はてなキーワード: 不可能とは
無敵の人、というのは、
ひろまろさんにとって、悪・人道にもとる犯罪を行う上での言葉上の免罪符なんだと思う。
あえて無敵の人、恐れるものはなにもない、守るべきものはない、と胸を張ることで精神のバランスを取りたいのだろうと思う。
でなければ2ch時代に買った数十万人の恨みに押しつぶされてしまうからね。
たしか娘さんとかもいるようだから、実際は守るべきものが発生してしまって、海外をいくつかアジトにしてるのだと思う。
ただ、得たものは奪われる、という世界の法則からは逃げることはできない。
それはどんな形になるかは誰にもわからないけど。
■
無敵の人問題だけど、今回のケースだと当てはまらないと見ている。
社会的に失うものが何も無いために犯罪を起こすことに何の躊躇もない人を意味する|
これだけを言えば、独身の人で働いていない人が犯す犯罪はほぼ当てはまってしまう。
つまり定義としてはもう一歩踏み込んで、犯罪を行う個人が社会へ逆恨みのようのものを向けた、理解不可能な犯罪であるということを付け加えなければいけない。(つまり秋葉原の加藤はなぜ、職場の人間を殺さず、またネグレクトに近い母親を恨まず、社会へ憎悪を向けたのか)
今回がなぜ当てはまらないかと言えば、罪を犯した人間が、自身に向けられた不条理を生んだ社会へ向けた憎悪ではなく、自身の身内を不幸にした人間を恨んだ犯罪になるからだ。
この無敵の人という語がよかったのは、社会から排除されたりして、接点がなくなり犯を犯すことに躊躇することが無くなった人たちであり
かつ、社会へ逆恨みとも呼べるものを還元する人たちをうまく定義することができたことだろう。
なぜ社会へ向けた不特定多数へ罪を犯すのか、彼らが無敵の人だからだという具合だ。
自身で語を作ったひろゆき自身もそのことにまるで違和感がないみたいだし。
wikipediaを見ると、明確に京都アニメーションへ恨みがあった京都アニメーション放火殺人事件も含まれているし
だからひろゆきもズレに気付かないのか、社会への接点云々を語っているけど、まるでズレているし
もし、社会が彼を抱擁できたとしても、彼は社会へそもそも犯罪行為を行わないだろうし、安倍は死ぬだろう
この語の使い方がこうなってしまったことを擁護するなら、宗教に関連するものが原因であり、社会と宗教には近いものがある点を上げるのと
社会へ与えた影響が、人が亡くなったことの影響が社会へ幅広く伝わり、不特定多数が自分にもダメージがあったという点だろうか
まぁ無敵の人という語は死語みたいなものだったし、マイナーチェンジという形で意味が少し変わり復活したという風に理解するしかないだろうな
これだけを言えば、独身の人で働いていない人が犯す犯罪はほぼ当てはまってしまう。
つまり定義としてはもう一歩踏み込んで、犯罪を行う個人が社会へ逆恨みのようのものを向けた、理解不可能な犯罪であるということを付け加えなければいけない。
なんで?
だからさ…法律的に罪そのものを問われてるわけではないの、使用者責任は。責任を負えと言ってるだけであって。まして今回は判決文の中の指摘に過ぎないんだから尚更
そもそも宗教は会社と違って仮に犯罪歴があってても受け入れるものが多い(ちゃんとしている宗教は、だからこそ弱者の受け口になる)ので、人員の選定という意味合いで使用者責任を回避するのは不可能、だからと言っても法律的に免責されるわけではない、宗教全般の話な
犯人が今回暗殺に必要だったパーツを揃えるのって全然簡単じゃなくね?
犯人は体格を見るに2年ぐらいぶっ通しで筋トレなり肉体労働なりをしてる。
これは案外簡単じゃない。
その証拠に日本中にヒョロガリやデブが溢れており、彼らの7割ぐらいは「復讐のために筋トレだ!」と思い立っても3日で辛くなってやめるだろう。
鉄パイプにダクトテープが巻き付いたようなハンドメイド銃を見て多くの人は「こんなの俺でも出来る!」とか「3Dプリンタ銃の方がまだ精巧だ」と勘違いしている。
だがあれを作るのは決して簡単じゃないし、少なくとも3Dプリンタで作れるようなゴム鉄砲の延長みたいな銃ではまともな散弾は発射できないだろう。
銃そのものを作るのに最も障害となるのがトライ&エラーの機会だ。
火薬を使うという性質上どうしても発射する場所には気を使う必要がある。
銃の練習だけならアメリカでやればいいんだろうが、その経験を手製銃にそのまま活かせるわけもないし、銃の性能テストをする必要もあるのでどうしても本番前に実射撃が必要になる。
山の中で猟師の振りをして撃とうにも、見たこともないような銃を使っていれば自然と目立ってしまうだろう。
猟銃をそのまま使えば問題は解決しそうだが、今度はその形状で警戒されてしまう。
暗殺に丁度いい大きさで、かつ命中率と殺傷力を両立したいなら犯人が使っていたのが限りなくベストだと言えるだろう。
結果を見た自分たちは既に正解がわかっているわけだが、それを自力で見出していく道を簡単とは言えないのではないだろうか。
今回、暗殺成功における最大のファクターは「警備が手薄なタイミングで実行に移したこと」なのは間違いないだろう。
本人と装備の準備はたしかに立派なのだが、ほとんど警戒されずに後ろから近づいて悠々と2発目まで発射できていなければ殺し切ることは不可能だっただろう。
ネットやTVではSPの無能がしきりに叫ばれるが、そもそもSPの人数が4人ほどいれば誰かは後ろを警戒していただろうし、その場合は発射方向をキチンと把握してカバンを構えることで2発目は防がれた可能性が高い。
そもそも1発目を撃つときの体制や狙いをつけるときに障害物を意識する必要なども生じるだろうから成功率は大きく下がる。
結果だけ見れば最後には運が大きく作用しているのだが、それを引き寄せたのは本人の忍耐力だと私は思っている。
「実行に移そうとしたが、奈良以外では近づけなかった」というのを多くの人は奈良県警の純粋な無能としてばかり評価するが、ここをもって犯人の忍耐力についても一考するべきだ。
銃をカバンに仕込んで移動すること自体がリスクを伴うことを考えると、結構直前に作成成功率を鑑みて撤退できるのはかなり冷静な判断力がいる。
そもそも普通は持っていれば即捕まるよな物をカバンに入れて警備された地区に近づくだけで心拍数が上がりきって判断力がなくなるはずだ。
覚悟のない人間であれば、こうして近づいた段階で満足してそのまま復讐をやめ、自分だけが知る小さな勝利だけを持ち帰って満足しているだろう。
ないしは何度も危険な状況に挑戦するのを嫌って玉砕覚悟で成功率を無視して行動に移し、脅しをかけただけで勝利だと満足しながら刑務所に入るやも知れない。
だが今回の犯人は冷静さ・忍耐力・覚悟・信念などをあまりに多く持ち合わせていたがゆえに、次なる機会を伺い暗殺を成功させている。
犯人像の英雄化を防ぎたいだとか、社会的地位の高い人間の恐怖心を煽りたいだとか、とにかく騒ぎたいだとか、そういう理由から今回の犯人が揃えた手札の質と量を過小評価する傾向があるように思えてならない。
正直、よっぽど頭がプッツンしたからといってここまで出来る人間は日本人全体の1%程度なんじゃないだろうか?
そもそもその1%の人間はその能力を持って人生をコントロールしてプッツンすること自体を防ぎ切る可能性が高いだろうし、もしも頭がプッツンしても99%の人は冷静になって途中で辞めるだろう。
針の穴を通すレベルで不運と能力と偶然が無数に重なってようやく起きた極めて稀有な事例に思える。
もしもこれが「酔って暴走したトラック運転手やプリウスミサイル老人に元首相が撥ねられて死んだ」という事件であるのなら、「暗殺簡単すぎるだろ……」と私も怯えたに違いない。
だが今回の事例を簡単と呼ぶのは違うように思える。
無敵の人問題だけど、今回のケースだと当てはまらないと見ている。
これだけを言えば、独身の人で働いていない人が犯す犯罪はほぼ当てはまってしまう。
つまり定義としてはもう一歩踏み込んで、犯罪を行う個人が社会へ逆恨みのようのものを向けた、理解不可能な犯罪であるということを付け加えなければいけない。(つまり秋葉原の加藤はなぜ、職場の人間を殺さず、またネグレクトに近い母親を恨まず、社会へ憎悪を向けたのか)
今回がなぜ当てはまらないかと言えば、罪を犯した人間が、自身に向けられた不条理を生んだ社会へ向けた憎悪ではなく、自身の身内を不幸にした人間を恨んだ犯罪になるからだ。
この無敵の人という語がよかったのは、社会から排除されたりして、接点がなくなり犯を犯すことに躊躇することが無くなった人たちであり
かつ、社会へ逆恨みとも呼べるものを還元する人たちをうまく定義することができたことだろう。
なぜ社会へ向けた不特定多数へ罪を犯すのか、彼らが無敵の人だからだという具合だ。
自身で語を作ったひろゆき自身もそのことにまるで違和感がないみたいだし。
wikipediaを見ると、明確に京都アニメーションへ恨みがあった京都アニメーション放火殺人事件も含まれているし
だからひろゆきもズレに気付かないのか、社会への接点云々を語っているけど、まるでズレているし
もし、社会が彼を抱擁できたとしても、彼は社会へそもそも犯罪行為を行わないだろうし、安倍は死ぬだろう
この語の使い方がこうなってしまったことを擁護するなら、宗教に関連するものが原因であり、社会と宗教には近いものがある点を上げるのと
社会へ与えた影響が、人が亡くなったことの影響が社会へ幅広く伝わり、不特定多数が自分にもダメージがあったという点だろうか
まぁ無敵の人という語は死語みたいなものだったし、マイナーチェンジという形で意味が少し変わり復活したという風に理解するしかないだろうな
犯罪に合われた方には同情を禁じ得ない。
同じグループで2件被害とのことだが、同一犯の可能性はあるのだろう。下記で検討したように犯人にも難易度の高い犯罪と思われる。今回の犯人が捕まればしばらく安心して新幹線改札を使えるのではないか。
前提として、「在来線」「出口」での自動改札突破はかなりの件数が発生しているのではと思う。
1.入口
自動改札犯罪で多いのは出口だ。突破して駅から出れば闇の中。物理的確保は不可能に近い。監視カメラから追うしかないが顔を隠されたら?入口は違う。先は閉鎖地域。在来線巨大駅の改札入口はラビリンスの招待状、群衆に紛れ、ホーム多数、発着も頻繁。新幹線は違う。東京駅は最大だが東海道とそれ以外の新幹線改札は分かれおり規模は知れている。駅員の密度は高く、客の密度は相対的に低い。警察もいる。泥棒と叫ばれ追跡されれば逃げ場はない。ホーム上の捕り物はダイヤを荒らし危険も招くのでできれば階段下で抑えたいところだ。換金目的なら乗車予定はないし可能だろう。
2.新幹線
そもそも不正乗車目的か、換金か。まず不正乗車を考えよう。犯人は目的地までの切符を見定めて強奪するのが困難だ。ツイート主も書いているように今回は東京駅。一方向のみ。新大阪など両側来るところは反対方向を強奪したら目も当てられないので相対的に起きにくいだろう。また新幹線は匿名性が低い。検札がくる。指定席券を奪っても指定席に座れば犯人ですと名乗っている状況、ほかのシートに座っても怪しまれる。自由席を見極めて強奪?それでも在来線と違い車掌が往来するし鉄道警察も頻繁に乗っている。駅間も長い。袋のネズミである。在来線の改札犯罪は費用対効果で一定見逃されている可能性はある。新幹線のチケットは高価で、かつ既に犯罪中の者が乗っている状況は危険である。次の犯罪に進む可能性もある。安全管理上注意される状況なので是非連絡して、監視して、下車を待って逮捕して欲しいところである。実際に駅から車内に連絡が行く可能性はあるだろう。特に警察乗車便なら。
換金はどうか。この可能性のほうが高かろう。だが払い戻しは御用一直線だろう。また指定券の払い戻しは出発時刻までで困難だ。もし払い戻すならカード購入ではカードを出せと言われるので現金購入を狙うのだろう。乗車券をなんとか改札の外に出て乗車券を金券ショップに持ち込む。有効期限は距離に応じて当日から数日。函館か博多の自由席が狙われるリスクが高い。金券ショップでも足がついて御用の可能性があるし、買取金額を考えると骨の折れる犯罪だ。
3.駅員の対応
事情を言っても証明できないからと再購入。本当なら駅員の対応に問題はないか。新幹線の切符は領収書出ない?希望するボタンを押した場合のみだったか。在来線改札では繰り返し襲来する酔っぱらいや詐欺対応でつっけんどんな対応もあると理解しているが、新幹線改札で犯罪被害者に門前払いがもしあったなら良くない。東京駅新幹線改札内には警戒中の警察がいるはず。駅員側も犯人が他の犯罪を起こす危険からすぐに警察を呼んで対処すべきである。被害状況の聴取や協力の時間が発生する、予定上許容できない場合自腹再購入で乗らざるを得ないことはあるだろう。被害者も犯人も同じ電車に乗るならお互いに気が気ではないが。
4.あえて手を出さない?
新幹線の運行上の安全や運行への集中を考えてあえて走行中の列車と連絡を取ってまで犯人を追い詰めない考え方もあるだろう。もしそのような方針で、かつ対応が見破られているとすると、不正乗車目的で一定件数発生している可能性はある。その場合でも泥棒と一言叫ばれれば改札内に逃げ場はないので犯人にとってお縄のリスクが非常に高い犯罪であることに変わりはない。NYは知らないがパリやローマの地下鉄の自動改札では不良集団が悠々と突破していく。駅員はいても手を出さない(私の観察範囲では)。他の乗客は言うまでもなく。危険だからだ。治安が一定以上悪化すると係員も一般人も見て見ぬふりになる(長距離列車では改札自体なく社内検札ですべてカバーするのでチケット強奪は起きない)。日本がこうなるとは今のところ思えないが、念を入れて割れたそばから窓の修理を続けてほしいものである。
見落としや仕組みの理解誤りがあったら教えてください。
女性だし、かつて同世代で妊娠した人が理不尽な対応をされているを知っているので、理性では「やらなきゃダメだ」って思うけど、感情の面ではそうならない。
なんか疲れてるのでツラツラ書く。文章の推敲はしない。誤字脱字も無視する書き捨てだ。
現在、部下が育休もしくは時短勤務をしている。その率は配下にいる部下の半分を超えている。
毎年産休育休・時短復帰があって、その度に管理職である自分がババを引くというのが続いている。
産休に入る前に仕事の引き継ぎをして、復帰時に戻す作業をしているけど、今のところフルタイムで復帰している人がいないので、残業にならないように、時短内で終わるくらいの仕事量にして戻す。産休前の仕事量にはならないので、自分のところには必ずいくつか残る。
昭和な昔と違って、管理職といえど管理だけしているわけではないので、やることがどんどん増えちゃうんだよね。
とはいえ、育休復帰者のために席を空けておかねば「マタハラ」となるため維持しておかねばならず、全社的に人手不足なので、一時的な異動も依頼できない。
今いる配下の人間で仕事を回すしかないけど、数年この状態が続いているので疲れている。
明らかに残業になるようなタスクを積み上げるわけにはいかないし、残業命令も受け手がパワハラと思えばパワハラになってしまうことが多いので、必然的に自分が巻き取ることになり、自分の労働時間が増えている。
世の中的に子育てを支援しようとか、女性が活躍できる場を増やしましょうというのは良くわかる。
40代も半ばなので、自分が若い頃は理不尽なことがたくさんあったし、それを今の若い女性たちが引き継ぐべきではない。
理性ではわかっているが、最近、感情の面ではそう思えない時が出てきた。
全体に対して思っているわけではなく、ピンポイントでそう思うことが多い。
自分の会社は中小企業の中でも福利厚生は頑張っている方で、育休・産休を含めて、休職したからといって、給与や昇格面で直ちに不利になるということはない。
本人が頑張った分だけ評価されるよう色々工夫しているし、自己評価の書き方が下手な部下に対しては、書き方をアドバイスする事もある。
ただ、大企業とは違うので、彼ら並みの福利厚生を運用することは不可能だ。
自分はいくつかの会社に在籍していたので、中小企業の中では相当まともな福利厚生の運用をしていると思っている。
入社してくる人たちが「福利厚生が決め手です」というほどには改善しているし、新卒入社組を含めても在籍平均年数は10年を超える。
一番困るのは「他の会社はやってるのに、うちはない。おかしい」と言われることだ。
あまりにも何度も訴えるので、「参考にしたいので、会社名を教えてください」というと、大体黙る。
たまに会社名を言う事もあるのだが、超大手だったり、主力業務の違いがあったりして、うちでは絶対に運用ができない制度も多い。
風が吹いたら消し飛ぶ中小企業と超大手を比べられても困るし、環境を無視した無茶苦茶な要求を何度も繰り返すので、人事からも私が嫌味を言われる始末(私に訴えられても困る。私だって一従業員だ)。
人事が要望を受け入れないので、どうにかしてくれと訴えてきたことも何度かある。
でも、今の体制では絶対に無理な要求で、それを通すと他のスタッフへの負担が爆増する。個人的な考えは別として、組織を率いる管理職としては容認できない。
また、無理矢理要求を通した場合、後日の禍根となり、周囲の社員のやっかみ等で在籍し続けるのが難しくなる可能性がある。
多角的に考えて会社と相談の上で「対応は無理です。旦那さんと相談・協力してやりくりできませんか?」という返答をするのだが、要求した本人はそう思わない。意地悪をされたと思うらしい。
タチの悪いことに、要求が受け入れられないとわかるとヒートアップしてきて、個人を攻撃するような言動も出てくる。
「うちの会社規模でその制度を整えるのは無理です。このままでは就業できないということであれば、残念ですが、その会社に転職してください」と言いそうになったことは何度もある。言わないけど。
コンプライアンス遵守の会社なので、役職が上がる時は必ず「言動に注意してください」と念を押される。
うちの会社の場合、役職が上がるほど言動が丁寧で、暴言を吐くのは部下の方とほぼ決まっている。
部下の暴言で心を病む役職者が出るくらいには、コンプライアンスが尊守される(ひどいなw)
どうにかできるもんなら、すでにどうにかなっている。
できないからその環境で最大限の制度を作っているし、そもそも、それを支える他の社員の負担も考えてない。
対象者全員が、そういう要求をしてくるわけではないが、こちらの業務に支障がでるほど何度もしつこく訴えてくるし、場合によっては個人攻撃とも取れる言動もあるので、人事や管理職が感情的に不愉快になるのは確か。たまに異常性を感じることもある。
だから、数年前に「資生堂ショック」というのが起こった時、まあそうなるだろうなとは思った。
全員が悪いわけじゃないんだよ。ごく一部で悪目立ちする人間のせいなのだ。
育休・産休・時短勤務取得者の全員が自分の配下に集まってきたのは理由がある。
自分と同世代の女性管理職とあまりうまくいかず、異動願いを出したからだ。
むしろ、自分の指導力は彼女らに劣るので、管理職としての能力は彼女らの方が上だ。
ただ、収益という点では私の方が上で色々と余裕がある。ただし、これは自分の能力ではなく、利益率の高い業務が割り当てられた部署の管理職なだけだ。地の利を得ているだけなので、私自身の能力は極めて低い。
言動が言動だけに、他の女性管理職と感情面でうまくいかなくなるのはわかる。
子育てもやや終わっている年代だけど、子育て真っ最中にどれだけ苦労したかは想像ができる。
理不尽もいっぱいあったし、同世代の女性たちは、妊娠すると周囲の圧力で産休・育休を取得できずに退職する人が多かった。
色々なものを犠牲にしながら頑張って今の地位にいるので、自分が要求したくてもできなかったことを、あれもこれもと過度に要求されたら、あまり良い気分ではいられないだろう。自分が同じ立場なら、間違いなく気分を害する。
ただ、私が知る限り、この女性管理職たちは感情面はどうであれ、業務にそれらを持ち込む人たちではない。
うちの会社、業務上で感情的に動く人は管理職になれない。自分本位な人間は、仕事ができても管理職に推薦する人がいないのだ。
どっちかというと、取得者が勝手に「この人はこう思っているに違いない」「周囲はこの女性管理職と自分を比べてるに違いない」と思い込んで異動したいと言う。
まだ自分の部下ではない頃、そういう風に相談されたことがある。
未婚子無しの自分でさえ、たまに「こいつは何を言っているのだ」と思うので、子育てを経験して乗り越えた人から見ると、もっと強く思うだろうなあと思う。
が、管理職は他人の感情などにかまけている暇はないので、半分くらいは受け手の思い込みだろうなと思う。
同じ女性でも、既婚子育てを経た女性でも、感情的な面では色々ある。
だから、そういう環境で追い詰められている最中に「子育て支援」とか「女性活躍」とか言われると抵抗を感じてしまう。
「子育て支援」は別として、「女性活躍」を全ての女性が望んでいるかと思われても困るよなあ。
自分も数少ない女性管理職の1人だけど、管理職になりたかったわけじゃない。
やってることが管理職と同じなのに、非管理職と同じ給料で働かされるのが嫌だったから昇進しただけだ。
とはいえ。
色々訴えたいことは山ほどある。きつい、めちゃくちゃきつい。仕事サボるほどにはきついと感じているw
でも、どっかで誰かがやせ我慢しないと、いい方向にはなっていかないんだよね。
でも、昨今の企業、常時余剰人材を置けるほど余裕があるわけじゃないんだよ。
人を採用するにも、色々問題があって解雇するにもかなりのパワーが必要になる。
日本の企業は解雇しづらいって言われているけど、実際はそうでもない。非常識な問題社員は解雇できる。
ただ、すごいパワーが必要なんだよね。不当解雇ではないことを証明するためには、メチャクチャ労力がかかる。
真面目で「良い会社」って言われる会社ほど、この部分はしっかりやる。
だから、解雇しなくてもいい人材を採用したいって中の人たちは考えるんだよ。
余裕あったら、みんなで窓際で日向ぼっこできて、ある意味幸せになれると思うけどね。
一企業がこういう制度を支えるのは本当につらいし、奥さん側の会社におんぶに抱っこな会社もある。
もちろん、うちはおんぶに抱っこされている方で、「旦那の会社がタダ乗りしている」って文句言うくらいにはきついw
よく話が上がるのは、「取得していない配偶者の会社から、取得している配偶者が勤める会社にお金が入ればいいのに」というもの。
そうすりゃ、どの会社も率先して育休取らせるようになるだろうから、どこかの会社だけに集中することはないよね、という戯言を言っている。
戯言なので半分は冗談だが、そうでも言わないとやっていられない。
タダ乗りしておいて「(妻の会社の)支援がなってない」っていう人もいるんだよねw
そういう苦労も知らずに「子育て中の自分は大切にされるべきだ」とか「子供は将来的にあなたの老後を支えるんだから助けろ」とか「ワーキングマザーを差別している」って言われてもなあ…。
老後の件はそうかもしれないけど、今現役の人たち、あんたらの子供のために税金払ってますよ?何もしてないわけじゃないんだけど。
世の中を良くするには、今までのやり方ではダメなのはわかっている。
それなら、あるカテゴリーだけでなく「みんなで幸せになろうよ」ではダメなのかなあと思う。
仕事のできる女性は男性を扶養してもいいだろうし、男性が家のことをやってもいいと思うんだよ。
それこそ、適材適所で生きることができれば、性別や年齢でカテゴリー分けしなくても、ある程度幸せに暮らせると思う。
同時に勘違いしている人もいるなと思う。
こんなのも一時期流行ったから、違いを知ってる人も多いと思うけど。
https://www.facebook.com/groups/159231411586664/posts/957435791766218/
「公平」であるべきとか「SDGs」とかは、みんなが気持ちよく生活できるというより、みんなで不都合を分担しながら生きていこうぜって話。
だから、100%要求を通そうと言うのが間違いなんだよね。取捨選択しないと、本当に得たいものは得られない。
今は過度期できついだけだと思い込もうとしてるけど、息切れしてきた感じだ。
自公維国で2/3超えたな
ってか、こうなるって分かってたのに、左翼は何やってたんだ?
選挙は勝たないとお前らの望みは叶わないんだぞ
負ける
それをサボってるからいつまでも同じ間違いを繰り返し続けるんだよ
壊れたテープレコーダーみたいに同じこと同じこと繰り返し言い続けてさ
いや、もう壊れちゃって修復不可能なのかな?
連射は不可能だが同時に多弾を発射すればこれぐらいの効果があると実証してしまった
銃の作成のために入手したものはホムセンやスーパーでどこでも入手可能なものばかりであり、
ただでさえ厳しい日本の管理下でさらに制限するのは難しい代物ばかりである
これはもしかしたら、パンドラの箱を開けてしまったことになるのかもしれない
それともダクトテープやガムテープが買えない国にでもなるのだろうか
雑感です。
ふだん政治には興味を持たないスタンスで、理由は「本当のところはわからない」から。選挙権を得たときからずっとスタンスは同じで、ゆえに投票は「自分にとって都合いいこと言ってるかどうか」だけで決めている。俺は政治に興味がない一般大衆なので、それ以上のことは考えないと決めている。ゆえに政党がどうとかいうことにも興味はない。
事件の被害者に関しては特になんの感情もない。知り合いじゃないので。
ただ、今回の事件はさすがにでかすぎる。ふだん政治に興味を持たないと決めている俺でも、関連のニュースはかなり追ったし、ブコメも読んだりした。
まず事件の第一報を聞いて感じたのは「勘弁してくれ」という感情だ。この「勘弁してくれ」の中身には多少説明がいる。
まず、事件が象徴的すぎる。でかい。元国家元首が暗殺された。それも毀誉褒貶いろいろあるタイプの人がだ。そして大きな事件が起きたときには、かならず世のなかのなにかが変化する。特に今回の事件の被害者はネットにおける論争の争点になりやすい人だ。
俺は、人が大きく動くことがとても怖い。無数の人の感情が一体化して大きな拳になったときに、たいてい殴られる側に属してきた。今回も、きっとなにかの変化がある。どう変化するのかはわからない。俺の「勘弁してくれ」はこの不安と恐怖に由来している。
たいていの大きな事件の後って、変化はそのときすぐにわかるようなものではなく、たとえば20年後になって事件を振り返ったときに「あれ? あのときからじゃね? 変わったのって」というかたちで気づくようなものだと思う。今回、ふつうの人程度だとはいえ、ある程度は事件を追いかけているのは、その変化が自分にとって都合の悪いものではない、という確信を得たいからだと思う。もちろん原理的にそんなもんは得られないわけだが。
次に、速度感が速すぎる、と思った。
インターネットあるのであたりまえである。が、それにしたって速すぎる、ということをあらためて痛感した。
事件が起きたときにもっとも怖かったことのひとつに模倣犯がある。なので、ふだんはやらないツイッター検索で「模倣犯」で検索をかけてみた。そうすると、さまざまな意見がある。要するに、みんななんか言いたい。だから言ってる。それはそういうものだろう。システムとして「言える」ものが存在してるんだから。
ただ、それでもなお速すぎる。
死んだ人がそういう立場にあった人だから、といってしまえばそれまでだけど、その死は、すぐに意味づけられなければならないものなのだろうか。毀誉褒貶があるということは、評価が定まっていないということだ。定まっていないものを定まったもののように語ることは、これこそが政治性であり、俺がもっとも「政治」に関連して苦手とするものだ。もちろん知ればいい。知る努力をすればいい。しかし俺は政治というものに関してそこまでのコストを支払いたくない。ゆえに知らない。
ならば、その人の死について意味づけをしようとする人たちはなにを知っているのだろう。そこが疑問だ。知らない人たちの言葉が大量に舞っている。それらの言葉を発した人たちの背景を俺は知らない。言葉そのものから情報を得るしかない。けれど、だれもが自分の背景を詳しく説明できるほど文章を書くことに特化しているわけでもないし、そもそもこれだけ大量の人間の発言の背景すべてを知ることは物理的に不可能だ。そういう言葉が大量に流通していることそのものが怖い。
もちろん、そういうものだと納得はしている。可視化されているのが前提の時代だ。俺とてもその言葉を娯楽として消費していることは多々ある。けれど、怖い。多くの人が、自分の生活に密接に関係するわけではないことについて、大量の「判断」を下している状況そのものが怖い。
あと、暴力の否定や人の死に関する扱いについて、ちょっと疑問があった。
暴力はよくない。あたりまえである。殺されてもしかたない。そんなことはもちろんありえない。なぜなら、この世界はそうしたものを否定したうえに成立しているからだ。なので、暴力否定はあたりまえである。俺も殴られるのいやだし、殺されるのもいやだし。
でもまあ実際のところ、今回の事件を通じて多くの人が感じたのは暴力の有効性のほうだと思う。だからこそまず、事件に触れる人はその有効性を否定しなきゃだめなんだろう。ただ、有効性を全否定となると話はちょっと違ってくる。「なるほど、有効である。ならそれを有効でなくするにはどうするか」という話だと思うんだが、まあこれは触れるには時期が早すぎるということなのかもしれない。
それともうひとつ感じたのが「供述の力」みたいなものである。犯人が宗教云々という発言をしたことで、焦点がごっそりとそっちに向いている。これ、たとえば「政策が気に入らなかった」とかだと世論はまったく違う方向を向いていたに違いないし、今後も違う方向に進むだろう。犯人の供述、ドチャクソ強い。象徴性のある人物を殺したことによって得た発言権、めちゃくちゃ強い。過去に起きた自分が知ってる限りのいくつかの大事件でも、やっぱりなんらかの象徴性はあったと思うんだけど、犯人が単独、殺した相手が有名人で、しかも国家元首。象徴性のでかさ半端ない。供述の声、めっちゃでかくなる。メディアが大宣伝してくれる。
で、それはどうなの?と思う。ここのところはちょっとうまく言語化できない感じなんだけど、素朴に、殺人やった人になんでそんな影響力あんの、という疑問。かといって、なにもあきらかにされないのではよりよくないだろう、ということくらいはわかる。正解が見つからないんだけど、ヤケにさえなれればやったもん勝ちじゃん、みたいな感じがする。それは違う気がする。
で、いろいろ見てきて、今回の事件、もちろん歴史的大事件には違いないし、年表にも確実に載るだろうなと思うけど、その後のニュースの動きを見ている限り、そこまで根こそぎの変化が起こるものじゃないような気もしてる。
ちょっと前、どれくらい前からかはよくわかんないけど、なんとなくはてなを眺めてて「ああ、政治の季節ってこういうふうに始まるのかな」みたいな感想を持ってた。よく知らないけど安保闘争とか? 政治に興味を持たないこと、政治的思想性がないこと、そういうのがダサいとか無責任とか思われるような時代。まあ来るなら来るんだろう。俺には関係ないけど。
だれでもネット上でなんらかの発言はできる時代になったけど、かといってみんながみんななにかを言おうとしているわけでもない。特に声を上げることをしない人たちを駆り出して、ひとつの方向に動かすようなタイプの事件かな、というと、あんがい人は明日も明後日もふつうに生活してるんじゃないかなと思う。過去のいくつかの大事件と違って、すぐに自分に影響が及ぶようなものじゃないから。
ただし、俺はテレビを見れる環境を持ってない。こういうとき、テレビがその死をどう扱うかは、世論にバカでかい影響を与えそう。
今日、知り合いのじーさんからこの事件の話題を振られて、こんな地雷原みたいな話題に触れるのいやだったから「いやあ、テレビ持ってないんですよね」と答えたら「え? 持ってないの?」ってすごく驚かれた。「パソコンでたいてい間に合っちゃうんで」と答えたら「パソコンでテレビ見れるの?」って言われた。
考えてみれば、テレビが家にないということが相当に「おかしい」ことだった時代って過去に確かにあった。よほどの変人か、世捨て人か、まあそんなようなイメージ。それがいつのころだったかはよく覚えてないけど、この世にはまだテレビがすべての情報源の王様だと思ってる人が、わりとたくさんいる。その影響力は大きい。
別に結論はない。まとまってもいない。いま感じたことをとりあえず書いておかないと不安だからそうした。増田あってよかった。
俺はただ、明日も明後日も、人々が地に足をつけて日々の生活をし、半径何メートルかの人々を愛し生きていることだけを願う。だからこそ政治が重要なのだと言われれば、それもそうだろう。だれも政治には無関係ではいられないはずだ。けれど、ふつうに生活している人たちが党派性に乗っかって大騒ぎする必要があるのかと問われれば、疑問符をつける。言葉は、独り歩きする。それはよくも悪くもだ。言葉の上で言葉が乱舞し、雪だるまみたいに膨らんでいく。どこに立てばいい? だれが俺の安寧を保証してくれる?
・電核
サイバネティクス技術を用いて開発された人工のクリトリス。通常のクリトリスと同様に機能するが、最大の特徴はその感度にある。電核化されたクリトリスは通常の3000倍以上の感度を持ち、電核化女性は常に強い性的興奮状態に陥いることとなる。
電核は、通常時は包皮(シェル)に隠れているが、外的刺激を受けると勃起して露出する。
・電核通信
電核の極めて強い性感を利用して行われる無線通信。電核化女性同士でのみ送受信可能であり、傍受や妨害はほぼ不可能とされている。しかし、通信中はクリトリスが包皮から露出して発情状態となり、通信者はイキっぱなしの状態に陥ってしまう。
・電核ネット
電核化されたクリトリスを中継点として、電核通信によって構築された電核化女性たちの超広域情報通信網。全世界規模で広がっており、インターネットよりも遥かに高速かつ大容量の情報共有が可能である。また、コンピュータでは表現できない感覚や思考を直接伝えることも可能。
電核ネットへの接続は電核化女性にしかできないため、電核化女性とそれ以外の人間の間では格差が広がっている。
・クリトリスハック
「電核ネット」を経由して、相手の電核化されたクリトリスをハッキングあるいはクラッキングすること。クリトリスをハッキングし、強力な快楽信号を送り込むことで相手を無力化することができる。また、高度なクリトリスハッカーであれば、快楽信号によって身体の自由を奪うだけでなく、コントロールする、記憶を改ざんするといったことも可能。
・陰核防壁
外部からのクリトリスハッキングを遮断し、同時に相手のクリトリスへカウンターハックを行う攻性防衛システム。強力な一方、使用中はクリトリスの感覚が鋭敏になり過ぎてしまうため、長時間の使用には注意が必要となる。
・電核拘束具
電核ネットへのアクセスを強制遮断するための拘束具。装着者のクリトリスにローターを取り付け、貞操帯によって固定した状態で振動させる。この状態では電核ネットへの接続は不可能となる。装着者は極度の性的快感から海老反りになり、イキながら失禁するという恥辱的な姿を晒すことになる。
そのとおりで心臓が止まっている(脈が測れない もしくは呼吸が確認できない)なら酸素を循環させないとマズいので心マはやらないといけない もちろん外出血部位を圧迫した上で…の話だが
ただし心マする度に出血が悪化するなら中断もやむなしと言った所 失血し過ぎても死んじゃうからね
今回は銃弾が心臓にあったから心マの度に体内出血してたのかもしれないけど 正直これはしゃーない 体内は視診じゃ誰も判断は不可能だから
空母の存在意義も分かってないし、核兵器の有無は全く関係ない。
戦力にしたって、ロシアは広大な国土があり、西はNATO、東はアメリカと日本に接しているわけで、どちらかに全振りすることは不可能(でもウクライナ侵攻で極東方面の軍からも人を呼ばないといけないくらい人手不足のようだ)
追記:
書き忘れてた、昼の時点で思ってたこと追加。
トラバに。
反射的に外形的な面から「政治に対するテロ」って言葉が出てきてしまったが、一方でこれは政治思想や政策ではなく政治腐敗に関する数々の疑惑に向けられたものではないかと直感が言っていて、その意味するところが自分の中でまとまらず定まらないまま書いた。
ただ、現時点でも犯人の動機は分かっていないと思っている。政治か、悪事か、別の何かか。NHKの報道によれば、
現場で逮捕された41歳の容疑者は警察の調べに対し「特定の団体に恨みがあり、安倍元総理大臣がこれとつながりがあると思い込んで犯行に及んだ」と供述しているということです。
だけど、これが本心だと判断するのは時期尚早だろうし、本心ではないならなおさら、隠してる動機は謎。
そして、世間がこのテロをどう受け止め、その行為を(犯人自身の意思を離れて)どう解釈してしまうのか、それが何を社会に何をもたらし、何を引き起こすのか。実際には犯人の単なる勘違いが原因だったとしても、これを悪行に対する天誅だと思う人が少なくなければ、その中から次の私刑を計画・実行する無敵のフォロワーが出てきかねない。それは連鎖するかも知れないし、挙句暴走するかも知れない。