はてなキーワード: 冤罪事件とは
11年前の神戸での男子高校生殺害事件で愛知に住む男を逮捕 当時は現場周辺に居住か
https://news.yahoo.co.jp/articles/5feb8ed31d486ec494e495dd7db4924df3c0b35f
全く進展のなかった殺人事件が被疑者逮捕という形で一つの進展が見られたこと自体はとても有用なことだとは思う。ただし、現時点ではあくまで被疑者――起訴されてない状態であり、「何人(なんびと)も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」とする推定無罪の原則で言うなら、彼はまだ無罪の状態である。
coi***** | 9時間前
捕まるということは余程の確定的な証拠が見つかったということでしょうね。
捕まってよかった。
cvz***** | 8時間前
長い年月、警察の方々、ご苦労様でした
いやいやいや、警察の不祥事には「警察なんて信用できない」「警察なんていらない」がメインストリームになるYahooニュースなのに、凶悪事件の被疑者が逮捕されたってだけで「警察が捕まえるんなら犯人に違いない!」「二度と出すな」ってちょっと頭おかしすぎんか。
日本の検察が起訴をした場合はほぼほぼ負けなしだから「決まったな」って感じになるのは事実だけど、まだ逮捕されただけで警察発表でも「今後捜査を続けていく」となっている段階。「逮捕はしたけど起訴はしませんでした」って件は山ほどある。
これまで何人もの「逮捕されてそれが報道され、後に不起訴になったけど人生破壊された」例を見てきて、そういう記事が上がるたびに報道や警察の無能さを批判してきたくせに、脳みそツンツルテンなのか?
冷静になろうや。お前らが冤罪事件の二次加害者だって自覚を持とうぜ。
頼むよ。
https://note.com/oredayo_ore/n/ne64be5c33038
上記noteがバズっているようですが、内容にほとんど納得できませんでした。
ただし私は法的観点にはまったくの素人なので実際には書いてあることが正しいのかもしれませんが、疑問点は多かったです。
確かにスマホを持っていないことについて疑惑は持たれるでしょうが、携帯キャリアはGPSレベルの位置情報は持っていないでしょう。
「こういったサービスもあります」としてソフトバンクの「紛失ケータイ捜索サービスとは」にリンクしていますが、リンク先を読むと
またnoteには「キャリアが具体的にどんなデータを保管しているかまではさすがにわからないです」と書かれていますが、そもそも利用者に告知せずGPSの位置情報を取得すること自体が重大なプライバシーの侵害です。
たとえば110や119の緊急通報時にはGPSの位置情報を取得されますが、そのことは公開されており、実際その状況になった場合は利用者のスマホに「位置情報が取得された」と通知が来るそうです。
「実はGPSの位置情報を常時取得していて警察に渡していました」という場合、会社が傾くくらいの大問題になると思います。
「時間にもよるものの飲み屋に行っていたのならその時点でアウトです。」とありますが、そんなわけないですよね。
重要なのはアルコールを摂取していたかどうかであって、飲み屋に行ったかどうかではないはずです。
酒を飲んだかどうかはどんな注文をしていたかを店員に聞くぐらいしかないと思いますが、当日ならともかく、何日も前に来た客の注文なんて覚えているものでしょうか。
さらにそもそも防犯カメラ映像を確認するのが大変な作業のはずで、足取りを追うためにどれだけの数の防犯カメラを確認しなければならないでしょうか。
ほとんどの防犯カメラは警察が管理しているわけでもなく、所有者に許可を得て映像をもらわなければならないはずです。
犯人が行った可能性のある全ての場所で防犯カメラを探し、許可を取ってようやく映像のチェックができるようになると思いますが、それらの映像を見るのにもまた膨大な時間がかかります。
犯人がまだ見つかっていないとか、間違いなく飲酒していたと思われる別な証拠でもあるならともかく、「飲酒したかどうか不明な自首してきた犯人」に対してそこまでやるんでしょうか。
「九条の間違いその3~あまりにもピュアで人を信用しすぎ~」について
これは確かにその通りで、録音とかされてたらオシマイでしょうね。
ただ、「過酷な取調べに耐えきれず虚偽自白をしてしまった冤罪事件は枚挙に暇がありません。」とありますが、そもそもこの事件は冤罪事件ではありません。
冤罪事件の被疑者は無罪であり、無罪であることを主張してもまったく受け入れられないことから絶望して虚偽自白をするのでしょう。
一方でこの事件の被疑者は実際犯人であり、罪を軽くするために証拠隠滅をし、弁護士からは余計なことを喋らないよう指示を受けています。
冤罪事件とはまったく立場が違い、「森田くんが取調べに耐えきれず、全てを白状してしまって」という状況がいったいどのような取調べなら発生しうるのか、見当がつきません。
(何か決定的な証拠でも見つかれば別ですが、その場合はもう冤罪事件の話なんかなんの関係も無くなってますよね)
たとえば「(証拠隠滅が発覚した場合)九条先生はそのまま逮捕・勾留されて職を失い」と書かれていて、確かにそれはそうだろうとは思うものも、「法的観点から考察」というタイトルから期待したのは「この行為は〇〇法の第○条に違反しており、このケースでは〇〇の刑罰を受けることになるだろう」という話でした。
しかしこのnoteには具体的な法律の話はほとんど出てきません。
「イソ弁ごときが依頼者をクズなどというのは決して許されません。」とか、一体なんの法律の話をしてるんだという感じです。
(1)はこちら。anond:20210212080317
好き。ただし、当時の人にしかわからないパロディやジョークが多く、というかこの本を通じてしか残っていないのもあるので、純粋に笑えるかどうかはわからない。とはいえ、わからないなりにナンセンスさは楽しく(「ぽっぺん先生」シリーズにも引き継がれている)、トーベ・ヤンソンなどいろいろな人の挿絵も楽しめるし、こじらせ文学少年・文学少女とも仲良くなれるかもしれない。大学時代の読書サークルは楽しかったなあ。
ドストエフスキーの小説は基本的に頭がおかしい。ドストエフスキー自身がギャンブル依存症でユダヤ人嫌いのヤバいやつだし。
登場人物は基本的に自己主張が激しくて感情に溺れやすく、数段落数ページにまたがって独白する。プライドが無駄に高くて空想癖がひどく、思い込みが激しくて人の話を聞いちゃおらず、愛されていないのに愛を語る。そしてそんな奴らが大好きだ。
ぜひとも増田をロシア文学沼に落としたいのだが、いかんせん「悪霊」を含む五大長編から挑戦するのはハードルがあまりにも高いので、「永遠の夫」か「賭博者」か「地下室の手記」か「白夜」からがおすすめ。ロシア文学はいいぞ。
ところで、高校時代の友人曰く「ドストエフスキーにはまるのは自己愛と自己嫌悪の衝突を必死にプライドで支える人間、言い換えるとモテない」とのこと。ひどい。
こっちはスマートなほうのロシア文学。一家が没落して家や土地を売らないといけないのに、家の経済状態をわかっておらず(認めず)すぐに物乞いに金貨を上げちゃう、現実の見えていないお母さんのキャラが強烈。ギトギト描写するドストエフスキーに対し、勘所をびしりと抑えるチェーホフ。
実家のお母さんと(特にお金関係で)うまくいっていない人におすすめ。
未読。怪作「木曜日だった男」は読んだんだが。ミステリはあまり読んでいないのでそのうち読む。
誰もが冒頭のマドレーヌの香りから想起されるママンとの思い出についてしか語らず、たぶんみんなちゃんと読んでないからなのだが、実は無職のマザコンが自分の性の目覚め(野外オナニーを含む)やソープ通いや失恋の思い出について延々と語っている話で、何度語り手に向かって「働け!」と言いたくなったことか。
しかし、実のところ登場人物の九割がLGBTという当時としては非常に先進的な小説で、さらに当時炎上していたドレフュス事件という両陣営を真っ二つに分断した冤罪事件をネタにもしているので(今でいえばMeTooやBLMに相当する)、実は差別反差別についていろいろ語っている増田たちにすごく刺さる内容だと思う。俺差別してないし~、あいつは〇〇人だけどいいやつだよ~、的な態度もぐさりとやられている。最高でしかない。
ちなみに、金に苦労しないボンボンがうだうだ恋愛で悩む小説が好きになったのはこの本のせい。「アレクサンドリア四重奏」とかね。
不条理ギャグすれすれで訳もわからずひどい目に合う小説。いきなりこの小説にチャレンジするのはしんどいので、まずは「変身」か岩波文庫の短編集を読んで、カフカのノリが気に入ったら読むといいんじゃないかな。
読んでいるとカフカがお父さんのことめちゃくちゃ苦手だったってのがびりびり伝わってきて気の毒(カフカは線の細い文学青年、父は叩き上げのビジネスマン。想像できるでしょ?)。お父さんとの関係がこじれている人におすすめ。
最高のダメ人間小説。精神勝利法なることばはどこかで聞いたことがあるんじゃないだろうか。作者は当時の中国人の意識の低さを批判したつもりらしいが、万人に刺さる内容。
ちなみに自分はダメな人間、情けないやつ、どうしようもないやつが大好きなので「指輪物語」のゴクリ(ゴラム)だとか、「沈黙」のキチジローだとかが大好きです。
さえないおっさんが妻の浮気を知りながら一日中ダブリンの町をウロウロするだけの寝取られ小説で(途中で女の子のスカートをのぞいて野外オナニーもする)、このリストの前に出てきた「オデュッセイア」のパロディでもある。
これだけだと何が面白いのかよくわからないのだが、実は当時の反英的な機運の高まっているアイルランドの空気を活写している。それだけではなく小説の様々な実験的手法の見本市みたいになっており、和訳もすごい。たとえばある章では英文学の様々な文体を歴史順に真似て英文学の発展をパロるのだけれど、和訳ではその章は祝詞に始まって漢文になり、漱石や芥川の文体を経て現代小説になるという離れ業で訳している。これがもっと無茶苦茶になると「フィネガンズウェイク」になるのだけれど、すでに言語の体をなしていないのでまだ読めてない。
上記の説明でドン引きしないでください。「ダブリン市民」をお勧めします。
結核療養サナトリウム小説。北杜夫ファンの間で有名な「ねーんげん的」の元ネタ。あらゆる知識を山のサナトリウムで吸収した主人公の運命やいかに! 「ノルウェイの森」で主人公が京都山中の精神病院にこの本を持っていくのは村上春樹なりのジョークか。
ただし、やっぱり長いので美少年萌えな「ヴェニスに死す」か陰キャの悲哀「トニオ・クレーゲル」にまずチャレンジするのがおすすめ。
はまったら「ブッデンブローク家の人々」や「ファウストゥス博士」を読もう。
洗脳エンドのディストピア小説なんだけど、増田で「一九八四年」が古いと言われてしまうんだったらこれはどうなるんだろ。読むんだったら他の「すばらしい新世界」とか「ハーモニー」とかと読み比べて、ディストピアの概念が現実の社会の変化に合わせてどんな風に発展してきたからを考えながら読むと面白いのかも。
未読。長すぎる。
未読。
文学サークルの友人に勧められて読んだんだけど、とんでもない小説だった。あらすじとしては、野望に取りつかれた南部の人種差別主義者が自分の帝国を作るために理想の女性と結婚するが、その女性に黒人の血が混じっていたために離婚して別の女性と結婚することから始まる、二つの家系の因縁話なのだが、時系列がしっちゃかめっちゃかなのでとにかくその男の妄念とその子孫の不幸ばかりがじりじりと迫ってくる。あまりにもすごかったのでフォークナーの他の作品は読めておらず、黒人差別を扱った小説も怖くて読めていない。
未読。
読んだがよくわからなかった。うつ状態のときには時間の経過さえも苦痛で、それを救ってくれるのは音楽だけだ、的な話だったか。とにかく本を読み漁っていたころ、新潮文庫のサルトル短篇集を意味も分からず読んでいたのを思い出す。わけもわからないままヌーベルヴァーグを観ていた頃だ。さっき出てきた高校時代の友人曰く「フランス映画のあらすじはセックスして車で逃げて殺されるだけだ」とのことだが、起承転結に還元できない小説を楽しむようになったのはこの頃からだった。
未読。
短いのですぐ読める。ゴドーはいまだに再臨しないキリストのアレゴリーだという説もあるが、実際のところはよくわからない。意味の分からない話だけど、僕らの人生も結構意味不明だよね、みたいな感じか。
未読。「愛人」は読んだが記憶のかなた。まだ幼くて没落する富裕層とその爛れた愛を十分に楽しめなかった。
どうでもいいが自分が年上萌えに目覚めたのは「海辺のカフカ」のおねショタシーンです。
レムの作品の中では一番好き。たとえ出てくる科学技術の描写が古くなっても(SFだとこういうことはよくある)、理解できない対象として立ちふさがるソラリスという惑星の描写は古びない。
SFは考えうるあらゆる可能性を検討し、人類の達成しうることや宇宙の中での意味について想像力の境界をどこまでも遠くまで広げていく文学だ。中には人類がろくでもない理由で滅亡してしまったり、人間など取るに足りないという悲観的なヴィジョンに至ってしまったりするものまであるが、それでさえ美しい。なぜなら、想像力がヒトという種の肉体に縛られまいと羽ばたいた結果なのだから。
最近SFをろくに読んでいないが、元気が出たらまた読みたいものだ。
初めて読んだラテンアメリカ文学。起こりえないことが起こり、名前がややこしいので誰が誰だかすぐに混同され、しかもそのすべてが意図的である。混乱してもとにかく読み進めてほしい。目の前で起きる不可解な出来事をまずは楽しもう。
慣れてきたら、これが不条理としか言いようのない南米の歴史の縮図だとかそんなことを考えてみるのもいいかもしれない。この本のおかげでボルヘスに、バルガス=リョサに、ドノソに出会うことができた。
一説によるとこの本が文庫化されるとき世界の終末が近づくという本の一つ(未確認情報)。新潮社がなぜか頑なにハードカバーしか出さない。ちなみに「薔薇の名前」にもそうした風説がある。
インド独立の瞬間に生まれた子供たちが全員テレパシーの使い手だった! こんな話があの岩波文庫に収録されるんだから世の中わからない。
主人公は裕福な家で育つが、じつはそれは出産時の取り違えによるものであり、誤って貧しいほうで育ってしまった子供が復讐にやってくる。それも、真夜中の子どもたち全員を巻き込む恐ろしい方法で。
インドとパキスタンの分裂、人口抑制政策、そういったインドの歴史をちょっと頭の隅っこに入れておくと面白いが、昼ドラ的な入れ替わりの悲劇の要素のあるSFとして娯楽的に読める。権力を持った強い女性に対する嫌悪感がほんのりあるのが難点か。
ちなみに、「悪魔の詩」も読んだが、(亡くなった訳者には本当に申し訳ないが)こっちのほうが面白かった。あれは当時のイギリスのポップカルチャーがわかっていないと理解が難しい。
独自の神話的なヴィジョンで有名らしいんだが、邦訳あったっけ?
未読。
卒業旅行でパリに持って行った。たぶん時期的には最高だったと思う。とにかく血だとか死だとか堕落だとか退廃だとかそういうのに惹かれる人生の時期というのがあり、まさにそのときに読めたのは幸せだった。もっとも、所詮自分はそれらを安全圏から眺めていただけだったが。
同じく卒業旅行でパリに持って行った。残念ながらフランス語はわからないのだが、フランスのサンドイッチは最高だった。当時はまだピュアだったのでキャバレーやフレンチカンカンは見に行っていない。
未読。
未読。
ドストエフスキーの作品がカーニバル的、つまり一斉にいろんな出来事が起きてしっちゃかめっちゃかになって、日常の価値観が転倒する、みたいな内容。確かにドストエフスキーの作品は爆弾抱えた人間が一か所に集まってその爆弾が一斉に大爆発、的な内容が多い。
ただ、これ以上のことは覚えていない。実はあまり文芸批評は読まない。
未読。
疲れたので続編をやるかは不明。日本文学や哲学・思想は海外文学ほど読んでないし。まとめてみて、遠ざかっていた文学に久しぶりに手を伸ばしたくなった。
今日一日暇だったんでずっと読んでた。
《初級編》
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%85%E6%9E%97%E9%BA%BB%E9%9B%84
いきなり事件でも冤罪被害者でもない記事だけど、なぜか冤罪事件によく絡む人。
《中級編》
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E8%97%A4%E4%BA%8B%E4%BB%B6
事件自体知らなかったけど、車を運転する人なら「明日は我が身」な冤罪。
図解も多くて分かりやすい。
《上級編》
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BF%E3%81%A9%E3%82%8A%E8%8D%98%E4%BA%8B%E4%BB%B6
将棋界に対する熱い想いを披露する皆さんとは裏腹に、囲碁ファンの増田は肩身の狭い思いをしているので、俺の囲碁にかける思いを読んでいただきたく増田にて筆をとつたのである。
元名人で国際棋戦でも優勝した経歴を持つ依田紀基九段が日本棋院から半年間の対局停止処分を受けたという事件。現在訴訟中である。
依田九段がツイッターで日本棋院を批判したことを発端として、フマキラーマスターズカップの不戦敗を強要されたと告発し、フマキラーの大下会長を巻き込んで囲碁界的には大騒動になっている事件。
日本棋院の團宏明前理事長に対するクーデター問題はもちろん、それに絡んでシアトル碁センター勝手に売却事件、前理事長派であったとされる原理事の解任問題のような訴訟沙汰も複雑に絡み合っていて、日本棋院の伏魔殿ぶりの凄まじさは囲碁というゲームの深遠を思い起こさせてくれる。
依田九段を処分した経緯は棋院の説明だけでは理解不能といってよく、将棋連盟のソフト指し冤罪事件への対応を「最悪」などと上から目線で評していた囲碁ファンの皆様に「下には下、それも囲碁界にはとてつもなく下がある」ということを思い知らせた。
とはいえ依田九段もなかなかファンキーな人格をしており、自業自得のような気もするという意見もあるため、混迷は深まるばかりだ。
最年少棋士として知られる仲邑菫初段のコラボグッズとして焼肉のたれが発売されることとなった。
https://twitter.com/osakaigo/status/1292300931237924866
焼肉は仲邑菫初段の大好物として知られており「鳴り物入りで韓国帰りの小学生棋士としてワイドショーに引っ張りだこだと考えたはいいものの、実際にメディアが取り上げるのは藤井二冠ばかりであることに業を煮やし、なんでもいいからとヤケクソで作った便乗グッズ」というわけではないことは確定的に明らかである。
なんだか1本300円というのはアイドルグッズみたいなものだと思えばなかなか良心価格のような気もするし、はてな村の碁会所でも菫ちゃん焼肉のたれで焼肉パーティーしようじゃないかと積極的に呼び掛けていきたい。
将棋のプロ棋士として活躍しており、囲碁も打つことで知られる先崎学九段が碁会所に行ってみた話をレポート。
妻で囲碁棋士の穂坂繭三段によると席主は無言、対局相手「あんたの石は薄いよ」などと発言するなど、現代碁会所の最悪マナーぶりを見せつけた。
https://twitter.com/gmf1tn/status/1292446885190361088
https://twitter.com/oZv4NRpHzU7Z1FB/status/1292739425605046273
普通なら囲碁ファンみんなで「これは噓松ですね」とイキリ散らしたいところである。
しかし碁会所というのは後期高齢者が腐れジジイが初心者の子供をいじめ女性が来るとセクハラ祭りを始めるような、現代日本でも最低の空間をであることを何度も何度も体感してきた囲碁ファンにとっては、単にぐうの音も出ない現実なのであった。
フェミのみなさんやネットで老人叩きに精を出す皆さん、暇があったら是非とも徒党を組んで碁会所に突撃し、腐れ老人共の地を荒らしまくって頂けると本当に幸いです。
もし突撃してみて、きちんとした碁会所(レアケース)だったら普通に楽しんでください。みんなが思っている以上に囲碁は面白いです。
史上最年少で名人位を獲得したことで知られる芝野虎丸名人が突如としてYoutubeになんとも言えない雰囲気のアカペラ動画をアップロードした。
https://twitter.com/abih_sarot/status/1272498974448971777
https://twitter.com/abih_sarot/status/1272534204014682114
その後、謎の炎上ムーブを見せるなどしたが、所詮は芝野名人のフォロワー数は4000ちょっと、Youtubeに至っては200少しと底辺中の底辺なので、大した事態にならず鎮火するという最も悲しい結末を迎えてしまった。
囲碁界がどうのこうのという格好の悪い言い訳はせず「俺の魂の歌を聞けバカ野郎!」とでも開き直った方がよっぽど面白かったと思うのは私だけだろうか。とりあえず変わらなければいけないというなら登録者200人のYoutubeなどでコソコソやらず、NHK杯のインタビューで熱唱してほしいところである。
碁聖戦のスポンサーとしても知られる河北新報の記者であり社長の息子でもある一力遼八段が碁聖位を獲得した。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020081401132
「今まで何回挑戦してるんだ」といった感じで実力は当たり前に評価されていたため、世間でも囲碁界でも時間がきただけとという受け止めがほとんどで特に話題が長続きすることはなかった。
増田的には「実力通りとはいえスポンサーのボンには獲らせるなんて情けなくないのか」と囲碁界に強く訴えたいところである。碁打ちなら実力は分かるけど、何も知らない世間はそういう目で見てるぞ。
将棋だけでなく囲碁にも注目してほしいなと思ったのでしょうもない話ばかりだけど笑って読んでもらえれば。
「藤井二冠にしか興味がない報道」という批判だが、そもそも、「藤井二冠の連勝記録が話題になる前の将棋界」ってどんなもんだったかを思い出すと責める気にはなれない。
正直な話つらい話題だった。
アレのせいで、メンタルをやられた棋士もいた。将棋界の話題は、その当時本当にろくな話題がなかった。
正直、藤井聡太連勝記録フィーバーがなければ、どうなっていたかと思う。本当にろくな話題がなかったのだ。
冤罪を起こしたことに対する釈然としない説明。処罰されるべき処分されるべき人が誰なのかよくわからない。
もう、アレで一体どれだけ報道で将棋に対してがっかりしたファンがいたかって話で。
それを、いまさら、「藤井聡太ばっかり」といわれても。うーん。むしろ藤井聡太フィーバーに将棋界そのものが助けられたのはでかいんだよな。
だから、「藤井聡太にフューチャーしすぎ」といわれても、将棋に対する報道やらなにやらが一色に染まるのは仕方ないことだと思う。
本当にそこは仕方がないんじゃないかと思う。
ナンバーツーの系譜に名を連ねる渡辺明が、次代のナンバーワンの台頭によって久々に注目されている。
長年の将棋ファン的には、歴史の必然というか、ついに渡辺明にもこのときが来たな、という感想を持つ。
将棋界というのは不思議なところで、いつの次代も絶対的なナンバーワンが存在する。
圧倒的な棋力で他の棋士を寄せ付けず、2、30年君臨し、次代のナンバーワンに禅譲する。
次代のナンバーワンはデビュー時点で文字通りのトップレベルの棋力を備え(*1)、また2、30年棋界に君臨する。
"常勝将軍"木村義雄(*2)、"巨星"大山康晴(*3)、"棋界の太陽"中原誠(*4)、"永世七冠"羽生善治、そしておそらくは藤井聡太だ。
中には全盛期にナンバーワンに勝てなかっただけみたいな棋士もいる。
ナンバーツーに誰を入れるかは2ch将棋板でも議論になるところだが、升田幸三(*5)、米長邦雄(*6)、谷川浩司(*7)、渡辺明は間違いない。
これに加藤一二三(*8)、佐藤康光(*9)、森内俊之(*10)あたりを入れるか、あるいはもっと色々な棋士が含まれるか、そもそもナンバーツーと言えるほど絶対的な棋士は谷川だけ、2番手集団で十分、以下略。
印象的なエピソードが数多あっても、決して色褪せない圧倒的な数字には及ばない。
むしろ万年2位の悲喜こもごもにこそ、心動かされるのが人の性ではなかろうか。
俺はそういうエピソードが好きだ。
木村義雄名人に糞と言い放った升田幸三。そのくせ陣屋事件を引き起こした升田幸三。(*11)
大山にいじめられ続け(と中原にまで言われる)、大山が衰えてやっと短い全盛期を迎え、中原と互角にやりあい名人も奪った加藤一二三。(*12)
二十歳そこそこの森下卓に頭を下げてまで自らの将棋を鍛え直し、49歳にして中原を下し名人位についた米長(*13)。
7番勝負の最中に阪神大震災を被災し、関西の将棋ファンの期待を一身に背負った王将戦で羽生六冠王の挑戦を退けた谷川(*14)。
羽生と初代永世竜王をかけて戦い、棋界初の三連敗四連勝で竜王を守りきった渡辺明(*15)。
そして藤井聡太の初戴冠において、カメラを背負う側となった渡辺明。
一方で、羽生さんは本当にすごい、と語る。
自身がナンバーワンに連なる存在でないことを自覚し、自分は羽生と藤井聡太の間の棋士だ、と、悟ったようなことを語る。
そして、あまり語ってはいないが、名人に対するこだわりは絶対にあると思う。
ただまあ棋士なんて常識が無い人間ばかりなので、それはそれでいいんじゃないですかね。
渡辺明が悲願の名人を獲り、そして藤井聡太の挑戦を受けたりしたら、クッソ盛り上がるだろうな。
谷川、渡辺明のプロ入直後の成績は中原、羽生、藤井聡太と比べると劣る。当時のトップレベルから少し(渡辺明は大分?)落ちるようだ。
名人8期(現役晩年まで名人しかタイトルが無かった)、十四世名人。
十三世名人関根金次郎の弟子。十二世名人小野五平や坂田(阪田)三吉からも指導を受けたらしい。
本文では中原デビュー後すぐにトップ棋士の座を譲った風に書いているが、中原誠に勝てなかっただけで他の棋士には変わらず勝ちまくっていた。
中原デビュー後の10年間は大山・中原時代と言っていいだろう。
佐瀬勇次名誉九段門下。膝に扇子を突き立て肘を乗せるスタイルは木村王位ら一部の佐瀬門下に受け継がれている。
タイトル通算12期、十八世名人資格保持者、永世名人(名人通算5期)を羽生より先にとった。
第1期王将戦(木村義雄名人対升田)は升田の4勝1敗で王将獲得となったが、第6局が木村名人の香落ちで行われることになっていた。
升田は対局場である陣屋旅館まで来るも結局対局を拒否し、大騒動に発展する。
真相は不明。升田は自身の子供のころからの夢「名人に香車を引いて勝つ」と名人を侮辱するかのような香落ち対局の間で葛藤し、このような行為に至ったのではないかとか言われている。
棋士総会より一任された木村義雄の裁定により、升田の処分はお咎め無しとなった。
ちなみに大山王将(名人)との第5期王将戦では升田は香落ち上手も指して勝った(http://www.ne.jp/asahi/yaston/shogi/osyo/osyosen/05/osyo05.htm)。
翌年21歳の谷川に奪取された(史上最年少名人)。谷川によると、「加藤先生には申し訳ないが、名人は中原先生であって欲しかった」。
名人就位式で「来年はあいつ(羽生)が獲りに来る」と予言し、翌年本当に羽生に奪取された。
翌年羽生は六冠を保持したまま再び挑戦者に名乗りを上げ、さすがの谷川もついに土俵を割る。寝癖の七冠王誕生時にカメラを背負った。
当時渡辺明は竜王連続4期、羽生は通算6期であった。羽生が卓越した大局観を見せつけた第1局、渡辺明が激戦を制した第4局、第7局が名高い。
でも渡辺明は他タイトルは挑戦もろくにできないまま永世竜王になったため、当時の将棋ファンの評価は微妙な感じだったように思う。
ナンバーワンの系譜なんてホントのところは偶然の産物でしかないと思うし、当たり前だが将棋に神様はいないし選ばれた人間だけが名人になれる訳じゃないと思うけど、現実にそういうことが起きると人間はなんか運命的なものを感じて面白がるよね、ってだけの話。
良くも悪くも棋界が注目されて将棋ファンが増えたものの功罪あるよね。
abema将棋なんかが典型だけど、将棋の内容ではなく棋士の人柄とかエピソードばかり注目されるようになった。
藤井さんがすでにトップ棋士なのは明らかだが、 「AIが6億手読んでも見いだせない手」などと、
かの冤罪事件について、我々が真に許してはいけないのは観戦記者の小暮克洋だろう。
三浦本人のインタビューで唯一名指しで「許せない」と語っているのは小暮である。
https://ironna.jp/article/5686?p=5
渡辺は、一応三浦本人に謝罪をしており、公の場(竜王就位式)でも謝罪をしている。
(無論それだけで許されるものではなく、竜王返上が妥当であっただろう)
一方、小暮はあれだけのことをしでかしながら、今現在もいけしゃあしゃあと将棋界で観戦記者を続けている。
最新号の将棋世界2020年8月号の巻頭カラー記事にも小暮の名がある。こんなことが許されていいのか?
俺は、許さない