http://otoimi.net/theory 実際は画像メインなんで踏むのを推奨する。
まずdは集合論の集合、gは集合に含まれるもの、nは要素、hは要素を含むものを意味します。
※dとh、gとnは同一であるように見えますが、gとhは関係を表しているので違います。
要素を含まない集合があり得るという意味で「集合」と「要素を含むもの」は違いますし、集合に含まれない要素があり得るという意味で「要素」と「集合に含まれるもの」は違います。
例えば「男」という集合があったとして、その集合にはこの世界のあらゆる男が要素として含まれるはずです。
その内の一人がいなくなったとして、「男」という集合は「男」という集合のままです。
「男」という集合の定義は、この世界の男を全て集めたもののような、ゴチャゴチャしたものでは無いです。
その意味で「要素」と「集合に含まれるもの」はイコールではありませんし、だから「集合に含まれない要素」もあり得るという事になります。
そしてzとyが「フローチャートにおける動き」を意味していて、zが肯定・否定や呼びかけなど、yがORや呼びかけなどを意味したりします。
※私はこの図のようにzが前提寄り、yが結果寄りだと考えているんですが、肯定・否定を目的に適うかどうか、ORを条件から選択肢とすると、この逆だと考える人もいるかもしれません。
しかし前提から選択肢だからこそ目的に適うか問われるという考え方もありますし、ORは選択肢から結果だという気もしますし、何より逆だとj(zy)が分からなくなります。
ただどちらにせよ背中合わせの関係を持っていて、表記ではどちらも「フローチャートにおける動き」というだけなので、好きなように考えれば良いと思います。
※肯定・否定、OR、呼びかけなどは、例えば連続的でなくフローチャートなのでステップだったりして、動きと呼ぶべきかは分かりませんでしたが、それに当てはまる言葉が無かったので単純に「フローチャートにおける動き」としました。
Cでは動きに関する音を多く扱いますが、「動く何か」が成立するにはフローチャートの条件・選択肢、肯定否定・ORなどでは足りません。
また存在も集合論だけでは足りません。集合論は「〜だ」というだけで、空間における他との区別を持たないからです。
なので「動く何か」を考えるには集合論とフローチャートを合わせる必要があり、それがこのCだという事になります。
まずkが地点/存在、tが空間における集合的なもの、bが場/路を意味します。(tは唯一画像として用意できませんでした)
またフローチャートは神経の反射のようなものなので、「動く何か」を持ちませんし、だから地点もありません。地点も存在を必要とします。
つまり存在と地点は表裏であり、それを表す音がkという事になります。
空間におけるkの地点/存在に対して、tがそれらの集合的なもの、bが動きの場/路を表しています。
ちょうどt,k,w,b→d,g,n,hの関係を持っていると考えれば良いと思います。
※wの「動かされ得るもの」とはつまり、空間における普通の「もの」の事です。
対するkの「存在」は存在というより地点と紙一重の存在以前のようなもので、理論上それぞれただその座標一点にしか存在しないので、当然動かし得ません。
※「意図」とは何か。
そもそも我々の意識は集まったり広がったりするような性質を持っていて、集合論でもフローチャートでもありません。
ここでの「意図」とはつまり、「集合論やフローチャートにおける意識のあり方」を指します。
aが意図の集中、eが意図の拡散で、これらは集合論における意図を表しています。
iが情報(同一性)、oがポインティングで、これらはフローチャートにおける意図を表しています。
uが区切り/終止を意味していて、これはおそらく空間における意図を表しています。
※始まりには意図の集中であるa、真ん中の存在における動きには情報であるiやr(lu)が使われます。
E.複合した音
fがh(要素を含むもの)u(区切り/終止)で空間における「要素を含むもの」。
rがl(選択肢)u(区切り/終止)で空間におけるフローチャート(フロー)。
vがb(場/路)u(区切り/終止)で強調された場/路。
cがk(地点/存在)y(フローチャートにおける動き)で空間におけるフローチャート(地点/存在)。
cがkyというのは発音のルール(http://mymeet-up.com/?p=762)と英単語の意味から判断しました。
jがzyでフローチャートにおける動き。
突っ込んで欲しいようだから最初の突っ込みどころがあるところまで読んでやったぞ 例えば「男」という集合があったとして、その集合にはこの世界のあらゆる男が要素として含まれ...