当なもんを作ったんか、まああってもおかしくねえよなフジだし(偏見)と思って、試しに一話を見てみた。
指摘部分に係わる話の流れはこう。美瑛のロケ地で体調を崩した子役の女の子。救急車を呼ぶか迷うも、最寄りの病院までは一時間の距離。救急車が来るにも時間がかかるということもあり、女の子とその母親はスタッフ(?)の運転で町の病院(美瑛記念病院、モデルは美瑛町立病院だろうか?)に車で向かっていたが、その途中で嘔吐、さらには吐血と容態が悪化した。焦った母親は町の病院に電話をしたが、母親は気が動転していて情報を伝えられず、電話を受けた若い医師も、母親を落ち着かせるような話術の訓練が足りていなかった。一旦は町の病院に運ばれ状況をみたが、大きい病院に運んだほうがよいという判断がなされ、道北医科大学病院(おそらくモデルは旭川医大だろう)に搬送され救急が行われるが、小児専門の外科医がいないために根本的な治療は行えなかった。ドクターヘリで北海総合大学病院へ搬送されるも、そこのPICUは救急を受け入れられず、残念ながら女の子は亡くなってしまう……。これが数年前の話。
美瑛旅行中に車中で苦しむ女の子を偶然目撃していた主人公は、小児科の医師として働いていたが、突然の辞令で丘珠に新設されるPICUに配属になり……という風にお話に関わってくるのだが、そこは割愛。
まず指摘からいくと、美瑛町内から町の病院まで1時間というのは、ロケ現場がかなり奥地だったとしても、ちょっと盛っている。北海道の車で一時間はだいたい道のりで50kmぐらいである。美瑛町内だとほとんどの場合ぶっとばして30分以内だと思う。が、まあフィクションの範疇で済むかなと思う。(追記あり)
ただ、それを別にすれば、別に話として破綻はしていないと思った。たしかに、初手から救急車を呼べていればドクターヘリを現地まで呼ぶなり別の対策があったかもしれないが、当初は救急車を呼ぶかどうか迷っていた程度の容態だし、救急車を呼ぶのに躊躇した理由についても「救急車を呼ぶと結局倍時間がかかる」と言及があり、(それが本当であれば)車で送ることを選んだ理由になっている。町の病院に運ばれるまで大きい病院に送る判断ができなかったのも、母親と医師とのコミュニケーションがうまくいっていなかったことで説明がつくし(ここで原因を医師の腕のせいにせず、情報の伝達がうまくいっていなかったとするのも巧いなと思う)、そもそも全てが上手く行っていたとしても、道内に救急を受け入れるPICUはなかったのだから、結果が大きく変わらなかった可能性は高い。登場人物全員が全員なりに良いと思う選択肢を取ったが、それでも救えなかった、という理由付けがかなり丁寧になされていると思う。
町の病院まで一時間は盛っていると思うが、そこから旭川の病院まで20分というのはかなり正確な数字で、ちゃんと北海道の地理を調べて設定を作っていることが伺える。美瑛からちょっと車で走ったら函館に着いたどこぞの映画とは大違いである。
なので、"町の病院を経ずにドクターヘリで旭川の病院に直接搬送することがある"という町議の指摘は、この話への指摘としては不適当だと俺は思った。そういう選択肢があったとしても、この事例では結果として使うことができなかったのだ、という理由がしっかり説明されていると思うし、見ている人にも伝わると思う。実際の地名使っておいていい度胸してんじゃねーかと見る前は思ったが、見終わったあとではべつにそういう感想は出なかった。つーか普通に良いドラマだ。みんなフジの月9だと思って毛嫌いしないで見た方がいい。安田顕がかっこいい。
まあ、でも、コレを見て、「美瑛って旭川の隣なのにクソ田舎でろくに病院も無いんだな」と思われる可能性は大なので、そういう意味で「医療過疎で住みにくいという印象を与え」という町長の言はまぁわかる。実際俺もこれが地元だったから違和感を覚えただけで、アメリカの話だったら「アメリカってそうなんやー」って思うもんな。まあフジテレビも「住みにくいと思われるだろ」と言われても困るだろうが。
あとこれは余談だが、美瑛は意外と医大も日赤も近く、それでなくても旭川の隣なので、道内でも医療へのアクセスはかなり恵まれているほうではある、という事情があるし想起できるところなので、女の子の一件の舞台(兼、主人公の旅行先)として美瑛を選んだのは単純によくわからない。知床とか、それこそ離島あたりにしとけばツッコミの余地もなく最寄りの救急病院までも遠い、という状況は作れた思うが。それだと最初からドクターヘリ出動に考えが及ぶから逆にリアリティに欠けるとか、単純に映える景色が欲しかったか、ロケが楽だったとか、そういう事情なのかな(旭川空港に近く、羽田からのアクセスが良い)。
と、ここまで書いて、こんな記事も見つけた。
こうした声を、美瑛町はどのように受け止めているのか。あらためて美瑛町役場総務課に聞くと、フジテレビ職員との話し合いがあったことは認めたが「報道では抗議という表現されているが、フジテレビ様のほうから、うちのほうにご来庁されて、その話(ドラマの内容について)の説明があった」と、報じられているほどの苛烈な声明ではなかったという旨の返答があった。
道新とsmartflashどっちを信じるかは難しい問題だが、これが事実なら、町議がやや暴走しただけで、フジの人はわざわざ説明に来てくれた誠実な人で、町長は建前上否定的なコメントを出しただけで、道新がそれを恣意的に美瑛がキレてるかのように記事を書いただけの可能性が高いな……。フジを叩くつもりでこの記事を書き始めたが、道新の株が下がる結果となったとさ。ちゃんちゃん。
【追記】
「美瑛町の1次救急体制として、救急車が到着するまでに2時間もかかるということはあり得ません。さらに、救急医療に関しては、ドクターヘリの運用も含めて、旭川市とも連携しており、美瑛町内の病院を経ずに、旭川の病院に救急搬送する体制があります。フィクションとはいえ、子育て世代などの移住定住政策を推し進めている中で、実態とは違う表現で、美瑛町の小児医療体制が整っていないかのように描かれ、マイナスイメージを持たれてしまったことは残念です」
https://news.yahoo.co.jp/articles/6e4a71eefb3d01a78af41868147aea1bce2f2427
記事内にもあらすじの説明があり、前半はまっとうな指摘であると思う(ただ、救急車が到着するまでに2時間というのは不正確な表現で、劇中での説明は、片道一時間だから、救急車が来て病院に患者を運ぶまでに往復で2時間、ということだろう。救急車が一般の車の半分の速度で走るわけがない。ただ、どちらにしろ1時間かかることもまずあり得ない)。コメントにもあったが、俺はフィクションで済むと判断した部分だったが、誤った印象を与えるとして、町として抗議したのだと思う。
後半の指摘については的はずれだと思う。どれだけ体制が整っていても、母親とスタッフは救急車を呼ぶという判断をしなかったのだから、病院にできることはない。そして、片道一時間という設定を受け入れてしまえば、大人たちが救急車を呼ばなかった理由にも一応の理屈は立っているのだから(あくまで理屈が立つというだけであって、正確には容態が急変した時点で車を止めてでも119して指示を仰ぐのが正しい判断だろうと思うが)
「ドラマにおける町の描写は医療過疎、住みにくいという誤った印象を与えかねず、現実と乖離しているため、遺憾の意をフジテレビ側にお伝えしました。町から隣の旭川市の病院までは車で30分まで移動ができ、1時間以上かかることはありません。町としても医療体制や救急搬送には力を入れています。ドラマであった患者のたらい回しみたいな事は起きておりません」
https://news.yahoo.co.jp/articles/0edd3e9afa7f989125e0eac6303a312fecf5ee9e
こっちの記事はひどい。
「旭川市の病院までは車で30分」については、上で言及した通り、「美瑛記念病院から道北医科大学病院まで20分」とあるのでむしろ正確である。
「患者のたらい回し」についても、女の子の症状は最初は体調不良かと思われたのだが、どんどん容態が悪くなりPICUの必要があることがわかってきた、という筋書きであって、たらい回しにされたわけではない。
なんで2日続けてこんな内容の違う記事が出るんだ。担当者のコメントの内容がまるで違うので、同じ人物が書いた記事ではありえなく、どっちかは(あるいはどっちも)ろくに取材もしないで書いたんだろうと思う。たぶん記事のペラさから見て下のほうなんだろうなあ。一応ソースもあたってみたが、記者名は当然書いてなかった。日刊ゲンダイも信用できねーなぁ。
あとは余談だけど、この記事で(おそらくただのいちゃもんとして)あがってる、稚内の医者を訪問するとき普通列車で行くか?という指摘。西稚内駅は架空の駅なので、稚内まで飛行機で行ってから、駅弁買って宗谷本線(的な架空の路線)に乗ったという理屈は、まあ普通に立つ。こういうところを見るに、ちゃんと架空の地名を作る配慮が無いわけではないんだよなあ。なんで美瑛は伏せなかったんやろ……?それで全部丸く収まったのに……
アメリカ人の友達「偽物の教会で、お葬式の曲が流れる不思議な結婚式に出たのよ」「それ、日本の標準的結婚式です…」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1956479
これはつまり「ブライダル業界の結婚式」だが、なんでこうなったのか?。
今主流のこういう結婚式の始まりは1970年代なんだが、その元は60年代にある。
日本のイエ制度は明治に出来たようなもんだが(武家を除く)、昭和初期には堅固なものとなり、更に国家と天皇がイエに擬製されて人間はそこから逃れる術はほぼ無かった。ゲマインシャフトと国家有機体論の合体だ。
戦争に負けるとおせっかい焼きのアメリカが自由の形だけを作って置いていった。国家権力だけは縛ったからあとは勝手に使うがよいと。
それで戦後も時代が下り生活レベルが向上すると段々と生活や人生上の自由が増大化していった。
イエというのは家督であり、継げるのは長男一人だけだ。しかしその他の女子や次男以下も生き方が制限された。
長男は適齢期になると親が勝手に縁談をまとめて「あの家の娘と一緒になれ」。断った場合は勘当されて死ねと言われる。
次男以下は中学(尋常小学校)を出ると「小僧」の勤め先を親が決めてくるので、そこに入る。小僧っていうのは商家に住込みの店員見習いだ。然程の長時間労働ではないが「仕事」ではなくて24時間主人に仕える事が求められる。全人格労働だ。
こういう風習があったので会社勤めが一般化しても昭和中期まで独身者は会社の寮に住込みが基本だった。勿論集団生活で雑居だ。プライバシーとかいう事を気にする者はアメリカかぶれの不良である。
女子は妙齢になるとやはり親が勝手に嫁ぐ先を決める。断るのはアメリカかぶれの不良である。そもそも断ると生きていく術が無い。本人が何とかなっても家族が村八分になる。
商家に女版小僧として働くというケースもあった。勿論住込みの全人格労働だ。これも妙齢になると主人が見合いの相手を見つけてくるので恋愛期間なく結婚せねばならない。
戦後生まれの団塊世代が成人する60年代末になると都会ではそういう古いイエに縛られない核家族が増え、子供用個室が出来たりもした。
でもそれは都会の話で、田舎の方ではまだ古いイエに縛られたままの人間が多かったのだ。
例えば中島みゆきの『ファイト』は1982年の歌だが、「薄情もんが田舎の町に砂かけんのか、出てくならお前の身内住めんようにしちゃる」と言われて長距離切符燃やそうとしたが出来なかった。東京行の文字が滲んだ切符をまだ持ってる、っていう節がある。
なんでこんなキツイ歌詞を考えつくの…と思うがこれは中島みゆきの深夜ラジオに送られて来たリスナーのハガキの内容を切り貼りした歌詞なんである。
つまり1970年代末~1980年代頭にもこういう思いをした人は居たという事だ。
「ファイト」の語感だけで元気を振るう歌だと思っていると衝撃を受ける事と思う。苦難や挫折が生々しいのだ。
勉強を頑張って東京の大学に進む事が出来るように先生に親を説得してもらう(余計な勉強なんかして更に大学に進もうなんて親不孝のアメリカかぶれの不良である)。
集団就職に参加する。
一度商家に入り、数年奉仕し18or20歳の年齢制限をクリアして暇を貰い、水商売に入る(増田の親のパターン。単に不良である)。
そういう状況だったから古い世間では自由恋愛=不良であった。それは流行恋愛歌に乗せられて人の道を踏み外すアメリカかぶれの不良である。
一方、若者からすれば自由恋愛とは誰と恋愛してもいいよという状態の事だけじゃなくて因習から逃れる解放のテーゼだ。
人は好きな人と結ばれる権利がある。それを称揚すべきである。ロマンチックラブイデオロギーだ。
そういう訳で沢山のフォークソングで自由恋愛が称揚されるようになった。1960年代には社会への異議申し立てという歌詞が多かったのが、70年代になると安保闘争の挫折も相俟って現状肯定、恋愛称揚などのポジティブ系にシフトしていく。
有名なのが吉田拓郎の『結婚しようよ』1972年で、僕の髪が伸びたらチャペルで結婚式を挙げよう、というもの。
チャペルはキリスト教会の礼拝場の事なのだが、実際に多く使われるのはミッション系大学の礼拝場だ。要するに学生結婚したいねという欲求を惹起する歌だ。
もう一つ有名で披露宴でも使われるのがチェリッシュの『てんとうむしのサンバ』(1973年)で、夢の国の森の小さな教会で結婚式を挙げました、という歌詞。
こういう曲のヒットにより「小さなキリスト教会での挙式」というのが憧れとなり、実際にミッション系大学併設の教会での挙式が多く行われた。因みに式の前に洗礼を行って形だけでも「キリスト教者」になっておく。
ただ、ミッション校の教会は限られていてパイが少ないし両方の親族が沢山来たら礼拝堂に入らない。
でもそれがまた「イエvs.イエ」の結婚式へのアンチテーゼとして働いた訳だ。
なんでキリスト教会なの?と言えば、それは第一に西欧への憧れであり、第二に「日本古来の神式、仏式でないから」だ。神式、仏式にはイエの因習の表象をまとっていた。
今は厳かな神式も人気で特に鎌倉鶴岡八幡宮の舞殿で行われる神前式は人気だ。これには団塊/全共闘の残した軽いノリへのアンチテーゼで権威的なものを好むというテイストもあるだろう。
でも今の神前式を選ぶのと60年代の仏/神前式は意味が違うのだ。現代のは一度因習との結びつきが嫌われて廃れ死んだ後に、「博物館入り」して個人にとって安全になったものだ。安全になったので「自由意思で選択」しているのである。
「花嫁は夜汽車に乗ってとついでいくの」という『花嫁』(はしだのりひことクライマックス 1971年)なんか歌詞をよく確認してみたら駆け落ちなのな。こいつを披露宴で掛けるのはヤバそうだ。
それ以前の結婚式は仏式/神前とあったが、特に都市部だと著名な特徴があった。
それは「祝言(しゅうげん)として能の演目『高砂』の一節の謡いを仲人がやる」という事。俗にいう「高砂や~」である。
https://www.youtube.com/watch?v=Zm1Se2fRnvU
これをこの調子で仲人が謡う。これは都市部では必ずやる。絶対にやる。だから仲人はこの祝言を暗記して慣れない能の謡い方を練習した。それを笑った落語もある。「高砂や~」って練習してる時に「とうふ~」と豆腐売りが来ちゃって混じって覚えちゃうのな。
これは恐らく江戸時代後期には一般化していたと考えられるが、廃れた時期ははっきりしてて団塊世代の適齢期だ。
ちょっと脱線だが老松町という地名があったり地名変更で無くなったが祭りの町内会名や祭りの神輿や山車の提灯なんかで出てきたりする。
でも昔は結婚式では「必ず」高砂の祝言を謡ったのだ。『高砂』の内容とは、神主が兵庫県の高砂で老女老男に出会い、我らは片や高砂の、片や大阪市住之江区の住吉大社の老松だと言われる。小舟に乗って去った老夫婦の後を追って船で住吉に向かうと、住吉明神が神々しい舞を見せた、というものだ。
まぁ今は埋め立てで遥か内陸になってしまって阪堺電軌じゃないと行けませんがね…。
この「老松」なのですよ。昔は結婚式で必ず仲人が高砂を謡った。故に門出の歌なのですな。
関東大震災で下町が壊滅すると多くの人が板橋区とか池袋、世田谷、杉並などの郊外に移り住んだ。すると農村の人口が増えて村から町になり区画も分割される。そこでめでたい瑞祥地名として新婚の門出と長寿と願って老松町というのが増えた。
でもその後字面が年寄臭いって事で消えてしまった。『高砂』が廃れた現在から見るとやっぱ年寄臭く見えるけど、それは習俗が途絶えて常識が消えたせいなんでありますな。
会場が教会だったり披露宴でフォークソングとか歌うし高砂やはやらないしで、この新しい結婚式に保守的な人らは憤慨していた。
どのくらいかというと、わざわざ入試問題に新型披露宴を批判したり、親戚のオヤジがマイクを渡されてフォークソング披露宴への憤懣ぶちまける説教演説したのを現代文の問題で出したりするくらい。そんなのを入試に出すなよ。過去問としてアーカイブされて10年以上参照されるんだぞ。
しかし芸能人などが次々とキリスト教式で挙式するようになる。するとこれは大きな需要であるから「ブライダル業界」が立ち上がり、洗礼とかがない宗教的に気軽なキリスト教式結婚式を提供するようになったのだ。それまでは互助会のような組織が主だった。
ホテルなどでの挙式よりは断然安い。しかし教会での式よりは断然高い。
だから団塊のイエへの抵抗から始まったブームが大きくなって70年代中頃に業界化し、80年代には完全に一般化してこっちが主流になったのである。だが80年代には色々行き過ぎて珍妙な式が行われており、それでまた年配者の顰蹙を買ったようだ。ハイジみたいなブランコで新郎新婦が登場とかラブソングカラオケ熱唱とか色々おかしい。
だから「なんで偽物の教会でやるの?」と聞かれたら「それが昔は近代的な解放だったんだよ」「その意味が社会から消えても形式と業界がそのままになってるんだよ」「貴方の国の若い人らもハングルやひらがなを混ぜて書く事があるけど、それも同じ抑圧からのサブカルチャー的解放の意味があるんじゃないの」と言えばよい。
それとは別にやっぱあの形式の結婚式にはダサさを感じるし、偽物の教会も中途半端で教会建築への理解の少なさが出ちゃってる。標準的形式の練り直しはすべき時期かもしんない。
上大岡という地名を入力しようとするとき、「お」が何回も続くので、心の中で 「かみお・お・お・か」と区切りながら入力する。
でもふと、「かみお・お・お・お・か」と「お」を4回入力して変換してみたら、ちゃんと上大岡が候補に出てきた。
上の結果はWindows10のIMEで、Androidでは上大岡は候補に出てこない。
Windows優しいな、それとも甘いのか
素麺といえば、個人的には島原半島産のものということになっている。これは単に、同地に私の知己の人がいるので、贈答品として頂戴して食べる機会が多いからに過ぎず、別に他の産地のものが品質的に劣ると思っている訳では無い。なお、頂くだけでなく、ちゃんと自腹で買うこともある。
最近では、女優の満島ひかりが南島原市の公式PR動画に出演したことが、彼女の怪演技の甲斐もあって、ネットでも話題になっていた。ひょっとしたら、それを観たことがきっかけで島原手延べそうめんのことを知ったという人も、世の中には存在するかもしれない。
島原半島の素麺作り産業については、以前に聞いた話だが、島原の乱によって人口が減少した際、江戸幕府が肥前の国の外部から移住者を募り、その中に瀬戸内の小豆島出身の人々がいたことから、彼らが島原半島に素麺作りの技術を伝えたとのことであった。しかし、それはあくまでも民間伝承であって、確固とした史料が有る訳では無いとも聞いた。
史料の有無や民間伝承の真実性は、専門家ではないから判断する由もないが、この小豆島由来説を何とは無しに信じている。それは、小豆島由来説が語られる際に、同時に「島原半島は、瀬戸内海と気候が似ているために、素麺作りに適している」と語られることにも一因があると思う。
中央部にある雲仙普賢岳や高岩山(たかいわさん)、島原市のすぐそばに在る眉山(まゆやま)、これらを除けば開けた土地が半島の大部分を占めるように見える。そのために、気候がカラリとしているように感じられる。これで「島原半島は瀬戸内海に気候が似ている」と言われれば、一定の説得力を感じて小豆島由来説も信じられる気持ちになる。特に海岸線の近くではそうである。
この島原半島の南部を訪れた時、島原鉄道を利用したのは、ずいぶん前のことになる。これは、諫早市と半島の北部〜東部〜南部を結ぶ、左右反転のC字形に半島の外周沿いを走るローカル鉄道路線である。あった、と言うべきか。現在は、半島東部の島原市までしか列車が走っておらず、島原市よりも南の地域は部分廃線となっている模様である。
現在は市町村合併によって南島原市の一部となっているが、旧名・西有家町という町が半島南部には存在する。この町で島原鉄道の駅に私が降り立ったのは、別に観光などが目的という訳ではなく、不覚にも乗り物酔いになり、気分が悪くなって一休みしたかったからである。
「そうめんの町」という文字が建物の壁に掲げられた無人駅舎のベンチに少し横になり、冷たいジュースを飲んで落ち着いたは良かったのだが、あいにく、次に乗り直す列車を一時間は待たねばならなかった。手持無沙汰の時間をつぶすため、駅の直ぐ傍にある神社へと行ってみることにした。境内へと登る階段は、文字通り駅舎の目と鼻の先にあり、その長さは数十メートル程と短かったが、勾配はかなり急であった。島原半島の南側地帯には、海の近くで小高い丘陵や崖になっているような場所が、幾つもある。この神社があるのも、そうした丘陵の一つであった。
別に有名な神社とかではなく、少し田舎ならば何処にでもあるような、何の変哲もない小さな神社である。境内へ登る階段を跨ぐ鳥居は、その神額に「天満宮」の文字があったから、主たる祭神は菅原道真公で間違い無い。これは、グーグルストリートビューでも確認可能である。確認した。技術革新、すごい。
よほど小さなところでない限り、神社は大抵、主祭神だけでなく配祀神も同居している。その天満宮で私は、時間だけはたっぷりあったので、主祭神・配祀神のいずれの社殿にも平等に五円玉のお賽銭を捧げて「この後、乗り物酔いが酷くなりませんように」とゴニョゴニョ唱えながら参拝した。それを済ませると暇つぶしに、私以外には人の姿も無い境内を、気ままにぶらぶらしながら鳥居などを観察したりして過ごした。どの鳥居も、冠木・貫・木鼻に沢山の小石が降り積もっていた。素朴な民間習俗を今でも伝える地元民が、願い事の成就のために投げ上げたものであろう。
配祀神は、鳥居の神額に「大神」という文字があったと記憶している。「大神」は「オオミワ」と読むのであろうと思った。残念ながら、天下のグーグルストリートビューでも、この天満宮の境内の中までは確認が出来ない。「大神」の社殿は、主祭神との差を感じさせない程度の大きさはあったように思う。
神社でオオミワといえば、その大元へ遡れば無論、奈良県・三輪山であるが、その地は素麺との縁が有る。素麺の祖先は、奈良時代に唐から伝来した食物・索餅(さくべい、見た目はチュロスに似ている)とする説が一般的である。これを模倣して作ることが、最初に我が国で始められた場所が、他ならぬ三輪山の麓周辺なのだと言われている。「すべての道はローマに通ず」ならぬ、「全ての素麺は三輪山へ通ず」といったところか。
それらのことを知った影響で「移住者から素麺作りの技術が島原半島に伝えられたのに伴い、我が国内における素麺発祥の地・三輪山から神も一緒に来たりて、分祀されたものであろう」と考え、小豆島由来説を信じる気持ちも補強されたわけである。
しかし、素麺伝来の機会や小豆島経由以外の理由でも、この地に「大神神社」が分祀される何らかの歴史的な要因があったような気がしてならなかった。結論から先に言えば、これは単なる私の勘違いだったのだが、兎も角そのような気がして記憶を手繰り寄せたところ、風土記の一つである『肥前国風土記』にある、次のような記述を思い出した。
景行天皇が、現在の熊本県玉名の辺りに行幸した時、そこから有明海を挟んで島原半島の方を見て『あれは島か、それとも陸続きの地か』と疑問に思い、使いを送って調べさせた。すると、土着の神が、天皇の使いを出迎えて歓迎し、天皇に服属する意志を示したという。
この時に派遣された使いの名前を「大神宿禰」と、私は誤って記憶していた。この覚え間違いが、大神神社の島原半島に分祀される歴史的な要因があったような気になった原因であった。しかし最近、自分の記憶を頼りに人魚の話やら南斗北斗の話やらを書き散らしたところ、ブコメ等で鋭い突っ込みを受けて大恥をかいたため、今回は手持ちの岩波書店・日本古典文学大系版『風土記』を参照した。その結果、私の記憶違いに過ぎなかったことが判明したというわけである。確認は大事。
残念ながら、天皇の使いの名前は「神大野宿禰」とあり、読み仮名も「かむおほののすくね」としてある。しかも「他に見えず系譜不明。ミワ(神)氏の支族ではあるまい」とまで注釈が付けられている。これでは、妄想を膨らませる余地も無い。
もしも「大神宿禰」という記述だったならば、その時は大変であった。きっと私は「もしかしたら、三輪山の祭祀を司るミワの支族に連なる者が、古代に島原半島を訪れていたのかもしれない。この縁によって、大神神社が島原半島に分祀されたのではないか」とか何とか、思う存分に妄想力を発揮していたことであろう。間違いを防止できたから安心しても良いはずなのだが、その気持ちよりもむしろ残念な気持ちが強い。それほど、自由な妄想とは魅力的なものということである。
さて、私は雲仙岳には登っていないが、その直ぐ近くの高岩山には、地元の人の案内で登ったことがある(この時は、まだ火砕流などの火山活動が沈静化したと認められておらず、雲仙岳の登山が再開されていなかった)。登山ルートの途中にある樹林の中や山肌には、家屋ほどの大きさがある巨大な岩石がゴロゴロと有った。これほどの大きさの岩石群であれば、それらを見た昔の人々が、信仰の念を山や岩石に対して抱いても不思議は無いと実感した。その時の私は、或る種の神秘体験に近い精神状態にあったのかもしれない。高岩山に登って同じ光景を見た人にならば、私の実感にも同意してもらえるものと信じる。
件の神大野宿禰を出迎えたという土着の神は「高来津座(タカクツクラ)」と名乗ったと『肥前国風土記』には記されている。日本古典文学大系の注釈には「高来の峰(雲仙岳)を居所(座)とする神の意であろう」とある。この「クラ」というのは「イワクラ」などと同じく「カミの宿る座・場所」という意味であることに疑いは無いが、何が「クラ」であるかまでは断言されていない。しかし、高岩山への登山で巨大な岩石を見た経験から、おそらくは岩石もしくは山頂・山体そのものが、高来津座と名乗るカミの依代や御神体だったのではないかと私は思う。もしそうであれば、三輪山の神体山信仰と類似しているので、面白い話である。「タカク」に「高来」という字を当てたのは、単に高さを表現しただけでなく、天空の高みから山頂に降り来る垂直移動型のカミであったことの顕れであろうか。
このカミの名は、高来郡(たかきのこほり、たかくのこほり)の由来となり、市町村合併以前は、島原半島の地名「南高来郡(みなみたかきぐん)」として名残を留めていた。しかし、島原半島が島原市・雲仙市・南島原市へと統合され、旧来の地名が無くなったことで、熱心な郷土史研究家などを除けば、いずれ遠からず名を忘れられるのかもしれない。
しかし、名は失われても、島原半島中央部の山に登山する人が絶えない限りは、高岩山に登った時の私が俄に古き神の気配を覚えたように、雲仙岳一帯の山岳や巨岩に対する素朴な信仰そのものは、これからも人々の精神の地下水脈として生き残っていくのではないだろうか。
【2022/10/10】続きを書いた。anond:20221010212603
中学校の時、パソコン部に入っていたけども、当時は90年代後半だってのにWindowsがなく、PC-98をカタカタ使っていた。当然インターネットなんで繋がっていない。
やることといったら部室にあった教育用のゲームか、キューブでお絵描き、あとはBASICの本に載っているゲームのプログラミングを丸写しして作ったゲームで遊ぶくらい。
それでこの時遊んだ教育用のゲームを思い出してググってみたけど、マジで情報がないな。
辛うじてタイトルを覚えている2本について書いておくよ。
PCエンジンに「カルメン・サンディエゴを追え! 世界編」というソフトがあるおかげで名前だけはヒットする。ただし、俺が遊んでいたのは日本国内しか回らない内容だった。PCエンジン版では「世界編」と付いているのは、おそらく「日本編」としてパソコンゲームの存在があるせいだと思う。
でもカルメン・サンディエゴの国内版のPCゲームの話は見つからない。ウィキペディアにはカルメン・サンディエゴシリーズそのものの話はあるが、基本的にはアメリカのゲームだし、PCエンジン版以外はアメリカ版の話しかない。俺が遊んだ日本編は幻だったのか……?
内容としては、カルメン・サンディエゴという怪盗を追う話で、ヒントのための情報の聞き取りをして回り、カルメン・サンディエゴの逃亡先を各々地方に関する内容を地名を伏せて知らされるので、それがどこの地方であるか推測して日本中を回る話。まあ地理の勉強について役に立つ?という内容。まあファミコン時代にありがちなアドベンチャーゲームのスタイルだったかと思う。
割と普遍的っぽい名前の上に同名の韓流ドラマがあるおかげで、ググっても探しにくいのなんの。
ちなみに「未来の選択」と書いて、「みくのせんたく」と読みます。作中に出てくるキーパーソンが「未来(みく)」という名前なので、まあダブルミーニングってやつ。
内容としては、災害だったかタイムスリップだったか忘れたけども、主人公たちが荒れ果てた島にやってきて、その島を再建するというシミュレーションゲーム。
ロボットが事実上の通貨であり、工場を建ててロボットを作り、そのロボットを使って島の各エリアを開拓していく。ただし教育用のゲームなので環境には気を使わないと行けない。
クリアまで30ターンで、ターンの終了時に工場がロボットを作り、それを用いて次ターンで開発を進めていく。ターン終了時には環境の悪化具合、住民(一体どこにいたのか、どこからきたのか)の健康被害みたいなものが伝えられて、まあうまいことやりくりしないとならなかったな。最終的には火力発電所や水力発電所を全部撤去して原子力発電所にする、工場からの環境汚染は二酸化炭素を中和する機械みたいなものを大量に買い込んで浄化するというのが勝ちパターンだったような。