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はてなキーワード: 伝統とは

2021-03-19

東区西区北区南区京都市にないのは?という人間性センター問題がどう考えてもおかし

という人間性センター問題、答えが間違っているんじゃないか。答えは東区のようだが、京都には西区もない。西京区はあるらしいが、京都の人たちはこれを西区とでも読んでいるのか?

https://www.city.kyoto.lg.jp/sogo/page/0000015607.html

京都の方々は行政上公式呼び名よりも自分たち伝統的な呼び方全国的な回答に位置づけはるんですか?

2021-03-17

anond:20210317181242

伝統的な道具がいくつか使用禁止になったりはしている

anond:20210315235816

次の時代に優秀とされるものは今の時代には役に立たない無能であり、今優秀な人間は次の時代にはただの無能になる。

から優秀な人間以外を排除すると時代が変わった時に無能だらけの社会になる。

日本とかモロにそれじゃん。

ITとかEVとか胡散臭がって伝統的な製造業にしがみついた結果競争力を完全に失った。

役に立たないものを残せない社会ではイノベーションが起きない。

2021-03-16

anond:20210316123501

それは私が「伝統保守おっさん仕草」への理解が足りませんでした、ごめんね。

宇部高等学校的シン・エヴァンゲリオン考察

いろいろな考察が出ていて、それぞれに説得力もあり、なるほどと得心したりしている。

私はエヴァTVシリーズから全部見てすげーすげーと楽しんできたが、考察にはあまり興味はなく、いろんな謎にも詳しくないが、庵野さんの同窓生ということで、主に宇部高校とシン・エヴァンゲリオンとの関連を考察したいと思う。(かれこれ40年以上前ことなので、記憶違いや勘違いはご容赦を)

エンディングに出てきた宇部新川駅や宇部興産の工場群を見て、あ、庵野さん、宇部を許したんだな、と唐突に浮かんだ。なぜそう思ったかは分からない。そもそも「許す」って。

宇部山口県瀬戸内にある工業都市。美しくもなんともない味気ない街で、明治以降炭鉱で栄えるまでは寂しい漁村だったとか、歴史文化も無縁のところだ。

宇部新川駅は宇部市の繁華街にある駅で、庵野さんの育った地区に近く、少し海側に行くと宇部興産の工場がある。

庵野さんは地元進学校宇部高校出身だ。あれだけアニメの才能(空間認識力)がある人だから、頭が良くて、中学ではろくに勉強しなくても宇部高に入れたろうと思う。高校生活は1年生から受験中心。2年生までに3年生の教科書を消化して、3年生の1年間は受験勉強のみという方針だった。勉強価値を見いだせないタイプは授業について行けない。当時の校長キャッチフレーズは「国立300、野球甲子園」。ちなみに、ノーベル賞本庶佑さんは宇部出身で、伝統的に京大を目指す生徒が多い。民主党の菅元総理ユニクロ柳井さんも宇部高。

そんな文化不毛受験偏重宇部高で庵野さんを魅了したのが、宇宙戦艦ヤマトアルプスの少女ハイジなど、ポップカルチャーとしての黎明期にあったアニメではないか。一番好きなのは特撮かもしれないが、当時はウルトラマンゴジラも低迷していた。

庵野さんは宇部高にあって勉学はともかく、生徒会長中村さんを主人公にしたナカムライダーや、文化祭用に短編アニメなどを作って校内有名人だった。

短編アニメは、宇宙戦艦ヤマトが爆発しながら太陽に突っ込んでいく、というような内容で、セル画のために美術部の予算をひとりで全部使ってしまったといううわさだった。アニメの出来は素晴らしく、「高校生がこんなプロのようなアニメを作れるんだ!」と驚嘆したし、校内では数少ないアニメファンたちの間で天才として知れ渡った。

だが、庵野さんの才能がその活躍の場を見出すのは大学に入って以降で、たぶん、庵野さんにとって宇部での暮らし高校生活は、灰色鬱屈とした、愛せない時間空間だったのではないか

漠然とした印象だが、庵野さんは宇部がきらいなんだと思っていた。それが、シン・エヴァンゲリオンでは、聖地にしてもいいよ、的な振る舞い。なんか、ずっと嫌っていた宇部時代自分を、ほかのもろもろのトラウマとともに昇華、あれで良かったんだよと受け入れたように思う。

ちなみに、聖地巡礼なら観光起点として山口宇部空港から入り、レンタカー宇部新川駅へGO、車で約10分。駅を見学したら190号線から宇部湾岸道路山陽小野田方面に向かえば、車窓から宇部興産の工場群が見学できる。あとは秋吉台とか角島大橋、萩、山口など、観光地へ赴くのが吉です。

2021-03-14

anond:20210314213610

伝統的な描画法の見方では難があるように見える作品でも、一回りしてアウトサイダーアートとして需要が出てくることもあるよね。

意外にその需要に合わせて投稿してるのかもしれない。

ところで、逆にアウトサイダーアーティスト男性は多く見かけるけど、女性作家はあまり見ない。

なんでだろう。

民族という概念は、まともな英訳すらできない以上は普遍的概念ではありえない。というか肌の色で差別することができなかった諸国において差別実施するために再発明されたものである以上はそもそも概念からして誤りを多分に含んでいる。

Ethnic group 程度の意味合いで使う分には良いように思えるが、扱いに非常に丁寧にならなければならないこの言葉適当に使う奴は敵だ。

そもそも帰属意識という主観性の強いもの客観的定義である糞みたいな概念自明存在すると考える方がどうかしている。具体的に言えばある人間は必ず特定民族にただ一つ属すると考える人間は学問と知性のどちらも決定的に足りない。そんなものを信じる人間学習能力に欠陥があるか、脳に物理的な欠陥があるか、成長段階の環境悲惨だったかのどれかとしか言いようがない。それはそれで可哀想だとは思うけれど、それでも害悪となる概念を振り回す権利はない。

民族伝統という言葉は指し示す概念存在しないので嫌い以前の問題だ。からし民族というものに根差すという幻想を共有している人間は須く無能だ。考え方が完全に逆である民族があって伝統があるのではない。伝統を守るものがその民族なのだ。肌の色や血筋関係がない。そんなものは何も規定はしない。そして一人の人間複数民族であるのだ。〇〇民族でありながら△△民族であり得るのだ。

君の身に付けているものけが君を定義する。先祖から伝統からと言って何も正当化され得ない。やりたいなら自身責任において全てをおっかぶり貫くべきだ。伝統から言い訳に過ぎない。例えそれがなにであれ、

私は

これを

やるべきだと考える

から

やる

以外に正当な理由はない。人のせいにしているんじゃねえ。君の行動は君の自由意志にの立脚する。そして君が何者であるかも君の自由意思によってのみ規定される。甘えるな

君が君自身増田民族を名乗ることまで私は止めはしない。ただそれは君の自由意思の結果であることを祈る。

2021-03-12

被差別部落とは何か

https://anond.hatelabo.jp/20210312203939

本文がどうしても途中で消えるため、追加部分として分けた。



部落問題は、根が深い。かといって、そこまで複雑なものではない。

時代政権が正しく対処していれば、部落解放同盟といった組織存在することはなかったし、また存在しているべきでもなかった。

被差別部落は、歴史が積み重なったエリア代表的ものとして京都。あるいは「府中」が付く地域など)に多く存在する。

平安時代以前に、そのエリア特定民族(土着系、中国系朝鮮系マレー系ほか)が住み着いて生活を営んでいたものの――何らかの原因によって、とある民族一派が生活圏を追われた結果として生まれたのが、伝統的な意味での部落だ。

すなわち、戦争政変自民族が敗北する、ある者が重大な罪を犯す、心身に何らかの異常があるなどにより、生活やす都市部を追われた者たちは、山地や川べりなどに住まわざるを得なくなり――そこから普通人間忌避する穢れを含む多くの仕事(食肉、葬送、処刑、皮革加工や汚物処理)を行うようになり、やがては専門的、特権的職業分化していった。

明治以前は、そうまで貧しくはなかったようだ。彼らが町人生活必須な物を売ったり、公共サービス提供していたこと、税金免除されていたのも大きい。

だが、維新によって明治政府が生まれ西欧に倣った近代的な理念法律社会に浸透すると、四民平等の名の元に、彼らにも課税がされるようになった。加えて、近代産業伝統的な部落民の仕事を奪うようになっていき、彼らは貧困にあえぐようになった。

当時の政府は何らかの手を打っておけばよかった。しかし、何も手を打たなかったので、部落に住む人々は貧しい時を生き残るために集団の結束を高めた。家族間や親族間での助け合いはもちろんのこと、その地域に住んでいる全員が全員を認識できるほどに。そして、彼らの結束は、やがて一般社会への怨嗟を募らせる方向へと動いていった。

昭和の中期になり、国民人権意識も向上していき、部落解放運動が盛んになるなかで――部落に生まれた人々の恨みが爆発した。彼らは、一般社会への恨みを持ち続けていた。復讐したいと考える者が多数いた。だから、あそこまで過激な、暴力を伴う運動に発展した。

令和の時代に、その人が部落出身かどうかを気にする人間は少ないだろう。部落に生まれようと、生まれまいと、その人の人生に何らの影響もないかである現代都市環境においては、その場所被差別部落だったかどうか、一見ではわからなくなっている。※道幅や道路改良の跡でわかることもある。山地や川べりにあるタイプ部落も、分かる人間であれば判別がつく。

部落というのは、文化的意味では、もうほとんど存在しないといっていい。しかし、人はタブーに惹かれる性質を持っている。「穢れ」という概念は、今の時代を生きる人間も持ち合わせている感覚である(人が触ったパンや米粒は食べたくないはずだ。安全性保障されていたとしても)。だからインターネットなどでは、若い人達部落について語り合うことができる。彼らは、昔の人々がどのような「穢れ」を持っていたのか気になるらしい。

被差別部落に生まれた一個人として、現代人の意識から、この「部落」という言葉がいつの日か消えることを祈っている。いずれは完全なる死語となり、教科書の中だけの言葉になることだろう。子どもの時分から解放運動に携わってきた者として、そんな未来を望んでいる。

あなた達の政治運動には迫力が足りない


https://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=730608&comment_sub_id=0&category_id=256

小森龍邦氏死去、88歳 元衆院議員部落解放同盟広島県顧問

 解放運動の巨星がまたひとつ墜ちた。私もあと十年生きるか怪しい身である自分政治運動に対する考えを少しばかり綴ってみてもいいだろう。

 上のニュースの人は、かつて解放同盟事務方トップだった方だ。昭和7年に広島県東部被差別部落に生まれ中高生の時分から老年に至るまで部落解放運動に携わってこられた。

 私が活動していた地域とは遠く離れているが、それでも半年に一度は彼の実家の傍にある、ちんまりとした選挙事務所へ行き、地元産のワインを飲みながら語り合ったものだ。

 私などが知己と呼ぶのがおこがましいほど尊敬できる人格の持ち主だった。家族地域や仲間のためであれば、危険を顧みずに行動する力を持っている。それでいて、思慮深いうえに頭の回転が速く、無謀な策を講じたりはしない。講じるとしたら、背後に確かな計算を持っている。そういう方だった。

 それが、こんなに早くにお亡くなりになってしまった。悔しい限りだ。

 私の番はいつ来るのだろう。運が良ければ二十年は生きられるかもしれない。運が悪ければ数年後か。その前に、自分の想いを吐き出す機会が欲しい。



 さて、表題意味について。あなた達の政治運動には『迫力』が足りないとは、どういう意味か。

 言葉どおりの意味だ。特に伝統的な分野、例えば労働組合などが挙げられる。昔に比べて弱体化が著しい。

 企業ごとの組織率は低下し、労働者組合加入率も低下し、賃金は下げられ放題、追い出し部屋希望(半強制退職蔓延も放っておかざるを得ない。数十年後には、労働組合というもの事実上消滅していてもおかしくはない。

 また、高校大学など、学校内の自治を求める活動もそうだ。私は元高校教師だが、昔に比べれば、学生たちが自ら声を上げて学校ルールを変革するために動くことは減っている。感覚としてはそうであり、数字においてもそうなっている。悪い意味で、子ども大人のいいなりになっている。

 反対に、成功しつつある政治運動もある。

 近年話題になったものだと、#MeToo運動だ。女性がこれまでに男性から受けた、性を主とする嫌がらせ公共の場告発することをいうようだ。

 日本ではそこまで定着しなかったが、本場のアメリカでは著名な人物の一部が職や名誉を失っている。最悪の場合は、裁判により実刑判決を受けることになる。

 LGBT社会運動も、社会価値観を変革しつつある分野のひとつだ。

 大衆消費社会が訪れてそうまで時間も経たない頃から同性愛者としてのカミングアウト文学活動デモ行進芸能界での活躍自分たちを侮辱する者に対する訴訟提起(府中青年の家裁判)、ゲイであることを周囲に言いふらした者及びその所属校への糾弾一橋大学アウティング事件)など、仲間の権利を守るための諸活動を行ってきた。

 以前は、映像作品において、同性愛者が精神異常者として描かれるのは当たり前のことだった。子ども向けのアニメなどでもそういった描写があったが、昔に比べればなりを潜めているように思える。批判を恐れて、ゲイレズビアン人達を描けなくなっているだけかもしれないが。

 これらの成功している政治社会運動には、共通する点がある。

 相手の痛いところを突いていることだ。

 この方針なくして勝利はない。しかし、近年の伝統的な政治運動の類を見る限り、相手の痛いところを見抜くことができる知性、または攻撃する度胸を欠いているように思う。

 特に組合関係団体がそうである。昔の労働組合は、使用者と刺し違える覚悟があった。

 意図的給与の支払いを遅らされても、当局側が雇った暴力団に夜道で襲われても、工場社員寮ごとロックアウトされても、それでも不屈の覚悟で戦い抜いてきた。

 それが今では、使用者の言いなりとなり、組織から仲間を追い出すための行為に協力している。情けない限りだ。



 話が逸れた。

 相手の痛いところを突くことの具体例として、昭和40年頃の話をする。私の高校時代の級友の話である。K君とする。

 高校二年の時だった。夏の午後の授業中に、ある教師教室の窓の向こうにある山を指さして言った。「お前らみてみい、あの山にはよっつが住んどる」(※手の指が四本であるという意味

 その教師は、部落に住んでいる人間馬鹿にしたのだ。当時はまだ、被差別部落生活する人々と、それ以外との間に貧富の差があった。馬鹿にされやすかった。

 どれだけ悲惨生活だったか、今の生活と対比しながら述べると、家にトイレはなく(集落で共同のトイレだった)、上水道は通っておらず、生活汚水は外に垂れ流しであり、雨樋や排水溝がないので大雨が降ったら屋内は水びたしになっていた。

 家族食卓を囲んだ光景にいい思い出はない。口に出して述べたくないし、思い出したくもない。

 さて、その男言葉に頭にきたK君は、翌日に地域の仲間(私を含む)を連れて職員室に入っていった。K君が連れてきた解放委員会の男が怒鳴ったのを覚えている。「教頭、どういう教育をしとる!」という大声に、周囲に緊張が張り詰めた。校長までやってきた。

 その教師に向けて、「そんなことは言ったらいけんど」と説得しようとしたものの、それ以前の問題だった。その教師は、私達の質疑に対して、最後までしらを切り通したのだ。「そんなことはしていない」と言い張った。

 このままではK君の立場が危ういわけだが、私にはどうすればいいかからない。しかし、協力をしたかった。

また翌日、K君は教室の中で証言者を探すために、級友の前で声を上げた。「このままでは俺は嘘つきになってしまう。証言をしてくれ」と皆に伝えた。が、私ともう一人か二人以外に協力者は出なかった。

 次の日だった。今度は、級友一人一人と話をする作戦に切り替えた。校庭に級友を呼び出し、どうして協力してくれないのか、と訴えたのだ。それでも駄目だった。みな、「それは勘弁してくれ」と言うばかりだったという。

 さらに次の日、K君は50枚ほどのA6程度の大きさの小紙を持ってきた。それを級友の一人一人に渡して、「これに証言を書いてくれ。後で預かる」とお願いして回ったのだ。

 翌週、K君は再び、地域の仲間と、同じ地区解放委員会役員を連れて校長室に入っていった。私は外で待っていたが、勝利確信していた。K君は、20枚以上はあろうかという紙の束を持っていたかである

 その年度の末をもって、その教師は異動になった。県内の一番端にあるエリアに転勤していった。彼はまだ赴任して2年目だったこから、今回の作戦が功を奏したとみていいだろう。

 この、K君の動きを間近で見たことが、私が政治運動を志したきっかけだった。



 今度は、少し規模の大きい話をしよう。

 それから三十年以上が経って、平成の初期だったと記憶している。被差別部落生活文化的環境改善するという一連の政策国会での議決を受けてから、長い時が経っていた。

 K君の事件きっかけにして、私は解放委員会正式に加入し、高校社会科を教えながら政治運動に身を投じていた。40になる頃に教師を辞めて、今度は別の公職に就いた。

 ある年の冬だった。私が活動していた県の幹部職員が、「同和関係補助金はすべて凍結する」と、あろうことか県議会で答弁した。

 寝耳に水だった。まさか、そんなことはあるまいと考えたが、確かな事実だった。議会答弁はテレビ中継もされていた。

 当時、私が所属していた団体幹部が全員呼び出され、偉い方々から対策を指示された。それぞれの支部からも、来年度の予算について雨後の筍のように質問が寄せられていた。

 発砲ふさがりかと思われたが、ふと、K君のことを思い出した。彼はもう立派な社会人であり、解放委員会からも抜けていた。それでも藁にすがる思いで相談に行こうとしたものの、気が乗らない。

 彼に迷惑をかけるのでないかという想いもあったが、何よりも私個人の意地だった。同和教育人権思想を啓もうする活動を担う一員である以上は、自分達の力で解決せねばならないという気概があった。

 とはいえ、K君と話をしたかった。結局、正式相談ではなく、共に食事をしながら今回の件について話し合うという形式を取った。K君は、「ここで折れたら前例になろうが」という話からまり、諸々の助言をいただいた。今でも感謝している。

 後日、県の横暴に対する対抗策がまとまった。開始時期は、一週間後とした。

 数万人規模の組織で、ここまでの速度で動くのは無理がある。組織全体の足並みが揃わなくなる恐れがあったが、予算全凍結は目の前だった。

 まずは、各自治体の教育委員会オルグ実施した。

 あの時のK君のように、各市町の教育委員会庁舎に数人で飛び込んだなら、「どうしてこんな卑劣なことをするのか。子どもらが人権意識もつための活動ができなくなっていいのか」というメッセージを何時間にも渡って、毎日伝え続ける。

 庁舎の外には最大100人程度を待機させていた。みなそれぞれ、横断幕拡声器を使って、スローガンを堂々たる態度で表し、相手方にこちらが本気であることを知らせた。朝方から始まって、日中は休憩を挟みながら、日が沈む頃まで毎日続けた。

 場所関係なかった。公共機関であれば、どこででも実施した。教育委員会だろうと、市役所入り口だろうと、学校門前だろうと、警察署の前だろうと、県会議員の自宅の玄関だろうと、場所関係なかった。

 かつて、私たち基本的人権の享有を受けられなかった。その歴史を繰り返してはならない。私たちは本気だった。

 議会での答弁から半年後、私達の本気は伝わった。予算の凍結が撤回されたのだ。

 これまでと同じように、これまでと同じだけの金額子ども達への教育活動個別学習会や勉強会に使うことができるようになった。

 私たちは、相手の痛いところを突いた。突き上げを受けた教育委員会は、通常の業務を行うにあたって支障が出る。日中は、私たちが絶えず抗議をするので、それに対応せざるを得ないからだ。

 それが数日であれば持ちこたえるだろうが、何か月にも及ぶとさすがに根を上げる。

 「予算の凍結はやめてくれ。現場がもたない」と各市町とその教育委員会は、県の決定に抗議する流れができる。

 さらに長い期間に渡って続けば、県としても、予算の凍結の続行と、各市町の疲弊とを天秤にかけざるを得なくなる。

 私たち勝負に勝った。

 相手の痛いところを突けばいいというものではない。こちらも痛い目を見る覚悟必要だ。というのも、現実的には、まずはこちらが痛い目を見る可能性が高いからだ。

 上記場合、県による予算凍結の撤回を求めて戦うにあたり、相手方に攻勢をかける必要があったわけだが――初期の段階が一番苦労した。まず、動員をかけても会員は集まりにくかった(当事者意識の欠如)。これがただの動員ではなく、緊急事態を打破するための闘いであることをわかってもらうために熱弁を振るう必要があった。この説得のための活動、すなわち県内支部巡りに最も時間を要した。

 人が集まり相手方に攻勢をかけることができるようになったとして、最大のリスクがある。警察通報されることだ。特に要職にある者が動けなくなるのはまずい。敵にとっての追い風になる。

 今回は、そうした事態が起こることはなかった。絶対暴力行為脅迫行為をしてはならないと、組織内で固く申し合わせをしていたからだ。

 私が若い頃の解放運動だと、警察など介入する余地はなかった。デモ活動オルグ最中通報があって警察官が駆け付けたとしても、我々を見て尻込みをするのは当たり前で、あちらの方が逃げ出すこともあった。

それほどまでに、当時の私たちは気迫に満ちた政治社会運動をしていた。物事に対する「本気」というものが、警察すら怯えさせるほどに昇華されていた。

 時が経ち、平成時代になると、部落に住む人々も豊かになったこともあり、ハングリー精神が見えなくなっていた。集団の気迫はすっかりと消えてしまい、周りから見ると――デモ活動の全てが滑稽なものに映るようになっていた。満たされた人間政治運動はできない。それだけのことだった。

 ところで、予算凍結に対する対抗策の実施にあたり、最大の懸念事項があった。

 県と市町との連携だ。もし、予算凍結の議会答弁を打つよりも前に、県議会が各市町に根回しを行い、さらに我々を抑えるための手を考えていたとしたら、負けていた可能性が高い。

 逆に言えば、同和対策事業に関する予算の凍結という重大事項について、事前に各市町と連絡調整をしないというミスを県が犯したからこそ、我々は勝利することができたと言っていい。



 最後になる。

 相手の痛いところを突くこと、その直近の事例としてミャンマーデモを挙げたい。

 アウンサンスー・チーを頭に据える民主派が勝つにはどうすればいいだろうか?

 武力では国軍に勝てない。ならば、「国軍は間違っている」というメッセージを、自国内と国際社会に訴えかけるしかない。

 経済面ではゼネラル・ストライキを行い、社会面では民主的思想制度について啓もう活動を行い、政治面では大規模デモによって世界に窮状をアピールする。

 アメリカがすでにミャンマーへの経済制裁を行っているし、世界的な空気として、国軍より民主派を推す声が大きいのは間違いない。

 民主派のやり方というのは、それでいい。とことん大きなデモを打って、自分達の正義アピールする。

が、その代償として、民主派は多くの命を失っている。つい先ほど、未成年デモ参加者が銃で撃たれて亡くなったというニュースが飛び込んできた。先日のデモでは50人以上が亡くなったという。

 民主派グループの中でも、指導者に近ければ近い者ほど、身体危険が迫る。国軍にしてみれば、今が正念である世界各国から評価が低下することを気にかけず、民主派指導者層を徹底的に弾圧し、デモ活動を先導する者を少なくし、事態を膠着状態に陥らせ、軍事政権を持続させるとともに――軟禁しているアウンサン自然死を狙うメリットの方が大きい。

 もし日本が、ミャンマーのように危険状態だったとして、あなたが立ち上がって戦わねばならなくなった時、どういう心構えで、どういう行動を取るべきだろうか? 相手の痛いところを突くために、どこまでのリスクを背負えるだろうか?

 その問題に直面していたのが、私が生まれ時代よりもさらに昔、明治以降被差別部落に暮らす人々だった。あまりに苦しい生活環境であるがゆえ、生存権を得るために戦わねばならなかった。しかし、どうやって戦えばいいのか?

 多くの者が基本的人権を得るために戦い、痛い目に遭いながらも戦いを続け、そして今の、(経済的意味に限っては)被差別部落問題解決した現在に至る。

 あなた人生にとって、重大な戦いをせねばならない時がくるはずだ。その時に、どういった行動を取ればいいのか、当日記がその際の助けになれば幸いだ。

 40代以下の若い人に向けて、このトピックを書いたつもりだ。あちらへ、こちらへとぶれた文章になって申し訳ない。読み返してみると、まとまりのなさに驚いている。ご容赦いただきたい。

 あなた幸せのあらんことを。

2021-03-11

おせち料理ってたいした価値ないよね。

伝統なんて言ってるけどダジャレ食材しかないし、正月にはもっと美味しいものを食べたほうがいい。

2021-03-10

anond:20210310151542 anond:20210617102545

ワイは中間層より上じゃなくてもギャング伝統的な人がヒャッハーしている地域じゃなきゃアメリカで良いよ

USA!!USA!!USA!!

不快感をあたえる、というだけで差別呼ばわりするべきじゃないと思う

ドイツサッカーレポーター日本を「寿司の国」とコメント → 「差別だ!」とSNS炎上降板日本人「これって差別発言なの?…」 | Share News Japan

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/sn-jp.com/archives/32334

  

もし「スシ人間フットボールは100年早い」と言ったなら人種差別だ。だが実際はそうじゃない。

もし室屋選手日本国籍であってもJリーグ以外の場所キャリアを築いてからブンデスリーガ移籍したにもかかわらず「スシの国~」と言われたなら国籍差別だ。だが実際はそうじゃない。

  

そして欧州フットボール(ここではブンデスリーガ)と日本Jリーグには明らかな差がある。正直言ってJリーグのほうがレベルが低い。国際大会日本代表がぱっとしないのを見れば明らかだ。そもそも代表選手の大半が「海外組」だ。レベルが低い場所では活躍できるが高いところに行くとさっぱり、なんて選手ごまんといる(面白いことに欧州では活躍できたのにJリーグではさっぱり、という場合もある。「質」が違うとか「フットボールサッカーは異なる競技だ」なんていわれる)。要するに問題になった発言は、室屋選手能力の低さ(本当に低いかどうかはさておき、低いという評価自体競技に身を置く以上ありうるもの)を、「レベルの低い場所でなければ活躍できない」と表現してる。

  

レベルの低い場所」という意味で「スシの国」と言っているのが気に入らないのはわかる。スシといういまや日本代表する食文化を「蹴鞠レベルが低い地域」の意味で使われた、悔しい!わかるよ、不快感同意するよ。でもそれで一体だれが差別されてるんだ?嫌味な言い方だが誰も差別はされていないだろう。ソーセージの国でやってるフットボールレベルが高くて、スシの国でやってるサッカーレベルが低い。事実だ、実際勝てない。ソーセージ人間にはフットボールうまい奴もいるがヘタなヤツもいる。スシ人間も同じ。

  

ドイツ人がこれを問題視するのは、人種差別に対する「歴史的経緯」ゆえの敏感さとか、covid-19で高まったアジア系差別に対する反動としての過敏さとか、まあ予想の範囲内ではある。日本でもKリーグから移籍してきた選手にむかって実況者が「キムチの国でしか活躍できない」なんて言ったら大炎上するだろう。だが不快感を与えたら即差別みたいな雑な認定はもうやめるべきじゃないか。実際のところ誰の何が差別されてるのか? 

  

寿司という伝統的な日本食文化日本サッカーレベルの低さを表現する文脈で使うな!差別だ!」なんて言い出すならそれはもう、ポリコレこん棒握ったネット右翼だと思うよ。

2021-03-09

anond:20210309194408

プロなら区別つけるというのは誰が決めたルールなんだ?

お前が勝手に頭の中で思い込んでいる「プロっぽいルール」にすぎんのじゃないか? 俺は単に「慣例」と書いた。

だが伝統的な芸能の分野では、世界的にも区別をつけないことのほうが多いんだが?

アダルト表現を愚弄し陰気な隠すべきものとして扱うのはむしろガラパゴス的な感覚なのではないか

もちろん作品個々のゾーニングとしてはあるべきだが、表現者としては恥じたり隠したりするべきことではないとは思わないのか?

そういう思想性をもってあえて慣習に従わないでいるという気高さを秘めている人かもしれないということを考慮する程度にはデフォルト他人に対する敬意を払ってもいいのではないか

書き逃げしているようだが、何が「よく調教されているなあ」だ?

俺は元増田が言っていた声優ことな微塵も知らん。ゆりしー?だとか看破している人がいるようだが悪いがまったく存じ上げん。俺はデフォルトであらゆる他人に対して敬意を払う考え方をすべきじゃないか?つまりお前は他人馬鹿にしすぎなんじゃないか?という話をしている。

anond:20210309172749

はいはいお相撲さんはまだ乳首だしてるよね

そういえばお相撲さん土俵にもう女性知事はのせたんだっけ?

既得権にあぐらかい弟子いじめの温床になってても

伝統」wを傘にきてるでっかいかさばる生き物めっちゃ邪魔だなー

こっちは子供をまともに育成してほしいだけなんだが

2021-03-08

anond:20210308141254

そもそも単語熟語に区切って考えるから腑に落ちないのでは?と思ってしまう。

単語意味なんて古文現代文とで同じものごまんとあるわけだけれど、同じ意味文章話し言葉書き言葉で違う書き方になるのであればそれは乖離してると言えるんじゃないかなと。

例に出してる安愚楽鍋がまさに新しいものだったというか、そういうものがあったからこそ文学も誰もが読める平易な話し言葉に近いもので書かないとダメだね、というようになったってのが流れでは。

こうでなくてはならない、けしからん、という姿勢の人が多くいたんだと思うよ、当時は。変えたい人たちと伝統通りにしたい人達のせめぎ合いの結果、口語体が残っていったって話であって。

2021-03-07

anond:20210307141154

だがちょっと待ってほしい。母艦というけれど父艦という言葉はない。

英語はもちろんのこと多くの国で船は女性名詞として扱われている。

世界各国が伝統的に船を女性として扱ってきた文化からすれば、

艦船女体化するのは伝統に従っただけということができる。

一方ひるがえって競走馬はどうか。

血統スポーツである競馬牡馬牝馬の両性の存在によって成立している。

牝牡による繁殖なくして競馬はありえない。それが文化であり伝統である

スペシャルウィークサイレンススズカトウカイテイオーもみな大層ご立派な牡馬であるのになぜ女の子にされねばならないのか?

牝馬が一切登場できない世界ならまだしも牝馬牝馬としてやはり女の子として登場する。

これはさすがに競走馬文化本質から大きくかけはなれていると言わざるをえない。

擬人化するにしても牡馬イケメン牝馬美少女ではダメだったのか?

百歩譲って牡馬美少女牝馬イケメンTSできなかったのか?

オスでもメスでもとりあえずみんな美少女でええやんという安易競走馬擬人化に私は失望を禁じ得ない。

こだわりを持てないのはHENTAI JAPANの名折れであろう。

anond:20210306235434

それでもちゃんと測れば大差はないよ

そんなことよりさり気なくカレールー味噌醤油ケチャップなど調味料塩分濃度が安定していないことのほうが問題

親切のつもりで減塩傾向になってる(かとおもうと薄口醤油のほうが伝統的に塩分濃度高い)

それをやると賞味期限も短くなるのにな

しかもそこに自信がないせいかレシピも「塩少々」 少々ってどんくらいやねん!

からできあい調味料でも味見はしたほうがいいぞ

2021-03-06

anond:20210306171238

袴を履きましょう。

伝統的な剣道ではパンツを履きません。

袴は構造的に股間の締め付けがまったくなくFull-Chinと同じ快適さを味わうことができます

そう、防具さえつけなければ剣道着というのは男にとって非常に快適ウェアなのです。

今年の夏こそ和装男子デビューするのです。

あなたかわいいエレファント解放してあげましょう。

2021-03-05

anond:20210305123042

ケンピ(けんぴ)は、高知県郷土菓子であり、和菓子干菓子一種である。堅干、健肥、犬皮と当て字にする事もある。

堅干という当て字の通り、堅めで歯応えのある菓子である土佐伝統菓子として贈答品や日常お茶請けとして用いられている。また茶の湯で用いられる場合もある。


なお、芋ケンピとは異なる。

2021-03-04

anond:20210303214900

日本人特有ケガレ思想

そこらのトイレの床よりも人間の顔のほうが汚かったりするんですわ。

 

でもまあ、非合理な伝統感情にも配慮してあげんこともないよ。

今のラブソング薄っぺらさって何だろうなぁと考えた

思いついたのは歌詞の具体性だった

作詞者だけの恋愛体験が出てこないんだなぁと

恋愛経験の無さが歌詞に固有体験を出せないことから浮き出てしまっている

童貞でもかける曲がラブソングとして出されてヒットしているのはどうなんだろうかと

具体的にいうと20代前半の男性彼女に奥手で恋愛に不慣れで夢もなくて自分に自信がなくて振られたくないと怯えている

主人公としての男性像がどれも同じような感じで同じ人物オムニバスを歌っているように思える

主人公A君の1度目の恋愛をA氏が、2度目の恋愛をB氏、3度目の恋愛をC氏が歌っている

女性失恋ソングも似たような感じなのですがこっちは宇多田ヒカル以降なのでもう伝統化してます

恋愛なんて千差万別なんだからバンバンしょうもないエピソード歌詞に乗せて歌ってもらいたいものです

2021-03-02

anond:20210302200606

選択夫婦別姓制度反対派だけど、伝統的な家族とか不整合が起こりうるとかいう主張はしないよ

選択的だと別姓を選択しないと「恩恵」を得られないから、選択無しで旧姓を使えるようにするべきって主張するし、これこそが実際の問題解決だろうが、って思ってる

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