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はてなキーワード: ハブとは

2019-11-01

anond:20191101045710

学校という狭い世界世界の全てである間は気づくのすげー難しいんだよね。

ネットある世代になっても根本的に変わってない。学内ネット上のコミュニティも閉鎖的だから自分たちの時と本質的に変わってないと思う。

自分場合ゲーセンコミュニティの一員になるようになって、社会人や年上の友人できて学校以外の人間関係評価軸得られたのがとても大きかった。

小学校から高校まで、自分は息するだけで嫌われるような人間だと思い込んでて、実際すこし人と関わるだけでいじめ対象になって、ずっと日陰で誰とも関わらないように目立たないように息を潜めてやってきた。親までPTAはぶられてて、その親に言われた子供さら自分をはぶるのだ。ハブられてた理由は家が貧乏でひらやだとか、親が若いとか。若いってだけでPTAですごいはぶられる。行事には呼ばれないし、球技大会などではどのチームにも自分が入ってなかったりした。でも誰も何も言わない。それが地域ぐるみで代々受け継がれてるから小学から中学いってもかわらない。

ゲーセンだと全然そんなことなくて、平等で同じコミュニティの一員として扱ってくれて、ちゃん自分にも挨拶してくれるし挨拶したら挨拶帰ってくるし会話もしてくれるしで人間で良かったんだってなった。

ゲーセンはクソみたいな地域コミュニティともPTAとも切り離されて、場所的に校区からも離れてたし色々と独立した大人世界だった。

あの逃げ道がなかったら、きっと社会人なっても社会に不適合で苦しんでたと思う。

2019-10-31

英語入試 身の丈発言が示すもの

https://www.asahi.com/articles/DA3S14236794.html

そんな朝日新聞日教組

目上という法律にも宗教にも一切記述のない謎の序列肯定して

従わない人間ハブするのだろう

2019-10-25

anond:20191017234848

同じくアメリカソフトウェアエンジニアをしている自分アドバイスしてみる(が、ブコメにも書かれた内容とかぶるところが多々ある)。

勝手元増田情報を整理&推測してみると、以下のようになりそうだ。

年収:19-20ドル

・RSU:不明 (書き方的に年収には含んでいないように見える)

貯金:約4万ドル/年

家族独身?または夫婦子なし?

普通はRSUを年収に含むのが一般的なのだが、元増田はRSUは全額貯金主義なのだろうか。自分20ドルほど稼いでいたとき(独身)の内訳は、

Base salary + Bonus:15万ドル

・RSU:6万ドル

税金:7万ドル(連邦税 + 州税)

家賃:2.5万ドル (月約2000ドル)

貯金:6万ドル程度/年(うろ覚え)

という内訳だったので、なんとなく立場想像できる。

しかちょっとした違和感なのだが、元増田アメリカに来てからそんなに経っていないのだろうか?RSUを年収に含まないところや、クレジットカードに疎そうなところが少し気になった)

このときにはプレミアムエコノミーさえ高いと思っていたし、自分よりも倹約であることが想像できる元増田は(東京-NY往復9万円はすごい…直行ではなく経由便?)、よりそう思うことは想像に難くないが、それでもビジネスクラスに乗る敷居を下げるためのテクニック自分の知る範囲で書いてみる。

1.利用する航空会社アライアンスを揃えてマイルを貯める

当たり前のようなアドバイスだが、出張帰省時の利用航空会社は最低限同じアライアンスで揃えておくべき。ANAならスターアライアンス加盟会社(United)、JALならワンワールド加盟会社(American)だ。ちなみに自分日本航空会社(ANA)で貯めているので、残念ながらアメリカ航空会社マイレージプログラムには詳しくない。なので、以下は日系の航空会社で貯める前提の話になるが、元増田が日系航空会社ビジネスクラス帰省したいと思うのなら実際これが近道だろう。

アメリカ国内線では目的地によって使いやす航空会社は変わってしまうが、大陸横断便を利用するときにもできるだけ揃えた方が貯めやすいだろう。AmericanならJFKに、UnitedならEWRにハブがあるし、ニューヨークから西海岸に飛ぶ便はスターアライアンスでもワンワールドでも潤沢にありそうだ。

マイル使用方法だが、元増田が書いている通り、ビジネスクラス往復航空券は(コスパは良いとはいえ)マイルを大量に使うので、自分基本的に後述するアップグレードの時のみ使っている。

2.”OPM”を最大限活用してステータスをゲットする

せっかく会社ビジネスクラス乗せてくれたりするのなら、ステータスをゲットしてしまおう。ただし毎年ステータスをゲットできるほどの出張頻度ではないなら、持っているだけでステータスを維持することができるクレジットカードを作るといい。ステータスを持ってもビジネスクラスに乗れるわけではないが、ラウンジを使えたりよりマイルがつきやすくなったりするので、持っていて損はない。

元増田もご存知かもしれないが、”マイル修行”と俗に呼ばれる、ステータスをゲットするために航空機を利用しまくる行動は、実は”マイル”をゲットするためではなく、プレミアムポイント(ANA)/FLY ONポイント(JAL)をゲットするために行う。このポイントマイルのつき方はやや違うので注意されたい。これらのポイントを5万マイルまで貯めて、ANAではプラチナJALではサファイアまで達成した上でクレジットカード(ANAならSFCJALならJGC)を作ろう。

このポイントの仕組み上、アメリカ在住組は比較的不利になってしまう。国内線日本からアジア路線をたくさん乗る方が簡単に達成できてしまうからだ。でもビジネス東京NY間で乗れたりするなら達成までのハードルは低いだろう。

3.プレミアムエコノミーチケットを買ってアップグレードしよう

ご存知かもしれないが、アップグレード可能エコノミーチケットというのは意外と高い。東京NY間だと、エコノミー最安値16万くらいの時、アップグレード可能エコノミーは32万ほどになる。もらえるマイル数が倍になるとは言え、得られるサービスが全く一緒なのに、アップグレード可能というだけで倍の値段を払うのは難しいだろう。しかしこのチケットに2ー3万ほどのせるとプレミアムエコノミーに乗れる。エコノミーに比べてプレミアムエコノミーが2倍強の価値があるかどうかは微妙なところではあるが、シートピッチも広いしレッグレストもあるし、食事ドリンクもそれぞれグレードアップされているのでロングフライトではその恩恵を十分に受けられるだろう。プレミアムエコノミークラスは必ずアップグレード可能チケットなので、アップグレードに28000マイル(ANA)/30000マイル(JAL)を使えば片道ビジネスを楽しむことができ、さらマイル100%換算で稼げる。ちなみにANAだとアップグレードポイントという、アップグレードのみに使えるポイント上級会員には付与されるので、これを使えばマイルを消費せずにアップグレード可能になる。

元増田がいう”心の余裕”は”ビジネスクラス個人お金で買える余裕”であるようだが、とりあえず”プレミアムエコノミーを買える余裕”程度から目指してみるのが良い気がした。

4.クレジットカードマイルを貯める

ここまではマイルを飛ぶことで貯める、マイルの消費を抑えてビジネスクラスに乗る敷居を下げる方法について書いてきた。そうではなく、元増田が軽く触れているようにクレジットカードでもマイルを稼ぐことができる。

元増田は”100円に対して1マイル”と書いていたが、実はアメリカではカード/工夫次第でもう少し還元率を上げることができる。以下はANAマイルの話になるが、AmexポイントからANAマイルには1:1で交換できるので、Amexカードを作ると効率よくANAマイルを貯めることができる。具体的には以下のようなカード候補になるだろう。

Amex Gold Card

よく飛行機乗るなら100ドル分のエアラインクレジット簡単に回収できてしまうので、実質150ドル年会費となるだろう。3500ドル航空券には1万マイル以上つくし、年間の外食費はNYなら5000ドル(2万マイル)は行くのではと思われるので余裕で年会費分も回収できてしまいそうだ。

Amex EveryDay Preferred

このカードの良いところは、とりあえず毎日切っていれば服やらAmazonで頼む家電やらの全ての買い物のポイント50%増になるところだ。レストランや旅費に対してポイントを増すカードは沢山あるので、すでにそういうカードを持っていて手放したくないならこちらのカードの方が良いかもしれない。

これらのカードを使えば10マイル貯めるのは実質4-5万ドルくらいの持ち出しで抑えられるのではないだろうか。ちなみにもしアメリカ来てからそう経っていないのであればクレジットヒストリーがないので、これらのクレジットカードを作るまで渡米後一年ほど待つ必要があるかもしれない。大抵JAL USAカードANAカードUSAか何かを使ってヒストリーをためることが一般的だが、これらは上記のようなカードを持ったら基本的には使わない方が良い。

(JALマイルアメリカクレジットカード効率よくためる方法は知らないので誰か教えてください)

5.インカムが増えるまで待つ

…というのは元も子もないかもしれない話だが、NYソフトウェアエンジニアをやっているのであれば、もう少し上が狙えるのではないだろうか。というかそもそもRSUのvesting scheduleが4年程度なのだとすれば、3-4年RSU refreshを貰いながら暮らせば(当然株価にもよるが)RSU分だけで8万ドルくらいは余裕で行きそうなので、年収は30万ドルくらい、今の出費ペースなら貯金も年10ドルくらいは問題なく行くだろう。ベースだけで18-20ドル程度行ってるのであれば、シニアエンジニアクラスだと思われるので、そろそろ家族ができたりしてそんなに自由に使えなくなるのかもしれないが。順調にキャリアが育てば(RSU含んでの)年収30-40万ドルは(少なくともBay Area/NYでは)一般的と思われるので、それくらいを独身(または夫婦それぞれ)稼げばプレエコへの出費くらいは高くないであろう。エコノミーに乗りながら心の余裕がないとポエティックに嘆く元増田にとっては特に

ちなみにシリコンバレー給与の話は以下の記事を参考にしたが、levels.fyiを見る限りNYシリコンバレーもそう給与水準は変わらないだろう:

https://medium.com/@sakamoto.kazuki/2018-01-demystify-compensation-489fd16b40c5

https://www.levels.fyi/salary/Google/

まあ在米日本人にとって、これくらいの情報はよく出回っている話なので、すでに知っている話だったかもしれないが、知っている範囲情報をまとめてみた。ちなみに自分日本人の中でも小柄な方なので幸いエコノミークラスでもそこまでシートピッチに苦しむことはないが、プレミアムエコノミーで席を倒してレッグレストで足を浮かせるとまあまあ気持ちよく寝られることを発見して以来、やめられなくなってしまった。せっかく稼いでいるし、これくらいの贅沢は許されるだろう、と思いながらほぼ毎回乗っている。

2019-10-21

[]【7】2019 秋、マレーシアシンガポール

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anond:20191021223511




Day,7



7日目

This journey is my treasure.


マレーシアで迎える最後の朝。

フライト時間を考えるとできる事が案外少なく、荷物整理位しかする時間がない。

Awesome! Malaysia. This journey is my treasure.」メモをしたため、ホテルをチェックアウト、ブッキングし直したタクシー空港へ向かった。

タクシー空港に向かいながら、マレーシアシンガポール経済状況などについて調べる。

マレーシアはブミプトラ政策のもと格差を縮小し、長期的展望での経済運営をしてきた結果、ASEAN5カ国の中では飛び抜けた発展を成し遂げたらしい。

マレー系中華系の経済格差が縮まったことにより、国民の「格差を埋める」という共通認識が近年薄れ、経済発展としては踊り場に差し掛かっているという。

当座の危機が薄れると、心の奥底に眠らせておいた感情が目を覚ますのはよくある事だ。

しかし、マラッカで見た民族が手を携えた壁画のように、マレーシアの人々は夢と誇りをもって正しい未来選択するのだろう。

また、次の一手も考えられており、アジアで最も発展したイスラム教国として、イスラム金融ハブ地位を狙っているらしい。

旅程の関係ほとんど散策できなかったが、タクシーの窓の外からみるクアラルンプールの発展度合いや、今までの旅行で最高ランクに通じた英語などを考えると、現実的に狙えるプランのように思える。

この国が文字通りの先進国になるかどうかはこれから先の5年だ。

一方、国民一人当たりのGDPにしてマレーシアの6倍、自分不安に陥れるほどに未来的だったシンガポールは、華人中心の都市国家であるにもかかわらず、公用語マレー語をくわえ、マレーシアとの関係気遣いを見せているという。

マレーシアシンガポール谷底から妖しく誘い声が聞こえるタイトロープの上でバランスをとりながら、二つの国に住む人々は明るい未来を目指してこの谷をわたりきるにちがいない。

つの国、驚くほどの格差理想と迷い、3つで足りないたくさんの民族が住む街。

「世の中ってこうだよね」と言った時の「世の中」が「どこまで」なのか、その定義を広げてくれる一週間だった。

タクシーに乗る前にホテルのドアボーイのお兄さんに「この旅は僕の宝となった」と言ったら、「また戻ってきてください」と言われた。

「Sometime.英語力が心許なくて伝わりきらなかったかもしれないが、体のいい断りではない、それは本心だ。

ASKAといえばギフハブ・・・の其の後。

僕が「GitHub」を「悪の組織」と言いましたのは、申し訳ありません。撤回させていただきます

僕の言いたかったのは、

「悪のチーム」

と、いうことでした。

GitHub」に参加して、そのスキル悪用したプログラマたちがいたということです。

僕への「盗聴」「盗撮」は、チーム体制を敷いた「極悪非道のものでした。

なぜ、そんなチームができたかは、僕は分かっていますので、そのことに関してはスルーします。

もうすっかり特定できていますし、相手特定された事を知っています

僕を「統合失調症」と、紐付けるために、やや強引な記事を書かれていますが、

あのように、ネットでは、一度記事を書いてしまうと、その削除には労力が必要です。

https://www.fellows.tokyo/blog/?id=1547

高校インターハイ出場経験もあるASKAさんが、

東京北区剣道大会一般男子60歳以上の部に出場し、優勝を果たしたそうです。

おめでとうございます

[]【2】2019 秋、マレーシアシンガポール

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anond:20191021083746




Day,2



2日目

多民族国家へようこそ


日本代表プール突破は嬉しいが、このまま頭がラグビーモードだと初めて訪れる国では差し障りがあろう、羽田深夜発の機内では眠りたかったが、毎度のごとく機内での不眠グセが顔を出し、結局一睡もできなかった。

今日は到着のクアラルンプールからいきなりバスで2時間ほどのマラッカに移動して、ホテルへのチェックインとなるので、こなすべきタスクが多い。

不安もないではないが、その不安自体について考えすぎるのも精神衛生上悪いので、あまりいかけないことにした。

現地時間午前6時に到着したクアラルンプール国際空港手荷物預かり時までモノレールで移動するという、日本ではちょっとお目にかかれない構造に軽く戸惑ったが、入国管理カードすら必要なく、拍子抜けするほどあっさりしたものだった。

空港内のコンビニで水を買い求めたりしたが、マレーシアの人は柔らかな笑顔で応対してくれる。

これは南国の気質なのか、旅人価値あるものとする、イスラムの教えなのか。

クアラルンプール国際空港から一旦、市内中心部のKL セントラルに向かうため、高速バス切符を買う。

バスチケットセンターのお姉さんんがちょっと硬い感じだったのと、スーツケースバスに積もうとトランクの近くにいたおじさんに声をかけたら客だったという小さなイベントはあったものの、ここでも概ね笑顔対応を受けた。

しかし、バスが走り出してすぐ、東南アジアあるあるの「異様に強い冷房」に遭遇。

日本からやや厚手のスウェットブルゾンを持ってきていたので、ジップを上げてなんとかしのぐが、これはなかなかの強さだ。

見ると、前の席のお兄さんはダクトに空港手荷物預かり証のシールを貼って塞いでいる。

そうか、その手があったか

KLセントラルに到着し、少し館内を散策する。

ここは交通ハブでもあり、観光客も多いのだろう。

でも、おそらく日常でここを使っている人たちの姿を見ると、その多彩さに驚く。

ヒジャブを被っている女性マレー系だろう。

長い髪も露わにひたいにビンディをつけてる女性がいる。

きっとタミル系だ。

カフェでは中華系の壮年男性が30台ほどに見える浅黒いマレー系男性ビジネストークをしている。

全く違う人種宗教の人々がここまで日常感を放ちながら共に暮らしている姿は、日本ではなかなか見ることができない。

セントラル地下には好レートの両替所があり、此処での目当てはそれだが、両替開店にはまだ早く、カフェ時間つぶし。

初めてのマレー飯、カヤトーストを食す。

トーストに挟まれた謎のスプレッドは色といい味といい、ランチパックピーナツクリーム連想させた。

開店した両替所でリンギットとついでに少額のシンガポールドルを手に入れたら、次は今日宿泊マラッカ行きの高速バスに乗るため、中央バスターミナルにかないといけない。

ここで、東南アジアUberといえるGRABを使って見ることにした。

アプリアカウントと支払い情報入力し、地図上で行き先にピンを指して配車すると、やがて銀の車がやってきた。

降りてきた男性中華系だった。

日本以外のアジアは「運転が荒い」という印象があり、事実マレーシアも聞くところによるとそうらしいのだが、GRABで配車されるタクシーアプリ評価システムが内在されているからか、実際に乗って見ると非常に安全運転だった。

ちゃんに礼を言い、中央バスターミナルTBSへ。

バスに乗ればマラッカまで2時間

乗り込む前に腹ごしらえすることにした。

フードコートで頼んだのはカレーラクサ。

ココナツカレー味のうどんのような麺でかなり辛い。

このラクサ中華マレー人の作る「ニョニャ料理」とされていて、それならばこれから向かうマラッカが本場なのだが、どうもマレー料理地域によってかなり味が違うようなので、クアラルンプールでも食べて見ることにした。

ココナツマイルドさとゴロゴロはいっている鳥の骨つき肉が味に厚みを与えているが、かなり辛い。

大汗をかきながら完食し、すぐマラッカへのバスに乗り込んだ。



古都マラッカ海鳥匂い


幸い先ほどよりも冷房がキツくなかったバスに揺られて2時間古都マラッカに到着した。

降りた瞬間に塩の匂いというか、海鳥匂いがする。

思った以上に海が近いらしい。

さっきの流れで慣れたので早速GRABでタクシーを呼び、今夜の宿、ダブルリーバイヒルトンマラッカへ。

ホテル世界最高レベルで安いと噂のマレーシアだが、通された部屋を見て驚いた。

広々としたリビングキングサイズのベッド、眼下にはマラッカの町並み。

ベトナムで泊まったホテルニューワールドにも驚いたが、1泊7,000円弱という値段を考えるとこちらの方が衝撃は大きい。

マレーシアなら東急イン以下の値段でラグジュアリーホテルに泊まることができる。

チェックインも済んだので、マラッカ旧市街に繰り出して食事でもしよう、そう思ってホテルを出たが、少しオランダ広場を見てから繁華街に向かうと、ほとんどの店が閉まっている。

おかしいな、祝日かな。

目当ての店もどれも閉店だ。

気になって調べて見ると、マラッカの街は夜が異様に早く、食事の店でも多くは18時、早い店だと16時には店が閉まってしまうらしい。

晩御飯を食べに出たら店はどこも開いていないというわけだ。

辛うじて空いていた中華系の店でローストダッグと空芯菜炒めをつまみながら、「これは世の中の常識定義全然違うなぁ」と思った。

ポストしたレビュー応援してくれるコメントも頂いたが、辛辣評価もついた。

寝不足で動き回る異国の地、曇天の空には海鳥の鳴き声が響きまくり、店は閉店、レビューにはお説教

うまくいかない日な気がしてきた。

まあ店が開いていないなら仕方がない、昨日からロクに寝ていないんだし、今日はさっさと寝て、朝早くからマラッカの街でニョニャ料理を楽しもう。


【3】2019 秋、マレーシア・シンガポール 3日目 |まぜこぜの国 へ >>

2019-10-15

話題になっているレシート状のマシュマロに寄せて

流行ジャンルならまだしもマイナーや描(書)き手が全員把握できるようなジャンルでたくさん投稿する人間というのはどうしても嫌われるよ。嫉妬対象にならないわけがない。みんなAさんに自ジャンルに来て欲しいなんて蚊帳の外からから言うけど、実際に村・中堅ジャンルにそう言う人が来たら完全に供給過多になる、絶対にその人はハブられるし評価はされなくなる。あのマシュマロに書いてあることが現実で、外野の反応は全て耳障りがいい正論だ。こうやって現実がないものになっていく。今日も描き手が死んでいく。

2019-10-13

anond:20191013183152

頭いい作者が作ったら作ったで登場人物みんな頭よくて別世界

漫画世界でも出来損ないの俺がハブされているかのよう

キモくて金のないおっさんの中に、ホームレスは入っていない

KKO論者の言うKKOって、ホームレス入ってないよな。

「金のないおっさん」の究極形だろうに。

彼らは「KKO可哀想ランキング下位で社会に守られない!弱者扱いされない!本当の可哀想弱者なんだ!」と主張するのが目的なので、KKOからホームレスハブく。

そこまで「金がなく」なってしまうと弱者扱いで守られるようになってしまい、自説に都合が悪いからだ。

からKKO論者は今避難所ホームレスお断り擁護し、「ホームレス臭い。一緒にいたくない」と差別し、彼らを助けようとするリベラルを「偽善w」と叩いている。

あと、生活保護受給者KKOの内に入れていないようだ。

彼らが「キモくて金のないおっさんは守られない!」と叫ぶのは、守られているキモくて金のないおっさんKKOの内に入れていないからだ。

2019-10-09

自分から進んで奴隷になる人、多いんだな

Uberとか見ていても働いてる人間擁護しているし。経営者目線で、法人税上げたら企業が逃げてしまうとか、デキる人が国外に逃げてしまうとか。

最低賃金以下でも働けるだけ有り難いし、手取り10万でも工夫すれば生きていけるし、文句言うのは軟弱者で労労で争いマウントを取り合う。

戦後教育は素晴らしい。しかし下手に賢い人間は晩婚化し子供も作らないので、階層固定化してアホをそれなりに増やす方が出生率の向上には良さそうだ。実際東京出生率はそこまで悪くない。沖縄賃金上げると同調圧力ハブられるので自ら低賃金を望む構造を作ったら出生率爆上げしているしな。

2019-10-07

anond:20191007185951

ハブられるのが一番怖いがため

小さめ台風を無理にもハブられたことにしだす増田かわいい

anond:20191007185119

弱いとか小さいとハブられるのか。

おまえらと同じだな。

2019-10-02

anond:20191002220948

これって結局、PayPayできない奴は飲み会から排除されるだけだよね

一旦ハブられた側の人間はPayPayにマイナス感情が植え付けられてるから

今後インストールすることはまずない

2019-09-29

anond:20190929113437

誰か1人顔の見える人が石投げたら、そうだそうだと一斉に石投げ出すでしょ

自分がその1人目になって万一失敗してハブられるのは嫌だから、様子見てるんだよ

2019-09-22

anond:20190922233055

ネットだろうがその場のノリに合わせられないやつはハブられるぞ

リアルより構ってくれる確率が高いだけマシだと思ったほうが

anond:20190922155136

ふーん芸能人とか興味ないし本読んだりスポーツしたりするのに忙しいか全然知らなかった

みんな芸能人に随分詳しいけど世間ではああいうのってそんなに魅力的なのかな?

って態度の奴当然ハブられていた

anond:20190922154139

テレビに疎かった子は

結局知ったかぶりの虚言癖になってハブられたな

同じ番組を見てただけの嘘がエスカレートして

知らない芸能人なのに誕生日が一緒とか知り合いだとかバレバレの嘘つきまくって

最終的には嘘の彼女とか嘘の武勇伝を語って誰から相手にされない大人になった

禁止するならする子供共通話題がなくて話についていけない時にどう対応するかを想定した方がいいか

anond:20190922033512

ゲーム責任転嫁しているだけ

じゃあなんだ

JPOP全盛期にテレビ禁止歌手芸能人を知らなかった人がハブされていたとでも

2019-09-20

anond:20190919103913

キョロ充底辺パシリハブられぼっちに敵意向けてる、くらいの感じ

くそ鼻くそ

クソしか視界に入らないクソで閉じられた世界

2019-09-19

将棋は、ネットのおかげで誰でも強くなれるってハブさんが言ってた。

2019-09-14

anond:20190914125032

文盲だったわ。頓珍漢なこと書いてた…。

悪口を直接言わないのも優しさゆえなんだよね。

同時に、お互いに友達悪口を言いたくなる気持ちもお互いに分かってて、

それを承知悪口を言い合っていても仲良く出来てるんだよね。

それでも怖いよね。

自分友達への気遣い不足が見える化されないもん。

理由もわからハブられたりなんていう怖さがある。

察してもらうのが嬉しいもんね、おにゃのこって。

2019-09-11

anond:20190911151846

北区さいたま県民ハブとなっている赤羽っていう領域があることから、色々おさっしやで。

2019-08-27

聲の形”を見て思うこと

私は小学校の時にいじめ主犯格になった事がある。

最初に"聲の形"を見た時に重なる部分が多くて具合が悪くなった。

昨日何度目かの視聴をした。

かなり醜い話と懺悔になるが思うことを書いていく。

なんというか、人間記憶主観的だし恣意的だ。見たいものを見たいようにしか見ていない。

ファクトはあるが、どう見えているかはみんなバラバラだし、昔の事ともなるとファクト自体あやふやになる。

少しぼかして書いていることもある。

***********

私は小学生の時に学級カーストトップグループにいた。

クラスの中でも小柄だったが、テストは毎回100点、頭が切れて口喧嘩が強い、悪ガキで面白い遊びを思いつく。

何やっても要領が良い、どうするのが正解か知っていても大人に媚びるのが大嫌い。

喧嘩っ早くて体格が上だろうと年上だろうと取っ組み合いしてぶっ飛ばされたり怪我しょっちゅうしていた。

自分小学校教員であれば面倒を見たくない存在だった。

私には2つ上の兄と3つ下の弟がいる。お陰で交友関係が広かった。

そうした背景もあってか小学校に入ってからずっと、誰に対しても物怖じせずにあれこれ言ってきた。先入観をあまり持たずに人と接してきた。

男の子女の子、年上、年下、昼休みにドッチボールをする人、本が好きで静かな人、お金持ちの家の人、幼稚園上がりの人、保育園上がりの人、勉強が苦手な人、ゲーム好きな人ゲームを買ってもらえない人、野球をやっている人、サッカーをやっている人、わがままな人、音読で閊える人、発達障害っぽい人、同学年の女の子全員からキモがられていた「小1の時に教室の真ん中で***を漏らした人」とも。

カーストのどのTierの人とも話せるのが私の強みだったし、(今思えばやりすぎているが)笑わせたり弄ったりできた。

小学校5年生の時だった、私のいた小学校では各学年に4クラスあって3年生と5年生でクラス替えが行われる。

5年生のクラスメンバーには1年生の時から友達も3年生から友達も多く、割と見知った顔に囲まれ結構安心した事を覚えている。

登校班や子供会なんかが同グループだった友達が多かったこともかなり幸運だった。

いつだったか時期は詳しく覚えていないが何度目かの席替えの後、私の隣の席にはクラスの冴えない女の子がいた(以降Yさんと呼称する)

私が教科書を忘れて「見せて」と言った際だったか消しゴムを忘れて「借して」と言った際だったか、あからさまな態度と嫌味をもって拒否された。

初めて同じクラスになった私とそのYさんの間が、構築前から突如として誰にも知られずぶち壊れて険悪になった。

とにかく”きっかけ”は存在した。それは本人の属性や変えようのない部分ではなく、本人の言動のものに起因することだった。本当に瑣末な事だったが。

当時の私は、今よりもさらに「自分の損」に興味がなく、あけっぴろげの人間だったので、恥知らずわがままこそ言えど、「消しゴムが無い」と言われれば、ちぎって半分あげたし「教科書忘れた」と言われれば、そのまま貸すような人間だった。

また、奔放なぶん蛮行を働いて教師たちの御用になる事や、真面目タイプ女の子のチクリポイント稼ぎの養分にされる事も多かった。

要するにやりたい放題のガキ大将キャラだった。

クラス替えをして、全然知らない、普段かにしている、何の毒もなさそうな見た目の、ほとんど話をしたことが無いような人間からいきなり剥き出しの100%の敵意を出された事は私にとって苛立ちよりもまずはショックだった。そんなつっけんどんに拒絶されるものか?と思った。

多分Yさんも人付き合いがうまくなかったんだと今ならば思うし、人間の合う合わないはどうしようもない上に精神の未発達段階で大人対応をできるわけがない。

しかしたらどこかで知らないうちに嫌われることをしていたのかもしれない。

幼かった私は、Yさんから向けられた敵意を「あーなんか嫌われてるけどまぁいっか」とか「まぁそんなもんか」で処理することができなかった。

後にいじめと呼ばれるものになることの始まりは、あくま個人間の諍いであった。

私はYさんの剥き出しの敵意に対して意地になって目に見える形で露骨に応答した。

給食時間に同じ食器の運搬係になれば一人で給食から食器を運んだし、Yさんが牛乳係の時には自分のぶんは自分牛乳を配膳した。

大人であれば「なんやこいつ関わらんとこ」で済むような人間に対して、同じように敵意をむき出しにして徹底抗戦した。

当然相手も同じような態度を取り続けた。収束までずっと仲裁が入ることはなく、私とYさんの終わる事の無い喧嘩が始まった。

1人でやっているつもりでも教室内のピリついた空気は伝染する。

周囲が異変に気付き始める。

「何かあったの?」などと問われたことはなかった。当時の私はそう聞かれても、最初きっかけをうまく言語化できなかったと思う。ただ「あいつはわけからないけどなんか自分のことを嫌っているかこちらも戦う」という態度だけは徹底して取り続けた。私はYさんのあだ名命名した。キャッチーあだ名で、「デブ」とかの悪口では無い。まだ私はこの後大事になると微塵も思っていなかった。

しばらくしてクラス人間が真似をし始めた。地獄の始まりである

子供は愚かだ。ストッパーが無ければ増長して行動はエスカレートする。みんながやっていると善悪判断がつかないまま真似をする。

「仕掛けたのはあっちだ」とか「自分は嫌いな奴と1人で戦っていただけだ」と思っていたが、周囲がのってくると、自分もまたそれにつられて調子にのった。

「一緒にいじめよう」など口にせずとも、教室というフィールドの中で生じた歪みは波及していき、クラスメイトは不穏な空気を汲み取り同調していく。

かくしてYさんはスケープコートへと転がり落ちた。

当時意識していなかったが、不幸な事に自分にはそれだけの影響力があった。カースト上位に属するとはそういうことだった。アホアホが影響力を持つコミュニティ破滅に向かう。場面場面でお調子キャラが目立とうとして度を超えてやりすぎる事があったが、私はそれを止めなかったし、時には一緒になって参加した。「結託して集団いじめをしよう」などと言い出さなかったことだけは言えるが、言わなかっただけである。見えない鎖が教室に張り巡らされていた。

「〇〇菌」

誰が考えるのか、日本各地でいじめはなぜかいつもこの形に収束する。こうして個人間の喧嘩は、いつの間にか一見(というかどう見ても)私が主導したクラス全体のいじめ様相と化した。

ランダムペアを組むワークではYさんはいつもあぶれ、男子はおろか女子露骨に嫌がったし「Yさんの隣」や「Yさんを含む班」は席替えの度にハズレの席となった。いじられキャラは押し飛ばされてYさんとぶつけられるし、休み時間は「Y菌」で鬼ごっこが始まった。その頃には私がつけたあだ名は学年中に広まっていた。

愚かな私は、みんなが私の味方になった気がしていた。

今日今日まで喧嘩の発端(前述)すら誰にも話した事がなかった。「弱者一方的に」というつもりもなかった。私の中ではYさんが突如宣戦布告した戦争だった。

しかし結果としてやられたからやり返した「報復」という形をとって、一人の地味な女の子が得られるかもしれなかったささやか小学校時代をぶち壊した。

わたしはその頃、一度受けた傷はオーバーキル相手を倒しきるまで忘れない性格をしていた。一人で始めた戦いであって、自ら徒党を組むことはなかったが、加勢されることは私の正当性の現れな気がして拒否しなかった。その一方でこれは「いじめだ」とも頭のどこかでは認知していた。

勿論「つもり」が許されるいじめなど存在しない。

私は私の始めた喧嘩に、意図せずともクラス全体が引きずられていっておかしくなっていく事を止められるほど精神が発達していなかった。

これは言い訳も虚しいほど完全にいじめだ。物理的な暴力や器物の損壊が伴わなかっただけだ。個人間の不仲から発展した空気ムードとなって場を支配し、カーストを動かし、もはや私の手で収束できる問題ではなくなってしまった。

6年生になる。いよいよ看過できないレベルにまでいじめが広がる。

高学年にもなると知恵をつけて、その方法もより精神をえぐるものになる。

他のクラスでは直接的に集団で殴る蹴る下着を脱がされるの暴行や、給食費を盗が盗まれる物が隠されるとかの、より凶悪問題顕在化しており、6年生になってからは同学年の4クラス中2クラス学級崩壊していた。私のクラスでは、目に見えてYさんの村八分が酷くなっていた。Yさんがどれほど身の狭い思いをして修学旅行を過ごしたのか、私は想像もできない。他人事のように書いてしまっているが私の責任である自分の手を汚さないやり方を望んでいたわけではない。私は私でYさんと相変わらず徹底抗戦していたのだ。

Yさんが給食係をやれば「あいつが配ったスプーンご飯を食べたくない」という言葉が囁かれた。誰がどう見ても個人間の喧嘩では無い。

ある時、昼休みだったか総合」の時間割だったか時間に私はクラス担任から事情聴取を受けた。

あなたいじめをしているでしょう」という直球だった。

私は「していない!」と訴えた。(それはいじめというのだよ、小学生の私よ)それでもそれ以上続く言葉出てこなかった。罪への意識は十分あった。

私がYさんにやられてる以上に痛めつけてしまっていたことも理解していた。

その日の放課後ホームルームで学級裁判が起きた。

まずは「このクラスいじめがあることを認識しているか」といった主旨の質問が全員に向けて発せられた。周知の事実だったが全員がすっとぼけた。

なぜこんなことになっているのか、原因がなんなのか誰もわかっていないにも関わらず、Yさんへのいじめを知らない人間は同学年に居ない。

全員の前で「先生は(私)さんが主犯格でやっているように見えている」と担任から名指しで名前が挙げられた。

「Yさんにきちんと謝りなさい」と言われた。体がロボットのように動いたがどうやって謝ったのか覚えていない。

いじめだと内心で思ってきた事をここまできてようやく裁かれた気がした。

「手から離れた問題雪だるま式で大きくなり敗戦処理の段階になって、私はトカゲのしっぽとなって切り離された」という事実をもって。

私は確かにYさんと冷戦をして、原因も話さず、周囲が巻き込まれていくことを止めもせず、1人の小学校時代を壊滅させた。始めたのは私だ。止めなかったのも私だ。わかりやす戦犯だ。私の後に「私も加担した」と続く者はいなかった。

かに無視しろ」と命令したとか、「あいつのこと避けよう」とか私は言っていない。でも嫌悪感を態度で表して周囲はそれを忖度した。

「誰がはじめたいじめなのか」とか、「あいはいじめに加担してない」とかはどこからを言うのだろうか。教室はお通夜になった。

「むしろお前らこそいじめてただろ」とも思った。普通に考えて悪いのは私だ。理解している。

醸成された空気に異を唱える小学生はいない。我関せずすらも難しい。せめて普通に無視してあげる事が関の山だ。小学生カーストで一度つけられた烙印はなかなか消えない。玉突き事故を起こしたら自分の居場所が保てなくなる。

本来であれば穏やかに過ごせるはずだったささやか生活台無しにした。どれだけ胃が痛かったろうと思う。遠足修学旅行も楽しくないものだったろうかと勝手に思う。向こうはなぜ私と交戦状態になっているかもわかっていなかったと思う。私も当時はうまく言語化できなかった。

学級裁判の後、Yさんのいじめの件はクラス黒歴史のように禁忌となり、「聲の形」の石田くんのような転落を味わうことなく、私は卒業した。Yさんもついぞ何がきっかけで始まったのか口に出さなかったが(というか引き金を認識していなかっただろうが)一人静かにけがえのない青春の一部を失った。それは取り戻すことはできない。

その後、地元公立中学校に進学した私はスクールカーストに属する事をやめた。

自分の意地や些細な喧嘩で人を壊すと思うと恐ろしくなった。中学では勉強マシーンになり、人と仲良くなりすぎる事も辞めた。

私の進んだ中学校は私の居たA小学校と、一回り規模の小さいB小学校から進学してくる生徒でほぼ100%になる。

大規模ないじめに発展する問題を起こした人間が言うのはあまりおかしな話だが、B小学校から上がってきた人間は本当に問題児ばかりであった。母数が少ないのでA小学校出身者に舐められまいとして毎年こうなるのだと後で知った。

私は同じ中学校に進学したYさんの小学校時代の話は何も言わなかったし、Yさんとは一度だけ同じクラスになった記憶があるが直接会話もしなかった。

それでも誰かが広めたのであろう、私のつけたあだ名過去はB小学校出身者にも簡単に広がった。何が起きたのか事実も発端も知らずに面白おかしく吹聴する輩がいる。

中学1年生の時、B小学校出身の友人から話があった。英語の授業で当てられたYさんは"How many friends do you have?"という英語教師の問いに"I have many frieds."と答えたそうだ。友人は笑っていたが私はとても笑えなかった。

それでもYさんにはB小学校から来た友達が少しだけできたように見えた。私にとってそれは少しだけ救いだった。

私は中学校生活の中で、2年生から入った塾関連で話しをする人は居たが新しい友達(と言える存在)は出来なかった。

入ったバスケットボール部でも当たり障りのない会話をする人は居たし、たまに一緒にふざける人たちもいたが、順番に繰り返される暴力金銭授受の絡むいじめを見てから人間関係がわからなくなった。

どうしても同じ時間を過ごさなければいけないタイミングでは、それまでのキャラで場当たり的に属したが、残りの時間勉強を頑張る人たちや、それまでの小学校から仲良くしていた人たちと細々とつるんだ。

兄の影響で2個上の先輩達から可愛がられたが、1個上の先輩からはその反感もあってかすこぶる嫌われた。はっきりいって居場所はなかった。あれこれ「自分資格がない」と思って罰だと思って受け入れたし、居場所を作る気もなかったので当たり前だが。

私がおとなしくしている間にも悲劇は拡大・再生産されていた。問題児ばかりのB小学校出身者は次々とA小学校出身者を再起不能にして登校拒否にさせた。そんな中Yさんは大きないじめにあっていなかったように思う。あまり関わっていなかったので”多分"だが。

A小学校の時に明るかった人間クラスカーストでも最下層でもなかった人間が次々と再起不能にされていく様を見ると何か色々と惨めな気分になった。自分の愚かさにもしょげた。

そこからは影に徹してひたすら勉強ばかりした。

私はミステリアスキャラになった。B小学校の人たちからちょっかいをかけられたり、体育祭の後の打ち上げで軽くハブられて悔しい思いをしたり、順番に巡るいじめ被害にあった人間に擦り寄られたりすることもあったが、そんなことはどうでもよかった。なんだかんだで助けてくれた人はいた。とにかく適当に過ごした。気持ち悪くてダサい人間関係から離れたかった。自分黒歴史を見るようだった。

小学校時代猿山大将として過ごし、学級裁判だんじりから見事に転げ落ちた私はとにかく静かに過ごしたかった。今更許される事でもないが悪いことはもうしたくなかった。被害者ぶる事は無かった。昼休みは一人で過ごす事が多かったし放課後に誰かと遊ぶことも極端に減った。自分の中身がそっくり入れ替わった気がした。

高校に入ってからしょうもないことを言う人はいなくなった。とても楽だった。楽しかったし友達も沢山できた。

自分が変われた、受け入れられた気がした。でもそんなことを感じて良いのだろうか?被害者は忘れることはない。

大学ではもう完全にみんな大人になった。大学はもうそのまま社会だ。

アホはいるが当たり前の常識をわきまえた人間が多い。彼らの中にも私と同じような後悔を抱えていたり、するのだろうか?と思うことがある。

過去の過ちは消えないし心に負った傷や失ったものはもう取り返せない。

私は27歳になった。

人をいじったりすることは相変わらず得意だが、全然違う性格になっている。

職場で多くの人を見てきて、人に好かれる人間と人が離れていく人間について考えた。自分の悪かったところと向き合って見直せるようになった。

人に言われたことは言ってくれたことだと思えるようになった。

でも今の私がいろんな人に優しくしたり、何かを与えることでYさんには何かあるのだろうか?と思う。

これは償いか?罪滅ぼしなのか?何を?誰のために?自分が楽になりたいだけか?と思う。(申し上げにくいが今でもYさんと仲良くできるとは思わないが)

二十歳を超えてから仲良くなった人たちと話しをしていて、いじめを受けたことがある人間が多く存在することを知った。そうした話しを聞くと胸が苦しくなって呼吸がおかしくなる。都合のいい人間だ。いじめられていた人間自分の話をするかどうかで済むが、いじめをしていた人間は誰かに言い出すことができない。懺悔しかならないからだ。

いじめをうけたことのある人間は私を軽蔑するだろうか。憎むだろうか。

私は自分の身近な人や、大切な人がいじめを受けて苦しんだことに対して義憤を感じる。あまり勝手すぎる。そんなことを感じることが許されない前科者だ。

Yさんは今、何をしているだろうか?高校生の頃に制服姿のYさんを見かけた事がある。そのあとは知らない。友達はできたか大学に進学したのか。就職したのか。どこに住んでいるのか。小学校の頃の事など何処吹く風でどこかで楽しく生きているだろうか。自分に自信を持てただろうか。自己破壊けが目的人生を送らないでほしいと身勝手に思う。わたしは許されることは無いし、やったことが無かったことにもならない。だから私のことは怨み倒して構わない。

でもYさんはどこかで自己肯定して救いがあったと思える人生を送って欲しい。私は一生この罪を背負って生きていかねばならないと思っている。

精神成熟していないコミュティ悲劇だ。教員のせいにすることもできない。

とんでもないくだらない理由いじめが生じる。生贄が生じる。あるものは一生消えない傷を、ある者は罪を感じて、大多数は何も覚えていない。

イニシエーションとして自分の大切な人がスケープゴートになったら?私は許せない。傷つけた人間をタダでは済まさない。

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今日小学校の頃からの仲で、Yさんに関する顛末を知っている友人に連絡をしてファクトに関する認識合わせをした。

その友人はやはり「私が主犯格に見えた」と言った。と同時に「でも流された Permalink | 記事への反応(7) | 00:41

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